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Full text of "Hihyō"

V 

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i 



主 筆 室 伏 高 信 

編 • 解題 飯 田泰三 

H^H ゾ 




第 第 第 第 第 第 第 第 第 創 
S 九 八 七 六 五 四 三ニ刊 



大正 八 年 三月 一 日) 

〃 四月 一 日) 

ひ 五月 一 日) 

ひ 六月 一日) 

ひ 七月 一 日) 

ひ 八月 一 日) 

ひ 九月 一 日) 

ひ 十月 一 日) 

ひ 十一月 一日) 

ひ 十二月 一 日) 



本卷 収録 史料 

批 評 




號 刊 創… A 



民 


勞 


擧吉 


國 


五 


ジ 


民 


チ' 


主 


働 


の 野 


際 


等 




主 


モ 


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論 


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に. 








の 


由 


す 謬 


業 


改 




和 


の 


序 




: を 


的 


革 




主 


諸 



大正 八 年 二月 廿六 H 納本. 

大正 八 年 三月 一 日發 行. 



毎月 一回 

1 a 鼓 Jt 



^-S:s--sissssssssss.ss=sss=::s:s3ssssss3:-ss3sssssss:ssrs5s=:ss:-^ 



普通 選. 擧 運動 

、普通 選擧 論… _ 



蓮 動 

…こ 一 

著書から 

の 必要 を m V 

• 協同 へ 

指摘して 普通 選 



批 



評 一 



社 



柬 山 

京 元 

市 町 

m 二 

町 ノ 

五 



編輯 nl? より 

▲ 「批評」 の 立 場 は デモ クラシ. 'のか"^ 

です。 

A その 立場から デモ グ ラシ. I 自 dp につ に 

ての 研究 1^ します。 また そ の 立場から 政. 

治 * 肚會、 敎育 • 文藝. ^批評し ます。 

▲ IK て クラ ジ. -は 政治の 領分 に だ け ある 

ので はなく して • われ 生沾の 一 切,^ 规 

定する^^德的本能でぁリます。 その 「^德 

f 本能」.^ 體現 する ものが 「批評」 であ リ 

^す。 

▲ 「批評」 は^ 本の 改造 V ^要求し ます 。新 

,s 本の 创造 のために 働. ま マ" 

▲ 「批評」 は. tfl 義 もって 立ち. *i す。 それ 

故 1: 名. B だ.^ か 博七だ かめ, 意見 は 成ろ 

ベ X 招 載し まぜん 。私 ど-^ の 主張 1^ も 

つて 全卷 横溢 させ *0,。 

▲ 私 ども は • 私 どもの 力に よって 日本 改 

造して 見せる ,- いふ ほ の: U 惚れ と 決心 



と v^," つて 立ちます。 私と もば 力,'.^ • マ 

少クス と は その 主張,^ 同じく しない 點が 

澤 山あります。 けれども マ か ク スが 「新ラ 

イン 新聞」 起した と 同じ 決心 もって 立 

ちます。 

▲ 私 どもが 口 本の 室 的 傳统に 忠誠で あ 

る、、 と は、 本號 中の 「民主主義と 共和 主 

義」 によ つても 叨ら かです。 

▲ それと とも LL 私 ど t ば W 衆に 對 して 何 

人 リも. -* リ 多く 且つ より 深く や 誠で あ 

リ たいと 出-ひます。 然リ、 ょリ. くです。 

ょリ. 深く と い ふ -、 と は、 現在の; 衆 的 表現 

ri3- も赵 越し ズゐろ ilMn の ある ことの 意 

味です。 

▲ 私 どもば- 衆.^ 友と します 02^ 衆,^ 深さ 

と: ろ」 友と します。 深. T 、ところ _」w 衆 >^ 

n」 るん のにと つて 民衆ば 「多数決」 で は 

なく、 「米驟 動」 でばなく して • 眞 に 偉大な 

る道德 であ リま VO 

▲ 私 ども は その 偉大な ろ? S3 德 と しての は 

衆1<^瑰解します0さぅしてそ5!:1{衆のハ又 こ 



なリ、 兒 と..^ なリ、 姉妹と むなります。 

▲ だから 社會 問題, 勞働 問題 は、. 私 ども LL 

よってに .::L,131 大な ものと して I? んビら 

れ ます。 敎育も • 文鵲 L、 政治 も 、一ての 窓 

味から して 重大です。 

轟 だから 私 どもに 2i{ 主 主- :^に 反對す る あ 

ら ゆ る ものに 非難,.; ^加 へ ます。 無政府主義 

に 非難,^ 加へ る こと も勿譫 です。 社會 主義 

Li つ ぃズ 厳正な 批; ゆ.?^ 加へ ます。 

▲ 「批 !^」 の 使命 は、 、-、に 一 々! る: と 

はでさな ぃ。た そ の內.3^:-しょ つ て語 ,<? の 

ほかばない . 

▲ 第 一 號に 不備の 點の 多かった : と 1^ 

認め ま マ。 ? r とも 雜 誌の 編輯に は 素-^ で 

^0 素人で あるが ゆ へに、 新ら しさ 雜誌が 

でさます" . 

▲ 人の 名 は 竹ら く 秘^にされ ます 。その 

秘密 はやが て 取り去られる 時が さます。 

(K 生) 




へ デ 

?ュ 

A ヰ 



批 人 

評 の 



. ■ 苦 野 博士の 誤謬 を 指摘して 普通 選馨の 主義 を 論す 室 伏 高 

: ■ 民主主義と 共和主義 一 一 

; ■ 普通, 選舉 運動 一 

■ デモ クラシ I の 諸 運動 一 , 

^ 讕國際 的 及び 産業 的撬 同へ 一 r j 

■ チヨ |ヂ • バ| ンス 曰く 

一 驪勞働 組合の 自由、 

一画 普通 選舉 論 尾 崎 敬 義 

... B 吾等 は 到處に 改革 を 151- 求す 森 . 恪 

一 ■ 民主主義 史論の 序 室 伏 高 信 

一 □ - 

目 ■ 普通 選 摩 運動の 人 々; S S si 

■ リ ー ブ クネヒトの 著書から K M 生 



□ 

■ 河 上 博士 「勞傲 運動の 使命」 

B 若宮 氏 「帝大 と危險 30 想」 お 崎士郞 

□ 右黨と 左 藁 

口 編輯 EI? より ::K 生 



次 _ □ 



有 島武郞 

政治家の 頭 は 古る い 

ゴ シ ク ブ.、 ..::s 生 

1 , 學 校と 社 會」 

y ン 「努傲 (4 の 目 的」 : 



2 



時代 批評 



民主主義と 共和主義 

日本に 於いて デモ クラ シ ー を 非難す る もの うちに は、 

デモ クラシ ー を もつ て 共和 攻 治の 意味に 解す る ものが ある 

ように 思 ひます。 若しも. テ モク ラシ Is, 主義が 絕對 的に 共 

和 攻治を 要求す る もので あろと なし、 從 つて 皇室の 觀 念と 

相容れない ものである とすれば、 日本に おいて デモ クラシ 

1 を 主張す ろ こと は、 皇室 を食崇 する 私 どもの 心 もちに 反 

逆す る ものであります。 然 らば デモ クラシ ー について 考へ 

る もの は、 デモ クラシ I と 皇室との 關係 にも 無頓着で ゐる 

、 J とがで きないと 思 ひます。 

この ことにつ いて 考 へる ために は先づ ブラト ー の 共和 論 

について 考 へる ことが 便利で ある。 ブラト ー は 共和 國の主 

張 者であります。 、 】 の 共和 國の 思想 はブ ラト I から 生れ 出 

でた ものであると 申すべき であります。 彼れの^<ハ和論は最 



も 徹底した る 共和; S であり, た に攻治 上の 共和 を 主張し" 

てゐ るの みならす、 また 共産主義 を も 主張して ゐ るので あ 一 

ります。 彼れ の 共和政治と は 共産主義の 意味で あると e. し 

て も 差 支べ ない のであります。 彼れ は 人間の 爭 ひの 最も 大ー 

なろ 焉 因 を もって 私有財産 及び 家族の 闡係 であると 申して 一 

おります。 彼れ に從 へば 理想の 國家 において は 私有財産 は 一 

存在すべからざる ものであります。 また 父 は その子 を 知つ 一 

て はならない その子 は 父 を 知って はならない 。これが ブラ 

ト ー の 共和 國の 理想であります。 父 は その子 を 知らす, 子 

は その 父 を^ら す • 凡ての 人々 がその 私有 財產を 所有せ, さ, 

ろ 社會に おいて は、 ブラト I に從へ ば爭 ひの な い 社會 組織 I 

であります。 凡ての 人 は それぐ の 損得に おいて、 ともに 一 

喜びともにit^^,pものでぁり、 私の もの、 彼れ の ものと い 一 

ふ 言葉 は 全く 同 一 の 意味 を もって ゐる ものでなくて はなら 一 

ない とい ふ いであります。 一 

一 

かやう に ブラト ー は 徹底した る 共和 國の 主張者で ありま 

す。 その ブラト I の 共和 國 論から 近代の 共和政治 は 生れ 出 

で > -ゐ ると いっても 差 支へ ない のであります。 それに も か 

はらす 彼れ は デモ クラシ ー の 排^ 者であります 3 彼れ は 一 

世界に おける 最初の 共和 國の卞 張 者であった とともに、 ま 一 



s 



た^ 界 における 最初の デモ クラ シ I の 排斥 者であります。 

彼れ は 食 族 政治 を 主張して おります。 彼れ の攻治 上の 權カ 

と哲學 との 結合 を 主張し ます。 彼れ は 理想主義 者で ありま 

す 彼れ は 智識と 道德 との 同 一. 性 を 主張し ます。 攻 治と 敎育 

及び 人格 樹立と を 同 I 物で あると 主張し ます。 その 立場 か 

ら デモ クラ I シを もって 政治の 三つの 體樣 のうちで、 最惡 

の ものであると 述べて おります。 また その 立鷂 から 哲人 主 

篯貴族主義を主張してぉ4^ます。 それ ゆへ に 世界に おける 

Eg 初の 共和 國 の 主張者た る ブラト ー において は、 その 共和 

國を 直ちに デモ クラシ I と 同 1 物な りと なし、 または デモ 

クラ シ I を 必然的に 要求す る ものである となして ゐ ない の 

みならす, 却って その 反對 に、 共和 國と 少數攻 治と を 結合 

し、 共和 國 と デモ クラシ I と を敏對 させて ゐる ので ありま 

す 

ァ リスト I ル はこれ に反して デ モ ク シ I と 君主 主義と 

を對立 させて おります。 けれども ァ リスト. I トルが デ モク 

ラシ ー を對立 させて をる ところの 卞主 主義と は * 君主が 攻 

治 上の 主權を 掌握し、 且つ 攻 治の 實際的 運用 をな すと こ 

の 主義であります。 從 てァ リ乂ト ー トルに おいての 君主 

主義と は、 專 制攻體 S 意味で あると 申す ことができます ひい 

ふまで もな く 彼れ は 専制政治と 暴民 攻 治と を區 別して をり 



ます。 さう して この 暴民 政治 を もて 專制攻 治の 腐敗した 

る狀 態で あると なして をり ます 3 けれども その 何れに して 

も 專制攻 治で あり、 一 人の 政治で あり、 人民が これに 參 加す 

る こと は 1 切 排斥して るるので あります。 それ ゆへ にこの 

君主 々義 とデ モク ラシ ー と 刀對立 は、 專制 主義と デ モ クラ 

シ, - との 對 立で あり, , ^ の點 において は 何人も 異;! を 挾む 

の餘 地の ない ところであります。 その 對立は 君主 國と デモ 

クラシ I との 對 立であります。 それ ゆへ にァ リスト ー トル 

の 分類から いつ てもデ モ クラ シ ー は 必然的に 君主 國と 矛盾 

すろ もので あ, と. &す こと はで きないので あります。 

近代の 立 35國 において は、 ブラト I または ァ リスト.' ル 

の 時代に おける がごと き、 君主々 義は 存在して ゐな いので 

あります。 君 王が 人民の 政治的 參加を 排斥して、 一 人の 意 

思に よる 最高 • 無制限、 獨立、 の 政治 上の 權利を 行使す る 

こと は 近代の 諸國 家に おいて は、 みる ことので きない 事實 

であります。 立憲 攻 體 の 採用と ともに 大權攻 治 は 理論 上に 

も實際 上に も 行 はれる もので はなく、 その 最少 限度に おい 

て も、 立法 上の 權カは 議會が 掌握して ゐ るので あって、 君 

主が 單 II に 立法 權.^ 運闲 する がごと き は、 その 例 をみ ざる 

ところであります。 それ ゆへ にァ リスト ー トルが 對立 せし 



めて ゐ ると ころの 君主々 義と デモ クラシ I との 闕係 は、 今 

日の 世界に おける 君主と デモ クラシ ー との 關 係と は 全然 そ 

の牲 質ケ 異にして ゐろ ものと 思 ひます。 

近世 においても モンテス キュ I は デモ クラシ ー と 君主 主 

義とを 正面に 對. N せしめて るない のであります。 彼れ は攻 

治の 分頹を 共和^、 君主 國 及び 專制國 の 三つに 分けてお り 

ます。 この 三つ を相對 立す る ものと なして をり ます。 この 

攻 治の 分類と デモ クラシ ー との 關係 は、 彼れ において は範 

Category の 違つ.;: ものであります。 彼れ はた > アリス 

トクラ シ ー と デモ クラ シ I との 一 一つな 對立 させ ており ま 

すリ この アリス トク ラシ ー と デモ クラシ I との 對立 は, 共 

和攻 治の 內部 においての 分類であります。 共和 國と は、 彼 

れ において は必ら すし も 主權 者が 全人 民で あろ ことが 必要 

でな く、 人民の 一 部に よって 主權が 掌握され てるる 場合に 

も, 共和^な ろ こと は 差 支へ ない のであります。 それ ゆへ 

にモ ン テス キ ュ ー において は、 その 共和 國 なる もの は必ら 

すし も デモ クラシ ー と 1 致す る もので はなく、 共和 國はデ 

モ クラ シ I の國 家で ある ことがあり、 また さう でない 揚合 

も ある^であります 



また 純然たる 民主 國 であな とと.. 》に、 君主 を 戴いて ゐ る 

國 家の 實例を も 指摘す る ことができます。 白 耳義は その 代 一 

表 的の 國家 であります。 白 耳義の 憲法に おいて は、 ,ての 第一 

1 一十 五條に おいて r 凡ての 權カは 人民より 生す ろ J と 規定 一 

して 主權在 民の 大義 を 明らかに 示して ゐる にも か はら 

す、 その 同じ 憲法の 第二 十六 條 において は * 立法 權は! ^王; 

代 議院、 及び 元老院の 協定に よって 行使 せらろ べき もので 一 

ある こと を 規定して おる のであります。 また その 憲法の 第一 

1 1十 七倐 において は、 國 王が 立法 上の 發議權 を もってる る 一 

こと を 規定し、 更に その 二十 九條 において は、 行攻 權が國 

王」! i して をる こと を 規定して をり ます。 卽ち 民主々 義とー 

君主 國とは 白 耳義の 憲法に おいて は、 If 立ので きる 性質の 一 

ものと されて ゐ るので あります。 一 

この 例 は 11 り 白耳義 において ばかりで はなく、 英國 にお 一 

いてら その 事箕 をみ るので あります * パ ショットに 從 へば 一 

英國 の主權 は その 下院のう へに あります。 それに も かお は 一 

ら すその バジ ヨット は 皇室 を 尊 祟し、 特に グヰク トリ ァ女ー 

王の 偉大なる 功績 を稱 鬚して、 女王な くんば 今日の 英國攻 一 

府は 倒れ 且つ 雪 散す ると さへ 述べて をり ます。 卽ち デモ クー 

ラ シ ー と 皇室との 兩立性 を 信じて ゐる、 3 とが 理解され るの 一 



であります。 セ ヱ ュ ョボ I ス敎授 は、 民主々 義と 共和主義 

と は 混同す ベ から ざろ ものであると 述べて るます 

君主 を もって 一 切の 權 力の、 源泉で あると すろ の 思想 は、 今 

BLi おいて は 一 部の 時代錯誤 者 を 除いて は、 何人も 信ぜ ざ 

ると, 】 ろであります。 、 J の點は 日本の 憲法 舉 者の 間に お い 

て さへ、 議論な きと ころで あると 申しても 差 支へ ない こと 

と 思 ひます。 君主 機 關說は 日本の 一 大 舉敎授 によって 夙に 

主張せられ、 その 思想 は 日本に おいてさへ 危險 思想と さ れ 

てるない のであります。 私 ども は その やうな 法律 舉 者の 形 

式:? 1 に參 加す る 必要 はない と 思 ひます。 彼 れ^の 議論と は 

た > 論 現 上の 遊戯であります。 この やうな 遊戯に よって デ 

モク ラシ —の 深き 精神み-批判 すろ こと は、 素より 一 切見當 

逮 ひであります。 

前に も 述べた 通り、 デモ クラシ I と は 政治、 社 曾、 產 紫の あ 

る 形式で はなく して、 それ 等に 通す ろ奧 深き 精神で ありま 

す。 それ ゆへ に 如何なる 形に おいて 發現 すらと も デモ クラ 

シ I の 精神 を 表現す る ものである 以上 は、 それ は 一 切 デモ 

ク ラ シ ー そのものであります。 

それと は 反 對に扣 阿なる 形に おいて 現 はる >• とも、 民意 

の &赏な ろ 表現で ない もの はこれ を デモ クラシ ー と稱す る 

こと はでき ない こと >. なります。 君主が 5t 在す る や 否かと 



いふ こと は、 た 5f 國體の 問題であります 。デモ クラシ..' と は 

精神の 問 種であります。 卽ち この 二つの もの. -闕保 は相對 

立す る關 係で はなく して、 その 二つの 關 係 は 別種の 節 ia? に 

11^ して rO ろ もので あ ものであります。 この 二つの もの を 相 

對 立させる こと は 範禱の 混同であります。 君主 國 において 

デ モク ラシ! を 拱 斥す べしと する の 理論 は、 、一の 範疇 の 混 

同であります。 

モンテス キュ —は, ての 攻 治の 分類の 源 因 を性赏 -atllre 

と 主義 Principle との 二つに 分けて ゐ ます。 さう して この 

1 1 つの 源 因のう ちで、 主義に よる もの を 重要なる 方法で あ 

ると 申して をり ます。 その 國 の 政治 または 社會 及び 產 業の 

組娥 か、 デモ クラシ I の 組織で あろ かどう かと いふ こと 

は、 この モンテス キュ I の 指摘して ゐろ 通り, 主義に よろ 

區 別であります。 卽も 形のう へ の區 別で は な くして、 主 

義 においての 區 別で あろと 申す ことができ るの であり ま 

す。 

旣にデ モク ラシ —か 形の 問題でなくて 主義の 問 超で あ 

り、 また 精神の 問題で あると すれば、 その デモ クラシ I が 

何なる 形に おいて 表現され るかと いふ こと は、 それが デ 



6 



モ クラ シ. 'であろ かない かの 問植と は無關 係であります C 

例へ ていへば ナ. ネ レオ ン 三世が 帝位に ついた 5^ 合に は、 彼 

れは 國民總 投票の 方法 Plebiscite によって るる ものである 

が ゆへ に、 彼れ は 一 見して 民主 國の 大統領と 撰む ところな 

きもので あると e. す こと もで きないの ではない。 けれども 

、 i の 見方 はた 形式のう へ から 主義 を 批判す る もので あ 

り、 もっと 精密に いへば、 形 を 批判して、 それが 主義の 批 

評と なる ものである とする の 見方であります ナ. ネレ オン 

三 は. a 河なる 方法に おいて 帝位に つかう とも、 彼れ は 民 

主 主義者で はなく、 彼れ の攻 治はデ モ クラ シ I ではなく、 そ 

の 制度 は デモ クラシ I の 制度で はない のであります。 これ 

に反して 併へば ァ ブラ ハム • リン コ ー ンの ごとき 攻治 家が 

たと へ 何よう の權 カを與 へ られ よ; とも、 その 權 力の 大 

小と いふ こと は、 彼れ が デモクラット であるか どうかと い 

ふこと と は無闕 係であります。 彼れ が デモクラット である 

かどう かとい ふこと は、 た > その 奉す ると ころの 精神が 何 

であるか、 また その 精神が 貿 現されつ >- あるか どラ かの 問 

趙 であります。 

デモ クラシ ー の 政治 は 民意の 支配す る玫 治、 民意が 一通 

として 表現 せらる. '攻 治であります。 その 表現の 方法 はデ 



モタ ラシ ー のた > 表現の 方法で あり デモ クラ シ I であるか 

ないかの 問題と は 無 SI 保であります。 君主 を 戴く こと は、 

大統領 を 戴く こと、 同じく、 デモ クラシ —であるかない.^ 

と は無關 係であります 君主に はデ モク ラ テ ィ.' クの 君主 

も あり、 その 反對の 君主 もあります。 古代から 近世へ かけ 

ての 君主々 義 なろ もの は、 明らかに デモ クラシ I の 反對者 

であります。 何と なれば それ は 民意の 一 切の 支配 に 反 封 

し、 自由 平等の 諸 制度 を妨ゅ • 人民 をェ クス; K 口 イット 

すろ ことによって、 君主の 獨 载權を 運用して ゐろ もので あ 

るからで あります。 けれども 君主に 對 すろ 國民 的の 俥統が 

深く その 國 民の 心の 價値を 構成し、 その 君主が 人民の こ^ 

價 値み- 體 現し、 それが 民意の 支配と 矛盾せ ざる 場合に おい 

て は、 その tifq 主 は デモ タラ ティ ックの 君主で あり、 その 國 

の 攻治は デモ クラ シ ー の攻 治で ある ことにお いて、 何の 疑 

ひもない のであります。 白 耳義の 皇室の ごとき、 英 國の皇 

室の ごとき、 また 日本の 皇室の ごとき もの は. この種の 名 

春 ある 皇室で あると 申す ベ きで あら ラと思 ひます。 

國 家の 體 裁 は 造らるべき ものて はなぐ して, 生長す る も 

のであります。 少く とも 歴史的の 國家 において は、 大體に 

おいて 生長す る ものであると 申すべき であります。 日本の 



i の ごとき は、 何人が 企てた る もので もな く, 何人が 約 

束した る もので もな く、 その 皇室の 11^ 的 卓越に よって 自然 

しわれ 等の 民族のう ちに 生れ、 その 民族の 間に 自然に 生長 

し.; i る ものであります。 從 つて: 本の 皇室 は その 國 民の 心 

の 憤 植の體 現で あり- その 民族の 歴史上に おけろ 德的憤 値 

の表徵 であります。 他の 言葉 を もっていへ は、 日本の 民族 

生活の、 フ ちに おけろ 何もの よりも 强 き傳統 であります. - 日 

本の 皇室 か. 水ければ. 水き ほど、 それ は 根つ よき 傳統の 證據 

であり、 また 德的愤 値の 卓越せ る證慷 であります。 その 存 

在 は; モ クラ シ I の 思想と は 何の 矛盾す ろと/ n つもな きの 

みなら や、 その デモ クラシ I の 最も 美しき 發 現の 一 面で あ 

ると 申して 差 支へ ない こと.. m-w ひます。 然り、 傳統と デモ 

クラ シ ー の 結合の 美し さであります. - 

デモ クラ シ I. か 必らす 共和政治で なければ ならない とす 

る こと は * デモ クラシ ー か 精神で あり、 心の 質で ある こと 

を 解せ ざる 人々 の 1 マ: U 架であります 3 日本に おいて デモ クラ 

シ I が をの 國體と 矛盾す ろ ものである とする の 思想 は、 , 3 

の デモ クラシ. I . か 心の 質で ある こと を 解せ ざ らも S である 

そのうへ に、 B 本の 皇室が、 われ 等の 國民 生活の 卓越せ る 

傳統 tradition である こど を 理解せ ざろ 人々 の 首 葉で あり 



ます。 國體は 擁護 せらるべき もので はなく、 自然に 生長す 

べき ものであります。 皇室に 封す る 忠愛の 養成 は國體 の 擁 

護なる 思想に よって 行 はれる もので はなく、 人々 が この 傳 

統に目 醒める ことであります。 從 つて 自身の 心に ついて 目 

醒める ことであります。 また 從 つて 人 々が sisai なる. デ モク 

ラシ— について 目. 鰌め る ことであります 



普通 選擧 運動 

今年の 政界に おいて、 何もの よりも 多べ の 注意 を 要する 

もの は 普通 選舉の 運動で ある. - その 運動 は 未だ 多くの 攻黨 

の 賛同す ると ころと なって はるない。 なって ゐな いのみな 

ら す, それ 等の 政黨 にと つて は、 とても 贊 成ので きない こ 

とで あるか も 知れない。 それ故に この 運動 は 兮年は 失敗に 

終る であら- フ。 来年 も その 來年も 失敗に 終る かも 知れな 

い。 失敗に 終る のが 當然 である。 二の ような 大連 動が、 一 

年 や 二 年 や 三年で 成功 するとい ふこと は、 世界の 歴史に お 

いて 見ざる ところで ある。 

チヤ ー チ ストの 運動 は 一 八 三 1 1 年の 改正に 不满 のために 

起された 普通 選舉の 運動で ある。 その 運動 は 一 八 四 八 年 ま 



.00 で權 綾され た。 一 八 三 九 年に は倫敦 において 普通 選舉. 

求す る ための 「努勸 者議 會」 WorkingmeiVs parliament が 

開かれて ゥェ スト ミンス タァ の國會 を壓 迫しょう とした、 J 

とも ある。 1 八 四 八 年に フ ヒア ガス • ォ ユン ナァが チヤ ー 

チ スト 一 派 を 率ゐて 國會に 請願の 運動 を 企た てた 時には、 

その 普通 透舉の 請願に 署名した もの は 一 一 百 萬 人と 稱 せられ 

た。 その 請願 害 だけで も 車 五臺に 一 杯に 積み込まれ てあつ 

たとい ふ ほどであった。 それほどの 大 運動が あつたの も 

か >. は, -す、 英國 に 於け る 普通 選舉の 運動 は、 その 寳 現に 

は 八十 年間 を 費して ゐ る ノ それだけの 時間と 苦心と が 必要 

であった ので ある。 

それ故に われく. か 普通 選 舉を耍 求す るに しても、 一 夜 

の演說で成功すると思ったら大^^ひでぁら。 舉 生の 一 日の 

デ モンス トレ ー ショ ンで 成功す ると 思ったら 大 遠 ひで あ 

ろ。 その 戦は少 くと も 四 年 五 年.^ 要する。 要すろ ものと 思 

つて か > -ら なくて はならぬ。 その 遝励は 一 時 的で は 一 切 無 

効で あ- 0。 一時的の 働きで 成功す ふ もの は 暴動が あるの み 

である。 革命 は 決して 一 時 的の もので はな: て 多年の 歴史 

的醍 醸の 結果で あろ。 われく の 要求す ろと ころの もの は 

革命で はない 。けれども 普通 選舉の 要求 は、 今 s の 政治的 勢 

力 ^分布に 對 して 根本的の 變革を 要求す ろ ことで あろ。 た 



> の選舉 法の 改正で はなく して、 攻治 改造の 基本的 仍 要求 

である。 われ/、 の 要求す ると 二ろ の も、 s はこの 攻 治の 改 

造で ある。 從っ てまた 社會 制度 及び 產業 制度の 改造で あ 

る。 資本家 本位の 社會は 不健全なる 社會 である。 その 社會 

は 人民の 最大 多数 を もって 「 公民」 か, っ區 別す ると ころの 社 

會 である。 最大 多数の 人民 はた > 資本家の ェ ク ス プ ロイテ 

I シ ョ ンに 甘んじて ゐ るの ほか はない。 波 等 は社會 的に 平 

等の 機 會を與 へられて るない。 平等の 機 會を與 へられて ゐ 

ない こと は、 その 各人の 與 へられた る 天賦 を i すろ こと 

がで きないば かれで はなく、 また 最大 多数の 人民 か贫 困に 

苦しんで ゐる ばかりで はなく. それ 等の 大多数の 人民に 封 

して、 それ 等の 人々 の 社會的 義務 Social duty を す こと 

の 機 會を與 へない t いふ 二と となろ。 また 從 つて 社會 それ 

自身の 進化と 創造との 要求 を妨 ぐる ことと なろ の は 勿論で 

ある。 われく が饅 大多数の 人民の 階級 11 ブ ロレ タりァ 

階級の 解放 を 要求す る こと はた ブ ロレ タ リア 階級の 利已 

心に 满足 を與 へようと する ので はない。 それ 等の! II 大多数 

の 人民に 自由 を與 へる とともに、 これ 等の 人民 を &赏 なる 

社會組 娥 のうちに 組み入れよ-? こすろ ことで ある。 

卽ち社 會連帶 の 組織の、 ちに 投入し やうと する ことで あ. 

る。 然り, われ/. \ の 要求す ると 二ろ はこ. S 社會連 の 要 



求で ある. - 

われく は 社會の 一 階級に 着目す る もので はない」 全體 

の 社 會 に着& する もので あろ。 また われ/、 は ある 一 個人 

に 着目す る もので はなく して 全體 の社會 または 社會心 Soc_ 

ial ョ iml に 着目す る ものである。 、 ) の 意味から い へ ばブ 口 

レタ リア 階級の 霸榴 にも 反對 する。 それと 同時に ブル ジョ 

ァ 階級の 覇權 にも 反^す ろ。 一階 級の 覇權は 他の 階級の 迫 

害 を 意味す る もので あり、 從 つて 社 會連帶 の 組織 を 妨げろ 

ものであるから である。 

今日の 制限 選 舉 はブ ル ジ ョァの SS 權を 意味す る もので あ 

る) その ブヌ ジョァ の覇權 は、 今日の 日本に おける 社會上 

または 産業 上の ェクス プロ イチ I シ ヨン を 政治 上に 確立す 

ろ ことで あろ。 社 < M または 產業 上の 不平等 を もち 来って 

また 直に 政治 上の 不平等と なさん とすろ ものである。 その 

制度の 不合理の ものである こと は 勿:! である。 その 制度 を 

不合理で あると 寸る こと は、 十圓の 納税资 格 を 五 圓に、 三 

圓に、 ニ圆に 引下け る 二と ではない。 これ を五圓 にし、 三 

圓 にし、 ニ圓 にす る こと は、 た > ブル ジョァ 階級の 政治的 

^脹を 意味して ゐる ことで あろ。 た 特權 階級の 膨帳を 意 

味して ゐ ろ ことで あろ。 その改革の^5,^味は社<$:的または玫 

治旳 不平等 *マ 除き 去ろ ことに 1 步ふ 進めろ ことで はなく し 



て その 反對 である。 その 反對に ブル ジョァ 階 親 を隊脹 せし 

める ことで ある。 それ ゆへ にわれ く は 十圆の 納税 資格 を 

不當 として 反對 するとと もに 五圆、 三圓、 ニ圓の 納稅資 格 

を も 同時に 不當 として 反對 する ものである。 

それの みで はない。 五鳳、 三圓、 ニ圓 にす る こと は、 農 

民の 有檫 者を堵 加す ろ ことで ある。 地租に よる 有 横 者 を 多 

くす る ことで ある 殆んど それの み を 多くす る ことで ある 

この 點は 近代 文明の 精神と は 正反對 である。 

人口の 都會 の. 集中 は 産業革命の 直接の 影^で あろ。 產業 

革命の 行 はれて ゐる 凡ての 國家 において は、 例外な しに 人 

口 か 都會に 向って 棠中 する。 ゥ エッゲの; ^其して ゐる とこ 

ろに よると 西欧、 米^、 濠洲 等に おいて は、 都 待の 人口 は 

人口の 半數に 達して るる" 最も 進歩した 國 において は 都 

會 人口 は 全人 口の 四 分の 三にまで 達して ゐ ると いふ ことで 

ある。 日本に おいても その 趨勢 は 素より?^ れ ない。 卽ち勞 

働 者の 都 中で ある。 都會 におけ ろ無權 者の 膨脹で あ 

る。 この 膨脹した る無權 者に 選卑 權を與 へる こと. か、 00 

橄擴張 €;耍 求 そのもの ではない か。 この 痛切なる 要求に 耳 

を かさす して、 地 1::- の 農民に 選舉 權み搪 張して ゆく こと 

に、 菜して 何の 合理的の 根據か あろ か。 

その 結果 はた >晨 民 的 勢力の 檜大が あるの みで あろ。 政 



ひ 一 治 勢力の 不均衝 の狀態 をい よく 激しく し て agrarians 

の 勢力の 不當の 膨脹 を來す ことで ある。 政治 勢力の 均衝を 

目的と する。 選 舉權擴 張の 目的と は反對 である。 そ. S 正 反 

射で ある。 このよ ラな 改正 は, 世界の 歴史に も 類例 を 見 ざ 

ると ころの 不當 なる 改正で ある。 

た ザに 不當 であらの みならす、 その 結果 は 保守主義の 撐 

利 を 意味す る。 農民 黨 のせ 加 は 保守主義の 勝利 を 意味す 

る。 攻 治の 改革と は反對 である。 然り、 その 正 反對の 結果 

である J 

われく は- -れ 等の 不當 なろ 一 切の 要求に 反對 する。 玫 

友會の 案に も、 憲政 < ^"の 案に も、 黨 S 案に も 反 封す 

る。 それ 等の ズ ル ジ ョ ァ黨 または 虔 民 驚の 一 切の 提案に 反 

對 する。 さう して, $1: 通 選舉を 要求す る。 デモ クラシ I のた 

めに 普通 選 を 要求す る。 社 會連帶 のために 普通 選 舉を要 

求す る。 

この 要求 は戀 値の ない 要求で ある。 一 切懸 値の ない 要求 

である。 われ 等の 要求す る 最低限で ある。 然り、 ミ 二 マ ム參 

デモ クラシ ー の 要求で あろ。 從 つて 妥協 は 凡て 排斥す る。 

の 餘地は 何れのと ころに も餘 されて はゐ ない。 

あろ ものから いへば、 普通 選舉は 日本に はま だ 早 過ぎる 

とい ふか も 知れない。 然り、 早 過ざる とい ふの が 彼等の 翳 



れ第 所で ある。 正面からの 反對 かで きないた めに、 普通 逸 

皋は早 過ぎる とい ふので ある。 けれども われ 等から 見れ 

. ば, 普通 選舉 はも ラ遲 過ぎる。 日本に も遲 過ぎる。 一 切の 

國家 に遲 過ぎる。 少く とも 産業革命の 行 はれて るる 諸 國{; 永 

に は遲 過ぎ ると いふ のが 至當 であ るので はない か。 

政府が 若しも 社會の 凡ての 階級に 公平で ある ものと すれ 

ば • 攻黨が 社會の 凡ての 階級に 公; 牛で あろと すれば、 この 

道理 を 認 のなくて はな. ら ない 害で あろ P けれども 今の 攻紫 

は • みな 公; 牛な 攻黨 ではなく して ブル ジ ョァ のた めの、 或 

は 地主の ための づ artisan である。 彼等の 代表す る もの は 

國民 ではなく してた > 1 部の 特權 階級で ある。 

このよ ラな Partisan に 向って 普通 選舉を 要求す る こと 

は、 その 政黨に 向って 自殺 を 要求す る ことで あろ。 われ 

くの 要求す ると ころ はこの ょラな 政黨の 自殺で ある。 そ 

れ 故に それ 等の 攻黨 かわれく の 要求 を 葚んで 迎えない の 

は 素より 當然 のこと である〕 われ/、 は 初めから この 點を 

豫 期して か. -ら なくて はならぬ。 それ ゆへ に 普通 選 舉の前 

途には 非常な 難 躍が 探 はって ゐる。 その 難關 は!! 密院 でも 

ない。 賣族院 でもない。 元老で もない。 3*f 閥で もない。 官 

僚で もない。 翳 も 先き にくる、 さう して 最も 大きな 難 お は 

今日の 攻黨 である。 攻友會 がそれ であろ。 憲攻會 がそれ で 



ある。 國民黨 がそれ であろ。 われ ノ,、 は その 難關と 妥協す 

る こと はでき ない。 それに 信 IS すろ こと は 素より できない。 

た > その 難關を 突破す るの 一 事が あるの みで ある。 

日本の 今日の 時代 は、 選 舉權の 問題から 見る と、 丁度 一 

八 三 1 一年の 英國の 時代と 同 一 の 程度 • 同 一 の 意味の 時代に 

^!ってゐる。 その 一 八 三 一 一年に、 ブ ル ジ ョ ァの ための 選挙 

法 改革案が 通過した 後に、 口 ー ド ジョン • ラッセル は、 こ 

の 改革 を、 もって 改革の 第 一 歩ではなくて 最後 fis 一 の もの 

であろ といった ことがある。 E 本の 政黨 も、 五阅 案、 三圓 

^. ニ圓 案が 「最後の ものであると 考 へて るる かも 知れな 

い。 けれども ラッセルの 時代 か 去った がごと く、 政, 友岔、 

憲 攻會、 國民黨 の 時代 も 去りつ > めろ。 さう して 业 B 通選舉 

の 時代が 來 りつ > 'ある。 われ/、 は 政友會 * 憲政 含、 國民 

黨 の頭複 する こと をね^ 識 しつ >r 、 また それ を 希望す る. かゆ 

へに、 普通 選 を 要求す る a 恥贄 なる 日本、 凰實 なる a 本 

人の" U 本 はかくして 來る。 



1 

i 



デモ クラ ン 1 の 

諸 運動 

デモ クラシ— の 諸 運勳の 起って きた こと は、 今日の 日本 

において 最も 著る しい 現象で ある。 丁度 一 八 四 八 年 を 迎え 

た ョォロ ツバの それの ように 見える。 日本が 初めて 新時代 

にと 入りつ、 あるので ある。 新時代が われ 等の 前に 躍動し 

つ あろので ある。 

黎明 會の 諸君の 運動に しても、 國際日 木 協會の 運動に し 

て も、 また 大學 の舉 生の 間にお ける 新人 會と稱 すろ ものの 

運動に しても、 みな デ モ ク ラ シ I の 基礎のう へ に 立たん と 

す ろ ものである 

私 ども は それ 等の 諸 連動 を 歓迎す る。 それ 等の 諸 運動が 

どれ だけの 力 を もって、 信仰 を もって、 決心 を もって 立つ 

たもので あるか はわれく の閼知 しないと ころで あるに し 

て も、 また それ 等の もの、 半年、 一年の 後に 泡沫の ごとく 

に 消えさる ものである にしても、 それの 起った とい ふこと 

だけが * 現代 日本の トレンド を 物語る ものと して、 それの 

みに 私 どもの 満足の 惯が潇 たされる。 



12 



けれども 私 ども は有體 にい ひたい。 私 ども は 一 切の 新 運 

動に 同情す る。 私 ども は 一 切の デモ ク ラ シ I の 運動に 對し 

て * それが 他の 運動と 對 比されて ゐろ 場合に これに 同情す 

ろ ことができる。 けれども 有 K にいへば * 私 ども は 今日 ま 

での 一 切の デモ クラシ— の 諸 運動が 泡沫の ように 消えう せ 

てし まう こと を 望む もので あろ。 

人々 の 心 は デモ クラシ I を 求めろ。 その 求める と: ろの 

デモ クラシ ー と は、 た •> '形式で はない。 た > の 形骸で は あ 

い。 魂で ある。 魂でなくて はならない。 魂 はた > 人々 の 飾 

り氣 のない 自覺 からのみ 生れて くろ ものである。 

舉 者の 慰みの 運動と して、 政治家の 人氣 取りの 事業と し 

てま-、 デモ クラシ 1 は あまりに < ^き 魂 である。 デモ クラシ 

I と は人氣 取りの 援助 者で はなく して、 その 破壊者で ある。 

偶像 破壞 において * 舉 閥破壞 において、 老人 閥破壞 におい 

て * 名士 閥 破壊に おいて、 生れいで ると ころの 魂で あろ。 

この 魂 は、 た, * 飾氣 のない、 懦 りの- い、 さう して デモ ク 

ラ シ ー の 信仰の 溢れる ものの 所有と する こと を 求める。 

虚^の デモ クラシ ー が 種减 された 時に. 眞實の デモ クラ 

シ I が 生れる。 私 ども は國體 擁護 運動と ともに 疏^の デモ 

クラシ ー の 諸 運動 を 葬ろ。 



國際 協同 及び 

產業 協同へ 

普通 選舉 運動と ともに 新に 起って きた もの は勞働 運動で 

ある。 新に 起った とい ふより は 普通 選舉 運動が 一 つの 勞働 

運動で ある。 有力なる 勞働 運動で あら。 勞働運 動の 政治的 

發現 として 普通 選舉. か 生れて くるので ある。 その 政治 上に 

おいて 普通 選舉を 求む るの 聲は、 社會 的. または 產業 的に も 

勞働 運動 を 求む るの 聲 でなくて はならぬ。 

今日の 世界に おいて は、 普通 選樂は 最早 や 問 SI ではな 

い。 世界に おける 最も 反動的な 諸國 家であった シマ、 フ 

ロシアの 舊 制度が 瓦解した 以上、 並 I 通選攀 のこと は、 今日 

の 文明 國に おいて は 問題で はなくな つて ゐろ。 それ を 問題 

としなくて はならない 不幸なる 人民 は、 た > 日本と 支那と 

土 耳 古が あるの みで あると いふ ことができる。 けれども1^5 

會的 または 産業 的の 勞働 運動 は、 今日 以後の W 界 において 

は、 凡ての 問題のう ちの 最も 基底 的の ものである。 ての 

問題のう ちの 最も 中核 的の ものである。 

この 問題 は、 今日の 講和 會議 においても、 國際 聯盟の 問 



23 



超と ともに、 最も 重要な、 さう して 最も 意義の 深い 問題で 一 

ある。 

國際 聯盟 は 國と國 との 問 超で ある。 國と國 との 爭ひを 解; 

決すべき 問 超で ある。 勞働 問趙は 資本と 勞 働との 問題で あ 一 

る。 資本家と 勞働 者との 爭ひを 解決すべき 問題で ある。 そ 

れ 等の もの は 世界の 全人 類の 問 超で ある。 一 國の問 SB でも 一 

なく、 一 民族の 問題で もな くして 全人 類の 問題で ある。 全ん 

人類の 問 超 は 全人 類の 問題と して 解決され なぐ て はなら 一 

ぬ。 全人 類の ために 解決され る ものでなくて はならぬ。 一 

全人 類の ために 國 家と 國 家との 關係を 改造す る こと は、 一 

今日までの 征服と 被 征服との 閼 係から、 國際的 機 會-の 平等 一 

へと 行く ことで ある。 全人 類の ために 資本と 勞 働との 關係ー 

を 改造す ろ こと は、 資本 的 征服の 社會 及び 產 業から • 社會 

的 または 產業的 機會の 平等 へ と 行く ことで ある。 

今日までの 世界 は、 國際 的に は アナ I キ I の 世界で あつ 

た。 軍國 主義 はこの 世界に おいての 征服 希であった。 資本 一 

主義 的軍國 主義 はこの 世界に おいての 征服者であった。 世 

界は その 征服す る ま、 に 任せて §a くより ほかにはなかった 

ので ある た if に國際 的に さう であった のみなら す 社 會的ー 

または 產業 的に も • 今日までの 世界 は アナ ー キ ー の 世界で 一 

あつたと いふ ことができる。 その 世界 は 無 組 徵 の 世界で あ 一 



り、 機械と 工場と 銀行との 支配す る 世界で あつ たので あ 

る。 卽ち 社會的 または 產業 的に も 征服と 被 征服との^ 界で 

あつたの である。 

この 征服と 被 征服との 閼 係から 新世界へ ゆく こと は、 國 

際 的に は 民族 解放に ゆく ことで ある。 卽ち 民族主義に ゆく 

ことで ある。 貪慾なる 征服 的 大國家 主義から 民族 線國 家の 

理想へ と ゆく ことで ある。 卽ち國 際 的 協同 International 

co-opration へ ゆく ことで ある。 

產業的 または 社會 的の 閼 係から いへば、 その 征服 被 征服 

の狀您 から 勞働者 解放へ と ゆく ことで ある。 貪愁 なる 資本 

主義 的霸權 か ら 産業 協同 ま た は 社會 協同 へと ゆく ことで あ 

る 

1 代 精神の 求む ると ころ は、 破壊で はなく して 協同で あ 

る。 個人主義 ではなく して 協同 主義で ある。 政治的、 社會 

的、 產業 的、 または 國際的 アナ I キ ー の 要求で はなく し 

て、 その アナ ー キ ー の 世界 を 葬って、 政治的、 社會 的、 產 

業 的 または 國際的 協同の 新 組 熾 へ と ゆく、 丫 こで ある。 

組織と は强 制の 意味で はない。 機械 觀の體 現で はない。 

自由の 剝奪を 意味す る もので はない。 丁度 その 反對で あ 

る。 a の 組織と はた >自 由の 保障と しての み 存在す ろ もの 

であろ。 强制は 無 組織 を 意味す る。 組織 は 自由 を意咮 する。 



それ故に 國際的 同の 第 一 步 は.^ 民族の 解放で ある 。雛 

も 民族 線 Naticli line の 回復で あろ。 產業的 または 社會 

的 協同の 第 一 歩 は、 ブ ロレ タ リア 階級の 解放で ある。 努働 

者の 人格の 回復で ある。 

また それ故に 國際的 協同と は 五大 國 本位の 國際 聯盟でば 

なくして、 凡ての 民族の ための 國 際 聯盟で ある。 產業的 ま 

たは 社會的 協同と いふ こと も、 資本家の ための 温情主義で 

はなく して 勞働 者の 人格の 基礎のう へに 立つ ところの 新 組 

接でなくて はならぬ 

われ/^ は眞實 なる リ ーグ • ォブ *ネ-1 ショ ン スを 求め 

る リ 1グ • ォブ • フリ ー • ネ.1 シ ヨン ス を 求める .0 また 

それと ともに 眞實 なる 社會的 及び 產業的 協同 を 求めろ。 卽 

ちブ u レタ リア 階級の!: 放 を 求める。 さう して その 解放 さ 

れ たる 狀能 I においての 協同 を 求めろ。 さう でなくて は、 國 

民. 國民、 資. 本と 努 働との 爭の絕 ゆる こと は 永久に われ 等 

の 地上に 来る こと はない 一 



デョ 1 デ • バ 1 ン 

スは曰 < 

國際產 業 委員 會と は、 講和 會議に 附属す らもので ある。 

それ は勞働 者、 雇主、 攻府の 代表者の 三 要素から 成立つ. り 

ので ある" けれども 眞實 なる 勞働 * の 代表者 は、 ヴ ヱルサ 

ィ ュ に は 集ま ゥ T し C ベ ル ン に 集まる。 ベ ル ン の國 際勞勸 

黨 または 社會黨 の 會議に おいて, 眞. M なる 勞働 階級の 主張 

は 代表せられ る わけで ある。 それ故に ヴェ ル サイ ュ におけ 

る 國際產 業 委員ね a は、 勞働 階級の ための ものであると いふ 

より は 寧ろ official の ものである C 

それに も か 、 わらす、 今日の 日本から いへば、 この 委 

員會の 設けられ たこと は、 由々 しき 重大な 要件で ある。 國 

際 聯盟に 加入す るかし ないかと いふ こと は、 日 木の 現狀に 

とって は、 それほどの 變革を 意硃 しない ものであると いひ 

えられる にしても、 產業 委員 會に加 はる こと は、 曰 本の 社 

會的 及び 產業的 組織の、 フへ における 一 大!!^!革を耍すことで 

ある。 

、 J の 委員 會 において ゥヰ ルン ン の 地位 を 取る ものが ゴ ム, 



15 



パ I ス であろ とすれば、 イド チヨ INK の 地位 を 占める 

ものは明らかに^K ョ|,チ • パー ンス である。 その パ I ン ス 

は、 英國勞 働 糞の 裏切り者 である。 勞働 階級の 側から いへ 

ば、 卑しむべき 裏切り もので あ, 00 けれども そのような 保 

守 的な バ— ン スの耍 求す ると ころで さへ、 日本の 產業 組織 

に對 して は、 根本的の 大 改造 を 意味して ゐる ものである。 

彼れ の 第 一 に 要求して ゐる もの は勞働 組合の 自由で あ 

る。 その 次ぎに 要求す る もの は 最低 賃銀 及び 最低 勞働 時間 

の 要求で ある。 第三に 求めら もの は勞働 休日の 要求で あ 

ろ。 卽ち 一 切の 自由放任 主義に 向って 破滅の 宣告 を與 へよ 

ラ とする ことで ある。 一切の sweat-shcp を絕 減しょう 

とする ことで ある。 もっと 他の 言葉 を もってい へば、 ゴ ム 

パ I スの 要求して ゐる とほり、 勞働者 を 商品 coilodity 

として 取扱 ふべき 一 切の 舊 制度 を 改造す る ことで ある。 即 

ち勞働 人格へ と、 ゆく ことで ある。 (デ ー リ |*ク ロニ クル j 

月 1 日號 による) 

バ I ンス の 主張. かどれ だけの 程度に おいて 實 現される も 

ので あるかに ついては こ 》 に 何ん とも 斷言 する こと はでき 

ない。 けれども これ 等のう ちの 可成り 多くの 部分 は、 歐米 

の SS において は、 旣に 全部 また は ある 程度まで 實 現さ 

れた 問題で あろ。 その 或 もの は、 日本に 對 して 殊更ら に 持 



ち 出された と 5- ひふよ、 フな 部分 も あろ ゴム パ I スの耍 求 も 

また これで ある。 日本の 政治家 はこの 點 について どのよう 

な考が あろ か。 國際 聯盟に ついて 狼狠 した 日本 の 政治 

は、 それ以上の 狼狱を もって、 この 産業 委員 會の 提案に 面 

しなくて はならぬ。 さラ して その 決議に 盲 從 する こと を餘 

儀な くさる るで あら. フ。 

勞働 組合 CN 自由 

川 村警保 局長の 名に よって 1 一月 十三 日^ 各 新聞紙に 發表 

された もの は、 勞働 組合に ついての, 原 內閣の 方針 を 明ら 

かにして ゐる ものであると いふ ことかで きる。 それによ つ 

て 見れば、 勞働 組合の 組織 は 自由で あろと いふ。 果して そ 

の 通りで あろ か。 

その 通りで あんと すれば、 勞働 組合の 組 IS は 自由と いふ 

ことが、 果して 何 を 意味して るる かを考 へて 見る 必要 か あ 

るつ 

その 第一 に來 ると ころの もの は勞働 組合主^に ついての 

考察で ある。 トレ ード • ュ 一一 オン を 認める こと は. 勞働組 

合の 主義 (Trade Unio 一 lislll) を 認め, ことでなくて はなら 



^ ね0 トレ |ド • ュニォ 二 ズ ムは甚 礎で あろ。 トレ, 《ド • ュ 

二 ォ ンと はた > その ト レ ード • ユー 一 ォニズ ムのラ へ に. N つ 

てゐる もので あろから である。 勞働 組合の 組錄の 自由 を認 

める こと を官 一言した 原內閣 は、 粟して この 點に ついての 用 

意 か あるか。 

その 第二に 來ろ ところの 問 超 は、 勞働 組合の 働きに つい 

ての 考察で あろ。 卽ち Trade Union Function を 認めろ こ 

との il 題で ある。 勞働 協約、 仲裁、 標準 率、 相互 保險 のメト 

I ド か-認める ことの 問題 は、 努働 組合の 組織に ついて 切り 

離す, 】 とので きない ものである こと は 勿論の ことで ある。 

玫府 はこの 點 についての 用意が あるか。 

少く ともこの 二つの もの は、 勞働 組合の 組織と 切り離し 

て考 へる ことので きない もので あろ。 勞働 組合の 組織な ろ 

もの もまた この 一 1 つの 點と切 わ 離して は考 へろ ことので き 

ない ものである。 それ ゆへ に勞働 組合の 組 SI の 自由 を 認め 

ると いふ こと は、 それと 同時に 勞働 組合主義 並に その 機能 

を 承認す る ことでなくて はならぬ》 これ を 承認す る もので 

なくて は、 勞働 組合の 組織の 自由 を 認めた とい ふこと はで 

きない。 それ は 丁度 政黨の 組織 を 認めて、 その 攻治 運動 を 

承認 しないのと 同じ ことで あるから である。 この 點 につい 

て攻府 はどう 考 へて ゐ るか。 彼れ か勞働 組合の 組織の 自由 



を 認め. .} と は 宜しい。 それと ともに 彼れ は その 勞働 組合 

主義 及び その 機能の 自由 を も 認めなくて はならぬ (十四日) 一 



お 黨と左 黨 

ロバ.' トミ ヒ H か スの 言った 如く、 正しい ^味に 於て * 圑體組 

織!: 頭 政治への 傾向 vMta んでゐ ろ。 と 論す ろ 事が 出來 る。 而し 

て、 同時に 寡 頭 組縱が 次第に 圑體 政治への 傾向.^ 含んで ゐる とい 

ふ^も 言 ふ 事が 出來 る。 例へば、 楝黨の 組合、 若しくは 其 他 あら 

ゆる 圃體 に 於て 賀族 主義 的な 傾向 は めて 明瞭に 顯 はれて ゐ ろ。 

政黨が 少数 幹部の 政 S となり、 組合が 少数 幹部の 組合になる 事! f 

事 .13; か 之 雄 辯-」 物語て ゐる では 無い か。 

近代 社 < ^"生活 に 於け る特徵 は、 最初 ニー, 11 の 少数 に のみ 限られて 

ゐた 政治 LL 于與 する 特植が 次第に 多数 人民の 手に 擴大 されて ゆき 

つ 、ある 事で ある。 然し 乍ら, 是が更 に 數步 進めて 國體 中心、 

(政 („r 組合) の 時代に 入ろ と 忽ち 此 傾向が 一 變 する。 而し て、 

幹部の 勢力が 次第に^ 大して 來る。 

此 推理 其儘逾 用す る 時 • 右 翁と 左黨 との 何れが 〈に 右竄 であ 

る 乎。 何れが ほ 〈に 左黨 であろ 乎と いふ 15! 別 はっかなくなる。 何と 

なれに 左黨が 其 E 取 li 端に 進んだ 時 は、 最 端の 右黨に 近いた 時で 

あるからで わる。 而しズ 其^ 例 は 吾々 の周蹈 に^ 山轉 がって ゐ る 

所で ある。 



吉野 博士の 諛謬を 指摘して 

普通 選擧の 主義 を 論ず 

室 伏 高 信 

(一) 

普通 選舉: Si の 行 はれる こと は 今日の 日本に おいての 一 つの 流行であります。 あらゆる 流行の、 フち において 最も 美しい 

流行で あると 思 ひます。 私 はこの 美しき 流行に 對 して 興奮す る ことなくして 考へ る 二と はでき ない ものであります。 普 

通選舉 についての 諸 運動の 模^が: n 日の 新 閒紙を 通じて 報 導され つ S あるの をみ て、 私の ごとく 强き興 蟹を感 すろ もの 

はま.;.! とない ことで あろ こと, ゲ思 ひます" 私 は その や- フな心 を もって 普通 選舉の 名に 愤憬 すろ ことにお いて、 何ものに 

おいて あり も 私自身の 純真 を 感じます。 その 普通 舉と は、 一 切の 古き 日本 を 改造して 日本 特有の 皇室 的 Is- 統の もと 

に、 新 日本 を 創造す る ことであります。 それ はおに 選 摩 法の 改正で はなく して 國會的 デモ クラシ ー の 建設で あり、 それ 

ばかりで はなく • 社會的 または 產業 的に も、 われ 等の 日本 を 改造す ろ ことで あり、 一 切の われ 等の 牛- 活のラ へに 新 日本 

を 建造す ろ ことで あり、 從 つて デモ クラシ ー の 日本 を 始めろ ことで あるから であります。 然り、 テモ. クラシ ー の 第一歩 

であります。 デモ クラシ一の 第一 步は^ 通 選 率から 始まります。 組織的民に々ャ^;$は普_,;?:選舉;^-".その第 一 步を 進め ま 

す。 ォ リガ アキ ー と ブル ー トク ラシ ー の 古き 口 本 を-』 はふ もの は 普通 選搫を 愛します。 デモ クラシ I みる 乂 する もの は 普通 

^_ 選舉を 愛します。 暴民の 政; 治の 危險 から 兌れ、 皇室 的 傳統の ものに 組 11 的、 秩序 的、 同 的、 社 會連食 W 的の 新 日本 を 開 



es| 造しょう とする も^は 普通 選舉. V 愛します。 その 意味から して 私 は 普通 選攀を 主張し ます。 




普通 選舉は 日本に 適しない ものであると 述べる 人が あります。 今日までの 日本に おいて は 普通 選舉 はもと より 無 かつ 

た。 その 日本に, は 普通 選舉は 適せ ざろ 制度であった とい ふこと もで き やう。 その 制度 は 日本に 生れた もので はなく し 

て、 フラ ン スに 生れた もので あり、 柬洋に 成長した る もので はなく して ョ ォロ ツバ または ァ メリ 力に 成長した もので あ 

る。 その 意味に おいて は 日本と 無闢 係の ものであります。 若しも 日本の 一 派の 時代錯誤 者の 指摘して ゐ るよう に 日本の 

國體 が、 單に 美しき 皇室 的傯統 でな くして、 神權:ャ^£の國體でぁるとすれは、普通選擧は日本には適せ>^0制度でぁり、 

主教で あり、 議論であります。 こうい ふ 立場からの 普通 選 舉反對 論 は、 私 どもが!^々 聽 かされた ところであります。 私 

ども はさう いふ B 本 を 嫌 ひます。 また さラ いふ 日本 を 信じません。 私 ども は 神 權說. か 近代の 初頭に おいて 革 4 叩の 忌 はし 

き出决 事に よって 葬り去られた 事實 をみ ます。 その やうな 忌 はしい 結 il に 行くべき 運命に 纏 はれて ゐる; 1 權說 とわれ 等 

の 日本と を 結びつけ やうと する、 一派の 愚鈍な. る 人々 の 立場に 反對 します。 さう して 美しき 皇室 的傳統 のうちに 日本の 

國民 生活の 精華 をみ ます。 その 精, S こそ 不朽の もので あれと 願 ひます。 その P ひ は デモ クラシ I の 願 ひとは 少しの 衝突 

もない ことと 思 ひます。 私 ども は その 立場から 普通 選舉 をみ ます。 また その 立揚 から 普通 選舉か R 本に 適する もので あ 

ろ こと を 思 ひます。 その 主義 は フラン スに 適した ろと おなじ ゃラに 日本の 國民 にも 適する ものと 思 ひます。 それ は 一 切 

の 人民に 適します。 ディケと アイド ウスと を 一 樣に 且つ 卒 等に 與 へられた 凡ての 人間の 集圍的 生活に おいて、 普通 選舉 

は デモ クラシ ー. とともに 適します 。私 は 心から さう 考 へて ゐ ます。 さう 考 へ て ゐ る. かゆ へ Li 、ま I- 通 選 主張 をな す、 フへ 

において 私 自ら を 偽 必要 はない と 思 ひます。 普通 選擧を 愛する もの は そ S 純真なる 姿、 純眞 なろ 精祌を 愛します。 

その 愛する ところの もの は 形で はなく して 心であります 。それが 普 5^ 選舉 よりも ほかの 形に おいて?^ はろ 、 とも、 それ は 

私 どもの 愛着に うら 切る もので はない と 思 ひます。 その 普通 舉の 主義 を 係 はり、 その 主義 を や 15 解し, た,、 何の. 深き 理解 



19 



もな くして 普通 舉を 主張して ゐる もの は > 日本の 國體に 何の 深き 理解 もな くして、 徒らに 國 體論 を 高唱 してる る 一 资 

の 時代錯誤 者と おな にやう に、 普: 迪選舉 を 誤 まる もので あり, 國體 もや ままる もので あり、 その 殘る ところの も r3 はた > 

虚偽と 不正 實と 輕簿 とであります。 私 は その 一 切 を 排斥し ます。 私 は眞實 なろ 私を考 へます。 私 は a 典寳 なる 日本 を考へ 

ます、 また 眞實 なる 普: f 選 舉を考 へます。 普通 選舉は デモ クラシ— の 組織の 第一歩であります。 




普通 選舉を 求む るの 聲は 各方 面に 接がって るます。 私 はこれ 等の 普通 選舉の 要求に 對 して、 ナボレ オン 三世が、 人民 

の聲は 神の I ぼで あると 叫ん たと おなじ やうに、 それが 神の 聲 である こと を 信じたい と 思 ひます。 然り、 普通 選舉を 要求 

する の聲は * 神の 聲、 人民の^、 自覺 せる 人民の 心の どん底からの 叫びで あらねば ならぬ。 

(四) 

さう いふ 心 もち を もって 普通 選舉 についての 日本の 舉者 または 擧 者と 稱 せらる 一 派の 人々 の 意見 をみ ます。 普通 選 

攀に與 蜜して ゐる 人々、 デモ クラシ I の 組 微の第 一 歩と して その 心 を 11 ら せつ 、ある 人々 ほ、 それ 等の ものに よって 强 

い 恥辱 を 感じます。 うら 切られた こと を 感じます。 普通 選 舉の反 對:! 者からで はなく して、 普通選舉の主張^^^でぁると 

せらる..、 人民の 聲の 代表者で あると せらる >r、 さラ して 祌の聲 の 代表者で あると せらる、、 また さう して 日本に お 

ける この 小さい 日本に おける 最も 卓越せ ろ 政論 家で あり、 政治 舉者 者で あると せらる >r 人の 意見に よって、 私 ども 

は 心に 恥辱 を 感じます。 日本の 民衆の ための 恥辱 を 感じます。 日本の 攻 論及び 政治 學 のために 恥辱 を 感じます。 普通 選 

舉を 愛する もの は その 普通 選舉 のために 心を堪 めます。 

(五) 



^一 法漀 博士 士 n 野 作 造 氏の 日本の 政論 壇に おける そ. S 優越なる 立^ を 認めます。 私 は その 人に 對 して 2 坂 も 多くの 拿 敬 を は 

らふ こと を 期します。 その 人 は、 今日までの 政論の 舞臺に * いて は 決して 普通 選舉の 主張者で はない。 私の 承知して ゐ ろ 

範 園に おいて は、 その 人 は 制限 選舉の 主張者であります。 彼れ が 五 圓說を 主張した こと は 私 は 忘れす にゐ ます。 私 は そ 

の 宵て 五 圓說を 述べた こと を 咎める こと をし ません。 その 五圓說 でさへ も、 二 年 三年 五 年の 前に は、 日本に おいて はデ 

モ クラットの 立場で あると されて ゐ ます 。然 り、 安 憤な, 0. デモクラットであります。 けれども 私 はま だ吉野 博士 を 信じて 

ゐ ました。 其 人 は 日本に おける 民主 圭義の 代表者と されて ゐ ます。 その 人の 民 本 主 養 は、 私 どもの 眼に は デモ クラシ— 

の 極右 端であります。 强 いて デモ クラシ— とい ひ 得るならば、 その 人の 民本主義 は 極右 端の デモ クラシ —であります。 

それでも ま. た 私 は吉野 博士 を 信じて ゐ ました。 その 人の 民本主義と は、 その 人 自身の 註解に よれば、 選攀 植の擴 張と い 

ふこと に歸 若す る もの > ゃラ であります." その やうな デ モ クラ シ ー は 今日に おいて はレ ー ズ ン • デ— ト ルを 主張す る こ 

とので きない デモ クラシ —であります。 ク アベ ンタ ー は國 Ain における. テモ クラシ ー は、 た V デモ クラシ ー の 1 幻影で あ 

ると 述べて ゐ ます。 その デモ クラシ ー の 幻影から 見ても、 吉野 博士の 選 舉權擄 張 論 は、 更に 一^ 狹 くして 小さい 領分の 

うちに 跼蹐 して ゐ ます。 幻影の また 幻影であります。 デモ クラシ ー の 幻影の また 幻影であります。 その やうな 幻影 を 柿 

へ てデ モ クラ シ ー であると しなくて はならない 日本 は、 不幸なる 日本であります。 その やうな 國に 移された る デモ ク ラ 

シ— は吉 野馎士 によって 狹く なり、 小さくな り、 ® くな つて ゆきます。 それでも ま. た 私は吉 野 博士 を 信じて る まし や 一。 彼 

れ はた 5r 世 を^る ための タク ティ ッ ク であると 思って ゐ ました。 私 は 日 木の 舉界 におけるた V 1 人の デモ クラット とし 

ての 吉野 博. H を E- 奴 後まで 信じて ゐた いのであります。 

(六) 

その 强ぃ 信仰の 心 を もって 士 野 博士の 選 舉權擴 張 論を讀 みます。 枝葉の 點は 私に おいて はどうで もい 、 、 ) とで あ.^ ま 

す。 私の とすると ころ は 主義の 問題であります。 普通 選 攀の主 装の s^p であります。 前に も 述べた 通り 吉野 博士 の 



幻影 民本主義の 全內容 は、 選舉 權の擴 張と いふ ことであります 。、それ ゆへ に吉野 博士と いふ ことの 印象 は 民本主義の 印 

象で は あろべ からすして 選 皋權擄 張の 印象で あろべき であり. ます。 その 印象 を もって 吉野 博士の 逸 舉權擴 張 論 を? 改 みま 

す。 一 層の 重味 ケ 感じます。 それの みで はない。 その 選 舉權擄 張 論の 胃 頭に おいて は、 私 どもの 心 を 興奮させる に充 

分なる 刺戟 劑 があります。 彼れ は 次のように 述べて ゐ ます。 選 舉權擄 張の 機運 は、 今日 大いに 熟せる を 認める T た >、 

然しながら、 吾人の なほ 甚だ 遺憾に 耐 へざる は、 次の 1 1 點 において 今日の 論議が 從來の それに 比して 餘 りに 著しき 進歩 

をみ てゐ ない 點 である。 一 っは擴 張の 主張に なほ 大いに 徹底 を缺 くもの ある ことで ある。』 その 通りであります。 選舉權 

擄 張の 機運 は 大いに 揚 つてる ます。 それに も か、 はらす、 その 攛 張の 主義に おいて は 大いに 徹底 を 狭いて ゐ. ます。 その 

主義に おいて は 大いに 不徹底 を 極めて ゐ ます。 私 は吉野 博士の 言葉 を その 儒 信じます。 その ま > '信じつ、 なほ 吉野 博士 

の 論文の 次の 文句 を讀ん でみ ます。 『我が 國 今日の 選舉 法改正に 關 する 問 を 吟味して みやう と 云 ふの が 余の. If 編の 目 

的で ある。 :•:• いろくの 人から いろくの 說 明が 公に された …: -こ G 問 1^ の 全般に 百 一っての 比較的 まとまった 意見に 

は, 余の 募 聞なる、 今日まで まだ 接して ゐ ない』 彼れ はさ、 フ斷 言して ゐ ます。 可な り大膽 な斷定 であります。 その 大膽 

な 斷定を その ま、 信じます。 さう して その 次に き;^ る 彼れ の; f;l 文の 如何に まとまった ものである か を 期待す ろ 心 もちの 

刺戟 をう けながら 更に その 次の 文句 を讀 みます。 汆は 最近 この 問題に 著しく 輿 味 を 感じた とい ふ 前お きのつ ぎに こラぃ 

ふ 一 is. かあります T 余 は 東京 帝 國大舉 法科 大舉 の特 志なる 數 名の 舉生 諸氏と 謀って 先頃 來 この 問題の 包活的 研究 を 企て 

> ゐ る。』 こ." まで 讀む できた 私 は吉野 博士の 論文が 如何に 「まとまった」 もので あるか を 期待せ すに は ゐられ なかった 

のであります。 それから いよく 本論に 入ります。 その 本論に 入って から 私の 凡ての 興味、 私の 凡ての 信用の うら 切れ 

たこと を こ 、に斷 言し ます。 (中央 公論: 一月 號 一 I 吉野作 造 「選 舉權擄 張 問題」 參照) 

(七) 

^ 士 野 博士が 選 舉權擴 張 諭の 根據 として 想定して ゐる ものに 三つの 種類が ある。 その 一 つ は 天賦 人權 いであります。 そ 



がー の 1 1 つ は 博士の 所謂 第三 階, 拔說 であります 。第一 一が ソ リダ リテ、 ソシァ I ル であります。 この 三つの 說 について 一 々說明 

と 批評と を與 へて ゐ ます。 その 說 明と 批評と は先づ 天賦 人權說 から 始まります。 彼れ に從 へば 天賦 人權說 は旣に 崩壊され 

たる 思想であります。 私 は、 】 の點! i おいて は吉野 博士と その 說を 同じく する の 光 榮を擔 ひます。 然 らば 天賦 人 權說と は 

何で あるか。 彼れ に從 へば 天賦 人 檣 說とは 各個 人の 絕體的 自由 を 主張す る說 である。 さ、フしてこ^5簡人の絕體的自由を 

主張す ろ說 は、 彼れ に從 へば 十八 世紀の 末に 主として フランスに 起った 說 であります。 私 はこの ー點 をみ て、 吉野 博士 

の說 明が その 最初の 一 頁から 誤 18 を もって 始まって ゐる こと を 指摘し ないで は みられない のであります。 卽ち この 天賦 

人 權說な もの は, フラ ン スに 起った ので はなく して 英國に 起った ものであります。 その 起った の は 十八 世紀に おいて ジ ョ 

ン* ロッ クが これみ- へ てゐ ます。 口 ッ ク. かこれ を唱 へて ゐる ばかりで はない 。ネッ ブス も、 ベ ー コ ンも、 ヒ ュ ー ムも 等し 

くこれ を唱 へて ゐる ところの 說 であり、 その 舉 は英國 特有の 哲舉 であります。 これ を汎 くいへば その 哲舉 は、 唯名論 

であり、 自然主義 であり、 個人主義であります。 これ を權利 または 法律の 關係 においてい へば、 自然法 及び 自然 權の 說.. 

であります。 吉野 博士が フランス 特有の 文化と して 說 明して ゐる ところの 社會 契約の 說も、 フランスに 起った ので はな 

くて 英國に 起った 舉說 であります。 ロック (1632—1704) は旣に その Treatises of (kn.cricnt の- フち において これ を 

主張して るます。 これ 等の 說がヴ オル テ ー ルゃデ イデ D,l や、 ルソゥ によって フランスに 紹介され たのであります。 そ 

れゅ へに 天賦 人 權說が 十八 世紀の 未に 起った とい ふこと が 一 つの 誤謬で あり、 それが 「主として」 フランスに 起った と 

いふ ことが 第一 一の 誤謬であります。 (中央 公論 一 一月 號七" m 參照) 

(八) 

この 天陚人 權說は 前に も 述べた 通り 唯名論で あり、 從 つて アリス ト ~ ル說 であり、 また從って個人主^^でぁります。 

政治的 民主々 義 はこ^ 個人主義から 出發 して ふます。 私 は その 個人主義に は反對 します。 個人に おいて. tin 由 を 求む るの 

主義に は反對 します。 その 個人主義 を攻治 上に おいても 最も 強く カ說 した もの は、 私の 記憶に おいて は、 明治の 初年に お 



いて は 馬揚辰 猪であります。 大正の 初年に おいて は 吉野作 造 氏であります。 吉野 博士の 民 本 主教なる も S は それが. g 何 

なる 主義で あるか は 理解に 困難な こと. かない こと はない。 彼れ の,, 說明 すると ころに よれば、 それ もまた デモ クラシ— の 

ある 一 派であります。 その デモ クラシ ー の 分類の 煩 現なる こと は 私 どもの 未だ 世界の 何人の 分類の 煩 現から もうけた こ 

とのない ほどの 高度であります。 私 ども :54 さう いふ 一 切の 煩 現にして 無用なる 分類 を 避けます。 その やう. な 分類に おい 

て その デモ クラシ I と は、 それが デモ クラシ ー と稱 すると 稱 せざる とに か、 はらす、 私 どもの 眼に はた 5r 講壇 デモ クラ 

シ ー として 映す ろの みであります。 その 民本主義に ついての 批評と 分類... は 一 切 これ を 避けます。 けれども こ >- にど 

うしても 一 言し なければ ならない こと は、 その 民本主義なる ものが 攻治的 自由主義のう へに 立って ゐる ことであります。 

卽ち 個人主義の、 フ へに 立って ゐる ことであります。 この 點が吉 野 博士の 民 本; +氺: 我の 根本の B ハ, 想であります。 その 根本の 

思想で ある こと は 彼れ が屢々 述べた ところで あり、 こ. r に 一 々例證 す ろの 必要 もない ことで あると 思 ひます。 彼れ はこ 

の 政治的 自由のう へ に その 民本主義の 哲舉を 組織し ます。 彼れ の烦頊 なる 分類法に 從 へ ば その 民本主義 もまた 一 一 つに 分 

れ ます。 その 一 つ は 自由 尊重 主義で あり、 他の 一 つ は 選 舉權擴 張 主教であります。 この 二つ もの は 形に おいて 二つで あ 

り、 その 根底に おいて は 一 つであります 。『第一 一の 意味の 民 本主载 はもと 笫 一 の 意味の 民 本 主 殺から 起った ものである。 J 

これが 吉野 博士 自身の 說 明であります。 (中央 公:?; I 大正 七 年、 四月 號九三 頁) 卽 ちその 選 舉權擄 張 il の 根底 は 自由 尊重 主 

義 であります。 その 自由 章 重 主義と は、 彼れ 自らの 解說 によれば、 個人主義であります。 卽ち 個人^義 的 自由 主 毅はニ 

つの ものと して 考 へる ことができます。 一 つ は 極端 個人主義であります。 無政府主義であります。 その 二つ は攻 治的自 

由 主義 または 政治的 個人主義であります。 哲舉 的に は 唯名論で あれます。 ホッ ブス、 ロック、 ヒュ ー ム、 ベ In ンの 

英國 派の 主張で あり、 フランスに 輸入され てヴ オル テ ー ルの說 であり、 ルソ ゥの說 であり、 ダイデ 口 ー の說 であり、 百 

科 辭典 派の 說 であります。 その 說は ルイ 十四 世の 暴攻に 興奮して ギロチンの 血の 革命 を 躍らせて ゐ ます。 卽ち吉 野 博 

土の 謂 ふところの フラン ス 革命の 哲學 であります。 更に も 一 度士 C 野 博士の 言葉 を かりてい へば、 天賦 人權說 そめもので 

あります。 その 說は 普遍 を 否認し ます。 個人 を 中心とします。 個人 を もって あらゆる 生活の 中心とします。 その 小さい 



^_ 考 への、 o ちに 自由 を發 見し ます。 小さい 自由 を發 見し ます。 その 自由と は 貧乏の 存在に 氣の 付かない 自. a であります。 

資本 冢に エック スブロ ィ ティト される ことの 自由であります。 ラム セィ • マクドナルド の-ぎ 葉 を かわて い へ ば、 往來を 歩 

むことの 自由 • さラ して 飢 ゆる ことの 自由であります。 そこに 個人主義 的 自由の 特質. か 存在し ます。 これ を 政治的 自由 

J-olitical liberty または 政治的 自由主義 Political liberalism と 申します。 この 立 揚が フランス 革命 S- 立場であります。 

人 櫂 及び 公民 權宣言 の 立場であります。 遡って いへば アメリカ 獨 立 宣言の 立榻 であります。 もっと 遡って いへば 英國の 

權利牵 典の 哲舉 であります。 これ を 後期の 英國派 哲槊に 求 むれば、 ミル、 ス ペン サ ー の 立場であります。 これ を 今日の 

日本の 政治 舉者 S 二人に ついていへば、 法 舉馎士 吉野作 造 氏の 立場であります。 その 立場 は吉野 博士の 政治 S- の 立場の 

全部で あると 申す ことができます。 その 立場 を 今年の 中央 公論 一 一月 號 において、 士 a 野 博士 は 最早 ゃ崩壤 した ものである 

と 述べ てゐ ます o( 中央 公論 一 1 月號九 頁) 

(九) 

士 Isi 博士 は、 4^ロ野博士の立揚に反對します。 その 民本主義の 唯一 の哲舉 に反對 します、" 彼れ は その 自らの 手に よって 

彼れ 自らの 民 本 r+: 義を 破壊し ます、〕 これが 吉針 博士の 「選 舉植擴 張 問題」 の 第一 段 に 現 はれて くろ 悲劇であります" 彼 

れ. は 彼れ 自ら を 葬って ゐ るので あります。 

(十) 

その 次に 出て く. ろの. か. Kc 野 博士の 所謂 第三階級 說 であります。 彼れ に從 へば 歴史上に おいて 選舉植 の根據 として 天賦 

人 權說に 次いで 現 はれた もの は その 謂 ふところの 第三階級 說 であります of 第三階級と は何ぞ や。』 さう いふ 冒 の もとに 

法 舉馎士 吉野作 造 氏 は その 謂 ふところの 第三階級 について 述. へて, Q ます。 

r 1 體フ ラ ン ス 革命 以来 十九^ 紀 の 初頭 大陸の 諸 所 方々 に 起った 攻治的 革命 蓬 動 は、 成程 一 般 民衆の 名に おいて 爲 



さォ 又實際 一 股 民衆の 力が 大に與 つて 其 成功 を 助けた ので は あるが、 改革の 結果に. 5 ゥて 新に 權 力の 地位に 登つ 

者 は 主として 所謂 中產 階級 以上の 者であった。 そこで. 取殘 された 所謂 勞働者 階級 は、 一般 文運の 進歩に 作 ふ 下 階 

級の 1 覺と いふ 現象に 伴って、 段々 不 當に蹈 倒せられ たる 自家 權 利の 仲 張 を 叫ぶ に 至る 。斯 くして 結束した る 彼等 は 

自ら 第三階級 を 以て をり、 この 第三階級が 實に國 民の 大部分 を 占む ろ 者なる の 故を理 ft として この 階級の 利 幸 

福 を 圖 る 事が 卽ち國 家の 主要な ろ 目的たら ざるべ からすと する に 至った ので ある j (中央 公論 一 一月 號九頁 11 十^ ン 

この 拔 害き は 吉野 博士の 謂 ふところの 第 三 階級の 說 明であります。 この 誤謬に は 何人も 氣が 付かなくて はゐら 』.- ない こ 

とと 思 ひます。 卽ち吉 野 博士に よれば 第三階級と は勞働 階級の 事であります。 ^三階 級 third estate とい ふ 一 |1 一 〔葉が.^ 何 

なろ 意味 を もってる るかと いふ こと は、 經濟舉 の 第一 年の 舉生も 承知して るろ ところであります。 この 言葉の 用法 を 代 

表して るる もの はシ I ェ ー であると いふ ことができます。 シ I ェ I ほ フランス 革命の 一方の 首領であります。 その 1 方 

と は ブル ジ ョァ 階級の ことであります。 卽ち 第三階級の ことであります。 彼れ は フラン ス革命にぉける天賦人權ll^?^ー興 

^しな.、 から、 さう して 政治的 自由に 輿 奮しながら、 自問自答して 次の やうに 述べて ゐ ます T 第三階級と は何ぞ や? 凡 

て, - 'あるに 然り、 フランス 革命に おいて は.. フル ジ ョァ 階級 は 全部であった のであります 人民と は A 民 Citoycii のこと 

であった のであります。 その 公民に 名 づけて シ— ェ |は 第三階級と 申して ゐ ます. ° シ, ー ェ ー ばかめ ではない。 世界の 凡 

ての 舉 者が これ を 第三階級と 名 づけて ゐ ます。 その 第三階級に 對 して ラッサ ァ ル は 第四階級 か-高 唱 して ゐ ます。 卽ち勞 

働躇級 を高唱 して ゐ ます。 その 用法 は. S 何なる 舉者も 異議の ない と、 no であります。 、 、> > に 異論の あるの は法舉 博士 吉 

野 作 造 氏 唯 一 人で あろと 思 ひます。 私 は それ をた V 活 宇の 誤植で あろと 信じたい。 けれども さう 信す るに は その 誤りが 

餘 りに 多い。 私の 計算した ところでは その 第三階級と いふ 文字が 十 一 使って あります リ も 一 っ實 例を舉 ける と 次の 一 節 

があります 

『笫三階歡の利<化幸福の^^-進か國家の主要なろ目的の 一 なりと する 甲;! 想から、 更に 一 轉 して 選 舉權の 國民的 4。 進 を- 

お . 說 くに 至ら しめたる もの は、 11 逸社會 主義者の 功で あろ。 主として はフ ェ ルジ ナン ド • ラッサ アルの 功で あると い 



え はなければ ならぬ」 (中央 公論 1 一月 號十 頁) 

吉野 博士に おいて は, 等 三階 級と は何處 まで も勞働 階級の ことであります。 社會 主義の よって 立つ ところ はこの 第三 階 

級であります * 然り、 ブル ジョ アジ ィとブ ロレ タリ ァ ー ト との 混同であります。 

(十一) 

私 は その 言葉の 咎め だて は 上め ます C その 咎め だて を やめても、 私 は吉野 博士が 勞働 階級 及び その 哲學の 何もので あ 

るか を &實 に 理解して ゐ るか どうか を 疑 ふの 權利を もって ゐ ます。 

r 天賦 人權 論の 根據に 立つ 選舉權 論が 第三階級 說を 論據 とする に 愛って 往く 道筋 は 歴史的に 見る と 一 明白で あ 

る。 而 して 此變遷 を 致す に 最も 與 つて 力あった もの は、 第 一 に は 最大 多数の 最大 幸福 說 であり、 第二に は社會 主義 

の 政治 組織で あると 言 はなければ ならぬ』 (中央 公 論1 1 月號九 頁) 

卽ち吉 野馎. H によれば 最大 数多の 最大 幸福 說 なろ もの は、 勞働 階級の 哲舉 であるかの やうに 說 かれて ゐ ます。 この 點 

を 一 2^ 明白に したの は 次の 一 句であります。 . 

『大 最多数の 最大 幸福 說が 最近の 新ら しい 國家觀 と 相容れ ざる 限り、 この 說の第 一 の 根據は 崩れた ものと いはねば な 

らす』 (同上 十 一 頁) 

こ.' に 「この 說」 とい ふの は勞働 階級 主義のう へに 立つ 普通 選擧 論の ことであります。 卽ち 最大 多数の 最大 幸福 說が 

破產 するとと もに、 勞働 階級 主義に 基く 選 舉權擴 張 論が 崩壤 する ものである いふので あります。 も 一 度 註釋を 加へ ていへ 

ば、 1$^ 働 階級 (吉野 博士の 言葉で いへば 第三階級 ン の哲 a- は 最大 多数の 最大 幸福で あると する のであります。 少く とも 

その 一 つで あると する のであります。 その 最大 多数の 最大 幸福 說 なる もの は吉野 博士の 指摘して ゐる 通り 英國に 生れた 

ものであります。 その 說 はべ ンタ ムの說 であります。 ベ ン タムが これ を唱へ その 弟子の フラン シ ス • ブレ ー スが これ を 

唱 へて ゐ ます。 ベ ン タム は その 最大 多數の 最大 幸福 說 ももって 道德の 根底と して ゐま す。 彼れ の 書物 「道 德 及び 立法 <9 



su(l.rinciples of morals and Legislation) はこの 精神 を もって 一 貫され てゐ ます 。また 彼れ の Catechism of parlia* 

"mentary I た for ョ は 急進主義者の 尊重して 措かなかった ところであります。 彼れ は 普通, 逃 舉をも 主^して ゐ ます 。けれ 

ども 彼れ の 哲舉の 根底 は 決して 勞動 階級の 哲舉 ではない。 彼れ の 主張した と、 一ろ はた V ネリ チ カルであって ソ I シ アル 

ではない。 彼れ 及び 彼れ の 一 派の もって, ゐる 地位 は 急進 論者 The radicals の立揚 であります。 彼れ が國會 から 1 一 萬 三 

千碟 をう け 取り、 宏壯 なる 邸宅 を かまへ てるた こと を 指摘す るまで もな く、 彼れ は 勞働哲 寧の 祖述 者で はなく、 眞 實のデ 

モ クラット ではない。 その 點は (ェ エスが その 代に おける 政治 及び 社 會史」 のうちに 述べて ゐる 通りであります。 

その 點 はべ ン タムの 門弟 フ ラ ン シス • ブレ— スの揚 合に なって 一 勝 明白で あり. ^ 爷。 彼れ の 主張 もまた お 進 論の 第 ! 陣 

にす-つて ゐ ます。 ベ ン タム 主義 を 基礎と しての 改革者と して 立って ゐ.^ す。 それに も か 、はらす 一 八 三 〇 年から 一 八 三 

一 一年 へ かけての 選 舉權擴 張 問題の 時に あたって は、 彼れ の 邸宅 はブ ル ジ ョ ァ 階級の 改革 論者の レ ン デ ボウと なって ゐ ま 

す。 勞働 階級の 代表者が 集ろ ので はなく して ブル ジョァ 階級の 代表者の 集會 所と なって るた のであります。 彼れ は 明ら 

かに ま, E 通 選 摩に 反 對しュ へした。 ,通 選 舉を唱 へた もの は實際 運動に おいて は チヤ ー チ ストに 始まります。 ベ ンタム 及び 

その 一 派の 急進 論者の 主張す ると ころ は, 何處 まで も 唯名論で あり、 個人主義; fi であり、 勞働 階級の 哲學 ではなく して • 

ブル ジ ョ ァ 階級の 代 辯で あり、 そ^3代辯者の急進的なものでぁろにすざな.ぃのでぁります。 吉野 博. の やうに この 大 

多数の 最大 幸福 說を 以て 努働 階級の 哲舉 であると 說 くこと は、 最大 多数と いふ 文字に 囚れ たる 輕 薄なる 誤謬であります。 

從っ てまた この 說の崩 壤 によって 勞働 階級 主義が 崩壊す る もの >. やうに 說 いて ゐる吉 野 博士の 主張 は 途方 もな き 謬說で 

あらねば ならぬ。 




1 體、 この 吉野 博士の 論文 は 誤謬に 充 ちてゐ ます。 小さい 一 つの 事 實を舉 ゆても フラン ス において 普通 選舉を 初めて 

〃一 採用した のは吉 野馎. H に從 へば 一 八 四 九 年と なって ゐ ます。 けれども この 點 もまた 全く 誤謬であります。 フランスが 初 



si めて 普通 選 舉を窓 法のう ちに 規定した の は 一 七 九 三年の ことであります。 それから 第一 一に これ を 採用した の は 一 八 四 八 

年の 憲法であります。 この 憲法に よって 選攀を 行つ U の は その 年の 十一 一月 十日の ことであります。 この やうな 誤 IS は ど 

うで もい , J ととし ます。 け れ ども、 〕 > に 述べ なくて はならない こと は、 彼れ の tc.^ 働 階級 主 、に 反對 する、 J との 理由に 

ついて > あります。 




『また 第一 一に は sl^? 二^ 級の 權利 利益の 伸長 を圖 ると ころから、 階級 的 差別 を激 成し もつ ャ國 家の 統 一 觀に 悖る とい 

ふの 點 において 大 なる 理論 上の 弱點が ある』 (中央 公論 一 一 月號十 一 頁) 

この 文句の ラ ちに 第三階級と いふの は 第四階級の 誤りで ある こと は 勿論であります。 卽、 第四階級 主義 は 階級 的の 差別 

み激 成し もって 國 家の 統 一 觀に ると いふので あります。 この 說 もまた 一 つの 俗; 一: 亡 じあろ と 申して 差 支へ ない と 思 ひま- 

す。 .g 何にも 勞働 階級 主義 は 階級 的 意識から 出發 する にしても、 そのこ、 に 至る の は 何のた めで あるか。 第四階級 か 階 

級 的 觀念を 建設す るので あるか。 吉野 博士に は それが 肯定され ます。 肯定され てゐる こと は 前文の 拔 害のう ちに 明白に 

されて ゐ ます。 私 は その 反對の 立場 をと ります。 勞働 階級 主義 は その 反對の 立場 をと ります。 階級の つくられた のは^ 

働 §5n 級 こよって つくられ たので はない。 この 意味の 社會 階級 は ブル ジ ョァ によって、 ブル ジョ ァが產 業 革命の 果 S を b 

占す ろ ことによってつ くられて ゐ ます。 勞働 階級 は 自ら それ 自身の 階級 をつ くった ので はない。 その 階級に 落された 

のであります。 獨立勞 働 者と しての 立場から 資本家の ェ クスブ ロイテ ー ショ ンを餘 儀な くさ る 、 第四階級に 落され.^ 

のであります。 階級 的 觀念は ブル ジョァ から 出發 して ゐ ます。 階級 鬪爭の 思想 も ブル ジョァ から 出發 して ゐ ますつ それ 

が 第四階級から 出發 して ゐる とすろ は俗說 であります。 フランス 革命の 前後に おいて、 ブル ジョァ の 階級 は 一方に は 貴 

族 及び 憎 侶の 階級に 反對 して ゐる とともに、 また 他の 一 方に おいて は勞働 者に も反對 して ゐ ます。 フランス 革命 は ブル 

ジョァ の 革命であった のであります。 その 主義の 最も 明白に された の は、 英國 において は 一 八 三 二 年の 選舉 法の 改正で 



あります。 この改正はブル•^^ョァの勃興にょって指導されてroます。 その 階級 か 覇權を 掌握して ゐ ます。 これが その 改 

革の 歴史的の 意義であります。 その ブル ジ 3 ァの覇 權は努 働 階級の 要求す る 他 R 通: 牛 等の 選舉 に反對 し、 ァ 二 ユウ アル • 

パァ リメ ント に反對 します。 彼れ 自らの 自由と 權 力と を 主張して、 M 力 働 者の ための 自由 を 排斥し ます 7 それ ゆへ に 階級 

鬪 爭はブ ル ジ ョ ァ 階級から 仕^けられた ものであると 申すべき であります。 吉野 博士の 言葉 を もってすれば 「階級 的 差 

別を激 成」 した もの はブ 口 レ タリ ァ階级 ではなく して、 ブル ジ ョ ァ 階級であります。 

(十四) 

ブル ジ ョ ァ 階級の 勃興と いふ こと は、 第四階級の 發生 とい ふこと であります。 ブル ジョァ 階級が 資本主義 を 伴って き 

たと きに、 「階級 的 差別 は激 成」 される ものであります。 その ブル ジョァ 階級の 哲學は 個人主義 的 自由主義 であります。 

社會的の^!:?味にぉぃての自由と平等と3叫びに3^しては、 二 切 耳を磁 ふて ゐろ のであります。 それが 吉野 博士の 民 本 主 

義の 立場であります。 卽ち 講壇 的 デモ クラシ I の 立場であります。 その 立榻 から 階級 11 新ら しき 有力なる 階級の 覇權 

が 生れます。 その 覇權の もとに 第 四 階, #か 生れます。 その 第四階級が 社會 的、 攻治 的、 または 產業 的に 自由 を 要求す る 

ことが 何の 「階級 的 差別の 激 成」 である も のぞ。 その 反對 であります。 正反對 であります。 造られた ろ 階級 差別 を徹廢 

する ことが 努働 階級 主義の 根底 的の 主張であります。 重ねてい へば 吉野 博士の 所謂 激 成された ろ 階級 的 差別 を徹 1 ュ する 

ことが 第四階級 主義の 主張であります。 ソ ー シ アル • デモ クラシ ー はこの 立揚 をと ります。 吉野 博士の 說は事 實を轉 倒 

して ゐ ます。 彼れ の 述べて ゐる ところ は ブル ジョァ のた めの 代 辯であります。 彼れ が 如何 樣の 言葉 を 用 ふると も、 彼れ 

の 根本の 主義、 その 民本主義 は ブル ジョァ のた めの 代 辯であります。 彼れ の 地位 は 一 八 三 一 一年に おけろ 英 國のラ ディ 力 

ルスの 立場であります。 フランシス • プレ! スの立 51 であります。 彼れ の 研究室 は 普通 選 舉には 適しない もので ありま 

す C それ はフラ ン シス • ブ レ ー スの 邸 宅と 同じ やうに ブ ル ジョァ のた めの 制限 選 摩の 代表者の レ ン デ ボウと なる ベ きも 

リー のであります。 



so 



(十五) 

吉野 馎士は 天賦 人權 論に 反 封す ベ からすして 反對 して ゐ ます。 第四階級の 性質に 無理解に し. て その 主義に 反對 して ゐ 

ます。 さう して 彼れ 自らの 立 揚をソ リダ リテ • ソシ ァ I ルに 求めよ-? として ゐ ます。 彼れ はソ リダ リテ • ソシァ ー ルの 

說 によって 啓發 された とする、 その 謂 ふところ S 最近の 國家 理論 を もって、 選, 權の よって 生す ると ころの 淵源で あろ 

となして ゐ ます。 卽ち これ を もって 彼れ の 普: 迎選搫 の 根, 源で あると なして ゐ ますつ これが 吉野 博士. か 普通 選 摩の 問題に 

『著しく 興味 を 感じた 結果と して • 東京 帝 國大舉 法科 大舉 の特 志なる 學生 諸氏と 謀って その 包括的 研究 をな した』 結果 

である。 然りン ー シ ァ ル • デモ クラシ ー を 排斥して、 ソリ ダリ テ • ソ シァ ー ルを とった とい ふので あります o( 中央 公論 

1 一月 號十 一 頁 11 十一 ー頁參 照) 

(十六) 

士 a 野 博士に おいて は、 ソリ ダリ テ • ソ シァ I ル は社會 民主主義と は 全然 相容れ ざる 主 幾で あり、 働 階級 主義と は 全 

^相 容れ ざろ 立場であります。 卽ち 一 方に 資本家 階級 か あり、 餘剩價 値が 成立し、 使用人と 被 使用人と か 存在し、 征服 

と 被 征服と が 存在し、 その 制度が 存在し、 その 哲學 が^ 在し、 その 代辩 者が 存在し- さう して 社 會連帶 が 成立し 得る も 

ので あろと いふので あります。 その 考 へ は 根本的に 誤 ii^ であります。 ソリ ダリ テ • メシア ー ルは • フランス において 

は、 革命 派の 哲舉 に反對 して ゐ ます。 その 點 から ンリ ダリ テ • ソシァ ー ル か出發 します。 天賦 人權論 に反對 の. N 場から 

出發 します。 吉. 針 博士の 民本主義に 反對の 立場から 出發 します。 その 根本 は 唯名論で はなく して 實念 論であります。 個 

人 主義で はなく して 協同 主 親であります。 政治的 自由主義 ではなく して 社會的 自由主義であります。 權利說 ではなく し 

て 義務 說 であります。 分裂 論で はなく して 統 一 論であります。 マック :<• スチ! オルの 個人主義 ではなく して, ディド <B 連 

帶 主義で あめます。 その 思想 はコ ン ペティ シ ヨンの 思想で はなく して コ I ぺ レ I ショ ンの 思想で ありま 卽ち勞 働 階 



級の 哲舉 であります。 勞働 階級 主義であります。 

(十七) 

資本主義の 存在 は 社會的 征服の 存在であります。 その 關係は ヱ クスブ ロイテ —シ ヨンの 關 係で あれます。 その 關 係に 

おいて は 自由なら もの はない。 その. >.11! 由と 稱 する もの は 注 來を步 むこと S 自由、 さう して 蓺 ゆる- J と 不自由であります。 

ソリ ダリ テ • ソシァ ー ル はこの ェ クスブ ロイテ ー シ ョ ンを 排斥す ろ ことから 出發 します。 ェク スブロ ィテ ー,:, ョ ンは社 

會^: s ではなく して 階級 的 服 及び 被 征服であります。 卽ちソ リダ リテ • ソシ ァ I ル ではない のであります。 

(十八) 

ソリ ダリ テ • ソシァールは^;カ働階級の哲學でぁります0 少く とも 今日に おいて は勞働 階級に よって 主張 さ れてゐ ま 

す。 • その 階級の ために 主張され てゐ ます。 凡ての 階級 的の 存在 を 是認して、 凡ての 階級の 間の 調和 を 圆 らうと する もの 

は 日本に おいて は 温情主義であります。 ベ ラミ K において は國民 主義で あ S ます。 さラ して ソ— シ ァ ル デモ クラシ I で 

もな く、 ソリ ダリ テ • ソシァ I ル でもない のであります 

(十九) 

制限 選 皋とは 財産 を もってる ろ ものに 選舉 權を與 へろ とい ふこと であります。 財產を もって ゐ ろ もの を攻治 的の 中心 

勢力と する の 制度であります。 . ^ちブ ルジ ョ アジ ィの攻 治 制度であります。 f J れに對 して 业 I 通 si.- な舉 はこの ブ ル ジ ョ 7 の 

Regime に反對 します 。卽ち 財產を 持たない 人々 に 選 皋權. ^へる こと を 要求す るので あります。 制限 選 舉と普 通 選皋と 

の 差別 は、 この 無資產 階級に 選舉 權を與 へる^ ど 、フ かとい ふことの 差別であります。 無資產 階級に 選皋 權を與 へて はな 

お 一 らな いとする のが 制限 選舉の 立場であります。 無資產 階級に 皋 權を與 へなくて はならない とする のか 蟹 通 選 舉の立 $1 



s であります。 それ ゆ へ に 普通 選舉と 制限 選舉 との 相違 は、 Is 階級 主義と ブ ル ジ ョ ァ 主義との 相違であります。 普通 選 

舉は勞 働 階級の ラ へに 立ちます。 普通 選舉の 意味 はこの 點 にあります。 こ €點 において のみ 意味 を もって ゐ ます。 普通 

選舉の 要求 は勞働 階級の 攻治的 解放の 要求であります。 また 從 つて その 階級の 攻治 的組識 6- 要求であります。 この 勞働 

階級 S 玫治的 解放の 根底 をな す もの は、 社會的 解放の 要求であります。 ^ち 昔 通 選舉の 根底 をな す もの は勞働 階級 主義 

の 政治 組 II としての 立場であります。 

(二十) 

これ を 歴史的に 考 へて みても 普通 選 舉は勞 働 階級 主義と ともに 生れ-また これと ともに 發 朕して るます。 英^に おいて 

はチ.^1チストの運勳がこれでぁります。 英國の勞働^!^?がその勞働組合の自由を得なかったときに、 チヤ I チ ストの 運 

動が 起って ゐ ます。 チヤ I チ ストの 運動 は ブル ジ ョ ァ 的鬅權 に反對 する勞 働 階級の 攻. 治 運動と しての #c 通選舉 運動で あ 

ります。 フランスに おいての 一 八 四 八 年の 二月 革命 は その 歴史的 意味に おいて 勞働 者の 革命と されて ゐ ます。 その 革命 

において 確立され たもの が 普通 選舉 であります。 獨逸 においての フランク フル トの 闽會は 失敗した にしても、 ヒス マ— 

クが 普通 選舉を 採用した こと は • 勞働 階級に 着目した ことであります。 ラッサ アル は勞働 階級の 立場から 熱烈に 普通 選 

舉を耍 求して ゐ ます。 彼れ の 指導の もとに ライ グチヒ において 結合され た 獨 逸の 勞働图 は社會 民主 黨 となって ゐ ます。 

その ソ I シ アル • デモ クラシ I の 要求と して ゐる ところ は, 普通、 平等、 直接、 秘密 選舉 であります。 獨 S 獨逸 におい 

て だけで はない。 世界の 凡てに おいて 普通 選舉を 要求す る聲 は、 ゾ I シ アル • デモ クラシ ー の聲 であると 申す ことかで 

きます。 英國 の選银 法改正 は 一 八 三 一 一年から.. ク ラッド スト I ンの 改正に 至る までみ な有產 階級に よって 支持され てゐま 

す。 その 問 は.^ 何樣に 改正 されても 普通 選舉と はならなかった のであります。 英國 において 昨年 普通 選 舉か採 州され た 

こと は、 努働黨 の 勝利であります。 努働黨 の 政 湖の 實現 であります P ツ. -シ アル たテ モク ラシ ー の 政治的 勝利で ありま 



す。 かくして 普通 選攀の 根底 は 勞働階 殺 主義であります。 世界の 何れの 歴史に おいても 努働 階級 主義と 伴って ゐ ます。 

吉野 博士に 從 へば、 今日に おいて は 普^ 選 舉とは 新しき 根據- フランスに 生れた るソリ ダリ テ* ソシァ j ル からき たる も 

ので あると されて ゐ ます。 けれども その 「新ら しい 根據」 と は, 旣に 十八 世紀に 起って るます。 ラ* ソリ ダリ テ攀 ソシァ 

I ルは 十八 世 に 生れて ゐ ます。 その 「新ら しい 根據」 によって 普通 選 摩が 新しく 主張され る ことと, ぶった とい ふの が 

吉野 博士の 立場であります。 けれども フラ ン ス においての 普通 選 每は勞 働 階級と ともに 起って ゐる こと は 前に も 述べた 

通りであります。 さ、 rs して この 制度 は 一 八 五一 一年 以來 幾多の 憲法の 改: 止に か >. わらす、 フ-フ ンス において 引 續き採 川 さ 

れてゐ ると、 J ろであります。 

(二十 一) 

ラ* ソリ ダリ テ*ソ シ ァ-, ルは、 勞働 階級の 哲舉 であります。 勞働 階級の 哲舉 として ,、 なければ 存在の 理由 はない と 5- い 

ひます。 C 力 働 階 殺 主義ん 排 する こと は 社會的 征服 を 是認す ろ ことであります。 社会" 的^ 同 を 否認す r ュ こと であり ま 

す。 卽ちラ *ソ リダ リテ, ソシァ I ルを 認 する ことであります。 

(二十 二) 

勞働 階級 主義 を もって sal に勞働 者の みのた めの 自. E 平等の 要求で あると する ことに、 一 大 誤謬であります。 吉野 博士 

はこの 立場に たって ゐ ます。 法舉 博士 福 Sli 三 氏 もこの 立" > ^にたって るます。 福 田 博士に 從 へば ソ ー シァ ル 奢 デモ クラ- 

シ I においての デ モスと は、 全體の 人民で はなく してた >勞 働 階級の みで あると なして ゐま す。 けれども この 點は 3 具實 

に勞働 階級 を 理解した ものと いふ こと はでき ない のであります o( 拙:. デモ ク ラ ン, 話^ 照) ッ.. 'シ アル • デモ クラ シ 

1 が勞働 階級のう へに たつこと は、 勞働 階級 か s^.」 おいて 被 征服の 階級で あると いふじ 嚴肅 なる ^實. から 出發 します, - 

3ー その 要求 は その 被 征服の 狀 態から 勞働者 を 解放す る ことの 要求であります。 その 勞働者 を もって 新ら しき 征服 階級と す 



れ 



る ことで はない 。努働 者が 如何に 多数の ものである にしても そのもの のみの 支配 は デモ クラシ I ではなく して Masority 

tyrany であります。 その 要求 はソ ー シ アル • デモ クラシ ー の 要求で はなく して、 ォ ー クロ クラシ I の 要求であります。 勞 

働 階級 主義の 要求 は 無 階級の 要求であります。 自由の 要求から 出發 します。 さう して その 自由の 共同責任 を 要求し ま 

す、 社會^ 活 のソリ ダリ ティ を耍 求し ます。 卽ちラ • ソリ ダリ テ* ソシァ ー ルを 要求し ます。 この 關係は ラッサ アルに よ 

つ て 詳らか に 述べ られ てるます。 吉野 博士 によれば ラッサ アル は勞働 階級 主義の チヤ ムビ オン であります。 その チヤ ビ 

オン は士 野 博士の 指摘して ゐる やうに、 勞働 階級 主義 を もって 社會の 一部の 階級の ための 霸權の 要求で あろと なして は 

ゐな いのであります。 その 反對 であります。 彼れ S 要求す ると ころ は 燕 階級の 要求であります。 彼れ は 次の やうに 述べ 

てるます。 『勞働 階級と は實 は、 階級で はない つ 國民 である。 J 『國 家と は何ぞ や? 諸君 は國 家で あろ JT 『諸君の 事務 は 

人類 S 事務で ある" 諸君の 個人的の 利害 は 道 ill 的 發胜の 生けろ 原則として 歴史 S 脉膊 とともに 動く ものである J こ. -に 

諸君と は勞働 階級の ことであります。 勞働 階級 か 一 階級で ある こと は 今日に おいて は 動かす ベ からざる 事實 であ り ま 

す。 けれども 勞働 階級 主義の 要求す ろと ころ はこの 階級の 維持で はなく、 その 反對 であります。 卽 ちその 撒麼 であり ま 

す。 勞働 者の ための dictatorship の 要求で はなく して、 ラ* ソリ ダリ テ* ソシァ I ルの 要求であります。 




ラ • ソ リダ リテ • ソシァ ー ル が勞懺 階級 主教 を繮遂 して 新ら しき 原理 を 開拓した とい ふの が 吉^ 博士の 講壇で ありま 

す。 日本に おける 最高 蔡府 S 玫治舉 の 講壇であります。 その 講壇に 築る 舉生は 不幸なる 學 生であります。 その 講埴 から 

の 普通 選 舉を迎 へる 人々 は 不幸なる 人々 であります。 

(二十 四) 

私 は吉野 博士の 選 舉權擴 張 論の 根底に ついて だけ 批評し ます。 さう して 彼れ の說 明が 徹頭徹尾 誤謬であった こと を 指 



梳 します。 さう して .tr 針 博 fi に對 する 今 & まで^ 迷信から 酷め たこと に 幻: の 悲しみ を t ちます。 

(二十 五) 

士 口野 博士 は、 上 杉 博士の 普通 選舉論 を 非難して るます。 私 は その:^ 難に 赞成 します。 上 杉 博士の 謂 ふところの 國體 論と 

普通 選 舉とを 連結す る こと は ルイ 十四 世と ラッサ ァ ル との 混同であります。 けれども 吉-針 博士の 政治的 自由主義 または 

個人 主穀 卽ちプ ル ジ ョァ の哲舉 と 普通 逸 舉とを 結びつける こと はシ— HI と ラッサ アルとの 混同であります。 上 杉 博士 

を變 說改 論者と いふ 可 くんば、 吉野 博士 もまた 變說改 論者であります。 彼れ 等 は 共に 現代に 適する もので はない。 現代 

に 適せざる ものと して 生れて ゐ ます。 現代に 適せざる ものと しての 想のう ちに 彼れ 等の 全 生命. かあります。 上 杉 博. K 

を 非難す ろ こと は士 n 野 博士 を 非難す ろ ことで ある。 上 杉 博士. か國體 論と #E 通 選 摩と を 結びつける ことによって、 彼れ 自ら 

の 思想 を 葬るべき 深き 穴 を 堀り つ、 あろが ごとく、 吉野 博士 もまた その ブル ジョァ 哲學と 普通 選 舉とを 結びつける こと 

によって、 彼れ 自ら を 一雄るべき 深き 穴 を 掘りつ >r あるので あります。 波れ 等 は その 何れ か 一 つ を 捨てなければ ならぬ。 

その 捨てる もの を 何れに 撰む かとい ふこと によって、 彼れ 等の 賢明で あるか 否かと いふ ことが わかります, - ,ての 何れ を 

撰む にしても 彼れ 等のと るべき こと は その 何れ か 一 方 を 捨てる ことで ある。 これみ-混同 する ことで はなく f ..- れん-誤 魔 

化す ことで はない のであります。 普通 選舉を 求む ろの 聲が 高く なれば なるほど、 私 ども は眞實 なる 普通 選舉を 要求し ま 

す。 私 ども は 私 ども 自身 を愫る ことなき、 &實 なる 普通 選 舉.^ 要求し ます. - さう して 先 づ吉野 博士の 普通 選 舉論を 排斥 

します。 (一 一月 十日 朝) 

5 



一 有 島武郞 

— 」 士 郞 

ねん y ん わたくし す え よ .£*., 

二 年 前、 私が 「力 インの 末裔し,^ 謓んだ 時 

かん く.. T ゐ おどろ おそ 

の 5~ じ 位 * 驚くべき 恐ろしい の はな かつ 

わ たくし そ こ にん けん こゝろ うち ない-さい 

た。 私 は 其 虎に 人間の 心の中に 內在 する 

* * * 、 の ちから するど ふ わたく レ 

ダン グシ 伸びて ゆく 力の 鋭 さ,.^ 見た。 私 

モこ 、 、 、 > \ ん ザ-やく うち ,こ 

は其虔 Li、 いたましい 慘. の 中に 聞え ろ、 

r 、ん >- やく とほ ,き, 9 9, 9, 

11 その 慘 虐,. 透して、 戰さ顏 えろ 人間の 

. 喜びの 聲 聞いた。 

すべてが 私 戰傈さ ぜ た。 すべてが 

わたくし あつ はく わたくし た -.i- らレ よ ケぃ 

私 ^腿 迫した。 私 は 唯、 暴風雨の 夜、 海 

がん いは • 二 つ、.;. r にん ゆん や、, , , , 

岸 の^の 上に 突立った 人間の 樣に、 i るめ 

, ぜんぺん つう わたくし ゆい じゅつ ひひ や、 r- 

さながら 全^,^. 通! ^した。 私 は 藝 術 批評 

家で は 無い。 藝術 批評 {ん でない 私 にと つ 

ありし *t し ズ くもつ かち ひ はん ご、 ろ こと *4 つた 

て 有 島 氏の 作 5^ の ^俊 批判,^ 試む る 事 は 全 

ふ r f じ け ふ -t. く 

く 不可能 ゃ窜 業に © すろ。 

わたくし た, 、わたくし づ なう t わ 、し こ、. C 

私 は 唯^ の 頭腦の 中に、 ^ の 心の 

うち あり じ t し 、、ゝ ゝ だ ことで き そ 

中 Li 有 ^5 氏の 力 描き出す 事が 出来る. - 而 

わたくし しゅくわん 、つち す,、 な き, • 

して 私 の 主觀の 中に、 ! くと も、 、力 イン 

の 末裔,^. 通じて、 痛ましい 人間と 自然との 

11 そのお 籐が 生んだ 悲劇、 .^、 

お ほ め ふ ひら こうてい こと でき わたくし 

大 さく GlyJ-, 膝 い て 肯定す る 事が 出來、 る C 私 

i あらゆる 意味-仁 於て 「カイ ン」 の 末 人 



間が 造った 藝 術の 最大なる ものである • と 

こと で, し:.. ナ く!:? けん ざい わたくし 

いふ 事が 出來 る。 然リ、 緲 くと-..^ 現在. 私 

あ. C じ iti け..? つし か ち UJi ノ 

にと つて、 有 島武郞 氏の 價値は 同時に カイ 

ン の 末裔の 藝術的 價値其 者で ある。 

そい-, I わたくし あり じ ♦* し せ: J-r く たい おど. 

其 後 私 は有爲 氏の 製作に 對 して は、 驚く 

ちう い もつ よ し.; - モの いづ れ たくし 

ベき 注意 以て 讀ん だ。 然し、 其 何れも 私 

, , , 卞 る! たい かん ぼ ど するど 

が 力 インの 末裔に 對 して 感じた 程の, 銳さ 

ち h もつ よ あた せんけん いし 

1» カ强 さも 與 へなかった。 ! 宣言 > 石 

ざっさ.ゥ じっけんしつ めいろ わた,、 し 

に ひし がれた 雜草、 •!::; 験 室、 迷路、 11 私 

モ 。いづ わたくし うち ひ >- ちァら け づ". U 

は 其 何れもが 私 の 中に 潜む、 力,^ 别 出し 

くれ こと か ザ- な ふ *4 ん おも 

て吳 ない 事. ^限り無く 不滿に 思って ゐる 

ケっ え ぐちく わんし f も" ご t 

嘗ズ、 江 口 氏 (であった と 思 ふ) が 有 島 

し さつ? ゝ はいご つね し" セ こちゃ 5 な 

氏の 創作の 背後に 常に、 斥くべき 誇張が^ 

されて ゐろ 事,^ 批難した 事が あつたの, 

おく しか た Q ひ なん えんち J-r 

して ゐる。 —— 而 して、 其 批難の 延長、 

若しくは 補足と も 見るべき 或る 他の 批難 は 

そのこち や-..' つね あり じ *♦ し ,r ち ひそ <1 ム" <1 

其 誇張が 常に、 有 i:^ 氏 P 中に 港む! _妈,|3: の も 

の 願 現す ろ 力,^; m ひ して ゐる、 とい ふ 

ところ そん- さ い 

所 存在して ゐる。 

わお! くし その ひ なん 二- ラぐ た- - 

私 は 其 批難, 盡 く 正し さもので もろ 

お t し;. な. V ゎ;- くし .V の 二ち C..-' こちや-..' 

と 思 ふ。 然し 乍ら、 私 は 其 誇張が 誇張と 

しんちゃ ラ ところ • っ^ い 

して、 5n ングン 伸長して ゆく 所 に: ひゆ r た 意 

味の 力 體感 せざる 1-^ 得ない。 

かつ あ. C じ t し あ ひひ や- フか こた い 

嘗ズ有 島 ti- が 或る 批, 許. に 答 へて 盲 つ 



ひひ やう い. つし や し rMj いし もつ う t 

た 。「批評 は 優者の 仕事 だ。 石, -5- 以て 打ち 得 

る 者が 先づ石 取るべき であろ」 io — 

わ 4」 くし こ W こと tt, そこ この 二と は と は あり 

私 は此 言葉の 底に —— 此 言葉.^ 透して 有 

じ まし じん^^く っ^- ここ で? 

氏 の 人 の す ベ て ^ 疫 む la!l- が 出 來 る 。 

_ 人間の 止む に 止まれぬ 生 L1 對す る 執着の 

姿」 .これは1^^:?氏の创作の出發點でぁる。 

あら ゆろ 人間の 運命,^ 通じて、 生に 對 する 

,,,,,,-,,,, これ あり じ まし 

驚く ベ さ不思 な 我執 11 之 は 有 氏の 創 

作 1^ 導く 一 つの 規準で ある。 

而 して 此 態度が 思 ひ 切乂、 AI 由に、 伸び 

やか Li、 奔放-」、 顯 はれた ものに、 「カイ ン 

は;- 之い わた-、 し r* つ さ-、 うち ヌ 

の末^@でぁる。 私 は有^;^氏の創作の中先 

づカ インの 商, < ^攀 ぐろ。 fs して、 力 イン 

の 末裔と 比較す る 時、 「宣言」 も 「迷路」 も 共 

じ "い i : い,, ゆつ 二ん こと お 

に 時代と 共に 朽ち ゆく 藝術 品で あ-る 事.^ 思 

はざる.^ 得ない。 

えし ひ みつ ザ-ようし こんし ム て.? 

「魂 の 醜く さ.^ 凝視して、 その 傳習 的な 

し. 7 がい:;: ん 、? > ひそ ほんたい じっしつ お; i 

醜の, 念の 後ろに 潜む 本髗 のお 質 恐れな 

く見透すべき勇氣の缺乏が_人の子,^驅て、|^^ 

t おの 漂浪 Li 赴かせ た^の 杖で あ る。』 11 

わたくし かつ あ" じ t し よつ やう H い あ 

私 は 嘗て 有 i::, "氏に 依て 紹介せられ た 或る 

し さ この 二と 3.i あり 二, し じ しん たんて > かた 

恕 家の 此 言 菜が 有ね 氏 自身,^ 端的 に < 

ゐろ寧 1- ^確信す る。 而 して 其^ Li, 抑える 事 

の出來 ない 共鳴ん」 禁 する 事が 出來 ない。 



◊ 政治家の 頭 は 

古る い 

厶 <1 ム <J <1 にほん はん ぐれい か.,' 

◊ 加 藤 高 明 子 は 日本に おいて 一 番の 外交 通 

ぐ わい こく マつ せ けん ゆる > 

または 外國 通と して 世間 も 許して ゐ るし 

つ 一 じ ぶん む ろん S.0 いじ や-?. ► , チ, 

御 自分 は 無論 許して ゐる 以上で ある。 彼れ 

ぐ わい か- l-,、2r.< わい は ひ 

が 外交 調査 會に 入らな か つ た 、 、; に は 一 一 つ 

の 理由が ある。 その 一 つ は 尾崎愕 堂が 衆議 

1< ^排 して 反對 したため である その 二つ は 

<1 <J むがく V とこ しょ ぐ わい か、 r- 

「犬 整 なぞの ような 無學; 男と 一 所に 外交 

談す るの は 己れ の 估 券に さわる」 とい ふ 

AAA こ けんろん 

加 藤 子の 估 券 論からで ある。 

ぐ わい かう じ ん A お にほん ぐ C い 

◊ その外 交自 の 加 藤さん 11 日本 一 の 外 

か.,' つ -,' <- 厶 -で 5 いれん めいろん 

交通 だそう であろ 加 藤さん の 「國際 聯盟 論」 

たいくわん ぐ わつ がう れいく か、 

とい ふ ものが 「大 觀」 の 一月 號に麗 々しく 揭 

5,? し 上し し 

げられ たこと も讀書 子の みな 知って ゐ ると 

、、るで あらう。 

せっしゃ llt,^ や てん.?'. よ 

◊ こうい ふ: 拙者 も 本屋の 店頭で 請んで み 

こと^$ 

た。 國際 聯盟と いふ 言葉に 「インタ アナ シ 

000 ふ がな 

ョ ナ屮、 リ, グ」 とい ふ振リ 假名が ついて 

ゐる。 マサカと 思って から r* く 調べて 

厶 ム えんぜつ そくき 

みると、 その 原稿 は 加 藤 子の 演說の 速記で 

7 厶 A しじしん A. ぐき 

S も ぁリ, また その 原 校 は 加 藤 子 自身が 速記 



.."V い めんみつ ていせい 

に 筆 入れて 綿密に 訂正した ものである そ 

おどろ . ぐ わい かう つ 5 

うで ある 。驚いた 外交 通で はない か。 :ん 

< た ♦* こく 5 いれん めい 

な 頭で 國際 勒盟 (リ, ォプ :キー ショ ン 

ひひ や i y と-' し 

ス) . ^批評され て は, ウイ ャ ソン や 加 藤 子 

の 「親友」 の ダレ-子 もた まった もので はも 

る ま い 

◊ これと 好 一 對の たれが あろ。 日本の 講和 

ザん けん, し だ- フくは り で 

全權 特使と して 々巴 里 LL 出かけん いった 

厶 よこ は t しゅつ はつ 

牧野さん が、 いぶく 橫 濱出發 とい ふその 

にち ** へ ぐ わい か、 つつう q 、<1 

二、 三日 前の、/ と、 ある 外交 通が 牧野さん 

め こくさい れんめい はなし 

に會 つて 國際 聯盟の 話,^ しかけ V- みたと, こ 

るが、 牧野さん が 狐 に つままれた ような!^ 

付き,. ^ した ま V 何ん とも はない。 變んだ 

なと 思って 尙ほ 重れて 話して 見る。 牧野 さ 

, 9 , かほ こくさい れんめい 

んぃょ けげんな 餌:: 『國際 聯盟って 

なん えいに ちしん ぶん で 

何の ごと か い?』 『そリ や 毎日 新聞に も 出 

, J んど か s わく わい: ST- だいもん だい 

てゐ るし、 今度の 講和 t 議の大 問題で はな 

いです か』 『そんな ことがあった のか 。わし 

は 新聞 1^ 請まない もの だから:: それに 君 

ぐ わい か .1 ト. '5<ゎ い もん に い 

そんな こと は 外交 調査 會 でも 問題に ならな 

かった よう だよ』 といった 調子。 

0.<r. 厶 <1 A せん いお どろ きつ そく こくさいじん 

◊ 流石の 外交 通 先生 いた。 早 『國 際聯 

めい くわん けい y いれ、 つ あつ よこ はも <" 

盟』 Li 關 係の ある 材料 fs^ 集めて 橫濱 から 牧 

4 し S つ はつ あ 3*iT の / て. わたし 

野さん の出發 するとい ふ 朝 牧野さん-.: 手渡 



したと いふ、、 とだ U 

◊ さう い ふわけ だから 牧野さん. かゲ H クサ 

くわい IT- ゐ ね; J Hi, つや- r- 

ィ ュ の 會議で 居眠りと 傍 8^ にか リ して ゐる 

の も I さう して 支那の 委員 あたりから 遣 

リ、 >めら れてゐ るの も 無理 はない。 日. 14- も 

H ライ \f ^負 出した もの だ。 、 

◊ 正^のと、、 る、 日本の 政治家の 頭 は 支那 

の 政治家よりも 劣って ゐ る こと だら う。 

◊ 何ん といっても 日本で は 政治家が 一番 時 

代 後れ だら うよ 「 原 首相 だってそう だ。 衆 

Jtj るん よ さん As くわい i~.*>' じ や う * <1 ,1 A くん 

議院の 豫算 總會の 席上で、 望 小 太 君 あた リ 

二く さい れんめい しつもん と? 

から 國際 聯盟に ついて 質問され た 時に ! 

こく, いれん めい し さう あに し さう 

『國際 聯盟の 思想に 新ら しい 思^で はあり 

<3厶<1<1<1 厶厶厶 <1<1 いけん 

まぜん。 百年 前に グロ シ ュ ウスが この 意見 

述べて おります』 —— 速記 錄 Li まで チヤ 

ン とこう 載って ゐる。 

◊ だれも 知って ゐる とほ リグ 口 シュ. 'スは 

ねんすな は いえ やく れん ぜん し 

一 六 四 五 年卽ち 今から 約 三百 年 前に 死んで 

そ の ひと ねん まへ いけんの 

ある. - 其 人が 百年 前に 意見 1-^ 述べた とい ふ 

こっけい たい. 1 A 厶ム A <1 こくさい. C ん 

の も 滑稽 だし、 一 髖ダ ロシュ- スが 國際聯 

si につ いてず 見 1^ 述べた i いふ、、 とから し 

て 全然 ゥソの 皮で はない か。 原 首相の 無尋 

りつ は しょ- r- めい 

も、 、れで 立派に 證 明され たわけた ゥ 



00 

普 通 選擧論 



^界の 民 IV 的 潮流 か 驚くべき 勢 を 以て 奔騰し つ > ある 事 

は 私の 今 改めて 一 K ふ 迄 も 無い 事で ある。 而 して 此 民主的 潮 

流を眞 向に 受けて 舊來の 俥統的 思想の 渦卷の 中に 悶え 苦し 

んでゐ る 本 現在の 爲攻 家が、 何なる 態度 を 執て、 何 

なる ml- 地に 立て 將來の 日本 を 指導 せんとし つ.. ある 乎と い 

ふ 事 は聶も 興 ある 問題で あらねば ならぬ。 

1 一大 帝 固の 崩壤 11 軍國 主義の 减亡 11 社會 黨の發 興— 

—リ —ブ クネヒトの 死 11 斩の 如く 混亂 し、 斯 のおく 紊亂 

して ゐる 世界の 大勢 力に 眼 を閉ぢ て、 日本 獨自の 思想 を 表 

現し 日本の ための 世界 を 造 就す る 事に 全力 を 注がなければ 

ならぬ と爲す 者. か あろなら ば" 迂 之より 甚 しき は 無い。 

逸: て、 へ H ゲルが 言った 事. か ある。 存在す る もの. -總て 

は道瑰 ある もので あり、 道理 ある もの. -總て は 存在す る も: 



尾 崎敬義 

ので ある。 と。 ^界 史上に 於て 有数の 專制 君主で ある ウイ 

リ アム 一 世 並びに 其 忠良なる 臣下 は 之を循 として 一 切の 暴 

攻、 一 切の i ぼ玫を 肯定した。 然し 乍ら、 道理 無き 存在 は& 

寳の 存在で 無い。 人間性の 眞實 なる 要求に 目醒 むる 事無く 

して、 徒らに 人間 生活の 道程に 於て 養 はれた る傳統 と因缀 

に侬て 誤て 造 就せられ たる 考、 並びに行爲を^;-!!定して以て 

人間性の 本然な りと 爲す者 あらば、 彼 は 纏て 顯 るべき 事 資 

の 上に 於て、 驚くべき 錯誤に 陷 るに 相違ない, - 

二、 

思想 を 産む もの は事實 である。 然し 乍ら、 同時に 事實を 

生む もの i T- 事實の 進展 を 期す ろ もの も 亦 思想で ある。 攻 

治と いふ 事實 かあつて、 政治 舉が あり、 政治 舉 があって 政 

治の 進展 か ある。 

然るに 日本の 政治 は、 其 出 發點に 於て 正しき 哲理に 導か 



れ ざる ものであった。 哲理から 離れた 政治 は 恰も 軌道 を 失 

つた 汽車の.^ きもので ある。 

或ろ 哲擧 者が 言った。 「第 一 の ボタンが 間 誤って 篏 めら れ V? 

ならば、 それに 順應 して 最後の ボタンが 正しく 篏 めら る * 

害が 無い。」 と。 こ S 言葉 は 日本の 立憲政治の 出 發點を H 、儘 

端的に 表明した もので あろ。 天賦 人權 論に 侬て其 烽火 を舉 

けられ、 而 して 資本家と 富豪と 豪族に 依て 其 權カを 聲斷せ 

られた 日本の 立憲 攻治 は、 妙く とも 其 間 誤て 嵌められた ボ 

タンが 再び 正しく 篏 めら ろ、 か、 然ら すん ば、 其 他の 手 

方法に 依て、 最後の ボタン を 最後 S 穴に 導く か 何れ かに 依 

る 事無くして は、 其 完全なる 進展 を 見る 事 は出來 ない。 

嘗て 日本の 老政治家 は、 ルソ ー の 民約論の 心醉 者で あつ 

た。 然り、 紗く とも 初期の 議會に 議席 を 有すろ 攻治 家の 大 

半 は 民約論の 心醉 者で なければ ならなかった。 而 して、 彼 

等 は 唯 要するに 民約論の 心醉 者で あるに 過ぎなかった。 彼 

等の 胸に 響き渡る もの は、 唯 民約論の 中に 輝いて ろる 抽象 

的 文字に 過ぎなかった。 

11 然ら すん ば 彼等 は 民約論 ケ 謳歌し、 讃美す る當 の { 仝 

氣の 中に、 涵り醉 てるろ 人々 であった。 感激に 感激した 彼 

等が 相 率 ひて 攻 治の 事 實 問題に 逢着す ろ 時、 44 處に 驚く ベ 

5 き鍩 誤の 生す ろの は. む を 得ない 事で ある。 



11 此 間の 消息 は 日本の-政 黨 政治 發達 史上の あらゆる 頁が 

之 を 物語て ゐる。 

而 して 眞實 なる 民人の 要求 を 基礎と して、 民人の 力に 依 

て 建設せられ なかった、 大日 本の 立憲 攻 治が 大 いなる 試練 

を受 くるの 時、 受けなければ ならない 時 は 竞に來 た。 日本 

の玫 治に 氣實の 生命が 吹. 込まれ、 事 15 進展 を 左右す る哲 

理. か 日本の 攻治を 導く 時 は 竞に來 た。 —— 國 民す,, へ しの 心 

に 湧 起る 要求が それで ある。 B 本の 國家 を取卷 いて 渦卷き 

流れてゐる世界-,^§の奔騰かそれでぁる。 




普: f 選搫を 要求す る聲は 今日 ョ本 全國を 覆ひ盡 して ゐ 

る。 或^は 口 を 以て: i じ、 或る 者 は 紙に 依て 論す る" 或る 

者は聲 無く 文字 無き 心の 叫びに 依て 之を唱 ふる。 11 民人 

が 其 政治的 理想 に 眼 醒めて 來た 證據は 明に 此聲の 中に 發見 

する 事. か出来ろ ではない か。 

然し 乍ら、 此 叫びに 追隨 して、 種々なる實際運動に從^5- 

しつ. - あろ 者. か 如何な ろ 基礎に 立て • お 何なる 見地から 之 

を 論述し、 之 を 唱導し つ、 あるかと いふ 事 を 甲 5 ふ^に-九 C 等 

は. BJ ら疑 無き を 得ない 者で ある。 尠くとも、 普通 選舉 運動 

の 先覺者 11 若しくは 之に 附隨 する 人々、 11 彼等に 果し 



ふ て此 要求の 聲の 背後 に-存在し てゐる デモ クラシ I の 思想 に 

對 する 正しき 理解が ある-か。 現在に 於け る 彼等の 一 舉 一 

動、 11 並びに 彼等の 過去の 首 動 は 明に 之と 正反對 の證據 

を 示しつ >- あるで はない か。 

嘗て 日本に 於て、 普通 選舉が 大多数 を 以て 衆議院の 門 を 

潜った 事が あった。 その 時、 議院に 席 を 有して ゐた大 多 敬 

の 人々 は 普?^ 選舉の 賛成者であった。 然 らば 彼等が.^ 何な 

る 哲舉的 基礎に 立て 普通 選舉に 賛成した か。 11 この 滑稽 

なろ 質問に 封す る 最も 明快なる 答 は 日本 現在の 攻黨其 者で 

めら。 11 普通 i3 卑か實 施さる、 事に 依て 全く 其 地位 を 失 

ふべき 日本 現在の 政治家 其 者で ある。 彼等が、 普通 選舉と 

いふ 文 卞に對 して 全然 無智であった 事が、 彼等の 普通 選舉 

賛成 案と なって: i はれた。 然り、 而 して、 現在の 攻治家 

が, 普通 選雖 とい ふ 文字に 幻惑され て II 動し つ. - あろ 姿態 

は、 往年 大多数 を 以て 此 議案 をして 下院 S 門 を 通過せ しめ 

た 老政治家の 言動と 何等の 異る 所が 無い。 而 して、 ^し假 

りに 普通 選舉 案が 往年.^ 等しく 下院の 門 を 潜る 事 あ" とす 

る も、 この 議案の 有する 運命 は、 往年 「新の. S き 不詳なる 問 

超 を 再び 我が 貴族院の 門に 入らし むる 事 勿れ」, と 言て 責族 

院に 於て 满提 一 致 を 以て き 出された 運命と 全く 同 一 の も 

ので あるに 相違ない。 



四、 

今や 日本の 政治 は 一 つの 哲擧を 要求し つ、 ある。 11 日 

本の 立憲政治 か 外れた る ボタ ンの 運命から^;: て 正しき 歩 

み を 運ばなければ ならない!. が 今來 つ. - あろ。 而 して、 私 

達 仍 翼實な る 日本 ケ產む ベ き產 婆た る ベ きもの は 普通 選舉 

であらねば ならぬ" -然 り、 ソ ー シ アル、 デェ クラシ— に 依 

て 導かれ、 ソ ー シ アル デモ クラシ ー を 基礎と したる 普通 選 

舉 S 實現 であらねば ならぬ。 

世界 思潮 は 驚くべき 勢 を 以て 日本の 周 園に 迫り つ.' あ 

る。 吾等が 此 潮流の 間に 介在して 暴實 なる 日本 を 造 就す る 

事が如何に闲難なる而して危險なる事業でぁる^95-とぃふ事 

にね ^ 到す ろ 時 1 自ら爲攻者としての貴任の重且大なる-^!-を 

感ぜざる を 得ない。 

泡沫の.^ く 普通 選攀、 S 動の 感激に 醉てゐ る 人々 —— 徒ら 

に 抽象的 名 辭に囚 はれて 動いて るら 人力 1. 其 等 はすべ て 

過去の 遺物て あろ。 それ 等の 人々 に 依て は斷 じて、 眞 一. 貧な 

る 日本 は 生れない。 それ 等の 人々 が盡く 一 つの sna- 的 理想 

に 1* かれて 力強 歩み を 運ぶ 時 • 眞實 なる 日本の 光榮は 太陽 

と共に 光り輝く であら 



五、 

普通 選 舉の實 我. か-' ソ ー シ アル、 デモ クラシ— の 主張 を 

基礎と して 爲 さる >r 以丄、 其、 實现と 時 を 同 ふして 當然來 る 

,べき もの は ts^ 働 組合で あらねば ならぬ。 普通 選 舉と勞 働 組 

合と は戏 在の 日本に 於て、 ソ I シ アル、 デモ クラシ I を完 

成す ろ 第 一 步 でなければ ならぬ。 

日 木に 於け ろ勞働 組合の 達成 を 沮害し つ 、あった ものが 

治安 錄3¥ 法で ある 事 は 何人も 異例の 無い 所で あらう。 勞働 

者が 自己の 抂 屈した る權利 を:!: 暢 せんがた めに * 資本家に 

對抗 する 機關 として, 當然 必然に 存在せ ざる 可らざる 勞働 

組合が 保安 條 例の 變形 た る 治安 法 に侬て 縛られて るる 

とい ふ 事 は洵に 滑稽なる 事, v 言 はなければ ならない。 

無攻府 主義者の 一 派 は、 勞働 運動 を 以て 經濟 運動の すべ 

てで あると 存し、 總 同盟 罷ェを 以て 第四階級 民 s 權利 獲お 

運動の 第一 に 数へ てるる。 然し 乍ら * 政治 牛- 活に 向て 働く 

人間の 文化的 要求 は斷 じて 新の.^ き 偏頗なる 考 へ の 存在 を 

許さない。 若し 現在 をより 蕃く する 運動で あろなら ば 政治 

運動た ると 經濟 運動た ると は 問 ふ 所で 無い。 現に 經濟 運動 

の 端的な ろ 失敗の 實例は ロシアの 革命 か. e 實に之 を 物語て 

ゐろ では 無い 乎。 彼等が 其經濟 運動み- 爲 すに 當て、 政權獲 



悍と いふ 事 を 第 一 の 眼目と した 事 は 何が ため である 乎。 

— ソ I シ アル デモ クラ シ I の 要求 は 政治 運動 を 行 ふ 事に 

依て 經濟 生活の 進化 發展を 期す る 所に あろ。 而 して、 現在 

日本に 於け る 其 最大の 而し て 最善の 運動 は、 普通 選 舉の獲 

得に 向ての 國民 各自の 力で ある。 

然ゎ、 而 して. 其 51 民 各自の 努力 は、 第四階級 を 肯定す 

る 理論 から 定る i もので 無い 以上 斷じ てお 力なろ 運動と 爲 

ろ 事 は出來 ない ご 

吾等 は 日本の 思想家、 並びに 政治家が 盡く此 見地に 立て 

國民 を. 指導し、 啓發 せん 事 を 希望す る 者で ある。 若し 此舉 

理的 基礎 を 離れて 叫ばる、 ものが あるな ふば、 それ は く 

資本 閥の 起す 疏妄 の聲 である. - 而 して、 新の. g きもの は 吾 

等の 全力 を舉 け て反對 する 所で ある。 

「普通 選 舉權尙 早 論, r 選 皋擴張 論」 11 新の 如き もの は 十 

J 几 S 紀の遣 物で ある。 縱令 如何なる 理想の 下に、 何なる 

主 袋の 下に 之が 叫ばろ.' としても • する に、 時代 を 離れ 

た、 酰き 暴^に 過ぎ 無い。 吾等 は 唯、 國 民の 胸から 胸に 傳 

はって 起つ.;: 攻治的 要求に 一つの 統一 と、 秩序と、 而 して 

哲舉 とを與 ふる 事み 以て 新ら しき 日本 を 創建す ろ 唯一 > 

1 一の 方法で あると 信す る。 若し 日本の 政治家が 此 理想 を拋 

ち 若しくは 之 を 隔離して 徒らに Is^ 動す るなら. は、 正しき 穴 



2 



へ 入らん とする ボタンの 要求 は、 或は 恐るべき 流血の 悲慘 と共に 生ろ、。 而 して、 普通 選 絲の實 現と 同 it 



事に なって 顯 はれる かも 知れない。 吾等 は 新の. g き 事を最 

も 忌み 懺 る.. 者で ある。 * 實 なる 日本 は 正しき 指導者に 依 

て其步 調み 正しくして 進む 可き である。 - 向して、 幸福と 光 

榮の 中に 國民 各自の 努力 を 文化的 發展の 方向に 向て 續 けし 

むべき である。 資本家^の 沒落、 富豪 農民 黨の 衰頹 11 然 

り、 而 して ion 僚、 軍閥の 倒壊 是 等の 事 實は 普通 選 舉の實 現 



ソ I シァ 

ルデ モク ラシ I の實 ^である。 ブ ルヂョ ァ 階級の 優越と、 

第四階級 民の 優越, この 結合 統 一 すろ 所に * 實 なら 文化の 所 

產が ある。 而 して、 結合 統一 は當然 必然に 階級 鬪爭を 第 

1 條件 とすろ。 然り、 而 して 此 階級 鬪爭の 正しき ブ ロセス 

は 普通 選舉 によって 開かる。 



吾等 は 到 慮に 改革の 必要 を認む 



森 



私 は、 日本の あらゆる 社會を 通じて, 根本的 改革の 必要 

を認 むる ものである。 現代 日本の 制度、 組織 は總 ての 意味 

に 於て、 日本 をして 眞に 自由な ろ發 展を爲 さしむ る 途を塞 

いで ゐ ると 言 ふ 事が 出來 る。 而 して、 制度、 組織の 改善と 

共に、 あらゆる 事物に 對 する 所謂 識者の 批判の 錯誤に 到て 

は 最も 端的に 眞實 なる 日本 を 造 就す る途を 塞いで るる。 一 



私 は 今 其、 も 極端なる 例と して、 支那に 關 する 問題 を舉 

ぐろ。 11 私 は 自ら 支那に 事業 を 有し、 且 常に 支那に 居住 

すろ 者で あるが 故に、 支 都 問題に 關 する 我國 朝野の 人士の 

思想、 感情、 並びに 言動に 就て 頗る 誤れる もの 多き 事 を 痛 

感 する 者で あろ。 

我 國の玫 治 家、 操觚 業者, 或は 實業 家、 く 口 を 開け 

ば、 我國の 現在 並びに 將來は 支那より 物資の 供給 を 仰ぐ 必 

要 ある 事 を 論じ、 所謂 支 Si の 門 戶 開放 を 以て、 我國、 國是の 



1 とする 事に 異諭 ある 者 は 一 人 も 無い 樣 である。 

而 して、 又 支那の 門戶 開放 は、 我 傳來の 主張であって、 

今日に 於て は 殆んど 不文の 國是 となって ゐる。 恐らく、 如 

何なる 種類の 人と 雖も 門戸 開放の 實 行して 居られない 事 

に 疑 を 抱く 者の 無い 程に, 習慣 的 熱 語と なって るる。 

然るに も關ら す、 事實は 全く 之と 異り、 支那 は あらゆる 

方面に 極端な ろ門戶 閉鎖の 實を 示し、 其 法律、 制度 習慣す 

ベて 閉鎖 主義の 實行を 示して ゐる。 此處に 於て 乎 自ら 各方 

面に 於て 衝突 を 惹起す るので ある" 

1 一、 

我國 朝野の 人. H は、, 支那の 門戸 は 開放すべき ものである 

と爲 し、 宵 民 共に 我國 人の 支那に 於け る 發展を 希望し、 a 

つ 之 を獎勵 しつ、 ある。 斯の. a く、 一方に 於て 支那の 極端 

な ろ 門戶 閉鎖 を 默認す るが ため に 、 自ら 兩 者の 間 に は 衝突 

を \%れ る 事. か出來 ない 樣な狀 態であって、 若し 現在の. g く 

に 支那の 門戸 閉鎖 を默認 すろ ならば、 我國 人の 支那 開發に 

從事 する 者 を總て 抑止す る 必要が あらと 言なければ ならな 

、 

レ 

又、 支那の 門戸 を 開放す る 事 を 必要と するならば、 先づ 

支那 閉鎖 的 法律制度 を 撤麼し 開放 的に 之 を 改造せ しむる 必 



要が ある。 新の 如くす る 時 は、 兩 者の 間に 何等の 矛盾 も 起 

る 事無くして、 總て. か 圓満に 解決 せらるべき 害で ある。 然 

ろに 現在に 於て は 口に 門戶 解放 を唱へ 乍ら、 事實は 支那の 

閉鎖 主観 を 認容して 此 根本の 問題に 關 し 特殊の 努力 を 試み 

てゐる 事實を 認めな、:.。 

然 らば、 支那 問題 は斯 の. a き 不徹底な ろ狀 態に 於て 満足 

する 事の 出來る ものである 乎。 否 乎。 此點に 於て 吾人 は 直 

ちに 其方 針 を 改める 必要 あら 事 を 11 感 する 者で ある。 

日本 政府 は 支那 攻府 を煖 助す る 目的 を 以て 支那の 各方 面 

に、 顧問と して §: ぐべき 人物 を 推薦し つ >- ある。 然 らば、 

お 何に して 其 人物 を 推薦し つ, ある 乎と 言 へ ば, 實に 驚く 

に堪 〈たろ もの、 ある 事 を目搫 する。 吾人の 見地 を 以てす 

れば、 新の 如き 場合に 於て は、 我が 内地に 於ても、 最も 推 

服す るに 足るべき 技俩、 人格、 並びに 經驗を 具有す る 人物 

を推舉 すべ きが 當然 であると 信す るに も閼ら す、 政府 當局 

者の 爲す所 を 見る に- 往々 にして 全く. NJ と 正反對 なる 事實 

な目擊 する。 例へば * 免職され た. る 古き 宫 吏、 或は、 內 地に 

於て 極端な ろ 批難 攻搫の 中心と なりつ、 ある 底の 人物、 或 

は 其 技俩に 於ても 能力に 於ても 斷 じて 優秀と 目す る 能 は ざ 

る 人物 を、 推擧 しつ > "ある。 而 して、 斩 のおき 人物 を推舉 

して 置き 乍ら、 是 等の 人物に 對 して 要求す る 俸給 其 他の 待 



遇 法 は 頗ろ大 である。 のみな f ,す、 自ら 斯 ろ- fe- 因 を 作成し 

て §151 きつ、、 支那の 改革 事業の 成績の 舉ら ない 事 を 船る 慨 

嘆して rO ろ。 然し 乍ら、 事 能-新の.^ しと すれば 之 を 慨嘆す 

る は 誤りであって, 改革の 行 はれざる は 寧ろ 當然 であろ と 

一 百 はなければ ならぬ。 』 




又、 日本の 實業 家, か展々 日 支經濟 連絡 を 口にする の を 耳 

にす ろ。 

思 ふに、 支那の 內地 は、 行政 f して • 安んじて 紫 を 起 

す 能 はざる 狀態 にある。 而 して 若し 事業 を 起し 得る 餘地ぁ 

りと すれば、 それ は 僅に 外國 人の 行政 下に 屬 する 地 內に限 

られ て. あると いふ 有樣 であろ。 

昔より、 攻 治の 素亂 腐敗した ろ 所に 事業の 起った 試め し 

は 無い。 事業が 起る を 以て 政治が 紊る、 に非卞 して、 政治 

が 完備す るが 故に、 經濟的 發展の 自由なる もの を認 むろ 事 

が出來 るので ある。 若し、 行政 素れ、 從て經 濟發展 の 望み 

無き 支^と、 經濟 連絡 を 保ち、 この 連絡に 依て 支那の 秩序 

を 維持せ しめんと する もの ありと せば、 K 一れ 明に 木末 頓倒 

の 議論で あると 言 はなければ ならぬ。 然 ろに 支那 內地 行攻 

紊亂の 改革に 向て は、 特殊の 方法 を講 する 事無くして • 羞 



に經濟 連絡 を 大呼し つ、 ある 資業 家の 心事に 到て は 洵に貢 

語 同斷と 1 マ 3 ふべき であろ。 

断の.^ き狀 能;」 あろに も 關 らす、 日本人 は 支那の 事業で 

あるが 故に、 特殊の 利益 を豫 期し、 或は 極端に 犠牲 を拂ふ 

を辭 せない。 

例へば • 今 曰 迄 日本 政府より 支那 政府に 借した る、 所謂 

對支借 欽の額 は實に 甚大なる ものである。 今 其 借 欽の條 件 

なる もの を 見る に、 名 は 支那 を 援助す る 事に る けれど 

も, 資は 勢力 扶植と いふ 事が 根本的 基礎 條件 となって 約定 

が 取 定められる。 而して^v!等の借欽の^途等に就ては,^t^.く 

無 主義 無 方針で ある。 尠くとも 此借欸 あるが ために、 大ぃ 

に支那改善に資したと思はれる樣な事實はー„!!^,,-無ぃ。 寧ろ 

断の 如き 借欸 あるが ために 支那の 攻 in を 誤らし めて ゐ ると 

言 ふべき である、 而 して、 此惜欵 も、 若し 日本 内 地の 財攻 

頗る 豐富 である. かために 其 餘りを 支那に 捨てた と 言 ふなら 

鬼に ifT、 日本 內 地に は 使用す ベ き 財力の 方途 甚だ 多き 

にも 關ら す、 之ケ 有用の 途 に用ゐ す、 反て 國 民の 懐より 絞 

り 取った 舍を 以て 全く 理由 無き 方面に 投 するとい ふに 到て 

は實に 矛盾 撞着の 極で ある。 例へば f の 供給が 年々 五 百 萬 

石 宛の 不足 を 示しつ、 あろに も關ら す、 政府と して は其不 

足 額 を外國 より 買 入れん とすろ 時に 當て其 資金 無き に 苦し 



み つ > あろと いふか, i き狀 怒で あろ。 

斩 の.^ き狀態 を自國 內に控 へて 置き 乍ら、 何 を 以て • 支 

那な ろが 故に 特殊の 條件を 以て を 借 さ る 可らざる 乎。 

吾等には全く^4理由を了解する事か出-乂なぃ。 

斯の 如き^ 寳に對 して 吾人 は 其 根本的 改善の 痛切に 必耍 

なる 事 を 感ずろ 者で あるつ 

四、 

更に、 支那に 於け る 日本人の 生活 狀您ヶ 見る に、 其 大半 

は 支那の 語舉、 習^ 並びに 其 風の 研究 を 4,1! り, 進んで 支那 

人と 接し、 支那の 風土に 親しむ る を 爲す者 は 極めて 少ぃ。 

之 を 彼等の 日常生活より 判す ろ 時 は、 彼等 は 恰も 支那に 對 

して 何等 S 希望 も 目的 も 有しない ものである. S く 見 ゆるけ 

れ ども、 一 度び 口 を 彼等に 問 へ ば く 其 目的 を 支那に 有し 

てゐ ろと 爲 して ゐ る。 而 して 是 等の 人々 の 大多數 は 人生の 

中心 時代と も 言 ふべき 廿才 より 四十 才に 到らん とする 强壯 

の 何年 か を 支那に 費して るろ 人々 である。 斯の 如き 事實も 

吾等の 大いに K 立 ふる 所であって、 出來? へ くんば 此 種の 人 

々をして 不徹底な ろ 思想の 下 に 日 を 送らし む ろ 事無く、 一 

3 も 早く、 眞直 なる 國家的 想に 醒めし めなければ ならぬ 

^ と 信す る。 



五、 

吾等が 會 々 €: 地に 歸るゃ 、進ん で 東京 市の 狀恶を 見 る に - 

1 方に 於て 文明 交通 機 關の發 達 を 希望し、 自働 車の. B きも 

の * 發展 を獎勵 してる ろと 同時に、 顧みて 町の 狀態を 見る 

ならば- 自働 車の 如き ものが 到底 發展 する 事の 出來 ない 樣 

な 狀能亍 で 形成して ゐる。 

又、 年々 各 政黨の 政綱 や、 常に 支那 問題 を 叫び、 或は 行 

攻 整理 を唱 へ 、 其 他の 百般の 事物に 對 すろ 主義 主張 を 恰も 

年屮 行事のお く 繰 返す と^も、 是等を 口にする 人々 の 間に 

果して 綿密なる 研究が 遂 ゆられつ. - ある 乎. - と ー;- 一 11 ふに 全く 

零で あ と 首 はなければ ならぬ。 

依是觀 之、 あらゆる 方面に、 理想と 實 際との 間に 大きな 

衝突の あるの を發 見す る 者で ある。 之 を 約 首 す れば萬 事が 

不徹底の 中に 彷徨して ゐる。 個人 經濟に 就て 見ろ も 終始 一 

致しない 生活 を績 けて ゐる樣 な有樣 である。 

新の.^. き狀 能-の-下に 國家を 故 S してお いで 而 して 猶且國 

家の 安全 か 保- g されて るろ と考 ふる 事 は 如何にしても 出來 

ない。 我國 人、 n を 開けば 必す 常に 一 等 國と言 ふけれ ど 

も, 今日の 平和 會議 は、 1!^ 憾 無く 1 一等 國 の事資 を 曙 露して 

みろ でね ないか。 吾人 は此 一 事に 想 倒す ろ i 母に 畳懼の 念禁 



46 



する 能 は ざろ もの. か あるので ある。 

王政 維新 當時 日本の 文物が 歐洲の 文物より 週れ てるた 程 

度よりも、 今日の 日本の 百般の 事物が 歐洲の それに 比して 

遲れ てるる。 程度の 方. か遙 かに 大きい と 思 はれ る 程で あ 

る。 閗 くが 如くん ば 維新 改革 後の 我國人 はこの 遲れ る 文 

民主主義 史論 

序と いふ もの は、 後に 書いて 前に 載せる もので ありま 

す。 この 私の 序文 は、 先ぎ に 書いて 先き に 載せます。 私ね 

「民主主義 史論」 を 書く 前に この 序文 を 書きます。 

私が 民主主義 史論 を 書いて 見ようと 思った、 】 と は、 もう 

1 昨年 あたりからの ことです。 この 私の 宿志 は、 私の 思想 

の 未 熱で あろ こと、 材料の 乏し い ことの 二つの 理由に よ 

つて、 た > 時 々思 ひ して は 書いて ようと 考 へる だけで 

あり、 さう して 書く ことので きないのに 殘念 かるため の 働 

きし かして くれなかった ものであります。 



物の 改造の ために 努力 到らざる なき 有樣 であった と 言 はれ 

てるる。 然り、 而 して 今日の 我 日本人 も 我等の 祖先に 劣ら 

ざるべき 勇 氣と眞 面目と を 以て、. 世界の 大勢に 順應 して 國 

家の 安全な ろ發 展を朗 する is^ に 資せなければ ならない。 是 

れ 吾等が 各種の 點に 就て 改革の 必要 を 叫ぶ 所以で あろ。 

の 序 

今日に おいても • 思 相-) の 未熟で ある こと は 依然として 舊 

のと ほりで ある。 その 材料の 乏しい こと も侬 然として 舊の 

とほり である。 けれど.^ 私 は その { 伯 志 を 捨てる こと はでき 

ない。 できる かで きない か はこれ から 後の 問題で ある。 鬼 

に 角 書いて 見よ- リと いふよう な 曖昧な 诀 心と 用意と を もつ 

て 私 は, J の 大膽な 事業に 取り か ります。 さう いふ 次第 だ 

から 何時 如何な ろ 故障が 起る かも 却れ ない。 序論 だけで 中 

止になる かも 知れない。 半分 位 ひで 止めになる、 R も 知れな 

い。 ;S 途の こと は 私-にも 一 混沌と して 何が 何やら 分らな 

い。 た > 私の 心に は、 この 事業に 力を入れて 見たい とい ふ 

刺激. か 燃 ゆろ ように 盛んであります。 私 は その 刺激の ま. - 

に 動きます。 



□ 

私の 承知して るる 範圍 では、 この種の 著述 は 日本に は 無, 

論ない。 西洋に もこれ といん ものがない。 それ ゆへ に 私 は 一 

私自身の もの を 生み出さなくて はならぬ。 私に とって は 重 

荷で あらう。 けれども また 私 は 思 ふ。 その 仕事 は 何人に よ 一 

つてよ め も、 私に とって 最も 適當 した 仕事で はない かと。 

私 はこの 心 を もって 書きます。 私の 事業の 第 一 步 として 一 

, J の 民主 主 装 史論 の 著述に 向って 進みます。 さう 考へ たこ 一 

とだけ でも、 私に とって は 自己満足 を感ん じます。 だから 一 

この 仕事 は 私に 適した 仕事で あると いへ ます。 

私の 書 f J うとす ろ もの は、 た > 材料の 整頓と いふ ことで 

はない。 歴史 を 通じて、 民主主義の 氣實 なる 姿、 さう して 

精祌を 見ようと すろ ことであります。 た > それだけ であり 

ます。 それゅへに私の^^集する。 材料と は、 書物の 頁数 を 

厚く する ための 材料で もな く、 博士論文の それの ように、 一 

成ろ ベく 世間の 人の 知らない こと を 探り だす、 〕 と でもな 一 

く、 また 民主 主 殺と 民本主義との 使 ひ 分け をす るた めの 方 一 

便と して 5> もない。 

私 は 正直で ありたい。 私 は 何時までも 小 供の 心で ありた 



い。 私 は 民主主義の 歴史の 進化の 各階 段に ついては、 注意 

深い 研究者の 態度 を もって 見ます。 そ S 注意深い とい ふこ 

と は 民主主義に ついての 斷片を 集す る ことで はなく し 

て、 その 精神み-奥深き ところに 探り 求めろ ことで ある。 

それ ゆへ に 私の 書こうと する もの は、 民主 主 殺 史論と い 

ふより は, 或は 民主主義 論と いった ことの 適當 であるか も 

知れない J そんな 場合 も あらう。 けれども 私の 考へ では、 

民主 主载: f;l は 民主 主 鼓 史論 そのもの であるべ く、 民主主義 

史論 もまた 民主 主 袋 論 そのもので ありたい。 この 一 一の つも 

の は 叙事の 順序と 組織と を 異にする 場合 も あらう。 けれど 

も それ はた > 方法 S 異 ひであります。 

歴史 を 離れて 民主主義 は あ り -乂 ない、」 離 れ た もの. か あ る 

とすれば、 それ はた,. t 僞 りの 民主主義 である。 眞實の 民主 

主義 は 歴史と ともに 生れます。 歴中: とともに 成長し ます。 

さう して 歴史と ともに われ/ 、の兮 口の 生活 を 導いて ゆく 

ものであります。 それ故に 民主主義 の 硏究 は 民主主義 史論 

の硏究 でなくて はならない。 また 民主主義 史論 は、 民主 主 

義 そのものの 研究でなくて はならない。 



00 事寳を 如何に 多く 列べ て 見ても、 そこに 歴史 は 生れて こ 

ない。 歴史と は 材料の 陳列で はなく して、 人類 進化 體 系の 

探求であります。 民主主義 史5_1| と は 民主主義 を 表現すべき 

事實の 陳列で はなく して、 その 進化と 創造の 體 系で ありま 

す。 

□ 

それ故に 民主主義 史論に おいて 必要で あろ こと は, 部分 

部分の 材 St を說 明す る ことで はなく して * 令- 體 系に ついて 

の 精神と その 全體 系の 進化の 各階 ST か、 全體 系に おいて 有 

する 地位と、 その 各 時代に おいて 有する 地位と を、 厳 li に 

反省し、 研究し 、思索し 體現 する ことでなくて はならない。 

民主主義と は 何んで あるかと いふ 問題 は、 決して 一 c? に 

いふ ことので きる もので はない。 それ は 民主 +fl 義 史論の 全 

卷を 通じてでなくて は 分ろ もので はない。 その 全卷. か 終つ 

たと きに 初めて 民主主義と は 何もので あろ かとい ふこと が 

分って きます。 分って くる 箸です。 けれども それ もた *>t 分 

つてく ろ笞 だとい ふまでの ことです。 分らない かも 知れな 

い。 また 分らない とい ふの 方が より 多く 正しい かも 知れな 

、 





民主主義 は 歴史と ともに 始まる ものである .11 私 はこ、 フ 

述べて 置きました。 けれども 歴史と ともに とい ふより は、 

人間と とらに とい ふことの 方-か 正しい と 思 ひます。 私の 今 

まこの 序論 を 害, 】 うとす 乙 時し、 私の 頭に 浮んで. ると こ 

ろで は、 民主 主 幾 は 人間と ともに 始まります。 或は 人間 以 

前から 始まって るるとした、 J との 方が 正しい か も 知れな 

い。 けれども 生物 舉 にまで 立 入る こと は、 私の 研究の 範園 

を * 私の 能力 を 超えて 廣く する ことで あろ。 私 はた 5- 人 Si 

の 生活に ついて だけ 考察し ます。 (lem ミ とい ふ 文字から 

いっても その 方 か 正しい かと も ひます。 正しい とい ふこ 

とかで きないに しても 私に は その 方. か 便利で も あり、 また 

私の 能力の 範園 では その 方が より 多く 確實 でも ある、 

n 

私 は 民主主義と 貴族 主義 または 君主 主義と を比铰 して、 

民主主義の 卓越 は 量- S 卓越で あると は 思 はない。 質の 卓越 

であると 思 ふ。 私の 考へ では、 民主主義と は、 た > 多數者 

の 支配と い ふ , .} とで はない。 多數 者の 支配と い ふ , ?とは • 

その 裏面に は 少数者の 被 支配と いふ ことかあります。 それ 

は 最大 多数の 最大 幸福 說が 成りた 、 な い 以上 は、 , 〕れ を 正 

しい ことで あると 申す、 】 と はでき ない。 

□ 



1 面に おいて 征服者;? - あり、 他面に おいて 被 1^ 服 者が あ 

ると すれば、 その 征服者と 被 征服者との 數の 割合が ど、.' あ 

らラ とも • その 間に 不自由と いふ ことか あり、 不平等と い 

ふ ことがあり、 强 制と いふ ことがあり、 屈從 とい ふことの 

ある ことで あるから、 これ を 民主主義 とい ふこと はでき な 

い。 その 關係 は、 征服者の 數. か 被 征服者に 比べて 量的 優越 

を 示して ゐる にした ところで 同じ ことで ある。 その 量的 優 

越と いふ こと は、 征服者の 多い こと、 從 つて タイ ラン トの 

多い こと ふ-な § 味 すろ に過ぎない。 また. それと ともに 被 征服 

者の 側が 如何に 偽 ましい 不自由の 狀能 であろ かとい ふこと 

を 物語って ゐ るも^ であるに 過 ぎ な い 。 

1 主藉 についての ある 書物のう ちに こラ いふ 話が 書い 

てあります。 小 供が 玩具 を もって 遊んで るた。 お母さんが 

臺 所から そ S 小 供の 名 を 呼びます。 幾度も^ びます。 その 

小 供 は 玩具に 氣を とられて ゐて 返事 もしない。 お母さんが 

怒って その la 具み-取り 上け てし まいました。 甞 II からこの 

樣子を 見て ゐた お父さん. かいきな り 「泥棒!」 と 叫んだ。 

11 玩具 は どこまでも 小 供の 玩具で ある。 それ を 買って や 

つた ものが 誰れ であらう と、 與 へられた 以上 は 小 供の もの 

4 でなくて はならない。 その 小 供の もの を 取り あけた からに 



は 泥棒で ある。 こう 書いて あります。 

誰れ が 取り あけ U にしても 泥棒であります。 その 玩具が 

お母さんの 手に 人る 正しい 方法 は、 た > 小 供の 手から 與へ 

ちれた 時に 限ります。 

何人が 征-, しても 征服で ある ことに 變り はない。 征服と 

は楚 ふべ からざる もの を; お ふこ, - であります。 然り、 民主 

主義 を 奪 ふこと であります。 民主 主雜 は^ふべ か ら さる も 

のであります。 

民主 主教 は 凡ての 人に 與 へられました。 凡ての 人に 同樣 

に 且つ: 牛 等に 與 へられました。 -:u から 民主主義 は 如何なる 

一 人から も 奪 ひとら、 フ とする 人 i ! 卑しと せらる >- 人に お 

いて こそ 眞の 民主主^の 自覺 かあります。 卑しと せらる 、 

人 一 M」 眞に い 人であります。 

民主 主穀は 決して 馬車の 轍と ともに くる もので はない。 

それ は 車の 舵捧 と. こもに き 一一る も 「であります。 貴族、 J そ 

卑しき もので あ.,, ます。 Si ねば^る ほど 見 憎き もので あり 

ます。 

. □ 



50 



「白堊 綰の 大統領と ブロ. - ドゥエ一の 人足との 遠 ひ は、 遠 

ひとい ふ ほどの ことで はない た 5- 職務の 逮ひ であろ」 一 I 

ワルト ォヰッ ト* マ ン. かさ っ^^^-ってゐます。 

私 は 純真な ものと しての 民主主義 を 見ます。 民主主義と 

は 私に はた 美しき ものである として 見えます。 美しき も 

ので あると いふ こと は、 天上の ものである として V はな 

く、 地上の ものと して、 われ 等の ものと して、 われ 等の 全 

人類の ものと して さう 考 へ るので す。 

私 はこの 美しい もの を 怖へ ようとす る 時の 心持ち を もつ 

て 私の 民主主義 史論 を 害き ます。 さう いふ 想像のう ちに 私 

自身 —— 醜く 私自身 を も 美しく する ことができます。 凡て 

の 人 は、 美しき もの を 心に 畫く 時に その 心 を 美しく すろ こ 

とがで きます。 私 は 民主主義 について 想像に 耽って ゐる時 

に、 私自身 を 純白な ものと すろ ことができます。 私に とつ 

て は、 民主主義と は眞 善美 そのものであります。 

それ は 決して 敎 へられる ことによって 與 へられる もので 

はない。 人間の instinct であります。 moral instinct であ 

ります 。奪 ふことの できない as^ 美です。 だから 民主主義と 



は 造られた も. S ではなく, また 從 つて 虚 IS であ "えない。 

ありの ま * の 人間の 生活で あり, 本能で あり、 刺激で あ 

り、 營養 であり、 赤裸々 の であり. ます。 それ は シルク 

ハット も 被って はこない。 ダイヤモンドの 頸飾り もして は 

るない。 彼れ その ま、 である。 彼れ その ま >- を 主張し ま 

す。 彼れ その ま. -を もって 牛;^ を 主張す る もので あろ。 だ 

から 彼れ は 決して 减び ると いふ ことがありえない。 

彼れ は 人間の 集合と いふ ことで もな く、 革命で もな く、 

暴動で もな く、 多数決で もな く、 代議 攻體 でもな く、 立法 

部で もな く、.. チ ユリ ー でもな く、 た 5f スピリット であり、 ま 

た アト モス フヰァ であります。 これ を 探り、 これ を 怖へ る 

こと は、 何 ごとよりも 容易の ことで あり、 また 何 ごとより 

も 六 かしい ことであります 

それ は 公文書に おいてより は、 人々 の會 話のう ちに i 仆在 

します。 攻治 家の 雄 辯に おいてよ" は 一失 望の 夜明け」 を 

カなく歩ぃてゅく勞働者の!^りのなぃ會話のぅちに見ぇて 

ゐ ます。 會 話と は 「自然の 演說」 であります。 キ プリング 

の 詩、 P1 ゥヱ ルの對 話の S ちに 民主主義の 精神が 流れて 

ゐ ます。 



□ 

ダリ I ンが 英國の 歴史に ついて 述べ てゐる こと は 真理で 

ある。 英國の 歴史と はた >國 王 や 戰爭の 歴史で はない。 そ 

れは 人民の 苦愫と 艱難と、 その 質實な 成果と である』 と。 

^界の 歴史、 人類の 歴史、 凡ての 民族の 歴史 はみ な 「人民 

の 苦慘と 艱難と その 質實な 成果」 とであります。 然れ, 人 

類の 歴史 は 貴族 や 英雄 や 戰爭の 歴史で はなく して 民主主義 

の 流れであります。 

その 流れに 掉 して ゆく ことが 私の 民主主義 史論の 唯 だ 一 

つの 事業て あります。 ,ての 流れのう ちに、 私 は 民主主義の 

*實な精神を^^へ ることを期します。 民主主義 を 私 身自の 

うちに 體 現し、 私自身 を 民主主義 のうちに 吸收 させる こと 

が 私の 心の 願 ひです。 (室 伏 生) (大正 八 年 1 一月 十五 日) 



普通 選擧 運動の 人々 

為 日本に 於け る 普通 選舉 運動の 歴史 は 可成り に 古い もので 

ある。 11 而 して 其 最も 古い 思想 上の mit は、 ルソ ー の 天 

5 賦人權 論で ある。 だから、 自由 黨 時代の そもそもから 普通 



選舉 とい ふ 文字. か 政治家の 問に 持 嘴 さ;; てるた 事 は 事實で 

ある" 然し 乍ら、 天賦 人榴 論が 普通 選舉 の哲舉 であった 時 

代 は、 あまり 長く は續 かなかった。 —— けれども、 それ は 

唯 天賦 人權 論の 誤 護が 指摘せられ たに 止て ゐて, 普通 選 ,ド 

は 其 儘、 引績 き呼號 されて 來た。 巾 江 兆民 は先づ E: 取 初に 於 

け る の 宣 傅 者と して 當然攀 け ら るべき 人で ある。 然 

し 中 江 兆民 は 直接に 普通 選 舉の宣 傳者 でもなければ、 又 運 

動 者で も 無 い ゥ 彼 は 唯單に 普通 選舉 運動 を 産み 出 す ベ き 機 

會を與 ふるに 有力なる 思想の 持主 に 過ぎな かった。 

選 舉に對 する 要求の 聲が 無邪氣 に、 奔放に 叫 はれ 

た 時代 は 何と 言ても; $s 自由 黨の 全盛時代であった。 先頃 曰 

比 谷^ 中 央亭で 納 稅 資格 撤廢同 g 皿會 の 席上に 於て 座長に 推 

摩された 白 髯 の 河 野廣仲 翁の 如き も此ー 一十 年 前 の 昔から 

普通 選舉の 唱^ 者であった。 —— 注 年の 彼が 常に ルソ I の 

ソ ー シァ, y コントラクト を 懐中から 離さなかった とい ふ 

事を閗 くと 聊か 滑稽な 感じ かする" 今の 憲政 會の老 將藤澤 

幾 之 輔等も 亦 地方に 於け ろ 普通 選舉 運動の 戰士 であった。 

と 聞く と 何となく 異樣な 感じが すろ 程で ある。 

4大 井 憲太郞 、松 本 君 平、 旣に 人民 黨の 過去帳の 中に 葬り 

立ら れた是 等の 名前 は 普通 選 舉の實 際 運動の 歴史に^ を染 

むる 者の 何と 言ても 見 遁す能 は ざろ ものである。 大井憲 太 



52 



郞 ^本 flu; 平 並びに 少し 遲れて 先頃 巢鴨 病院で 死んだ 日向 輝 

武氏 等に 依て 造られた 普通 選舉 同盟 會は 徒らに 年月の 長き 

を 誇ろ に 止て 十数 年の 間、 是と いふべき 運動 もして ゐ ない。 

而 して、 時代の 近代 は 注 年に 於け る 新 思想の 持主で あつ 

た 彼等 をして 見事に 普通 選舉 の幽靈 にして しまった。 然 

り、 普通 選舉 の幽靈 彼等に 加 へ ら るべ き 譜辭は 最早 之 以上 

を 出 で なくなって しまった。 11 今 や せ::!^;?:!板休!^睦軍騎兵 

大佐 西 本 國之輔 氏の 門柱 を 飾て ゐろ。 

▲ S3 近に 於て、 普通 選舉 運動と して 特に 記すべき 理由 を 

有する もの は 靑年學 生の 運動で あろ。 明治 1 一十 年から 三 七 

年に 一旦る、 東京の 靑年舉 生の 運動と いふ もの は 黉 に 旺なも 

のであった。 而 して、 此 運動 を 促進せ しめ 原因た の 主要な 

る もの は 勿:?. 1、 《ぬ 時の 社 會狀您 に 相 遠ない けれども、 直接 

の 仔-味に 於て 彼等 を 刺戟 誘發 した もの は當 時に 於け る社會 

主義者であった。 化; 中に 我々 は、 安部磯雄、 片山 潜、 石 川 

三 四郞、 木 下尙江 等の 名を舉 ぐる 事が 出來 る。 而 して、 By 

等 S 人々 に 刺戟 せられて、 次第 に H 運動 を 社會 的に 擄大し 

て 來た围 |g は早稻 大舉に 於け る、 社會攻 策 舉 會 であつ.;, 3 

その 社^ 攻资 舉會の 代表者 は、 一 咋 年の 騒動::: 來稻門 を 

去て、 目下、 H 本 金 百 ー$圓 日本 國產 株式 會 社の 社長と なつ 

てるろ 一 代の 雄 辯 家、 永 井 柳 太 郎君で ある。 當時 運動. S 中 



に 人て 旺に 活動した 人々 は {a 柳秀 湖、 山田欣 一郎、 小 C 孤 

1- 等の 人々 である。 

▲ 其 中に 世界の 大勢が 一 變 した。 歐州 戰亂が 起った。 世 

界の 思潮 は 次第に デモ クラシ リ へ , —— デモ クラシ ー へ 、 

と 流れた。 斯 の.^ -き周 園の 狀 4.^5 にせき 立てられて 日本の 社 

會狀態 —— 日 木の 國民思 相. やか 激變 した 事 は 事 M である。 

11 此 1 1 三年 來、 普通 選舉耍 求の 勢 は 再び 千里の 鼓 を 煌き 

始めた。 大正 一 ハ年加 藤 時 次 郞氏を 中心として 出來た 普通 選 

舉 同盟 會 (^普通 選舉 同盟 會の變 形) は 先づ是 等の 新 運動 

の先驅 者と して 顯 はれた。 此 同盟 會の 運動 は、 たった I 回 

の ?妝說 すら 窓 の す る 所と な つ て 喑 から 喑に 葬ら 

れた。 —— その 理由と する 所 は: S 運動の 背後に 賣文社 を 中 

心と して 立てる 社會 主薬 者の 一 派が あると いふ 所 にあつ 

た。 同會の メンバ ァ は、 石 川 半 山、 森 ffl. 設^、 小 野 瀬 不一 一 

人、 それに 例の 大井、 松 本 等の 人、々 であった.^ 

▲ 爾後 一 年、 普通 選舉; 述 動は隨 所に 起り つ、 ある。 S 単獨 

で。 あらゆる 方法 を 以て 普通 E^t^ の 運動に 從事 しつ、 あな 

布施 辰洽 氏. I 近來 メ ツキ リ男 を舉 けて 來た黑 龍太郞 

氏、 更に 此實際 運動の 中心た らんと すろ 尾 崎 行 雄 氏、 是等 

の 名前 を 列記して 來 ろと 普通 選堆 も其實 現の 日 の あまり 遠 

くない 事 を泌々 感じさせ るい 



ss 



新 著 

批 評 



へ ン ダァゾ ン著 

「勞 働黨の 目的」 



r この 書物 は マ,. クナ • 力 ルタゃ 米 國獨立 宣言 のように 

clxjch-makillg の もので は ひ;^ いにして SIIJ も epoch-inarkiiig; な 

ものである』 I— これ はへ ンダァ ソンの 著書 「勞働 黨の目 

的」 について ァレキ サン ダァ • マッケン ド リツ クが 批評し 

た 言葉であります。 私 はこの 批評に 附け 加へ ろ こと もで き 

ない 代りに、 また 何もの も 削りと る こと はでき ない。 へ ン 

ダァソ ン のこの 書物 は に 卓越した 二 KKli-iiiarkiiig な もの 

であると 思 ひます 

ヘン ダァ ソン と は 人 も 知る 通り 英國 勞働黨 の 首領で あり 

ます。 今年 五十 五才、 ニュ ー カツ スルの 鑄 物師の 丁稚から 

身 を 起して ゐ ます。 ァス キス 內閣 では 敎育 院總 裁と なり、 

ロイド た チヨ 1.. チ內閣 で は 軍事 內閣員 となつ てゐ ます。 

また I 九 一 四 年 一 一月から 勞働黨 の 幹事長と なり、 開 戰後は 

勞働黨 の 議長と な つて ゐ ました。 同黨 において 最も 卓越し 

た 指導者 である こ と は 勿論で す。 

□ 



彼れ が 一 九 一 七 年 五月に ロシアへ 旅行して から 後 は、 だ 

ん< ^に ロイド • NK ョ ー. チ との 折 合が惡 しくな り * 遂に 對 

P シァ攻 策に ついて) >w 見 を 異にして 內閣を 去りました。 口 

シァ 政策と いふより は 口 イド • ,チヨ ー, チ內閣 の 戰爭攻 策に 

ついて 意見 を 異にした いであります。 彼れ. か 內閣を 去る と 

ともに、 英國勞 働 黨 と ロイド • . 、チヨ.'. チ 内閣との 關係は 一 

變 しました. - 彼れ に 次いで. - チヨ—., チ • バ ー ン ス. か 軍事 內閣 

に 入った にしても、 勞働黨 の 大多数 は、 へ ンダァ ソンの 側 

にと 立ちました。 さう して ロイド • \K ョ |., チ內閣 にと つて 

は 最大の 强歒 として 立つ ことにな つたので あります。 

いふまで もな く 彼れ は戰爭 そのものに 反對 した- S ではな 

い。 彼れ の愛兒 ダグ ヰッ ドは戰 において 仆 れてゐ ます。 彼 

れは その 視國を 愛する 政治家であります。 けれども 彼れ の 

愛國 心と は、 た > 英國 のた めの 利己心に 屈從 して ゆく こと 

ではない。 

□ 

彼れ は獨 逸軍國 主義 の 反對 者であります。 けれども 彼れ 

一 が 軍 國主载 に反對 する こと は、 た,、 獨逸を 僧む がた めで も 

なく、 獨 逸の 破滅に おいて 英國の 膨脹 を 期待す るが ためで 

もな く、 民族自決 主義のう へに、 ^界の 平和」 ケ 期待した が 



ためで ある。 その 世界の. 平和と は • 英國的 資本主義の だめ 

の 平和で もな く、 權カ 均衡の 基礎のう へに 立つ 武装 的 平和 

でもな く、 a 實 なろ 平和 世界的 協調の 平和、 全人 類の ため 

の 平和、 彼れ の 言葉 ももって マれば 「人民の 平, 和」 であり 

ます 

□ 

この 「, 人民の 平和」々 羸ち、 フろ こと は、 彼れ において は、 

彼れ が 英國の 參戰を 支持した る 理由の 凡て > あります。 彼 

れ はこの 立場から 世界の 大戰 を判斷 します。 それ ゆ ゑに 獨 

逸の 軍 國ギ: 錢には 勿論 反對 します。 それと ともに、 獨 逸の 

「人民」 に 封しても、 更らに ボルシェ ヴヰキ についても、 ま 

たこれ を 敬と して 取扱 ふこと を 心から 避けます。 こ. -に彼 

れの 立場が あります。 こ.-にロィド .^KョI^Kの立$rかぁ 

ります。 

彼れ は どこまでも 勞働 者です。 彼れ の 心 は どこまでも-一 

ユウ カツ ス, -の丁 稀 奉公^の 心です。 勞働 者の 友と して、 

勞働 者の 父と して 立つ ことか、 彼れ S 攻 治の 凡て > あり、 

また 彼れ の 全 生命であります。 

彼れ の 書 「勞 働黨の 目的」 は 四 六 版 百 頁ば かりの 小 著で あ 



るに 過 ざない。 けれども その 內容 は、 勞働 者の 立場 を說明 

する において、 何人に よっての ものよりも 整頓した 文書で 

あると 思 ひます。 その 用語 5、 フ へから 判斷 しても * その 思 

索の 深く して 精密で あると ころい つても、 ^に 卓越した 文. 

書で あると 思 ひます つ 

彼れ は 勞働黨 の 組 熾 を 改正 すら ことの 必要 を 述べ、 ソリ 

ダリ ティ を說 き、 向. e を說 き、 平等 を說 き、 デモ クラシ,' 

の 精神 を 明らかにし、 民族 主 凝を談 じ、 ^ 界の新 組織に つい 

て 多くの 嗜 示を與 へて ゐ ます。 それ 等の 項目 は 何れも 熟 狄 

する 値打ちの ある ものである とい ふこと は、 決して 記者が 

自ら その 好む と, J ろに 偏した ものと いふ こと はでき ない。 

勞働黨 の 組織 を 改正す る ことに ついて 彼れ の 述べ てゐる 

ところ も、 政黨攻 治 家の どうしても 一 讀す るの 必要の ある 

文字で あると 思 ひよ す。 その 計 畫は诀 して 新ら しい もので 

はない にしても、 英國 C 力 働 {1】 について は^ 命で ある。 彼れ 

は勞働 組合の 一 聯合 會に 過ぎなかった 努働黨 を 國 民 的 基 

のう へ に 立つ と、 :- ろの 攻治 團體 となす f J との 必要 を カ說し 

てゐ ます。 彼れ は 體カ勞 働 者に 非ざる 智識 階級 を も 勞働黨 

に 加入せ しめる こと を 提唱して ゐ ます。 



□ 

その 書物 はへ ンダァ ソン 一 個人の ものであると いふより 

は、 寧ろ 英國勞 働 黨の立 揚を宣 明した ものと じて 見る こと 

がで きます。 彼れ 自身 は 昨年の 選舉 において 自由 黨と統 一 

黨の 包圍を 蒙って 名 もな き 候補者の;^ めに 敢られ たこと は 

その 《。r 時の 電報に よっても 傳 へられた 通りであります。 け 

れ ども その 畋られ たこと は 決して 勞働黨 そのものの 敗北と 

見るべき もので はなく して、 た >戰 勝 熱に 驅られ たる 人民 

の 無 自覺の 結果であった とい ふこと がで きる。 もれに して 

も 勞働黨 の 得票 は 1 一 百 三十 萬 票 も あろから 同黨 のト— マ ス 

君の いって ゐる とほり、 今日に おいても 旣に 英^に おける 

一位の 政黧 であろ こと を證 明して ゐ ます。 次 ざに 來 るべ 

き 選舉 において、 勞働黨 が 過半数 を 占める であらう とする 

ト— マ ス の豫言 は必 すし も 誇張と いふ こと はでき ない。 

それの みならす、 昨年の 總選舉 では 統 一 黨も 自由 黨の兩 

派 もと もに 政綱 を發 表する ことができなかった。 た カイ 

ゼ ル處分 問題 や 賠償 問題の よ、 フな 際物 師 的の^ 片を發 表し 

て選舉 民の 戰勝 心理 を 利 川した ものに 對 して、 勞働黨 か 正 

々堂々 その 社會 改造 政策 を提 けて 立った こと は、 勞働黨 か 

5 今後に おいて 覇權を 主張す る ことので きる 大きな 强 味の 一 



つで あると 思 ひます。 , 3 の英國 勞働黨 の社會 改造 政策 は、 

へ ン ダァソ ン のこの ま 曰 物に よって 明らかにされて ゐ ます 

(by B. W. HlK-bscl 一, ?w York) (K 生) 



デ ュ ゥヰ ー 敎授 

「學 校と 社 會」 

デ ユウ ヰ —敎授 は、 交換 敎投 として 日本に きて ゐ ます、 彼 

れ が米國 における 一 流の 思. 想 家で ある こと は 誰れ も 許し ま 

す。 彼れ は シカゴ 派 を 代表す ろ プラグ マ チス トで すつ 彼れ 

の 著書と して は、 「舉 校と 社會/ 「論理の 硏 究」、 「哲 ml- よに 

おける ダ— ヴヰン の 影響」 等が あり、 何れも 現れて ゐ ます。 

「舉 校と 社會」 (SC11CC1 atvl society) は 新ら しい 書物で 

はなく、 旣に 一 八 九九 年に 出版され たもので す。 この 意味 

からい ふと 古る き嘗 物です。 けれどら 一 八 九九 年に 第 j 版 

が 印刷され て 以來、 旣に十 g: 版 を 重ねてみ ます。 一九 〇 九 

年から は 毎年 一 版づ 、費れ てゐ ます。 それで 見ても この 書 

物が 今日に おいても 立派に 生命 を もって ゐる書 物で ある こ 

とか 分ります。 , 



56 



彼れ は先づ その 第 一 章に おいて 舉 校と 社會の 進歩との 關 

係に ついて 述,. へて るます。 彼れ に從 へば, 精祌 上の 變化は 

最も 遲く 来る ものである。 彼れ の 言" % 通りに いへば、 われ 等 

の道德 的、 宗敎 的の 思想と 興味と は 最も 保守的な もので あ 

る。 何故ならば、 それ 等の もの は、 われ 等の 性質のう ちに 

おいて、 最も 深き ところに 潢 はって ゐる もので あろからで 

あろ。 けれども そのような 深き ところに 潜んで ゐろ もので 

さへ、 社會の 進歩と 隔絶して 存在す る こと はでき ない (六 

□ 

「社會 の 進歩 は gl- くべき ものである。 われ 等の 社會 生活の 

うちにお いて、 ^命. かこんな にや- 激に、 廣汎 に、 完全に 行 

はれた ものと は 何人も 殆んど 信ん じられ ない 位で ある」 と 

デュヰ I はいふ。 さ. フし てこの 社 會的 革命 の 事實と 學校敎 

育との 閼係 について 述べる 。「敎 育 もまた 社會 進化の 一部 

分で あらねば ならぬ」 

彼れ は舉 校敎 育と 社會 進化との 關 係の 密 ある こと を 

述べ る。 また 密接で あらねば ならない こと を 述べ ろ or 新敎 

育? 新敎 育と いふ 貢 築が 使 ひえられるならば, 最早 ゃ敎育 



なる ものの 孤立 性 か 失 はれた 時で はない か o」 

彼 れ は敎 育み-批判 する こと は、 た > 敎 育と いふ ことの 狹 

い 立場から 判斷 して はならない こと を 主張す る〕 卽 ち^い 

立場、 社會的 見地から 批判す る ことの 必要で あろ こと を 主 

張す る。 f 一 V, にも 彼れ のプ ラヅ ムチス ト としての 立場が! 

える a 

□ 

彼れ はソ ー シァ リズムと 個人主義. C か 同 1 物で ある こと 

を 主張し ます。 この 點 において は、 曰 本に おける プラグ マ 

チ ストと しての 田 中 王 堂 氏と 同一 の 立場に おります 。「善良 

にして^:^明なる父母がその子に求めるところのものは、 社 

合 Df かその 凡ての 小 供 等に 求めろ ところの ものでなくて はな 

ら ぬ。」 彼れ は f J う 主張し まプ。 さう して 社 會主雜 と 個人 主 

義 との 同 一 性 を 主張し ます。 「凡ての 個人の 發 達に 卜 ルゥで 

ある ことによって のみ、 社會 はた > それ 自身」 ト ルゥ であ 

る ことができる」 と は、 彼れ の,^. 著 ®! を 一 莨す る 精神で あ 

"ます。 (by University of Chicago) (K 生) 



レビ ュ I ォブ レビ ュ ー ス 

河上肇 氏の 

「勞働 運動の 使命」 

束 方 SI 一月 號に顯 はれた、 注舉 博士 河上綮 氏の、 「勞働 

運動の 使命」 と 题 する! 11 文 は社會 的に 多くの 注意と、 尊敬 

とを拂 はる >- に 充分なる もので あら。 

冒頭、 氏 は先づ 叫んで 曰 はく、 「勞働 運動 をして 力 ある 

ものたらしむるために最も大切なる事は^iに魂を與ふる事 

であろ。」 と。 

氏に 侬て 提唱 せられた 魂な ろ 文字 は、 吾等に 從へ ば Sy S- 

ti (組 蛾) である。 更に 此 立場 を廣 く解釋 する^ は、 gss 

上に於ける勞働^^^?の奴隸生活の解放でぁる。 而 して、 河 上 

博士の 勞働 運動の 使命、 は耍 すろ に 勞働者 を 解放す ろ 事に 

依て、 ^働 者 自らが 文化の 所産に 携 はり、 而 して その 中心 

力と なる 事で ある。 - 

此處に 河 上 氏の? ぽを 最も 端 的に 語ろ べき ものと して 此論 

文中に 揷 まれた 一 笳 を拔萃 する。 

『此 大事 業 (河 上 氏に 據れば 勞働者 自らが 文化の 所産 に携 

5 ろべき 運動) は勞働 者の 外に 之 を實^ し 得る 者 あら ざろ の 



みならす、 そ は、 また 必卞 彼等に よりて 富 現せら る * 事 を 

耍 する。 若し 彼等に よりて 實 現せられ すん ば そ は 必す失 

一 敢に 終るべき ものである ノーと。 勞働者 自ら. か 文化の 所產に 

携 はらんが ための 運動と は そもそも, S 何なる 運動 を 指す 

乎。 11 河 上 博士の 推^ は 其 抽象的 名辭に 裏切て、 思 ひ 切 

て 明瞭な、 而 して 大膽な 卒直な 答を與 へて ゐ る。 

曰 はく、 「日本の 勞働者 は. 團結 しなければ ならぬ。 圑 結し 

て鬪 はねば ならぬ。 諸子、 勞働者 をして 圑結 せしめよ、 圜 

結して 鬪ふ所 あらしめ よ、 而 して 彼等の 鬪を公 6; 鬪 たらし 

むる がた めに、 彼等 をして 其 使命 を 自覺す る 所 あらしめ 

よ。」 と。 . 

河 上 博士の 首 は 雄大で ある。 壯麗 である。 而 して、 此雄 

大 にし て 壯麗な ろ 文字の 所產で あ る , 「lr 力 働 運動の 使命」 は 

一面に 於て 吾等の 注意 と 敬 と を 要求す ベ き 資格 を 有する 

ものに 相違ない が、 此 雄 辯宏辭 の禍 する 所と なって 眞 富な 

る^ 働 運動の 形式に 對 する 批判が 全く 失 はれて ゐる 所に 吾 

等の 批難の 焦點が 存在して るる U 

氏 は 叫ぶ * 「日本の # 働 者 は 11 はなければ ならぬ」 と。 然 

一 らば、 彼等 は 何も 目的と して、 何と 鬪は なければ ならぬ の 

か。 若し 此鬪爭 が 直ちに 階級 鬪爭を 意味し、 第四階級 民の 

資本 鬪に對 する 戰を 意味す るなら ば、 博士の 所論 は 明に 自 



-00 己愫着 に陷 てるる。 何と なれば 博士 は 其 論文の 第 一 1 段に 於 

て、 恰も 劍を 潜めて 長袖 善 舞す ろが 如き 態^ を 示して、 「今 

日勞働 者の 解放 は實に 必要で ある けれども, 之み. 直ちに 解 

放した からと て、 決して 善い 結果 は 生ぜぬ ので ある。 大多 

数の 者 は 貧乏で あるが 故に、 一 般 的に 言へば 智識 も 低い、 

精神 も 充分に 向上され て 居らぬ。 今、 是 等の 人々 を 直ちに 

解放して, 政治 上、 經濟 上の 檣 利、 權カを 平等に 分配した 

からと て 彼等 は 之 を 如何す る 事. も出來 ぬ、」 と說 いて 居られ 

ろで はない か。 

而 して、 博士の 態度 を 徹底 すれば、 勞働 連動に 於け る 精 

神主 藉卽 ち、 勞働者 自らの 精神 生活の,; 1: 上發展 が、 勞働運 

動 速成の 第一. 階で ある、 とい ふ, になる。 

然し 乍ら、 若し 此考 を、 勞働者 各自の 中に 內在 する 反抗 

的 精神の 結晶が 直ちに 社會 的の 形 を 執て 顯 はれる 時、 始め 

て勞働^!^^身のための、 而 して、 勞働者 自身に 依ての 勞働 

運動が 起る、 とい.^ 意味に 解釋 する 時 は 博士の 議論 は 論理 

1 貫、 现^5極 めて 明白の ものと なって 來る。 11 何れに せ 

よ, 此 短き 論文 は 大體に 於て 其、 言 はんとす る 要旨 を 最も 降 

けた 態度 を 以て 語て ゐる。 而 して、 新の. く、 ki> が 、っジ 

所に 博士の 强 味と 同時に 弱味が 潜伏して ゐる 。何と なれば、 

斯の 如き 立場に 立て、 新の 如き 題 を 論す る馎士 自身が 如 



何なる 思想の 所有者で ある 乎。 とい ふ 事に 就て 吾等 は 全く 

之 を 知る 術 を 有たない が 故 である。 博士の 考を 思想の 形式 

の 上に 顯 はす 時、 博士 は、 果して何れの形に^^すべき乎。 

サン ティカ リスト 乎。 コム ミ -ー . スト 乎-' 乃至 はソ I シ マ ル 

デモクラット 乎。 It 恐らく 博士の 內 部に は 其 何れ かが 明 

瞭 りした 形 を 執て 存在して るるに 相違ない。 而 して 吾等の 

要求 は 博士が 其 場す る 何れ かの 立揚を 固執して あら ゆろ 問 

題に 深奥なる 舉殖を 傾けられん 事で あら。 (尾 If 士郞) 

若 宫卯之 助 氏の 

「危險 思想の 中心としての 

帝國 大學」 

若宮 氏 か 最近、 なにがし 氏と 共に 「大宇宙」 とか、 「大亞 細 

亞」 とかい ふ 名前の 雜誌を 出される とい ふ^を 間いた 時、 

今迄 一 種の 皮肉、 若しくは 反語と して 吾等の 耳底に 響いて 

ゐ た , 若宮 氏の 反 民主々 義的立 揚が 可成り 明^りした &; 劍 

味を帶 びて 聞え て 來る樣 になって 來た。 

嘗て 與謝野 晶子 氏が、 若宮 氏の 論文 を 批評して * 「世界の 

大勢に 妄信す る 空想的 反 HI を攻擊 せられで ゐ る 程の 勢力 



を 以て、 日本人 は 世界の 大勢 力の 中から 日本人 自 のどう 

いふ 必要と 見識と、 能力と に侬 て、 どうい ふ 世界の 理想 を 

是 として 撰擇 し、 それに 如何い ふ 手加減 をして 日本人の 

養に 資したら 宜 いかと いふ 事 を、 遊戯的でなくて 反語 的で 

なく、 匠氣 的で 無く、 攻竊 的で 無く 摯實 に、 正面から、 積 

極 的に 主張して 戴く 事 を 私 は 望みます。』 と 言づた 事が あ 

る。 然し 乍ら、 與謝野 氏の 希望 は竟に 仇なる 空想と して 見 

事に 葬られた。 若宮 氏 は 愈々 出で >- 愈々 旺に其 貴族 主義 的 

官僚主義 を;; g 廻して ゐ られ る。 :i= ^、等に 若し 若宮 氏 を 信す る 

もの ありと せば、 その 反語の すべ て を首說 其 者と して 信す 

るより 外 は 無い。 若し 吾等が 若宮 氏の すべ て を 信ぜす とす 

れば、 反語の すべて を、 貢 說其 者と し て 信ぜざる のみ で 

ある。 

二 

新の. g く 貴族的 • 專制 的、 官僚 的 態度 を 露骨に 大膽に 表 

明して 世界の 民主 主 翁 に 叛旗 を飜へ した 最近の 武者振り 

は、 其雜誌 新時代に 害 かれた 「危險 思想の 中心としての 帝國 

大舉」 の 中に 發見 すろ 事. か出來 る。 

若宮 氏は此 一 文の 中に^て、 畢 常の 歴史的 見地から 世界 

の 大勢に 通す る 前に 先づ 日本の 大勢に 通す るの 必要 を說ぃ 

5 て ゐられ る。 而 してお 銳き 槍玉に 先づ第 1 に舉 けられた 哀. 



れ なる 盲者 は ilK: 都 帝 國大擧 の 朝 永 三十^ 博士と、 帝 國大舉 

の 吉野作 造 博士と である。 此兩名 は德川 時代の 鎖 國 を 以て 

日本 歴史に 於け ろ國民 惰眠の 時代と 解した 事 を 以て 其 無智 

を 追究 ぜら れてゐ る。 德川 時代の 歴史的 研究 は 暫く 之 を 除 

外 するとしても • 日 本の 大勢に 通す ろ 事が ti. 界の 大勢に 通 

する 第一 步 である、 とい ふ 議論 は 寧ろ 當 然とい ふ 程度に 解 

り 切った 問题 であろ。 然し 乍ら、 此 解り つた 問題 も 若宮 

氏に 依て 解釋 せらろ、 時 は、 聊か 異 つた 結果に 到達す る樣 

に 見 ゆる。 ^くとも若宮氏にとって日木の大勢に通する;^^- 

は、 日.^ 國 民の 生活の 根柢に 潜んで ゐる官 的、 .:.|は 族 的 思 

想 を 攫み 出し,;:、 而 して 之 を 守し、 之 を 固執す る 所に あ 

るので ある。 11 而 して 之 を 固執す る 時、 此宵僚 的 曰 本 を 

守ろ 貴族 思想に 反對 する 思想 はすべ て危險 思想で あり、 す 

ベて^ 文字の 奴隸 である。 而 して此 見地から 進んで 論斷せ 

らる、 時、 日本に 於け る危險 思想 中心 は 「帝國 大學」 であ 

る。 然り、 而 して、 苦宫 氏に 從ふ時 は、 苟 くも 新の 如き 貴 

族 的 日本に 生れた ろ 人間 は、 日 木の 大勢 を 知らす して 「世 

界の 大勢」 に順應 すろ 前に、 先づ :」, が >ん で 勇敢に 此罠族 的 日 

本の 思想 を 以て、 世界の 大勢 を 指 しなければ ならぬ。 

11 吾等 は 若宮 氏の 此論 文に 對し、 尠くとも 生眞 面目に 

之 を 論評す るの 勇氣が 無い。 吾等 は 反語に 於て 到底、 天才 



o 若宮 卯 之 助 氏に 追隨 する 事 は 出来ない。 鳴 呼、 我き 辯 を 好 

まん や。 11 若宮 氏の 反語 も、 皮肉 も 等しく 止む に 止まれ 

ざる 所より 生れた ものであるに 相 逢ない。 

三 

若宫 氏の 議論 11 (反語) の 根據は 「日本」 の 民主 思想家の 

殆 んど總 てが 社會的 色盲で あると いふ 點 である。 卽ち 彼等 

は 歐洲を 知て 日本 ある を 知らす • 世界の 大勢に 順應 し、 追 

隨すろ|5^-を知て、 日本の思想を以て世界の大勢を^1^}-する 

|5^?.を知らなぃ。 而 して 其 eg も尤 たる もの は i;. 文字 を 以て 終 

• 始 しつ. 'ある 帝 固大畢 である。 —— 是 が若宫 氏の 議論の; il 

據 である。 

若宮 氏 は頻り に 民主 思想家 の 社會的 色』」 a た る 所以 を 難す 

る。 然し 乍ら、 之 を 難す る 若宮 氏 自身 は 果して 何で あな 乎。 

若し 彼等が 口にする 日 木が 直ちに 歐 羅£ の 事であるなら ば 

同じき 意味に 於て 若宮 氏が 口にする 世界と はまちに 日本の 

事で ある。 若し 彼が 社會的 色盲であるなら ば、 同時に 是も 

社會的 色盲で あらねば ならぬ。 社會的 色盲 を 以て、 社會的 

色盲 を 難す る。 11 此處に 於て 乎、 人生 之れ 危 しの 感 き 

を 得ない。 

歐洲の 事 は 欧洲の 事、 日本の 事 は 日本の 事、 とい ふ 態度 

は、 更に 進んで 歐洲の 中に 日本 を發 見し、 日本の 中に 歐洲 



を發 見す るに 4^ すん ば斷 じて、 徹底す も S では 無い。 然 

るに 若宮 氏に 從 へば 歜洲の 思 相 .5 は竞に 日本 國 民の 同 一 基調 

に 立てる 同 一 ISJ^ 求に 副 ふ もので は 無い ので ある。 然 らば、 

歐洲に 非る 日本に 何故に 產業 革命 か 起った か,」 柯 故に.^ H 通 

選舉の 運動が 起った か。 11 若宮 氏の 反語 は此赏 問に 對し 

て、 或は 大きく 空^いて、 日本の 產業 茶. 命 は 日本の 產業革 

命 だ。 日本の 普通 選舉は 日本の 普通 選舉 だ。 と 1! 一:: はれる か 

も 知れない。 而 して 同じ 論法 か 「民主 思想」 の 上に も 行 はれ 

ろ 事が 出來 る" —— 世界の 大勢 を砌 お、 自^の 大勢と、 世 

界の 大勢との 交渉 點に 深く 思み-致して 政治の 特殊 的 性質 か 

十分に 了解せられ た 時 攻治的 民主 思想 は 政治的 過裡に § ^け 

る 一 大 進歩 を證 する ものである。」 i 是が 若宮 氏の 議論の 

過程で ある。 然し 乍ら、 「是 は危險 である ビ是が 若宮 氏の 議 

論 の 結論で ある。 (〔化^ 士郎) 



□ 次 號豫告 

ラ ディ カリス ト 

尾 畸士郞 



ヅ 1 ク クネヒトの 

著書から 

力 ール • リ ー ブ クネヒト は 伯林の 市街 戰 において 仆れ 

ました。 彼れ が仆れ たと ともに 獨 逸の 過激ち 義 もまた 

仆れ たとい ふこと もで きます。 過激 主義 はべ ルンの 國 

際 社會黨 會議で 決議した とほり、 民主主義 ではなく し 

て 一 種の 専制 主義であります。 その 過激 主義者と して 

のリ ー ブ クネヒト は 永久に この 世界から 去りました。 

けれど.,、 彼れ の 「軍國 主義 論」 は 永久に 殘 ります。 殘 

るべき 名著です。 それ はリ —ブ クネヒトが 過激^ 雜者 

でありし 3!^ 念と して,、 はなく、 彼れ が 正して き 勞働階 

級の 代表者と して • また 正しき 平和主義 として 殘 ると 

いふ ことです。 この 論文 は 彼れ の 「軍國 主義 論」 の 一 

です e …… 室 伏 生 



對 外的 軍國 主義、 海國 主義 

殖民 的軍國 主義 

戰爭及 軍備 撤廢 問題 

資本家 階級の 軍隊 は、 他の 社會組 II の 軍隊と 同じく、 1 1 

重の 目的に 奉仕す る。 

第一 に は、 外 固 を 攻撃し、 或は 外部からの 危險を 防衞す 

ろた めの 國民的 組織で ある。 一 言に して 言へば、 國 際爭議 

に備 へる ものである, - また 軍隊 用語に 從、 へば、 外敵に 倫へ 

る ものである。 

資本主義から 云 ふと、 戰爭は モルトケの いったよ * フに、 

「祌の 世界的 規律の 一 部で ある。」 ョ— ツバ 自身の う ち 

に 戰爭の 或る 一 ^因-か、 除かれて ゆく こと は 事實 である。 ま 

たァ ルサス、 口 1 レンスの 問題に か > 'わらす、 クレマ ンソ 

ォ、 ピション、 ピツカ ー トの 三人組に か >• わらす、 東 万 問 

題、 汎回敎 主義 弁に ロシアの 革命に か >r わらす、 ョ ID ッ 

パ 自身に おける 戰爭の 可能性 は、 だんく に 減 返して ゐる 

ので ある。 けれども 疆慾 ! 謂 ふところ S 『文明 國民 J 

によって 育成され つ ある、 商業 上 井に 政治 上の 膨張 欲- ^ 

仍 結果と して、 ョォロ ツバに は、 新ら しき • 且つ 非常に 危 



5 險 なる 衝突の 原因が 現 はれて きた。 この 膨脹 慾 は、 主と し 

て 東方 問 "s. 井に 汎回敎 主義に 關 すろ もので あり、 其の 世界 

. ^策、 就中 殖民 政策の は" 一 九 〇 六 年 十 一 月 十四日の 

獨逸帝 國議會 において、 大 宰相 ビュ — 口. I が 卒直に 承認し 

てゐ ると ほり, 無限に 衝突の 原因 を き、 且つ 非常な 勢 を 

もって, 軍國 義の 他の 二つの 形式 卽ち 海國 主義と 殖民 的 

軍國 主義 を 助長せ しめる ものである。 11 われ 等獨 逸人 こ 

そこん な 話が できる! 

+1 パ リズム 

海の 軍國 主義 i 海阈 主義 は、 陸上 軍國 主義の 自然の 兄 

であり、 そうして 軍國 主義の、 あらゆる 猛惡 にして、 嫌 

恶 すべき 特性 を 現 はす もの だ。 それ は 結果に おいても、 ま 

た國^ 的 i 11 世界的 戰爭 の危險 においても、 陸上 軍 國 

主義より は、 一展 度合 ひの 激しい もの だ。 

ある 善良な 人民 * または 欺瞞者 達 は、 吾々 をして、 英獨 

兩國閒 の 緊張せ る關係 は、 單に、 或る 誤解、 惡德記 君の 燭 

動、 または 拙劣な 外交官 S 大言壯 語の 結果で あると 信ぜし 

め やうと しつ > "あろ。 けれども 吾々 は、 眞 實 なる 意味 を 知 

つて ゐる 

これ 等の 緊張した 關 係 は、 ^界 の市揚 における、 英獨兩 

画の 經濟的 競 爭の擴 大した 當然の 結果で ある。 また 無制限 



なる 資本 主 報の 發達、 國際 的、 競爭の 直接の 結粱 でなくて は 

ならない 。キ ュ バに對 する 米 西 戰爭、 伊太利の アビシ 二 ァ戦 

爭、 英國の 南阿 戰爭、 日 淸 戦爭、 ♦ 北 事件、 日 I ぬ 戰,、 こ 

れ 等の もの は、 戰爭を 起した 特別の 原因 及條 件が、 それ 

ぞれ異 つた もので あろに しても、 !般 に、 膨脹 慾の 戰爭と 

しての、 共通の 特質 を もって ゐ るので ある。 また 若しも 吾 

吾が チべ ット、 波斯及 ァフガ 二 スタ ンの 問^に ついての 英 

露の 關 係, 一 九 〇 六 年の 冬に おける 日米の 紛爭、 及 一 九 〇 

六 年 十一 一月の、 佛西兩 固の 協同 11 モ 口 ッ コ爭議 について 

の光榮 ある 事件 を 記憶して ゐ るなら ば、 われく は.^ 何に 

殖民 的 資本主義 政策 井に 膨脹 的 l^i- 本^ 毅 政策 か、 ^界の 平 

和の 建物の 下に、 無数の 坑道 11 その 導火線 は、 易す く且 

っ偶發 的に、 爆發 すべき 一 I 坑導を 仕掛けつ 、ある もので 

あるか を 知る ことができ るので ある。 ある 時期に は、 世界 

の區 劃. か、 一定の 程度 11 凡ての 民 地 は、 殖民 帝 國の信 

託に 委せられろ ような 攻策. か、 實 現される と 云 ふ 時代に ま 

で 進歩して、 個人的 資本主^の 競爭 が、 トラスト または 

同盟に よって、 ある 程度まで 實 現して きた ごとく、 斯 くし 

て 殖民 的 競 爭が喊 返す ろ やうな ことか あるか も 知れない。 

けれども そんな こと は、 丁度 支那の 經濟的 井に 國民的 勃興 

が、 悠久の 時間に 委せられて ある ごとく、 遠い 將來の 問 超 



6S 



である。 

それ故に • 今日まで 主張され た 凡ての 軍備 撤廢の 計 劃 

は、 今日に おいて は、 愚 純な、 箪 純な 修辭 上の、 また 欺瞞 

的の 計 劃と 云 ふの 外 は、 何ん にもなら ない の だ。 ザ I がへ 

I グ におけ ろ 喜劇の 作者であった 實か、 これ 等の 計 劃の 

うへ に虞實 な スタン ブを 押した もの だ。 われく G 時代に 

おいても 謂 ふところの 英國の 軍備制限の!^ 謀 は、 滑稽な 装 

の もとに 現 はれた。 これ 等の 計 劃の、 謂 ふところの 首唱者 

—— 陸軍 卿 ハル デ I ンは、 軍備の 縮小に 對 する 强き 反對者 

として 現 はれ、 彼れ 自身が、 軍事的 無鐵砲 者で あろ こと を 

示した。 その 間に、 英佛の 軍事 條 約が、 地平線 上に 現 はれ 

てきた。 

それの みならす、 第一 一回 平和 會議の 準備が 出來 上った そ 

の 瞬間に さへ、 瑞 典は蹬 隊を擴 張した。 米^ 及 日本 は 益々 

軍事 豫 算を增 加した 。フラン スの クレマ ンソ ォ內閣 は、 强大 

な 陸海 軍が 必, 要 だと 云 ふ 主張の もとに、 1 一 憶 八 百 萬 法の 軍 

事 費の 增加を 要求した。 獨 逸の 半官^ 「ハンブル ゲル、 ナ 

ハリヒ テンし は 動かす ベ から ざ ろ 確信の もとに、 「种 g モ, な 救 

世 主」 軍國 主義 を もって ノ獨 逸の 支配階級 ま俽 ふて ゐろ感 

情の 精髓 であると 主張した。 獨 逸の 人民 は、 彼等の 政府に 



よって、 軍事的 經 費の 擴張を 求められた。 11 自由 黨 員す 一 

らも、 熱心に これ を 賛助した。 一 

新 かる 事實 は、 われ 等 に 、フラ ン スの 元老院 議員に して、 一 

へ ー ク 仲裁裁判所の 議員た るコ ン スタン トの、 軍備制限の 一 

論文が、 お 何に 無 邪氣の もので あるか を敎 へる。 誠に、 こ: 

の 政治的 fli- 想 家 想像に おいて は、 軍^ 摘廢の 基礎に つい 一 

ての 誰れ も 知り 切って ゐ るより うな 了解 他. E 通の 雀 も 一 

する ほどの、 了解す らも 必要で はない の だ。 その後に、 平 一 

和會議 において、 列 强がス テッドの 提議み-捨て >r、 軍備 撤ー 

廢の 問^ を、 第一 一回き 議の議 1^ から 齲逐 した。 11 その 强ー 

國の、 赤裸々 な殘忍 性を兒 ると、 却って セィ くし; i 氣持: 

がすろ。 

私 はもう 少し 資本主義 II 軍國 主義. の 方面に おける 資本, 

主義の、 第三の 結果、 卽ち 殖民 的軍國 主義に ついて 語らな 一 

くて はならない。 民 地 軍 11 これ は 獨逸領 南アフリカに! 

計 劃 さ れ た 民兵の 意味で はない。 況 んゃ华 II 立の 英國 殖民 一 

地に おける、 全く 性質の 違った 民兵の ことで はな い —— 

ほ、 英國 にと つて は 極めて 重大な もので あろ。 そうして そ 一 

の 他の 文明 國に おい て も、 益々 重大な ものと なりつ あ, 

ろ。. 英國 にと りて は、 この 殖民 軍 は、 11 り 殖民 地の 「e: 



.4 敏」 郎ち 土民 を壓 迫し、 拘束す るの みならす、 尙ほ 外敵 

例へば ロシアに 對 すろ 武器と なる もので あろが、 その他の 

殖民 的 强國、 米^ 及獨 逸に おいて は、 厘々 保護 隊 (schutzt 

ruppe) 或は 外國 園と 云 ふの 名の もとに、 最初の 目的と は 離 

れて、 れ むべき 土民 等 を、 資本 主载的 牢獄の 奴隸 とな 

し、 また これ 等の 土民が、 外國の 征服者 又は 盜 賊 リ 反 

對 して、 その 國家を 保護す る やうな ことがあれば, 何時に 

て も、 少しの 同惜 もな しに、 これ を 射り、 斬り、 且つ 餓死 

せしめる ために 働く ものである。 ョォロ ツバ 人中での、 寧 

ろ廢 物から 成立って ゐる ことの 多い、 この 殖民 軍なる もの 

は. * われ 等の ョォロ ツバの 資本主義の 國家 における あら ゆ 

る、 軍隊の、 フ ちで、 最も 殘忍 にして、 且つ 最も 僧 (しべき も 

の だ。 殖民 地 軍から 生れろ こんな 殖民 的軍國 主義 及殘 忍な 

ろ熱帶 的野蠻 主義の ごとき 罪惡は * 未だ 存在し なかった と 

ころで ある。 テ イツ ベルス キッヒ や、 、ウイ ヤマン や、 ぶド 

ビ 1 エル スキ 1 や、 ライ スト や、 ゲヰ 1 口 1 や、 ビエタ I ス 

や、 ァ ー レ. ン ベル ヒの 名ば、 この 點を、 獨逸 について 證據 

立て >^ゐ る ものである 。これ 等の もの は、 ョォロ ツバ 諸國 

の 殖民 政^の 性質 11 殖民 政策 は、 文明の 基督 敎的 信仰 を 

宣傳 し、 或は 國 民の 名舉を 宣傳 すると^り なから、 殖民 地に 

醑保 ある 資本家の 利 《政の ために、 忠實 に、 暴利 を 貪り, 欺^ 



手段 を實 行す ると ころの、 殖民 攻 策の 果實 である。 彼等 ョ 

ォロッ パ人 は、 防禦な き 人 Si を 殺戮し、 虐待し、 無 防禦の 

财 產を燒 き 盜み强 奪し、 4、 うして 甚督敎 と 文明 を^り、 且 

つ 辱し める の だ。 コ テツ ッゃ ビザ I 口の 名聲 と雖、 印度 や 

トンキン や、 コンゴ I- や 獨逸領 南アフリカ や、 フ并リ ツビ 

ン の 前に は 色, 褪せて しまう ので はない か。 

一 ゴ シ ブ \ 

<3 大逆事件 以來、 日本の 勞働 運動 は 全く 影 潜め ズ しまった-こ 

言ても 言い。 その^ 因 勞働 運動が 社 < ^"主義者と 名 乘る人 LS て 

爲 されて ゐた爲 めで ある。 而 して、 u 本の {Int-^ の 解 釋に從 ふ 時 は 

社會 主義者 は 同時に ゆ 働 運動 者で ぁリ、 勞饊述 動 者 は 同- に 社 

主義であった。 否 唯 L! 社會 主義者で もった ばかりでなく、 勞働運 

動と 言へば a ちに 無政府主義に 到達す ろ ものと 信ぜられて ゐた。 

少 くと,;,、 勞働 ^動に 從事 すろ もの は 翕く、 幸德 秋水,^ 稱想 する 

ものです。 爆彈に 到達す る ものである と 信 ビられ てな た。 だから 

大逆事件の 判と 共 LL 日本の 勞働述 動 は 全く 其 影, せ^めて しま つ 

たので ある。 其勞俲 5^ 動が 政治的の 意味 以て^ It だ られ て來た 

の は 極めて 最近の 事に eg マる。 

▲ 何れにせよ。 勞働 組合、 池" 通 選舉、 等の文字が其儘に危^^物 

の對 照と せられて^ た 事 は おで あろ。 而 しズ、 §3 く 押入の 屮に 

投げ込まれて ゐた 彼^の f 逃 動が w び 座 li? と共に 飛 び 出して 來た审 

は 興味深き 事.!:; である。 

▲ 河野廣 仲、 松本^;;平、 大井憲 太郎、 —-— 過去帳の 中に 織り込 

まれた 是 等の 名前 1^; 冉び其 f!? 板に しなければ ならない 日本 は 少く 

ともなら な. く なれて ゐろロ 本人に 餘程呪 はれた 人 稀と 言 は なけれ 

ばなら ない OCSO) 



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中華 電業 S 會社 

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東洋 運鑛 i 會社 

^京 市 《 町 區內幸 町 



東洋 電氣重 



來京市 麴 町 區有樂 町 



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日本 鋼管 

株式 會社 

来 京 巿京橋 K 宗十郞 町 



東洋 鹽業 i 會社 

束京巿 « 町 區内幸 町 



大正 電氣 S 會社 

京 市 11 町 區有樂 町 



大正 商船 8 會社 



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森恪 事務所 

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大正 八, ギ 二:::: 二十 六::: 印 制 納^ 

大正 八 年 三 =: 1 r: 發 ;仃 

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^京 市 小石 川 lEi 久^ 町 百 八 # 地 

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號 月 四 



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大正 八 年 一一; 月サ 八: u 納本 太-止 八 年 四月 一 t" 發行 (毎月 一 回 一 nt5l?t 行) 



謂プ パガン ダの權 利 

■ 文化と 危險 思想 

■ 社會 主義 運 動: 

■ 「我 が 國」 の 煩悶 

■ 、デモ クラシ, 硏究 

—リン n— ン (墓^に 立ちて) 1 ヘン ダァ ソン (R 主 主義の 精神) 

—バルデ— ン (民主主義の 將來) —カァ ペン タ 7( デモ クラシ, な 

る 言葉) —ベン ネット (戰爭 と 民主主義) —ゥ II ルス (R 主 主義 

の W 究と 宣攥 運動) —フ 7 ナウ (進め! R 主 主義へ) 

■ 文 學と、 デ モ ク ラ シ 1 

■T テ モ ク ラ シ 1- の 人 々 



區町效 市 京 束 
五 ノニ町 元 山 




▲ 誰れ が 民衆.^ 指^します か? 誰れ が は 

衆に 代って 戰 ひます か? 

▲ _vi クラシ. -t^^s ズし C ゐる 人、 jisl 

の 人、 確信. の 人 • 英邁の 人が 日本の どこ 

に 見お リま すか? 

▲過^?SL:尊敬されるtのは大i^'の 先生^^^ 

であ リま す。 その 大學の 先生 達に、 時代 

. ^创造 し, 民衆>„5*指^^するの用意が ぁリ 

ます か? 學 間が あります か? 思想が あ 

すか? 人格と 勇氣 とがあります か? 

▲ 黎明 食?, それに 新 思想 の 人々 の 集ま 

リ であると 吹聽 されます。 その 黎明 會の 

どこ: ii 想が ぁリ ます。 どこに 新 思 想 

の 人物が ゐま す。 どこに 民衆 1-5- 率 ゐて立 

つ だけの 用意が あり ます。 民衆の 一 人た 

リと も、 それ に 满 足して 1^ リ ます か。 黎 

叨食 自身で さへ • ゾ しも 滞 足して ゐな い 

でめら-つもの ^1 



森: 《 本の 新聞紙に: i:.^ し乂ゐ ます か。 議 

< ^筆 の 鼓^です。 飛行機の 接 落の 號外 

です * 『某所 着電」 の 多い、、 と! 

▲ 代 接士は 何.^ して ゐま すか。 「議長! 九 

名の 委具 附託. J :: 『委具 長 報告 通リ 可決 

確定」 :: 質問 : 討論:: 委具會 :: 

さう して 何が 残リ ます か? 

▲ 政.:^ は 何 して ゐ ます。 開墾 助成 法 

案!、 選 >w 三 阖案! 然リ • 豊民色 の 濃 

い 政府- 

▲ R 衆に 飢 ゑて ゐ ます。 民衆 は 疲れて ゐ 

ます? さう して 疑って ゐ ます ノ その 民衆 

. ^誰れ が 指導して ゆきます。 

▲ 指 5^ なくして は 民衆 はない。 指導な く 

しズに デモ クラシ." はありえ な- い。 指導 

なくして ある もの は、 民衆で はなく して 

暴 ^であり、 デモ クラシ ー ではなく して 

す.' グロ クラシ- であ リ ます。 

▲ ^ しさし み、 S! 

くさもの、 暴徒! 



▲ われ 等 > ^して 美し. 22- 室 的 傳統の も と 

に、 新ら しさ 協同の 社 會 —— デ 乇グ ラシ 

I の a. 本 1^^ 設ぜ しめ IO さう して 醜き 

1 切の もの 非ら しめぶ。 

▲ 若き ぼ^ば • 旣 に 人々 の 心のう ちに ^ 

設 されつ 、あ る。、、の心,<^成長せしめょ0 

「批評」 はもと より 微力な もの です。 微 

力なれ ども われ 等の 民衆の 心のう ち に、 

「若さ 日本」 — 然リ、 デ モク ラシ, の 

日本,^ 建設す る もの は、 われ 等の 「批評」 

の 任務で あらね になら s。 

き nwnrJl 1: IXMnocracy. 

▲ 道に f;^ い けれど 光 は 見 えて ゐま 

す。 その 光 追 ふて、 私 ど. -は若 ふこ デモ 

クラシ-の 日本へ と 進みます。 

▲ 近 0^、 色々 の新雜 誌が 現 はれます。 新 

閒 紙が、 R 衆の 指? * 力.^ 失って ゐる 以上 * 

K 来の 指導者と しズの 新雜 誌が 生れな く 

てに ならぬ. - ck) 



次 目 卷ニ第 



批 新 
評 著 



驛驪 ■■■ 

社; 文 ブ新 

° か バ 時 

主 (S とガ 
危ン代 

口 我-の 險ダ 
. 照の 運 

逸 煩思權 
動悶想 利 動 



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ス アン ンン 



高 
信 



代 

批 

評 



S 尾 ifl フク ぺカ, 、ヘリ 

崎 ァ Z ンァ シン ン 

S 中 ,ネベ デダコ 



室 
伏 




■ デモ クラ シ. 8 の 新 理想 

國テ モク ラシ一研究 (一) 

〇 ゲテ イス ブ少グ の 墓所に 立ち ズ:: 

〇K 主 主義の 精 神:: 

〇 民主主義 の 將 來. •: 

『デモ クラシ I』 な る 文字:: 

〇 截爭と 民主 主 義… • 

〇 民主主義の W 究 及び 宣傳 運動:: 

0進 め、 民主主義 :: 二 

■ 文擧と デモ クラ シ J- 

■ テモ クラ シ I の 人々 

画 新 ライン 新 間 を 起す まで 

■ マルクスと ェ ン ゲル ス 

■ ビ ョ トル • クロ. ネト キン 

『民主. の 指導』 ::• : 

サクク 氏 

『ロシア 民主主義の^ 生』. 

『純正 民主主義の 限度』 •: 



諸 家 

『各國 の I. ァモ クラシ, •』 

大山 郁夫 氏 

『文化と 民衆 政治』 

□ 編輯 局より 

口 校正 室に て 



19 



時代 批評 



新時代 運動の 精神 

今日の 日本が 時代の 變 鸫 期に 立って ゐら こと は 勿 fSi であ 

ります。 然り、 われく は 何 ごとよりも 先き に、 われ 等の 

日本 か I 大變鸫 期に 立って ゐろ ことにつ いて、 深く, さう 

して 强ぃ 自覺を もたなくて はならない と 思 ひます。 

1 切の 諸 運動 は みなこの 時代 變轉の 精神から 生れて きま 

す" その 精神 は 一 切の もの. - 基調と なります。 一 切の もの. 

の 父 ともなり また 母と もなります。 今日の わが 日本に おい 

ての 諸 運動 11 文化 運動と 稱 すろ 樣々 の 運動 は、 よき もの 

も あしき もの も、 みなこの 時代 變轉 の 精神から 刺激 をう け 

たもので なくて はならない のであります。 

刺激 impulse と は 人間の 木 性の ラ ちに 根ざす ところの 人 

間 本能の 衝動であります。 この 衝勳 はた, 人間の うちにの 

み 宿ります。 その 本性のう ちに のみ 成長し ます。 これ ある 

が ゆへ にこの 刺激 は 何ものに も i^t はれろ ことのない 力で あ 



ります" 、 J の 力からの み 人間的なる 眞 貪の 諸 運動が 生れる 

, 3 とがで きます。 , J の 力のう へ に 立つ ことのな き 諸 運動 は 

何れも 眞實 なる 人 Si 的の 運動で はなく してた の!^ りの 形 

骸 であります。 その 蓮 動か.^ 何に 壯大 であらう とも、 ね 何 

に 高慢な 人々 によって 指導 せられよ ラと も、 そのような 運 

動 は 魂に 缺 けたる 運動で あり、 やがて 泡沫の ごとくに 消え 

て ゆきます。 

われ 等の 先 sis! は、 J の 泡沫の ような 諸 蓮 動の ために 空しく 

その 心身 を. 减 ほして きました。 日本の 歴史 は、 それが 一 1 千 

五 百年 間の 長さが あらう が、 また 或は 世界に 比類な き ほど 

に、 一 點の? S 瑾 もな き圓満 なる 體系 美が あるに しても、 そ 

の 一 切 を 通じて • 深刻なる 人間的の 何もの もなかった こと 

を斷: iiic する に 少しも 恽ろ こと の 必 要 はない こと S 思 ひま 

す。 その 歴史の 全體 のべ 1>K を じて、 一 として、 人間 本 

性の 刺激のう ちに 生れた る 深刻な ろ 精神の 發現を 見ろ こと 

はでき ない のであります。 

日本の 一 一千 五 百年と 稱 すろ 全 5S の 歴史 を 通じて 果して 何 

ものが 殘 るか。 われ 等 を 指導し、 われ 等を敎 へ、 われ 等 を 

興奮せ しめ、 われ 等 を 靈感 せし む./ き 何もの が殘 されて ゐ 

るか。 



私 どもの 祖先 は 戰爭に 長 じ, 勇氣に 富み 掣劍に 巧みで あ 

りました。 けれども 一 一千 五 百年と 稱 する その 長き 生活の 歴 

史を 通じて, 遂に 一 度たり とも 彼等 は 彼等 自身 を 知る こと 

はでき なかった のであります。 それ ゆへ に 日本の 歴史 は そ 

れが 公卿の 歴史、 武家の 歴史. 「百 人 一 種」 の歴 ar 英雄の 歴 

史 であるに しても、 決して 眞實 なろ 人民の 歴史と 申す こと 

はで きないの であります。 そ の &實な る 人民の 歴史 を 創造 

する ことの 任務 は、 私 どもの 現代の 日本の 民衆の 開拓に 任 

すべき 荒蕪地と して 殘 されて るるので あります。 

その 荒蕪地 を開懇 すべき 時代 かきました。 これが われ 等 

の 新時代 運動であります。 それ ゆへ に 新時代 運動 は 日本の 

歴史の 破 填で はなく して 日本の 歴史の 創造であります。 皇 

室 的 傳統の もとにお ける 日本の 民衆 史の 創造であります。 

新時代 運動の 意味と 儻 ii! と はこ W 1 點 にある と 申して 差 支 

へない のであります C 

民衆 蓬 動 $ 間の 本性の うちにお けろ 民主主義の impu- 

lse から 生れます.' その impulse から 生れた もの >? み * 實 

の 民衆 運動であります、 また その 運動の み最實 の 新時代 蓬 

動でなくて はならない のであります。 然 り、 新 代 運動と 



は 民主主義の 蓮 動でなくて はならない。 從 つて 人民 自身の 

運動でなくて はならない。 人民 自身の 運動 は、 人民. かそれ 

自身 を 知る ことから その 第 j 歩 を 始めます。 

日本の 民衆 は、 何 ごとよ りら 先き に.、 彼れ 自 から を 知ら 

なくて はならない。 ^代の 變鸫 期と は * 日本の 民衆が 彼れ 

自 から を 知り始め たこと を 意味し ます 。、然 り、 日本の 民衆 

もまた 彼れ 自 から を 知り始めつ >. あります。 今日の::! 本に 

おけろ 人心の 動搖と は、 いふまで もな くこの 時代の 變鸫期 

を 物語って ゐる ものであります。 この 時代の 變轉期 を正當 

に 指導す る こと. か 謂 ふと こ ろの 新時代 蓬 動で あります。 

新時代 運動の 聲は隨 所に その 火の手 を揚 ゆて ゐ ます。 そ 

の 運動 は 未た 決して 有力なる 組 戯 的の 運動で はない。 あり 

のま >- にいへば 極めて 蕪雜 にして 無責任なる 運: 動で あり 

ます。 それに も か >- わらす その 蕪 難に して 無責任なる 速 動 

も動搖 しつ あな 民心の 何れ かの 微妙なる 一 點に觸 れてゐ 

ますつ こ > に 凡ての 新時代 運動の a 典 理が潢 はります。 それ 

と >- もに 今日までの 新時代 運動の 凡てが 蕪雜 にして 無責任 

であるに しても、 それ は 決して 新時代 蓮 動の 前途 を 悲觀す 

るの 理由と はならない。 それ 等の 蕪雜 にして 無責任な ろ 新 

時代 運動が 〈# ふ ベ から ざ ろ 民主主義の 道德的 勢力に よって 

逐 せられる 時に、 暴 實なる 新時代 運動が 起り ます。 



食なる もの は榮 えます。 虛僞 なる もの はやが て 減 亡の 

秋. かきます。 虚^の 廢墟 のう へ に、 真實 なる もの 殿堂が 

築かれます。 虚^の 新時代 運動の 廢墟 のうへ に、 * 貪なる 

新時代 運動が 生れる. のであります。 

プロパガンダ 

の權利 

新時代 運動 は 言論 速 動に.^ つて その 火の手 を掳 ゆて きま 

す。 フランス 革命が デ イデ 口 ー ゃルソ ゥゃヴ オル テ— ルの 

文字に よって^ 導され たことの 多かった がごと く、 今日の 

新時代 運動 もまた 1 百 運動の 影 iJ をう ける ことの 大 なる も 

ので ある こと は 勿論であります。 この 言; Ji 運動 はこれ をプ 

口 パ ガ ン ダ Propaganda と. & します。 

ブ 口 パガン ダは 一 切の 諸 速 動に 使 川され ます。 民主主義 

においても、 軍國 主義に おいても、 貴族. ff; 義 においても、 ブ 

口 パガン ダは、 今 曰の^ 界 において は 最も 力なろ, 機關で 

なくて はならない のであります。 

ハ I ゼが獨 逸の 獨立 社. J^: 食の 首領で ある こと は:^ 人 も 承 



知して ゐ ます。 その ハ! ゼ が大戰 中に キ. ー ル における 獨逸 

の 水兵に 向って; 牛 和 主義の 肓傅 をな した こと は、 その 當時 

の新閗 紙に よって 俥 へられて ゐ ます。 彼れ. かこの 宣^ をな 

した 時に、 キ ー ル において 水兵の 大 暴動の あった こと もま 

だ その 《。s 時の 新聞紙に よ つて 傅 へ られ たと ころ であり ま 

す。 時の 獨 逸の 海相 チ ルビ ッッ 提督 はこの 事 蜜 を 指摘し 

て、 ハ —ゼ 等の 一 派を國 家の 叛逆 者で あろと 主張し まし 

た。 - J の ST 趣 は 忽ち 獨 逸 帝國議 會に大 波瀾 を 捲き 起す ベ き 

問題と なりました。 その 時に 今 H の獨逸 共和 國の 大統領 ヱ 

1 ベルト は、 チ ルビ ッッ 海相の 態度 を攻擊 して、 凡ての プ 

口 パガ. ンダは 政 黨の當 然の權 利で ある こと を 主張して ゐま 

す 

私 ども はこの ェ I ベ ルトの 立場に 贊 成し. ます。 プロ パガ 

ン ダは國 民の 權 利でなくて はならない。 一 切の プロ パガン 

ダが國 民の 權利 として 承認 せられる ものでなくて は、 民衆 

の 指導と 啓蒙と は 不可能であります。 民衆の 啓蒙と 指導と 

が 不可能と せらる 時に、 その 民衆 を 支配す ると ころの も 

の は 秘密 出版と 暴動と であります。 

DiJ 衆 を僧恶 する も^は ブ P パガン ダ に反對 します。 



5 



秘密 を 愛すろ もの はブ 口 パ ガ ン ダ に反對 します。 ブ 口 パ 

ガ ン ダは 民衆 運動の 最も 有力な ろ機關 であります。 それ ゆ 

へ に 民 茶 運動が 公 明なる 速 動で ある ベ きが ごとくに、 凡て 

のプ 口 パガ ン ダ. は 公明なる 運動でなくて はならない ので あ 

り +0 す 

プ 口 パ ガ ン ダ.. か 秘密に 行 はれる こと は、 プ 口 パ ガ ン ダ の 

權 利が 承認され な いがため であります。 そのような 狀 能^に 

おいての 民衆 運動 は、 獨りプ 口 パガン ダ において のみでな 

く、 その 一 切の 方法に おいて 陰 謀 的の もので あり、 また 從 

つて 危險性 を もって ゐ ます。 危險牲 の 母 は 秘密 政治に あり 

ます。 その 秘密 攻治 か ら陰諜 と危險 思想と. か 生れます。 

民主主義 において は、 人々 は 先づプ 口 パガン ダの權 利 を 

與 へられなくて ほなら ない。 



文化と 危險 思想 

ある 評論家に 從 へば 帝 國大學 は危險 思想の 根源で あると 

されます。 或, はさう であるか も 知れない。 若しも その 通り 

であると すれば 日本に おいての 危險 思想な,. ものが 至って 

12^ 建で ある ことの 事赏を 示す ものであると 、 もに、 B 木に 



おける 政治 狀 態の 最惡 である こと を反證 すろ ものでなくて 

はならない のであります。 

ありてい にいへば、 ^闽 大學は 決して 日 木に おける 文化 

の 中心で ある こと はでき ない。 今日の 帝國大 學に對 して は、 

私 ども は そのような 信用 を拂 ふこと はでき ない。 いふまで 

もな く 私 ども は 帝 國大學 のうちに も 卓越した る舉 者の 存在 

する の; sH 貧 を 否!^ I する もので はない にしても、 それ 等の 一 一、 

三の 舉 者の 存在す る こと 6. 事實 は、 帝 國大學 を もって 日本 

における 文化の 中心とすな ほどの 重味 ある ものと なすこと 

はでき ない。 それと は 丁度 正反對 である, とも 申す ことが で 

きます。 例 へ ば 帝 顧 大舉が 日本に. おける IB 僚 政, 治の 思想 的 

の支持^!^でぁったことは旣に久しぃ事實でぁる。 それに も 

かかわらす 、日本の 政治的 文化 は、 帝 國大舉 を 時勢の 潮流 か 

ら 取り 殘 して、 帝 國大舉 S 期待した ろ 攻治的 文化と は 正 反 

對の 方向に 漸進して きた ものであります。 それ ゆ へ に帝國 

大學を もって 日 木に おける 文化の 中心と なす f 〕 と は 素より 

帝國大 學に對 する 買 被りでなくて はならない。 た > 最近に 

なって からの 帝 51 火 學は稍 やその 長夜の 眠りから 醒めよう 

としつ >r あろ。 帝 國大舉 が 世間の 進歩の 後 を隨從 してきた 

ので ある。 その 隨從の 事寳を 見て、 帝 國大學 が危險 E 、お. 5 の 



? 中心で あるかの ごとくに.; i する こと は、 素より 正しき 批評 

家の 批評で はない。 それ はた > ある 保守 主 翁 者の 苦悶 の 言 

葉で あるに 過ぎない。 それにしても 今日まで 官僚 主 殺の、 淵 

装と さわて. きた 帝 國大舉 が 何故に 世間の 風潮に 隨從 する よ 

.フ になって きた もの であらう か。 わ れ 等の 注意 を耍す る點 

は卽ち このところに 存 すろ,. 

私 ども は 革命 前の 口 シァ において、 属 々その 國 の大學 * 

特に モ ス クグ 大學 が危險 思想の 淵叢と された ことの 事實を 

見ます。 獨 り大學 ばかりで はなく して 貴族の 靑年 が屢々 危 

險 思想の 中心であった ことの 事 實を 見ます。 トル スト ィゃ 

ク 口 ギト キン や リュォ フ 公が 貴族で ある ことの 事 蜜 を 指摘 

しなく とも、 ロシアに おける 改革 ま.;, i は 革命の 諸 運動 は、 

屡 々食 族の 子^に よって 指導 せられて みる こと は、 P シァ 

の 革命 史 を!; 跟む もの X 何人も 承知して ゐ る事寳 であ 勺 ま 

す。 それ は 何の. ためで あらう か。 

貴族が 多くの?! 合に おいて 保 {寸 黨 である こと はいふまで 

もない。 大學 もまた 多くの場合 において 保 守黨の 巢窟 であ 

ろと a. す ことができます。 英國の 諸 大舉の ごとき は 明らか 

にこれ を證 明して るます。 それに も か、 わらす 大舉が —— 

6 木 または ロシ ァ の大學 が危險 思想の 中心で あり、 または 



ありと せられる こと は 何のた めで あるか。 その 國の 文化 

が、 他の 多くの 國 S 文化よりも 著しく 後れて ゐる こと を證 

據 立て >f ゐるものではなか^x、r^か• 

貴族に 屬 する もの は、 诀 して 彼れ 自 からの 生活 上に おけ 

る痛叨 なる 應迫 からの 彼れ 自身の 自覺に 到達す る こと はで 

きない。 この 點 において 貴族に 生れた ろ も S は 決して 現代 

の指導^!^となることはできなぃ。 大擧の 世間 知らす の 輋 生 

諸君に しても、 彼れ がその 貧しき ノ — トを もって 誇りと し 

つ 、ある 間 は、 彼等 は 決して 民衆の 指導者と なろ こと はで 

きない。 大學 卒業生 特に 法科 大學の 卒業生の 多くが 役人と 

なり 會 社員と なることの; aH 莨に 見ても、 彼等が 現代 社會速 

動の 指導者と な る こと の 抱負と 實 力と を もって ゐな いこと 

は 明. いであります。 それに も か. - わらす、 政治的 文化の 著 

しく 低級な ろ國 家に おいて は、 この 世間 知らす の大舉 S 先 

生學 生また は i 族の 子弟 も、 世間の 平準よりも ! 歩 先き の 

立場に 立つ ことができます。 何と なれば、 彼^ は 多数の 無 

舉 者よりも、 その 潢 文字 讀 みの 理由 をもづ て、 諸 外 國の狀 

況 に 通す る ことができる からであります。 諸 外國の 狀況に 

通す る こと は その 自國の 文化 を 正當に 批判すべき 第 一 步で 

あります。 この 第 一 步の 便利 を もって ゐる ものが 橫 文字 讀 



7 



みの 諸君であります。 そ の^ 文字 を 通じて そ の國の 文化が 一 

他の 諸國の それよりも 著しく 劣等の ものて ある ことが 感得 丄 

せられる 時に、 その 感得した る もの は 改革者と なり、 また; 

革命家と なること もあります。 卽ち謂 ふところの 危險 思想 一 

の醱 生者と なろ ことができる のであります。 - 

それ故に 大舉 が危險 思想の 中心で ある ことの 事實の 肯定. 

される こと は、 その 國の 文化の 劣等で ある ことの 事實 の肯; 

定 されら ことでなくて はならない のであります。 私 ども は 一 

謂 ふところの 危險 思想 を 恐れる 前に 先づ私 どもの 一 切の 文 一 

化の 劣惡 である こと を 死なくて はならない。 .1 



「我が 國」 の 煩悶 

「我が 國」 が 迫害 さ れてゐ る 時に 、「我が 國」 を 高調 する もん 

の. は愛國 心であります。 それと は反對 に、 「我が 國が 順境に 一 

ある 時に、 徒に 「我が 國」 を 高調し、 「我が 國」 S 膨張 を 主張 一 

し、 さう して 一 切の 排外的の 態度に 出づる もの は、 國家的 

利己主義 egoism であります。 

一 九 一 四 —— 一 八 年の 世界 戰爭 は、 各國 における 愛 國心ー 



を說據 立て るます。 それと 、 もに 國家的 利己主義 また 自 

我 主義の 立場 は、 だんぐ に危 險に陷 つて ゆきます。 

民主主義 は t ュ國 心と もに 立ち. ます。 國家的 利己心 は 民 

主 主義の 最 先に 拂 斥す ると ころであります。 それ ゆへ に 民 

主 主義の 榮 える こと は、 國家的 自我 主義 または 利己 主穀の 

減 落 を 意味し. ます。 その 自國 偏愛 主義 challvinii の减落 

の 時. か 近づきつ. - あります 。「我が 國」 の 煩悶 はこのと ころ 

から 出發 します。 日本に おける 官僚 * 軍閥 または 資本 的.、 チ 

ンゴィ ストの 一 派の 諸君の 烦悶 はこのと ころから 出發 しま 

す 。「私 ども は 目の あたり この 「我が 國」 の 一派の 諸君の 煩 

悶を 見ます。 けれども lor 僚、 軍閥、 元老: ま U は 資本 的. デ 

ンゴィ ストの 「 我が 國」 の 煩悶 は、 決して 實の 「我が 國」 

民主主義の 日 木の 煩悶で ない こと は 勿論であります。 その 

一 古る き 「我が 國」 の 煩悶と. - もに、 若 かき Ei^ 主 義の 日本 

\ が、 美しき 皇室 的 傳統と もに 榮ぇ ます。 ノ .;. 



. 社會 主義 運動 

社會 主義 運動の 擡頭し てきた こと は、 今日の 日本に おい 

て G.、 われ ノ、 の 最も 深い 注意 を 要する 點 であると 思 ひま 




その 運動 は、 今日までの 日本に おいて は、 決して 强ぃ、 

さラ して 大きな 運動と なること はでき なかった もので あ 

る。 それ はた >宫 權の壓 迫の ために、 可成り に 久しき 間、 

屛息 的の 狀態 を持績 してく るの ほかはなかった ほどに、 微 

力なる もので も ありまた 少しも 國民 的の 後援 ある 連動と い. 

ふこと はでき なかった ものであります。 今日までの 經 過に 

おいて は 日本に おける 社會 主義 蓬 動 は、 一部の. 社會 主義者 

と宫權 との 爭ひ であるに 過ぎなかった ものと もい ふこと. か 

できます。 

けれども われ/^ は 明日 を 見なくて はなら な. い。 今日 ま 

での 徴カ は、 明白の 不振の 理由と なろ もので はない。 

われ, --は 素より 社會 主義者で はない。 或る 種の 社會主 

義に對 して は それに 厳肅 に反對 する ものであります。 けれ 

ども われ 等が 社會 主義者 であろ と 否と にか >r わらす、 社會 

主義 運動の 權利を 否認すべき 何等の 理由 を も A たない。 少 

くと も國 家社會 主義の 運動に 對 して、 國 家が , 〕 れを抑 藤す 

• る こと は、. その 國 家が 資本主義の 萬 能 を 理想と すろ 國 家で 

ある こと を證 明す る ものでなくて はならぬ。 

われ 等の 國 家の 任務 は社會 主義 を禁應 する ことで はなく 

して、 それ を 健全に 指導す る ことで あらねば ならぬ 。今日 



以後の 批評家の 任務 は處 に社會 主義 を 理解して、 それに 厳 

正な 批評 を; 卜す ことで あらねば ならぬ。 社會 主義に 對 して 

厳正な 批評 を 下す ことので きる 人々 のみ、 今日 以後の 世界 

に お ける 批評家と して のレ ー ゾン • デ| トル を 主張す る こ 

とが できる も のと も 申す f ^ とが できる の であります。 

然り、 われ 等 は 凡ての ものに 機 會を與 へ なくて はならぬ, 

凡ての ものから 營 養を摄 取し なくて はならぬ。 

私 ども は 革命と 暴動と 專 制と を 排斥し ます。 さう して &. 

實 なる デモ クラシ ー を 主張し ます。 眞實 なる デモ クラシ I 

は贤 明なる 國 家と 緊 明なる 民衆と を 要求し. ます。 (三月 一 一 

十日) 



デモ クラシ— の 新 狸 想 

室 伏 高 信 

ヅ. トク グ ゲヰュ がその 】.>emocia つ y in America のうちに おいて 述べ ズゐ ると: ろ は、 デモ クラシ.' の 心理 f ^よくい ひ あらわ 

して ゐる ものと 思 ひます (「民主 約の 人民 は 平等に して 熱烈な ろ、 飽く なさ * 不斷 の、 打ち破るべからざる 熱情 1 化 もつ 

ズゐ る。 it 然リ、 e-HLl おいての 平等、 奴隸 においての 平等、 た 牛 等に 對 して」 これ はヅ, トンク ゲヰュ の 著 ^$1 中の 一 節で あ 

ります。 ;. ァ乇 クラシ-の 心理 は 平等,^ 好 愛する 人々 の 熱情のう ちに 存在し ます。 プ 中-ノクス もまた その 名著 The Social Unrcat 

のうちに おいて、 民主主義の中核の思想は|^1.等1^求むろ、、との熱情でぁること1-^指摘してゐます0 

二) 

^界の 歴史の】 フち において * 最も 早 やく 民主々 载を 主張した もの は プロ タァゴ ラスであります。 彼れ に從 へば、 天祌 

. ゼウス は、 人間に" が li! と 耻ビを 一 樣に 且つ 同等に 領ち與 へた かゆへ に、 人間の 社會は 民主々 義の 發展に 適して ゐ るの 

であると o( 拙著 「民本主義 について」 參照) そ s-lc 葉に よっても 知られる とほり、 民主々 義は その 世界に おける 最初の 

主張者の 時から、 平等の 甲い 想のう へに 立って ゐ ます。 11 り プロ クァゴ ラスに おいてば かりで はない。 へ レ ニックの 凡て 

フリ I- メン 

の 民主々 装 は みなこの 平等の 思想と ュ もに 生れて ゐ ると 申す ことができます。 そのへ レ ニックの 民主々 義 はた, 自由 民 

ター においての 民主々 莪 であり、 それ は多數 の奴隸 民と は沒 交渉の ものであります。 この 點 にへ レ ニック 民主々 義の 一大 弱 



點 が":; w はります。 それに も か、 わらす、 スパルタに おいても、 ァ ゼンス においても、 その 民主々 装 は 貴族の 特權 に反對 

する ものと して、 貴族と: 牛 民と S 間にお ける 政治的 平等の 愁求 として それ 等の 民主々 義が 生れて ゐ ます〕 口! マ の 民主 

主義 もまた 貴族の 特 權に對 すろ 平民の 反對 として 生れて ゐろ こと は 勿論です。 フラン ス 革命の 民主々 義 において は、 人 

問 はみ な 「平^に 造られたん S である」 こと を 宣言し ました。 その 人間が ギ 等に 造られた, ものである とする の哲學 によ 

つて フラ ン ス 革命.. か 肯定され たのであります。 その 思想 はブ 口 タ ァゴ ラ ス の それと 全然 同 1 の ものであると すろ ことが 

できろ のであります。 現代 民主々 義は 明らかに フランス 革命の 民主々 義を 敵と します。 それ を 正面の 敵と して 立ち ま 

す。 それに も か. - わらす、 現代 民主々? g の 目的と すると ころ は 依然として 自由と 平等 6- 要求で あり、 その 自由と 平等 

の 要求で ある ことの 點 において は、 少しも フラ ン ス 革命の それと 異る とこ はない のであります。 卽 ちその 民主々 義の求 

むる ところ は、 勞働 階級の ための 平等の 慾 求、 自由の 慾 求であります。 その 勞働 階級の ために 自由 を 求し、 1^1.等を要求 

. する こと は 現代 民主々 義の 中核で あると 申す ことができます つ 、 




現代 民主々 義は フラン ス 革命の 民主々 義を 正面の 敵と して 出發 します。 フラ ン ス 革命の 民主々 義と 現代 民主々 義とは 

相 許す ことので きない 敵 同志で あると 申す ことができます。 ラッサ ー ルが 何 ものよりも 先き に また 何ものに 對 してより 

も 强烈に その 國の 自由主義の 諸攻黨 に反對 して 立った こと はこの 事寳を 巖も雄 辯に 物語って ゐ ます。 彼れ が 自由主義の 

諸攻黨 に反對 した こと は 決して 自由 そのものに 反對 した ことで はない。 その 反對 である。 その 反對に 自由主義の 諸政 黨 

11 諸攻黨 とい ふより は、 それが 代表す る資產 階級の 顯權 に反對 した ことであります。 フラン ス 革命 は 一 面に おいて 凡 

ての 人間が 平等に 造られた こと を 宣言して ゐ ます。 それに も か. "わらす その フラン ス 革命に おいての 民主々 義は、 た > 

公民 citoycn においての 民主々 義 として 終った のであります。 中世の 都市に おいて 發 達した る 資産 階級に 對 して 政治 上 

の權 カを與 へた もの-か フラン ス 革命であります。 それ ゆへ に フラン ス 革命 は 一 面に おいて は 貴族的 ォ ー トク ラシ —に對 



する 革命 e あると、 もに、 また 他の 一 面に おいて は資產 階級 的ォ! トク ラシ— の 創造で あると 申す ことができます。 そ 

の 民主々 義は 貴族的 ォ ー トク ラシ— を破壤 する ことにお いて は憷に 埋没す ベ からざる 功績 を も. つてお ります。 けれども 

また それと. - もに 今日に 至る まで 百數十 年の 久しき に 百 一って 資產 階級 的ォ ー トクラ シ— を 築き あゆた ことにお いて 辯^ 

すべから ざろ 罪 惡 をな しとけ てきた ものであります。 最近 百數十 年の 世界 はこ S 資産 的ォ I トク ラシ ー のために 惱 まさ 

れ たる 慘詹 たる 記 錄の 堆積であります。 この 世界に おいて 産み出され U る もの は 資本家 階級と 勞働 階級と であります。 

資 產的ォ ー トク ラシ— によって、 資本家 はた > に攻治 的に おいてば かりで はなく 社會 的に も 産業 的に も、 一 切の 覇權を 

掌握す る ことの 生活 體系を 組織す る ことができた のであります 。この 一 切の 體系を 指して 資本主義 PP 一 一一 i と 申し ま 

す。 この 資本主義の 覇權の もとに その 一 切の 自主的の 立場 を 失って、 社會的 政治的 産業 的の 一 切の 生活の 最下 歷に 落さ 

れ たもの が 卽ち勞 働 階級 Proletariate であります。 それ ゆへ にこの 勞働 階級 は フランス 革命の 謂 ふところの 自由主義の 

名に おいて 社會の 最下 歷に 墜落す るの 止むな きに 至った ものであります。 卽 ちその フラン ス 革命に おいての.^. S とはノ 

口の 最大 多數を 占めて ゐる勞 働 階級の ために は、 た、. r 社會の 最下 靥に 墜落す ろ ことの 自由で あると 申す ことができ ま 

す。 かくして フランス 革命 後の 世界 は、 自由と いふ ことの 名に よって, それまでの 世界に おける 如何なる 階級 も 比較す 

る ことので きない 一 つの 强大 なる 階級 11 ブル ジョァ 階級 を 押し立てる こと、 なった のであります。 その 階級の 强大で 

ある だけ、 それだけ この 階級に おいの て霸權 は、 階 他の 如何なる 階級に おいての ものよりも 强大 なる もので あり、 ただ」 

政治的の 領域に おいてば かりで はなく、 社會的 または 產業 的の 領域に おいても その 霸權を 押し立てた ものである。 從っ 

て その 覇權は 貴族 主義 または 君主 專制 主義の ごとき 無 内容に して 且つ 形式的の もので はなく、 人間 生活の 一 切に 貫通す 

る霸權 であります。 また 從 つて 人間 生活の 一 切 を 支配す るォ ー トク ラシ— となった のであります 




資本 的ォ ー トク ラシ I の 力. が强大 であれば ある ほど、 その ォ ー トク ラシ ー によって 支配 せられる 勞働 階級の 苦痛 は 深 



"一 刻なる ものである。 フランス 革命の 前にお いての 公民 は、 その 時に おいての 貴族 主義から、 或は また 宗敎 的覇權 papa, 

Ih ege ョ cny からの 迫 をう けたに しても、 彼等のう けた 迫害 は 決して その 生活の どん底に おいての 苦痛で はない。 彼 

^に は 信仰の 自由が なく、 首 論の,: m 由が なく、 所有の 自由が なく、 また lis:: 結社の自由がなかった にしても、 それ 等の 

もの は、 多く は 政治的の 關係 において のみ S 迫害で あろ。 これと は反對 に、 資本 的ォ I トク ラシ I の もとにお いての 勞 

働 階級のう くると ころの 迫害 は、 その. 産業 的の 世界から 始まる。 從 つて 彼れ の 日常の 生活の 問. 题 かち 始まって くる。 彼 

れの 生活、 彼れ、 の 父毋. S 生活、 彼れ の 妻、 彼れ の 小 供の 生活の 問題から 始まって くる。 その 5 くると ころの 苦惱は 彼れ 

の 祖先の 味 はった ことのない ほどに 傷まし いもので ある。 傷まし い 苦惱は 人間の 心 を 深刻な ものと します。 その 深刻な 

る 人間 生活の 苦惱 から 現代 民主々 義が 生れます。 それ ゆへ に^ 代 民主々 義は、 如何なる 時代に おいての 民主々 義 よりも 

厳肅 なる 民主々 義 であります。 人? i 生活の どん底から: Ji^; れて くる 民主々 義 であります。 然り、 どん底からの 民主々 義で 

. あります。 どん底からの ものであるが ゆへ に、 それ は厳肅 なる もので あり、 それ は 一 切 輕佻浮 蒲なる 何もの を も、 つて 

はゐ ない のであります。 

(四) 

どん底に おいての 人 問 生活の 苦^ は、 た、" その どん底に 立って ゐる人 のみ、 さう して A に道德 的で ある 人の み、 これ 

を 理解す る ことができます。 それ は學 者の 玩弄物と して は あまりに 傷まし い 民主々 義 であります。 また 政治家の 人氣取 

りの 道具と して は あまりに 厳肅 なる ものであります。 それ は诀 して ルソゥ や、 デ イデ や、 ヴ オル テ ー ル 等の ような 

高慢な i<i 想 家に よって 理解され る もので はない。 況ん ゃ滔々 たる {4.; 疎なる 形式 法律家の 理解し えられる ものと して は、 

それ は あまりに 深刻なる 人間 精祌の 苦悶 詩であります。 , 】 の 深刻なる 人間 精神の 苦悶のう ちに 傷まし く 彼れ 自らの 生活 

の 解放 を 要求す ると ころの ものが 現代 民 if -々 であります。 



(五) ^ 

それ ゆ へ に 現代 民主々 義は 資本 的ォ. ー トク ラシ ー に反對 すろ ものと して 出發 します。 また それ ゆ へに フラン ス 革命の 

空 ほ, いに 反對 して 立ちます。 さ 5 して 努働 階級の ための 眞實 なる 自由と 解放と やつ チズ 求し ます。 それ ゆへ に 現代 民主々 義の 

1 大待質 はいふまで もな く勞働 階級 主義と して 出發 する の點 にあります。 

刖 にも 述べた とほり、 资木 主義と は^に 產業 的の: 親権で もな く、 政治的の 覇權 でもな く、 政治、 產紫、 社會の あらゆる 人 

間 生 を晃 律し 支配す る j 切の 領域に 莨 流す ると ころの 體 系であります。 それ ゆ へ にこの 資本 的ォ ー トク ラシ ー からの 

解放 は、 また 社會 的、 政治的、 産業 的の 一 切の 人 生活 を 規律す ろ 局面に おいての、 勞働者 階級の 解放でなくて はなら 

ない のであります。 他の 首 一 1^ を もっていへば 現代 民 虫々 義は „nB- に 政治的 領域に おいての みの 空疎に して 樂天 的な 民主々 

義 ではなく して、 社會的 または 産業 的の 領域にまで 突入して ゐる とこ. ろの 深刻なる 人間 精种の 要求であります。 この 點 

に 現代 民主々 義の 第一 一の 特質が 存^し ます。 それ ゆへ に 現代 民主々 義は 政治的、 社會 的、 産業 的の 人間 生活の 一 切の 領 

^における 自. £、 平等の 慾 求で あると 巾 す f J とがで きます。 

(七) 

かくして 現代 民主々 義は、 社會 的、 政-治 的、 產業的 S 人 Si 生活の あらゆる 領域に おひる 自由、 平等の 慾 求で ありま 

す P もっと 具體 的に i へ は 現代 民主々 殺 は それ 等の 一 切の 領域に おい C の 被 支配階級 たろ 勞働 階級の ために その 一 切の 

領域に おいての 自由と 平等と を 熱 切に 要求し ます。 けれども この 勞働 者の ために 自由と 一 とを耍 求す る こと は、 決し 

^ て勞働 者の ための 霸 權を耍 求す る ことであって はならない。 それ-か 顧權の 要求で あろと すれば、 何もの. - ために 霸權を 



;? 一 要求す る ものである にしても、 それ は 決して 民主々 藜の 精神で あろと. S. す こと はでき ない。 綠 返して いへば その 覇權が 

貴族の ために 要求 せらる. - ものである にしても、 資產 階級の ために 要求 せらろ、 ものである にしても、 また 或は 勞働階 

級の ために 要求 せらる. - ものである にしても、 それ 等の もの は 一切 民主々 義 ではない。 貴族の ために 覇權の 要求せられ 

る 時に アリス トク ラシ ー が 成立し ます。 資產 階級の ために 覇 權の耍 求 せらる 、 時に プ ルゥ トク ラシ ー が 成立し ます。 勞 

働 階級の ために 覇權が 要求 せらる 時に 過激 主義が 成立し ます。 それ 等の もの は 一 切 民主々 義 ではなく して その 反對で 

あります。 ベ ルンの 國 際社會 黨會議 において, デモ クラシ ー の 名に おいて 過激 主義 反對の 決議の 發 表せら る、 に 至つ. U 

こと はこの 事 實に對 する 有力なる 證 明でなくて はならない ので あり. ます。 然り、 民主々 義の耍 求す ると ころ は 一 切の も 

の.! ためにす る覇權 dictatorship の 要求で はなく して その 反對 であります。 その 反對に 自由と 平等と を 要求し ます。 

(八) 

「第 四 年に 於て は」 エッチ •, 、チ *ゥェー ルスが 最近の 著述であります。 彼 は その 窨物 のうちに おいて、 今日の 民主々 毅を 

代表す る ものが 比例 代表で ある こと を 述べ てゐ ます。 この こと €; 意味 は少數 代表と いふ ことであります。 少数者の 意思 

を 尊重 するとい ふこと は、 あらゆる もの ュ 自由 を 尊重す る ことの 意 f- であり ュ 6 す。 それと X もに あら ゆろ もの 、 專制を 

排斥す ろ ことで あり. ます。 その $S 面の 目的と すると、 J ろ は 多数の 萆制を 排斥す る, 〕 とであります。 多数 者の 支配 は 古る 

き 代議政治の 思想に、 おいて は、 民主々 義 そのもの であると 考 へ られ てきた と. &す ことができます。 けれども 多數 者の 支 

配と いふ こと は、 その 一面に おいて 少数者の 被 支配と いふ ことが^ 在し ます。 その 數の 大小 は 鬼 も 角 もとす ろ も、 そこ 

に は 糙に被 征服 階級の 存在す る 事實を 見なくて はならない のであります。 旣に被 征服 階級が 成立す る 以上 その 組織 は诀 

して 自由の 組織、 平等の 組織、 人民 全體の 組織と 申す こと はでき ない。 從っ てこれ を 民主々 義と稱 する こと はでき な 

い。 最大 多数の 最大 幸福 說か 成り立たない 限り、 多数 者 は 決して * 理と稱 する こと はでき ない。 その 反對 であろ。 その 

反對に I つの 專制 政治であります。 シ ドニ ー • ウェッグ はこれ を 多 數者專 制 Majority tyrany と. S. して ゐ ます。 ゥ エツ 



ヴが これ を 多 數者專 制と 申して ゐる こと は、 ゥェ— ルスが 比例 代表 を もって 民主々 義 の表徵 であると 申して ゐろ こと. - 

同 一 の 精神であります 。その 精神. か 民主々 義 であります。 民主々 義は 凡ての 種類の 征服に 反對 します。 さう して 人間 生活 

の 自由と 平等と を 要求し ます。 この 自由と 平等との 要求で ある ことの 點 において は、 ブ ロタ ァゴ ラスの 時代から、 今日 

の努働 階級 民主々 義の 時代に 至る まで、 あらゆる 時代の 民 ii- 々義に 一 莨した る大 精神で あると 申す こと. かで きます。 然 

り、 民主々 義とは 一 つの 精祌 であります。 自. e と 平等と を 慾 求して 止む ことなき 人間 精神 そのもの として 民主 々营 力 有 

在す るので あります。 

けれども こ >t に 自由と 平等と を 主-張す る こと は、 決して 凡ての 人 問が 平等に 造られ たこと を 主張す る ことで はない。 

凡ての 人間が 平等に 造られた ものであると は 米 國獨立 宣言の 大文字であります。 また それ は フラン ス 革命の 宣言の 基礎 

ともなって ゐ ます 。凡ての 人 は 生れな. からにして 自由で あり、 凡ての 人 は 生れな からにして 平等で ある ことが フラン ス^ 

命の 立場であります。 その 立場から して 人間の 歴史上に おける 最も 德儋 た」 な. K 革命が 成立して ゐ. ます。 近代の 諸 ^家に 

みなこの フラン ス大 革命の 影響 をう け ざろ はない と 申しても 差 支がない。 それに も か、 わらす その フラン ス?: rr 命に お. - 

ての 自由と 平等の 宣言 は 一 切疏愫 であり、 空想で あると 申す ことができます。 人 は 決して 平等に 造られた もので もな 

ければ、 また 決して 自由に 造られた もので もない。 却って その 反對 であります。 凡ての 人間が 平等に 造られた とする こ 

と は 一 切の 人間の 進化 史を 抹殺す る 議論で あらねば ならぬ。 また 人間の 天賦の.^ 能の 優劣 ある 厳然たる 事實を 否認す る 

ものでなくて はならぬ。 天賦の 才能の 僵劣 は、 われ 等の 世界に おいて は、 如柯な 詭辯 家 もこれ を K::li する こと はでき な 

い。 ミケロ アン., チェ P と 市井の 一 彫刻家と を もって、 ともに 平等に 造られた ものであると 論, ずる 人が あると すれば その 

人 はた 5r虛l^の批評家でぁると申すのほかはなぃ。 私 ども は 疏偽を 排斥し. ます。 私 どもの 論す ると ころ はた の t や-想で 

^ あって はならない C 人間 生活の 厳然たる 事實 から 出發 する ものでなくて はならない。 その 舉實 から 出發 する もり..^ 人 



巧 一 間が 決して 平等に 造られた もので ない ことの 事 實を 承認し ます。 然 り、 人間 は 不平等に 造られた も S であろ。 こ S. 不平 

等に 造 もれた もの を • 一切: 牛 であると 前提す ろと ころの 主張 は 民主々 義 ではなく して 暴民 政治の 主張であります。 そ 

の 政治 はお ダ凡腐 主義で あり、 數量 主義で あり、 多数決 萬 能主载 であり、 さう して 民主々 義 ではない。 民主々 裟は その 

ような 虛 係の 主張で はない のであります。 

あ,, "種 S 藝術家 は: 藝 術は贵 族 的で あると. & します。 また 民主々 義は藝 術に 適しない と 申す もの. もあります。 これ 等 

の 人々 は、 民主々 载を もって, た 5- isf に數紫 的に 多数決 を氣. 理 であると する の 主張で あると 考 へて ゐる 人達 であり ま 

す。 その人達はフラン ス^.命の民主々载に囚はれてゐます。 その 十:: ろき 幻影のう ちに 民主々 義を 怖へ てゐ ます。 けれど 

も その:^ へたと すると ころの もの は 民主々 義 ではなく して、 古る き、 さう して 减落 したる 幻影であります。 現代 民主々 

義は旣 に 主々 義 自身の 立場に おいて 一大 革命 を遂 けて ゐ ます。 民主々 義 に反對 する 人々 は、 その 反對と 否と を诀 すろ 

:ii に先づ 民主々 義 自身に ついての 眞實 なろ 理解に 入らなくて はならない。 その 凰實 なろ 理解に 入ろ もの は、 民主々 義. か. 

決して 藝 術の 立場に 反逆す ろ もので ない こと ーゲ承 II します ok 實 なる 民主々 薪 は 獨り藝 術と 兩立 する ことので きる もの 

であるば かりで はない。 * 實 なる 民主々 赣 において こそ 藝 術の 榮 えが あると 思 ひます。 何と なれば 民主々 袋 こそ あら ゆ 

ろ藝 術に 機 會を與 へる ものであるからで あります。 




民主々 義 においての 平等と は 何んで あるか。 この 問 超に 答へ たる もの >. うちにお いて、 私の 最も 興味深く 感す るの は 

ァ ブラ ハ ム • リン コ I ン であります。 彼れ は 奴 隸の廢 止に よって 不朽に 俥 へらるべき 人であります。 彼れ は 奴隸に し 

て 熱 切な 同情 を 寄せます。 さう して 白人と 奴隸 との 問に おけろ; 牛 等 を 主張し ます。 彼れ の 血管に は 米 國獨立 宣言の 大精 

种. か 流れて ゐ ます。 彼 は 世界に 於け る 最大の デモクラット であると されます その アブ ラハ ム • リン コー ンは 一 八 六 一 

フ ヒ ラデル フ ヒ ァの 獨立會 館に おける 有名なる 演說 のうちに おいて、 『凡ての 人々 の 肩 上から, の 負 擔を 除き、 さう 



して 凡ての 人々 をして 平等の 機會を もたせなくて はならない』 f J と を 述べ てゐ ます。 また さう して この 凡ての 人々 に 平 

等の 機 會を與 へる ことが、 『米 國獨す Ml 旦言 のうちに 宿れる 感情で あろ-.! こと を 述べて ゐ ます。 それ ゆ ゑに 彼れ においての 

}^等とは人間が平等に造られたとすることの空想的の1^}-等ではなくして、 人間 生活に おける 各人の 機會の 平等 equal 

chance であります。 各人の 機會の 平等に おいて ァ ブラ ハ ム* リン nl ンの 民主々 毅が 存在した のであります。 人民の、 

人民に よっての, 人民の ための 攻 治と は、 彼れ において は 各人に 對 する 攻治 上の 機會の 平等と いふ ことに ほかなら な 

かった のであります。 この アブラハム • リン. コー ンの 立揚 はまた 同時に 今日の ソ —シァ ル • デモ クラシ ー においての 

シド 二— • ゥェ ッヴの 立場であります。 ゥェ ッヴ において は、 民主々 载とは 次の ごとき ものであります 『われ/、 は 

社會の 凡ての 人々 がその 天賦の 才能 を 使用し 且つ 發展 せしめろ こと の 公明なる 機會を もつ こと を 要求す る もので あ 

る』 と。 

(十二 

デモ クラシ I と は 各人の 意思の 支配であります。 社會的 領域に おける 各人の 意思の 支配 を 社會的 民主々 我と 名 づけ ュ 6 

す 3 產業的 領域に おける 各人の 意思の 支配 を 產業的 民主々 錢と名 づけます。 亦 政治的 領域に おける 各人の 意思の 支配 を 

攻. 治 的 民主々 義と名 づけます o( 拙著 「デモ クラシ ー 講話」 參照) 各人の 意思の 支配と は、 人々 がみな 征服 階級と なる 事で 

はない。 ルソゥ が 空想した やうに、 それ は 各人が みな 官吏と なることの 耍求 ではない。 卽ち 各人が 他の 人々 に. 對 して 征 

服 權を實 行す る ことで もな く、 その 征服 權を愁 望す る ことで もな くして、 他の 何人に よっても 征服せられ ざる ことで あ 

ります 民主々 篛は 征服に 對 して 非 征服 を 要求し ます。 民主々 義 においての 官吏と は、 征服者で はなく して 人民の 機關 

であります。 また 民主々 義 においての 生 產機關 と は * 人民 を ェクス プロ イットす る ことの 機關 ではなく して 人民の ゾ 

民に よっての、 人民の ための 生 產機關 であります。 それ ゆ ゑに! ii;- 主々 翁に おいての 各人の 意思 S 支配と 云 ふこと は, そ 

パー の务 人が 他の 何人 をも征 m すろ ことで はなく してた,. - 彼れ 自ら を 征服せられ ざる ことであります、 モンテス キ ュ ー は自 



00 由 を 義 して、 自. S と は その 欲する ところ をな し、 その 欲せざる ところ を なすこと を强^ せら わさろ ことで あると 巾し 

てゐ ます。 この モンテス キ ュ— の 定義 はまた 移して 直に 民主々 義の定 薪に も 州ゐる ことができ ると 思 ひます。 民主々 義 

と は 各人が その 欲する と、 〕 ろ をな すと 、 もに、 その 欲せざる ところ を强 制せられざる ことで あると 申す ことが で き ま 

す。 けれども こ.! に 深い 注意 を 必要と する こと は 民主 々親に おいて、 その 欲する ところ をな すと いふ こと は、 诀 して 各 

人の 利己的なる 意思の 無制限の 發動 とい ふことの 意味で はない とい ふの 點で あります。 各人 はみ な その 利己的の 一 面 を 

もって ゐ ます。 この 一 面 は 凡ての 人間の 自然 的 生活に おいて は rs, ぶれる ことので きない 本能 的の 愁 求であります。 私 ども 

はこの 寧實を 否認す る ことの 獨 斷に陷 つて はならない。 けれども 各人が その 利己的に 欲する ところに 從 つて 無制限に 行 

動す る こと は、 他の 各人の 行動の, !:!!山 を 抑 制する ことで あり、 從 つて それ は 自由で はなく して 征服で あり、 拘束で あ 

り、 束縛であります。 ある 一 人よ たは 数人の 個人の 慾 望に おいて 他の 各人の 慾 望の 抑制 せられる ことであります。 從っ 

. て それ は 民主々 穀 ではなく して ォ— 卜 クラシ— であります。 それ ゆ ゑに 民主々 義に おいての <01 由と は、 各人が その 心に 

欲する ことの.^ 何なる 種類の こと を も 無制限に なし、 フる ことの 狀態 ではなく して 却て その 反對 であります。 その 反對に 

各人が その 一 切の 利己的 慾 望 を 捨てざる ことによって、 各人の 生活に おいての 3 典實 なる 自由が 成立し ます。 人々 は 各人 

-か その 利己的の 酏 き 慾 望 を捨 て ^る ことによって 初めて その 社會 生活に おけ る 機會の 平等に と 到 著す る こ と が で き ま 

す。 また この 機會の 平等に おいての み眞實 なる 自由が 成立し ます。 これ を フランス 革命の 民主々 義に ついて 見る。 フラ 

ン ス 革命に おいて は、 人? i が^れながら にして 平等で ある こと" リ宣 首して ゐ" にも か、 わらす、 そ? 社會 的^ 係に おい 

てまた 政治的 關係 にお いてさ へ 、 人間 生活の 平等の 機會 み與へ る こと をな してるな い.、 ある もの は廣大 なる 工場と 精巧 

なる 機械と によつ て 生 遊 手段 を獨 占して ゐ るに 對し、 社會の 最大 多数の 階級 はた、. - その 機關 によって 征服せられ るよ 

り ほかな き狀 態に 置かれて ゐ ます。 機會の 平等で はなく して 機へ II の 最高 における 不平等であります。 それ ゆ 一 Hi に 多数 

-S 人々 は货 困に 飢えます。 少々 の 人数の み榮 えます。 少数の 人々 の 征服に おいて 多数の 人々 の 被 征服か^ 祁 します。 少 

数の 人々 は そのな さんと 欲する ところ をな し 得られる に對 し、 大多数の 人々 は そのな す を 欲せざる こと を强 制される の 



であります ひ それ ゆ ゑに 眞實 なる, ほ 由と は 各人が その 利己的に なさん と 欲する こと を 無制限に な寸 ことの 狀能ラ じ はなぐ 

して、 その 一切の 利己的の 慾 望 を 制限す る 二と であり、 攻治、 社會. または 産業 生活に おける 人間の 機會の 平等と は. こ 

の 利己的 慾 望の 制 抑に おいて、 その 排ー if: において、 その 否認に おいての み 存在し ます。 然り 民主々 義とは 人 問 生活に お 

ける 幾會の 平等に おいて 存在し ます。 さう して その 機會の 平等と は 人 Si の 利己的 慾 望の 一 切の 否認に おいての み 存在 

します つ 

(十二) 

利己的 愁 望の 心 は 平等の 機 會の愁 求の 心で はなく して、 その 反對に 不平等の 機會を 要求す るの 心です," 利己的の 機會 

S- 慾 求の 心です。 その 心 は 征服者の 心で あり • ブル ジョァ の 心で あり、 卑しき 人間の 自然 的 慾 求の 一面であります。 そ 

れ 等の 一 切 を 捨てさる にあら ざれば 人間 生活の 機會 S 平等な ろ もの はあり 得ない。 また 從 つて 民主 々養なる もの はあり 

得ない。 民主々 義とは 利己的 慾 望に 捧仕 する ことで はなく して そ- S 利己的 慾 望 を 捨てさる ことであります。 弊, 服の ごと 

くに 捨てさる 時に、 そこに 美しき 民主々 载の 誕生が あります。 

(十三) 

フラン スの舉 命の 精髓 は人權 宣言であります 。「その 人權 及び 公民 權宣言 」 のうちに おいて は、 人間 は 生れな.. 力ら にし 

て 平等で ある こと を 主張して ゐ ると もに、 また 凡ての 人 は 天賦に 人權を もつ ものである こと を 宣言して ゐ ます。 そ 

の人權 のうちに おいて、 最も 重要なる 地位 をお めて ゐる もの. か 所有す る ことの 權 利であります。 所有 權の^ S でで ある 二 

との 宣首 は、 フラン ス 革命の 諸事 業の うちにお いて 最も 多く 人 1^ 生活に 影響 を與 へて ゐ ます。 その 所有 權种^ の 宣言の 

化 ために 中 一は 族と 僧侶との 專制攻 治み」 鸫稷 すべき 重要な 原因 を 導いて るると A もに、 またこれにょってブルジョ ァ階級り>.^ 



^一 治 的、 社會 的、 库業的 覇權. V 導く ことにな つて ゐ るので あります。 卽ち 古ろ きォ ー トク ラシ ー を 打破して 新ら しき ォ ー 

トク ラシ ー を 組織して ゐ るので あります。 その ォ ー トク ラシ I は * 人間の 自然 的 慾 求と しての、 有たん とする の 意思の 

、フ へに 立って ゐ ます。. 所有 せんとす る 意思 は、 利己的の 意 E-;! であります。 彼れ 自らの 慾 望の 充足 を 目的と すると ころに 

所有 せんとす るの 意思が 成立し ます。 その 意思の 最も 根本的の imp-lsc は 彼れ 自らの ための 愁 望であります。 所有と 

は, 自 5 の愁 望の 目的 二對 して、 他人の 利益 を 排斥して、 彼れ 自らの 欲する ま.? にこれ を 支配す る ことであります。 そ 

の もの. r 使用 か * 何に して 社 的 効用の 能率 を增 進す るかの 問題 を 考量す るの 意思で はなく して、 そのものが、 ,g 何 

にして 自己の ために 最も 多く 効用も^ 加す るかの 問題 を 考量す るの 意 甲高であります。 從 つて 所有の 意思 は * 利己的の 衝 

動から 出發 します。 その 利己的の 衝動 は、 フランス 革命に おける ブル ジョァ の 意思で あると 思 ひます。 フランス 革命の 

民主々 義 はかくして 有たん とする の 意思から 出發 します。 それ ゆ ゑに また その 民主々 簽の 特質 は 利己 主 親のう へ に 立つ 

てるる ものである す ことかで きます。 

旣に 有たん とする 意思が 人 問の 自然 的の 衝動のう へ に 成立す る 以上、 私 ども はこの 有たん とする 意思 を 全然 われ 等の 

心から 除き さろ こと はでき ないで あら、 フ。 けれども その 意思 は どこまでも 利己心の 愁求 である。 利己心の 愁求 は、 各人 

のた めの 平等の 您求 ではなく、 人民の、 人民に よっての、 人民の ための 政治、 社會、 產 業の 要求で はなく して、 それ は 

一切 排他的の ものであります。 ある 目的物に ついて、 他人の 利 盆 を 排斥す るので なくて は、 所. jl? とい ふこと はあり 得な 

い。 卽ら それ は 一 切 排他的であります。 從て それ は 征服の 意思で あり、 侵略の 意 s.^ であり、 專制愁 の 意思、 贵 族愁、 資 

本 慾の 意思で あり、 それ ゆ ゑに 民主々 の稱祌 ではなく して ォ I 卜 クラ シ I の SI 祌 であります。 

私 ども は 一 切の 利己心に 反對 し. ます。 利己心 を 排斥す る ことから 人 問の 道德的 生活 は出發 します。 道 德の第 一 歩 は 利 

fU 心の 排斥であります。 利己心 を 排斥す る こと は、 個人 を 捨てる ことで はない、 個人 を もって 利己し のうちに 沒入 せし 



める 代りに * その 個人 をより 以上の もの、 ために 捧 け ろ ことで ある。 卽ち 自己 犧牲 であります。 自己 機牲と はこれ 

を 自己 否認 または 自己 輕蔑 と區. 別し なくて はならぬ。 機牲と はた > 自己 そのもの をより 高く、 より 美しく、 より 尊き も 

せんとす ろ 衝動と は 利己的 S 衝動であります。 創造 せんとす る 衝動と は そ S 利己心の 慾 求と 相對 立す ると ころの もので 

の 、ために デ ディケ— ト する ことで ある。 從 つて それ は 自己の 發展 であり、 自己の 創造で あり、 人間の 理想に 向って 彼 

れ 自身の 最高の 努力 を拂 ふ、 3 とで ある。 卑しき 自己 を 捨て 拿き 自己に 就く ことで ある。 從 つて 利己心 を 捨て 、 道德的 

活 にと 入る ことであります。 道 一!S と は 何ん ぞゃ。 

(十五) 

道德と は 何ん ぞゃ、 私 はこの 問題に 答へ るた めに、 ベル 卜 ランド • ラッセルの 言葉 を 引用し ます。 ラッセル は 今: n の 

英國の 思想界に おいて は 最も 權威 ある 哲 凰十 者と されます。 その ラッセルの 近著 「政治的 理想」、 「社會 ^造の 主義」 及び 

「祌 秘虫载 と 論理」 の 三 著 は、 近 顷の讀 みもの、 うちにお いて 私の 最も 深く 傾倒した る ものであります。 このうち 「攻 

治 的 理想」 及び 「社會 改造の 主義」 の 根 木 をな す もの は、 彼れ の 謂 ふところの 一 一つの i ョョ ilsc であります。 彼れ は 一 一 

つの ものが 人間 生活 を 支配す る 最も 基底 的の 力で ある こと を 主張し ます。 また 二の impulse のうへ に 立たざる 凡ての 

思想が 人間の 實際 生活 を 規定す るの 力と なることの 不可能で あろ こと を 主張し ます。 彼れ の 「政治的 思想」 及び 「社會 

改造の 主赣」 は みなこの ilnllsc の 舉 から 出發 します。 二つの i-nplllsc と は、 所有 せんとす る 衝動と 創造 せんと 

する 衝動の 二つであります。 彼れ において は、 國家 • 戦爭、 財産の ごとき もの はこれ を 所有 せんとす る 衝動の 义化 であ 

ると なします。 さう して 敎育、 結婚 • 宗敎の ごとき もの は、 創造 せんとす る 衝動の 文化で あろと されます。 tertrancl 

Russdl, Principles cf social Rcccnstl.ucticll, 1,>.6 彼れ はこの 二つの もの を 否認し ない。 二つの もの を 否認す る こと は 

人間の 本能 を 否認す る ことで ある。 從 つて それ は 空想で ある。 彼れ は诀 して 空想のう へ に 築かれた る道德 論の 權威を 信 

お する がごと き あめ ふれた る舉 者で はない。 けれども また これと、:.^ に、 彼れ の 道德の 理想 をな す もの は, 彼れ の 謂 ふ 



§ー ところの 創造の 衝動が、 その 謂 ふところの 所有の 衝勳に 打ち勝つ とい ふこと であろ。 彼れ は 次の ゃラに 述べて ゐま 

す、 <ニ. 最もよ き 社會と は、 創造の 衝動が 最も 多く 働き、 所有 S 衝動が 最も 少く 働く 社會 である』 と。 (R ミ sell, Jpolit.ical 

Ideals) 所有あります。 從 つて ラ ッ セル の 道 its の 理想と は、 利己心の 最少 限度に おいての 剠 造の 最大限度の 生活で あり 

ます。 




ラッセルの 述べて ゐる とほり、 われく は 所有の 本能 を 否認す る こと はでき ない。 獨り 所お の 本能ば 力り ではない。 

一切の 動物 的 衝動から れ ざると いふ こと はでき ない。 その やうな 立場に おいての 道德 論と はた、" 空想で あり, 敎場道 

德 であり * 敎科 書道 德 であり、 さう して 彼れ 自ら を 1^ 瞞 しつ. - ある 道 德論 であります。 その 道 德論は 人間の 眞 生活と 道 

德 的獨斷 との 間の 練隔 のために、 無若氣 なる 人力 を 無効 si- に懊惱 せしめ. ると ころの 道德 論であります。 それ は道德 では 

なくし 丁 人 問の 眞實 なる 性情 を壓迫 せんとす ると ころの 暴虐なる 威 迫で あり. ます。 然り、 それはた^-威^^でぁるのみで 

あって 猶德 として 何等の 合理性 を ももって はゐ ない のであります。 それ ゆ ゑに われ ノ、 は して 人 問の 衝動的 要求の 一 

切 を 否認 せんとす るが ごとき 敎科 書道 德 11 師範 舉校 的道德 論 を 生 張す る ほどの 機械的 思想の 持主で はない。 た 、v 私 ど 

も は それ 等の 動物 的 または 利己的 衝動に 對 して はラ ッ セル とともに これ を 少 限度に 引下け る こと を 主張す る もので あ 

るに 過ぎない。 これ 等の 利己的 または 動物 的 本能 を 最少 限に 低下す る こと を 主張す る こと は、 もっと Si 底 的に して また 

もっと 人間的なる 衝動の 前に われ/、 の 生活 を 奉仕す る ことの 主張で あるに 過ぎない のであります。 私 ども は 人 問 の 生 

活に押 ゆべ からざる 衝動の 力 を 承認し ます。 さう して 衝動の うちにお いて 最も 人間的に して また 最も カ强 きもの を排ぇ 

ます, つ その 衝動と は、 ベ ルト ラン ド* ラッ セ ルの 指摘して ゐる とほり 創造の 衝動 impulse to creation であります。 創造 

の 衝動 は 凡ての 生物に 共通す る ものであるに しても、 人間に おいて 最も 旺盛の ものである こと は 勿論であります。 人 間 

の 生活と は 創造の 堆積であります。 何ものょりも多く創造の生活の堆積したるところに人間の生活の開造せられ4^^の 



である こと は、 生物 進化 史の 明白に 證據 立て >-ゐ ると ころで あり. ます。 然り、 人閒の 生活 は原存 したる もので はなく し 

て刽 造され たる ものであります。 その 創造の:;: において 人間の 生活の 特 H. か^ 在し. ます。 

(十七) 

所有 せんとす る 意思 は、 權利を 要求す るの 窓 思であります。 この 權利 を耍 求す るの 意思 は、 人間の 生活-か 不當に 威 迫 

せられて ゐ る社會 において は 素より これ を 拒む こと はでき ない。 担む こと. かで きないの みならす、 その 意思の 解放に 向 

つて 努力す る こと は、 また 人間 生活の 創造 を 解放す る こと 、 ならなくて はならぬ。 何と なれば, J れ 等の 不當 なる 咸迫を 

一 帚す る こと は、 凡ての 人 問に 向つ で自. H を考 へる ことで あり、 平等の 機 會を與 へる ことで あり、 從っ てまた 創造の 充 

.>b 二して 萌 足なる 機 會を與 へる ことで あるから であります。 フラン ス 革命 はこの 點 において は Si に 没却す へから さる 功 

を殘 して るるとい はなくて はならぬ。 けれども 所有 せんとす る. 意思に よって 行 はれた る もの は ♦ その 副産物の 何もの 

であるか は 鬼 も 角と して、 その 行くべき ところ は どこまでも 「所有し であります。 われ/、 は 決して 「所お」 の 一切 4 

否 認 する もので はない。 けれども 「所有」 に 行く ものと は、 文化の 開 造で はなく、 人 問 進化の 開展 ではなく、 また 自由 

と 機會の 平等に と 行く ことで はなく して • その 反對に 財の 蓄積で あり、 文化の 停滞で あり, 動物 慾の 爭 11 であり、 その 

結果 は 所有 階級 を 無所^ 階級の 分裂と なる ものである こと は 世界に おける 過去 一 世紀の 歴史 かわれ 等の 面前に 據 立て 

てゐ ると ころであります。 その 結朵 はまた 更に 社 食の 大名の 数に おいての 被祉 服と なり、 さう. して 遂に 機會の 不平等に 

よって 人間 生活の 創造の 停止 的狀 態となる ものである こと も 明白なる 面前の 事實 であります。 創造 せんとす る 意思 は 正 

にこれ に反對 します。 創造 せんとす る 意思 は、 創造の 前 路を妨 ゆつ、 ある 一 切の もの、 犧牲を 要求し ます。 その 一 切の 

犧牲の 根本と なすと, 】 ろの もの は 犧牲の 意思でなくて はならぬ。 卽ち 自己 機牲 でなくて はならぬ。 



(十 入) 

創造の 生活 は 犧牲の 生活であります。 自己犠牲 によって のみ 創造が あります。 また 創造に 對 しての み 自己 機牲 が^ 立 

します。 犠牲と は 創造に 與 へらる、 もので あり、 創造と は 犠牲の 果實 であります。 牛 物 進化の 理法 は 明らかに この. 事 

實を 證據 立て > 'ろます。 

(十九)、 

機 と 創造との 世界に おいて は- 權 利の 觀念 は、 全然 これ を 否認す る もので はない にしても、 これに 對 する 承認 は、 

31^ パ限 においての 承認で あ. る。 その 觀念は 決して 最高の 道德 とせら る 、もので はなく して- 却って その 反對 であり ま 

す。 その 反 對とは 何ん ぞゃ。 いふまで もな く 義務の 觀 念であります 義務の 觀念 こそ 最高の 道德 とされる ので ありま 

す ラッセルの 言葉な 惜 りていへば、 權 利の 思想 は 所有 せんとす る 衝動の 發現 であり、 義務の 思想と は 創造に ゆかんと 

すろ 衝動の 社 會的發 現であります。 

• (二十) • 

梭 の 思想が 民主々?? -の 中核と された る こと は旣に フラン ス 革命の 昔であります じ その フラン ス 革命に おいての 民主 

主? S は、 ブル ジョァ 的 利己心の 民主々 難で あり、 ブル ジョァ 的 征服 慾の 民主.々 義 であり、 ブル ジョァ 的 侵略 慾の 民主々 

義 であり、 從 つて それ は 所有す る 階級に おいての 權利、 さう して 所有せ ざる 階級に おいての 屈從と 飢餓との 民主々 義で 

あつたので あります。 その 民主々 義 の破减 において 現代 民主々 義が 生れます。 現代 民主々^ は權利 慾に 反對 する の 主張 

として 出發 します。 義務の 道德の 高調 者と して 現代 民主々 義 が出發 乙ます。 然り、 現代 民主々 義の 理想と すろ ところよ、 



人 Si に對 する、 創造の ための 厳肅 なる 穀務 の官晉 であります" マクドナルド は 現代 民主々 « の 立?^ から? の やうに 述べ 

てるます 。『國 家 はもと く 人間 を もって 権利の 所有者と して 取扱 ふ もので はなく して、 それ を 義務の 遂行 者と して 取扱 

ふ ものである』 と。 マ ク ドナ ル ドの 述べ てゐ ると- J ろ は、 ラッセル の 主張と 同 一 の 立場に ある ものと 思 ひます。 

(二十 二 

見^ 民主々 穀の 理想と すると ころ は iluiivib-al right の耍 求で はなく して 社會的 義務 き nial duty の 要求で ありま 

す。 人々. かその 利己心 を 捨て、 社會的 载務に 奉仕す ると ころに 現代 民主々 載が 成立し. ます。 現代 民主々 義 においての 平 

等と は、 一 361 的 義務に 參加 する、 〕と の 平等であります。 現代 民主々 義の 理想が 成立し ます。 それ ゆ t 現代 民主々 

義は、 一 つの 主義と いふ ことよりも、 人 問 屯 ー活の 一 切の 局面に おける 最高 道 德 の 具現で あると いふべき であります その 

參 加の 機き の 平等であります。 それ は 創造に 對 して 主張 せらる i もので あり、 所有に 對 して 主張 せらる A もので はない 

所有の 最少 限に おいての、 創造の 最高 限に と ゆく ことであります。 然り 社會的 理想 II 創造の 理想に 向って * 自己犠牲の 

平等の 機 會を慾 求す ると ころ 然 り- 1 切の 生活の 局面に おいて、" す。 政治 生活に おいても、 社會 生活に おいても、 産業 

秦 においても • ま I 際 的 生活に おいても * それ 等の 一切に 通じて、 人間の 道 德的木 f 具現した る ものが 譯 民主 

主義であります。 われく は 最早 や 利己主義のう へに、 權 利の 愁 求のう へに • われ 等の 世界に おける デモ クラシ— の 精 

神が^ 农 する もの、 ごとくに 考 へて はなら な. い。 その やうな 精^ は、 ブル ジョァ の 精神で あり、 「暴民」 の 精神で あり、 

過激 主義の 粮神 であり、 さう して われ 等の デモ クラシ ー の 精神で はない のであります。 われ 等の デモ クラシ I は その や 

うな 卑しい 精祌 ではなく して、 その 卑しき 精 祌とは 反對の i ョ p-lwn のうへ に 深く 根ざした る 道德的 精神であります。 

现代 民主 々殺 を 理解 せんとす る もの は、 何 ごとよりも 先き に、 それが 道德的 精神で ある こと を 知らなくて はなら な. - 

この 點が 理解 せられる 時に、 デモ クラシ ー は 一 派の 保守主義 者の 恐怖す るが ごとき 奇嬌 なる もので もな く 輕 薄なる リ 

5 一 人の 信す る. かごと くに 煽動 的の もので もな く、 眞に 偉大なる 道德 である こと を 知る ことかで きます。 それ ゆ ゑに デモ ク 



26 



ラシ I について 屣資 に理 おせんと する もの は、 何よりも 先き に、 フランス^ 命に 對 する 彼れ の 憧憬の 心 を 捨てなくて は 

ならぬ。 また さう して 英國的 自由主義に 對 する 彼等の 傅統 的の 讃美の 心 を, 捨てなくて はならぬ。 民 的 または ブル ジ ョ 

ァ 的の 卑しき 精神 を も つ て、、 テ モ ク ラ シ I を 批判 せんとす る, 】 と は、 デ モ ク ラ シ I に對 する 誤解の 最も 基底 的の もので あ 

ろと so ひます。 その 誤解から 解放せ しめよ。 さ、 フ して 凡ての 人類が、 その 各.々 の 利益と 我儘と 贅澤と 一 慢と のためにで 

はなく 全人 類の 共同の 现. E Com ヨ on couse について: In 醒める t- に、 3 典. M なる. デモ クラシ ー が 芽ば えてき ます。 わ- - 

等 をして 尊き デ モ ク ラ シ ;の 精!: のために 結合せ しめよ。 

個人的より 協同 的へ (- 權 利の 愁 求より 犠牲の 愤憬 へ。 II デモ クラシ— の 新 理想、 o( 八 —三— i 一 ¥) 



文學と デモ クー クレイ 

田 中 純 

文? &を 成り立た せる 嚴も 主要な 感憒 は、 何時でも デモ クラ チックな ものである。 何故ならば 文學は 何時でも、 取 も 

「人間的」 である 感情の 上に、 打ち立てられねば ならない からで ある。 

吾々 は 常に、 或る 恒久性 を 持った 不拔 な本霣 が、 あらゆる 人の 人性の 中に 潜んで 居る こと を 信じて 居る。 もの、 考へ 

方 は- 人々 によって 逮ふ かも 知れない。 もの 感じ 方, も、 人々 によって 違 ふか も 知れない。 しかし、 さう した 差別の 底 

にも、 尙、 或る お 的な 恒久的な 入 間ら しい 感情が、 あらゆる 人 S. 心內に カ强く 動いて 居る こと を 信じて 居る。 これ は 

文舉 者の 人間 觀 であると 共に、 文舉 そのもの、 アプリオリ であり、 信仰の 對象 物で ある。 . 吾 々は、 さう した 普徧 的な も 

の >^存 衣を信 じて、 それに アツ ビィル しょうと し、 それ をェ ン ライ トンし よ-つ 七す る。 この ことなくば、 文舉は 遂に 新 

閒の雜 報に 及ばない ことになる。 封建時代の 哀歌 を 歌った 大近 松の 諸 作が、 その 生活に 於て すっかり 近代化 された 吾々 

にも、 なほ 捨て 難い 文舉 として 极 はれ 得ろ の は、 それが 吾々 の 人間的な 本性に 訴 ふるところが あり、 その 本性 を カ强く 

摄き 立て.' 5^ れる ところ. か あるから である。 

吾々 は 常に、 環境に 順應 して、 また 環境 を順應 せしめて、 生きて 行かなければ ならない。 吾々 と社會 との 間に は、 常 

に複 雜な關 係. か ある。 しかし、 太 多數の 人々 に 取って、 社會に 1. 環境に. 1 應 する こと は 容易で あろが, 社會ケ 五 々自 

身に 順應 させる こと は 困難で ある。 社會的 機構が 複雜 になり、 その 個人に 對 する 强制 力が 强く なれば なろ ほど、 その 困 

難 はます く甚 しくな つて 來る。 やがて 人 は、 たが 一個の 機械と しての みに、 その 社會的 生存 を 許される ことになる だ 

一 らう。 そして、 そ^ 個人的 生存が、 だん ノ、 その 社會的 生存に よって 軀逐 される ことにな ろ, たらう。 かくして 人々 は、 



^ 次第に その fi 貪って 行く。 さ 愛 I つて 行く。 その 人 問 としての 本統 S 姿から 離れて 行く。 化.. 恐ろしい 

ことで ある。 

近代的 社 I 活 に 於け る 豪の 使命 は、 そ S れ 離れになる H び 着か? ことに まれば ならない。 お 互 ひに 

無 興味に なり お 互 ひに 無理解に なり、 時として はお 互 ひに 相反 目しょう とする 心と 心と を、 木質 的に 深く 相诘び 着か 

せる ことによって、, 社會 生活の 幸福な 環境 を 作り出す ものが、 吾々 の文學 でなくて はならない。 ^も、 この 使命 を,, す 

ための 吾々 の 唯 「の 方法 は、 社會の 各人の 心の、 最も 木質な 人間的 感情に 祈へ て、 その 純 を 接き 立てる ことに あ 

る 人々 の, 最も デモ クラ チックな 感情に 訴 へて、 その 本性 を冗揚 せしめる ところに ある。 

此の 意味に 於て、 文舉は その 本質に 於て * デモ クラ チックな ものである。 

一 次 號豫告 

, 一 <1 社會 主義と 政治 運動 

一 , 室 伏 高 信 一 

厶デ モク 1 フシ 1 の硏究 

ギ ュ リ パ ァ 



『新 ーフィ ン 新聞』 

を 出す まで 尾 畸士節 

ニニ』 

マルクスが. ホン ヌ大學 の哲學 $r 師 たら ん とす る 志を拋 

て、 ライ ン 諸 州に 橫流 したる ブ ル ..チ ョァの 反抗的 空 氣を善 

導して • ライン 新聞 を發 行し、 自ら 其 主维 となった の は、 

一 八 四 二 年の 秋、 恰も 彼 か、 年齢 僅に 卄四 歳の 時であった。 

然し 乍ら、 同 新閒は 種々 なる 迫害、 干渉の ために、 到頭 

1 八 四 三年 三月 發行 を禁. ^さる >. の 止む 無き に 到った ので 

ある。 —— かくて 彼 は 禁止の 命に 接する と 同時に、 直ちに 

彿國巴 里に 居 をト して. ァ— ノル. ド • ル ー ジ ュ とせ バに、 協 

同 經營 とい ふ 名 殺で r 獨佛 年報』 と稱 する 雜 f ダ發 行した。 

彼 は此時 始めて、 へ —ゲ ル の 法理 哲 舉に關 して 意見 を發 

表した ので あるが、 此 時 に 於け る 彼 S 研究 こそ、 實に彼 を 

し て 、 哲舉の 世界 か ら 社會!^;義 に 進む の 道 を發見 せしめた 

ものである。 

『F.S 佛 年報』 は 長き を 支 ふ ら能 はすし て廢刊 とな つ た の で 

あろ-か、 短き 期^に 於て 彼が 終生 を 通じて 忘る、 能 は ざ, 



る 感謝 は、 彼が 盟 ヱング ルス を 知った 事であった。 ヱン 

ゲル スは 彼より 一 K ホ若 くして、 且つ 彼よりも 早くへ I ゲル 

擧 派に 離絕 したる 物質 想の 所有者であった。 11 爾來 一 

生 を 通じて 此 二人 は、 感嘆すべき 友情の 下に、 相 結んで、 

研究 上に、 或 は實際 運動 上に 終始して 瑜 る 事かなかった。 

『二』 

『獨 佛 年報』 廢刊 後、 マルクスと、 ヱンダ ルスと は ハイネ 

ヱ、 ェ— ルべ ッ ク其 他と 協同して、 フ オル、 ゥ エル ッと题 する 

雜誌 を發 行し, 彼等 一 一人の 著名 を 以て、 Holly family と 題 

する パ ンフレ ットを 刊行した。 是.か一 一人の 名前 を 以て 書き 

誌され に 第 一 の甞 物で ある。 

其 後、 マルクス は 彼の 首 論が 禍 する 所と なって、 SJ 里 を 

追 はれて、 ブラッセルに 赴き、 新閒、 雜 誌に 投嘗 して 僅に 

生活の資 を 得 乍ら 研究 を續 けた。 11 彼の 名篇 rf^ 本論』 は 

資に此 間に 於て 其、 根 木 思想 を 孕ま れ た る ものである。 

後, マルクス、 ェンダ ルスの 兩人 は獨 逸. u 命 者に よって 

EJM に. 設立せられ たる 『共産主義 同盟』 に 加入し、 一 躍して 

一 同盟の 主腦 人物と なり、 續 いて 同盟の 組織の 變更と 北ハに r 共 

產黨 宣言』 の 起草が 此兩 者の 手に 委ねられた。 是れ卽 ち 天 

下に 有名なる 『共 產魏 宣言 J に し て 、 其社會 約に 發 表せられ 



o たる は 一 八 四 八 年であって、 丁度 1 1 月 革命に 先. N て 行 はれ 

たる ものである 

『三』 

斯の 如くに して 『共 產黨 宣言』 は 1 一月 革命に 先立て 公布せ 

られ た。 其 部分 部分に 就て、 何 處がマ ルクスの 箪 に 成った 

もので あるか、 何虚が エング ルス の^に 成った ものである 

か、 とい ふ 事 は 全く 解らない。 而 して、 それ を 明に する 

は 彼等 一 1 人に とって は 全く 不必要の * であった。 何と なれ 

ば、 マルク スの 心臟は 直ちに ヱ ンゲ ルス を 意味す る もので 

あり、 エンゲルス の 頭腦は 直ちに マ ル ク ス の 頭 腦を窓 味す 

る ものであった からで あろ。 彼等 は 正しい 意味に 於て 全く 

1 身 同 體 であった ので ある。 『共 It. is 旦首』 が 公布 せられる 

と も 無く 一 一月^ 命が 起った。 

前後 十八 年 問、 全く 靜止 の狀 態に 在った 革命の 喷 火口 は、 

^び 盛 返して 爆發 した。 11 恐慌 は 遂に 來た。 雪崩の 如く 

遂に 來た。 此時に於て『共產靈且〈.:2』か^=^だぉカなる革命^ 

の武器と な つ た^?^ は 改め て 噪 々 す る ま で もな い 。 

マルクスと ヱンダ ルス と を 要求す る 聲は此 雜然、 亂然た 

る {仝 氣の 間から 甚だ 切實 なろ ものが あった。 

革命の 餘沫は 到る 處に 飛散した。 而 して、 ブラッセルに 



於ても 此 影響 は 頗る 甚 しくな り、 激. 烈 な る 示威運動が 行 は 

る 、 に 到った。 此處に 於て, 曰 耳毅 政府 は 周 草 狼 狼して 直ち 

に マ ルクス を 柿え て 之 を 1<國 境 外に 放逐した .0 そこで 彼 は 

急遽 e 里に 赴いて、 ザ:: 革命 を援 けて ゐ たが 問 も 無く 獨 逸よ 

りの 革命 報知に 接し、 取る もの も 取り 敢へ すして コ 口 ー ン 

に歸 つた。 I— 而 して 祖 國に歸 らんと しつ、 ある 彼の 胸中 

に は ライ ン 新開 再興の 計 畫が窗 勃と して 蟠てゐ た。 

『四』 

「新 ライン 新聞」 は 遂に 刊行され た。 其編輒 員の 中には 彼の 

片腕た る ェ ング ルス を 始めと して 人材 雪の. S くに 紫った。 

11 li 逸の 新聞社に して 新の.^ く 人材 を 網羅し した もの 

は 無かった と 傅 へられて ゐる事 を 以てする も當 時の 勢 揃 ひ 

の 如何に 物々 しかった かとい ふ 15?- を 察知す るに 難くない。 

而 して 年次 を經 るに 從て其 聲價は 高まって 來た。 

一 八 四 八 年 十 一月、 ブ ロシアに ク I デタ I の 起った 時、 

ライン 新聞 は、 號 • 其卷 頭に 於て 納税 を 拒絶すべき を說 

き、 宜しく 暴力に 對す るに 暴力 を 以てすべ き!?^-を人民に瞥 

化 :! し! S 動した。 而 して 數回 起訴せられ、 後に ライン 諸 州 

に 於け る 五月 革命 鎭歷の 後に 於て、 遂に 政府の 武力に 依て、 

其 發行を 禁止され てし まった。 



□ お 名前 


口 年令 




口 ご 住所 〒 


電話 ( ) ( ) ( 


) 


□ ご 職業 


□ 学校 




口 ご 購読 新聞 


□ ご 購読 雑誌 




□ 小舍 への 希望 



板 橋 局 承認 

1974 



其" 

八四丄 

であ サ 

其 ^ 



力 

鄄 



(受 取 人) 

東京都 板 橋 区 南 町 四 二 丁 四- 一 〇 三 



3 

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払 

料 



溪 書 舍 



行. 



間 月 

期 4 

効 年で 

有 9 ま 

出 成 日 

差 平^ 



f、 

鬪 爭 

的で • 

に 政: 

は R 系 tea, d , 二 

ブ ロバ ガン. ダ、 ォブ、 ゼ、 ディ ー ド、 に 依 て^み 彼等の 理 

想實 現の 第 一 手段が あると 信じて ゐた。 

いふまで もな く、: 是 等の 社會 主義者 は 頗る 穩健 であつ 

て、 努働 階級と、 货本 階級との 11 に =S はれる 翻 爭に對 し、 



用 

切 



る 表現: 



3 ハ 產諮且 言』 である。 

, 卽ち T 共 產鎮宣 首』 は 忽ちに し て 、『萬 國勞働 者 同盟』 の 基 

礎と なった ので ある。 その 是非 はと も 角と して、 彼等の 說 

が^&だ新らしぃものとして迎 へ られ た、 〕 と は: 赏 である。 



I この カー ドを お送り く ださった 方に は 小 舎の 図書 目 
録を お送り します。 本書、 小 舎に 対する ご 意見 また 
は、 出版 • 復刻 等の ご 意見 をお 聞かせ 下さい。 



州 1^ 說、 。 の 



の 



愛読者 カー ド 



書名 〔 〕 


お求めの 
動機 


広告 • 害 評 を 見て 
く 新聞 • 雑誌 名〉 


害 店で 実物 を 見て 
くご 購入 害 店 名〉 


人に すす 
めら れて 


その他 











口 現在、 関心 をお 持ちの 分野 



1. 政治 • 外 交* 国際関係 2. 思想 • マスコミ 3. 産業 • 
済 4. 歴史 ,地理 5. 教育 6. 科学 史* 文化 一般 7. 社 
学 8. 自然科学 9. 文学 10. 芸術 11. 満鉄 関係 12. 
国 • 朝鮮 13. 東南アジア 関係 14. 太平洋 問題 15. 
業' 報徳 関係 16. 福祉 関係 17. 言語 18. 風俗 • 女 性史 
19. 書誌学 20. ヨーロッパ 21. その他 ( ) 

口 ご 加入の 学会、 団体 名 

( ) 

口 小 舎 出版物 ご 希望の パンフ レツ ト 

(書名 ) 



お 一 たる は 一 八 四 八 年であって、 丁度 j 1 月 革命に 先立て 行 はれ 於ても 此 影響 は 頗る 甚 しくな り、 激烈なる 示威運動が 行 は 

たる ものである る > に 到った。 此處に 於て 白耳载 政府 は 周章 狼 狼して 直ち 

『一一 I』 に マルクス を 怖え て 之 を 其、 國境 n に 放逐した.。 そこで 彼 は 

急 fiaj に 赴いて、 お 革命 を援け てゐ たが 間も無く 獨 逸よ 

新の如くに,して『_共,牵滅11#11,』はニ月革,命,に,先^=^てへムぉせ:,り|5*^??;?5ニ*15^」、 ,xb しり ゝ」 ビ ノ: 1 I ン 



られ た。 4 

もので あ t 

力 とい, 

は 彼等 一 T 

ば、 マ ル A 

あり、 ェ " 

ろ も s で.^ 

一 身 1^ 體で 

と li も 無く 

前後 十":: 

び 盛 返? 

遂に 來た。 

の 武器と な 

マルクス 

る 空 氣の間 

革命の^ 



経 会 中 農 



其 初刊は 一 八 四 八 年 六月 一 曰であった、 其 終刊 は翌、 一 

八 四 九 年 五月 十九 日、 僅に 一 ケ年を 以て 减 びて しまったの 

である。 

其 終刊 號は 全部 赤紙に 印 別し、 卷 頭に は 「鬪爭 によりて 

にあら す、 陷 によりて 倒れ. U り。」 と 唱 へた 革命 詩人の 陚 

を揭 出して 餘韻樓 々として き-さる 趣 を 添 へ た。 

11 以上 は 老リ— プ クネヒトに 侬て害 かれた る r カァ ル、 一 

マ ルクス』 中より 拔萃 した ものであります。 (尾 崎 生) 一 

一 

マルクスと M ンゲ ルス 



マルクス 並びに ェ ン ゲ ル ス より 以前の 祉會主 穀者は 階級 

鬪爭の 意義 を 解し な かった。 首 ふまで もな く 此闘爭 は攻治 

的で ある。 而 して その 目的 は努働 階級の 利益、 幸福の ため 

に 政權を 獲得 せんとす るに 在る。 常時に 於け る社會 主義者 

は、 階級 闘 爭を 認めす、 一 切の 政治 運動 を禁 上し、 唯 僅に 

プリ パガン. ダ、 ォブ、 ゼ、 ディ —ド、 に 依ての み 彼等の 理 

想實 現の 第 一 手段が あると 信じて ゐた。 

いふまで もな く、 是 等の 社 會 主義者 は 頗る 穩健. で あ つ 

S て、 ^働 階級と、 本 階級との 間に- g はれる 11 爭に對 し、 



僅に その 慘禍 のみ を 看取して、 その 侬て來 る 原因、 その 歴 

史的 進化の 道程 を 知らなかった ので ある。 而 して、 彼等の 

理想と する 所 は • 斯の 如き 地位に ある 資本家 を鞭韃 し、 之 

を覺醒 せし めて, 而し て 自ら 其 慘禍を 減 却す る樣 にす ると 

いふ 所に 在った ので ある。 

斯の 如き 思想に 對 して、 マルクス 及び ヱンゲ ルスの 致し 

た. ^火い なる 功績と もい ふ べき もの は、 理論的 の 社會 主義 

と資 際に 於け ろ 政治 上の^ 働 連動との 連絡、 結合 を 園 つ た 

點 である。 

一 ャ ゥ ツキ ー の: 百 ふ 所に 從 へ ば T 彼等 は 新社舍 實现 のた め 

に勞働 階級の 11 爭カを 利用し、 善 せんとした。 彼等 は 人 

道家の 好 怠に 代 ふろに、 働 階級の 利 求: 休戚 を以 て し た" 

彼等 は 新 鹿を爲 さんと する 畔に 常て は诀 して、 個人的 糾 

合に 據る ベ きに 非す し て 、 必すゃ 現 布の 文明 固に 於け る 生 

產機關 及び 勞働 組織 を 有しなければ ならない isj^ を 明 首し、 

提示した"』 ので ある。 

断く の.^ くして、 彼等の 思想 速 動の 最も 端的なる 表現 は 

『=H ハ產豁 且言』 である。 

, 卽ち T 共 產靈暴 ほ』 は 忽ちに し て 、『萬 國勞働 者 同盟』 の 基 

礎と なった ので ある。 その 是非 はと も 角と して、 彼等の 說 

が^だ 新ら し い も のとして 迎 へられた こ と は: で あ る。 



S2 



ピョト ル* クロ 

ポト キン 

ク ネト キン は、 從來 迄、 アナ アキ ストと して 知られて 

ゐ ました。 而 して、 彼の 言行の 總ては く アナ アキ ズムに 

對 すら 努力に 於て 終始した と 言ても よい 位で ありました。 

元來、 アナ アキ ズム とい ふ 觀念は 一 つの 固定 硬化した 規 

準の 中に 入て、 ろ もので はない。 

それ は 丁度 ソ ー シ ァ リズ ム の 間に 驚く 可き 大きな 相 逢が 

あつたと いふ 事と 同じであります。 

而 して、 世界に 於け る アナ アキ ズムは 大凡 之 を、 個人的 

アナ アキ ズム 共產的 アナ アキ ズム とい ふ 大綱に 分ける 事が 

出來 ます。 個人的 アナ アキ ズム は、 一つの 哲攀的 アナ アキ. 

ズム である。 而 して 之 をソ! シァ リズムより 見る 土 は j つ 

S 根據 無き 空想であります。 

然. るに 、 n ンミュ 二 スティック、 アナ アキ ズム は 哲舉的 

アナ アキ ズムと 等しく、 個人 主權の 主载の 上に 立脚す る も 



のであります が、 イン、 ティ ビ デュアル、 アナ アキ ズムが 私 

有 財産 を 許す に反して、 全く 之と 反對 -S 地位 を 執て おり ま 

す。 此 意味に 於て コ ンミュ 二 スティック、 アナ アキ ズムは • 

ィ ン デ ィ ビ デュアル、 アナ アキ ズムに 對し て, 甚た 革命的で 

あると いふ 事. か 出來 ます。 而 して ビョ トル • クロ. ネオ トキ 

ン は 實に此 コンミ ユニス ティ ック、 アナ アキ ズムの 立場に 

^る 思想家であります。 

ク ロボ オト キンの 特色 は、 彼の 思想 を 語る 上に 於て、 常 

に演釋 的の 方法 を 用 ひすして 歸納的 11 換言すれば、 科舉 

的の 方法 を 用 ひた 事であります。 卽ち、 此方 法から 彼に 從 

へば、 社會は 各個 人の 一 切の 勢力、 一 切の 存在、 一 切の 目 

的に 從て、 新に 歸納 的に^ 設 せられなければ ならない もの 

であります。 —— 耍す るに 社 會とは 各個 人が ソリ ダリ ティ 

の 大義 を 行て、 而 して、 其 上に 自由なる 一 致 園 結 をした も 

のでなければ なり ませぬ。 斯の. S く、 クロ. ネオ トキ ンは充 

分科 舉 的の 說明論 を 用 ひて あります。 而 して、 之 をフ. <1 

ドン や、 バ ク— 二 ン 等が 屢々 其 獨斷を 基礎と して 論理 を 組 

立つ るの を 常例と したのに 反して, クロ. ネト キン は 出來る 

丈け 演释 論の 誤り か ら 逃れて、: 貧の 上に 推論して 居り ま 



した。 例へば、 動物界に 於て、 殆んど その 總てを 通じて、 

ソ 9 ダ 9 テの 感情が 存^して ゐろ事 を證據 立つ るた めに、 

先づ 動物界に 於け ろ 生活の 狀態を 研究し、 其 等の 事實を 

鎮 して、 先づ坊 の. S き感 iT か 動物界に 他 I 遍 的に 存在して ゐ 

る 理由 を 白に し、 而 して、 之. か 宇 .w の 根本 法則で ある 事 

を 明に したので あります。 而 して、 此處 から 更に 新しく 出 

發 して、 動物 は 道德的 生活に 於て 人 問よりも 劣て ゐる、 - 其 

劣て ゐる 動物に して 旣に然 りで あるから 人間に この 理法の 

通用され ない わけはない- とい ふ! n> ^解に 迄 到着した ので あ 

ります。 



践にも 中し ました 如く、 アナ アキ ズム に對 する 輝: 解と 解 

釋とは 人に 依て 甚だ 相 異てゐ ます。 或ろ 人に 依て 紹介 せら 

れた 三人の 代表者の 解釋の 相違 を 次に 揭 ゆます。 

先づ第 一 に ブル I ドンに 從ふ時 は、 總 ての 物 は 何人の 有 

でもない のて あります。 然るに スチル ネルに 從 へば 總 ての 

もの は 皆 我が 有であります。 最後に 之 を クロ. ネオ トキ ンに 

從ふ時 は、 總 ての 物は總 ての 人の 有であります。 

此虚に 於て 彼等の 間に 明に、 n レ クチ ィグ イズムと イン 

デビ デュアリズムとの 相逮 があります 而 して、 クロ. 才ト 



キ ン は 言 ふ 迄 も 無く、 コレ クチ ィグ イズム の 信奉者で あり 

ます. - 

四 

私達 は、 斩の 如き 立場に 立てる 一 切の アナ アキ ズムに 反 

對 します。 然り、 一切の アナ アキ ズム に反對 します。 一切 

の アナ アキ ズ ム に反對 すろ 事 は 私達の 事業の すべ て > あり 

ます。 

私達 は 法律に 服從 します。 私達 は 制度 を 維持し ます。 私 

達 は 生命 を 尊重し ます。 而 して 此處 から 私達の 新ら しき 政 

治 運動が 生れる のであります。 然るに アナ アキ ズム は, 法 

律に 服從 すろ 事 を 否定し ます。 制度の 維持に 反對 する ばか 

りで なくして、 反て 之 を 破 壌す る 事 を 其 運動の 根本 原刖と 

致します。 

然し 乍ら、 クロ. ネト ヰ ンの 思想家と しての 價値は 永遠に 

私達の 胸の 中に 生きて ゐ ます。 私達 は 彼の 奉す る 主 藉に反 

對 すろ 事に 依て 彼 を 憎む 事 を 欲しません。 

私達 は 彼から 多く を聽 きます。 然し 乍ら 私達が 彼の 反對 

^!ぉでぁる事は言ふ迄もなぃことでぁります。 



"I デモ クラシ 1 の 人 

『デモ クラ シ I は あらゆる 美 はしき もの > 內 容を含 む』 

—— 私 は斯く 謳った ヱドヮ —ド、 力 アベ ンタァ の 言葉に 

違 守 して、 デモ クラシ I へ、 デモ クラシ I へて 流れて 行 

く 民衆 文化の 潮流 を、 人類に 依って 爲 さる 、 最も 美 はし 

き 運動で あると 信じて ゐる。 面して、 此美 はしき 蓮 動に 

携 てるる 人々. を 以て、 眞 正なる 文化の 所産に 興て ゐる人 一 

. 人で あると みなして ゐる。 私の 目 は^ 界に汪 流す る デモ 

クラシ ー の 满卷を 見た。 而 して、 更に 私の 目 は 私の 愛す 

る 祖國に 奔騰す る デモ クラシ ー の 狂瀾 を 見た。 11 私 は 

其 狂瀾の 底から、 音律 正しく 響いて 來るさ A やかな 音樂 

を聽 いた。 11 私 は 今 此音樂 を 批判し、 解剖し、 純化し、 

-.g 合する 所に、 眞實 なる n 本の 精神、 褒實 なる E 本の 民 

衆 _s 動を發 見す る 唯 一 の 方途が 與 へられて ゐ ろと 信じて 

みる。 私 は デモ クラシ— とい ム 言葉の 中に あらゆる 進步 一 

思想 を 含ましめ た。 唯 然し 乍ら、 私の 批評 は 淌卷を 形成 

すろ 個々 の 波動に 就ての 解剖で は 無い。 唯 渦卷の 波動 を 

滴 卷全體 として 眺めた ものに 過ぎない。 私 は 更に 厳正な 

る 態度 を 以 て 、 人物 を 透, し ての 文明 批評 を 試む るの H の 



々 (評論) 

ある 事 を豫 言して 置く。 (以上) 

『I』 

中央 公論の 新年 號は 、『現代の 青年な 動かし つ ある 政論 

家 • 思想家』 とい ふ 題の 下に 文壇、 並びに 政論 壇に 於け る、 

靑年 思想家、 並びに 批評家の 意見 を徴 した。 其 中に 於て 2: 取 

も 多くの 人々 の 意見の 合致し た る攻論 家 は 、『福 ffl 德三馎 

士 』 と r 吉野作 造』 馎士 とで ある" ——- 私 の 批評の メスが 先づ 

此 一 一人 を 解剖す ろ 事から 始まる 事は狗 に.^ P を 得ない 事で 

ある。 

福 ffl、 吉野兩 博士 は 其實際 運動の 機 關、 —— 彼等の 稱し 

て 愛 國的プ パ ガ ン ダと爲 す 所の r 黎明 會』 におけ ろ 中心 人 

物で ある。 而 して、 此兩 者が 日本に 於け ろ デモ クラシ —S 

渦卷 S 核心 を爲 して ゐる事 も 亦 13^ 實 である。 

福 田 德三馎 士の立 はソ ー シァ ル、 デモ クラットから、 

ソ ー シ アル 、コム ミ 二 二 ストに 到る 立場で ある。 妙く とも、 

博士の 語る 所、 博士の. 說く所 は、 斯の. S く解釋 しても 差 支 

無 い 程 迄 に 明嘹 な內容 を 示して ゐる C 唯馎土 か 其 立 ^ $ 



に動搖 せしめつ、、 或は ソ ー シ アル" デモ クラシ— の反對 

者と なり、 或は 社會攻 策の 主張者と なって、 國體論 から 來 

る 紫 を 右に 替し、 左に 替 して 之 を 宋然に 防ぎつ、 ある 態 

度 は、 寳に 一 本の を 以て 山 問の 溪流を 下る 船頭 以上の 聰 

明 さで なければ ならない。 然し 乍ら、 博士の 態度が.^ 何に 

矛盾 杆 格み- 顯現 する もの ありと は 首 へ 、 其 論理の 上に 盛 上 

けられた る、 豐富 なる 組 微 的內容 に 到て は 實に當 代 稀に 見 

る 所で あると; 一一 一! I て 差 支 無い。 何れにせよ、 博. H は 日本に 於 

て巌も 進んだ る、 而 して 進み 得べき 擧者 である。 其 社會組 

織に對する觀察に於ても京大の人氣役^|^河上輩馎.^が、 宗 

敎的立 揚を脫 し 得すして、 r 無我 苑』 と 共 產黨宣 首と を 結び 

つけて ゐ るが.^ き 一 一元的 態度に 對 して、 飽く迄も 經濟的 立 

脚 地 を 固執し て 、 窿截 簡明に 進んで ゆく あ た りは實 に 氣持 

が L;!ni い。 是 に對應 する 時 『現代の 靑年を 動かしつ、 める』 思 

想 家の 他の 一 方の 旗頭で ある 吉野作 造 博士 は、 尠 くと もさ 

を 福 田 博士と 比較す る 時、 甚だ 無雜、 幼稚の 評 を究れ 難き 

ものが あろ。 吉野馎 土の 民本主義 說を 延長して 解釋 する 時 

は、 政治 學は 人類の 「攻治 生活の 原則 を 論す る攀 問に は あ 

ら すして、 現行!?^ 法 を 永久 規定の 事實と 看做して」 常に 此 

1 點 をスタ アトと して ゐる ものである。 くと も 過去に 於 

お. ける 吉野馎 .H の綸 議は總 て此處 から 出發 して 來 たと 見て^ 



支 it い。 理解 ある 吉酐 博. H の お r.- 批評 i<n の 一 人であった 

北 吟吉氏 か、 博士の 民本主義 を 難 じて 『博士 は主權 論と 民 

本 主 iii^ と を 沒交涉 ならしめ、 更に 民本主義 を 二分す るの み 

で、 政治の 目的に 閼 する 民本主義に 對 して は、 其 內溶を 解 

剖して、 之 を訂. 止し、 攻 治の 目的 を 確定 せんと はせ す、 徒 

らに 之に 對 して 不卽 不離、 是々 非々 的 態度 を 執り、 自ら 攻 

權運 川の 方針決定に 關 すろ 民本主義 のみに 局限して、 政治 

の 目的と 攻權 運用の 方針と を 分離せ しめて 種々 の 矛盾 を 暴 

露し、 科舉的 政治 攀を 提唱して 常識的 談 議に墮 し、 主權め i 

を 廻 避す る事處 女の 如く、 參政權 主骤の 一 孤 域に 頒 守して 

虎視 耽々; 大下を 志す こと 奸 雄の 如く、 官僚 閥族 を 攻搫す る 

や 平民の 味方な る. か.^ く 、 社會主 a- > ゲ- 曲解す る や 中産階級 

の 代 辯 者の 如く、 民本主義の 一 本 槍に て學界 を馳騸 する 事 

唯物論 者の. S く、 政界の 表裏に 通じ、 情理 並び 重ん すろ 實 

際家の如く變幻出沒殆んど其實體を捉ふる^5$>が出來な い。』 

と 論じた の は 或 意味に 於て 吾人の 货定 する 所で ある。 

唯予が 思想 :水 と し て の 博 丄 を〈尊重 す る 所 は 、 に 眞理 探 

究者 として、 異常の 努力な 純粹 なる 舉 sti の爲 めに 儘して IS 

らる A 事と、 毫も 私憤 私情 を 其 評論の 上に 顯 はさす 平々 坦 

々 たる 態. 皮 を 維持して 堅實 なる 論究 を 進めて ゐらる 、 點で 

ある。 11 ^し 乍ら、 予 は吉. 針馎. H の將 來に對 し、 最早 餘 



^ り 多く の 期待 を 有す る もので は 無い。 唯、 彼が 其 過去に 於て 

日本の デモ クラ シ I の 渦卷の 基調 を 造 就した もので あり 而 

して 絶大な ろ 努力 を 帝 國大學 の 一 角から 社會に 向て 致され 

てるた 功績に 封して 満腔の 敬意 を拂 はざる を 得ない もので 

ある。 

『二』 

予は 前段に 於て、 日本の デモ クラシ— の 5g 卷の 底流の 基 

調 を 形成す る 1 一人の 中心人物に 就て 簡 I 単 な る 批評み 試み 

• た。 然し 乍ら、 今や 此渦卷 は 更に 淸 新なる 分子 を 加えて、 

より 一 層の 混沌と 複雜と を 示して ゐる。 

而 して、 此 混沌と 複雜と を 分明に 語る に 必要なる 一 つの 

境界線 は 言 ふ 迄 も 無く 歐洲 戰亂 であろ。 歐 洲戰亂 以前に 於 

て は、 日本の デモ クラシ— が Irwf く 5! 樣の假 面 を 被らざる を 

得なかった 事 は洵に 止む を 得ない 事であった。 此 意味に 於 

て 『歐洲 戰亂』 は 日本の 文化 運動に 於ても 正しく 一 新紀元 を 

開拓した ものであった。 而 して 予は、 比 混 纯と複 雜とを 形 

成す る、 淸 新なる 分子の 中に、 より 善き、 より カ强 きもの 

の 多く を發兒 する 者で ある。 

此滴卷 の 中に 在て 純正な ろ 立場に 立て、 民主々 義を 主張 

する 人々 の 中から、 大. 夫、 室伏高信のニ111^を引拔く事 



が出來 る。 11 然し 乍ら 在に 在て は 此兩者 は 到底 一 致し 

得べき 立場 を 持てるな い。 大山 氏 は 宗敎的 立場に 立てる デ 

モ ク ラッドで ある。 而 して 彼の デモ クラシ ー ケ 彩る もの は 

『心 鍵 的 必然』 である。 r 道德的 自由』 である。 大山 氏の 言 ふ 

所に 從 へば 『同類 意識 及び、 共同 利害 觀 念の 中に 於ても、 

同類 意 議は共 同 利害 觀念 よりも 多くの場合 に^て は 心靈的 

必要の 衝動に 迫らる 事が 多い 爲め、 圑結 生存の 基礎と し 

て は、 遙 かに 賴 母し いもので ある OJ 

斯くて 大山 氏に 從 へば、 國民 結合の 基礎 條件は 宗敎的 信 

仰で ある。 生物 的 要求に 非す して 『心靈 的』 要求で あら。 而 

して, 大山 氏の デモ クラシ ー が、 徹底す るが 如くに して 徹 

底せ す、 煮え 切る が.^ くにして 煑ぇ 切らす, 民衆と 接觸す 

る 事 を 望みつ、 、 反て 民衆と 離れて ゐろ 所以 は に 此處に 

胚胎して ゐ ると 見て 差 支ない。 予は此 有望なる デモ クラシ 

—の 鬪將 をして、 永久に 此鼓を 脫ざ捨 つる 能 はすして、 徒 

らに 『社會 的 同情』 に 立脚した ろ r 立 崽的社 酋視』 の 迷 亡 女の 中 

に 彷徨せ しめ 度く 無い。 

之に 對 して、 室 伏 高 信 氏 は、 現在に 於て は 明に ソ ー シァ 

ル、 デモ クラシ— の 立場に 立て ゐる。 それ 丈け に 彼に 就て 

の 一 切の 態度 は 極めて 明白で あろ。 唯 大山 氏が 宗敎 的で あ 

るに 反して、 彼の 論議の 背後に は 詩人 約 熟愦か ある。 而し 



て 此詩 人的 熱情が 彼 の 思想 をし て 極めて 藝術 的な らしむ る 

と共に、 一 方に 於て 注かん とする 所に 邁往 する 直截簡明の 

態度 を 鈍らして ゐる事 は事實 である。 

尠くとも 彼の 立てる 立場 は 思想家 として 最も 聰明な ろ 立 

場で ある。 —— 新ら しきものに 對 する 彼の 眼 は颇る 銳敏で 

ある。 彼 は 總てを 彼の 聰明に 托して、 進んで ゆく。 彼の 頭 

の 中には 現在と 將來 との 混 清 か 無い。 何物 を も 『現在』 とい 

ふ 定められ たる 規準の 下に 片附 けて しま はなければ ならな 

い、 とい ふ 態度 は 時として 彼の 言議を 危險に くもの. か あ 

る けれども、 何れにせよ、 これ 丈け の 天分と、 これ 丈 ゆの 才 

维とを 持て ゐる 評論家 は あま り 澤山無 い 察 は 事竄で あ る 

『三』 

或は r 國家 民生 主義』 を 提唱し、 或は 軍國 主義の 味方と な 

り、 或は 大亞細 主義の 宣 傳者を 以て 任じ、 或は 哲人 主 翁 を 

讃美し、 時に 或は 共産主義 的の 論議 を 弄しつ A 、 常に 哲舉 

的 精神の. 一 本 槍 を 振り翳して 勇 奮 躍 ii して ゐた者 は、 吉野 

博士の ま 就 を 難 じたる 北吟吉 氏で ある。 氏 は、 『社會 主義の 

檢討』 に 於て 大味 噃を附 けた ま 、• 渡歐 して 以來査 として 

其 消息 を絕 てゐ るが, 日本の 思想界に 在て は 甚だ 有望なる 

論客の I 人で ある。 予は今 氏の 過去に 就て 之 を 語る 事 を遞 



くる。 避く るの は、 善惡 共に、 氏が 餘 りに 長く 論 壇と 交涉 

を 絕てゐ るが 爲め である。 唯、 哲舉的 背景 を 有すろ 政論 家 

一 の 唯 一 者と して、 吾人 は 氏の 將來に 期待す る 事 甚だ 深き も 

のが ある C 

北 氏に は 全く 反對の 立場に 在る 事 は 勿論で あるが、 文 藝 

批 評 家と して あると 同時に 文明 批評家で あら 人 に 生 S 長江 

氏が ある。 咋年 あたり 氏が 文明 批評家と して、 漸く 其名聲 

を 上け 始める と 北ハに 官憲の 壓 迫が 激烈に なって 遂に 一 度び 

拔 いた 刀 を 再び 鞘に 收 めざる 可らざる の餘儀 無き に 到った 

ので あるが、 氏が 文明 批評家と して 占むべき 優秀なる 地位 

は 其 將來に 於て 期待され てゐ ると 見て 差 支 無い ので ある。 

11 特に 氏の 立脚地が 大膽 に 露骨に 階級 閲爭說 を 是認し、 

高潮す る 所から 造り 上 けられて ゐろ 事に 對し, 予は 特殊の 

注意 を拂 は ざ る を 得ない。 

『ともあれ、 此 大戦 亂の あとに、 事に 依ったら ば 最終の 國 

際 的 大戰亂 になる かも 知れない。 此 大戦 亂のぁ とに、 資本 

家 階級に 對 する 無 階級 か、 第三階級に 對 する 第^階級が、 

猛然と して 奮起す るか も 知れない とい ふ 事の 可能性 を 何人 

かよく 疑 ひ 得る 者 ぞ。』 

『會 ては國 民の 中の 多數 者、 若しくは 多數 者の 代表 11^ であ 

つた 所の 商工 階級が 、 封建制度 ゆ 支持者た る 君主 と 貴族と 



5» 



の特權 を剝脫 し、 近代的 國家を 建設し 得た るが 如く 、今日 

の、 厳密に 多數 者で ある 所の 第 四 階 殺が 近代的 國 家の 支持 

者た る 第三階級の 特權を 破 却し、 現代的 國家其 者の 政治 組 

蛾と 國 際的關 係と を 全然 別の 物にして しま ふか も 知れない 

とい ふことの 可能性 を 何人 かよく 否定し 得る 者 ぞ。』 

以上の 拔改" は 氏の 將來の 立?! を 端的に 立 説す ろ 者で あ 

ろ。 一 年 前に 於て 斩の 如き 言 辭を 弄した る 氏が si- して 其 思 

想に 如何な る 變化を 示す か とい ふ 事 は 特に 注目す るに 足 一一 

^?^赏でぁる。 

『四』 

デモ クラ シ ー の、: f 卷の 巾に 混 化して ゐる 分子の 中に 特に 

社會 批評家と しての 立場 を 固守して ゐる 人々 が ある。 彼等 

は正しぃ^1.^^に於て£-ぉュ豕では無ぃ。 何と なれば、 彼等の 

頭 は 常に 政策の^ 蹬を考 へ、 彼等の 眼 は 常に 現前の 社食狀 

能 心に 向て 注がれて ゐ るが 故で ある。 

經濟舉 者と しての 堀江 歸 一馎±、 米 fflild 太郞 氏、 渡资鐵 

蔵 博. H、 祌戶正 雄 博士,、 田 島 錦 治 博士、 三 浦 纖太郞 氏、 北 

澤新 郞氏、 E 中萃 一 郞氏 等が 是 である。 而 して、 彼等の 

某 調が 等し く 、 S だ 社 會主装 的で ある 事 は 頗る 注意す ベ き. 

である。 堀江 歸 一 ^^士は『雜誌太陽』を其地盤として經濟 



批論を 書 いて ゐられ るが、 其 想 は旣に 現代 を 襟く に 足る 

力 を 持て はるない。 唯 諸種の 攻策 問題に 對 して 緻密に して 

質實 なる 批評 を 提供 せられる 事に 於ての み 吾人 は 氏の 存在 

を 認 めて ゐ る。 

米田庄 太郞、 渡 逸 戴 載、 祌戶正 雄 等の 諸氏 は 『樂 者』 とし 

ての 批評家と して i„ ^だ 尊敬すべき 人々 である。 

三 诚鐵太 郞氏は 『東洋 經濟 新報 IS 主 * として 殆んど 其 全 

力 を 其雜 誌に 注 いで ゐられ るた め 普遍的に 世 問に 知られて 

\ はゐ ない。 然し 乍ら 其 非凡な ろ頭腦 と、 卓越せ る 才識と は 

、現代に 於て 決して 多く を 得る 事の 出來ろ もので はない。 氏 

のま 塌は 『フ ヱ ビアン、 ソ サイ ェ テ ィ』 の社會 主義の- V. 揚で 

ある。 妙く とも 予は 日本に 於け る經濟 政策 論者と して、 氏 

の 唯 一 人 者で ある # を 信じて 疑 はざる 者で ある。 

n: ャ大敎 授北澤 新 次郞氏 は勞働 問蹬に 11 して 優秀の 批評家 

であると 共に、 せ:: 實 行 家で ある けれ. ども. 其 思想家と して 

の 根據は 茶だ淺 薄で ある 事 を 思 はせ る。 然し 乍ら、 年若き 

氏の 將來 に對 して は 吾等 は 甚だ 多大の 希望 を矚 する 者で あ 

る 

一 最近に 於て 『普通 選 舉尙早 論』 を 主張した 事 を 以て 一 部の 

批難と 攻雜と を 受けて ゐる 田巾萃 一郎 氏 も、 ^純 粹 なる 立 

脚 地 は 極めて! 會 主義 約で ある。 然し 乍ら、 せ 『批評家』 と 



しての 將來に 就て は 吾等 は殆 んど絕 望して みる。 

『五』 

i 刖^ に揭 出した 人々 と 殆んど 同じき 立場に 立て、 而も 一 

方に ii」 だ 思想 的で ある 人に、 河 上 肇馎士 が ある。 11 貧乏 

物語、 11 社會 問題 管 見、 —— 社會 問題 研究。 一 書を刊 する 

银に 博士 S, 名 it は 驚くべき 速力 を以 て 上て 行きつ、 ある。 

博士に 對 すろ 社會的 注意 は 今 や 其絕頂 に 達して ゐ ると 雷 て 

差 支 無い。 

氏の 立場 は、 セ リ グ マ ン の 、『 H コ ノ ミック インタ ァ プ リ 

ティ ショ ン、 ォブ、 ヒストリ ー』 の 立? I である。 (同窨 は新史 

觀と 題して、 氏に 侬て譯 されて ゐる) 氏 は 日本の 經濟舉 者 

の 中に 於て 最も 優秀に して、 卓越した る、 唯 物 史觀說 の 研 

究者 であり、 且其 主張者で ある。 

河 上 氏の 說く 所に 據れ ば、 『人 問 を觀る 方法に は 全く 相 離 

反した ろ 二つが ある。 一つ は 人間 を 外部から 見る もので あ 

り、 他は內 部から 見る ものである。 而 して 外部から 觀ろも 

の は 純客觀 的で あり、 內 部から 觀る もの は 純主觀 的で ある。 • 

斯 くして、 - おし 外部から 客觀 的に 觀 たる 人 を 以て 機械的 個 

, 人と; Is ひ 得べ くんば、 內 部から 主觀 的に 覼 たる 人 を 以て 意 

3 一 識的 個人と IK ふ 事. か出来る。 而 して、 社會 現象に 關 して 法 



則と なる 觀念 は總て 機械的 個人 を 以て ハ 前提と する もので 

ある。』 

, 而 して、 斩 の.^ き 立場から、 マルクスの 歴史 觀を 以て、 

『社會 の變遷 に關し 最も、 根本的に して、 且つ 最も 概括 的 

なろ 立 一一 s』 であると 爲 して ゐる。 氏の 論據屮 • 最も 注意す 

ベ き點は 氏、 か!: 濟的唯 物觀が 成立す ると 等しく、 人種的 唯 

物觀、 地理 的 唯 物觀の 成立す る 事 を 主張す る點に 在る。 

而 して 吾人が 思想家と しての 氏 を觀る 時、 其 精神的 (例 

へ ぱ宗敎 的) 方面と、 其 物質的 方面と が 二元的に 可成り 明 

瞭 りした 形 を 執て ^續し て る る 事 は だ 興味 ある 現象で あ 

ると 思 ふ。 

『六』 

一 0. 烏 居 素 川、 姉 崎 正 治、 S 中 王 堂、 若 か 2 卯 之 助、 長 谷 

川.^ 是閑、 茅 山 等の 諸氏が 此空氣 の 中 を彷惶 して ゐる 

事 は 言 ふ 迄 もない。 鳥居 氏に 就て は 殆んど 知る 所が 無い が、 

氏が 頗ろ社 會主雜 的な 批評家で あ つ た 事 丈け は 事寳 であ 

る。 姊崎 氏の 立場 は 一 面 甚だ 宗敎 的で は あるが 頗る 包容 的 

な 推論、 を 有する 所に 其 特徴が ある。 田 中 王- M 氏 は 徹底 個 

人 主義の 主唱 者で あるが、 常に 政治、 產業 等の 問" 险に 留意 

して" 甚だ 熱情 的な 國家觀 念 を 抱 持す る 所に 他に 匹敵す る 



ひ 能 はざる 優越性が ある。 

若宮 卯 之 助 氏 は * 現 衣に 於て は 立派に 詭辯 派の 泰斗に 

なり 濟 した。 彼が 壯年 時代の 熱情と 純真と は 最早 彼の 論文 

の何處 から も發 見さる S 亊 は出來 ない 。然し 乍ら、 其 立路整 

然 たる 文章と、 人の 肺肝 を 宛る がお. き 皮肉と、 冷 篤と 嘲笑 

と は、 今に 到て 一 層の 冴え 振り を 見せて ゐる。 I— 予は此 

天才 批評家の 前に 展開せられ たる 運命に 對し 異常の 與味を 

感ぜざる を 得ない。 長ハ41川.^是閑氏には非^8に銳ぃく直 

覺. か あろ。 而 して、 一 事 一 物 を 批評す る 毎に 此 態度 は明嘹 

りと 顯 はれて ゐる。 然し 乍ら、 氏に は 多くの 批評家の 中に 

共通で ある r 華 かさ』 が 乏しい。 これ 氏の 人 氣.. か 自然 的に 奔 

腺せ ざろ 所以で ある。 

茅 原 華 山 氏は餘 りに 衰へ 過ぎた。 常に 時代 を 率 ひや、 フ、 

率 ひやう と 焦慮して ゐ た 氏 は 到頭 時代から 置いて け ほりに 

され やうと して ゐ る。 予は此 一代の 文 寧 家 をして、 此肅條 

たろ 未 路に遭 逢せ しめた 1^ に 想到す る 時喑然 たらざる を 得 

ざる もの. か あろ。 

『七』 

此滴卷 の 最左 端に 大杉榮 氏かゐ る。 氏の 立場 は 無政府 主 

義 であろ C 是と 殆んど 同じき 地; K に 山川, 氏が 居る。 山川 



氏 は 昨年 以來 無名氏なる 名前の 下に、 先づ吉 野、 北兩 氏の 

民本主義 論に 犀利なる 批評 を 加 へ て 名 聲颇ろ 上って 以夾、 

頻り に デ モク ラシ ー の 中心人物 を 批評して、 或は 之 をして 

§ -を脫 かしめ、 或は 詰 腹 を 切らしめ て、 縱橫 無盡、 甚だ 勇 

壯 なる 武者振り を 示した。 然し 乍ら、 其 論文が 常に 他を排 

華す る 事に 終始して ゐ るの は 聊か 物 足らな さ を 感ぜし む 

る。 —— 其立揚は吾等と^^;く反對でぁるが、 而 かも 予は絕 

えす 11 得の^ 濟史觀 の 上に 立て 氣 味の 惡ぃ位 冴え 切った 彈 

劾 根り を 見せて ゐる 所に 特異の 期待 を 有すろ 者で ある。 

純正 社會 主義の 立場 を 固守せ ろ 堺利彥 氏 も 亦 特殊の 意味 

に 於て 卓越した る 評論家で ある。 其 他是と 離れて 國 家社會 

主赣の 立場に 立てる 高皇素 之 氏の 在る 事 も 甚だ 注意 す ベ き 

事で ある。 氏 は 從來迄 極めて 非社會 的に 其 言論 を發 表して 

ゐ たがために 殆ん ど社會 から は 認められなかった ので ある 

が、 頭腦の 精密なる 點に 於て、 觀 察の 銳 俊なる 點に 於て 『生 

ffl 長江』 氏が 赏 讚し た るが 如く 颇る 優秀な る 人で あ る。 

『八』 

A. 上の 人々 の 間に 在て 特別の 色彩 を 造り 上 ゆて ゐる もの 

は 女流 批評家の 諸氏で あろ。 是 等の 人 々の 中に 在て は、 與 

謝 野 晶子、 山川 菊榮、 平 1^ 明 子等の 人々 を舉 ぐる 事 を適當 



とする。 其 中 平 塚 氏 を 除いた 與謝 野、 山川 兩氏は 最近に 於 

て 稍 相 類似した 色 合 を 見せて ゐる。 唯兩 氏の 異ろ ところの 

もの は、 晶子 氏 S 立 揚が 平和的 人道 主载 であるに 對 し菊榮 

氏の 立 揚が 經濟的 唯物主義 であると いふ 事で ある。 而 して、 

吾等の 晶子 氏に 敬意 を拂ふ 所以の もの は、 常に 自己の 實感 

を 主として 論步を 進めて みら る > -點 である。 山川 氏 S 態度 

は 理路整然、 恰も 針で 縫 ふ樣に 進んで ゆく ところに 得難き 

特徵が ある。 何れにせよ 此兩者 は 我國に 於け る 新ら しき 婦 

人 蓬 動の 双 壁で ある。 此兩 者と 比較す る 時、 平 塚 氏の 立揚 

は稍異 てるる。 氏の 立揚は 寧ろ 個人 主 翁に 近いと 言ても 宜 

い。 尤も 最近に 於 て は 其 首 說を發 表し ないた め に 何とも 言 

ふ 事 は出來 ない。 

『九』 

最後に 眼 を 鸫 じて, 實際 政治家の 群 を 一 瞥 する。 何と 首 

て も 政治家 中の デモクラット は 尾 崎 行 雄 氏で ある。 氏の 主 

張に 就て は 改めて 喋々 する 迄 も 無い。 富 行 家と しての 尾 崎 

氏が 世の デモ クラ シ ー を標 傍す ろ 幾多の 思想家よりも 遙か 

に 進んだ ろ 意見の 所有者で ある 事 は 特に 注意す ベ き 事で あ 

る。 聰明な ろ攻治 家と して、 將來に 於け ろ 民衆の 指導者と 

して 吾人 は 氏の 將來に 驚くべき 期待 を 有すろ 者で ある。 , 



氏が 常に 新ら しき 思想に 對 して 深甚な ろ 研究 を 忘らない 

所に 新時代 を 率 ゆる 4 俄智と 聰明と が ある。 而 して • 權 謀と 

術数と を 以て 園繞 された 大堵馎 場で ある 現代 日本の 政治 界 

に 在て 極めて 不利な 地位 を 維持して 來た事 は 又此. 處に 起因 

し、 胚胎す ると 見て 差 支 無い。 

最近 氏 は歐米 視察の 途に 上らん として 居られる。 吾等 は 

來る 可き 時代の 氏を迎 ふるため に 其 健康 を 祝せ ざる を 得な 

、 

外に, 今井嘉 幸、 尾 崎 敬義、 等の 諸氏が あるが 是 等の 人 

々を 除いてし まって は 殆んど 人物と いふ 人物 を發 見す ろ 事 

の 出來な いのは 遣憾 至極で ある。 

『 一 0』 

以上に 於て 概觀を 終った。 予は 更に 驚くべき 輿 味と 希望 

とや 以て、 デモ クラシ ー の 渦卷を 形成す ろ 各 個人個人に 就 

て 精細なる 文明 批評 を 試む ろ 事と する。 匆卒の 問に 文^ 行 

つた、 爲 めに 當然書 くべ くして、 窨き 得なかった 人 も ある。 

謹 しんで 維を撋 くに. 當て諒 怒 を 乞 ふ 次第で ある。 (士, 郞) 

(三月 十三 日) 




ィ リ 



教授 



「民主主義の 指導 



一、 し 



口 イリ —敎授 が ぼ界的 經濟舉 者で ある、 〕 と は 誰れ も 知 つ 

てゐ ます。 その イリ ー 敎授の 最近の 著述と して 「世界 戦爭 

と民主主殺の指|;#」(ョ>11ョ.(一 T Ely, The world war and 

Leadership in a f>mocracy) を 深い 興味 を もって? 一?? みま 

した。 

□ 民主主義に おいての 嚴も 重要な 問 11 は その 指導の 問題 

であると 思 ひます。 この 點 について は 私 は 別に 私の 意見 を 

發 表する 機會が ある こと、 £、w ひよ す。 この 點に イリ— 敎授 

6; 注目され てゐろ ことに 私 は先づ 敬意 を 表します。 今曰以 

後の 問 超 はた デモ クラ シ. I の問趙 であり、 さう して その 

デモ クラシ I の 問 頃 は、 それの 指導の 問 超で あろから であ 

ります。 

n 彼れ は 民主 主雜の 指導の 問題の 太 切で ある こと を 主張 

します。 さ 5 して 先づ 第一 に 彼れ の 主張す る ことほ、 直接 

主義の 不可能 且つ 不適 當 である 、 J とです。 、 J の 前提に つ い 



て は 私 もまた 同一 の 意見 を もって ゐ ます。 この 前提から ィ 

リ I 敎授は 直に 代議政治 を 是認す るの 結論に と 到 著し ま 

す。 けれども この 點 になる と、 私 は イリ ー 敎授の 主張が あ 

まりに 單純 である ことに s^! きます。 直接 主義で なければ 直 

に 代議 主義で あると なすと ころに 彼れ の 著述の 一 大 缺陷. か 

橫は ります。 

□ この 點 から 見れば、 彼れ もまた 眞に 現代 民主主義 につ 

いて 深い 理解が あるか どうか を 疑 はざる をえない ことと な 

□ 彼れ は その 指 S4i の 基礎と なる もの を 個人の 發達 にお 

いて 見ます。 劣等なる 個人に おいて 指導の 不可能で ある こ 

と を 55 摘し ます。 この 點は 民主 主發 の指综 が、 官僚 的 また 

は軍國 主義 的の 指導と 異る 所以 を 明らかにした ものと し 

て、 私 ども は 素より イリ ー 敎授 の卞; 張に S3; 成します。 

□ この 點 からして 敎 育の 必要が 出發 します。 民 14- 主義に 

おいての 最も重要な事 業は敎 育で あると 思 ひます。 敎育は 

民主 虫義の 指導 そのもの であり、 また 敎育 によって のみ 民 

主 主義の 指導が 可能で ある ことと 思 ひます。 

イリ —敎授 はこの 點に 着目して ゐ ます。 さう して 敎 育の 必 

耍 である こと を 高調して るます。 (ibid., P. 104) 

□ 指導と 敎育 とが 離ろ 可らざる ものである ごとく、 指導 



と 能率と もまた 離る ベ から ざろ ものであります。 日 木の 攻 

治 論 はま、 た 指導: fi に 達せす、 組織 論に 達せす、 敎育 論に 達 

せす、 能率 論に 達して ゐ ない。 この 點 において、 私 ども は 

日本の 攻治 論の あまりに 幼稚で ある ことに 驚きます。 イリ 

1 敎 授の說 は,、 この 點 において B 木の 攻治樂 者 なぞ の 是非 

とも 一 讀を 要する ものであると 思 ひます。 彼れ は 能率:! に 

まで 達して ゐ ます。 

□ 能率 論に 到達 し な い 攻治論 は 決し て 科舉的 の 政治 論 と 

いふ こと はでき ない、、 吉野作 造 氏 一 派の 民本主義 論の ごと 

きもの は科學 以前の 政治 論で あると 思 ひます。 

□ イリ ー 敎授は その 著 寄の 最後に お い \ し 、「社 會 進歩の 六 

つの 光明」 と 題して 自由と: 半 等と 博愛と 統一 と 指導と 奉公 

の 理想と を 計へ てゐ ます。 

□,• テ モ クラ シ ー の 思想 はわれ 等の 日 木に おいても 旣に國 

民 精神の 中核と なりつ、 あります。 けれども 指導の 思想 は 

未だ 何れに も 起って ゐ ない。 私 は デモ クラシ— を 求める。 

さう して その 健全なる 指導 を 求める。 健全なる 指 _t と は、 

第 一 に 民衆の 敎育 であり、 第一 一 に は 高潔に して 卓越した る 

新人 物の 出現す る ことで あると 思 ひます。 (室 伏 生) 



サック 氏 

一 「露西亜 民主主義 

一 の 誕生」 

一 □ デモ クラシ ー についての 読物の うちにお いて、 私の 最 

も 憤 Ig 多い と 思って ゐる ものの 一 つ は サック 氏の 「露 西亞 

民主4^:義の誕生」 (A. J. Sack. The 13irth of the I へ ussian 

Dcmocrac) であります。 

\ □ サ ッ ク氏 は米國 における " シ ァ 報道 nil 長であります ひ 

ー從 つて ロシアに つい て 、 〕 の 人が よき 材料 を 冤 集す る ことの 

一 できろ 便宜; V もって ゐる こと は 勿:! です。 

□ それ は、、 チ ョ ー.、 チ • ケ ナン 、か アウト ルツ ク のうちで 批評 

して ゐる とほり、 十一 一月 戴の 革命から 今 nl のボ ルシェ ヴヰ 

キに 至る までの P シァ 革命 の 完全 な ふ —— 完 八 土 に 近い 記錄 

であると. &す ことができます。 從 つて 「ゥォ ー ルズ • ゥヮ 

1 クの 批評して るると ほり、 口 シァを 知らん とする 何人も 

Z 一 讀 しなくて はならない 惯値を もって- Q る こと も 勿;! で 

す 

□ 彼れ のこの 著述 はさと して 革命 唆です。 けれども また 



" 荜<15. 家の 評傳史 であると する こと もで きます c バ ク II 二 ン . 

についても、 クロ. ネ トキ ン についても、 ブ レ シ コ*ゾ レシ コ 

ウス クャ についても、 、、ワレン *チ ノウ/. ツチ • プレハ — ノ 

フ についても、 ミカ エル • ミ ュ ラヴ ィ オフに ついても、 、グ ; 

チ n フ ミリ ュ! コフ、 ケ レンス ヰ— についても、 皮れ ま詳 一 

細な 記 錄を揭 けて ゐ ます。 

□ その 革命 史 はた t, 革命の 記錄史 ではなく して また 革命 

の 思想 史 であると も 申す ことができます。 從 つて そ,^ ま眞 

實 なろ 歴史と しての 惜 値が ある こと を 思 ひます。 そのうへ : 

. に 革命に 關保 ある 主要なる 人物の 寘翼數 十 葉が 載せて あり ノ 

ます。 

ロサ ッ ク氏は 最後に 次のように 述べ てゐ ます 。『恐怖す ベ 

き 敎訓の 後に、 この 若き 國家 における 建設的の 勢力 は、 日 

日に 强大 となりつ >r あります さう して D シ ァが 新ら しく 

として 光輝 ある 生活 をうる に 至る こと は 決して 遠い 將來の 

ことで はない』 と (K 生) 

マロ ッ ク氏 

『純正 民主主義の 限度』 



一 □ マロック 氐 は社會 主義の 撲滅 者と して 知れて ゐ ます。 

彼れ の 「近世 社會 主義の 撿討」 は 日本に おいても 大分 物議 を 

nn 起す 種子と なった ことがあります。 日本に おいて ズ.^ り 

ではなく、 世界の 社 會主篛 者から 樣々 の 批難 をう けて ゐま 

す マクドナルド や、 ス パル. ゴゥ はこれ を 誤謬で あると 指 

摘して るます。 イリ —敎授 はこれ を舉者 的で ない と 論斷し 

てゐ ます。 

□ 彼れ の 新著 「純正 民主主義の 限度」 W. H. llock. 

The- unlit of Pure Democracy は 約 四百 頁の もので デ モク 

ラ シ ー について 可成り 精細な 研究 を發 表して ゐる とい ふこ 

とがで きます。 この 書物 もまた;^ 會 主義 檢討を 目的と して 

ゐ ろ 點が多 いこと は 勿, j| です。 その 說の うちに は 素より 多 

くの 誤 護が あります。 イリ— のい つて ゐる とほり 舉者 的で 

ない 多くの 點を もって ゐ ます。 けれども それが デモ クラシ 

—についての 比較的 精細な 研究 を 載せて ゐる ものと して 矢 

張り 一 讀の 値打ちの ある ものと 思 ひます。 

□ 私 ども デモ クラシ I の反對 者から も、 その 反對論 を聽く 

だけの 餘裕 がなくて はならぬ。 その 意味に おいて、 マロ ッ 

クの 著書 は 有 < ぬであります。 (K 生) 



レビ ュ I、 ォブ、 レビ ュ ー ス 

大山 郁夫 氏 

『民衆 政治と 國民 文化』 



『 



J 



『我等の 見地から すれば、 攻治は 其 本質 上 * 簞に國 民の 生 

存 上の 第 一 次 的 要件に 關 係-^ 有すろ に 止ら す、 それ 以外に 一 

尙其 文化 牛活 上の 諸方 面に も觸 着し なければ ならない もの 一 

であるに 11 以上 は 大山 郁夫 氏 S 據て 立てる 政治 舉の 立揚ー 

である。 而 して 同 寺- レ デモ クラシ I の 本 Sili である。 此デ モー 

クラシ ー の 本 壘に立 籠て 執笨 せられた 近の 名篇 『民衆 攻! 

お "國民 文化」 は 吾々 にと つて は 甚だ 注目すべき 文字で あ 一 

つた。 大山 氏 は此: SI 文の 中に 殆んど 其 懐抱す る 所の 總て. を 一 

摈化 混入す る が 如き 態度 を以 て、 -—— あらゆる 問題 を 論 じ,! 

靈 した。 > 

吾々. か 大山 氏の 政治家と しての 立場に 特殊の 地位 を 發見ー 

する の は、 氏の 論文が 常 に 其 背景と して 、(大山 氏の 言葉 を 一 

拜借 すれば 心靈 的な) 宗敎 的な 部分 を 有して ゐる がた めで 一 

^1 あろ。 而 して、 此ー點 に 於て 氏の 確 資性と 暖昧牲 とが 共! 



伏在して ゐる事 は淘に 止む を 得ない 事で ある。 吾々 は斯の 

如き 見地から、 お 最も 極端なる 例證を 最近の 論文 『民衆 攻 

治と 國民 文化」 の 中に 發兒 すろ 者で あろ。 

ョ』 

大山 氏 は 曰 はく T 總 ての 文化が 國民 問に 於て 社會 化せら 

れた時 は、 それ は 纏て 國民 文化の 耍素 となる もので あり、 

また 總 ての 國民 文化. か 世界に 於て 社會 化せら る 時 は それ 

は 纏て W 界 文化の 要素と なる ものである。』 と。 

然 らば 總 ての 文化 は 如何にして、 如 柯 なる 狀 態の 下に 於 

て、 固 民間に 於て 社會 化せら る、 乎。 更に 又、 總 ての 國民 

文化 は 如何にして、 . ^何なる 狀 態の 下に 於て 世界 文化の 耍 

素た る、. へく 社會 化せら る >- 乎。 大山 氏 は、 一 國に 於け る攻 

治 生活 を 始め、 一 切の 社會 生活が 民衆化す るに 從て、 國民 

文化 は 勢 ひ 民衆 文化に ならなければ ならぬ、 と說 いて ゐる。 

而 して、 更に 百 3< 竿頭 一 步を 進めて、 『アリス トク ラシ— の 

社 曾 生活の 下に 於て は少數 貴族.、 か國民 精祌を 代表して ゐた 

事 も あるで あらう が、 デモ クラシ! の社會 生活の 下に 於て 

は、 民衆が 國民 精祌を 代表して ゐ るので ある』 と 論じ, 續 

いて 聲を大 にして、 『我 か國の 文壇の 人々 が唱 へて ゐる 民衆 

藝衍と は染 して 何 を 意味して ゐる ものなる か、 我等 は 不幸 



にして 之 を 間 知す る 所. か 無い が 現代の 國民藝 術 は總て 皆、 

右に 述べた る 意味の 民衆 藝 術でなくて はならない、 と 我等 

は^く 信す る 所で ある』 と 論究して、 氣焰 頗る 萬 丈で ある 

が、 然 らば • 大山 郁夫 氏に 侬て 解釋 され • 且 理解され たる 

民衆と は 果して 如何なる 階級の 如何なる 人々 を 指す 乎。 尠 

くと も、 大山 氏 は 前段に 於て T 物資 有限の 世界に 於て、 掠 

奪 階級が , 被 掠奪 階級 に 臨んで ゐる樣 な 社 會狀態 を 改造す 

る 必要 を 一 1^ 痛切に 感じない わけに は 行かない』 と說 いて 

ゐられ る 所 を 見る と、 資木努 働の 軋櫟、 鬪爭の 必然性 を是 

認し、 肯定して ゐら る. -と 見て 差 支 無い。 而 して、 少數貴 

族の 專制 を排擊 された 論法から 臆斷 すれば, 氏に 侬て 解釋 

された る 民衆と は、 贵族 階級に あらす、 町人 階級に あらす 

して、 プロ レ タリアン (賤民 階級) であると 見て 差 支 無い。 

吾々 は、 尠くとも、 大山 氏が、 瞹味 模糊、 泡に 山鳥の 尾の 

. ^き長 々しき 論文に 於て、 -屢 々吾々 を 迷宮の 中に 投入して 

き 乍ら、 而も 朦朧た ろ 難 致の 中に、 極めて 勇敢に 是 等の 

事實を 肯定 さ れ たる を以 て 甚だ 多 と せ ざ る を 得ない 者で あ 

る 

『三」 一 

然し 乍ら、 他方に 於て 此 大山 氏の 勇敢 性 を 奢 t ひ 去て、 之 



を 不徹底の 境に 投入す ろ もの は、 氏の 宗敎的 態度で ある。 

卽ち、 氏 は 社 會狀態 改造の 要訣 を 語て 曰 はく T 貴族 貧富の 

是認の 上に 立て ゐ る が 如き 封建的 社會觀 に 代 ふるに、 社會 

的 同情 に 立脚した る 立憲 的社會 觀を以 てす る 必? §M を 認め な 

い 譯には 行かない ので ある、』 と。 若し 夫れ、 大山 氏の 所謂、 

掠楚 階級が 被 掠 〈赛 階級に 臨んで ゐ るが 如き 社 會狀您 を 改造 

せんがた めに は、 民衆 夫れ 自身が 民衆 自體を ヱキ スブ ロイ 

一 卜して 存續 してる ると ころの 征服 階級に 對 して, 階級 的自 

一 覺を存 し、 其 階級 的^ 在 を 中; 張す る 事み-以て 始まらな けれ 

ばなら ない。 然るに、 大山 氏? i 其 『心靈 的』 なる 立場から 

; 社會的 同情 をカ說 して もられる。 然 らば、 社 會的同 と 

は、 そもそも 何事 を 指す ので あ るか。 勞働問 に顯は れ 

\ て、 溫愦 主義と 爲り、 社會 問題に 顯 はれて 救^軍と なる。 

一 11 吾々 は此 以上に r 社會的 同情』. なる 言 猪 を解釋 する 途 

一 を 知らない。 —— 吾が 勇敢なる 「デモクラットが、 此 illtel- 

一 lectiial masturbation に 侬て满 足して ゐる 51 は 政治が 文化 

™ 生活の 諸方 面」 に觸 着す る 時代 は 尠くとも、 近き 將來に 於 

て來 そう も 無い。 (尾 崎 十; 郞) 



『各 國のデ モ ク ラ シ —』 

『 一 』 

大觀 三月 號は其 呼 物と して 『各國 の デモ クラシ ー』 と 題 

する 大文字 を揭 けた。 尠くとも 此攀が 甚だ 時 直に 適した も 

ので ある 事 は 繰返して IB ふ 迄 もない 明白な事 實 である。 

然し 乍, r、 これ を說く 人々 の 顏觸を CB- る 時 吾等 は 今更な 

がら、 大觀 編輯 者の 希望と、 期待と が あまりに 暴 過ぎた 

事に 對 して 一 驚 を 喫せざる を 得なかった。 先 づ其顏 觸を儉 

する に 『日本の デ モク ラシ I』 を說 くに 田 和 民 氏 を 以てし 

『英國 の デモ クラ—』 を說 くに 植原悦 一 一郎 氏 を 以てし 『米 

國の デモ クラシ ー』 を說 くに 監澤昌 貞博. H を 以てし r 佛國 

の デ モク ラシ.!』 を說 くに 林慶. K 敎授を 以てし、 『獨 逸のデ 

モク ラシ 1』 を說 くに 副 島法學 博士 を 以てし、 露 西 亞の社 

會; S 動を說 くに 桑 ffi 熊藏 博士 を 以てして るる。 尠くとも、 

吾等は藥田熊藏馎士が露西亞の社會連動の研究^!^として颇 

る 優秀な 舉 者であった とい ふ 事 を 知ろ 外- 其 他 の 人々 が 

■ 『デモ クラシ ー』 に 就て 正しき 理解 を する 人で あると い 

ム. ふ 事 すら 知らなかった。 而 して、 彼等が 其 有 合せの 知識 を 



以て 窖き 上け た、 若しくは 物語った 論文 か, 舉究 する に綠 

日 商人の 安物 賫的 態度で あった 事 は洵に 止む を 得な い 事で 

あった。 

今、 彼等の 總 てに 一旦て 之 を 論評す るの 自由 は 無い。 然し 

乍ら、 若し 心め る 人に して、 此 論文 を 讀む 時、 デモ クラシ 

1 に對 する 固定 破 化した る 解 1: が. s:!: に 有害無益な もので 

あるかと いふ 事み 一知ろ 事が 出來 ろで あら、 フ。 此 意味に 於て 

雜誌界 の 呼 物であった 事 は事實 である C 

『二』 

せ; ハ 中に 在て,、 特に 亂暴 なろ 說明は 浮 W 和 民 氏の 『日本の 

デ モク ラシ ー』 なる 論文で ある。 

浮 田馎士 の說く 所に 從 へば、 現在の 日 木に は 政治 上の デ 

モ クラ シ ー は 無い が經濟 上の デモ ク ラ シ I は ある そ、 フ であ 

る 

然 らば 經濟 上の デ モク ラシ . '無き 處に. g 何に して 政治 上 

の デモ クラシ— か あるか. > 又 あり 得た か。 此質 問に 對 する 

浮 ffl 博士の 返答 は 極めて 簡。 4 明暸, 直截簡明 である。 

曰 はく、 『日 木に 於け る デモ クラ シ— は大隈 侯の 言 へ るが 

•i- く、 理想と して は逑 國の當 初から 有した ものであると 言 

ふ 事が 出來 る。 





其 




の 




に 




じ 


節 


然 


出 


の 


は 


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來 


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來 




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贩 




る 


か 


る 


あ 


資 






ら 






つ 


店 



その實 日本の 政治 は 古 往今來 一 種の マリス トク ラシ I で 

ある けれども、 貴族 は 一 面 皇室に 隸屬 し、 又 一 面 人民の た 

めの 貴族であった から、 古來 日本に 貴族 はあった が 貴族 主 

義 はなかった、 又 賣族攻 治で あつ. か 何れの 時代 も 國體は 

君主 制であって、 古 來ボ— ランド 王國 又は 獨逸 にあった 舯 

聖羅馬 帝國の 如く、 名 は 君主 制と して、 其實 貴族 圑體 であ 

つた 事 は 無い。』 と。 11 恐らく 是が 現在の 攻黨 政治家たり 

の 口から 洩れた 言葉であるなら ば、 吾等 は 寧ろ 彼等に 向て 

其 卓見 I— 尠くとも 日本の デ モク ラシ ー が 建 國以來 皇室と 

共に 在った 事 を 理解した 意味に 於て 其 # 見に 服した 者で あ 

らうと 思 ふが、 苟 くも 是が 日本に 於け る 唯一 の 政治 舉 者と 

して、 人 も 許し 自ら も 許して ゐろ浮 田 和 民馎. H の 口より 洩 

れ た 言 葉な ろ 事 を 思, ふ 時 坐ろ に 無殘の 感が 起 る 。 

浮 田 博士 は 「人民の ための 貴族』 とい ふ 言葉 を 用 ひて ゐ 

る. か 一人 民の ための 貴族」 と は そもそも 何 を 意味す るか。 

吾等 は 學究的 言辭の 下に 博士の 無知と 不徹底と を 追求す る 

事 を 避く る。 然り 吾等 は 博士の 政治 攀者 としての 從來 迄の 

名 聲を鶯 重す る 意味に 於て、 その 亂暴 極まる 推論の 矛盾 を 

指摘す る 事 を 避く る。 

然し 乍ら、 時代 か此老 ひたる 蔡界の 偉 勳者を 新ら しい 世 

界 から 投ゅ出 しかけて るるとい ふ 事 は、 ま f 〕 とに 悲しむ ヾ 



き 皮肉で は あるまい か。 一 

『三』 . 一 

浮 田 博士 を 手始めと して、 其 他の 人々 の說明 も、 一人の 

桑田 氏 を 除く の 外 全く 浮 田 氏 同流の ものであった。 法學博 

士 11 何々 敎授、 11 新の 如き 言 辭が 如何に 無智と 無理解 

と を 端的に 表明して ゐ るかと いふ 事の 證據は 此ー篇 の 『世 

界の デモ クラシ ー』 である。 一 



◊ 校正 室に て 

▲ 校 正室へ 来て、 何 か 場め 草が なと 思 ひな 

がら 机上の 「太 Sl」f5- 手に とって 見ます。 與 

謝 野 品 子 女史の 「逆風 航脉」 と い ふ 一 文が 目 

にっきます。 

▲ それ は 例の 11 例のと いって は 失 鱧です 

が、 矢張り 例の 婦人 參政權 論で ぁリ ます。 

晶 予氏は その 立場から 今日の 日本の 普通 選 

舉 論.^ 罵倒して ゐ ます。 痛快に 罵倒して ゐ 

ます。 今 井嘉幸 氏の 普通 選舉 諭に は 『何ん 

の哲學 的极柢 もな いもので ぁリ』 : • : さう. 

して 今 井 氏の 『舉.者的良心,^疑はざる.^尺 

ない』 とい ふ、、 とまで 激語され てゐ ます。 

▲ その 通りです。 私 は 晶子 氏の 言葉に 封し 

て 全然 蟹 成します。 今 井 氏の 幾多の 論文 

讓んで 見て I、 1 つと して 「哲學 的 基 接」,^ 

もって ゐる もの はない。 このような 人達が 

普通 選舉の 指導で ある 間 は、 國民は 決して 

普通 選舉 に興裔 する こと はでき ない。 

▲ 政友會 での 選舉法 通と して 自ら も 己 偬れ 

政友會 でも 許る して ゐる もの は 例の 松 田 源 

タ 治さんで ある。 その 松 田さん は 盛んに 外國 

^ 、通 1^ 振リ 廻す もよ いが、 今 ま 頃に なって、 



白耳義 に 階級 選舉 11 知識 選舉 に る 階級 

選舉が ある もの、 ぶう に 論じて ゐる とこる 

から 見る と、 松 田さん の 選舉法 通が、 雜誌 

か 新開 位ゐ —— 例の アウト シ- ソクと タイム 

スのゥ ヰ- クリ, 程度の 知識階級で ある: 

とが 暴露され ます。 

▲ 矢張り 院內の 知識の 程度 は 院外よ リも低 

い。 あらゆる 點 に おいて 低い。 代議政治が 

權 威な 失 ふ 第一 の 理由 はこ 、にあります。 

木 富士彌 君が、 『社會 主義者 解放 案』, 牛 

出しました。 その 言論の 筆記. „5 -ヽ 官報で 讀 

んで みると 隨分 詳しい 事が 出て ゐ ます。 鈴 

木 君が 新 思想の 理解 者で もる か 否か は 別と 

して、 更に 如何なる 思想 的 見地から 斯る質 

問,^ 發し たかは 別と して、 とにかく これ 丈 

け周到なる用意,-^:^てされた事に對し、 吾 

吾 は 多くの 敬意.^ 拂 ひます。 さて、 この 質 

問に 對し 政府が 如何なる 應答 なす か。 吾 

等の 興味 は尠 からす これに 注が れてゐ ま 

す。 

▲ 一 方 に 於 \ ^『社 會 主義者 解放 案』 が 出る と 

袷ん ど 前後して、 日本に. 於け る社會 主義者 

の 藥窟と 言 はれて ゐた寶 文 社が 解散し まし 

た。 或 者 は 主義の 爭 ひだと 言 ひ、 或る 者 は 

感情の 爭 ひだと 首 ひ、 或る 者 は 利害 問題 か 



ら だと 首て ゐ ます。 その 果して 何れで ある 

か は 全く 門外漢で ある 所の 私達の 知る と: 

るで)^ 無 けれに、 また 知らん とする 所でむ 

ない。 然し 乍ら 如何なる 運動に して-.. -, そ 

れ が^く も 思想 的な 意味,.^ 持て 來る時 硬、 

中、 軌、 の 三 派に 分れる 事 は 止む 得ない 

事です。 『唯 往く者 して 往く 所まで 往 かし 

めよ』 11 『批評』 の 立場 は 唯 あらゆる 人間 

の 動きの 中 に 文化的 意義と 慎 値と 1^ 發 見す 

ると: るに ある ので ぁリ ます。 



デ モク ラシ 



はしがき 

デモ クラシ I は 成長し つ あります. - 世界の 到る ところ 

にデ モ クラ シ I は 適します。 誰れ が 抑え ようと も 誰れ が 迫 

害しょう とも デモ ク ラ シ ー は 人々 の 心のう ちに 榮 えます。 

心の、 > ちに榮 えろ もの は、 奪 ふこと はでき ない。 デモ クラ 

シ I は;? ft ふことの できない 力であります。 その 奪 ふべ から 

ざる 力が、 世界の 到る ところに 成長し つ. 1 あります。 

「文字の 發 明され たと ころで は、 デモ クラシ— は il くべ か 

ら ざる ものである OJ カァ ライルの 言 紫 は凰理 であります。 

^界 にも 日本に も。 

日本に も、 デモ クラシ I は 芽ば えてき ました。 政治に で 

はない。 社會 にで はない。 產 業に ではない。 人々 の 心のう 

ちに さう して 若き 日本の 建設 さるべき 時代に と 移って きた 



—硏究 H 



のであります。 

デモ クラシ ー を 敵視す る 人々、 愚かなる 人々 は 醒めねば 

一なら ぬ。 デモ クラシ ー を 愛する 人 Si 的の 人間 は、 デモ クラ 

シ I に ついて 知らねば ならぬ。 

われ 等 は先づ 知らねば ならぬ。 一 切に 先. たって 知らねば 

ならぬ。 新ら しき 人間 生活の 精紳と 組織と を —— デモ クラ 

シ I- を 

私 は エッチ •.. チイ *ゥ ェ —ルス を 尊敬し ます。 その ゥェ I 

ルス は、 デモ クラシ— の 研究と 宣傅 とが、 新世界の s^, 頭に 

おいて、 何 ごとよりも 大切で ある こと をカ說 します. - その 

デモ クラシ— の宣 傅と 研究と は、 世界の 何れに おいてより 

- も われ 等の 日本に おいて 必要で あらねば ならぬ。 若き 日 木 

の デモ クラシ I の 健全なる 成長の ために、 私 は 「デモ クラ 

シ— 研究」 . ^企てます。 私に 最も 適した ものと して。 

(室 伏 生) 



グッテ イス ブルダ 

の 墓所に 立ちて 

ァ ブラ ハ厶. リン コ 1 ン 

この 演說は ァプラ ハム. リン コ ,ン がー 八 六 三年 九月 十九 

日ゲ- ンテ イス プヤ グ において 試みた ものであります。 時 は 

アメリカ 南北 戰帶の 正に 去らん とした 時、 各 州の 知事が こ 

のゲク ティ スプ か^の 國立 墓所 に 集って その 危機の 去った 

、、と,^ 念し^も のであります 。雄 辯 家 H ドリ ド* H ゲ H 

レクトの 長き 演說の 後 Li アブラハム. "ンコ ,ンは 二分 間 

の 短い 浪說 1 ^してね ます。 それに 決して デモ クラシ-の 定 

義 としてされ たもので はないけれ ども 彼れ の 一 首 一 句 は、 

、、の 偉大なる デ .モ クラ タトの 肺肝から 出で たる ものと して 

不朽に 傳 へらるべき 大文字で あると 思 ひます。 こ ヒレ 原文 

と譯 文と とも 11 そ へ ズ置 きます o( 室 伏 生) 

八十 七 年 前、 われ 等の 祖先 は、 この 大陸に 自由のう ちに 

^まれた る さう して 凡ての 人類 は 平等に 造られた る ものと 

する 教義に 捧 けられた る、 新 國民を 建設し ました。 今や わ 

れ等 はこの 國 民が、 或は かくの ごとくに して 胚 まれ、 かく 

5_ の ごとくに して 捧 けられた る 如何なる^ 民 も、 Ei^ して 永く, 



^續 すろ もの か 否 か を 試練す., へ き 一 大內 亂を戰 ひつ A あり 一 

ます。 われ 等 は その 戰 ひの 大 場に 會 して ゐ ます。 われ 等 一 

は その 國 民の 生存の ために 彼等の 生命 を擲 ちた る 人々 の 永 

眠の 地と して、 この 戰揚の 一部 を捧 けんかた めに この 地に 

夾 ました。 これ 實に 適切-正 當の措 §i ^であります。 けれども 一 

更に 大 なろ 意味に おいてい へば、 われ 等 はこ S 地を捧 ける 一 

、 J と はでき ない 尊く する、 〕 と はでき ない 刺聖: にす 一 

る こと はでき ない。 この^に 鬪 ひたる 士は、 生ける もの 一 

も 死せ る もの も、 われ 等の 貧しき 力が 遠 く 及ぶ こと 能 は ざ - 

ろ ま ひに、 この 地 を 尊き ものと して ゐ るので あります。 わ 一 

れ 等が こ A に述 ぶる ところに ついては、 世界 は 殆んど 注意 

すろ こ ともなく また 長く 記憶に 存 する ごと もな いで あら 

う。 けれども 彼等の この 地に おいてな したる ところ は 永遠 

に 4 いれ 去られる こと はない のであります。 この 地に 鬪 ひた 

る 彼等の 誠に 光 輝 ある 遺業に 對 しこ にわれ 等の 一 身 を捧ー 

ける ことが、 われ 等 生き 殘れる ものの 任務であります。 わ i 

れ 等に とって は、 われ 等の 面前に 取り 殘 された る 大業に 一 一 

身を捧 ぐる こと はわれ 等の 任務であります —— これ 等の 名 一 

譽 ある 故人の 刺戟に よって、 彼等が その 十全 を したる 所. 

以の 原因に 對 していよ^ (- »大 なる 默身 をな すがため にこれ 一 

^^故人 をして 1 仝し く 死せ ざら しむる こと を 堅く 块 心す-や 



力た めに、 この 國民. か 棘の 加護に よって 新に 自由 を 羸ち う 

るが ために、 さう して 人民の、 人民に よっての、 人民の た 

めの 政治が 地上から 滅亡せ ざらん がた めに。 

(原 文) 

Fom- Score and seven years ago our fathers 

fol.lh on this continent a new llatioll., conceived in 

l)erty and dedicated to the proposition that all men 

created eqt ひ 一. 

Now wc are engaged in a great civil war, testing 

whether t.hat nation, or any nation so conceived and so 

dedicated, can long endul.e. we are met on a git 

Itlefield of that war. we have conic to dedicate a 

portion of that fkld as a i resting, place for thos- 

ilo here gave their lives that that nation might live. 

It is altogether fitting and proper that さ e should do 

t ョ s. BiU. in a larger sense, wc can not dedicatelwe 

cannot consecrate— さ c cannot hallowlthis ground. 

The brave ョ en, living and dcad、 who struggled here 

liave consecrated it far above our poor power to add 

or to detract. T ま Is will little note nor long re- 

ョ e ョ her what we say here but it can -ever fori 



what they く did here. It is for iis, the living- l.alhcr to 

t> ひ dedicated here to the unfinished work which they 

Who fought here have thus fal- so nobly advanced. It 

IS rather for ils to. be dedicated to the gTeat task re- 

maining 一) efol.c usithat from these hono.l^red dead we 

-akc increased devotion to that cause for which they 

一 gave the last full measure of devotion; that we here 

highly resolve that these dead, shall not. have died in 

vain.; 、that this nation, under God, shall have a new 

一〕 irth of freedom; and that government of the people 

by the people, for the peop ヌ shall not perisH from 

tiic earth. 

民主主義の 精神 

ァ, I サァ. へ ン ダァソ ン 

世界 戰爭 の惶愴 たる il^ 廢 から、 世界 を 通じて 民主々 幾 的 

感情の 復活 をみ ます さう して 國民的 及び 画 際 的の 諸問^ 

における 民主的 支配に ついての、 今 H までの 強烈な j 般的 

傾向に 對 して 偉大なる 刺激 を與 へます。 今 G の 世界の 人 1^ 



の 中に 民主的の 思想と 理想と か. S 何に 汎く 接み 込んで ゐか び 野心に 反對 する ものと しての、 ,41^ 人類の 幸福 を 意味し ま 

とい ふこと は 量り 知る こと はでき ない。 それ は各國 におい す。 國民 的の 關係 において は、 それ は 階級 または 個人の 利 

て 一 つの 例外 もな しに 强大 なる 權 力の 觀念 —— それ 等の 凡 益に 反對 すろ ものと しての 共 の 幸福 を 意味し ます" 國民 

ての 人民 LT 合法的に 且つ 神-架に 與 へられた —— が 深くな の繁榮 とい ふこと は、 少數の 人々 の 富に よって 評. 憤す る こ 

つてき たとい へ ば 宜しい のであります。 〇〇〇〇〇〇〇〇、 とので きる もので はなく、 全體 としての 社會の 満足と 幸福 

さう して 人民の 神權. かあります。 さう して この 地球上の 凡 とに よって、 さう してた V に 社會的 要求ば かりで はなく、 

て s. 人民 はだんぐ と 「地上の 新 王國」 は 唯 これ 等の 神權 人々 の 精神的 需要 を も 満足させる 能力に よっての み 評價す 

11 自由 及び 平等の 權利 についての 充分なる 承認に よって る ことので きる ものであります。 レ ツキ— のい つて ゐる通 

のみ 押した てること のでき るので ある こと を 悟り 始めて る り 『國民 的 偉大と い. ふことの 主要な ろ 性質 は、 道德 的で あ 

ます。 それ は 民主々 装 的 信念 S 泉であります。 それ は眞實 りさう して 物質的で はない』 のであります。 道德的 偉大 は 

なる 民主々 義の 精神的 基礎であります。 物質的 繁 榮を產 むこと がで きます。 けれ, ども 物質的 繁榮は 

それ 自身 常に 精; t 的 及び 道德 的の 廢頹を もた, らす もので あ 

世界的 民主々 義 の到來 は、 自由、 正發、 平等 及び 博愛の ります。 それ は 美しき 感情.^ 鈍く しさして 人民の 眞實 なる 

世界的 支配 を 意味して ゐ ます。 凡ての 人民に 對 して 自己 決 力 を 絞りと ります。 如何に 艇々 戰爭の 初めに おいて. われ 等 

定 及び 自己 發展の 平等の 機 會を與 へる ことの 原則の 世界的 の 物質的の 偉大なる 繁榮 によつ.. て 美し. き國民 的牲質 及び 之 

承認 を 意味し ます。 さう して 凡ての 民族が 諸 民族 同盟の 一 れ 等の 種族の 特贸の 多くの ものが 打ち 減され た. とい ふこと 

員と しての 權利 及び 義務の 實際的 承認 を 意味し ます。 それ をお それて ゐた であらう! われ 等の 人民の 將^ の 幸福の た 

は. また 人民の 相互 的 信賴を 意味し、 また 世界的 共同 及び 友 めに、 幸 ひに も、 彼等 は 打ち 減され てはゐ ない ので、 眠つ 

誼に 入る こと を. 意味し ます。 てゐ たのであります。 さう して 一 九 一 四 年に 彼等のう けた 

新 生活 を 求む る 刺戟 は戰爭 の歷迫 と 緊張の、 フ ちに ありて、 

5 國際 的の 闢係 において は、 それ は 利己的の 民族的 利益 及 人民の ザ ヰ ジョンが < 分 々明確と なり、 今日 彼等が、 人 1^ の 



ぶ 智識、 經驗 及び 能力の 企及し 得らるべき 最もよ き 社會 組織 

が正殺と公正の^*;礎の上に文明を<押造すべ き彼等の诀心を 

滿 足させる ことので きる もので あろと 考 へ る や、 フに 至ろ ま 

で、 彼等の 眞實 なろ 憤 値の 觀 念が til^ 々美しくな り、 また <众 

盆 鋭敏に なって ゐ ます。 

けれども 4- た 個人の 個性の 重大で ある ことが 認識され る 

にあら ざれば、 健全なる 國際 主教と 眞實 なる 民族主義と を 

創造す る ことみ 期待す る こと は絕 望であります。 諸 民族の 

同盟 は 個人の 友: g の 上に たちます。 さ-..^ して 民; i 、的 及び 國 

際 的 活 における 缺く ベから ざろ 要素と しての 人格の 最 高 

の 重要性み. 考 へる とそ こ に 明らかに 危機が つ てゐ ます。 

國民的 生活の 各 局面 を 想望す るん の は 社會の Sef 位の 道德的 

1^ 値 を 蔑視し または 無 視 する 倾向 を發見 する ことができ ま 

す。 われ 等 は 数量の こと を考 へます。 われ 等は數 量のう ち 

に 活動し ます。 運動 は 彼等が 常に 正しき. かためで はなく し 

て 彼等が 人氣 あろ ものであるが ために、 われ^の 心に 拆 

へます。 多くの 人々 は 世界の、 國 民の、 または 自治 體の不 

正につ いて 論じます。 けれども 個人の 不正に ついては 論及 

すろ f J と を 夢み だ しない 。それに も か 》 はらす、 國 民 的 意 

おや S 表現 は 選舉區 における 各個の 人力の 意見 S 總計 におい 



ての 一 般的標 を 代表して ふるものであります。 さう して 

各個 人が 道德的 偉大の 最高 點に 達する ことなくして は、 民 

主々 錢は その 本義の 満足なる 發達 を遂ゅ る こと はでき な 

い。 低く き道德 の 男女 はた > 鎖の 弱い 結び目で あるに 過ぎ 

ない、 その 鎖の 强 さは その 結び目の 强さ 以上に 出る ことが 

できない。 人民の 物質的 及び 社 會的條 件 を 改善す るた めに 

は、 われ 等 は 人民,.^ 道德的 標準 を 高めなくて はならない。 

何と なれば 全體 としての 社 會の道 德 的 判诀の 結果と しての 

み 一 大變化 を 贏ち 得る ことができる からであります。 この 

道德的 熱情と 個人の 誠實で ある ことの 必要 は、 こ の國 に顯 

著なる 發! と 日 進の 勢力と を 得つ、 ある 民主々 義の 立場に 

おいて <1 ^々熱 切な ものと されつ 、 あるので あります。 國民 

の將來 における 幸福 は 組微的 民主々 義の 掌中に あります。 

さう して われ 等 はた > に 計 螯ゃ實 際 的の 企圖に ついてば か 

りで はなしに、 指導者と 民衆 と の 信念と 理想と そ の 個人的 

人格と についても 考量し なければ ならない こと、 なって ゐ 

るので あります。 われ 等の 前 路に橫 はって るゐ 困難 は 洪大 

な ものであります —— 口 — マ は 一 口にして 成った も 3^ では 

ない のであります。 また 人民の 道 德的權 力のう へに 艱難な 

要求が 課せられる ものでなくて は、 國民的 及び 國際 的の 新 

盟織は 決して 完成され る もので はない のであります。 少し 



でも これ を 拒む ようで は、 新世界 はわれ 等のう へに 來 たる 

こと ない。 その 道 は 遠く、 i^lsg として、 また 陷弈 に充ち 

てゐ ます。 

民主 々 義が その 前に =S はって るる 光輝 あ る 機會を 利用し ; 

なければ ならない ものと せば、 個人々々 の 人民が 强 固なる へ 

決心をも^^、 道德的 熱情と 高尙 なろ 理想に 共鳴し、 高き 目 一 

的と 非 利己的の 愁 si よって 靈感 されて ゐろ 人々 によって 

指導せられ るの ほか はない。 誠に われ 等 は 社會的 理想に. 到 

達しよう とする 努力の うちにお いて 個人の 人格の 問題 を 閑 一 

却して ゐる こと はでき ない。 個人的 無責任の 主義 はた に 

危險な ものであるの みならす • その 主義 を 奉す ろ A 々のゥ 

ヰジ ョ ン に缺 けて ゐる こと を 示す もので あり、 また 往々 に 

して 人々 の 市民と して 及び 社會 的の 義務 を 回避す ろ ことの 

-i 辭に 供せられ ろ ものであります。 その 友 僚 または 國 家に - 

對 すろ 各人の 義務 を完 うする ものでなくて は、 各人 は その : 

國民性 を 主張す る ことの 權 利がない。 また 國家 がその 人民 

から 市民と しての 義務 を 履行す る こと を 求む るが ために 一 

は、 その 國家は 市民の 權利を 認めなくて はならない。 これ 

が 民主々 義の 成功み- II ら すべき 眞實 なろ 個人的 並に 國民的 

f 自 ss^ を 刺戟すべき 確寶 なる 道であります。 民主々 義の 効果 



は その 精祌的 及び 道德的 信念の 强 さに 比例し ます。 さう し 

て 全 體 としての 民主々 義の權 力 は、 各人の 主義に 對す る忠 

と 正義に 對 する 道 德 的 勢力に ついての 各人の 信念と によ 

つて 则^ すろ ことので きる ものであります。 各人の 人格 は 

最高の 形に おいての 人間の 性 K を立說 する も の で あ り ま 

す。 何とな ればそ れ は 人間 >ぜ31〕 に お いて 表現す ろ も の で 

あるから であります。 さう して 最高の 人格のう へ に 立てら 

れ たろ 民主々 藉 のみ 獨り 世界 を 救 ふことの できろ 一 方法と 

なり 得ろ のであります。, (Arthur I-Jenderson. .The aims 

Labour, R 92) 

民主主義の 將來 

ハ ル、 テ, I ン卿 

民主々 義の 理想と は 何で あろ か? 私 は 民主々 義 來 

について 語る 前に、 これ 等の 理想に ついて 語り、 また これ を 

み:^ 強して みる 必要が ある と 5、5 ひま す。 私 は 遠き 昔 11 八 百 

前に 遡って 考 へ てみ なくて はならない。 その 當 時の 人々 

は クリスト 敎 について 樣々 の 考へ方 を 致して をり ます. - 私 

は 敎會の 歴史 及び その 敎會 の傅統 のうちに おける 多くの 事 



J 柄に ついては 深く たち 入った 立場 をと る もので はあり, ませ 

5 

ん。 けれども 私. ガ 固く 信じて rO る こと は クリス ト敎が この 

世界に 新しき 理想 11 人間の 自由 は それ 自身 目的で あると 

いふ ことの 理想 を^ら したと いふ ことであります。 それ は 

決して 他の ものに よって 破 減 せらる >- もので ほな きのみな 

らす 個人の 正當 にして. また 疑 ひの-なき 權利 とし て 承認 せ ら 

る >f ものでなくて はならない のであります、 クリスト 敎は 

遂に 奴 隸の廢 止 を 辯ら したので あります。 クリスト 敎は人 

間の 個人性に つ いて 新價値 Newvalue を 主張して ゐ ます。 

さラ して この 主 翁に よって 今. 日の 努働 運動に 靈 感を與 へる 

こと 多く、 また 男女に 對 して 勞働、 または快樂ょりも^^き 

もの —— 凡ての 人間 精神の 偉大に して 貴重な ろ價 値の 存在 

を敎 へて ゐ るので あります。 然り、 私 ども はこの 點 から 出 

發 します。 この 新 理想 は 常に クリス トの 名と >j もに 存 する 

ものであります。 

こめ 私 S. 指摘した 理想から. S 何な ものが 考 へられる か を 

述べて みます。 それ は 絕體的 平等の 思想で はない。 諸君 は 

凡ての 人間 を 平等に する こと はでき ない。 私 は その 理由 を 

語ります。 I —何と なれば 造花の 紳は餘 りに 有力で あるか 

ら であります。 ある 女 は 美しく 生れ、 ある 女 は 醜く 生れ、 



さう し て そ れ から 大きな 差別が 生 れ ます ひ ある 男 は 英明に 

生れ、 他の 男 は 愚鈍に 生れます。 ある もの はス 健康に、 他 

の も の は 健康に 生れます。 諸君 ほ この 事 實を 變更 する こと 

はでき ない。 さう して 諸君 はこの 世界に おいて 完全なる 平 

等 をうる こと はでき ない。 それ ゆ ゑに 平等に ついての 抽象 

的の 思想 はこれ を 排斥し なくて はならない。 それ は 多くの 

人々 を惱 ましたろ 古き 思想であります。 それ は屢々 勞働連 

動を惱 まして ゐ ます。 I 八 四 八 年に この 事が あり, ます。 卽 

ち 凡ての 人々 は 同 j であり また 從 つて 何人も その 同僚より 

も 卓越す る こと はでき ない ものであると 考 へられた ので あ 

ります。 f J の 僞狹な 思想に 對し て 反動が 起 つて ゐ ます。 

若し.: P 人々 が 凡ての 點 において 平等の もので ない とすれ 

ば 人々 はどうい ふこと なりうる であら. フか? 彼等. は その 

天 與のも の を 發展さ せる ことの 機會 においての 平等 を與 へ 

られる ことが てきます。. 若しも 諸君. か 古る き 抽象的 平等の 

觀 念に ついて 115^ れば、 それが.^ 何に. jGt^ しきもの である 力 を 

知ろ ことができます。 C1 シ ァ がそれ であります。 P シァ は 

今日 何處 にあり や? 私 は ある 程度に おいて. ボ ル シ ヱ ヴヰズ 

ム に 同情し ます。 それ は憎恶 すべ. き 政治に 對 する 反動で あ 

ります。 ボルシェ ヴヰ スト は その 反對の 極點に 走り まし 



た。 彼等 は 凡ての 人々 がそれ 自身 平等の もので あり * また 

同じ 愚鈍の 線 土に 立って ふるもの である こと を 主張し ま 

す。 彼等 は 生命 を 死の レ ベ ル にまで 引下 ゆます。 ……私 は 

U シ ァの 回復 を 信じます。 私 は トル ス トイと ドスト エス キ 

1 の 國家を 信じます。 私 は P シァの 回復 を 信じます。 けれ 

ども ロシア はわれ 等に 對 して 一 つの 敎訓 を與 へて ゐ ます。 

卽 ち不當 に 抽象的 且つ 偏狭なる 觀 〈ふに 囚 はれる ことなく、 

また 普魯西 主義に 從 ふこと なく、 われ 等の 高き 理想に 從っ 

て われ 等 自身 を 組織す る ことの 必要であります。 それ はわ 

れ 等に 思想に おいても 知識 に お い て も 最善 を與 へます 。さ 

うして. われ 等の 人民の 個性 を發展 する- J との 必要 を敎 へ る 

のであります。 

若しも 造物主が われ 等に 凡ての 人々 を 平等の ものと して 

取扱 ふこと を 許さない とすれば、. われ 等の 目的と すると こ 

ろの もの は 何んで あるか? それ はわれ 等が 凡ての 人々 に 平 

等の 機 會み與 へなくて はならない とい ふこと であります 

凡ての SR,、 女、 小兒は その 天與の もの を發展 すべき 機會を 

もたなくて はならない のであります 

-ー 私 はもつ と 進んで 話さなくて はならない。 若し この 立裼 



を 取らなくて はならない とすれば、 國 家は少 くと も 二つの 

穀務を もって ゐ ます。 國家は 積極的に 小 《H を敎 育し、 また 

その 小 兒の身 體に對 しても その 精祌と 同じ やうに 注意 を拂 

ふ ものでなくて はならない。 また 國家は それ 以外の 任務に 

もっかなくて はならない。 それ は 各個の 人々 の 建設に 注意 

するとと もに、 その 個人の 維持の ほかに、 それ 自身の 特種 

利 A まの 增進を なすこと に 頗る 怜悧 にして ために 他の 人々 の 

レ ベ ルを不 に 引下け さう して 彼れ 自身の 利^ を その 利己 

的の 目的の ために 極度にまで 增進 すると ころの 人々 を 抑制 

する ことの 任務 を, r つて ゐ ます。 諸君 は將來 において は單 

なる 利己的の ヱ クスプ ィテ ー ショ ン の 存在す ベ からざる 

こと を 知らなくて はなり ません。 また それ故に 國家. は 支 

持と 制 抑 の 二重の 職能 を もって ゐ るので あります。 

國家 がー 一重の 職能 を もって ゐる ものと して, この 國家か 

前に 述べ てきた 機 童 均等 主義 を 完成す ろに ついては. 何な 

ことが 必要と される ので あるか。 第 一 に、 は、 國家は 凡ての 

小 兒が敎 育 及び 養育 さ れる こと 11 卽ち その 兩親 によって 

監督され る こと —— を 注意し なければ ならない のみなら や 

f J S 國に おける 男女が 平等の 機會と いふ 條 件の もとに 生活 

する ことが 箪 に 一 つの 狂言で ない こと を 注意し なくて はな 



らな いのであります。 さう して この 目的の 爲に國 家 か 主張 

すべき ある 最小限. か 存在し ます。 國家は ある 一 人 か 一 曰に 

一 0» 他の 一 人-か 一 日に 一 碟を とらなくて はならない とい 

ふ、 】 と を干涉 する こと または 命令す る こと はでき な い。 そ 

れ はこれ 等の w 二し のこと を %定 する こと はでき ない。 けれ 

ども n: 人 も 正當に 生活す る ことので きない 條 件で 雇 はれる 

ことに ついては 國家 はこれ を默視 して ゐるこ と はでき な 

い。 また 厘 傭の 條件. か f 3 の 最少^より 以下に 引下げられる 

ろ こと を默視 して ゐる こと はでき ない。 この 點は 決して 新 

しき 主義で はない。 少く とも 全然 新 主義と いふ こと はでき 

ない。 けれども それ は戰爭 がそれ に現實 性^ 與 へたと いふ 

意味に おいて 新 主義であります。 

それ ゆ ゑに 第 一 の 原刖は 諸君が 生活 貨銀 living, wage を 

えなくて はならない とい ふこと であります。 第一 一の 原則 は 

諸君が 適當の 住宅 decent home を 持たなくて はならない と 

いふ ことであります。 人々. かその 妻、 その子 及び 彼 .0 身の 

ために 適 富の 住宅 を 持つ ことができない とすれば 彼れ は诀 

してよ き 家族 を 持つ こと はでき ない。 またよ き 家族な くし 

て はよ き國 家は存 すろ こと を 得ない。 私の 述べて ゐる こと 

は 1 一重の 利 <处 卽ち國 家 及び 個人の 雙 方の 利益に お いて ,-- あ 

ります。 



私 は 旣に國 家が 考景; す ベ き 二つの 少限卽 ち 坐活貸 銀と 

適當の 住宅と を 指摘し ました。 そして 私 は 第三の 最少 限卽 

ち 充分の 智識 を 附け加 へ る ことかで きます。 努働 の ある 

もの は 人間の 能力 は 資本家に よっての 勞 働^の 利己的 使用 

に 供せられ る ものであると 主-張し ます。 『資 太み 撤麼 すろ ま 

では 敎 育が 何 S, 役に も 立つ もので はない」 と。 けれども 諸 

君 は 資本の 征服 を撒廢 すろ 前に、 先づ 無智の 征服 (10 ョ ina 

tion of ignorance を撒麼 しなく はならない の であり ま 

す。 …… 今日に おいて は、 ,!: 識は、 . ^何なる 時代に おいて 

よりも、 力であります? 

われ 等の 時代お くれの 食 族 主義が 麼 減し つ、 ある こと は 

.^n: にも 事實 であります。 何の 困難 もな くまた ギ に、 諸 

君 はわれ 等 貴族 を 政治の 圈 外に 放逐す ろ ことができます。 

われ 等 貴族の 減 亡し つ > "ある こと は 明白であります。 私 は 

この 費 族 主義の 減 亡に 次いで これに 代るべき もの. - 何もの 

であろ か を 述べます。 才能の 精兵が これに 代らん として ゐ 

ます。 諸君 は、 , ネル. ンュ ヴ井キ の立揚 において ではなく、 

ォ 幹と 能力と に從 つての 權 力のう へに、 諸君の 民主々 幾 を 

もつ ことができます。 その 幾 力 は 才能 に 應すろ もので あ 

り、 また その 權カ 者が 正 《=s に 彼れ の ものである 以上の もの 



を 領有す る ことので きる 權カ ではない のであります。 何メ 

と雖。 卑しき 生れの 人と 雖、 その ネ 能の 精 髓に從 つて 最高 

の 位置に 立つ ことができる のであります。 われ 等 はこの 點 

において 稍 やその 事實に 近づいて 來てゐ るので あります。 

けれども 私の 求める ところの もの は科舉 的の 方法に おいて 

爲 される ことであります。 

けれども 諸君 は單 にこの 點に 止まって はならない。 われ 

等の 求む ると ころの もの は 半 人格 half ョ an ではなく して 

全人格 whal 3an であります。 諸君 は權 利よりも より 高き 

もの >- ある こと を 知らなくて はならない。 卽ち 人民の 義務 

の 方面が あります。 われ 等は國 家の 市民で ありさ-? して 國 

家に 對し てまた 相互 的に 義務 を 負 ふて ゐ るので あります C 

われ 等の 到達し うる 最高の 價値は 自己犠牲 によって、 われ 

等 自身に ついて の考へ を 排斥す る ことによって、 またよ 

り 高尙 により 偉大なる ある もの を考へ る ことによって 到達 

する ことので きる ものであります。 それ はわれ 等の 軍隊が 

フ ラ ン ス の 戦場に おいてと りつ あると, J ろの もので あ 

り、 また われ 等の 心が 彼等のう へ に 注が れる 所以で ありま 

す。 何 となれば 彼等の 信念 は 生命より もより 以上の ある も 

5 の 11 その 讕 家の 幸福 8 う へ にある からであります。 われ 



等 はこの こと を 心に 銘 しなくて はならない。 國 家に 對 して 

われ 等の 義務 を 承認す るが ごとく 社會 は、 單 にわれ 等の 自 

助よりも より 高き もの >, 存在す る こと を 承認し なくて はな 

一 ら ない。 さう して われ 等の 箪 なる 個人的 願望よりも、 より 

以上の もの 、存在す る-こと を 承認し なくて はならない。 組 

熾 ざれた る社會 において はわれ 等 は 報酬 を 目的と する もの 

でもな くまた それにつ いて 考 へる もので もない。 われ 等 は 

永久の 正義の ため 生きます。 最善の 人 は その 正しき こと を 

爲 した ことに 對 して 報酬 を耍 求す る こと はない," 國家の 市 

民の 理想 は、 量に ついて 山 もので はなく して 貿 についての 

一 もので あり、 また 處の 報酬 は 自己犠牲 それ 自身のう ちに あ 

_ り、 人の 生命 を 失 ふ 場合に おいてん また さ う で ありま 

す。 (Lord tiakhin. The Future of Democracy. 抄譯) 

一 『デモ クラシ ィ』 

\ るる 言葉 

ェ ドヮ— ド. カァぺ ンタァ 

今や 凡ゆる も の は、 それらの それに 相會 ふところに 他の 



諸の 言葉の 有效を 覆せし むる この 『言 筵』 の 下に 來 りた 

り ◦ 

政治、 藝術、 科學、 商業、 宗敎、 日常生活の 習惯と 方法、 

^の 常の 事物の 外觀 また 頻似 I— 花苑 なる 蓄ー 微、 納屋の 扉 

のうしろ に 懸けられ たる 斧 i 

、 J れらの 意味 は、 すべ て 今/ そこの 首 紫のう ちに 吸收 され 

而 して 改 鑄され ざるべ からす、 然ら ざれば 乾きた る の ご 

とくその 閉づ るに 先って 脫落 すべ し。 

見す や 卿、 卿が 個人の 生命 は、 他の 諸の 生命の 不 斷の犧 

牲 を拂, V〕 とに よりての み隨保 さる.' を, されば、 卿 は、 

順番 乂. たらば、 他の ために それ を 犠牲と なすべ く 常に 用意 

する を條 件と しての み も を 『無私』 の 法則、 そ はこれ より 

以後、 顯然に 認識せられ また 實施 されざる ベ からす。 

今 こそ、 藝術 はも はや 人生より 離さるべく も 非す。 

古き 寺 法 は 空しくなり、 彼女の 後見 期を濟 まして 彼女 は 『自 

然』 と 同意 味と なれり、 而 して 彼女の 窓 帕を絕 ふろと きな 

く 雲々 と 爆 布と 共に 想く、 

科學は 書籍より 出で それみ つから を 空しく し, 害 絡の 敎 

へたろ ところの あらゆる こと は、 最も 微かなる 簿 籠の 如く 



現實の 前に 威ぶ 11 草の葉 片の 一 片 すら 匿く す こと? 化 は 

す、 或 ひ はまた 最も 微かなる 星 光 を 害 ふこと 能 はす、 

人間の 形態 は、 古き 分類と 定義と を 感じつ A あらゆる 事物 

のなかに 現出す、 

現出す る 人間の 形 t5 の 美 し さ 、 ま た 天 な ろ 理想の 11 

地上 を 靈應 する 足の、 しなやかなる 强き蹀 さて は舉 の、 腰 

の 固着の、 また 太陽に よりて 輪形 復 光せられ たら; 牛衡 され 

たる 頭の、 

彼れ みづ からのう へに 主義 を變改 したる 政治家 は 11 科學 

者の 如く、 問題に よりて 昏迷せられ たる 彼れ の 頭腦を 識別 

す、 彼れ は 彼れ の 手 を」 民衆』 S 手に 對 つて その 助力 を 求む 

ベく 達せし む、 

主義 を變 じたる 商人 11 堅き 大地 はまた 彼れ の 脚下に 道 を 

ゆする、 今 こそ 與 ふる は 獲得す るよりも 良く 思 はる —— 而 

して そ は 如何なる 種類の 商業 標語 ぞ? 

社會の あらゆる 習慣 は 變す、 そ は あらゆる もの は 裏面に 意 

味 あるが 故に、 かくて 日常生活の 永く 受容れ られ たる 公理 

は 崖崩れの. ことの 丘 股の 如くに 位地 を 變ぜら わたり、 

古き 建造物 はも はや 直立す る こと 能 はす、 —— それらの 基 

礎 は 取換 へられたり 11 

かくて 人々 はな を 末 だ 新しき もの ための 堅き 大地 を 求め 



得る に 先って 舊 きものより 驚 怖し つ 、 ふためき 出づ。 

あらゆる 方向に 灣 とよた 欠 仲す る 奈落 * 

社會の 基礎 は 龍 裂 を 生じ、 火 は そこより 現 はる、 

古き 緊轉は 緊張 の 下にう ち 負かされ、 かくて 大 いなる 閉込 

めら れ たる 心 は 破裂 せんば がりに 帳大す 11 

語られた る 新しき 雷 葉の 響 に 11 

『デ モク ラシ ィ J な る 首 棄の. 響に。 

平和なる 放牧 揚を 莨いて 爆發 す. る 如何なる 火山 も、 J れ より 

大 いなる 革命なら じ、 

大洋の 深き ところより、 いや はるかなる 未 來を見 はるかす 

新しき 大陸の 原始 脈 を 形成 くるべく 如何なる 涯 なき 山の 連 

直 も 突出す ろな し、 蓋し これ ぞ 人間の 心より 泉み 出で たる 

焼 i 右 なれ, 

、 J れぞ 最も 遠き:^ 族 を 養 ひ 育つ、. へ き 流れの 元なる 蒼 宵の 接 

吻 する 隆起 なれ、 これ ぞ 新しき 生き もの 下圆 なれ、 また. 輪 

廓 なれ、 

外なる i 夾の 下なる 『人類』 の |义の 形成 11 『平等』 の擴ぐ 

る 翼翅、 その上に 起ち 上りて 彼れ は竟に 彼れ みづ から を 

^ 『地』 のう へ に舉 ゆて 『天空』 を赏 いて 帆走す ベ く 船出す。 



(富 田碎花 氏譯、 力 アベ ンタァ 原著 『民主々 義の 方へ』 よ 

り轉 載す。) 

戰爭と 民主主義 

ァ 1 ノ ルド. ベ ン ネット 

民主々 穀と 戰爭と の 關係を 考 へる こと は眞 先き に 必要の 

ことであります。 この 戰爭 (一 九 一 四 11 1 八 年) は 民族性 

の戰 ひで あるに しても それ は 人民に よって 起された 大戰爭 

ではない。 この 戰爭を 生み出し たもの は ての 人民 を墮落 

させる JJ に怜悧 であり 且つ 執拗で あると f ろの 不 遠慮な、 

盲目な、 且つ 高慢な 人々 の 比 1^ 的に 少数な 一圃で ありま 

す。 人民 か墮^ に 甘んじて ゐろ 以上 は 人民 もま だ その 責め 

を员 はなくて はならない。 けれども その 最も 主 "娑 なる 資任 

はこの 少数の 人々 の 一 圑 のう へ にあります。 ョォロ ツバ は 

種族の 調和の ためで はなしに * 少数の 人々 の 白痴 的 野心 を 

満足させる ために、 無 まに 数百 千 萬の 人々 を 虐殺し、 また 

, ) の 西半球に おける 凡ての 人々 を 苦ろ しめても るので あり 

ます。 この 事 實を記 憶せ しめよ。 民主 々殺 はこの 事 實を忘 

却し ないで あらう。 さう して 將^ におけ- 外交 政策 は 如何 



ひ? 



なる ォ I トク ラシ I の 手に も 委ねて はならない。 支配階級 

の 人 は 民衆 を もって 外交 政策 を 理解す る ことので きない も 

ので ある こと を 主張して きました。 その 民衆 は 今や それ を 

理解し ました。 民衆 は * 攻附 の樣々 の 努力に も か. - はらす 

支配階級が 歴史上 における この 最も 恐怖す ベ き 災害 を 防ぐ 

ことに 失敗した こと を 1 理解し ます。 民衆 は獨 語して い ふ 

「どんなにしても それより もより 惡 しく なすこと はでき る 

ものでなかった」 と 民衆 は、 若しも この 戰爭の 決定が、 隱 

蔽 と嫌惡 すべき 詭計のう ちに 處理 せらる ことなくして、 

獨 逸の 代表 機閼の 手に 公け に 託せられ たものと すれば、 戰 

爭は 起らなかった とい ふこと を 承知し ます。 民主々 義の勝 

利の み 戰爭を 終 3! せしめる こと、 さう して それ 以外の 何も 

の も 戦爭を 終局せ しめろ もので ない こと は絕對 に眞理 であ 

り. ます。 戦爭は 外務省. か 人民の 支配に 委せられる 時に 終結 

します。 その 人民の 支配 は 近づきつ. - あります。 (Arnold 

Kellnett in- the Daily N ョ vs," Oct, 15, I9I4) 



民主主義の 研究 

及び 宣傳 運動 

ェ ツチ .ヂ. ゥェ— ルス 

世界の 他の 攻治 家の 間に 立って、 大統領 ゥヰル ソン は、 

殆ん ど冲々 しく 見 ゆる ほどに 卓越して ゐ ます。 けれども 彼 

れが敎 育 ある 人々 の 問に おける 地位 は、 彼れ が 政府の 權カ 

者の 間にお けろ がごと くに 異常な ろ もので ない と 中しても 

決して 彼れ に對 して 無 のこと では あるまい。 到る 所に お 

いて われ 等 はゥヰ ル ソン の 目的と, g 明との II: ものに か 接し 

ます。 けれども また 殆んど 到る 所に おいて、 それ は 特權階 

級 または 危險 なろ 下等の 人々 の 政治的 利益の ために 不問に 

附 せられ、 隠蔽され、 無効の ものと されて ゐ ます。 役人の 

世界 や、 支配者 や 代表者 や、 「政治家」 の 罰に あって は、 殆 

んど 彼れ のみ 獨り 近代的 聰明 を 語ります。 



さ < 



この 世界の 優れたる 聰明の 息の根 を 止める こと 

して この 聰明の 發 現と 權 力と を 許容す る ことが、 私の 眼に 



は 今日の 人類の 惱 みの 底に 橫 はって ゐる 根本的の 論點 であ 

ります。 到る 所に 人 や 俗物が 人 を 殺し、 牢獄に 投じ、 首 論 

を 抑へ、 且つ 人々 を飢 ゑし めろ 挺 子 も つ て ゐろ間 は * わ 

れ等は 進歩す る こと はでき ない。 われ 等 は 疏^の 政治と、 

もに ゆく こと はでき ない。 また 暴徒の 政治と. t もに ゆく こ 

と はでき ない。 われ 等 は 正しき 政治 を もたなくて はなら な 

い。 知識 ある 世界の 人々 は、 彼等が 旣に 久しく 閑却し きた 

りたる 協同に ゆく ことの 義務が ある。 政治 紐 織の 近代化、 

全人 類が 卓越した る 聰明 者の 指導の もとにと もに 働く こと 

のでき る 最も 優れ 且つ 最も 能率的な る 力 法を發 見し 及び 完 

成す るまで これ 等の 組織に ついて 研究す る こと は、 硏究能 

力 を もって ゐる 凡ての 人の 共同の 義務で ある。 さう して 何 

ごとよりも 先き に、 われ 等 は 今日の コア モク ラシ ー」 と稱 

せられる もの >r 粗製に して 不完全 なること を 理^し なくて 

はならない。 デモ クラシ ー は尙ほ 主として 願望で あり、 精 

神で あり、 思想であります。 何と なれば 尙 ほその メソッド 

の 多くの 部分 はこれ を 探究して ゆかなくて はならない もの 

であるから であります。 「自由 國 民の 同盟」 に 至って は、 更 

に 一 願望で あるに 過ぎない。 われく をして われ 等の 現 

前にお ける これ 等の 事業 を輕覜 せし むる ことな かれ。 舉校 

^ において、 講壇に おいて、 ま S 物に おいて、 新閒 紙に おいて 



棠會 において、 智能 を 有すろ 数千 百の 人々 の橡牲 的の 擦 仕 

によりて のみ、 これ 等の 救 的の 觀念を もって 堅き 地上 を 

支配せ しむる ことかで きる のであります。 世界 は、 民 

族 的の、 憎恶 的傳統 の、 感情的に して 且つ 堕落した る愛國 

心の 人類 を 分^せし め、 懊惱 せしめ • 且つ 殺戮す ると ころ 

の あらゆる 誤 讓の樣 々の宣 化 運動に 満ちて ゐ ます。 凡ての 

人類 の 組織 は宣傳 運動に よって 造られ 、 宣傳運 動に よって 

支持せられ、 さう して その 宣傳運 勦の 絕 ゆる 時に 減 落し ま 

す。 それ 等の もの は: 冉三: 冉四、 靑年 または、 怠慢 者に 說明 

されなくて はならない。 さう して 凡ての 合理的の 人物が 注 

意し つ、 あろ 民主々 赣 及び 「€1 由國 民の pi 盟」 のこの 新 世 

界に とって は、 あらゆる 宣傅 運動が 最も 多く 必要と さ れ な 

くて はならぬ 0- これが ために は、 凡ての 人々 は敎師 となり、 

牧師と ならなくて はならない 。「それにつ いて 說 伏し、 その 

思想 を 起し、 そ れ の必耍 を 明らかにする こと は」、 全世界 を 

通じて、 凡ての 舉 校敎師 や、 凡ての 家庭 敎師 や、 凡ての 牧 

師ゃ、 凡ての 記者 や、 凡ての 講:: ^者 や、 凡ての 父母 や、 凡 

ての 信穀 ある 朋友 達の 義務で ある。 また それに 對 して 凡て 

の 人々 は 生徒と ならなくて はならない。 また 不確實 なろ 諸 

計畫を 確定 的の 計畫 となす の iij> 業に 就かなくて はなら な 

い。 さう して 障碍 を 分解し 且つ 打ち破り、 幾 萬 S. 些 末なる 



困難々 破りつ ュ (H. G. wells」 In the Forth year, 

P. i 

進め! 民主主義 へ , 

(ゲ, i グの獨 逸 を 慕 ひて) 

フェルマン • ファ ナウ 

ビス マ ー クを 葬れ! それが この 世界 戰爭 の獨 逸に 與ふ 

る敎訓 であります。 鑲と 血と ではなく して、 正義と 自由と 

が 近代に おける わが 祖國の 契機であります。 

われ 等 をして 再び 古典的 獨 逸 主義の 絲を たぐ ら せしめ 

よ。 われ 等 をして ツル レ ル 及び ダ. I テの 時代に おける、 前 

世紀の 四十 年代に おけろ 民主的 國民 詩人の 時代に おけろ 智 

的 英雄 を 回想せ しめよ。 彼等の 助けに よっての みさう して 

彼等の 精神に おいての み、 獨 逸の 問題 は、 獨逸 並に 世界の. 

幸福の ために 最後の 解決 を なすこと がで きます。 

われ 等 をして 前世紀に おける 發展 (獨 逸の) を破壤 せし 

めよ。 この 世界 戰爭は 全然 非獨逸 的卽ち 全然 フ 口 シァ 的の 

組織 及び 精祌の 崩壊 を 意味して ゐ ます。 われ 等 をして 文化 

の 戦場に おいて 平等の 權 利と 平等の 能 牟とを もてる 勞働者 



として 世界の 凡ての 平和的の 文明 國 民と 提携せ しめよ。 わ 

れ等 をして へ ルデル 及び 力 ン ト によって、 レツ シシ、 グ 及び 

フン ヴ オル ト によって、 ゲ 1 テ 及び シ ル レ ル によって われ 

等に 啓示せられ たる、 全く 新しき、 全く 自. S なる、 全く 民 

主 的なる 文化の 創造に 着かし めよ。 もはや Deutschland 

iibcr alles ではない。 獨逸は 凡ての ものと ともに、 また 凡 

てのもの 、 側に 立ちます。 た 新く する ことによって のみ 

われ 等 はわれ 等の 世界に おける 眞資 なる 使命 を充 たす こと 

がで きます。 

進め., ... …デモ クラシ I へ 

デモ クラシ ー のみ 將來 における 諸 國 民の 平和の、 可能に 

して また 永續 する ことので きる 基礎であります。 力 ン 卜の 

根本的の 1§ 女 求が 實战 せらる. - ことなくして 結ばれた る 平和. 

は、 た > の彌 縫と 自己 欺; i とであります。 

進め, デモ クラ シ ー へ。 

これが 凡ての ョォ ツバ、 特に 獨 逸の、 明日の 戰 ひの 叫 

びで あらうまた あらねば ならぬ。 

ビス マ— クを 葬れ! 獨 逸人の ための 獨 逸へ! 

それ をして この 恐ろしき 世界 戰爭 の、 11 逸の ための. 果實 

たらしめ よ。 

Hermann Fernau, .The corsns: Democracy, P. 319 



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至 111 扳 
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の 號別特 時 臨 但 
く受 巾に》' m 慎 代 



▲ _ J の 書物 は 現代 デ モ クラ シ ー の 如何な 

る ものである かを^ら かにす るた めに 書 

f かれた ものです。 

▲ 「、デ モク ラシ— につ い てし、 「團體 主義 

L 一- 

へ」、 「愛國 心」、 「戰 ハサの 目的」、 「新 理想 主 

義」、 「傳統 主義に つ い て」、 「民族主義 論」、 

「政治と 能率」 の 諸 la! から 成 つ て ゐ ます。 

A 定惯金 一 圓 二十 錢、 送料 八錢。 

A 批評 社に おいて 収次. ぎます。 



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十六 岡 一 三十 圆 四十 圆 六十 M 

但 二等 以上の 半 頁 以下 は 御斷リ 



▲ il^M 代 は總て 前金 券 代用 一 割^ 

<送佥 は 可成 振^ ▲ 外网行 郵^ 十^ 



火 正 八 年 三月 二十 八 n 印刷 納本 

大; 止 八^ 四 月 一 n 發 行 

^^京市輕町一!山元町ニノ五 

1^ 尾 崎 士郞 

京 市 小石 川 區久ぉ 町 百 八^ 地 

^ .^ ^ 觀博文 館 印刷所 

m 京 市 麴町區 山元 町 ニノ 五 

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人え; や s 一" 设义 f は, m & 四月 號 (第二 8 街 ^ 拾 八 錢 批 評 社 發 



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THE CRITICISM 




:號三 第) 號 月 五 



大正 八 年; 11 月 二十 八日 第一 1 一種 便 物 認可 

大正 八 年 四月 二十 八日 印刷 納 14- 大正 八 JJf 玉 月 一日 發行, 



(定價 余 拾 八 餞) 



,ぜ 

■1 社會 主義と 民主主義 

驪社會 主義の 陷弊 1; 

■Is 家社會 主義 1 一 

■ 社會 主義、 民主々 義、 組合主義…. y 一. 

■ デモ クラシ,. 硏究 一 一) , 则ー 

社會 主義と は 何ん ぞゃ I; 

〇 過激 主義と は M んぞゃ I 一 

■ 社會 運動の 人々::. 隱: 

國 クララ *ッ ェ トキ ンとロ ゥザ *ル ク セ ンブ ル ヒ £j 

■ 日本 精神と 世界 精神 …, 画 

■ 民衆の 指導 I 

■ 花 下の 普通 選 単 |ー 



京 元 

飽 二 

町 ノ 

.^ 五 



社 評 批 



「批評」 より 

♦ 今 "肱の 號 tT 主として 社 や-問題よ た 

け 社, 食 主義 問題 取扱 ふ: と 、しまし 

な 

♦ 私 どもの 同人が 社會 主義者で ない、 * 

と は 创刊號 で 申 述べた とほ リ であ リま 

す けれども 私 どもが 社 < ^主義者で ある 

とないと L! か、 はらす、 社 會ホ義 の 勢力 

が 現代の 卅界 L1 おいて 偉大なる 力で ある 

、、との事.れに眼1<^蔽ふてゐる:とは 許さ 

れる もので はない。 

♦ 人 々が ,社會 主義者と なリ、 またなら 

ない- 、と rr その 人 マの 勝手で ぁリ ます。 

i た そのこと は 決して 强 制さろ ベ さ、、 と 

で,. - ない。 けれども 社會 主義-」 對 して 知 

ら 颜.^ して ゐろ人 批評的^5^心の缺 

はたる 人で ありま マ。 

♦ ^者も 政治家 も 批評. も ^^の 新聞 

記者 も-彼れ 等ば 何 ごとよ リも 先き lT 社 

<2|;義に對マる態"1^.^ 明らかにす ろの 必 

耍 があります。 

♦ 私 どもば 今::!: までの 社會 主義と 稱ぜ 



らろ V ものに 對しズ は-多くの 美點と 缺 

點と, 感じます。 、、の 社會 主義と 稱乜ら 

れろ もの ゝ 一 切,^ 排1}£:すろ、、とが愚鈍で 

あろ. ことく、 それの 一 切 無批; t に 受け 

入れろ: とも, 現代 思想に おいてば 許さ 

れてゐ る,. -の ではない。 

♦ 「批評」 は 社^主義 に 對 して は 第三者 

の 立場です。 第-一: 者の 立場から 厳正な 批 

判ん』 加へ ます。 嚴 正な 批判,^ 加へ るた め 

に, 社會 主義が 本來 何もので あるか. 5- 究 

叨し、 それと^ 激キ: 義* それと 無 政 主 

義- それと 政治、 園 家. 櫬カ、 R 主々 義と の 

W 係. J ^明かに し ます。 

♦ それ は,;, と.. -リ 大事 業であります o 

社 會キ義 の 性質, 究叨 し、 それに 厳正な 

批判 1^ 加へ、 ^缪*^誤11?!として.無遠^に 

指摘し、 長所,.^ 長所と して 論叨 すろ こと 

は、 極めて 困 雛な ろ 事業の 一 つです。 

♦ 私 どもに: J うな 大事 業, 5.、 一回 

の雜^ によって 逮行 しぶう とする 考に毛 

頭... - ない。 本號は 、、の 事^の 手 初めで あ 

ろに f な い。 、、の 事業の 手 初めで あ 

ると 巾しても • 毎號 社^主義 問題に つ い 



て 研究 するとい ふ考 でない、、 と は 勿講で 

す. -. た 、の 問 ほに 特種の 注 や.?. 3^ 拂 C て、 

俗學 者の なさん としてな し 能 はざる と、、 

ろ、 Ite 讀 者の 知らん として 知り 能 は ざ 

ると こる Li. 「批評」 の重耍 なる 任務の 1 

つが 殘 されて ゐ ろと 3- すえでの、、 とで わ 

'ます リ 

♦14 號-」 揭 載され;: ろべ ^ト ラン ド. 

ラクセ かの 「社會 主義の 陷 5^:, は最 ー.^ 興味 

の 多い ii 文で あろと して 讀者 諸君に 一 m 

お^めす ろ こと,. ^ 愉快 比 じます。 ラ 

クセか は英國 現今。 哲學界 LL おける 叨 星 

とされ .*< v-o 

令^4號中の彼れの 論乂 「肚會 主義の 陷 

萍」 ば、 彼れ. の 新著 「政治の のう. ちの 

一章 (全 譏) でありえ マ 。今後,. - ,• ^彼れ 

の論文中卓越せる-^の,^^^載しまマ。 

デモ クラシ-研究, 一、 「新 一お 批 1^」 等 

-.. -また 本誌の 特色と して 毎號述 載して ゆ 

さよす 

♦ 「批評」 の資 行が 益マ盛んで.?ろこ,^ 

は、 向 人の 4? も偷 快と すろ とこ ,<: です。 

K) 




對 花民靑 日 

外 下 i 年禱 

硬の"" 亞 

□ と 普の 細 g 

對通 M 亞 g 
指 紳 

内 選 同 2 
軟 舉導盟 ^ 



K S 食 尾 



橋 

S 藤 



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治 

生 S 郞郞 



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ノヽ • 

ル 
ゴ' 

生 ゥ 



批 



ッ 伏 

セ 高 
ル 信 



評 



第 



次 



■ 社會 主義と 民主主義 

■ 社會 主義の 陷穽 (全 譯) 

■ デモ クラシ, 研究 一) 

画社會 主義と は 何, そや 

画 過激 主義と は 何ぞゃ 

■ 社會 運動の 人々 

B 民衆 敎 育と 圆書館 (米 國の圖 書 館 制度). 

■M 家社會 主義 

H 社會 主義. 民主々 義. 組合主義 

矚グ ララ - トキ ゾ. と ロウ ザ ^クゼ ン プ^ト 

讕 新著 批評 

on クス 敎授 「向上の ロシア」 

レ卿 「六 時間 勞働其 他」 

鼸評 翁の 評論 

〇 デモ グヲシ ,の 迷惑 

■S 吠錄 • ^ 



■-Bolshevla ョ 

B 蒸 虱往來 ::•: 

■ 「批評よ リ」 :•: 

■ 編輯 室と 校正 室 

■ 出版 豫昔 



花 



シン ブ 9^ シ シス ムス 



一 I - - -■ 

I 批 II 評 

日本 精神と 世界 

到る ところに、 老 日本 は 行 きづ まって ゐ ます。 思想に お 

いて、 攻治 において、 また 社會 問題に おいても、 講和 問題 

においても、 老 日本 はた > 煩悶して ゐ ます。 時代の 激流の 

間に 立って、 彼れ 自らの 信仰の 瑰弱 となり ゆく ま. -に、 無 

準備の 彼れ、 無理 想の 彼れ、 さう して 反動的 感情の 間に 永 

く逮 潤しき つて ゐた 彼れ 11 沈滞の 老 日本 は、 煩悶と 苦惱 

と 孤立の 悲哀との うちに 彼れ の贫 しき 姿の 廢 類し つ > ある 

, 3 と を 思 はすに は ゐられ ないで あら、 フ, - 

彼れ は 日本 主義と 稱 した。 けれども 彼れ の 日本なる もの 

は、 彼れ の 反動的なる 應 情からの み 生み出され たる 私生兒 

であるに 過ぎない。 日本の 匿史に 根據が あるので もな く、 

. 日本の 國民 精神のう ちに 支柱が あるので もない。 た > 彼れ 



の 好 愛する 反動主義から 政略 的に 造り 出された る 私 生兒で 

あるに 過ぎない。 それ は 凡ての 特權 階級に は 便利なる 玩具 

であります、) けれども. デモ クラシ ー を 好 愛する 取 大多数の 

人民に とって は、 た, 時代錯誤の 諷刺 ffi として の み 考 へ る 

, J とかで きます。 

その 日本 主義 か、 獨逸 的軍國 主義と 結合す ると ころに、 

大日 本 主義なる ものが 生れます, - それ は獨逸 11 革命 前の 

舊獨 逸の 支配階級 を 維持す るた め、 また 更に その 支配階級 

の 精 祌を與 せしめる ために、 汎獨逸 主義、 軍國 主義、 侵 

略 主義の 諸攻 策と ml 組織と. か 必要であった がごと くに, * 

本の 支配階級 を 維持す ろた めに、 また その 精神 を 興お せし、 

める ために、 大日 本 主義の 唱道 は、 「&實 なる 日本」、 愛國 

的」 の 叫び 聲 であろ とされて きたので あります。 けれども 

それ は ど, 〕 ま でも 支配階級の 精神、 さ 5 して 支配階級 的の 

精祌 であり、 寺 内 內閣の 軍國的 政策 は、 この 大日 本 主:;^ 我 的 

精神の 最 調の 表現で あ ると され ま す . 

日本 は 第二の 獨逸 であると いふの 印象 は、 世界の 民主的 

の 人々 の 鋭敏な ろ 神 經に强 い 刻印 を與 へる ことにな つて ゐ 

ます。 軍國主義は日本の^^統的の攻策でぁるとされます。 



日本の 國際問 超の 難關は 凡て、 J の點 から 出發 します。 「軍 

國 主義の 日本」 とい ふ 印象 は、 容易に 世界の 人々 の 紳經か 

ら除 きさる ことができない 隣邦の 人民、 同文の 人民、 同 

色の 人民で さへ、 日本に 對 して 猜疑の 眼 を もって 眺めて る 

るで はない か。 講和 會議 において、 CIS も强く 日本に 反對し 

てゐる もの は、 同文、 同種、 同色の 隣邦の 代表者で あるで 

はない か。 日本が 何もの よりも 先き に 協同すべき、 また 何 

ものに も 先って 信賴 せらるべき、 弱き、 さう して 平和なる 

人民の 代表者が、 强 硬に 日本に 反對 して 立つ とい ふこと は, 

「日本軍 國 主義」 の 印象 か、 如何に 强 くして 深い かの 事實を 

證 明して あまり あるで はない か • 獨り 支那 だけで はない。 

濠洲の 雄 辯 攻治家 ヒュ! スは 何故に 日本に 反對 する か。 ァ 

メリ 力の 民主主義 は 何故に 日本に 對 して 疑惑 を 抱いて ゐる 

か 更に 口 シァの 民衆 は 日本に 對 して 如何なる 感情 を もって 

ゐ るので あるか。 日本の 世界的 地位と さラ して 世界が.^ 

何に 公平 または 不公平に 日本 を 印象して ゐ るか を 問 はんと 

する もの は、 先づ 日本 を圍繞 する 卒 和なる 隣邦の 人民の 恐 

怖と 疑惑と 嫉妬と 猜疑との 心 を 知らなくて ならない。 革命 

前の 獨逸 軍國 主義が、 小 弱なる 白耳義 に、 丁抹 に、 瑞 西に、 

フランスに 與へ てゐた 恐怖と 疑惑と 嫉妬と 猜疑の 深い 印象 

を, 日本が その 四隣に 與 へて ゐる 時に、 日本の 世界 界的地 



位の 前途 は 果して どの やうな もの を喑 示して ゐ るので あら 

、> か。 

. 日 支 親善の ために、 日米 親善の ために、 日. お, 日 濠 親善 

のために、 われ 等 は 先づ何 をな すべき か。 答 は 極めて 簡單で 

あります ^ われ 等 は先づ 世界に 與 へたる 日本軍 國 主義の 印 

§ 1 掃し 去らなくて はならない。 , 】 の 印象 を 一 掃した る 

時に、 支那 問題 は 初めて その 緒に つきます。 湊洲の 不安 は 

除き さられます。 米國 とも 口 シァ とも 日本 は 協同の 立場に 

と 立つ ことかで きます" 少く ともさうな &.^ くて はなら な 

い また 少く とも その 方面に 向って 進まなくて はならない, - 

現代 は E" 奴 早 や 侵略 主義の 時代で はない。 それ は 人々 の 思 

想に おいて 否認 さ るば かりで はない。 實 際の 世界に おい 

て も 不可能の 空想と なりつ、 あるで はない か。 , ) の 時代に 

おいての 國 家の 偉大なる こと は 地平 綠的 であつ て はなら な 

に それ は 垂直 的の ものでなくて はならない。 卽ち 彼れ は 

文化的に 偉大なる 國民 であらねば ならぬ。 われ 等 は 地平線 

的に 偉大な らんと する 舊 日本 —— 舊 日本の 政治家、 軍閥、 

攻常 ーを棑 斥して, 垂直 的に 偉大なる 文化の 若き 日本 を 建設 

する. こと を 要求し ます。 これが 「若き 日本」 の 最初の 叫び 



f 聲 でなければ ならない。 

日本の 國際 孤立と その 孤立から 生す る 苦悶と は、 所謂 日 

本 精神 11 日本の 支配階級の 精神と 現代 世界 精神との 衝突. 

から 生れ 出で.. ゐ るので あります。 それ故に 若き 日本の 建 

設は、 この 支配階級の 謂 ふところの 日本 精神、 然り、 私 生 

兒的 精神 を 排斥して、 真實 なる B 本の 民衆のう へに 根ざし 

たる 民主主義 的 日本 精神と 世界 精神との I から 生れて く 

る もので なけれ ばらぬ。 

孤立の 日本から 世界的 協同の 日本へ。 若き 日本 は その 與 

へられた る 道程 を 急がなくて ^ らぬ。 (森 恪) 



靑年 亞細亞 同盟 > 

沈滞の 亞 細亞, 廢頹の 亞細亞 を 復活す る ことので きる も 

の は、 青年 亞細 同盟の 力でなくて はならない。 靑年 }a 細 

HJi 同盟と は 何んで あるか。 この こと を說 明す るた めに は 「青- 

年 ョォ ツバ」 Young Europe について 語らなくて はなら; 

ない 。「青年 ョ ォロ ツバ」 と は、 一 八 三 四 年 伊太利の 愛 國者ー 

マ ダ 一一 !• によって 起された ものであります。 この マ.、 チニ ー 



の 「靑年 ョォロ ツバ」 は、 三つの 支部 を もってる ます その 

1 つ は 「青年 獨 逸」、 その 二つ は 「青年 伊太利」、 その 三つ は 

「青年 波 菊」 であります。 この nl 盟は攻 治 上の 革命 を 目的と 

した もので あり、 その 手段と して 秘密結社 を組截 した もの 

であります。 いふまで もな くこの やうな 同盟 は、 十九 世紀 

前半の 陰惨なる ョォロ ツバ 政治が 生み出し たる もので あり 

その 目的と すると ころが 攻治的 革命で あろが ゆ ゑに、 目的 

も 手段 も、 ともに われ 等の 排斥す ると ころであります 。「青 

年獨 逸」 を 指導して ゐた マ ァ W. Marl. が 秘密の 手段 を もつ 

て 大事 業 をな す, ) とので きる もので ない と 喝破して ゐるこ 

と は、 われ 等の 等しぐ 承認す ると ころであります。 けれど 

も マ., チニ —がその 祖 國に對 する 熱愛の 糈; t と、 マ ァが豐 か 

に 所有した 人道的の 精神と は、 われ 等の こ A に 受け入れよ 

うとす ると f .J ろであります。 

青年 亞細亞 同盟 は、 祖 國に對 する マ >K -1 Is 熱愛と、 マ 

ァが 所有した る 人道的 同盟のう へに 立つ ものでなくて はな 

ら ない。 また それ は 「靑 年獨 逸」 の會 員が もって ゐた ごと 

くに、 熱烈なる 民主々 義的懂 僚のう へに 立つ ものでなくて 

はならない。 民主々 義的 情熱のう へに 立つ こと は、 國際的 

に は 民族主義の 主張と なります。 對 内的に は 政治の 民主々 

義的 改革と なります。 靑年 亞細亞 同盟の 綱領と すると ころ 



は、 飽くまで も 亞細亞 民主々 義の實 現に あらなくて はなら 

ぬ。 民主々 義 のうへ に 立って こそ、 亞細亞 民族の * 賞なる 

協同 か 成立し ます. - ある 一 國が 野心 を 抱き、 侵略的の 野心 

を 抱き、 或は また 高慢^る 態度 を もって ゐる間 は、 靑年亞 

細 KH 同盟 は 成立す る- 〕 とので きる もので はない。 

靑年 亞細亞 同盟 は 決して ョ ォロッ パ. または その 文明に 對 

抗 する ための 組織で はない,、 ョォロ ツバで あると、 ァ メリ 

力で あると、 日本で あると、 支那で あると を 問 はす、 苟く 

も 亞細亞 民主々 義 に反對 し、 民族的 傳統と 信念と を 破壞し 

さう して 民主々 義的 思想 を敏視 する 一 切の 反動的 勢力に 對 

して 反對 する ものであります。 

從 つて それ は 大日 本 主義で もな く、 大 支那 主義で もな く、 

大 亞細亞 主義で もない。 その 正反對 であります。 支那 をし 

て 支那の 正しき 地位に あらしめ、 日本 をして 日本の 正しき 

地位に あらしめ、 1 切の 亞細亜 民族 を 正しき 地位に あらし 

め、 その 民族的 並に 個人的 解放の もとに、 亞細亞 の 改造 を 

實現 する ことでなくて はならぬ. - われ 等 はこの 意味に おい 

ての 「靑年 亞細亞 同盟」 を 提唱し ます." 



民衆の 指導 

一, 

民衆の 指導者と して 立つ もの は、 日本に おいて は 主と し 

一 て 職業的の 末流 攻治 家、 浪人、 壯士、 無頼漢の 一 派で あり 

一 ます。 彼等 は 自ら 民衆の 指導者と して 装 ふ。 けれども 民衆 

一 の 一 人たり とも 彼等 を信賴 する か。 彼等の 人格、 彼等の 學 

一 問、 彼等の 識見、 彼等の 辯 力が、 民衆指導^!^として如何に 

一 低劣で あるか を 思へ。 

\ 試み に 人種差別 撤廢 運勳ま た は 普通 選擧 運動 を 指導す る 

„ 人々 の 何人で あるか を 思へ。 彼等の 一 人たり とも、 果して 

一 よく 國際的 民主々 義の 理解のう へに、 正義のう へに、 人道 

\ のうへ にい 彼等の 人種差別 撒廢 運動の 基礎 を 築く だけの 道 

\ 德的 または 智力 的の ネ能を 具へ てゐ るか。 軍閥の 手先と し 

一 ての 彼等、 何等かの 醜き 4、 ひに 醉 つて ゐる 彼等、 11 それ 等 

一 の もの は、 國際 聯盟に 反對 し、 國際勞 働に 反對 し、 あら ゆ 

一 る 世界的 義務に 反對 して、 た > 人種差別 攝廢 のみ を 主張す 

. るの 心理が、 何もの よりも 雄 辯に、 赤裸々 に 彼等 そのもの 

を 物 Ifis つて ゐる ではない か" 

普通 選舉を 指導 するとい ふ 人々 も、 一人たり とも、 果し 



6 



てよ く 普通 選舉の 意義と 効果と を 理解して ゐも か。 試み. に 

彼等が 壇上に 叫 ふと, ころ を聽 け。 誠に 噴飯に 堪 へぬ ではな 

いか a 

日本の 民衆が、 民衆と しての 威力 を發掷 する ために は、 

彼等 は先づ 自ら 民衆の 指導者と 僭稱 する 無學、 低劣、 放浪、 

無 賴の營 業的與 業師の 1 派 を驅逐 しなくて はならぬ。 

花 下の 普通 選擧 

上野 公園の 高 臺で、 麗 かな 春の 太陽 を 浴びて、 普通 選舉 

の大 講演 會が 開かれ. U さ 5 であります。 上野 公園と 聞く 時 • 

直ちに 吾々 の 頭に 浮びく る もの は、 醉ひ つぶれた る 花見 客 

である。 喩 ふるに 言葉 無き 男女の 醜態で ある。 家庭 を 忘れ、 

兄弟 を 忘れ、 夫婦 を 忘れ、 市民 を 忘れ、 國民を 忘れた る 魂 

の拔穀 であります。 この 上野 公圓を 選んで、 醉ひ つぶれた 

る大 平の 逸民 を 相手に、 普通 選 舉を說 き、 社會 問題 を 語る 

諸君 は 尠くとも 諸君 自體に 於て 會我迺 家 五郎 をして 歡呼措 

く 能 は ざら しむる 喜劇の 好個の 11 材 であらねば ならぬ。 

若き 日本の 社會 運動 は 尠くとも 新の 如き 悠長なる もので 



あら、 フか。 花見 氣分を 以て 日本の 社會運 動 を 率 ひんと とす 

る 指導者に 依て 導かれつ、 ある 日本の 國民は 幸福で あるの 

かリ 不幸で あるの か。 新ら しき 日本の 建設者た るべき ヤン 

グ ゼネレ ー ショ ンは旣 に 業に 諸君の き 遊蕩 兒 を社會 的に 

抹殺し ました。 諸君 は 花 下の 辨漢を 動かす ことができ るか 

も 知れない。 けれども ヤング ゼネレ ー ショ ンの 論理的 頭腦 

を 動かす こと は斷 じて できない。 上野 東 叙 山の 鐘 は 纏て 淋 

しく 諸君の 運命 を 弔 ふで あらう。 

虛银の 普通 選 舉が威 落した 特に 眞實の 普通 選舉が 起り ま 

す。 われ 等 は 先づ虚 係の 民衆 運動 を 排斥し なくて はならぬ。 

對外 硬と 對內軟 

j 日本の 役人 外交 は、 多くの場合 において 對外軟 であると 

一 いふの 非難 をう ける のに 對 して、 日本の 國民 外交の 指導者 

一 と稱 する 一 圑の 諸君 は、 常に 對外 硬の 主張者と して 一 貫 さ 

れてゐ ます。 外交の 成功と は、 常に 對外硬 的の 國 家の 活動 

であると する, とか、 これ 等の 人々 の 頭腦を 支配す る 11 旣 

に 数十 年間 支配し 來 りたる 因鹽 的の 主張であります。 

對外 硬と は 何ん ぞ や。, それに は少 くと も 一 一つの 種類 11 



7 



正 反對の 1 一つの 種類が あります。 その 一 つ は, 日本が 迫害 一 

せられた る 時代の 對外 硬であります。 その 時代の 對外硬 は 一 

當然 必然に、 日本の 民族的 自由 を 要求す る鬪 ひの 聲 であり 一 

ます.^ 從 つて それ は 國際的 民主主義の 要求であります.^ 日本一 

の 對外硕 は、 その 牲 時の, 日本の 置かれた る 國際的 地位^ 

必然の 結果と して" 無意識に、 この 國際; S 民主主義の ため 

に 戦 ふこと を餘 儀な くされた のであります。 

けれども 時代 は旣に 一 變 しました。 日本の 對外 硬が 民主 一 

主義と 一 致す る 時代 は旣に 日露 戰爭 以前の 昔と なって ゐまー 

す。 一 

今日の 日本 は旣に 世界 五大 國のー つと なって ゐ ます。 そ, 

の 五大 國の 一 つと なった こと は、 文化の ためで もな く 歴史 一 

のた めので もな く、 生産力の ためで もな く、 卽ち 一 切の 創 一 

造 的 建設的の 理由に よってで はなく して、 戰爭と 武力、 破 一 

壤 的の 力に よって > あります。 その 日本の 對外 硬と は、 い 一 

ふまで もな く帝國 主義 または 軍國 主義の 主張で あらねば な 一 

らぬ。 從 つて それ は 國際的 民主主義の 側に あるので はなく 

して、 反って その 反對の 側に あります.^ 

それ ゆ ゑに この 意味に おいての 對外硬 はまた 同時に 「對ー 

內軟」 の 運動と ならなくて はならぬ。 彼等が 論理的の 頭腦ー 

の 所有者で ある 限り, 彼等の 對外硬 は、 また 同時」 に 對內軟 一 



とならなくて はなら な い," 

內 において は 自由、 外にお いて は帝國 主義 11 これ 實に 

英國 SS 本 主義 的 自由主義の 產み いだした る 奇怪なる 產物 

-,. あります、 一 その 代 は、 英國 においても 過き 去りつ > 'あ 

ります. - かくして 一 切 S 怠 味に おいて 對外 硬の 時代 は 去り 

つつあります。 

日本の 政治 蓮 動の 理想 は、 一面に おいて 對内軟 の 諸 運動 

を 排斥す ると もに、 また 更に 對外 硬の 諸 運動 を 葬る ことで 

なく はならぬ。 何と なれば f ) の 一 一つの もの は デモ ク ラ 

シ ー の 要求と 兩立 する f ) と. かで きないからで あります。 

(廿 1 日) 



[German Cartoon] 




Bolshevism (落ちろ も 知らないで) 



一 From S implicit simus , Munich. 

The Bolshevik : " We will show the world that the people also have the 
right to commit stupidities." 





社會 主義と 民主主義 



室 伏 高 信 

との 會話 のうちで、 力.. か. マレ, クスは 、社會 主義者が 政治の 舞 薆に參 加す る、、 と.^ 常に 明白 且つ 強烈に 支持し ました。』 .1 

英國の 老社會 主義 ハインドマン は その Hyo Future of Democracy のうちで かう ぃュ 話な 書 レてゐ .3 す 

(一) 

政治的 民主主義と いふ 言葉 は、 社會 民主主義 または 産業 民主主義と いふ 言 棄と對 立して 使用され ます。 一 ) の 三つの 區 

別 は、 多くの 民主主義 者の 惯用 すると ころです。 攻治的 民主主義の 起原に ついては, t にこれ を 述べない。 けれども こ 

の I と ヒチ丄 とが、 歷史 のうへ に 一 時期 を 劃した の は 明らかに フラン ス 革命であります。 それ ゆ. § 政治的 璧主 

義 i もす ると フラン ス 革命に よって 表徵 されます。 それに 對 して 社會量 主義 または 豪 量 主義と いふ 新 系統 力 立 

てられる ことと なって ゐま す。 この 歴史上の i から f と、 I 的 量 裏の 印象 ー 少く とも その 一 裏の 印象 カァ 

ンチ ー クな ものである こと は 自然の 結果で あるに 對し、 社會 民主主義 または 產業 民主主義と いふ 言葉の 印象 は 極めて 新 

らし 味の. ので あり 善。 かう いふ 印象の もと usf れる I 的 量 裏 は、 いまでも なく 現代的の 量 裏 

でまない。 それよ 現代 民主主義の 甲お I の もとにお いて は 民主主義と 觀念 する ことので きない ものであります。 何とな ォ 

ば その 民主 裏と 稱 する もの は、 一 部の 階級に おいての 民主 囊 であり、 現代の 世界に おいて 最大 多 I 人口 を 占めて 

ゐる第 四 階 殺の 解放に 無頓着で あり、 或は 更に. V れに反 I る ものであるからで あります a それと ともに また そのう 



o へに、 この 用法に おいての 政治的 民主主義の、 > ちに は、 「社會 的」 またば 「產業 的」 とい ふ觀 念が 一 切除 外されて ゐるも 

ので あり、 從 つて その 民主主義と 稱 する もの は、 人間 生活の 一切の 局面に おいての もので はなく、 た > その 局面の ある 

限られた る 部分に おける 思想 または 制度で あるに 過ぎない。 これに 對 して 社 會 民主主義 または 產業 民主主義 は、 主と し 

て 一 八 四 八 年の ルイ 气フ ぅン の 革命に よって 表徵 されて ゐる もので あり、 産業革命の 結果に 對 して 起された る 運動で あ 

り、 從 つて ェビ セットと しての 攻治的 民主主義. か 閑却し、 又は 反對 しきたり たる 第四階級 並に n 社會 的」 または 「產業 的」 

の ブロヴ ヰンス のうへ に 立って ゐる ものであります。 だから 社會 民主主義 または 產業 民主主義 のみ、 現代に おける 民主 

主義と して 受 取られる 傾向が 一 部の 人々 の 間に 存在して ゐる こと は 決して 謂 はれの ない ことで はない。 




產業 民主主義と は、 生産に 對 する 人民の 支配と いふ ことであります。 シ ドニ i ゥヱ ッヴの 定義に 從 へば 「生 產」 そ 

の ものが 人民 それ 自身に よって 支配され る ことであります。 だから 產業 民主主義と いふ ヱ ピ セット は、 その 言葉 自身が 

示して ゐる とほり、 純然たる 產業 上の もので あり、 また 生 產に對 する 人民の 關 係 を 指す もので あり、 また この 點に 制限 

せらるべき ものと されます。 例へば 職工 組合に 屬 して ゐる勞 働 者が、 社會 民主 黨員 としてな した 行動 は、 必 すし も獨り 

「產 業! i または 「生 產」 の範. 図に 限られて ゐる もので はない。 その 範 31 に 限られて ゐな いとすれば、 その 場合に おけ 

る 職工 組合の 運動 は、 もっと 廣汎 なる 社會 運動の 一 現象で あると 見なくて はならない。 卽ち產 業 民主主義の 範 園に 屬す 

る ものではなくて、 社會 民主主義 または 政治的 民主主義の プロ ヴヰン スに屬 する ものと されます。 これ 等に 對 して 政治 

的 民主主義 は 統治 または 行攻 上の 人民の 支配 を 指す ものであります。 その 統治の 範 圍は必 すし も 地理 的の もので はなく 

して, 地平線 的 及び 垂直 的の 兩 方面が あります。 この 兩 方面に おける 國家 または 自治 圑體の 統治 及び 行政 上に おける 人 

民の 支配 を もって 政治的 民主主義と 申す のであります。 かう 考 へて 見る と、 民主主義 のうちに、 攻治 的、 社會 的、 產 業 的 

とい ふ 三 系統 を區 別す る こど は必 すし も 不當な ことで はない。 ェ ビ セットと しての この 三つの 民主主義の 系統 は、 みな 

それぐ に 特有の 內容を もって ゐ るからで あります。 けれども 私 ども は 人間 生活の 各部 分に ついて 銳敏 でなければ なら 



ない とともに、 また その 全局 面の 統合の 上に 思 ひ 至らなくて はならない。 卽ち玫 治 的の 面に ついて 考 へなくて はなら 

ない がごと くに • 社會的 及び 産業 的の 局面に ついて 考 へなくて はならない。 その 言葉 を 逆に 用ゐ ると、 われ/、 は社會 

的 及び 産業 的の 局面に ついて 考 へる とともに、 また 政治的の 生活 局面に ついて 考 へなくて はならない。 

民主主義が 攻治 的の 方面に のみ 存在す る ものと する の 思想の 誤 護で ある こと は、 私の 屢々 述べて きたと ころで ありま 

す。 こ、 にこれ を 繰返して は 述べない。 けれども また それと ともに、 民主主義 か 「政治的」 を 排斥して、 單に社 會的ま 

たは 產業 的に のみ 存在す る ものである かどう かに ついては、 , ) に詳に 述べ る 必要が ある、 } とと 思 ひます つ 




政治的 民主主義と いふ ヱビ セット は、 これ を 使用す る 人々 によって 樣々 の 意味に 用る られ. ます。 その 最も 著る しい 例 

は 、「代議政治」、 「憲法 政治」 または 「第三階級 主義」 の 意味に 用 るら れてゐ る ことであります: 

いふまで もな く • 代議政治 は、 政治的 民主主義の 一 過程 を 代表す る攻 治の 體樣 であります。 そめ 體樣 は、 近代 民主 主 

義の攻 治 そのもの を標徵 すべき ほどに、 深い 關保を もって 生れて ゐ ます。 その 攻 治の 體樣 は、 專制玫 治 を 救 ひうべき、 

唯 一 の攻 治體樣 であるかの やうに 思 はれて ゐ ました。 それ故に 代議 攻 治と、 政治的 民主主義と は 必然の 關係. か ある-^ の 

の や ラに考 へ、 - 代議政治 そのもの を 指して, 攻治的 民主主義と 稱 する ものが あります.〕 この 使用法 は、 ある もの を 暗示 

する の 用法と して は、 すし も 非難すべき 用法で はない。 卽ち攻 治 史的に 觀 察して、 その 各 時代 を、 ある 標準に よって 

嗜 示しよう とする 企て. として は、 決して 非難すべき 用法で はない。 けれども 代議制度 を もって、 玫治的 民主主義に 限ら 

れ たもの、 或は それに 必然的の 閱係を もって ゐろ 存在 だと なすこと は、 重大な 誤謬であります。 その 點はシ ドニ i ゥェ 

ッブの 「產業 民主主義」 が 最もよ くそれ を說 明して ゐ ます。 彼れ の考證 すると ころに 從 へば、 プリ ミチ— ヴの狀 態に 於 

て は、 民主主義 は 凡て 直接的であります。 けれども その 狀態 は、 直に 代表 制度に よって 代 襲され べき もので あり, その 

關係 は獨り 「政治的- の 場合に 限る ものではなくて、, 自民 主 主義 または 社會 民主主義の 場合に おいても、 みな 一 つで 

i あ. ?>^す0 (Webb, Industrie Degcfacy, lt37) それ故に、 代表 制度 は、 決して 政治的の 場合に 限られた もので はなく、 



1£ 



攻治的 民主主義 は、 ; si して 代表 制度 を專 有して ゐる もので はない。 もっと 詳 にいへば、 代表 制度が、 近代 民主主義と =^ハ 

に 生れた の は、 代表 制度が, 攻治的 民主主義と 必然的 關 保が あるた めではなくて、 その 民主主義 か、 たま/、 近代 大國 

家のう ちに 接賴 した 力ら であります。 近代 大國 家の 存在 を 想像し なくて は、 代議制度と 政治的 民主主義との 關係 は、 今 

日まで ありた るより は、 遙に 相違した ものと して 考 へられます。 だから * 代表 制度で あるかない かとい ふこと は、 お 治 

的 民主主義と は、 本来 は無關 係な 理窟であります。 この 無 關係—— 必然的 關係 のない もの を もって、 政治的 民主主義の 

標準と する こと は、 決して 正しい 用法と いふ こと はでき ない。 

標語 的の 舉說 は、 大體の 槪念を 怖へ るラ へに おいて、 多くの 便宜 を 有する ことか あるに しても その 危險 は、 誇張に 陷 

る ことであります。 誇張 は 誇張に 接績 して、 標語 的舉說 は、 極めて 危險 なる 歩き 方 をし ます。 攻治的 民主主義 を もって 

代議 攻治 だとす る も ete、 その 「代議政治」 を、 更に 「第三階級の 攻治」 とい ふ 意味に 誇張す る。 政治的 民主主義 を もつ 

て, 第三階級 民主主義 だと 看做す こと は、 社會 主義者の 間にあって は、 寧ろ 普通の 用法であります。 彼等が 「政治的 民 

主 主義」 とい. ^李に ま, 多く は ブル ジョ アジ I の 支配と いふ こと を 意味して ゐ ます。 然り、 ェビ セットと しての 政治的 

民主主義 は、 屢々 この 意味に おいて 使用せられ る ものである。 如何にも 社會 主義者に よって 主張せられ ると ほり (社會 

主義者 以外. の 人 も 主張し ない ことばな いが) 近代 民主主義 は、 大體 において、 第三階級 民主主義 たる ことに, その 特長 

の 一 つ を もって ゐ たもので あります。 それ故に、 標語 的の 舉說 によれば、 政治的 民主主義 は、 また 一 つの 「ブル ジョァ • 

デモ クラシ I」 であった とい ふこと もで きないで はない。 けれども 厳密なる 思想家 は、 その やうな 標語 的 a. 說に 満足し 

てゐる ことができる もので はない。 

第三 階 欲と は、, ふまで もな くプ 屮 ジョァ ジィ bourgeoisie の: とで あり す。 それ は 中 i の 都市 生活から 發 達し^る 一 階 欲で 

ぁリ ます。 マお タス 及び H ンゲ ヤスの 1 共產 黨宣 首」 cimunistische Manifest によろ 時 は、 それ は 第 四階级 以外の 一 

の 皆 &*5-指》 する ものと され i す。 また デヰ レイ 博士に 3« へば、 口 1 マの H クイ テス も フランスの プヤ ジョァ クイと 同じく 

一 つの 第三 階级 でありえ す。 希 腹に おいても • ス パかタ の < " オイ コィ (perioikoi) は、 1 種の 第三階級で もります、 ダン 一一 ン 

ダ W この,:,:' オイ コィ, ^指して 「¥i ^ル i ク I ス」 とい ふ 言葉 1-^ 使って ゐ ます 9 その 階級 はス パ少タ の 中等の 階級に 攝し、 主として 




商工 菜に 從事 する 階 a であり、 また 公民 接 1^ 與 へられて ゐ たもので ぁリ ます。 だから: の >1 « 'オイ づィも • 一種の 第三 階 欲と 

稱 する、、 とがで きます 。それの みならす、 希 腿 及 口-マの 民主主義が、 下 暦の 人民 卽ち 奴款の 階級に 及^なかった もので ぁリ、 

舉に 自由 民の 間に 行 はれた とい ふ 意味から して、 中等 階級 民主主義と 稱す ことができます 。何と なれば、 希 腿 口, 'マの 時^に 

おける 奴款 階級 は、 政治的 及 社 會的觀 察に おいて、 今日の 第四階級 (づ ro 一 etariat) に 比すべき. o ので あるからで あります 

(四) 

攻台的 民 主義 は、 に それが 「ブル ジョァ • デモ クラシ ー」 たる 二と に、 一 つの 特長 を もって ゐ たもので あります。 

それ は フランス 革命の 記錄に 見ても、 英國 における 代議 攻治發 達の 經路に 見ても、 「ブル ジョァ • テモ クラシ ー」 として 

の 特質 を 具備して ゐ ます J また 代議政治 そのものが、 この 「ブル ジョァ • デモ クラシ I」 の機關 として 生れ、 この 機關 

として 利用され てきた こと は 明白なる 事赏 であります。 けれども それだけの 事實を もって、 直に 攻治的 民主主義 か、 「ブ 

ルダョ ァ* デモ クラシ 1.」 に 限られた もので あり、 また それが 政治的 デモ クラシ ー の 凡て〉 も あるかの つ.) とくに 考 へる 二 

と は — 言葉 を換 へて いへば、 玫治的 民主主義 は、 この 範 園に 限られた ので あり、 二の 範 園に 限られた もの を、 攻治的 

民主主義 だと 考 へ る こと は、 決して 正しい 考 へ 方と 稱 する、 一と はでき な い。 例へば フラ ン ス 革命に しても. その 人權及 

公民 權 宣言の 中には、 所有 權の祌 と 不可侵と を 宣言して ゐる はかりで はなくて. フラン ス 革命の 際にお ける 選 舉權の 

割 富 こ 見ても、 普通 選舉 にさへ 到達して ゐな いので あるから、 フランス 革命の 民主主義 か. 屮產 階級の 民主主義と いふ 

標語 こよって 說 明され る こと は 決して 不當 のこと ではない。 然り、 二。 ヒ セットと しての 政治的 民主主義 は、 事實 におい 

て ブル ジョ アジ ー の 擁護に 終って ゐる 形. か ある。 けれども それ は 攻治的 民主主義 か、 フランス 革命の 時代に 當 て^めら 

れた 結果であって • それが 政治的 民主主義の 全體 であり、 全 生命 だとい ふこと はでき ない。 卽ち 中世に おける 都市 生活 

から 引镄 いて 第三階級の 發達を 促し、 その 第三階級が、 社會 生活 及び 國家 生活の 中堅と しての 實カを もつ ことと なって 

フ テンス 革命が 行 はれた る もので あり、 從 つて その 革命 は 必然に 第三階級の 革命に 終る の 止むな きに 至った ものである 

ひ 一 もと もに、 その 革命 は 人間の 政治的 及び 社會的 生活の 進化の 一 階梯 を區 劃す る ものであると 申すべき であり まづ. f 



つて それ は あ も 種の 民主 主 代表す る 1 5^ ではなく して" 民主主義の 玫治的 または 社會的 sa 現の 一 つの エポック を 

表象す る ものと して 見るべき ものであると 思 ひます。 然り、 フラン ス 革命 は 他の 雁 史上の 現象と 同じく、 それ 自身 一 個の 

孤立せ る 存在で はなく、 それ 自身 全 目的 を 表現し 包含した 運動で はなく して、 歴史的 進化 Historical evolution の 一 階梯 

であります。 その 歴史的 進化の 一 階梯と しての フランス 革命 は攻治 的の 運動と して 出發 し、 また 政治的 運動と しての み 

終始して ゐる にしても, それ はた > 歴史的 進化の 一 階梯 を 代表して ゐ るまでの ことで あり, これ を もって * 攻治 的の 運 

動が 單に ブル ジョ ァの 特有す ると ころで あると なすこと は 素より 誤 いであります。 この 理論 を證 明す るた めに は 一 政 

治 的 民主主義の 敌 達の 事 實を說 明し 1 一. 社會的 民主主義 及び 産業 的 民主主義の 實體に 突入して そのもの, か 果して 如何な 

る こと を 要求す る もので あるか を說明 する 必要が ある こと A 思 ひます。 

(五) 

攻治的 民主主義 は * 明らかに その 第 一 歩 を ブル ジ ョ ァ* デモ クラシ ー として 體 現させて ゐ ます。 けれども 攻治 運動-カ^ 

にブ ル ジョァ の 運動で あ つ た 時代 は必 すし も 長 いこと でない。 フランス 革命 は ブル ジ ョ ァ の 名に よつ て 代表 さる ベ き最 

も 華々 しき 革命であった にしても、 それから 半世紀 も 立たない 、フ ちに、 英國 における 最も 重要なる 攻治 運動 は 例の チヤ 

I チ ストの 運動であります, - その 運動 は f かに 第四階級の 運動で あると ともに、 また それ は 疑 もな く攻治 運動で あり 

ます。 その 意味に おいて は チヤ— チ スト *ム| ヴ メント はまた 一 つの 政治的 民主主義の 運動で あると 申す ことができ ま 

す。 また フランス における 一八 四 八 年の ルイ • ブランの 革命に しても * それ は 普通 選舉の 要求に おいて 永久に 紀念 さる 

べき 價値を もって ゐる ものである 以上、 それ は 半面に おいて 社會 主義の 運動で あり、 また 半面に おいて 政治 主義の 運動 

であります。 卽ち 政治的 民主主義が、 その 古る き 形と €: 容 とに おいての 破産 を證據 立て >ゐ る もので あり、 他の 言葉 を 

もっていへば、 政治的 民主主義が 社會 主義の 主張の 前に ある 種の 讓步 をな して ゐる こと を證據 立て ゐる ものである とと 

もに、 攻治的 民主主義 がその ブル ジョァ の 古る, き精紳 から 股 却して 淅く 第四階級のう へに 立脚す る ことの 傾向 を 示した 

な ものと して 見る 二と. かで きる のであります。 獨 りこの フランスの 二月 革命 または チヤ ー チ ストの 運動ば かりで はない 



15 



1 八 四 八 年の 獨 逸の 勞働者 達の 諸 運動 も. 主として 勞働 階級の 攻治的 運動と して 起って ゐ るので あります。 卽ち 普通 

選攀の 運動と して fcl つて ゐ るので あります。 この 運動 は 攻治を 否認す る社會 主義の 運動 1. 無政府主義の 運動と して 成 

立した ので はなく して その 反 iS; に勞働 者の 攻治的 要求と して 成立して ゐる ものであります。 この 意味に おいて それ はソ 

1 シケル • デ モ クラ シ ー の 要求で あると ともに また 攻治的 民主主義の 要求で あると 申す, J とかで きます。 また, ) の勞働 

者の 攻治 運動 は、 十九 世紀の 中半から 一 一十 世紀に かけて は、 世界の 凡ての 文明 國 において 成功して ゐ ます。 それ 等の 諸國 

: お、, C よ、 第 四階级 よ, 決 乙て 攻 治から 除外され てゐる もので はない。 その 言葉 を 逆に 用ゐ ると、 政治 は诀 して ブ ル ジ ョ 

ァの專 有 物 e はない 「、攻 治 か ブル ジョァ の專有 物であった 時代 は • フラン ス 革命から 一 一月 革命に 至る までの 間で あると 申 

すべきであります。 それ ゆ ゑに、 一 八 四 八 年代の 社會 主義者が 政治 を もって 常に ブル ジョァ の專有 物で あると して これに 

強き 反感 を 包いて ゐ たこと はもと よりあり うべき、 J とであります。 無政府主義者 は 勿論の こと, マ ル クス 派社會 主義者の 

、ク ちに も攻 治に ついて 深い 反感 を もって ゐる もの も少く はない," マルクスの alter eg(> としての フリ I ドリ ッヒ • h ン 

ダル スは攻 治 及び 國家 について 露骨に その 反感 を 表明して ゐ ます。 「今日の 國家 は、 階級 闘爭の 必要が なくなり、 生産 上 

の 階級 支配 または 個人的 競爭. かなくな つた 狀態 において は、 壓 迫の 機關 — 画家と いふ ものの 必要が なくなる ので ある」 

と。 (Engds, Die EntwickelUng des Sozialismus vi Utopie z-r wissc-schaft) けれども ェ ンゲ ルス か 攻治を 排斥す る 

こと は 彼れ が 宗教 を 排斥す る こと、 は必 すし も 同 一 ではない。 彼れ が 宗教に 反對 する こと は、 宗敎を 以て 人間の ィニ シ 

ェチグ を 破壊す るの 罪惡 として 根本的に これに 反對 する ことで あるに しても、 (はコ go 一? Land ョ arks ofScicntific socialis 

m) 彼れ が攻 治また は國 家に 反對 する こと は、 た、.' ブル ジョァ の國家 または 政治に 反對 する ことでなくて はならぬ。 彼 

れが攻 治に 反感 を もってる たこと は、 ブル ジョ ァの攻 治に 反感 を もって ゐ たこと でなくて はならぬ。 今や、 社會 運動が 

&| つてから 旣に四 分の 三 世紀、 攻治 は旣に ブル ジョ ァの專 有する 時代で はない。 縱令勞 働 階級 は 未だ その 鬪爭 運動の 

途 にある にしても 旣に ブル ジョ ァの衰 頹に對 して、 勞働 階级の 勝利 か 着々 實 現されつ 、ある こと は、 現代の 攻治 上に 

お; £ ^る 最も 著る しい 事實 であります。 



亚 (六) 

攻治 上に おける 勞働 階級の 勝利 は、 今や 世界の 到る ところに 證據 立てられて ゐ ます。 ロシア. において、 獨逸 において., 

ォ ー スト リアに おいて、 勾 牙 利に おいて。 それから フランス、 英國, 白 耳義、 瑞 西の 諸 國 においても、 勞働 階級 は旣に 

政治 上の 全權を 掌握し- 或は その 中道に 達し、 或は また 攻 治の 一 半に 責任 を 負 ふこと となって ゐ るので あります。 今日 

の 文明 國と稱 せられる 諸國 において は、 勞働 階級 か攻 治に 對 して 無責任で あり、 または 攻 治から 除外され てゐる やうな 

國家は 存在して ゐ ない。 それの みで はなく、 勞働 者が 攻治 上の 全權を 掌握し または 攻治 を分擔 して ゐる結 BI- は、 政治 は 

更に 努働 者の, 努働 者に よっての、 努働 者の ための ものと なりつ >• あります つ 卽 ちその 攻治的 民主主義 は, ブル ジョァ 民 

主 主義で はなく して、 ソ ー シ アル または インダストリアルの 領域に 突入し つ、 ある 民主主義 となって ゐ ます。 この 事實 

は 到る ところに 證據 立てられて ゐ ます。 獨逸 共和 國の攻 治、 ロシア • ボルシェ グヰキ の 政治 はいふまで もな. く、 米國に 

おける ゥヰ ル ソン の攻治 もまた 殆ん ど勞働 者の 政治と なって ゐ ます。 「北米 評論」 の 主筆 ハ ァヴ ェ ィが、 ゥヰル ソン の玫 

治と 共和 黨の 政治と を對 立せ しめて、 社會 主義と アメリカ 主義との 對立 であると 稱 して ゐる こと は、 彼れ が ゥヰル ソン 

を 排斥す ろの 言葉と しての み聽 くべき もので はない。 (North A ョ erica- Review, March, 1919) ゥヰル ソンの 國際的 民主 

主義の 立 揚が、 社會 主義の 立場と 一 致す る ものである こと は、 英國 または フランスの 社 會黨か 熱心に これ を 支持して ゐ 

る ことによ つても 證據 立てられて ゐる ところであります。 ロイ. ド •, チヨ I、 チの攻 治す らも、 一 步 一歩, 勞働 階級の 側に 

と 進まなくて はならない ことに 常に 煩悶し つ 》 ある こと も、 英國 における 政治の 重要なる 傾向 を 物語って ゐる もので あ 

ります。 かくして 現代の 文明 國と稱 せられる 諸 國の攻 治 は、 * 實 なる 勞働 者の 政治と なり、 また それと ともに 社 會的或 

は 産業 的の 政治と なりつ. - あります。 資本主義の 攻治、 帝國 主義の 政治、. 軍國 主義の 攻治、 貴族の 攻 治の 破 威に おいて、 

努働 階級の ための 政治が 世界の 到る ところに 凱歌 を 奏しつ.' あります。 然り、 今日に おいて は、 政治 は 決して 勞働 階級 

の 敬で はなく して それの 支持者と なつて ゐ ます。 政治的 民主主義 は それの 虛 係の 民主主義の 時代から 眞實 なる 民主主義 

の 時代へ と 進展し つ. "あります。 それに も拘 はらす、 今日 尙ほ: K 然として、 攻 治と は ブル ジョ ァの專 有する ものである 



として、 一 八 四 八 年代^ 社會 主義 または 無攻府 主義の ごとくに、 徒に 政 ュに または に 紫して 反感 1 ゲ-抱 いて ゐ る f ?とは 

驚くべき 愚昧な もこと であります。 それ もまた 明らかに 一 つの 時代錯誤であります。 一部の 社 含 主義者の 時代錯誤 であ 

ります 

S 

一部の 社會 主義者 または 無政府主義者の 攻 治に 對 する 反感 は、 これ を 二つに 分けて 考 へる ことが 便利であります。 そ 

の 一 っは攻 治機關 についての もので あり * 他の 1 つ は 政治の 實質 についての ものであります。 攻 治の 機 關 11 今日まで 

の攻 治機關 について 最も 端的に その 反感 を 表明した もの は、 社會 主義者のう ちに おいて はべ ー ベ ルを 推すべき であらう 

と 思 ひます。 ォ ー ギ ュ スト • ベ I ベ ルは 叫んで いひます。 大臣 を麼 せ、 議 會を廢 せ、 常備軍、 警察、 法廷、 檢事 を廢せ 

と。 (Bebel, Die Frau und Sozialis ョ us) けれども 大臣 を廢 し、 議 會を麼 し 常備軍、 警察、 法廷、 檢 事を廢 する、 ) と は、 

た 攻治 上の ある 種の 機 闢を廢 するとい ふまでの、 〕 とで ある。 攻治 上の ある 種の 機 關を廢 する、 J と は 決して 攻治 その も 

のを廢 する ことで はない。 た > に廢 する ことで ない のみなら す、 玫治實 質の 單 純化の 効果 は 毫末 も 含まれて ゐる もので 

はない。 例へば 常備軍 を麼, M する にしても、 獨 逸社會 民主 黨の 主張の ごとく これに 代 ふるに ミリ シァを もってする うへ 

に、 更に 全國 民の 攻治 的總 訓練 をな す ものと すれば、 これによ つて 攻治 はた > 複雜 化する のみであります。 また 大臣 を 

t クレ タリ— 

俊す るに しても これに 代 ふるに 書 記 を もってし、 議 會を廢 する にしても, J れに代 ゆるに ソビ ェ ットの ごとき もの を も 

つてし、 或は 更に 口 シ ァのボ ルシェ ヴヰキ • レ.、 チ ー ムの やうに 宣偉 局まで も 設ける とすれば • 大臣 を廢 し、 議 會を廢 し、 

常備軍 を麼 し、 檢事、 法廷、 警察 を廢 する こと は、 た, > -機閼 の 置換 または 機 11 そのもの、 單 純化で あるに しても > 攻治 

實 質と は 少しも 交涉 すると ころ はない のであります。 その 目的と すべきと ころ は 民主主義の 能率 を增 進す る ことで ある 

に 通ぎ ない。 民主主義の 能率 を增 進す るた めに 攻治 機關 の變更 または 置換へ を なすこと であるに 過ぎない.^ 卽ち 民主 主 

義に瘢 したる 攻 治の 機 闕を 要求す る ことで あり、 それ ^ 治を廢 威す るの 効果 もな く、 また 政治 を廢 威すべき 何等の 理 

i_ 由 を もって ゐる もので はない 。政治 實 質の 單 純化 は、 た 5- 生活の 單 純化 並に 人口の 紘少 によって のみ 成立す る ことので 



s きる 空想であります。 近代の 國家は 一 方に おいて 人口が *> 殖し ます。 この 人口の 加と それに 伴 ふ 支配 地域の 擴大と は * 

. 異. 民族の 分解なる 國際的 民主主義 によって その 一 部 を防遏 する ことができる もので あり, 從っ てこの 點 においての 政治 

の 軍 純化 を來す こと. かで きる ものである にしても、 人口の 增殖 は、 異 民族の 併合から のみ 生れて くる 事實 ではない。 從 

つて 異 民族の 分解の みに よって. 人口の 4? 加から 生す る 政治の 複雜化 を 防止す る こと は 素より 不可能の ことであります。 

また 生活の 單 純化 は、 物質的 及び 精神的 文化の 單 純化に よっての み 成立す る ことができる ものであります。 かくの ごと 

き は 文明の 精神に 反逆す る もので あり、 また 人間 進化の 趨勢. V 矛盾す ると ころの ものであって、 素より これ を 期待す る 

こと はでき ない ものであります。 

社會 主義と 民主主義との 關係を 知る ために は、 私 は 更に 進んで 社會 主義の 何もので あるかに ついて 述べなくて はなら 

ない。 社會主 養と は 何ん ぞ や。 この 問題に 答へ る こと は 極めて 容易で あり. また 極めて 困難であります。 ス パル., コゥに 

從 へば、 社會 主義の 分派 は、 これ を 主張す る社會 主義者の 數に 比例す る ものと されます。 (spargo. Social Democracy K 

xplained) けれども これ を大觀 すれば、 今日の 科擧 的社會 主義の 要素 は、 それが コレ クチ ヴヰ ズム のうへ に 立つ の點に 

あります。 個人主義の 思想 または 制度に 對 して コ レク チウ ヰ ズムを 主張す るの 點に 現代 社會 主義の 要素の 存在す る もの 

である こと は、 社會 主義に 對 する 歴史的 觀察 において 證據 立てられる ところであります" いふまで もな く 科舉的 瓧會主 

義はマ ルクスの 研究に よって 確立せられ たる もので あり、 その マ ルクス 及び ェ ン ゲル ス によって 宣 首され たる 「共 產黨 

宣言」 は 共産主義の 名 を もって ゐる にしても、 これ は罩 に名辭 上の 問^で あるに 過 ざない。 卽ち 一 八 四 七 年に おいて は、 

社會 主義と は 空想 社會 主義 Utopean Socialism のこと であり、 それ は勞働 者の 運動と いふより は 寧ろ 中等 階級の 社會運 

動で あると されます。 さう して 共産主義 Communis ョ のみ 勞働 者の 運動と して 目せられ たもので あります。 從 つて マ ル 

クス 及び ェ ンゲ ルスの 共產黨 宣言の 名 辭に囚 はれて、 共産主義 を もって 社會 主義で あると なすこと は 素より 間違 ひで あ 

ります。 この 點はェ ング ルスが その 「共 產黨 宣言」 の 序文に おいて 明らかにして ゐる ところであります。 (pl-r-facc e The 



cciiisf Manifesto, by Kngds, Kerr edition) 然 り社會 主義と はヮ ダナ ァ によって 正しく 述べられて ゐろ とほり コ 

レ クチ グヰズ ム であると 申す、 J とがで きます。 個人主義の 思想 及び その レ f ム に對 する コ レ クチ グキズ ム の 思想 及 そ 

のレダ I ム であります。 それ は 共産主義 でもな く、 無攻府 主義で もな く、 また 個人 を もって 最高の 權威 なりと 意識す る 

個人主義 でもな くして 協同 的 または 圑體的 生活 を もって 人間 生活の 道德 的根抵 であると 意議 する コ レ クチ ヴ ヰスム その 

ものであります。 それ は 個人的 原因 を 最高 目的と する もので はなく して 共同 原因 を 意識して その 理想に 奉仕す る こと を 

道德の 根柢と すると ころの 主張であります。 從 つて 社會 主義 または 社會 民主主義に おいての 社 會とは 決して 攻 治に 對す 

るの 意味で はなく して 個人主義に 對 する 意味で あると 了解す ベ きもので あると 思 ひます。 ある 社會 主義者の ごとき は 

社會 主義 もまた 個人主義で あろと 申して ゐ ます。 (spargo, socialism. Social L>emocracy explained) けォ ともこの やう, 

說明は 資本主義と 社會 主義との 對立を もって、 單に生 產機閼 の 所有者の 相違で あると なす もので あり * その 生產機 i の 

所有者 を 移動すべき 理由 を說 明すべき 何等の 哲學的 根 據をも 示す ことので きない 淺 薄なる 說明 であるに 過ぎな.^ 繰 返 

してい ふ、 社會 主義と ュ 何ん ぞゃ。 また 更に コ レ クチ ヴヰズ i と は 何ん ぞゃ。 , 

5 

• チュ I ルきゲ I トは フランス における マ ク ス 派 正統 社會 主義の 指導者であります。 彼れ が甞 つて フ ラ ン ス の 代 議院に 

おいて 反動派の 一 議員 ダウ.. チの 問に 答へ て、 社會 主義の 主張 を 明らかにする ために 試みた る演說 は、 社會 主義の 要... 

ついて、 最も 明晰なる 說明 として 尊重 せらるべき ものであります。 彼れ は社會 主義 を もって コレ クチ. ゥヰ ズム であろ と 

論じて ゐ ます。 彼れ は 人と 人との 戰 ひの 代りに、 人と 自然との. 戰 ひを獎 めて ゐ ます。 人と 自然との 戰ひ のために 人間の 

B Solidarity. を獎 めて ゐ ます。 生産 手段 は、 資本主義の もとにお いても、 益々 集中 的の 傾向と 必然性と を もって ゐる 

とする のが, チ ュ ー ル • ゲ1 ド の 立場であります 0「 その 資本主義 において 生產 手段の 集中 は. 階級 的の コレ クチ ヴヰ スム 

である。 …… われ 等 は 社會的 n レ クチ ヴ ヰズム を 得なくて はならぬ。」 「少數 の 株主に よって 敏道か 所有 せらる、 代りに 

^_ われ 等 を. :1 てフラ シスが 所有し • フランスの 勞働 t か蓮轉 する 鐵道を もた しめよ」 ゲ I ド はか- フ 申して ゐ ます。 0-1CS 



a Guesde, collectivism) 然り, 科舉 的社會 主義の 目的と すると ころ は n レ クチグ ヰズム であります。 無政府 的の 個人主義 

または 個人的 無攻府 主義に 封して、 社き 的コレ クチ グヰ ズムを 主張す る ことであります。 

如何にして その 目的 を 達すべ きか。 

(十) 

如何にして 社會 主義の 目的 を 達する かの 問 趟 は, これ を 直接的の もの 卽ち 資本主義 制度 を麼减 する こと. -、 社會 主義 

的 制度 を 樹立す る ことの 二つに 分けて 考 へろ ことができます。 資本主義の 制度 を麼 威す るの 方法と して は、 革命 を 主張 

する ものと、 妥協 を 主張す る ものと かあります。 正統派の 主張 は 革命 11 社會 革命であります。 けれども その 社會 革命 

なろ もの は 、決して 暴動 を 指して ゐ るので ない。 マルクス は 革命と D?;? 動と を 厳格に 區別 します。 ゲ I ドは、 フランス^ 

命の 經過 を批, S して、 「バ ス チイ ュ の 破 ig、 火薬 iit の 放火 …… 、 〕 れ 等の もの は 革命の 如何なる 分子 もも 含んで はゐ ない」 

ものであると 論じて ゐ ます。 卵の中の雛^:llが發育して 一 定の 時期に 達する 時に、 その 卵の 鼓 は破壞 する に 至らなくて は 

ならぬ。 …… これが 革命で ある。 ゲ.' ド はかう. & して ゐ ます。 それ ゆ ゑに 彼等の いふと ころの 革命なる もの は、 また 一 つ 

の 進化の 過程で あるに 過ぎない。 進化の 一 過程に 對 して • 彼等 はこれ を 革命と 名 づけて ゐ るので あります。 それ ゆ ゑに 

ダ. I ドの 立場が, 平和的に、 さう して 政治的に、 その 社會主 薪の 理想 を實 行しょう とする にある こと はもと より 當然で 

あります (G-esde. collectivii) また それ ゆ ゑに ハ インド マ ンが、 フラン スのダ ー ド 派社會 主義 を 批評して. 「ョォ 口 ッ 

パ において、 最も 多く 鈍 正 マルクス主義に 執着して ゐるケ —ド 派の フランスの 社會 主義者 は、 機會 ある ごとに、 機會な 

き 時に おいてさへ, 政治的の 方法 を用ゐ た」 と 述べて ゐる こと もまた 素より 當然 であります。 (Hyndnla 一 1, The Fiitiir つ 

of Democracy) 

この 正統派の 主張に 對 して、 猛烈なる 反對を 加へ たもの は、 フランス において は.. チョウ レイ、 獨逸 において はべ ルン 

ス タインであります。 ,チョウ レイ は 一 九 〇 四 年の ドレスデン 決議に 反對 し、 獨 逸社會 民主^の 態度に 痛烈なる 非難 を 加 

へ てゐ ます。 ベ ルンス タイン もまた 革命 說に 反對 して その 名著 「進化 的社會 主義 j (licnlstcin, Kvohitioiiary Sodalisti つ 



を 出版して ゐ ます。 これ 等の 修正 派の 主張 は、 英國 の勞働 階級のう ちに は 3- 取 も 多数の 共鳴者 を もって ゐ ます、 英國勞 働 (熬 

の 首領へ ンダア ソン は、 「f か f か」 の 超 目の もとに、 英國 において は 革命の 成立すべからざる ものである こと を 力 

說 して ゐ ます。 (Henderson, The Aims of rabol 一 r) 英國 の勞働 または 修正 派の 主張が 革命 主義に 反對 する こと は. 妥 

協 を 主張す る ことであります 0. 政治 上の 合理的の 機關を 通じて その 目的 を 達せん とする ことであります。 卽ち攻 治 的 民 

主,々 義に とって 社會 主義の 目的 を 達せん とする ことであります。 英國 の社會 主義者 マクドナルド は社會 主義と 政治的 民 

主々 義 との 關係を 論じて、 社會 主義. か 政治的 民主々 義と 結合すべき ものである, 】 と を 率直に 述べ て やます。 0<isay M 

acacnald. The Socialist Movement) 

(十一) 

社會 主義と 政治的 民主々 義 との 關係 は、 社會 主義の 運動 史. か、 何もの よりも 明白に 且つ 雄 辯に 物語って ゐ ます 「 ノ 

タスが 倫 欤 にお いて 共產 主義者 同盟 Bgd dcr Ki-nisten を 再興 せんとした 時に、 マルクス 及び ェ 、ノゲ ル ス 力 攻治的 

革命 派の 一 派と 分離した る を 初めと して、 一 A 七三 年に は社會 主義者 は 無攻府 主義者と 分離す るに 至って ゐ ます" 

府 主義の 指導者 はいふまで もな くミ ハエ ル • バ ク ー 二 ン であります: パク— 二 ン は 國際勞 働 者協會 から 分離す ると " も 

に、 無政府主義の 一 圑 Alliance de la 136 ョ ccratie Socialiste を 組織す るに 至って ゐ ます。 彼れ は その 宣言に おいて、 お 

治 的、 宗敎 的、 司法 的 • 、公民 的の 諸 制度に 反對 して ゐ ます。 けれども この 立場 は マルクスに とって は 反對の 立場で あり 

. ます。 マルクス は 痛烈に パク ー ニンの 立場に 反對 します 。パク ー ニン もまた 痛烈に マルクスの 立場に 反對 します かく 

して 最初の 國際勞 働黨の 運動 は、 社會 主義と 無政府主義との 分裂と なって 終り を告 ける こと、 なって ゐ るので あります 

國際社 會黨の 運動が 再興され たの は 一八 八 九 年の ことであります J その 年に 巴 里に おいて 各 國社會 主義者の 會合ガ あつ 

て、:^ 來、 世界 大軟 (I 九 一 四 II 八 年) の 初めに 至る まで、 一 ーケ年 乃至 四ケ 年毎に この 會合. か繼績 されて きました 一 

八 九 三年の ッ-- リツ ヒの會 合に おいて は、 再び 無攻府 主義 を國 際社會 黨の會 合に 參加 せし むべき もので あるか 否かの 問 

お 一 BB を 討議す る こと. - なって るます。 議論 は 二つに 分れました。 けれども 採決の 結果 は 十六 對 二の 割合 を もって、 無政府 



主義者の 參加を 拒 箱す る 二と. -なク たのであります。 その 會合 においての 無政府主義者と は、 攻治的 行動に 反對 する 一 

切の 人々 であみ、 從 つて 社會 主義 的 秩序 を 理想と する もの. V 雖も攻 治 的 行動 を 否 認 する もの は 無攻府 主義者と して, 】 れ 

を 排斥した のであります- - 「政治的 行動と は、 攻權を 支配す る ためにす る勞働 階級に よっての 政治的 權利 並に 立法の 利用 

である」 と はこの 席上に おける ベ一ペルの 有名なる 定義であります、 一 九九 六 年の ロンドン 會議 においても ■Iri^lJ 

非議 會派 との 間に 猛烈なる 論爭が ありました。 けれども その 席上に おいても、 議會 派の 勝利に 歸 して、 直接行動 を 

主張す る サシ, チカ リストの 參加 を拒絕 する こと.' なって ゐ ます 。さう して その 決議め 第 一 條 において、 「攻治 的 行;^ と は、 

政權を 獲得す る ためにす る 組織的 爭鬪の 凡, ての 形式 並に 解放の ためにす る I. 力 働 階級に よっての 立法、 行政 及び 市政 上に 

おける その 使用で ある」 こと を 決議して ゐ ます。 その 第二 條 において は、 社き 主義の 目的 を 達する ために は、 攻治的 行 

動が 最良の 手段で ある こと を 規定して ゐ ます。 また この 會各 における グヰル へ ルム • リ| ブ クネヒトの 動議に よって、 

無攻府主義^|<は永久にこの國際社會黨の會議に參加することを拒絕すること 》 なった のであります。 獨 逸社會 民主 411 も 

また その ェ ル フルトの (宣言 一 八 九 一年に おいて、 勞働 階級 對 資本家の 爭ひは 政治的の 爭ひ でなければ ならない こと を 

主張して ゐる のみなら す、 その 要求 條 件の 第 一條に おいて は 攻治的 民主々 義 の機關 たる 普通 選舉を 要求し、 その 第一 

において は、 帝國、 州、 縣 または 自治 圑に おける 自治 政治 を 主張して るので あります。 卽ち 政治的 民主々 義を 主張し 

てゐ るので あります、 かくして 社會 主義の 運動 史は、 また 攻治的 民主々 義の 發達史 であります。 政治的 民主々 義の發 達 

によって のみ 社 會 主義の 目的の 實 現される ものである とする、 〕 と は、 社會 主義の 運動 史か 明白 率直に 物語って ゐ ると, 】 

ろであります。 けれども それ は獨 り社會 主義の 5!S 動 史か、 】 れを物 つて ゐる のみで はなく して、 社き 主義の 理論 か 端的 

にこれ を 要求して ゐ るので あります。 

(十一 I) 

- 3 の、 J とを說 明す るた めに は 私 は 再び 振り返って 社會 主義の 要求と は 何ん ぞ やの 問題 を考 へ なくて はならぬ。 繰返し 

ていへば、 社會 主義の 要求す ると ころ はコ レ クチ グ ヰズム であります。 コ レ クチ ヴ ヰズム がその 正面の 敵と すると ころ 



は 自由放任 主義で ある こと は 勿論です。 自由放任 主義に おいて. は、 玫治は 極めて 簡單 であります。 簡單 である こと を 目 

的と する ものであります。 これに 反して コレ クチ ヴヰ ズム において は、 自由主義の 制度に おいて • 國家か 無 干渉 を 主義 

としたる と, J ろの もの もまた 國 家の 意思と 力と に訴 ると f J ろの 重要なる 目的と なります。 例へば フエ ー ビアン 社會 主義 

の 宣言に 從 へば、 社會 主義と は 土地 及び 産業資本 を 公有と する ことで あると されます。 卽ち ブル ジョァ の 制度に おいて 

個人の 手に 委せられ たる 土地 及び 產業 資本 を もって 國家 または その他の 公共 围體の 管理に 移さん とする ことであります 

その 結果 は 如何にな り ゆく か。 國家 または その: f の 公共 圑體. かその 公共の 利益の ために あらゆる 障碍 を 排斥して 行 ふべ 

きと ころの もの — 玫治は tlt^ 々重大なる ものと なること は 見易き の 道理で はない か。 マ ル クス 及び ェ ンゲ ルスの 「共 匿 

黨宣言 」 によれば 社會 主義の 制度に おいて は、 「人」 に對 する 支配の 代りに 「物」 に對 する 管理が 行 はれる ので あると 述 

ベら れてゐ ます。 けれども 「人」 に對す 園體の 意思の 活動 11 これ を 支配と いふ も 管理と いふ も、 また 指導と いふ も 何 

れ にしても 問 ふところで はない —— が 行 はれる ことなくして 果してよ く 「物」 に對 する 管理が 行 はれうる, ) とかで きる 

か。 かくの ごとき f 3 と は 素より 漫然たる 空想で あるに 過ぎない。 また 例 へ ば獨 逸社會 民主 黨の 綱領 を 如何にして 實 現す 

るかの 問題に ついて 考 へて 見る。 彼等 は その ヱル フルトの 宣言の うちにお いて、 一 般的 軍事 敎育を 提唱して ゐ ると、 も 

に、 また 國民敎 育の 强制を 主張して ゐ ます o( 第 七條) この 國民敎 育の 問題 は、 生産 及び 分配の 問題と >- もに. - 社會 主義 

の 綱領の うちにお いて 最も 重要なる ものであります。 その 國民敎 育の 强 制と は何ぞ や。 これ また 一 つの 重要なる 攻治的 

民主々 義の 現象で あるで はない か。 然り、 社會 主義 はた 攻治的 民主々 義 によって のみ 實 現せら るべき ものであります。 

この 點 において ジ ヨン • ス パ ルゴ ゥが、 社會 主義 を說 明して 「それ は 攻治的 民主々 義と產 業 的 oi^ 主々 義 との 結合で ある 

と 述べて ゐる こと はよ くこの 間の 事 實を說 明して ゐる こと * 思 ひます。 (sl)argo. socialism, P. 238) 



より 多數の 生活に おいて は、 より 多くの 權カを 必要と する。 より 多く 民主々 義的 である もの ほ、 より 多く 權カ 的で あ 

も この jS は 歴史的に も、 科舉; Sii も證 明の 容易な ことであります。 シド 二 ー • ゥ. ェ ッブ が立證 して ゐる とほり 產業民 



^ 主々 義の 幼稚な 狀懋 において は、 職工 組合に おいても * 同業組合に おいても, その 紐 合の 事務 は 凡て 直接的に.; 5t され 

る。 また 委員 を 選み 代表者 を 選む やうに なっても * 初めは 交代 または 抽蕺 によって これ を 定める のであります。 けれど 

も その 組織 か 大規模と なり、 その 参加者. か多數 となる に從 つて、 直接的 は 代表的と なり、 代表的 は、 次第に 專門 的と な 

ります。 専門的と なる に從 つて 權カ 的と なります。 (Webb, Industrial Democracy) 凡ての 組 織 的の 運動 は、 みな 權 力の 

集中に よっての み 行 はれます。 獨 逸の 社會 民主 黨か 中央! if 權的黨 制を實 行して ゐる こと は、 民主々 義の 立場に おいて は 

素より 當然 でなくて はならぬ。 中央 集 權的驚 制に よって デモ クラシ ー の 組織と 指導と か 行 はれ、 また これによ つての. み. 

デモ クラ ジ I の 能率か^ 進 せらろ,, からであります。 社會 主義の 主張 は、 產 業の 局面に のみ 限ら るれ もので はなく して、 

人間 生活の 1 切の 局面に 交涉 すろ ものである にしても、 (H. P WC11S- New world for eld) その f-!^ 女なる 點は 生産の 集 

中で あると されます. - 生産の llj^ 中 は、 あらゆる もの、 1^ 中と 等しく * 組織と とに よつ でのみ 行 はれ、 その 組織の 單 

. 純化と 指導の 有効 化と によって のみ 集中 能率の • 礎 進を兒 る f 〕 とがで きる のであります。 卽ち權 力に よっての み 産業の » 

中 —— 社會 主義の 實行を 見る ことができる ものでなくて はならぬ。 この 點 において、 バ アナ アド • ショウが、 社 <i^!: 主義, 

の國 家に おいて は、 國民. はみ な 普魯西 軍隊 內の 兵卒の ごとき ものでなくて はならない と 述べ てゐる こと は、 稍 や 誇張に 

類す るの 嫌 ひが あるに しても、 またよ く社會 主義の もとにお ける のね 何なる もので あるか. を說 明す、. へき 喑示 多き 言 

葉で あると 思 ひます。 卽 ち社會 主義 は、 政治的に 返却す る 運動で はなく して 前進 —— 急速 度に 前進すべき 運動で ありま 

す。 ブル ジョァ 制度に おいて は 一切 個人 間の 自由に 放任され たる こと も、 社き 主義に おいて は、 圑體の 意思の 參入 すべ 

き 領域で あると されます。 圑體 意思の 活動の 領域ば 益々 爐大 せられ、 攻 治の 領域 は 益々 擴大 せられ、 權 力の 需耍は 益々 

痛切と なって こなくて はならない のであります。 

それ ゆ ゑに 社. 主義 は國 家社會 主義と なるべき もので なけねば ならぬ. - 社き 主 i_ 我の 主張 を もって 國家を 否認す る もの 

であると 考 へる こと は 一 大 誤謬でなくて はならぬ。 社會 主義の 要求す ると ころ は、 民主々 f: 我的國 家團體 主義でなくて は 

ならぬ。 .:••• こ、 に はこの 點を詳 かに 述べて るる 暇かない。 た > ゥヮル ト*ネ ヰット マ ン の嗜示 多き 首 葉 を 引用して 社會 

主義と 民主々 義 との 關係を 明らかに したいと 思 ひます。 ネヰッ トマ ン はいふ 「政治的 民主々 義は 社會的 民主々 殺と なる 

, J とがで きる」 と。 (大正 八 年 四月 十三 日) 



社會 主義の 陷葬 



ラ-ン セ^ は英國 今日の 思想界、 哲學界 または 批評 界 における 

第 一 人 とされて せます。 新 思想 了解しょう とする もの は 

少く とも 彼れ の why Men Fiwjlt, pr-nciDles of social 

Reconstruction, Political Ideals の數 著, -謓 まなくて は 

ならな い と 思 ひます? 、 > に譯 出した 翁 文ば 彼れ の t-olitical 

Ideals のうちの 第三 章であります。 この 論文 Y^l 讀 する も 

の は、 彼れ が 如何 に 嚴正 且つ 深刻に 國{ 豕社會 主義,^ 批判して 

ゐ るか 1^ 承知し ます。 (室 伏 生) 

、その 初めは 社會 主義 は、 賃銀 勞働者 階級の 解放 并に 自由 

な 正義と を 樹立す る * J と を 目的と した 處の 革命的の 運動で 

あつたので あります。 資本主義から 新制 度への 變轉は 急激 

且つ 暴力 的で なけれ ぱ ならな たったので あります。 資本家 

は 賠償な、 しに 奪略され なければ なら.^ かった もので あり、 

2, 且つ 資本家の 權カは 他の. a 何なる 新しき 權カ によっても %」 



ベル トラ ン ドこフ ッ セル 

き替 へられて はならない ものであった のであります 二 

漸次に 社會 主義の 精神の 中に 變 化が 起って きて ゐ ますつ 

tv フン ス において は社會 主義者が 內閣 員と なり、 さう して 

議會 の多數 派と なり * また 少数派と なって ゐ ます。 獨 逸に 

お い. て は社會 民主 々 義は 其强破 な る 共和主義と、 彼れ の 要 

求に 對 する 政府の 承諾と を 引替へ にす る ことの 誘惑 を 斥け 

る ことができ なくなった-ね どに 勢力 を强 くして ゐ ます。 英 

國 において はフヱ ー ビアン 社會 主義者 は 革命に 反對 して 改 

革の 利益 を敎 へて ゐ ます。 さう して 非 協調 的 反抗の か はり 

に 協調 的 協約の 利益 を敎 へ てゐ ます。 

渐進的 改革 の 行き方 は 革命 の 行き方に 比べて 多く <S 功績 

を もって ゐ ます。 また 私 は 革命の 鼓吹 を 希望す る もので は 

ない。 けれども漸進的改革.^^.またぁる種の危險卽ち今日.ま 

で 個人の 手に 靨して ゐ; i 事業の 所有 及び 支配 並に 貸 銀勞働 

者の 種々 なる 部分の 利 のために する 立法 的 干涉を 獎勵す 



6 る ことによって、 ある 種の 危險を 伴って ゐ ます。 斯る 手段 

によって, 最初の 社會 主義者 を靈感 せしめ、 さう して 今日 

も尙ほ あろ 種の 社會 主義 を 主張す る 人々 の 大多數 を 靈感せ 

しめつ、 ある 理想に 向って 果して 何もの を貢默 する ことが 

できる かとい ふこと は 私の 少く とも 疑問と すると, J ろで あ 

ります。 

この 點を說 明す るた めに 私は國 家の 鐵道 買收 政策 を 指摘 

します。 この 方法 は國 家社會 主義の 目的の 表徵 的の もので 

あり、 全く 實行 可能の もので あり、 旣に 多くの 國家 におい 

て 成就せられ たもので あり、 さう して コレ クチ ヴヰ ズムの 

完成に 接近す るた めに 必す 通過し なくて はならない 階段で 

あります。 けれども 國 家が 株主に 充分の 賠償 を支拂 つて 鐵 

道を讓 受けた 場合に、 私 は それが 民主主義、 自由 または 經 

濟的 正義の 成就 せらるべき 方面に、 * 實に その 一 步を 進め 

てゐ ると いふ こと を 信すべき 何等の 理由 をも發 見す る こと 

はでき ない。 

經濟的 正義 はたと へ 全部の 撤廢 ではない にしても、 地代 

及び 利潤の 受領者の 手に 收 めら るべき 國民 所得の 割合の 减 

少 する こと を 要求し ます。 けれども 鐵道 株券の 所有者が そ 

の 株券に 相當 する 政府の 證券 を與 へられる 場合に は、 この 

株券の 所有者 達 は 彼等が その 株券から 生す る ものと 正當に 



期待し 得られる と 同等の 利得 を 永久に 期待す る ことえで き 

ます。 鐵道收 <A の 莫大なる 膨脹. か 期待され ざる 限り、 この 

やうな 方法 は 富の分配の 變更 のう へ に 全然 何の 益に もた つ 

もので はない。 それ はた >現 在め 所有者が 放逐され るか、 

市價 以下で 支拂 はれる か、 または 賠愤 として 簞 なる 終身 財 

產權 が附與 される 場合に おいての み 始めて 効果の 存在す る 

ものであります。 全價 値が 賠償され る 場合に は、 一 步 たり 

とも 經濟的 正義 は 進んで ゐる もので はない。 

それ は 自由に 對 しても また 等しく 殆んど 一 歩 を も 進めて 

ゐる もので はない。 鐵 道に 使用され てゐる 人々 は、 鐵 道の 

支配に おいても、 また 勞 働の 賃銀 及び 條件 においても、 彼 

等が 以前に もって ゐ たよりも より 以上の 發言權 を もって ゐ 

る もので はない。 政府に 訴 へる ことの 可能性の もとに、 そ 

の 管理者と 戰 ふことの 代りに、 彼等 は 直接に 攻 府と戰 はな 

くて はならぬ。 さう して 經驗 の敎 ふるところ は、 攻府當 局 

は、 勞働 者の 要求に 對 して 何等の 特別なる 同情 を ももって 

は ゐ ない とい ふこと であります。 彼等が ストライキ を 起す 

とすれば、 彼等 は國 家の 全 組織の 勢力と 戰 はなくて はなら 

ぬ。 それ はた, 4 偶々 彼等, か强大 なる 輿論の 馁助 をう くる 場 

合に おいての み 成功の 望みが あるに 過ぎない。 國 家が 常に 

その 勢力 を 新聞紙のう へに 及 ほす ことので きる 結果 は、 舆 



論 は 恐らく は 彼等に 對 して は 不公平であります。 名義 上進 

步 的の 政府が 權カを 握 つて ゐ る揚 合に おいて 特に 然り であ. 

ります。 國有鐵 道に おいて は 最早 ゃ各鐵 道の 間に 攻策 上の 

相 遠なる ものが ありえない。 英國 における 鐵道從 業 員 は 多 

年の 間 北東 鐵 道の 比較的に 自由なる 政策から 多大の 利 盆 を 

ラ けて ゐ ます。 卽ち 彼等 は 到る 所に 同樣の 政策 を 要求す る 

ための 論據と 見て 北東 鐵 道の 政策 を 利用す る ことができた 

のであります。 か >• る ことの 希望 は、 痲痺せ る 劃一 的の 國 

家營理 の もとにお いて は 消 威に 歸 します。 

また そこに は眞實 なる 民主主義の 進歩が 存在し ない。 鐵 

道の 管理 は勞働 者と は、 別個の 傾向と 別個の 一 圑を なして 

ゐる 役人の 掌る ところで あり、 さう して 其 役人 は權 力の 習 

慣性の ために 彼れ の專制 的の 性情 を發展 させて ゆく ので あ 

ります。 また 名義 上 これ 等の 役人 を 支配して ゐる 民主的 機 

關 なる もの は煩璃 にして 閼 保の 遠い もので あり、 それ はた 

だ全國 民の 利害に か る 第 一 級の 事件に おいての み 活動す 

る ことので きる ものであります。 その やうな 場合で さへ、 

役人 及び 政府の 優越せ る敎育 は、 彼れ の 地位より うくる 便 

利と 結び付いて * その 事件に 關 する 輿論 を 誤 導し、 勞働者 

の 側に 立派な 理由の ある もの を さ へ 、 世間の 同情から 遠 ざ 

けて しまう、 J とがで きる のであります 



私 は、 】れ 等の 害惡が 今日 存在す る こと を 排斥す る もので 

はない。 私 はた,. - 今日の 經濟的 及び 攻治的 環境の もとにお 

けろ 鐵道國 有 の や. ^ とき 手段に よって こ れ 等の 害亞. ぶ-救 濟す 

る ことので きる もので ない こと を 指摘す る 表での ことで あ 

る。 より 偉大なる 向上と、 人々 の 心の 習 惯 のうちに おける 

より 偉大なる 變 化と は、 凡ての 真に 重要なる 進步 のために 

必要であります。 

一 

國 家社會 主義 は、 攻治的 民主主義の 體制を もって ゐる國 

一 民に おいてさへ、 眞實 なる 民主主義の 組織で はない。 それ 

が 民主主義 的と なる f 】 とので きない f :> と は、 攻治 上の 領域 

からの 類推に よって 明嘹 にされ ます。 凡ての 民主主義 は 愛 

蘭人が その 愛蘭の 事務に つ いての 自治 攻をも つべき f 一と を 

承認し ます。 さう して 彼等. か 合 衆帝國 の國會 における 分擔 

に參 加して ゐ るが 故に、 不平の ない ものであると 申す こ 

と はでき ない。 そ の 利害 若し く は 慾 望が 全然 汎く 社 會の他 

の ものと 相違して るる 凡ての 圑 II が、 彼等の 內部 的の 事務 

を、 彼等の ために 處理 する ことが 自由でなくて はならない 

とい ふこと は、 民主主義に とって は 肝要な 點 であります 

さう して 國民的 または 他方 的の 圑體 のために 真理で ある こ 



00 と は j$ 失 や 鐵道從 業 員の ごとき 經濟 的園體 のために も 等し 

く 無理であります。 總選舉 の ごとき 國民的 機關は 決して こ 

の やうな 園體 が、 彼等の もたなくて はならない 自由 を 贏ち 

、フ るの 充分なる 手段で はない。 

役人の 權カ 11 近代の 國家 における 偉大に して 且つ 大 

しつ. r ある 危險 である- 1 は、 その 役人のう へに た,: 坂 後 

の 民衆的 支配 を 行 ひうる 選舉 人の 多數 か、 原則として 如何 

なる 特定の 問 超に も 利害 颶 係が なく、 從 つて 彼等が、 利害 

關保 ある 少数の 人 < ^の 希望 を 蹂躪す る 役人に 對 むて 有効な 

る 干涉を 試みる >t を 欲しない ことの 事實 から 發生 します。 

役人 はた > 名義 上 間接の 民衆的 支配に 服す るに しても、 彼 

れの 行動から 直接の 影 饗をラ ける 人々 の 支配 をう ける もの 

ではない。 社會の 意思の 大部分 は紛爭 事件に 耳 を 傾む ける 

もので もな く、 またたと へ 耳 を 傾く るに しても、 それ は 利 

害關係 あろ 人民の 部分からで なくして 役人の 側から くる 不 

適當な 報道のう へに 立てられる. 急造 的の 意見で あるに 過ぎ 

ない。 重要なる 政治 上の 事件に ついては、 ある 程度の 知識 

は早晚 散布され ます。 けれども それ 等の もの を 除く 時 は、 

そんな 望み は 殆んど 期待す る ことができない。 

「役人の 權カ は、 資本家の 權 力よりも、 遙に その 危險 の少 

ない ものである。 何と なれば 役人 は 賃銀 努働 者, V 對抗 すろ 



經濟的 利害 を もって ゐ ないから である」 とつ かや、 フに 申す 

, J とがで きる かも 知れない。 けれども, 〕 の 議論 は 政治的 人 

間 性に ついて あまりに 單 純なる 舉說 である 11 それ は 純正 

社會 主義. かその 古典的 經濟學 か. • 適用し、 さう して その? tI 

謬で ある ことが 益々 明白と なって きたに も か >r はらす 尙ほ 

維持 せんとす る舉說 であります。 M 的 私慾 は また 經濟 

上の 階級 的 利害で さ へ も、 決して 唯 一 の 重要なる 政治的 動 

機で はない。 その 俸給が 一 般に 特定 問題の 決定に 何等 影響 

する ことなき 役人 は、 人並みに 正直の ものである 限り、 公 

共 利害と 信す ると、 】 ろの 見解に 從 つて その 意見 を 決定す る 

ものと 申す ことができます。 けれども 彼等の 見解なる もの 

は 屡々 彼等 を 誤! S に? 3- くと ころの 儡頗 心であります。 われ 

等の 運命 を あまりに 無造作に 政府 當 局に 任せる 前に この 偏 

頗 心に ついて 理解す る こと は 大切な ことであります。 

第 一 に考 へなくて はならない こと は、 凡ての 大 組織、 就 

中大國 家に おいて は、 役人 又は 立法者が、 常に その 支配す 

る 人民と 隔絶し、 さう して 彼等が その 诀定を 適用すべき 人 

民の 生活 狀態 について 通曉 して ゐな いとい ふこと であり ま 

す その 結果 は、 統計 または 靑書 によって 知り えられる 

ことに ついては 熱心 且つ 勤勉で あるに しても、 彼等 は そ 

の 知る こと を 必要と する 點 について 甚だしく 無知で ありま 



S9 



す。 彼等が 親しく 了解す るた; >r 1 つの こと は、 役所の 常規 

と 行政 上の 規則と であります。 その 結果 は 劃 一 組織に 對す 

る 過 當の渴 望と なります。 私 はフラ ン ス の ある 文部大臣.. か 

時計 を 取り出して、 さう して 「この 驟 間に フラン ス におけ 

るかく くの 年齢の 子供 等 は、 ^ れくを 勉強し つ > ある」 

と 話して ゐ たの を 聞いて ゐ ます。 これ. か行攻 者の 理想 —1 

自由の 成長、 獨創、 實驗 または 遠大なる 改革に とって 全く 

致命的な 理想であります。 人間の 忘 慢性と は攻治 理論の 書 

物に おいて は 動機と して 認められ るに 至って ゐな い: 何と 

なれば 人間性に ついての 凡ての 正則の 知識 は, ^ れ 等の 書物 

の 尊厳と は無關 係の ものであると 考 へ ら れてゐ るからで あ 

ります。 けれども 私 ども は 凡て この 忘 慢性が、 最も 有力な 

る 人間の 動機 11 少数の 人々 の 例外 を 除きて 一 - である こ 

と を 承知し ます。 

不幸に して、 この場合に、 ^0-^慢性は、 權 力の 愛好の ため 

に 大 します。 その 權 力の 愛好の ために、 精力 主義の 役人 

は、 怠慢なる $ の 希望す る行玫 上の 體系を 創造し ます。 

精力 主義の 役人 は、 常に 彼れ の 支配せ ざる もの を みます。 

彼れ の 公式の 命令 は、 何事 もな し えられない 前に 行 はれな 

くて はならぬ。 彼れ の 目に 觸れ たる もの は それが 何んで あ 

つても、 彼れ は ある 方法に よって、 彼れ の權 力に ついて^ 



感情 を 満足せ しめ、 また その 權カを 意識せ しめる やうに, 】 

れ を變更 する こと を 欲します。 彼れ が 若し 良心の 自覺の あ 

る ものと すれば、 彼れ は 彼れ の 最良の ものであると 信す る、 

ある 完全に 統一的 且つ 精密なる 計 晝を考 へ 出 だし、 さう し 

てこの 計 晝を條 酷に 强 制し、 如何なる 有望なる もの >- 成長 

に對 しても、 調和の ために、 これ を 摘み とらなくて はなら 

ない ものと します。 その 結果 は、 久しく 髓別的 生活と 個性 

とのう へに 生活し 且つ 發 達した 古代 都市の 美と 豐裕 とに 比 

ベて、 新ら しき 直角 的 都市が l〈ccta 一 1 ち liar rw 一 i 何ん とな 

く廢減 的の 鈍ぶ さ を 見せて ゐ るの は 止む を え な い 二と であ 

ります。 生長した もの は * 常に、 命ぜられた ものよりも 生 

々して ゐ ます。 それに も か、 はらす 精力 主義の 投入 は、 自 

然の 生長の 外見 的不 秩序よりも、 彼れ の 命令した もの 、笹 

然 たる 秩序 を 選み. ます リ 

權カを 掌握し さへ すれば、 それから 權 力の 愛好が 產み だ 

されます" —— それ は 極めて 危險 なる 動機であります。 何 

となれば た > 他人 をして その 欲する と f ) ろから 妨 ける f J と 

によって のみ 權 力の 證明は 成立す る ものであるから であり 

ます。 民主主義の 主要なる 理論 は 全人 民の 間に 權カを 散布 

し、 かくして I 人に 保有す る强大 なる 權 力から 生す る害惡 

を 防止す る ことであります。 けれども 民主主義 を 通じて 行 



so 



ばれる 植 力の 散 分 は、 道 舉 人が 當該問 B8 について 利害 を i< - 

する 場合に おいての み 有効であります。 その 問題が 彼等に 

利害 關保 を與 へざる 場合に は、 彼等 は その 行政の 支配 を 企 

てること なく、 さう して, 凡て^ 實權は 役人の 手に 移る の 

であります。 

それ ゆ ゑに 民主主義の * 實 なる 目的 は、 國 家社會 主義 ま 

たは 人民の 支配に 服從 する ことのない 11 議會 によって 間 

接に 幾分 か 行 はれる ほか は < 々の 手に 强大 なる 權 力が 

委ねら る. r 體系 によって は、 到達 せらる、 もので はない。 

人々 の攻治 上の 活動に ついて 檢分 する 時 は, 政治的に 有 

力た らんと する 充分の 精力 を もって ゐる 人々 の 5 ちに あつ 

て は、 植 力の 好 愛 は, 經濟的 私慾よりも よめ 多く 强大 なる 

動機であります。 權 力の 愛好 は、 大 富豪 11 費消し きれな 

いほ どの 金 を もってる る II をして、 益々 世界の 財界 を 支 

配 せんとす る だけの 目的の 爲に 富の 蓄積 を繼鎮 させます。 

權 力の 愛好 は 明らかに 多くの 攻治 家の 主要なる 動機で あり 

ます。 それ は 又戰爭 一 I 殆んど 常に 富の 立場から くる 投機 

であると 認められて ゐる —— の 主要なる 原因であります。 

それ ゆ ゑに た > 經濟 的の 動機の み を攻擎 して、 權 力の 集中 

に 干渉し ない 新 經濟組 熾 は、 世界に おける 大 改革 を 實 現す 

る もので はない。 この 點が國 家社會 主義に 疑 を 抱く 重要な 



る 理由の 一 つであります。 

一 權カ 分配の 問題 は、 富の分配の 問題よりも もっと 困難な 

i 問題であります。 代議 攻 治の 機 關は、 唯 一 の 重要なる 問題 

一 として 最高 權 力のう へに 集中され、 さう して 直接の 行政 權 

と は無閼 係であります。 行攻の 民主化に ついては 殆んど 何 

; ごと もな されて はゐ ない。 攻府の 役人 は、 彼等の 收 入の 安全 

及び 社會的 地位の ために、 その 學生 時代からの 日々 の 同 友 

たる 富豪の 側に 立つ ものと いへ ます。 また 彼等が 富 I* の 側 

一 にある と 否と にか. - はらす。 前に 述べた 理由に よって、 彼 

i 等 は眞に 進歩の ために 盡す、 J と を 欲する もので はない と 甲 5 

ひます" 役人に ついて 適用され る こと は、 選 舉區に 自己 推 

薦 をした 時と は 全く 別物の 代議士に も 適用され ます。 けれ 

一 ども これ はた > 支配階級の 他の 性質のう へに 更に 係 善と い 

i ふこと が 加 はるので す。 何人で も 下院の 廊下に 立って • 議 

員 11 選舉 人が 見つける まで は * きょと くした 眼と、 無 

意味な 笑 を 漏らしつ、 出て くろ 代議士が、 選舉 人と 腕 を 組 

合せて、 「親しき 友よ」 と M. きな. から • もっと 奥まった 院內 

へと 案内して ゆく 光景 を 見て, これ. か 人々 の 立法者と なり 

また 立法者と して 存 綾して ゆく 技術で あると 知る もの は、 



今日の 存在す る 民主主義が、 箱對に 完全なる 政治 上の 制度 

でない こと を 感得し ます。 一 般 の?^ 皋民 か、 少 くと も英國 

において は、 全く 不誠實 について 盲目で あると いふ こと は 

痛ましい 事實 であります。 政治 上に 何等の 定見 もない 人民 

は、 槪 して 公然 または 秘密の、 賄賂 または ss 諛 によって 說 

伏されます- また 改革の 要求に 唆が されて ゐる 人々 は、 野 

心满々 たる 空論家 を- 正直に 公共の 利益 を 切望す る 人と し 

て 喜ぶ のか 常であります。 さう して 此 野心 滿々 たる 空論家 

は、 その 自ら 爆 接した 熱 狂 の 爲に權 勢 をうる と、 彼れ の 

勢力 を、 ある 時 は 公然と、 また ある 時 はもつ と 巧妙な 方法 

—— 重要な 場合に わざと 落伍 するとい ふごと き 11 によつ 

て、 支配階級に 賫 りつけ ます。 これが 代表 制度のう ちに 體 

現されて ゐる ものと しての、 民主主義の 普通の 活動の 部面 

であります。 民主主義が 單に 一 場の 喜劇に 終って ならない 

ものと すれば、 救濟の 道か發 見され なくて はならない ので 

あります。 

近代 大國家 民主主義の 5 ちに おける 害惡の 、源 泉の 一 つ は 

選舉 民の 大部分が、 政治 上の 諸問題の 大部分に ついて、 直 

接 または 致命的の 利害 を もって ゐな いことの 事實 であり ま 

す。 ゥェ 1 ルスの 子供 等は擧 校に おいて ゥェ —ルス 語の 使 

お 命 を 許されべ きか 否か? デブ シ I は 文部 當局考 の 命令の 



ために その 漂浪 生活の 放擲 を强 制されなくて はなら ないか 

どうか? 礦 坑夫 は 八 時間 勞 働を當 然とす.. へき か 否 か? ク Si 

督敎 信仰 治疲 主義者 は 重病の 時に 醫者を 呼ぶ , とを强 制さ 

れべ きか 否か? これ 等の もの は 社會の ある 一部に は 熱 切 

な 利害の 關係 する 問題で あるに しても、 大多数に とって は 

殆ん ど無關 係の ことであります。 彼等が 若しも 多数の 希望 

に從 つて 向肯 しつ、 ある ものと すれば、 少數 者の 熱烈なる 

希望 は、 無關 係なる 他の 多數 者の 輕視的 且つ 割 一 的の 出来 

心の ために 壓 倒されて しま ひます。 若しも 少數 者が 地理 的 

に 集中し 從 つて ゥェ ー ルス 人 または 坑夫の やうに、 選 暴 

民の 多數 によって 選舉を 決定す る ことかで きる もの だとす 

れば、 弗 常に 便利なる 徑路 11 敵 はこれ を 無能者の 相互 煖 

助 だとい ふ 11 によって、 その 目的に 到達すべき 善き 機會 

を もつ ことができます。 , 〕れ に反して 彼等が 若しも. デブ シ 

1 や 基督 敎 信仰 治療 主義者の やうに 四方に 散在し、 且つ 攻 

治 的に 弱 勢の ものである とすれば、 彼等 は多數 者の 偏見の 

ために、 殆ん どよ き 機會を もつ こと はでき ない, - 地理 的に 

集中され てる 揚合 において さへ、 愛蘭 人の ごとき は、 多數 

者の 側に 敵意 または 征服の 意慾の 存在して ゐる ために、 彼 

等 は その 慾 望 を 達する ことかで きないので あります。 か. - 

る狀態 は、 凡ての 民主的 原則の 否定であります。 



^ 多數 者の 專制は 誠に 現實 の危險 であります。 多數 者が 必 

然 的に 正しき もので *c ると 考 へ る こと は 誤 18 であります。 

凡ての 新 問題 について, 多 數者は 常に 最初 は 間違って ゐま 

す。 國 家が 全體 として 行動し なくて はならない 場合、 例へ 

ば 關税問 超の ごとき 場合に は、 多 數決は 恐らく は 最もよ き 

方法であります。 けれども 統一的の 決定 を 必要と せ ざろ 問 

慝 は 多々 あります。 宗 敎は是 等の もの. - 1 つで あると 認め 

ら れてゐ ます。 敎育 もまた 若しも 一 定の 最小限が 成就され 

てゐ ると すれば それ 等の もの、 一 つでなくて はならない C 

軍役^^らかにその 一 つでなくて はならない。 無政府と な 

る ことなくして 別個の 行動が 別個の 圑體 によって 行 はれう 

る 場合に は 常に それ は 許されなくて はならぬ。 か >- る 場合 

に 於て は、 過去の 歴史 を考 へる もの は * 如何なる 新ら しき 

根本的の 問題が 起った 時に でも、 多 數者は 偏見と 習惯 とに 

よって 指導され てゐ ろた めに 不正で ある こと を 知る ので あ 

ります。 進步 は、 輿論 を 轉換し 且つ 習 恨 を變改 する ことの 

少數 者の 徐々 の 効果から 生じます。 あろ 時代 —— そんなに 

遠い昔で はない I— において は、 老婦 人が 女 巫と して 燒か 

れて はならない とい ふ說を 支持す る こと は、 非常なる 惡事 

て あると 考 へられた のであります。 若しも この 見 を もつ 

てゐろ もの. か强制 的に 抑壓 された ものと すれば、 われ 等 は 



尙ほ 依然として 中世の 迷信に 囚 はれて ゐ なくて はならない 

それ ゆ ゑに、 統一が 絕對に 必要と されない 事件に ついて、 

多数 者の^ 思の 適用 を 制限す る こと は :| も 重要なる ことで 

あります。 . 

觀 

前述の 危 險に對 する 救 濟 は、 デヴ オリ ユウ シ ヨン (責任 

移轉) 及び 聯合 政治の 一 大擴 張であります。 ゥヱ— ルス や 

愛蘭の やうに、 民族的 自覺の あると ころに は、 それの 存す 

る 地域 は、 外部 的 干渉な しに • 凡ての 純粹 なる 地方 的 事務 

を 自決す る ことが 許されなくて はならぬ。 けれども 地方 的, 

の 圑體の 管理に ではなく して、 職業的 團體 または ある 一 派 

の 意見 を體 現す る 組織の ^«理 に歸, めさせなくて はならない 

事件 も 多々 あります。 東部に おいて は、 人々 は 彼等の 宣言 

する 宗敎 に從 つての 別個の 法律に 服從 します。 若しも 信仰 

に大 なる 隔 りのある ところに 自由の 外觀が 存在し なくて は 

ならない ものである とすれば、 この種の ある もの は 必要と 

されます。 . 

ある 事件 は 主として 地理 的であります。 例へば 瓦 新 や、 

水 や、 道路 や、 關税 や、 陸軍 や、 海軍の ごとき はこれ であ 

ります。 これ 等の もの は 地域 を 代表す る權 威に よって 诀定 



されて なくて はならぬ 如何に 面積が 廣大 であるに しても、 

地理 的 及び 感情的の 1 と, そのうちに 包含され て ゐる事 

件の 牲 質と によって 運命 を诀 します。 陸軍 または 海軍 は、 

小 地域が 軟爭を 防ぐ ことができない 以上 は、 全地 球の みが 

充分なる 地域と される のに 對し、 瓦斯と 水と は狹 小なる 地 

域 を、 道路 は 稍 ゃ廣き 地域 を 要求し ます。 

けれども 多くの 經濟 問題の ための 適當 なる 單位 は、 また 

さラ して 個人的意見と 密接な 闢 係の ある 多くの 間 題に おい 

ての 適當 なる 單位 は、 全然 地理 的の もので はない。 鐵 道の 

內部的 管理 は 前述の 理由に よ つ て國 家の 掌中に あ つて はな. 

ら ない。 況んゃ 無責任なる 一 派の 資本家の 掌中に あって は 

ならない。 唯 一 つの 民主的 體系 は、 鐵 道の 內部的 事務 を 鐵 

道從業 員の 掌中に 歸屬 せしめる ことであります。 これ 等の 

從業 員. か總 支配人 を 選 摩し、 必要と あれば 指揮者の 議會を 

も選舉 すべきであります。 賃銀 や、 勞働條 件 や、 汽車の 進 

行 や、 物資の 取得 なぞの 諸問題 は、 鐵道勞 働に 現に 從 業し 

て rO る 人々 に 責任 を 負へ る 集合 體の 掌中に のみ 歸屬 すべき 

ものであります。 

同じ 議論が 他の 大規 摸の ト レ— ヅ (同業) にも 適用が. でき 

ます。 擴業 や、 敏 及び 鋼 截 や 綿 やその 他の 如き ものが これ 

ぷ です。 英國の 職工 組合主義 は、 努 働と 資本と がと もに、 冰久 



の 勢力 11 勞働 組織の 勢力に よって 平等の 力にまで 到達し 

なければ ならない 永久の 勢力で あると 欺く ことにお いて 誤 

謬で あると 思 はれ. す。 これ は 私に は あまりに 穩 和に 過ぎ 

る ものと 思 はれます。 私が 提唱す る 理想 は、 攻治 上に おけ 

ると 同じく、 經濟 上の 領域に おいても、 民主主義の 支配と 

自治 政治と さう して 資本家の 手に 委せられ たる 權 力の 全廢 

とであります。 國 家のう ちに 勞働 する ものが 國 家の 支配に 

ついて 發言權 が あると 同じぐ、 鐵道勞 働 をな す もの は逮道 

攻 治に ついての 發言權 を もたなくて はならぬ。 事業の 發案 

を 雇傭者の 手中に 集中す る こと は 一 大罪 惡 であり、 その 同 

業の 大 問題に ついての, 被 使用人の 利害の 適當 なる, 分 前 を 

奪 ふ もので あ.^ ます。 

國 家社會 主義よりも 同業 自治の 制度 を もってよ りよき 解 

決 策と して 最初に 主張した もの はフ ラ ン ス のサ ン , チカ リ ス 

卜であります。 けれども 彼等の 見解に 從 へば 「同業」 は殆 

んど 今日の 國 家の ごとく 獨 立の ものでなくて はならない。 

か >- る 體系は 今日の 國際 11 係 以上に は 少しも 平和 を 進める 

もので はない、 - 人々 の 集合 體の 事務に おいて は、 凡て 大體 

にこれ を 內攻と 外 政との 問題に 區別 する. じがでさます。 攻 

治 上の. 一 體を 構成す るに 足る だけの 明嘹 なる 凡ての 集合 體 

は、 內部 的の 事件に ついては 自決 的でなくて はならない に 



ふ 一 しても ,7 直接に 外界に 影響す る 事件に ついては さラ であつ 

て はならない。 若し. i5 二つの 集合 體が 相互に 關涉 する 點に 

ついて 全然 自由で あると すれば、 危險を 防ぎ または 力に 訴 

へる こと を 避ける 方法かない。 人間の 圑 體の對 外的 關係 は、 

. できうる 限り、 中立の 威力に よって 支配され なくて はなら 

ぬ。 こ、 において か 別個の 同業の 間にお ける 關係を 整調す 

るた めに 國家か 必要であります。 一 定の 商品 を 造く る 人々 

は、 勞働 時間、 その 同業の 全 利 *^ の 分配、 または 事業 管理 

の 凡ての 問題に ついては 自由でなくて はならぬ。 けれども 

, また 彼等 は その 生產 したる 荷物の 價 格に ついては 自由で あ 

. , つて はならない。 何と なれば 價格は 社會の 他の 部分に 關係 

、 . する ものであるからで あります。 若しも 價格 について 呼價 

の 自由が あつたと すれば、 永久に 相 連る 危險 11 そのうち 

において、 社會の 存在に 最も 直接 必要なる 同業が 常に 不當 

の 利 をう ける ことができる —— . か 存在し ます。 力 は、 國 

家 間の 盧置 におけると 等しく, 經濟 上の 領域に おいても 稱 

接すべき ことで はな:;。 力の 最小限に おいての 自由の 晟大 

限 をうる ための 一 般の 原則 は、 「凡ての 政治的に 重要なる 圑 

體の內 部に おける 自治 權、 さう して 圑體 間に 關涉 すろ 問題 

を 決定す るた めの 中立" の 威力」 とい ふこと であります。 中 

の 威力 は 素より 民主的 基礎のう へに 立つ ものでなくて は 



ならない にしても • できるならば 當 該圍體 そのものよりも 

もっと 廣ぃ選 舉區を 代表すべき ものであります。 國際的 事 

務 についての 唯 一 の適當 なる 威力 は 凡ての 文明 國民を 代表 

したる ものでなくて はならぬ。 

か 、る 威力の 不當 なる 擴大を 防ぐ ために は、 各種の 自治 

圈が 相互に 各々 の 自由 を羡 望し、 且つ 政治的 手段に よって 

それ 等の 獨 立の 侵害 を 招絕 する の 用な §の ある ことか 望まし 

ぐ も あり、 また 必要で もあります. - 國 家社會 主義 は、 か. - 

る 圑體卽 ち 各々, ての 圑體に 責任 を ふべき それ 自身の 役人. 

を もって ゐる 圑體の 存在 を 許容し ない。 從 つて 画家 社會主 

義は、 その 園 體の內 部の i4 務を、 その 围體に 贲任を 負 ふこ 

となき、 または それの 要求 を 特別に 注意す る ことなき 人々, 

の 支配に 委せます。 これが 專制 政治と さう して 自發 力の 破 

壞 とに 導きます. - 是 等の 危險は 人 問の 凡ての 團體 がず t 略 を 

目的と せざる 限り、 他の 凡ての 目的の ために 結合す る こと 

を 許る し、 且つ 中央 權 力から その 目的 を 遂行す るう へに 必 

要で あると して か >, る 自治 攻を 要求す るの 體系 によっての. 

み 避ける ことかで きます。 各種の 分派の 敎會 は, ) の 實例を 

提供し ます。 彼等の 自治 權は幾 世紀 かの 戦^と 迫害と によ 

つて 赢ち えられた ものである。 それほどの 爭 11 をな さすし 

て經濟 上に 同一 の 結果 を赢 ちうる こと は 望ましき ことで あ 

ります。 けれども 如何なる 困難が あらう とも、 私 は 自由の 

重要 は 一-つの 場合に おいて 承認され たると 等しく 他の 場合 

二お いても 偉大なる、 ) とで あると 信じます。 



ss 




民衆 教育と 米: 

の 圖書館 

倉 橋 藤治郞 

ロ『圜 書 館、 博物館, 運動場、 僕 は 日本へ 歸 つてから 此の 

三つに 骨 を 折って 見たい』 之 は 私が 歸る 一 寸前 ブロ— ドウ 

ェ ー を 散歩しながら N が 私に 話した 言葉であった * 私 も 勿 

論 同感であった。 

□ 人類の 文明 は或點 l: 於 V- 造物主の 豫想 以上 Li 發 達して 居ろ か 

も 知れない。 然し まだ-., \. 無智で ある。 尠 なくと も 最近 著しく 無 

智 であった、 此れ迄 時代の 推移に 智識 有って 居た-.. -の, 文明 史 

上に 求めろ と 第一 に 资 家の 群れで あろ、 其 新 運動で ある、 後期 印 

象 汲で あ; y 未來 派で あ リ立體 派で ある。 

口 吾 々自然 科學 者も隨 1^ 永 い 間 <rfa . ^蒐め て は 法則 や 定義.;^ 製 

造して 居た が、 其 結果が 渉々 しくない ので 少し 前から 餘程 根本的 

に 考へ方 換え 出して 來た、 かはリ 出してから 幾年に もなら ない 

からま だ 自然 科學界 全體, ^動かして は 居ない、 自然 科學 者の 大部 

1^ はま だ 舊科學 の 復習 者で ある、 然し 大勢 は搖 いて 居ろ、 其の 搖 

^55は畫家の新運動と同じブ" ン シブ; - である。 

口人 類 1^ 無智よ リ救ふ もめ は敎 育で ある、 何時の 代 に でも 最大, 



事な 仕事 は敎 育で あろ * 

口 今日日 本で 最も 缺 けて 居ろ もの は K 衆の 敎 宵で もろ、 大人の 

敎育 であろ、 子供の 校外 敎育 であろ、 大臣、 員、 役人、 大學 

授, 資本家, 勞働 者、 軍人 等 あらゆる 職業,^ 通じて 敎育 1 ^必要と 

しない もの はない のが 今日の 有樣 である。 

□ 此の 敎育は 圆 書 館、 博物館、 美術館、 音 樂會、 劇場、 

運動場 等の 司る 敎育 である、 私 は 不取敢 こ、 に圆書 館に 就 

て 少し 述べて 見たい と 思 ふ、 殊に 過去 一 一年 問 私の 親しんだ 

米 國の圖 書 館の い 所 を 述べて 見 度い、 有りの 儘 を 述べれ 

ば 夫れ がい 》 所 を 述べ た 事に なろ 程 米 國の圖 書 館 はい S と 

思 ふ。 

□ ニュ ー ョ— ク市 共立 園 書 館 は 合衆國 でも 最も 完備した 

ものと 云 はれて 居る、 第五 街に 面し 西 四十 一 丁目から 四十 

1 一丁目の 間の 一 ブ 口 ックを 占める 大理石の ガッ シリ した 大 

建築が 夫れ である。 

□ 私が よく 出 人した の は 第 一 階の ェ 業圖書 館と^ 許 

iii であった が此外 美術, 科舉、 經濟, 攻府及 公的 刊行物、 

新雜誌 等の 各 專門圖 書 室と 一 般閲覽 室、 盲人 圖書 室, ^!晝 

陣列 室 等が ある、 何の 部 も 大抵 大同小異で あるから 一 寸ェ 

業圖書 館の 分に 就て 申 上け る。 

□ 正面 大理石の 階段 を 登 つて ドア を 押す と 人 ロ廣 間の 左 

側に 荷物 預 所が ある、 外套、 傘、 不用の 手荷物 を 預ける、 



中に § 聞の 讀み殼 を 預ける 者 も ある、 私達 はよ ぐ晝 

飯に 出掛 はる 時 外套 を 貰って 其 代りに/— ト類 ゃ手鲍 など 

を 預け、 晝 飯から 歸 つて 又 外套 を 預け ノ I トを 貰って 圖書 

室へ 行ぐ 事に して 居た、 夫れ を 淡白に 「私晝 飯に 出る から 

1 寸此ノ ー トを 預かって 貰 ひたい」 と賴 むと、 守衞 のお や 

ぢはォ I ル ライトで 快く 外套と ノ— トを 交換して くれた。 

13 何の 圆 書 室の 入口に も 署名 帳が 一 册宛テ —ブルの 上に 

戴って 居る、 夫れ にす ぐ 署名す る、 T. Kurahashi, 536, W. 

112 St., New York …… 之で 讀者 としての あらゆる 權 利が 

生じる 譯 である。 町名 や 番地 は 書かない 者が 多い 位で ある • 

□ 署名が 濟 めば 書籍 閱覽の 順序で あるが、 力— ドで繰 出 

しても よし、 又 自身 書棚から 勝手に 持 出して 來ても 少しも 

差 支へ ない、 之 は 私達が 圖書 館に 親しむ 第一の 原因で あつ 

た。 册 數部數 にも 制限がない、 唯 之 を 元の 位置に 返さない 

で 其 儘 机の 上に 積んで おいて くれと 云 ふ 事が 注意され て あ 

る、 勝手に 始末され ると 書物の 配列の 狂 ふ 虞れ が あるから 

である。 之 も 私達の 非常に 氣持 のい、 注意であった。 

□ 力— ドで繰 出した 時 は閱覽 用紙に 書名、 册數、 番號、 

本人 住所氏名 を 書 入れて 館員に 渡す ので あるが、 用紙 は 一 

册 一 枚 宛で 其 用紙 は 使用 濟の上 自分で 貰って 持って 歸る 事 

出來 るから, 私達 は豫め 箱の 內に 積み 上け て ある 用紙 を 



百 枚 許り 貰って おいて 重 US な參考 書類の 圜書館 用 力 タ 口 グ 

-を 作って. ネ ケット にもって 居る 事に した、 必要に 應 じて 圖 

書 館へ 行く、 ポケットから 讀み 度い 書物の 閲覧 用紙 を引拔 

いて 館員に 渡す、 館員 は 書物と 共に 用紙 を 返して くれる、 

用紙 は 再 b ポケットに 仕舞 はれる と 云 ふ 順序で ある、 之 も 

私達に は此上 もない 便利であった。 

□ 書物 を讀ん で 居る うちにい 、文句の 所が ある、 又 雜:! 

の 寫眞圖 面な どで 取って おき 度い ものが あろ、 此んな 場合 

に は圖書 館の 方で 一 頁 十一 一仙 半から 1 1 十五 仙で 寫眞 印刷 を 

して くれる。 此れ も 私達の 樣な 職業の ものに は 八 錢 にかへ 

られ ない 便利であった。 

ロ讀 者の 種類 は 勿論 區 々である、 女が そ の 位の 割合 に な 

るか 判らない が、 假に 工業 圆書 館に 平均 五十人の?,? I 者が あ 

りと して、 七 八 人位 は 女で ある、 工業な どで そうだから 他 

の 部 は ズッと 多い、 工業 圆嘗 館に は 職工 も 可成り 多い、 何 

時 か 一 人の 青年が 新聞の 切拔を 持って 私に 相談 を かけた 事 

があった、 それ は戰 場に 於る 日本製 ポケット、 スト —ブ (懍 

爐の 事) と 一 ふ 題で 日本の 懷爐 を稱揚 し、 其の 供給 不足 

なる 事を訴 へた 記事であった、 靑年は 之に 興味 を もち 一 ェ 

夫す る 積り で圆甞 館へ 來て 私を發 見した ので ある、 彼はブ 

ルック リン の 或 工場の 職工で 工夫が 出來 た, ら 社長に 相談す 



る 積り であると 評して 居た。 

□ カタログ もい、 組織に なって 居る、 大 SB は 種類 別と ァ 

フ アベ ッ ト 別と であ ゐが、 便利な 事 は單行 本のみ ならす、 

雜 誌の 主要な …… 長短に 拘 はらす 內容の ある …… 記事が 獨 

立して 分類 配列 せられて ある 事で ある、 之に 就て 私自身に 

I つの 話が ある、 私 は 渡米 するとす ぐ 「日本 副産物 骸炭ェ 

業 最近の 進歩に 就て」 と 云 ふ 一 文 を 化舉及 冶金 雜 誌に 投書 

した、 之 は餘り 自信の ある ものでなかった か、 やがて 紐 育 

公立 圖書館 工業 圖書 室の カタログに 之が 出て 來 たに は少々 

極り が惡 かった リ 

口 序に 此 事に 就て 今 一 言したい、 私は此 一 文 を 私の 米國 

旅行に 對 する 紹介 文の 代りに 書いた のであった、 從 つて 原 

稿料 を くれる ものと は豫 期しなかった。 所が 翌月に なると 

發行 所の マグ Dl、 ヒル 出版 會 社から 十五 燕の 小切手.^ 送 

つて 來た、 此雜誌 は權 威の あるい 、雜 誌で あつたが、 寫眞 

共 一 頁 半に 十五 弗 くれる とすれば、 一 頁 日本の す幣で 二十 

圆 である、 私達の 書く 日本の 工業に 關 する 雜誌は 大抵 一 頁 

五十 錢 である。 

は つ きり 

□ 日本と 合 衆國の 生活費. かどの 位 達 ふか 判然 知ら. ない、 

此 頃の 樣 子で は 一 1 倍から 三倍 位の 間 だら うと 思 ふ、 一 升& 

/ 十 餞 近い 米を盒 ひながら 一 冥 五十 錢の 工業 雜誌 などに 原稿 



を 書け ないから、 私 は 此れから^でも あれば 外國 の雜; レー 

物 を 書かう と 思 ふ、 すると 又 事大主義な 日本の 技師 か 一 歷; 

熱心に 讀んで くれる かも 知れない、 それとも 反感 を 起して: 

讀 まない かも 知れない。 

口 經濟室 は 新聞の 切 拔帳を 非常に 豊富に もって 居た、 之 

も 非常^ 便利で ある、 新聞の 切拔の 整理に 二三 人の 娘 か 働 

いて 居た。 

□ d 害 館員に 若い 女の 多い 事 もい. -事 である、 圖書 館員- 

が 私達と 同じで 水平 綠に立 つて 居る、 而已 ならす 大抵 は特 

別の 境界の ない 閲覽 室の 一 角で 仕事して 居る 事も氣 持の い 一 

い 感じ を與 へ る ものである、 ライブ ラ リブ ンが 多い 力ら 勉- 

强の 相手に もな つて くれ 一 一三 分の 話 相手に もな つて くれる 

やがて 少し 顔馴染に なれば 其 娘 達が 出會 頭に 『お早う、. i 何 

です か』 と 挨拶し なから ャ ン キ ー の 娘に 得意な 快活な 身 振 

りで 迎 へて くれる 樣 にもなら う。 一 

口田 丸と 云 ふ理學 博士が あろ、 日本の 科 學界の 新 運動の 先 1^ に 

立つ 化學 者の 一 人で あるが、 此人 など は 終 ひに 此圚書 館の 特許 圆: 

書 室,^ 自分の 事務所 並に して 終 • つた、 下町から 特許 圆書 室へ 電¥_ 

なかけ て 「ド クタ ー、 タマ V か 居ます か」 と尋れ ろと 館 負の 娘が 

皁速田 丸さん 呼んでくれ ろと 云 ふ 仕掛で ある、 此田 丸さん は 口 

1 マ 字の 方で はない、 弟の 方で ある。 一 

□ 公立 園 書 館 もいて か 私達. か 一 層忸ん だの は 西 三十 九 丁 一 



ュ |ャ* チヅ it ズン f-lT リンゲ *ゾ サ., -1 'イス , , 

,6^ 目の. 聯合 技術 會 館の 十三 階に ある 技術 協 會圖書 

館であった、 夏の 晝 など ハドソン 河から 吹き通す 風 を 向け 

る 時 は暑氣 知らす に 日中 を暮す 事が 出來 た、 私な ど は 

になる とよく 仕事 を もって 此處へ IT つた 事が あった。 

口 此處は 公開と 云 ひ條、 餘り 一 般的 でない 爲め讀 者が い 

つも 十五 六 人 を 超えない、 之に 對 して 圆書 館員が 十 人餘り 

も 居る だら う、 彼等 は 男 も 女 も 大抵 大舉を 出て 相 當の敎 養 

と 領解 を もって 居る、 又 わざとら しくな く 親切で ある。 

□ 此處は 公立 圖書 館より 尙ほ 自由で ある、 特に 雜; tt が 多 

數に 且つ 古くから 蒐 めら れて 居る 事が 非常な 便利であった 

日本の 雜; }^ も 十 種類 位 はあった、 勿論 自由に 持って 來 てい 

いので ある、 

□ 1 般の閲 覽 用テ— ブルの 外に 各 書棚の 橫に 小さい 机と 

椅子が 1 1 脚 宛お いて あるの も 非常な 便利であった。 

□ 此處 でも 力— ドは よく 出來て 居る. か、 尙ほ 無精 者ゃ不 

案 內な者 は ライブラリアンに 私 は 何々 の 問題 を 調べたい と 

云へば 其 娘 達が 早速 ォ ー ル ライトで 英、 米、 佛、 獨 等各國 

で 出版され た 其 問題に 關 する 書籍、 雜誌、 報告 等 を 自分の 前 

迄 運んで 來て くれる、 之 も 面倒 だと 思へば 規定の 料金 を拂 

へば 圆書 館員が 代って 調査 をして くれる 方法 も ある。 11 

口 オペ ラの 時間 を 待合せ る 爲に此 圆 書 館に 腰 を 卸して 居 



たタ があった、 私の 手に は オペ ラ 役者の 寫真. かあつた、 フ 7 

ラ ー、 アル ダ、 三 浦、 ガ. -リ ー、 バグ ログ ァ などで おった と 

記憶す る、 夫れ はミ シ ュ キ ンが 撮った の を わけて 貰った の 

であった へ ロシア 生れの 圖書 館員の 娘 は、 故國 から 來た世 

界 的に 名高い 踊 子の バグ ログ ァの 自慢 を 始め 出した、 私 は 

何でも 其の 娘に ギリシア、 ダンスの 話 をした と 思 ふ、 人間 

美 は 裸體に 在りと し 道德の 許す 範 圍 に 於て 裸體に 近い 扮装 

で 踊る ギリシア、 ダ ン スに のみ 見る 真の 人間ら しい 表情 に 

就て 話した と 思 ふ、 時間が 迫って 私 は 匇惶ェ レ ベ ー タ —で 

街へ 下って 行った、 圖誊 館員が 此んな 餘裕と 自由と を もつ 

て 居る の は 館員の 爲 にも讀 者の 爲 にもい. - 事で ある。 

□ ワシントン の 會圆 書^も い.' 圖書 館で ある 攻治 、 . 

法律、 經濟、 社會、 勞働、 農業 等に 關 して は 米國 第一 であ 

る、 建物の 装飾 は 非常な 金ビカ 物で あるか、 内部 は 極めて 

自由で、 書庫の 中もパ スを 貰へば 容易に 出 人され る、 バ ス 

は 事務所で すぐ くれる、 私 も 一 週間 通った 事が ある、 萬 事 

が 署名 一 つで 事足りる。 

口 此處の 支那 圆 害 室の 如 さは 前^ 皇室の 寄贈 書籍.^ 始め 非常に 

貴重な ものが 夥しい。 

口 特許 闥書 館む ェ樂家 に は 非常-」 い- -、 ^は ワシントンへ 行く 

度: i 此處で 時間の 半ば 1^ 費した、 此圆書 館の 事は此 頃の 『發 明』 

(帝 國發明 協會發 行) と 云 ふ雜誌 に 詳しく 書 いてお いた。 



□ 昨日の 夕刊に は 日本 阖書館 協 會の大 會で德 川賴倫 氏が 演說 八. 

して居る寫眞が載って居^^ 私は德 川さん 始め、 日本の11¥^*..€ 

Li 關 係の ある 諸君に、 日本の 圖書 館の 何虔 にい. A 所が あるか;, • • 

みが あるか 1^ 聞き 度い、 叉 裁判所と 圆書 館の 空氣 とに 何. I- 二 

が あるか 聞き 度い。 

. 口 生活の 疲勞に 困 想せ る 見る から 不快な 容貌で 請. ケ -11 

眼す る 館員、 傲然と して 所謂 慈善 を 施す 積り か 何 4 ,ネ を 

受渡す る 館員 以下 小佾、 下足番 等の 厘 人から 閱 手 „\:: から 

何から 何 迄、 人間 を 不愉快なら しめねば おかない 空 氣の裡 

で、 あなた 方. か 本 を 讀む氣 が 出る かどう か を 問 ひ 度い。 

たから 日本の 圆書館 は 辯 護士、 醫者、 藥劑師 の 試驗を 

受ける 書生と, 小 說ゃ雜 書を讀 みに 行く 者と、 化擧 工業の 本 

を讀ん でうまい 金儲け.^ し 度い 男との 巢 になろ ので ある。 

口 日本の 何 處に物 を 少し 突 込んで 調べ 得る S 書 館が ある 

か、 假に 書物が あっても 此を 自由に 調べ 得る 圆書 館が ある 

か 何 處に氣 持よ く 勉强の 出 來る圖 書 館が あるか、 私達 は 日 

本の 圖書 館に 就て、 其の 設備と 館員. から 得る もの は、 唯 

不快と 反感と 時間の 空費で ある • 

□ 德 川さん が 何と 演說 し樣と 『高き 家に のぼ リズ 見れば 煙 立つ』 

的な 領解 i リ もって 居ない 圆書 館關係 者の 云 ふ 事 Li 何の 權威 もな 

い、 一 體 あなた 方は自 li^ で圖窨 館の 讀者 Li なる 事が あるか どうか、 

タ 時々 は 木綿の 着物で も 着て 何 處の圃 書 館 へ でも 這 入 つ て 乞食 扱 ひ 

5 や 盗賊 扱 ひされて 見る 力い \た らう。 



□ 之 は 公開され た圆 書^で あるが、 學校內 の 園 書 館 も 大同小異 

である 

口せ めて 一 つ 位 は、 氣 持よ くはいって 氣 持ちよ く 出られ 

ろ 圆書館 を 欲しい、 其處で 大臣 も 勞働者 も 軍人 も 資本家 も 

技師 も 愉快に 勉强 させ 度い、 もう 小手 利きの 時 は 去った * 

勉强 家の 時代 か來 た、 頭の い、 人間で も勉强 しない 者 はだ 

めに なって 來た。 (四月 十一 一日) 



「社會 主義と 民主主義」 

發行 につ いて 

批評 社で は 今回い よ- \ 「民主主義 叢書」 の出饭 にと りか、 

る、、 ととな リ、 その 第一 編と して、 每號 本誌に 長 篇の諡 文 1^ 寄 

せらる >- 室 伏 高 信 氏の 新著 「社會 主義と 民主主義」 發行 する 

ことにな りました 第 一 版 は 五月 十日 LL 發 行され ます。 內容は 

「社會 主義と 民主主義」、 「社會 主義の 煩悶」、 「過激 主義と 民主 主 

義 J リン コ ー ンの 民主主義」、 「民主主義の 諸 象」、 「デモ クラシ 

1 の 新 理想」、 「軍國 主義の 社會戰 J 等み な 著者 苦心の 作から 戎 

つて ゐ ます。 (定價 八十 五錢 送料 四錢) 



40 



◊ 社會 主義 民主 主 

義勞働 組合主義 

▲ 「北米 評詭」 と い ふ 雜誌は lil 札付きの 共和 

黨の 機關雜 誌で ぁリ ます。 その 三月 號に、 

主 肇のゲ ml ゲ. ハァゲ H ィ 君が 害いて ゐ 

ると、、 る は 素敵 Li 面白い。 

▲ 「肚會 主義 か アメリカ 主義 か」 —— 與. 味 多 

い 樣題は 何 1^ 示して & ると 思 ひます か。 ゥ 

ヰ^ ソン 11 社會 主義。 共和 黨 11 ァ メリ 

力 主義。 彼れ の 結 翁 は 1^ めて 無造作で ぁリ 

ます。 日本の 反動 波が、 , 民 主 主義者 非國 

民 だとして 排斥す る やう Li ヂ ヨウ ゲ. ハウ 

ゲ H ィはゥ ヰ か ソ ン 大統領の 政策と 權 力と 

排斥す るた めに • 彼れ は社會 主義者 だと 

申して ゐ ます。 

▲ ある 意味から いへば、 ゥヰ か、 ノン は ilSLL 

社會 主義者であります。 彼れ の國際 主義 は 

獨 逸の H- ベルト や シャイ デマ ン なぞに 比 

ベる と遙 に 微 底した もので も あるし, 彼れ 

の デモ" ラシ, は、 古る い 意味での ポリ チ 

カ^ • デモ クラシ, ではなく して 可成 リに 

深く ソ. -シァ かの 領坡に 突入して もます 



▲ だから 「* 米 評論」. お ゥヰか ソ ン の 政策 

批評して 社 首 主義の 政策で あろと 論す る、、 

と は、 iJ^J^ 的 偏見 拔 きにして、 味 ひ 深い 議 

諭 だと 思 ひます。 ^くと も 彼れ の 立場 は勞 

働^ 級のう へに 立って ゐ ます。 それ に も か 

か はらす、 福 田 博士が ゥヰ ルゾン もって 

矢 張 リブ か ジョァ の 政治家で あると 見て 居 

られる こと は、 博士と して は あまり 不公平 

な 議論で はなから うか。 

盍タ ヰ ^ソンと 幷 ベて 興味の 多 いのは ゴ ム 

パァス であ リ ます。 勞傲 組合 聯合 令の 

會長サ ミュ H か,. コム パ ァス は米國 切って 

の勞働 者の 一 大 指導者。 三百^の 組合".:^ は 

彼れ の 卓越せ る 指導に 服して ゐ る、、 と旣に 

久しい: とであります。 

▲ その ゴ ム パァス はま-^ 大 の社會 主義 嫌 ひ 

11 彼れ の 一 一 大敵 國は资 本家 社會 主義者 

である, いはれ てゐる 位です。 

▲ 昨年、 ロンドンで 聯合 國社舍 主義者と 勞 

働 組合 代表者 の 大,^" が 開かれ;: ことがあ リ 

ます。 ゴム バァ ス,. ^素より: の大會 Li 出 

する 辔で あつたと: ろ、 どうしても ゴ 厶パ 

ァスの 額が 見えな, い。 大會の 方で は大 Li 心 

配, J て ゴム パァス のと、、 る へ 使 ひ, 出して 

見れ と、 るが ゴム パァス の 曰く 「わし は 案 



內狀 1^ 受取って ゐ ないひ」 

▲ そんな 啓 はない と 折り返して 尋ねて 見る 

ゴ ム バ ァスは しさった もの だ, - 『何 か案內 

狀が來 ろ、、 と はきた 。だが それにば 『聯合 國 

ァ trvj ドソ シァ リスト n ムファ レンヌ 

社會 If ^ 議」 と 書いて ある .: わ 

し は肚會 主義者で は 御座らぬ』 

▲ 使 ひが ろ < ンダァ ソンが 手落ちで わつ 

たといって いくら 謝 i 非し 一/も、 1^ として 應 

じなかった のが ゴ ム パ ァス。 『わしば 社會主 

義と いふ 字, „ ^見る だけで お持ちが 惡ろ い 

▲ 彼が 口 ン ドンから 米國 つ 广、 演說し 

たと ころ Li よると, 相變ら すの 社 < ^主義 攻 

擎、 『アメリカ 勞働 組合 ほど 勞働 者の 地位と 

利益と 進 力る ために 有効に 働いた ものが 

何 處の國 LL あるか』 

▲ か うい ふわけ で勞働 者の 指 5^ 者と しての 

ゴ ぶ パ ァス は社舍 主義が 縱ひ、 政治 運動が 

接 ひ。 だが 併し アメリカの 勞働 組合む • シ 

カゴ 中心として 勞働黨 の 組^の 機 が 次 

第に 熟しつ 、あります。 ゴム バァス はこの 

政治的 耍 求の 機 述 1„ ^どうす ろつ,. -リ である 

か。 何れ-ししても アメリカ における 勞働運 

動の 前 5^ は餘程 興味の 深い もの だと 思 ひま 

す。 (5 



過激 主義と は 何 

んぞゃ 

K 生 

一、 起原に 就て 

□ 過激 主義 を 代表して ゐる もの は、 今日に おいて は ボル シ 

ェ ヴヰズ ム であります。 そ、 のボ ルシェ ヴヰズ ムの, ) とに つ 

いて、 三月 號の アメリカ 努働 組合 聯合 會の機 關雜誌 A ョ eri 

can Federationist に 可成り 興味の ある 記事が 載って ゐ ます、) 

ロボ ルシェ ゥヰキ が 一 九 〇 三年の 社會 民主 黨會議 から 生れ 

たもの 11 社會 民主 黨が 多数派と 少数派と に 分れて、 この 

多 數派を ボル シヱヴ ヰ キと稱 する ものである こと 何人 

も 知って ゐ ると, J ろと 思 ひます。 

口 少數派 JVIenshiviki と 多數派 Bolsheviki との 相違 は、 そ 

の 初めは 單に黨 派の 作戦上の 意見の 相違で あるに 過ぎな か 

つたので あるが * ボルシェ ヴヰキ の 方 はだんく と 過激と 

なり、 遂に 極端まで 行かなければ ならない もの 卽ち whole 

"一 hpgger どなる ことにな りました。 



□ 少數 派の 指導者 はグレ ファノ フ、 彼れ は 議會へ も 人つ 

て, ブル ジ ョ ァの 議員 連の 間に 交遊す る, 〕 と を も 避けな か 

つた ものであるに 對し、 多数派の 首領 レ— 二 ンは斷 乎と し 

てこれ を 避けました 

口 プレ ファノ フ は 貴族です。 レ— ニン は 猶太 人です。 それ 

から ト 口 ツキ— は 初めは 小數 派に も多數 派に も關 係. かなく 

その 中間に あって 兩 派の 調停に 力して ゐ たもので す。 

一 一、 勢力 をえ た 理由 

□ 過激派 は 何處に 口 シ ァ におい て 勢力 を 得た か 。『平和と パ 

ン と 土地と を與 へ たからで ある o』 口 シ ァ の 人民 は 何よりも 

先き に戰 爭に慊 き、 パ ンに飢 ゑて ゐ ました。 彼等ら が 土地, 

をえ ようとす る こと は、 その 傳統 的の 志であります。 革命 

とい ふ聲 は、 口 シァの 農民に とって は 土地の 分配 をう ける 

問題で あると 考 へ ら れてゐ たと も 言 はれて ゐ る位ゐ です。 

口と ころ. か ミリ ユウ コ フの 政府 は 土地 を くれない。 平和 を 

與 へない、 パン を與 へない 。人民 は 素より 満足す ると.. かで 

きなかった。 ケ レンス キ— の內閣 もまた 大體 ミリ ユウ コフ 

の 內閣と 同樣の 態度に 出で た。 それ ゆ ゑに ロシアの 農民 達 

から 見る と. 革命と いふ こと は 何の 役に もた > 'ない。 革命 

師に欧 かれた とい ふ 感じ を もつ やうになる。 



口 この 後會に 猛然と して 頭 を籩: b てきた もの は ニコラス、 

レ 1 二 ン であります 。レ オン • トロッ キ— は 急 s« 口 シ ァに歸 

つてき ました 。『土地と パンと 平和」 11 ボル シヱグ ヰキの 

三 大玫策 は、 何もの よりも 口. > ンァの 民衆に は 適する ものと 

して 迎 へられる に 至った のです。 さう して 勞兵會 全 露社會 

主義 聯合 共和 國と いふ 恐ろしい 長い 名の ロシア 國が できあ 

がった のです。 

□ それが 一 九 一 七 年 十 一 月で あるから、 過激派の 治世 は旣 

に 一 ケ年 半になります。 その 間に 聯合 國 からい ろくの 壓 

. 迫が 試みられた. か 少しも 動搖 しない こと だけ は事實 であり 

從 つて それが ロシアの 人民に は 適した ものと して 受取ら れ 

てゐる こと もこれ を事實 として 認めなくて はならぬ 11 夫 

程 ロシアの 人民の 多數が 愚昧 だと もい ふ,. がで きませ う。 

三、 その 憲法 

口 過激派 は ともかくも 土地と パ ンと 平和と を與 へる? J に は 

成功した と 言はなくて はならない。 彼等 は その 執攻の 初め 

の 憲法 會議 では 見事に 失敗した がそん な會議 なぞ は、 過激 

派に とって はた 5- ブル ジョァ の機關 であるに 過ぎない。 忽 

ちそれ を 一 蹴して しまった のです。 彼等の 新政 治 はこれ か 

ら 始まります。 



□ 先づ 興味の 多い のが 彼等の 憲法です。 彼等の 憲法に よれ 

ば、 口 シァ 共和 國は 『全 口 シ ァ勞働 者の 自由、 社會 主義 的 社 

會』 と稱 せられて ゐ ます。 卽ち 全人 民の ロシアではなくて 

勞働 者の ロシア、 勞働 者の みの ロシア 共和 國 であります。 

, J の 點が新 憲法の 基礎であります。 

□ その 憲法に 從 へば、 ロシアの 玫治 を分擔 する 權利 11 選 

舉權を もって ゐる もの は、 勞働 者、 工業 • 商業、 農業 其 他に 

從事 する 被 使用人、 地代の ためにす る 賃銀 勞 働の 契約 を さ 

なざる 農民、 並に 陸海 軍の 兵卒 だけに 制限され てゐ ます。 

だから 縱令 一 人たり とも 人を展 入れて 農業 をす る 農民 11 

小さき r ブ ル ジ ョ ァ』 は 選 攀權を もって ゐな いこと > 'なり ま 

す。 農民に 限らない。 苟 くも 他人 を 雇 入れて 仕事 をす る も 

の は 選 舉權を もつ こと はでき ない。 資本 や 企業 や, 財産の 

利益に よって 生活す る もの は 無論 除外され ます。 

□ けれども これ 等の もの を 除外す る もの は、 た > 今日に お 

いての みとされ ます。 過激派の 理想が 實 行され る 場合に は 

1 切の 寄生 蟲 がなくなる。 凡ての 人民 は 自己の 額の 汗に よ 

つて 生活す る。 然り、 勞 働が 强 制される。 軍事的 强制卽 ち 

徵 兵の 代りに 一 般的 勞働强 制: か 行 はれる。 

□ 凡ての 土地 は國 有と 宣言され ます 無償で 土地 は勞働 者の 

自由に、 且つ 平等に 使用す る もみと されます。 鑛山 も鐵道 



も 農業 機關 もみな 國有 とされます。 過激派の 憲法に さ、 フ宣 

言され てゐ るので す。 

ロ從 つて また 敎師 や、 敎授 や、 商人 乎、 銀行家 や、 制 造 業 

者 や、 使用人な どと いふ 「寄生 蟲』 は 一 切 消滅す る わけで あ 

る — r 新ら しい ォ— トク ラシ ー だ』 と American Fcderati 

onist のうちに 書かれて ゐ ます。 

) ) /1 /))\« it \ 

國 家社會 主義 運動 

『一』 

1 九 一 六 年、 米國に 於て 或る デモ 舉 者が、 戰後 頻りに 必 

す 大いに 國 家社會 主義の 起るべき 事 を說述 した 書 册が顯 は 

れ たが、 事 實は米 國に顯 はれす して、 反て 日本に 於け る 社 

會 主義者の 分裂の 中に 早く も此 傾向 を 見る 事が 出来る。 

而 して 日本の 國 家社會 主義者の 中に 見られる 特徵 は、 自ら 

を Socialism と はすに、 National Soci alis ョ と 呼んで 

ゐる 事で ある。 National とい ふ 言葉の 背後に は 皇室に 對 

する 尊崇の 心が 見え る。 反逆 的氣 分よりも 寧ろ 愛 國的氣 分 

の^^^ち溢れてゐるのを思はせる。 11 國體 論より 來 る顛擊 

4_ に對應 せん.. J する の 準備 は 、妙く とも • 其 左右に 韓す べき 



口, チック の 許す 範菌內 に 於て 到れり 盡 せりで ある。 

『二』 

社會 主義が 其 理論の 世界から 實 行の 世界 へ 移らう とする 

時、 其 虚には 多くの 讓 歩と f とが 生す る。 然し、 此の 讓 

歩、 此 i を 以て 墮落 であると いふ 論理 は 成立し ない。 

ファ アディ ナン ド、 ラサ ー ルは國 家と 皇室 を 武器と する 

事に 依て 社會 主義 運動の 基礎 を 築いた。 — 苟 くも 如實の 

實際 運動と して 顯現 する 時、 社會 主義の 攻治 運動に 顯 はれ 

る 形式 は盡 く國 家社會 主義で ある。 見よ, ボル シヒ ヴィキ 

の 施設 すら、 極端なる T-lten-ationalism を 標榜して、 而も 

猶、 其實行 手段と して は、 國 家に 便て、 政權 獲得 をす るよ 

り 他に 方途 は 無 か つたで はない か。 

日本の 國 家社會 主義者 は、 其 立場 を 決定す るに 當て、 經 

濟 上に は マルクス主義 を應 用し、 政治 上に は- 社會 改良 主 

義の 精神 を 以て 行かん とい ふ 事 を 明言した C — 此 意味に 

於て 日本の Notioiiol Sacialiot の 爲す所 は 首 ふ 迄 も 無く 一 

つの 方便で ある。 

此處に 於て か、 問題 は、 その 方便が、 何處迄 徹底し 得る 

かとい ふ 一 事に 屬 しなければ ならぬ。 唯 彼等が 何處 迄其哲 

理 と共に 進み、 何處迄 方便に 依て 左右 さる、 かとい ふ 一 點 



^. に 就ての み 彼等に 針す る價値 批判 か爲 される であら ラ 

『三』 

日本に 於て、 國 家社會 主義に 對 する 體系的 理論.^ 最初に 

發 表した もの は、 砂く とも 私の 知れる 範 園に 於て は 山路 愛 

山 氏で ある。 其 山路 愛山 氏に 從ふ時 は、 國 家社會 主義者 は 

國 家が 其 最高の 使命た る 共同 生, 活の 實を舉 けんがた めに は 

便宜の 爲め 人民に 與 へたる 權利 を回收 して、 自己の ものと 

爲し 得る とい ふ 事 を 唯 一 の信條 とする。 かくて 日本に 於け 

る國 家社會 主義の 基礎的 理論 は 大體に 於て 山路 愛山 氏に 依 

て 形成され たものと 雷っても 差 支 無い。 

ベ ルンス タイン は、 マルクス を 抛つ は社會 主義 を 抛つ 事 

に 非す と 首 つ た。 然し 乍ら 國家 社會 主義の 理論的 基礎に 於 

て マ ル クス說 を 放棄す る 事 は 絕對に 不可能で ある。 

『四』 

力 I ル、 カウ ツキ I は 言った 。『マ ルクスの 造 就した 舉理を 

征服 せんと 欲せば、 マルクス の 造 就した る實際 方面の 勝利 

を 期す るの 外 は 無い。 凡そ. 如何なる ¥ 者 も, 舉者 としての 

マルクス に 打ち克つ 事 は 出来ぬ。 輋者 としての マルクスに 

打 勝つ 者 は 唯 8§ 家 としての マ ル タス あるの みで ある OJ 



新の 如くして 國 家社會 主義者 は • 窒際 家と しての マルクス 

に 到達 せんとす る 努力 を 《もしう して は 何等の 意義 を 有せ ざ 

る ものである。 一 國 冢社會 主義者 は 言 ふ。 『吾々 は 所謂 マ ル 

一 クス 派社會 主義者に 對 して、 多大の^ 敬 を^む 者で は 無い 

彼等 も 亦國家 に よ り 社會主 者 を實行 せんとす る ザ^ 味に 於 

て國 家社會 主義者で ある。』 更に 言 ふ T 吾々 の 的 は、 i 永 

をして 國 家の 自衞 上、 資本主義の 廢生、 國營主 の 赏現を 

斷 行せ しむる に 在る" 而 して、 其手段は首論文^:^に依る舆 

論の 覺醒 と、 立法 部に 於け る 一 般 民意の 發 動と である" 

勿論 吾々 は國 民の 總 てが 吾々 の 主張に 貧 成す る 者と は 思 は 

.i^ い。 若し 不幸に して 吾々 の 主張の 賛成者が、 國民 中の 多 

數 者た る無產 階級に 獨 占され、 吾々 の 主張の 反對 者が 國民 

中の 少数者た る 有産階級に 集中 するとい ふ 狀悠に 立ち 到る 

ならば、 吾々 の 蓮 勳は勢 ひ 階級 11 爭の 色彩 を帶 びて 來 る。」 一 

と。 此 一 語 は國體 論から 来る 鑒擎 と、 マ ル クス 主義者から 

起る 批難に 對 する 安全瓣で ある。 然 らば 此 安全瓣が 日本 現 

在の 政府 者に 對 して 如何なる 程度 迄應用 出來る 乎。 — 吾 

等の 興味 は總て 此の 一 點に存 する" 

若し 此所說 が 猶危險 として 容認され すと すれば 日 木 は 或は 

ソ ー シァ リズム の國と 成り 得る も、 畢竞ナ ショ ナル、 ソ I 

シァ リズムの 國とは 成り 得ないで あらう。 (<1 厶 △) 



レ レ 

^ 才 ヒ' 
I ブ ュ 

ス I 



デ モ ク ラ シ ー の 迷惑 

=大 學敎授 的 識見の 一 實例 = 



太陽の 四月 號は、 早大 敎授 帆足理 一 郎君 

の、 『デモ クラシ ー の 意義』 なる 論文.;^ 褐げ 

た、 此 1 文 は デモ クラシ ー に對 する 曲解 淺 

解の 最も 大膽 なる 表現で ある。 吾人 は 新の 

如き 意見、 並び u 解釋の 存在 Li 封して は、 

何等の や 4 義,^ 認めない 者で あるが、 僅 lis 

解され たる デ せ グ ラシ 1 の 一 赏 例と しズ、 

其 迷惑の 爲 めに 聊か 辯 じ 度い と s,^ ふ。 

二 

帆 足 君 は 民衆 政治 難 じて 曰 はく 、『デ モ 

クラシ ー は 愚民 政治で は 無い- 多数 政治で 

は 無い。 そ は多智 政治で ある。 多贤 政治で 

ある。 カァ ライヤ n はく、 展史は 英雄の 

記で あると。』 又 曰 はく、 『ぼ 3; 明なる 指導 * に 

自發的 Li 服從 する 事が 民本主義 であろ』 と。 

帆 足 君 は 以上の 見地から 龙 I, 通 選舉. ^批難し 

(一 三 八 頁 上段) 天才 主義 高潮して ゐる。 

5 而 して、 綾いて 聲朗 かに 叫んで 曰 はく、 『プ 

ラト- れ Philosopher お ing,.^ 其 共和 國 め M 



想と し-^。 希く ば盟 者,^ して 吾等の 指導者 

たらしめ よ。 而 して 吾等 は 聖繁の 指導に 從 

て 吾等が rM 常の 生活.^ 改善し 行かん。 — 

されば-お:! 通 選舉ゃ 多数決の 如き は、 民 本 主 

義の耍 件で は 無い。』 と。 然し 乍ら、 ブラト 

,の; ァ モク ラシ, -LL 對 する 批難 は 彼の 政治 

哲舉の 根本 問題で は 無い。 彼の 哲人 政:! 川 

以て K ちに デ モ ク ラ シ ー 其 自身の 批難で あ 

ると 解す る のが もるなら に、 彼 は 徒らに 

政: is 學に對 すろ 無智 と 無 一 百 と,^ 表明す る Li 

過 >r 、な い であらう。 

デ モク ラシ, に對 すろ プ ラト ー の 批難が 

主義と してに 非. でして、 単 に赏 行 上の 問题 

に 過 >p なかった 事 は旣に 明 過 >r」 る ほどに 

明瞭な _EHS; ではな いか-, (此 寧に 就て は 稿. 

改めて 述べろ 機會が も らう。) 11 帆 足^ 

依て 解釋 せられ、 而 して 帆 足 君に 依て 利用 

せられた る プラト ー は、 プラト ー.211 身と し 

\ ^も 甚だ 迷惑で あらう。 

三 



帆 足 君に 依て 決定せられ たる デモ クラシ 

,の 意義^ 耍 する LI 哲人 政治で ある。 善政 

主義で ある。 帆 足 君は資 者の 指導, ^要求す 

るが * 然 らば 其 资者は 何人が 如何なる 方法 

LL よって 決定す るので あるか。 ^^くとも帆 

足 君 fs^ して 政治 學者 であると い ふ 事 1^ 決定 

する もの は 帆 足 君の 知識 判定す る 民衆の 

頭腦 であるの か、 若しくは 帆 足 君 自身の 判 

斷カ であるの か。 そむ そむ 帆 足 君 は 何の 必 

耍 あって か くの 如き 哲人 政治 の 上に デ モク 

ラシ I とい ふ 衣. ^被せる のか。 

四 

帆 足 君 は 階級 鬪爭, ^難 じて 言 ふ。 『資本家 

の 暴 一;^ に^して、 勞働 者が 同盟 ェの 如き 

暴力に よる 解決 手段,.^ 執る が 如き は兩 者の 

主張 .5- 理智の 力-」 依て 調和す る もの に 非る 

が 故に 劣敗 者 は 常に 優勝者の 暴力に 外的 に 

服從 する もの に 過 >: 、ぬ』 と。 ! かくて 帆 

足 君 は 人性の 心靈 的;^ 革に よって 哲人に よ 

つて 尊 かる、 理恕社 <^3, 卞 la; 現せん^. „5 ^耍求 

する。 11 お 目出度 さ 理想主義 者よ。 帆 足 

君の 耳に は 萬 人の 胸 Li 響く、 人 R の 支配の 

ft が閒 えない のか。 何れ Li せよ、 lis モグラ 

シ ー の 在所 は 帆 足 君の 足跡の 及ばざる 所で 

ある。 誤られた る デモ クラシ,' は 帆 足 君の 

放言!, -對 して 恐らく 杏 笑す るで もらう。 




編輯 室と 校正 室 



この頃の 日本 は 何 ごと も 逆さ U なって 

さた。 例へば 政治家と は 知識の もろ-. -の 

11 ブラト ー は哲學 者で あれと いった 位ゐ 

の ものであっ^ のに、 この頃 は 豆腐屋の 親 

lb- 大臣 r なリ、 高利 貸の 息子が 總務 _ しな 

る 世の中で ある。 

Q さう いふ 世の中 だ:,, ら、 老人が 危險思 

想 もつ ズゐ るのと 反對に 若い 連中が 保守 

思想 1^1.- つの も 赏リ前 だと い へば それまで 

だが、 それ Li して,. - この頃の 憲政 會の 有樣 

はどう だ。 尾 崎愕堂 はこれ から 洋行して 勞 

働黨 V ^組織し 日本に 於け る 新 運動の 急先鋒 

とならう とい ふ意氣 込み だのに、 弟子の 

望小太がそれでは先生ぁまリ過激す^^」ると 

いって 諫める し、 島 田 三郞、 箕浦勝 人 

kysl- の諸老が急進的普通選舉論.^ 張 

し、 就中 島 田 沼 南の. ことき は、 憲政 會內の 

現狀の 保守的な のに 愛想.^ つかし ズ とんと 

本部へ 餌 出し-^ しないと いふのに 對 して、 

若 い 連中が 普通 選舉は 未だ 早 い と 論 する 有 

樣 でもる。 

□ ィャ ハヤ 憲政 <pa の 若い 連中と きたら 加 



<J 厶<3 <1<5 厶厶 厶. 

藤の 御 機錄加 藤と いふよ リは岩 崎大明 神の 

^機 縱.^ とる: とば かリ考 へて せ 3 な 氣が腐 

さリ きって ゐ るの だ。 

あの 連中が 政府の 外交 攻擎 して ゐる 

のが、 加 藤の 御 機 縦と リ のた めかどう か は 

別と する が、 兎も角、 國際的 民主主義 11 

新 日本の ため L1 活動すべき 彼等が、 軍閥の 

手先と でもい ひさうな 譲 論で 騷ざ 廻って ゐ 

るの^ 見る と氣の 毒で たまらない。 

a これと いふの も 若い 議晨 建に 學問 のな 

い 結果 だ。 今の 若い 議晨連 はか ソゥの 民 約 

論 さへ 讀ん でゐる ものがない とい ふ 有樣で 

ある。 —— ig リ 憲政 會 ばか リで はない。 政 

友會だ つ \ ^同じ、、 とだ 國民黨 は 論外 だ。 

Q 吉野作 造 博士が 中央 公論 四月 號で發 表 

した 『余の 選 単 論の 批評に 就て』 の 一 文 は 

『批評』 の 創刊 號に 載せられた 室 伏 高 信 「吉 

野 博士の 誤謬 指摘して 普通 選舉の 主義.^ 

論す」 に 對 して 書かれた もの だ。 その 內容 

について は 議論の 餘 地が あると して、 兎 も 

角 一 々答 辯す る: との 態度 は 見上げた,. -の 

Q 色々 の新雜 誌が 出る。 この 二、 三 ヶ月 

のうちに 七, 八つの 新雜 誌が 出た。 結構な 

ことた。 新ら しい 新聞 も 大阪で 一 つ、 東京 



で 一 つ 可成 リ 大規模の ものが 出る もの だ。 

どちらも 可成 リ計畫 が 熟し * 近く 發 表され 

ろとの、、 とで ある 

よると さはる と 出る のが 日本の 講和 委 

員の 無能 に ついての 評定た。 併し ある 人が 

悟 リ籙で 言った 11 日本で も演說 した、、 と 

のない 先生 建が 外 國で喋 舌れ る わけが なか 

らうと 



遠 吠 錄 

秋 花 

□ E 里の 講和 會議で 支那の 委員 ゥ ヱ リ 

ン トン、 クウの 氣焰に は、 流石に 我が 

老 委員 連 も 大刀 打が 出來 なかった ので 

あらう。 何と なれば クウの 主張に は哲 

舉が ある 我が 委員の 主張に は哲學 がな 

い。 言ひ換 ふれば 支那 側の 主張 は 正義 

の觀 念に 立脚し、 我が 主張の 基礎 は 利 

盆 問題の 外に 何物 を も 見出され ぬから 

である。 私 は白狀 する クウの 態度 や 主 

張 は 全く 小 瘕に觸 はる. - 併し 冷 靜に之 

を判斷 して、 其 主張に は 道理 ありとの 

答 辯を與 へねば ならぬ とい ふ 雅量 は、 

私 は 人間と して 持たなければ ならぬ と 

思 ふ。 

□ 支那に 對 する 列 國 殊に 我が 國の 態度 

に は從來 幾多の 非難が あった こと は 事 

實 である。 殊に 大隈 內閣當 時に 於け る 

所謂 1 一十 一 ケ條の 要求の 如き は、 疑 も 

ス なく 火事場泥棒の 態度と 言 はねば なら 

ぬ。 私 は 從來の 我が 對支 政策 は 常に 日 



支 親善 を 標榜し 乍ら も、 其實日 支不親 

善の 實を攀 ゆ つ あつたと いふ こと を 

斷 言す るに 躊路 しない。 支那と いふ 大 

共和 國の 存在 は 厳 乎た るの 事實 である, 

已に 支那と いふ 國の 存在. か 認めら る. - 

以上、 其 名 譽も亦 認めねば ならぬ。 

□ 一 の國が 弱い 國 だとい ふこと は 他の 

國が之 を 侵略して い >- とい ふ 事で あつ 

て はならぬ C 正義 人道と いふ こと は 何 

時の 世 如何なる 時代に も 適用 せらる ベ 

き 金言で ある。 日本 は 果して 事 實の上 

に 於て 支那に 對 して 正義 人道主義 を 取 

つた か。 支那に 於け る 南北 を 通す る排 

日 思想 は 何故に 發 生した るか。 日本人 

の 頭に は、 誤れる 僖 統に囚 はれた る 侵 

略 慾 は あらう。 正義の 觀 念に 依って 弱 

き國と 交際 するとい ふ 事 は 遣 却し 居つ 

たとい ふこと を 吾々 は白狀 せねば なる 

まつ 神 后 皇后の 三韓 征伐、 豐大閤 の 

朝鮮 征伐, 時宗の 明 使 殺害と 云 ふ從來 

の涉 外の 事件 はいつ でも 戰爭を 意味し 

て 居る ではない か。 此 等の 思想に 囚は 

れ たる 日本人が、 日 支 親善と いふ 羊 頭 

を揭 ゆて、 1 一十 一 ケ條の 要求と いふ 狗 

肉を賫 ると いふ 事 は、 誤れる 傅 統に囚 



はれた る 日本人の やり さうな To である 

成る 程 日本の 富 や 力が 支那の 夫 等に 比 

ベて 優秀で あると いふ こと は事實 であ 

らう. - 然れば 何故 日本 は 支那 を 3 具 面目 

に 誠意 を 以て 善導し ないか。 新して 日 

支 親善の 實が舉 り 日 支 經濟の 連結が 出 

來 ねばならぬ。 誤れる 日本の 僖統、 恐 

るべき 日本の 侵略 慾 は 遂に 對支 政策の 

根本に 禍 をな したので ある。 かるが ゆ 

ゑに 支那 問題 を 誤る もの は歐 米で もな 

く、 支那 自身で もな く、 日本人の 誤れ 

る傅統 思想で あると 云 はなければ なら 

ぬ 

□ 次に 朝鮮 問題 は 如何で あるか * それ 

に は 重大な 缺陷 はない か 成る 程 朝鮮 は 

自立の 能力 を缺 いて 居った かも 知れな 

い、 自存の 途を 知らない 近隣の 弱國が 

ある なれば、 日本 は 何故に 之 を 保護し 

誘掖 し、 補導し ないか。 之れ 人道で は 

ないか。 正義で はない か。 日本の 朝鮮 

攻策は 不自然の 同一 化 政策であって はな 

ら ない。 正義と 人道の 立場 か來ら なく 

て はならぬ。 



us 



クララ • ツユ トキ 

ンと ロウ ザ • ルク 

セン ブル ヒ 

二) 

クララ: ン H トキ ンと ロウ ザ.. ^クゼ ンプ 

^ t とは獨 逸の 社會 運動 彩るべき 二つの 

明星で ぁリ ます。 彼れ 等 はと もに 獨 逸社會 

民主 《.* に屬 して ゐ ました。 マックス 派 正統 

社會 主義者で あります。 

世界 大戰の 影 1- は、 獨 逸の 社會 民主 黨.^ 

三つに 分割し まし.^。 社會 民主 黨、 獨立社 

會黨、 スパ少 タカスの 三つが これで ありま 

す。 今日の 社會 民主 黨は、 Hlvv H ダ K 

シャイ I. アマン、 デゲヰ クト 等の 指導 の もと 

に、 プ シジョ ァ黨と 妥協して、 獨 逸の 政 

權 1^ 掌握す るの 地位に 立つ ズゐ ます。 けれ 

ども 今日まで 獨 逸の 肚會 民主 黨に 重き,, 5^ な 

し、 特に 世界的 名聲 つて ゐた 人々 は、 

多く は 社會 民主 黨 から 脫 退して ゐ ます。 ハ 

I せ • ヂクト マン、 リ一プ クネヒト、 カウ 

-ンキ ー、 ぺ 巾ンス タイン、 さう して クラ 

ラ: ン エトキン、 ロウ ザ ^ク セン ブ.^ t 等 



は みなこれ でありえ す 

三) 

ロウ ザ. 少ク セン プヤ ヒ は左冀 中の 左 『4 

であります 。彼の地 位 は 女の 力 I か. リ ー プ 

クネ t ト であると 申ます、 、とがで きます。 

資際 に 彼れ の 政治的 才能 は、 リ ー プクネ 

t トょリ も 優って ゐ た,.;, ので あると され ま 

す。 もの 勇猛な リ,' ブ クネヒト も、 彼女の 

前に は 温順な 子供の やうな もので あつたと 

は デ ー リ ー • ク 口 二 クシの 伯林 通せ a りう 

ちに 記されて ゐ たこと,^ 記憶し ます。 彼女 

の 指導力に、 赏に 天 ォ 酌の 卓越 性, < ^もって 

ゐ たもので ある。 

スパ少 タカスの 中心 は、 リ ー プ クネヒト 

ではなく して ロウ ザ • ^ク セン プヤ ヒ であ 

と 申されて ゐ ます。 彼女,^ 失った ス パ r 

タカス 圑は、 指導者の なき 圑體 となった も 

のとされ てゐ ます。 彼女の 指導力 は、 それ 

ほどに 魅力 もって ゐ たのであります。 

(三) 

ロウ ザ • 少ク セン ブ^ヒが 「女の",, ブク 

ネ t ト」 であると すれば、 クララ • -ソ H ト 

キン は 「女の カウ、 ソ キ,」 であると 申す、、 

とがで きます 卽ち ロウ ザが 赏際 政治の 卓 

越せる 才能の 所有者で あるに 對し、 クララ 



は 理論的 批評 的ォ 能の 卓越せ る 夭與の 所お 

者で あると 申す ことができます。 

一 八 八 九 年 は、 國 際社會 黨の苒 興された 

る 年と して. « 念され ます。 その 會 合への 獨 

逸からの 代表者の うちに は、 ゥヰか へ.^ ム. 

リ, フ クネヒト、 ォ I ギ ュト. ベ ー ベ.^ の 

やうな 歷 史的 人物が 發 見され ます。 さう し 

て わが クララ. ク H トキ ゾ 女史の 名 も發見 

されます。 しかく 彼女 は 早くから 世界的に 

名 1„ ^なして ゐ ます 

彼女に Dio Oleic ノ heit の主箪 でも リま 

す。 その 彼女の 主宰す る 新聞紙 は 十 J€ 七 千, 

の發行 部数ん、 もって ゐ ます。 けれども 社會 

民主 意の 多数派と 意見, 5-2 おにし 時に、 彼 

女 クライ ヒ ハイトから 退きました。 さう し 

て -fiKns 社會 主義の ために 戰.^ 績け てゐま 

す。 (ch§ の 父) 



社會 運動の 人々 g 

『I』 

若し その 言葉の 意義に のみ 拘泥す るなら ば、 純正なる 社 

會 運動の 起源が 何處に 在った かとい ふ 事 は 吾々 の 到底 知る 

能 はざる 所で ある。 

紗く とも 吾々 は社會 運動が、 其 自體、 社會 運動と しての 

體 裁と. 2: 容とを 備へ來 つたの は佛蘭 iEM 叩 以後に 屬 すると 

信じて ゐる 

然し、 佛蘭西 革命が その 本質に 於て 明に 失敢の 革命で あ 

つた 察 は 言 ふまで もない。 革命 後の 事物の 新ら し い 秩序 

は、 之 を 革命 以前と 比較す る 時 は、 より 以上に 合理的で. 

つた けれども, その 發展の 結果 は、 決して 絕對に 合理的な 

ものではなかった。 

それ は、 ヱ ン ダル スが其 不朽の 名篇、 Socialism; Utopian 

And Scientifk. (空想的、 及び 科學 的社會 主義) の 中に 書い 

てゐる 事に 依て 明で ある。 彼 は-一! E ふ 。『ブル,. チヨ ァは 自ら 其 

攻治的 能力 を 信す る 事 能 はすして 、第一 に du.e,ctorate の 



腐敗の 中に 隱れ、 最後に は 遂に ナ. ネ レオン の 専制政治の 羽 

Isi- の 下に 隱れ た。 斯 くの 如に して、 期待せられ たる 永恒の 

平和 は、 忽ち 變 じて、 限り無き、 勝利の 戰爭と 化した。 而 

して, 道理の 王國は 毫も 寳現 せらる、 事無く、 從來 まで 封 

建 制度の 桂 梏に繁 かれた。 r 財產の 自由 は 今や 全く 完成され 

た。 而 して 此 財産の 自由 も、 小 資本家、 並びに 小 地主に と 

つて は 『財產 を 得る の 自由』 にあら すして、 財 產を失 ふの 自 

由であった。』 と。 

彼 は 更に 說 いて 曰 はく、 

『今や、 力— ライルの 首の.^ く、 現金 支拂が 人と 人との 閒 

の 唯一 の 連鎖と なった.^ 犯罪 は 年次 を經 るに 從て增 加 

して 来る。 商業 は 日 を 追 ひ 月 を 追. ふて 愈. - 詐欺の 淵に 沈み、 

革命の 標校語 : Fratc.rn ty : は 競爭^ 戰揚に 於け る 詭計の 

中に 實 現せられ た。 斯くて、 武 斷的壓 制に 代る もの は 『腐敗』 

となり、 劍に代 さもの は 黄金と なった。 第一 夜の 權利 は、 

徒らに 封建 諸侯の 手, から 紳士 閥の 手に 移った とい ふ 事實を 

止め、 寶淫は 驚ろ くべき 增 加を來 した。』 と。 

けれども、 吾等み^^て赏はしむれば、 佛蘭西 革命が、 革 

命 以前に 於け る擧 者の 空想的 革命 思想に 裏書す る 所 無くし 

て、 反て ヱンゲ ルス の 所謂 1 古き 失望の 諷刺 畫』 となった と 

ころに 翼實の 理想に 到達すべき 道路の 坦々 として 撗 はって 



§ ゐ る 事 を 看取す るに 難くない と 思 ふ。 而 して、 此 失望に 反 

撥し、 此 失望 を基點 としたる 運動 こそ、 眞實の 意味に 於け る 

勞働 運動で あり、 社會 運動で ある C 若し 强 ひて、 佛蘭西 革 

命の 意義 を 問 ふ もの あらば、 吾人 は 言下に 『勞働 運動の 產 

婆』 と 答 ふるで あらう。 —— 此 意味に 於て 吾人 は 一 八 〇 一 一 

年ゼ ネバ 公開 狀に其 抱負と 識見と を 托した サ ン ?ン モン、 一 

八 〇 八 年、 その 最初の 著述 を 公に したる、 フ I リエ. ー、 * 

びに、 一 八 〇〇 年、 New, Lanark に 於け る 工場の 管理者と 

なった. ロバ |トきォ —ェン 、是 等の 人々、 及び 是 等の 人々 

. を取卷 いて 動い.;,: 人々 を 以て、 规; 實 なる 社 會 運動の 先驅的 

人物と 爲す事 を至當 とする。 

『二』 

佛蘭 西社會 主義の 元祖と 言 ふべき, サ ン ?ン モン、 は 一九 

六 〇 年に 於て E 里に 生れた。 彼は當 時に 於け る 著名なる 貴 

族の 後裔であった。 

彼の 幼少 年 時代 を 通じてせ:; の 最も 顯 著なる 特徵と 首 ふべ 

き は、 常に 熱烈なる 『企業心』 を 有して ゐた事 である. - 彼が 

毎朝、 彼の 侍 僕に 命じて 『記憶せ よ、 我が 主人よ、 貴方 は 

將來 大事 業 を 成就すべき 人で はない か。』 と 呼んで 眼 を醒ま 

さしめ たとい ふ 事 を 以てする も、 彼の 性行の 一 部 を 知る 事 



が出來 るで はない か。 

彼 は 佛蘭西 革命に 對 して は 決し て 直接的な る 關 係 を 持 つ 

てはゐ なかった。 然し 間接的なる 意味に 於て、 彼が 甚だ 深 

い 關係を 有て ゐ, 事 は 言 ふまで もない。 

彼 は その 生より、 その 死に 到る まで、 常に 赤貧 ^ふが 如 

き 境遇 を 彷徨した。 或 時 は 窮餘の 結果、 自殺 を 企てた 事す 

ら ある 事 を 以て 兇る も、 彼の 當時を 察知す るに 難くない で 

あら、 フ 

力 1 力 ップ の; ノリ ふ 1^ に從 へば、 『サ ン • シ モ ン は S や 

想 家に して、 其 所 說の組 熾、 統一 • 秩序 等の 點に 於て 甚だ 

缺 くる 所が ある" 然し 乍ら、 彼の 思索の 結果 は獨創 的で み 

つた。 

彼の 社會 改造の 理想に 到て は 一 歷單純 極まる もので あつ 

た、 彼の 所論 は、 佛蘭西 革命より 論じて、 當時, 佛蘭 西に 

存在した る 封建制度、 並びに 軍隊 組織に 及んだ もので あつ 

て、 單 純なる^ 命 時代の 破壊的 自由主義に 反對 して、 新ら 

し く 、 積極的に 社き を 組織す る 事の 必要 を說 いた もので あ 

る。 —— 故に 强 ひて 言 ふなら ば、 之 を 革命 主穀 者と 言 はん 

よりも、 寧ろ 或 意味の 保守 主藉 者で ある。 

彼 は 其 生存 中に 於て、 必す しも 多数の 學徒を 得る 事 は 出 

來 なかった けれど、 極めて 少數の 信仰者と、 後繼 者と を 得 



る 事 は出來 た。 

其 間に 在て バ 、ザ ー ル は 特に 彼の 舉徒中 最も 注意すべき 人 

であった。 彼 は 一 八 一 一八 年に c 里に 於て、 自ら 街頭に 立て、 

『サ ン? ンモ ン の 信仰の 解說』 と 題す る 長 演說を 試みた。 其 

後 暫く、 彼の 學說 のプ 口 パガ ン ダが あらゆる 形式に 於て 行 

はれた。 

サン • シ モン の 唱導した る 社會主 殺の 長所と 缺點と は 今 

此處に 詳しき 說明を 要する 無くして 明で ある 。サ ン? ン モ 

ンの 學說、 並びに 其舉 徒の 連動が 徒らに 多くの 彿藺 西に 於 

ける 革命 靑年を 集めて 置きながら、 社會の 嘲笑と 悔 辱の 中 

に 葬られた 理由 は 主として 彼等の 思想が 餘 りに、 空想的で 

あり、 而 して 彼等の 運動. か 等しく, あまりに 無分別で あつ 

た 事に 歸因 する。 然し 乍ら、 何れと する も、 歐洲に 於て 表 

面に 顯 はれた る 社會. 義遝 動の 鼻祖た るの 榮 冠が 彼の 頭上 

に 光り輝くべき 事 は赏 を俟 つ. まで もない。 

『三』 

ヱング ルス は、 サン • シ モンと フ— リ ヱ— と- 口 バ I 

ト*ォー ェンを 以て 三 大空 想 家と 爲 した。 而 して ザ ン?ン モ 

ンに 在て は努働 階級 運動と 相 並んで、 中等 階級の 運動が 猶 

5 幾分の 意義 を 有し、 ォ— H ン に 在て は、 資本家 的 生 產の最 



も發 達した る 英國に 生れ、 從て 之に 隨ひ來 る 階級 的 反目の 

影響 を 受け たので、 階級 的 差別 の 根本的 廢棄を 提唱し 、 其舉 

說は、 佛藺 西の 唯物論と 甚だ 密接なる 關係を 有して ゐた。 

一 然し 乍ら、 彼等 を 共通した る 思想 は、 彼等の 總 てが、 歴 

史發 達の 結果と して- 當時旣 に 生じて ゐた、 プロレタリア 

.1 卜の 利害、 權務の 代表者と して 顯 はれた のでない とい ふ 

1 事であった。 

彼等 は 恰も 革命 以前に 於て 恐る ベ き 妄想の 中 を 彷徨し ゐ 

たる 多くの 佛蘭 西の 哲舉 者と 其軌を 一 にして、 せ: ハ第 一 着手 

として、 特殊 階級の 解放 を 要求せ すして、 ー舉 直ちに 全人 

頻を救 ひ 得る ものと 爲し > 且之を 救 はん:. して, 道理の 王 

國を 主張した。 素より 其 所論の 內容 が、 佛蘭西 革命 以前に 

於け る哲攀 者と 比べて 甚だ 進んだ ものであった 事 は 云 ふま 

でもない。 

フ— リ ヱ I の社會 主義 は又サ ン * シ モ ン の 所說と 4^ 然異 

てるる。 前者 は、 後者が、 權カ 主義に 侬て其 理想 を實 現せ 

ん とする に 際し、 個人的に 其 理想 を 實现 せんとして ゐる。 

而 して, 前者に 於て は國 家が 其 出發點 たるに 對し、 後者 

- に 在て はコ ンミュ ー ン (自治 體) を 出發點 とした。 而 して 此 

三者の 間に 在って 最も 先き に 其 聲を顯 はした もの はフ— リ 

ヱ I であった。 



『四 J 

フ ー リエ ー は 一 七 七 二 年に ブ サン ソンに 生れた。 彼 は 其 

少年 時代に 於て 旣に 現代 社 會の缺 陷に對 して 非常な 疑惑 を 

持て ゐた。 

彼が 廿七 歳の 時に、 恰も、 マルセ ィ ュ 港に 於て、 當時饑 

饉の爲 め 米憒が 非常に 暴騰し 更に 奸商 等の 商略と して 此高 

價の 米が 多量に 海底に 沈められ たの を 見て 非常に 驚き、 現. 

時の 商業に 對 して 非常な 疑惑 を 持つ と共に、 現存 社會 制度 

の 間に 含まれた る罪惡 の. に 恐るべき かとい ふ 事 を 痛感 

した 

而 して、 此社會 の 缺陷を 匡正して 新ら しき 制度と 組織と 

を 造 就し なければ ならぬ とい ふ 決心 を 抱かし めた もの は寳 

に此 一事 實 であった ので ある。 

然し 乍ら、 彼の 事業 は 事毎に 失敗し 蹉跌した" 11 フ— 

リエ— が 多少 社會 的に 注意され て、 漸く 成功の 一 步を 占め 

得た の は 實にサ ン • シモ ン の 運動が 開始され た 後の 事に 風 

する。 

最初 殆んど 顧る 者 すらなかった 彼の 運動に 對 しても、 镳 

て 熱心なる 同志が 顯 はれたり 

幾 干 も あらす して 機 關新閒 が 創刊され て 彼の 傳道喜 業 は、 



稍 其の 眼 を 開き * 彼の 得意の 時代が 來た。 然し 乍ら、 其 得 

意の 時代 も 竞に槿 花 一 朝の 夢に 過ぎなかった。 卽ち, 一 八 

一 三 二 年に 於て、 ヴ H ル サイ ュに 近き 土地に 於て ファ ランク 

スを 組織して, 其 理想 を實 現せん と計畫 した けれども、 其 

結果 は 幾多の 破綻 を 生じて、 此處に 彼の 主張の 缺陷は 暴露 

された。 新くて、 一 八 三 七 年、 彼 は 彼 を 待遇す るに 甚だ 酷 

なりし 現社會 と袂れ て、 幽明 境 を 異にした。 

フ— リヱ— の 思想 中、 其 最も 特色 を 示した る もの は、 社 

會の 歴史に 關 する 考 である。 

彼 は 其 全 過程 を 進化の 四 階級に 分て 一 を野蠻 時代と 爲 

し、 二 を 未開 時代と 爲し三 を 家長 玫治 時代と 爲し、 四 を 文 

明 時代と 爲 した。 

一 エンゲルス は 彼を讃 へ て 曰 はく、 『力 ン 卜が 馎物舉 に 於て 

一 地球の 究極 破壊の 觀念を 紹介した 如く、 フ ー リ HI は 歴史 

„ 攀に 於て 人類 究極 减 亡の 觀念を 紹介した』 と。 

『五』 

\ 佛蘭 西が 革命の 波濤に 包まれた る 時、 其反對 側の 英國に 

在て は、 靜 かなる 革命の 波が 搖 いで ゐた。 

卽 ち蒸氣 と、 新 器具 製造 材料と は、 忽ちに して、 從來 まで 

の 手工 的 製造業 を 一 變 して、 機械工業の 時代と 化し、 此 慮に 



斤 一世 産業の 基礎 を 造 つ た。 斯く て 全社 會を 驅て大 資本家と 

純勞勸 階級との 間の 社會の 分裂 作用 は 甚だ 急速なる 勢力 を 

以て 進み 來 つ た。 1— 斯く て 國民的 不安 は 暴跌の 如く 來た。 

而 して、 此國民 的 不安の 中に 介在して、 過渡 時代の 社 會改 

良家と して 生れた 者. か、 ロバ ート *ォー ェン であった。 

口 バ, >ト, ォ 1 ヱンは 一七 七 一年に ノ 1 スゥヱ 1 ルス *モ 

ンゴ メリ— 州の 二 ュ ー タウンに 小さい 馬具 商 を 父と して 生 

れた。 彼 は 九 歳に して 町の 小 舉校を 卒業し、 其 翌年に は 商 

店の 小僧と なって 少年 時代 旣に 業に 人生の 辛酸 を甞 めた。 

幾千 もな くして、 彼 は マン チ M スク ー に 移った。 

マン チェス タ ー に 於け る 彼の 進歩 は資に 驚く ベ きものが 

あった。 十九 まにして 早く も 五 百 人の 勞働者 を 使用す る 紡 一 

績會 社の 支配人と なり、 一 策す る 毎に 一 策 就り、 一 螯 する \ 

毎に 一 寄 一成て、 彼の 名聲は 忽ちに して 颇る昂 つた。 

•1 一 間もなく、 彼 は.. クラス ゴ ;-に 於け る、 ラナ ァ クェ? ^の 持 

主で ある デ ー ルの 娘と 戀に 落ち、 後、 結婚して、 自ら 其ェ 

場の 所有者と なった。 彼は此 事業に 於て、 業務 擔當 組合員 

として 大 いなる 權限を 有し ゝ 遂にせ;; 成功に 依て 彼の 名聲は 

全 歐洲に 載き 渡った、 由來、 二 ュ— • ラナ ー クの 使用人 は 

種々 雜 多の 者より 成り、 且其 大部分 は 頗る 堕落した る 者で 

へ.〕 一 其數ま 次第に 4? 加して、 二 千 五 百に 迄 上った けれども、 彼 



は 自らの 努力に よって 竞に之 を 模範 植民地と 化した C 

彼 は實に 幼稚園の 創始者であった。 

斬の 如く 連續 したる 成功に も關ら す、 猶、 彼 は 之に 満足 

しなかった。 彼の 眼に は、 彼が 其勞働 者の 爲 めに 保證 した 

生活 も、 猶 * 普通の 人間より は遙に 低き 程度の ものと して、 

映す ろ檨 になった。 

彼 は 言 ふた 。『此 一 一千 五 百 人の 勞働 者. か华 世紀に も 足ら ざ 

る 以前に 在て は、 恐らく 六十 萬 も耍 したに 相違ない ほど 多 

くの 富 を 日々 社 會の爲 めに 作 出しつ" ある。 此處に 於て 私 

は 自ら 問 ふた。 一 一千 五 百 人に よ つ て 消費 せらる S 富と、 

」 、十一 rlT 人- 1 よりて、 消費 せらる、 富との 差 は.^ 何に すへ き 

乎。』 と。 

然し、 彼 は 直ちに 其 解答 を 得た。 

曰 はく、 『若し 此 新富材 が、 機械に よって 作 出せられ なか 

つたと するならば、 ナ, ネ レ ォ ン に 反抗して 貴族 主载を 支持 

したる 歐洲の 諸 戰爭は 到底 之 を 維持す る 事 は出來 なかった 

であらう,^ 而 して、 此新 生産力, 〕 そ は 卽ち勞 働 階級の 創造 

である。』 と。 此聲は 當然、 必然に 彼の 思想 を 共産主義に 導 

いた。 かくて、 ォ ー ヱンの 思想が 次第に 共産主義に 向て 進 

ん だ 時期 は實に 彼の 生涯に 於け る 一 大 旋回 點 であった。 

彼が 單に 一 個の 博愛家た りし 間 は、 彼に 酬いら れ たる も 



^_ の は、 唯賞讃 のみであった が、 彼に して 一 度び 其 思想 上の 

新ら しき 獲得 物た る 共産主義 を 標榜して 立つ や、 形勢 は 全 

く 一 變 した。 

彼が 見 て 、 社會 進化 を 妨害す る ものと 爲 したる もの は 『私 

. 有 財產』 と 『結婚 制度』 とであった。 

然し 乍ら、 當 時に 在て 前揭 一 一 者 を攻雞 し、 批難す る こと 

は、 要するに、 一身 を 法律の 保護 外に 置く 事、 官憲 社會ょ 

り 放逐 さる、 事、 等を豫 期しなければ ならなかった 。而も、 

彼 は 敢然と して、 是 等の ものと 戦 鬪 を 開始した。 

彼 は 五 年間 惡戦 苦闘した る 後、 遂に 工場に 於け る 婦人、 

小 兒の勞 働 時間 を 制定す る 第 一 の 法律 を 制定せ しむる 事に 

成功した。 

後、 彼 は 共働 組合 を 作り、 勞働寶 店 を 作った が 餘り多 く 

の 効果 は 上らなかった。 是 等の 組織 は 明に 失敢に 終った の 

であるが 後に 來る 社會 革命家に 對し て 甚だ 寄與す る 所が 

多かった。 

■ 彼 は 一 八 五六 年、 八十 七歲を 以て 其 長き 一 生の 幕 を閉ぢ 

た 

『六』 

吾人 は 初期の 社會 運動 者と して、 三 大空 想 家と 共に、 ル 



ィ • ブ ラ ン を舉 ゆなければ. ならぬ ;^" 一八 一 一^、 マド 

リツ ドに 生まれた。 

, 彼の 思想の 中心 は、 『民主的 國 家が 産業 同盟 を 組織して、 

一 漸次に 其 ェ揚を 設立し、 曰 3 も溫 和なる 手段 を 以て 私立 工場 

\ を 消滅す る 事に あった。 

一 彼 は 最初 才能に 對 して は 宗門 政治 を 信じ、 人間の 才能に 

一 關 する 報酬に 對 して は、 各人の 非 社會的 意志 を 存在せ しむ 

i るの 必要 を 認めて 賃銀の 相違 を 許した。 然し 乍ら、 其 後報 

\ 酬 階級 を 立つ ると いふ 意見 は 全く 之 を 取消して しまった。 

一 一 八 四 八 年の 革命に 際して は、 彼 は 驚くべき 活動 をした。 

一 然し 乍ら、 彼 は 其 主張 を實 行す るに 肝要なる 個人的 勢力、 

一 並びに 政治的 勢力の 何者 を も 有して ゐ なかった。 彼 は卓拔 

一 なる 識見 を冇 し、 加 ふるに 懸 河の 雄 辯 を 持て ゐ たけれ ども 

\ 人心 を 統率し、 收攪 する の 術 を 知らなかった。 11 之 を 例 

j ふれば、 ルクセンブルグに 於け る勞働 會議の 如き、 實に彼 

一 が 首席に 推舉 された にも 關ら す、 徒らに 反對黨 をして 其 名 

\ 聲を縱 にせし むる のみであった 事 は 雄 辯に 此 間の 消息 を 明 

:- にして ゐ る。 

三 大空 想 家 を 語り、 ルイ • ブラン を 語る 者 は 同樣の 意味 

に 於て、 プル ー ドン を 語る 事 を 忘れて はならぬ。 ブル —ド 

ンはフ —リエ— と 其 鄉村を 同じく し、 幼より して、 其才氣 



55 



を 知られて ゐ た。 

ブル ー ドン は 社 會の變 革 を 分類して Tradition と、 I^erf- 

ession とに 分けた。 此變遷 に 依て 彼 は財產 私有 櫂の 全廢を 

漸次に 實 行して ゆく と 云 ふ 事 を 主張した。 彼. か 理想と した 

る シス テム は 完全なる 個人の 發達を 理想と する もので あつ 

て、 苟且ん 人類の 自由 進歩の 目的 を 妨害す るが. g き 主義に 

對 して は、 如何なる ものと 雖も斷 乎と して 之に 反對 すべき 

事 を 宣言した。 

此論據 から、 彼の 無政府主義の 空想的 理論が 生れて 來る。 

I 『縱 令、. g 何なる 形式 を 以てする も、 人が 人 を 支配す る 

は遯 制で ある。』 とい ふの が 彼の 根本 思想であった。 彼 は 『財 

產は盜 〈I なり』 と 首った。 尠くとも、 前期の 社會 運動 者の 

中に 於て は 甚だ 異彩 をお する ものであった。 何れにせよ、 

彼 は 世界に 於け る 無政府主義の 開祖で あるる、 

T〈irlp.-P, liistory of Socialism. Jxn^tls ひ ocialisni IJtop- 

a ョ 1 scistisfk に據 る。 (尾畸 士郞) 



新刊紹介 



▲ 世界 文明の 新紀 一応 

文學 博士 

姉 崎 正 治 

日本 唯 一 の宗 敎哲學 者と して 吾等の 推^す る 人 は 姉 崎 正 

治 博士で あろ。 吾等が 溥士 に 傾倒す る 所以の-. -の は獨リ 

單 なろ 宗 敎哲學 者で あると いふば かリ では 無くし ズ、 博 

士が常 Li 論據 と する 宗敎 哲學の 立場から 特異の 文明 批 

評、 社畲 批評 vMt はれつ、 ある 點に 存在す る。 而 して、 

本書 は赏 に浙の 如き 意味 LL 於け る 博士の 努力の 結晶の 集 

成で ある。 

全篇 は 大小の 論文 四 八 四 頁よ リ 成って ゐ るが、 其 中 特に 

注目すべき もの は、 『十九 世紀 文明の 總 勘定、』 『戰 後の 

世界が どうなる か、 1^ とうす るか、』 『人本主義の. 試行』 

等で ある。 殊 Li 『人本主義の 货 行』. は 博士の 立場.^ 最も 

直截簡明に 表現した も? でもる。 而 して 博 十: は その 終り 

に 於て 叫んで 曰く, 世界に 慮す る 日本と して、 n: 本が 世 

界の新 局面に 處 する 道 は、 卽ち 又 直 內に あって 社會 

刷新し 民心.^ 振^し、 人性.^ 醇化す る 所以の 道で ある。 

內治 外交 共に 人本主義の 理想 1^ 以て. 一 買せ よ。 是れ新 

たなろ 世界に 虚 する 日本の 道で あろ。 世界人 類 は 戰亂の 

大破 续, か 經 て 新生 命に 復活 ぜんとし つ. - ある、 大正の 日 

本が 此 曙光 見る 能 はすして、 世界の 新生面 Li 後れ 产 どと 

るなら 汝等 は國の 生命と 共に 同胞の 生命.^ 殺す 事になる 

ぞ 。』 と: 以て 博士の 識見、 抱負の 一 斑 > ^知る ベ さで あ 

る。 (定 價壹圓 五十 錢、 日本 橋 區 三 丁目 博 文飴發 行) _ 



56 



薫風 往來 



B 北哈吉 君が 中央 公論の 四月 號へ、 マロ ク 

ク 事件の 辯明嘗 送て ゐる。 11 吾々 は 北 

氏が 如何なる 態度 執ズ、 如何 Li 此 問題ん」 

辩叨 する かとい ふ 事に 異常の 興味 持て ゐ 

たが、 北 君の 所 IS 一 世 一 代の 此辯解 は 見事 

に 吾々 の 期待 袠 切った。 北 は 其 論理的 

知識.^ 誇示して、 自分の 文章と 他人に 依て 

書かれ;: 文章と の區別 1^ 付け 得なかった 河 

上、 山川 二君.^ 冷笑して ゐる けれども 斯様 

いふ 論法 は、 母 党す ろに 菓子 1^ 强 ii る 子供 

の駄々 と異ら ない。 而も 一代の il 容 1 卞 以て 

自任す ろ 北 君が、 僅かニ三行で濟む;^^^證文 

々数 頁 Li 百 一て 牛の ぶ だれの 如く 長々 と 

拉 ベて ゐ るの は、 寧る 見ン ,v むな さ 過お、 

る。 野 狐 以て 任じ、 禪の 修道 者 1^ 以て 得意 

とする 北 君の 爲め Li :|i レだ 遣憾千 萬で あろ。 

B 北 君 は、 從來 迄の 代 輋は盡 く 大家の ため 

-.1 小 家が 害いた- 1 ので あるが 自分の 代作 は 

大家 に 依て 寄 かれた もので あろと 言って 颇 

る 得意 氣 であるが、 その 北 君の 所謂 大家と 



は 久津見 藤 村 君の ことで おふさ 孓だ。 :; 

園 靑 葉が 燃える 時が 來た。 若々 しい 靑 葉の 

輝き,:^ 見る と、 若い者の. 世界が 來 たとい ふ 

事 痛切に 感 すろ。 あらゆる 老いた る 者 は 

去るべき だ? あらゆる 老い.;,: る-.^ のん 葬る 

べき だ。 世の中 Li 老人 程醜惡 愚劣な ものが 

あるで あらう か。 老人 して 蒸 風の 前に 倾 

死せ しめ r*o 

fE}f 文 社の 分裂 事件に 就て は 種々 な 噂が 頻 

リ LL 取沙汰 されて ゐる。 日本 及 日本人 は 社 

內の 少壯, 淡の 反逆 L! 對し 、堺 利彥 氏が 笑つ 

て 其 席 f ^去つ;: の だ (恐らく 人^ 柯<ム 氏の 

言で あらう) と 首 ひ、 『我等』 はつ 現 寶文社 

の人々か以てァ コ ー か 中心 主義者と 嘲笑 

てゐ ろ。 門外漢- し して、 而も 寶文 社の 內 情に 

通す るの 機 <E2 と 便利と,^ 持て ゐる吾 々-」 と 

つて は、 その 何れ L が、 爲め にす る 所 ある 

批評 だと リ思 はれない。 尠くとも 吾々 の 

知ろ 所の みに 據 ズ解釋 すろ 時、 寶文 社の 分 

裂 は、 政; IE 運動 波と^ 濟遝動 流との 分裂で 

あろ。. K 行 派と 现論 派との 分裂で あ, 而し 

<. 其 分裂 は 吾々 に從ふ 時け: ^めて. H 然な 

動き 方で ある。 K 文 社の 同人が 酒呑みで も 

るか、 洒吞 みで 無い か は 素よ リ吾々 の 知る 

返で は 無い。 吾々 にに 國 家社會 主義者 だつ 



て, 人間 だ か ら 酒 位 飮んで 且 か ら う と 思 つ 

てゐ ろ。 唯 吾々 ば 彼等の 熱心と 勇氣 と:. i 對 

して 鈔 から S 好意 持て ゐる 丈け だノ 

S 福田徳 三, 博士が 國家社 食黨. 評し て^の 

}K ブラ だと 言った さう だ C それ1-^^1ぃた高 

白 S 素 之 君が 『鰻 め蒲燒 にして みせる』 と 言つ 

た 所が 博士 は 其 翌晩 二三の 人と 兵-」 『高^:田 

君; J ャカ シ會』 なろ 1- の 下 谷の 盛ろ 夭ブ 

ラ^に 催して ギ ン: K ゥ の夭プ ラ 哈 っズ颇 

る痛飮 した さう だ 何の^だ か 一 向 解ら な 

,レ。 恐らく 御當 人た ろ 二人 Li む 解ス まい"、 



JB」 L 吿 

地方の 靑年 諸君の 刚體、 若しく 

は其他のぉ術^^硏究>^目的とす 

る 園 體の爲 め-し、 批_!^ 社 は將來 

時日の 許, "限り 講演の 依 賴に應 

じます。 



社會 主義と は 何 




(social Delllccracy Ex て lained)f< リ 



ヂョ ン* スパ ル ゴ ゥ 

社會 主義の 定義 作ろ とい ふ 事に は、 常に 限り無き 一 つ 

の 困難が 伏在す ろ。 

而 して、 新 に 社會 主義の 傳道 運動に 參加 せんとす る 人に 

とって は、 各自 獨特の 形に 於て、 社 食 主義の 綺髄 1 定め 

形式に 包含し、 之,^ 正確な 記述と して 表現す ろ 事が 其靂耍 

なる 事粱め 一 つと されて ゐる。 唯 Li 新に 傳道 運動に 參加ぜ 

ん とする 人々 ばかりで は 無い。 すべての 社會 主義者 1 ^通じ 

Y、 其胸奧 Li 湧 起る 一 つの 野心 は あら ゆろ 分 波 Li 屬 する 同 

主義者 して、 その 夫々 の耍 求と 合致し、 且 容易 LL 之 > ^是 

認せ しむる が 如き {Is^ 義 ると いふ 事で もろ。 



圖 甞 館の 中には、 社會 主義に 關す. <>. 多くの 書册が あるが 

; 是等は 各々、 社會 主義の 定義に 就て 多種多様の 異見 を樹て 

一 てゐ る。 而 して 之を說 明す るに 當 つて は斯く あるべき • か 至 

一 當 である。 

\ 總 ての 社會 主義 傅 導 運動 者が、 社會 主義に 就て 彼獨自 の 

一 槪念を 造り 出す とい ふ 事、 並びに、 其 概念に 就ての 彼の 說 

明 を、 最も 明瞭、 衞 潔なら しむる とい ふ 事 は、 その 事業の 

最も 重要なる 部分と して 看做される であらう。 それ は 丁度 

彫刻家が 粗糙の 大理石に 斧 を 入る " に當 つて、 其 冗物 を 取 

除く と 北ハに 必要物 を 保存して 置いて, 纏て 完全なる 形 を 造 

り 出す が 如き もの である" 其 故 に 社會 主義 の 定義 を 作る 事 

を H? 的と する 傅 道 運動 者 は 完全なる 代表的 定義 を 得る が爲 

めに、 總 ての 不必要なる もの を 除去し 總 ての 本質的 真理の 

部分 を 保存し なければ ならぬ。 

『二』 



58 



從來迄 存在 し^る 社會 主義に 關 する 無数の 定義 は 畢竟す 

るに、 希望 多き 多くの 研究者 して、 或は 失望せ しめ、 或 

は 落膽ぜ しむろ LL 過 ざなかった 程、 複雜 極まる もので もつ 

た。 斯 くの 如くして 彼等の 態度が、 當然、 必然に 『批評 的』 

に 傾い ズ行 くと いふ 事は洵 Li 止む, か 得ない 寧で ある。 

試み Li 彼等の グか. 'ブ ょリ 何れの 二人の 社會 主義者 1^ 拔 

き 出して みろ 時と 雖も * その 信條と 目的と^ 決定す るに 當 

つて、 决 して • 彼等の 一 致す ベから, さる 事.^ 發見 すろ であ 

ら、 つ 

かくて、 社會 主義者の 數が 多ければ 多い ほど, 其 種類 は 

いよく 廣汎 な- - のにな っズ來 る。 而 しズ、 此難點 が社會 

主義.^ 批難 攻擎 する 者の 中心 論點 とされて ゐる。 否 唯に 論 

點 LL されて ゐ るば かりで 無く、 ^く I 社會 主義 攻舉 者が 手 

にす る 武器と しズ、 而 かく 頻繁に 用 ひらる \ もの は 殆んど 

無い と 言って 宜ぃ。 

社會 主義に 對 して、 單 なる 政治 運動と しての み、 特殊の 

興味 を 持て ゐる 人々 が、 其 定義 を 決定す るに 當 つて、 自ら 

社會 主義の 政治的 部分の み を 力説す るの は、 當 然と 首 ふ ベ 

きで あらう。 

將 來社會 の、 想像の 喜びに 刺戟され てゐる 人々 は、 自ら 

彼れ の 判定に 從て 彼の 想像し 得る 社會の 部面の み を カ說す 

るに 相違ない。 又、 社會 主義 を 目して、 哲 學の大 なる 體系 

と 爲す人 は 自ら 彼の 定義 を 下さん とする に當 て、 其 部分の 

み を 主張す るで あらう。 而 して、 斯の 如き 人々 は 當然、 必 



然に 一 方に 於て 政治 運動 を輕視 すると 共に、 又 他方に 於て 

は、 根據 なき 美の 懂れを 嘲笑 ふで あら ソっ 而 して、 夫 は 各 

自の 立場に 從て、 夫々 の 意義と 懔 値と を 生じて 來 る" 

\ 然し、 以上 揭 けたる 三つ、 の 態度の 間に as はる 相違 は 決し 

一 て、 根底 的に 矛盾、 背反す る もので は 無い。 

{ 何故 なれば > 以上の 如き 定義 は、 舉竟 部分的の もので あ 

i るからで ある。 從 てせ; (定義 は 自ら 不完全な ものと なって 來 

i る。 11 其 完全なる 定義 は 此三樣 の 態度 を、 三樣 乍ら 含有す 

一 る もので なければ ならぬ。 

一 而 して 私 は社會 主義 研究の 第 一 歩に 於て 敢て此 胃 險を企 

一 てようと 思 ふ。 吾等の 真摯なる 研究に 對 して は ♦ 社 會主ャ 1 

一 の 理論家 も, 空想家 も、 實行家 も 等しく、 部分的に は 多少 

i の 相違 は 認めつ. -も、 猶 之に 多くの 一 致 點を發 見すべき 害 

\ . ^信じて 疑 はない。 

\ 吾々 は、 本質的なる 主義 及 目的の 諒解、 並びに 解 釋の大 

一 體の 一 致に 對 して 特別の 注意 を拂 はなければ ならない。 吾 

一 々は、 過去に 於て 存在した る 幾多の 定義に 就て、 吾々 がー 

一 致し 得る 個所 を發 見す る 事に 努めなければ ならない。 

吾々 の 主張 は * 素より. 現在 迄に 存在した る 定義の 中に 

於ても 全く 一 致すべき もの、 ある 事 を 信す る 者で ある。 唯 

吾々 獨自の 立場から、 吾々 の 主張 を述 ぶる に過ぎない。 



59 



新の 如き 見地から、 吾々 の 主張 は 全く 異 つた 理義に 胚胎 

する ものと 言って 差 支 無い。 

11 先づ 第一に 其處に は、 總 ての 過去の 經驗に 依て 生じ 

たる、 一 つの 立脚地が ある。 而 して、 此 立脚地に 基く 時、 

吾々 は 略々 完全に 近き 定義 を 得る に 相違ない。 11 而 して 

その 定義 こそ は. . ^何なる 批評に 對 しても、 常に 正確に し 

て、 傷 けられざる ものである。 

第二 は、 ー歷 重要なる 用意 は、 吾々 が 定義 を 作成す るに 

當 て, 從來迄 存在した る 定義み」 一 暦 深く 研究し、 究明す る 

事に 侬て 得る よりも、 寧ろ、 吾々 獨自の 解釋を 作る ために 

新ら しき 地步を 開拓す る 努力の 中に 於て 眞に、 完全に して 

正しき 智識 を 得る に 相違ない とい ふ 事で ある。 而 して 此法 

則 は 今迄 最も 有効な ものと して 用 ひられて 來た 所の、 極め 

て 普遍的な ものと して 知られて ゐる。 

『三』 

社會 主義に 定義 を 下す に當 て、 第一 に 必要なる 事 は、 先 

づ範圍 を则定 する 事で ある。 首換 ふるならば、 定義の 目的 

を評犢 する 事で ある。 

それ故に 吾々 の 第一の 仕事 は、 質疑の 目的 並びに 限界 を 

定める とい ふ 事で なければ ならない。 



吾々 は、 マルクス、 ヱンゲ ルス、 ラッサ ル、 リ— ブ クネヒ 

ト, ベ. I ベル、 カウ ツキ II 、 ダ 1 ド、. デョ. I レス、 ワンダ 

1 ベルド、 ハインドマン、 プレハノフ、 等に 依て 代表され 

たる 近代的 社會 運動 更に 言換 ふるならば、 近代の 攻治 

學に 於け る大 なる 挑戰 運動と も 言 ふべき、 國 際社會 主義に 

就て は 多くの 關係を 有する 者で あるが プラト— 以前の 多く 

\ の 夢の 城砦の 建築 師に對 して は 何等の 交渉 を 有せざる 者で 

一 ある。 

\ 而 して、 吾々 は 功 妙なる 社會の 考案に 依て 案出 せられた 

一 る計畫 並びに 方法 を 離れて 何者 も 有せざる 者で ある。 而し 

一 て、 彼等に 從ふ 時、 現在 一 切の 階級に 屬し. て ゐる者 は、 盡く 

一 一 つの 目的の 下に 彼等が 各自に 承認す る を 得 可き、 政治 組 

\ 織 並びに 經濟 組織 を 造 就す る 事に 努 むべき である。 11 而 

\ して. 吾等 は此說 明を稱 して 社會 主義と 名く るに 過ぎない. - 

一 吾々 が、 其 運動 を 観察し、 其 順序 を 研究し、 議會に 於け 

る 吾々 の 代表者に 就て 聽閒 し、 或は 政治的 權 力に 對 する 其 

鬪爭を 記し、 更に 或は 經濟 組織の 改善に 對し、 組織的 勞働 

の 爭鬪に 於い て其實 際 的 適用 を爲す t- に當て 、 吾 々 は f:j:i 々 

の 定義に 就ての 必要なる 目的 を 知悉す る 者で ある。 

而 して、 吾々 は、 社會 主義 を ( 一 ) 現在に 於て 組織され て 

ゐ るが 如き 社會を 批評す る ものと して、 (一 一) 社會 進化の 哲 



60 



舉 として、 (三) 鑣て 遂行 せらるべき 理想と して、 (四) 哲舉 

に 依て 導かれ、 而 して 理想^ 達成 を 目的と すべ き 批評に 於 

ける 不満足なる 非難に 依て 刺戟され たる 運動と して, 其 本 

質的 特徵 を、 明 嘹に且 諒解し 易く 說明 しなければ ならぬ。 

『四』 

.( 一 ) 現在 社會の 批評と しての 社會 主義、 —— 社會的 不平 

等 は社會 主義の 本質的 狀態 である。 然し 乍ら 社會的 不平等 

は斷 じて 社會 主義 的な もので は 無い。一 然り、 而 して、 

社 I 批評 は必す 常に 社會 主義に 到達すべき ものと 限って は 

ゐ ない。 

現在の 社會 制度 を 批難し、 贫乏 並びに 其 他の 害 惡を盡 く 

人間の 懶惰 に歸 しノ而 して、 人間の 性質の 改造 を企圖 する 

所の 說敎者 は、 彼等の 言 ふ 所、 彼等の 說く 所が 如何に 强く 

何に 銳く ありと する-^ 斷 じて 社會 主義者で は 無い。 

又 それと 同時に 無政府主義者 も社會 主義者で は 無い。 何 

となれば、 彼等 は 現在 社會に 存在す る 一切の 罪惡を 以て、 

其由來 する 所 を、 權カを 背景と する 法律の 上に 築かれた る 

, 政府の 中に 在る ものと して、 絕對の 個人的 自由 を 主張し、 

要求す る ものなる が 故で ある。 

彼 は社會 主義者が 攻擊 する 此の 同じき 罪惡を fe^ しく 攻紫 



する。 而 して • 社會 主義者が 口にする 同じき 言葉と 說 明と 

を 以て 彼等 を攻 難す る。 

然し 乍ら、 彼等 は 其 根柢に 於て 社會 主義と は 到底 相容れ 

ざる ものである。 一 > これに 反して 社會 主義者の 批評 態度 

は 全く 特別の ものである。 而 して、 其 批評 は社會 主義に の 

み 許された る特權 であらねば ならぬ。 

而 して、 其 最も 注, 意すべき 特徵 は、 貧乏の. g き、 或は 犯 

罪の 如き、 或は 勞働 過度の 如き、 或は 就業 難の. S き、 或は 

產業 恐慌の 如き、 或は 戰爭 の.^ き、 而 して 或は 社會の 階級 

的 支配に 胚胎して 生じた る、 ストライキ、 ボイコット- ^w. 

他の 方法に 依る 社會的 11 爭の 如き、 盡く 之れ 資本家 社會の 

害悪の 事實に 基いて 主張せられ たる、 階級 的 認識に 根據を 

有する となす 點 である。 

卽ち、 現在の 如き 經濟 組織の 下に 布て は、 社會に 於て、 

比較的 少 部分 を 占む る 一 階級が 自然力、 並びに 生 產機關 を 

獨 占し、 若しく ば 管理して ゐる。 而 して、 大多数の 富の 眞 

一 實の 生産者 は此 少数の 階級に 從 賜し、 之に 利用 せられて ゐ 

る。 斯. の 如くに して、 吾等 は 社畲に 於て 利 盆の 大 なる 葛 籐. 

狀態を 目撃す 者で ある。 

1 階級 11 卽ち、 直接 生 產に携 つて ゐる 階級 は 毫も 生產 

に携 はらざる 階級に 依て 支配 せられて ゐる。 而 して、 眞實 



61 



の 生産者 は、 彼等の 造り 出した る 憤 値の 當額を 得る 事無く 

して、 唯 僅に 賃銀の 名稱の 下に 極めて 少額 を與 へられて ゐ 

るに 過ぎない。 而 して, 生産物と 賃銀との 間に はる 差額 

は盡く 支配階級の 手中に 歸す るので ある。 他の 言葉 を藉り 

て 首 ふなら ば 近代 産業の 恃徵 は、 支配階級の 爲 めの 利^ を 

のみ 目的と する ものである。 

資本主義の 精神 は、 社會の 金員が、 共通に 自由と 幸福と 

を. 得て、 社會の 進歩 發展に 倫へ、 文化の 恩澤に 浴す る 事に 

努力す るに 非す して、 寧ろ 全く 反對 に、 支配階級の 豪奢と 

權 力と を. 增大 せんとす る 目的の 下に 其 努力 を捧 ぐる もので 

ある。 而 して, 此 根本的 事 I 貧に 基いて、 近代 文化 を 荒廢せ 

しむる 多くの 罪惡が 生す るので ある,. 

卽 ち, 斯の 如き 狀 態の 下に 於て、 現在 社會 制度の 批評と 

しての 社會 主義 は 生産 階級の 自然 的 不平 の 首. 表 其 者 で あら 

ねばならぬ。 而 して 社會 主義者の 哲舉 は當然 必然に、 制度 

組織 を變 革し て 、 以 上述 べ來 りたる 社會 的害惡 を 除去す る 

事に 在る。 

『五』 

(一 一) 社會 進化の 哲學 としての 社會 主義 11 吾々 は 進歩の 

事實、 並びに 其の 普遍的法則 を 了解す る 事な くして、 社會 



主義の 哲ま T 11 卽ち實 際 運動の 上に 關係を 保てる 瓧會 主義 

の 哲學を 理解す る 事が 出來 ない。 

何と なれば、 社會 主義 は 人類 發 達の 解說 であり、 同時に 

社會 進化の 舉說 である。 而 して 吾等が 稱 して、 社會 主義者 

一 の 理想と 爲す 所の 社會發 達の 將來 の豫 一一 n* 並びに 其に 到達 

せんとす る 所の 順序、 方法 は總 て、 人類 社會の 進化 を 支配 

一 する 法則の 研究の 上に 基礎 を 有する ものである。 11 而し 

\ て、 社會 主義者の 哲學は 唯 物的 假定の 上に 基礎 づ けられて 

一 ゐる ものである。 其 根柢 的敎義 は、 力! ル マルクスに 依て 

一 形成せられ たる 歴史的 發 達の 學說 である。 . 

一 近代の 勞働 階級 は從來 歴史上に 存在した る あらゆる 階級 

: と、 重要なる 點に 於て 異 つて ゐる。 11 彼等 は 支配力 を 得 

I るた めの K 爭 を^と しない。 其處 には斷 じて 階級 的 擯斥が 

一: ま 巧 

一 その 闘爭 はすべ ての 階級と 等しく、 それ は 自己の 階級 を 

; 支配し 及び 壓 制の 桔 機から 自由なら しむる ための 11 爭 であ 

\ る," それが 他の 對立 階級と 異る點 は、 鬪爭の 結果、 從來迄 

, の 地位 を 顔 倒して、 直ちに 支配- 藤 制 階級た らんと する の 

希望 目的 を 有せざる 事で ある。 

それ は 全く 經濟的 支配の 可能性 を 破壊す る 事に 依て 夫自 

身 を 自由なら しむる 事が 出來 る。 



それ故に 近代 勞働 階級の 勝利 は、 古代 蠻 族の 共 產主藜 を 

以て 開始され た 所の 階級 鬪爭の 循環の 終り を 意味す る。 

『六』 

(三) 理想と しての 社 會主穀 11 、 近代に 於け る社會 主義 

者の 理想 は 社 會狀憨 をして、 階級 的 支配の 總 ての 形式から 

全く 自由なら しむる とい ふ 事で ある。 

而 して、 それ は客觀 的に は、 一階 級が 他の 階級に 依て 支 

配され ると いふが 如き 事 無き、 完全なる 攻治 的、 並びに 產 

業 的 民主々 義 として 決定され、 主張され る。 

斯の 如き 社會の 下に 在て は, 現在の 社會 制度の 下に 存在 

する が 如き 最惡の 害毒 は 存在し ない。 断の 如き 社會の 下に 

在て は、 現在の 社會に 存在す る、 階級 的對 立は斷 じて 見る 

事が 出來 ない。 而 して、 此 完全なる 政治的、 並びに 産業 的 

の 民主主義が 樹立 せらる S 前に、 其 處には 先 づ必す 現在の 

經濟 組織の 完全なる 整理が 行 はれなければ ならぬ。 

社會 主義 推進の 動機 は、 經濟的 支配の 上に 存在して ゐる 

階級 的 法則の 破壊で ある。 而 して 斯の 如き 支配 を 含まざる 

方法に 依る 生産、 並びに 分配 は、 縱令 其が 個人に よって 爲 

さる > "とも、 若しくは 圑體に 侬て爲 さる、 とも、 其 目的 實 

現の 上に 決して 矛盾 を來す もので はない。 



『七』 

, (四) 運動と しての 社會 主義、 11 近代に 於け る社會 主義 

一 運動の 注意すべき 特質の 中, 最も 重要なる 點は 階級 的 性質 

一 に 就て > ある。 而 して、 そ は 本質的に は、 特別なる 階級、 

一 卽ち勞 働 階級 を 解放す る 事 を 目的と する 階級 運動で ある。 

一 すべ ての 國に 於け る社會 主義 運動の 注意すべき 特徵の 一 

一 っはノ ン、 プロレタリア ン の數が 次第に 增加 しつ、 あると 

いふ 事で ある。 然し 乍ら、 プロレタリア ンの 運動に 從 事す 

一 る 者が 其 階級に 從屬す る もので 無い とい ふ 事 は 毫も 異 とす 

一 るに 足らぬ 事で ある。 

一 此、 ノン、 プロレタリア ン の 要素 は、 腰辨 階級、 小 商人 

一 製造業 者、 農夫 等で ある。 而 して, 彼等 は 之れ を 有力なる 

一 資本家の 數と 比較す る 時 * 極めて 少数で ある こと は 言 ふ 迄 

も 無い。 

而 して、 其 運動が 若し 確實に 階級 巡 動で ある 時に 於て は 

社會 主義 は 當然に 國際的 運動で あらねば ならぬ。 然し 乍ら 

其 運動 は、 物質的、 並びに 外延 的な 意味に 於て 單 なる 國際 

的 運動で は 無い。 唯 妙く とも、 國際 的ソリ ダリ ティ を 主張 

し、 目的と する 精祌に 於ての み國際 的で ある だけで ある。 

『萬 國の勞 働 者よ、 圑結 せよ。』: Working-men cf all country 



とい. ふ 言葉 は 有名なる 共產黨 宣言が 謂 ゆる 所で ある。 而しー 

て此 言葉 は 前述の 理想 を 最も 端的に 表明した ものと 言って 一 

差 支 無い。 : 

社會 主義者の 運動 は當然 結果に 於て は 根柢 的な 國際 主義 一 

に來る ものである。 而 して 世界に 於け る、 n: 取も大 なる 力が: 

總 ての 人類に 共通した る 平和 を 作り出さなければ ならぬ。 一 

而 して、 運動 は國際 主義の 理想に 依て 刺戟 さる 、 もので 一 

ある。 けれども それ は 決して 非國家 的な もので はない。 

—— 吾々 の愛國 心に 就て は 之を說 明すべき 理由 は 無い。 

然し 乍ら、 吾々 が國を 愛する とい ふ 事 は、 斷 じて 他の 國を一 

忌 悌 す ると いふ 事 を 意味し な い 。 

『八』 i 

其 運動の 大體は 、生産 機 il の 占有. 若しく ば 管理 を 圑體的 一 

基礎に 立てる 國 家の 手に 移して、 資本家 階級の 支配 を 排斥 

する 事 を 目的と する 所の 勞働 階級の 政治 運動 其 者で ある、 

若し 吾々 が社會 主義 を 以て 革命運動と 呼ぶならば、 吾々 

は 革 X 叩の 意味に 就て 他の 漑念を 適用し なければ ならぬ。 ー. 一 

I 社會 主義者の 考慮 は 極めて 厳密で ある。 彼に 從 へば. 革 一 

命と は變 化の 手段 を 意味す る ものに あらす して 變化其 者 を 

意味す る ものである。 卽ち、 變 化の 手段に は 交涉を 有せす 一 



して、 其 目的に 交涉を 有する ものである。 

『九』 

\ 今や、 吾等の 定義 を 組織的に 陣述 すべき 時が 來た。 

: 吾等 は旣に f 社會 批評』 として、 或は 『哲 學」 として、 或は 

『理想』 若しく ば 『觀 念』 として、 社會 主義の 本質的 特 徵を檢 

一 藪し 來 つた- ソ 

\ 而 して, 今や、 吾等に 殘 された る 事業 は、 是 等の 特質 を 

一 統轄し、 續 いて 之 を簡單 なる 記述に 書 改める 事で ある。 

一 吾人 は實に 以下の. S くに 社會 主義に 定義 を 下した 卽ち曰 

一 はく、 『社會 主義 は、 直接 生 產に携 はらざる 階級 をして、 富の 

生産者 を 虐使せ しむる が. g き、 生産 並びに 交換に 對 する 社 

會 力の、 個人的 若しく ば 階級 的獨占 及び 管理に 現在の 社會 

一 惡の 多くが 附隨 する 社會の 「批評』 である。 社會的 進歩の 度 

一 合 並びに 方向が、 生産 並びに 交換の 經濟的 要素の 發 達に 侬 

て诀 せらる 、 、社會 進化の 擧說 である 。生産 並びに 交換の 園 

體的 管理に 依て 區別 せらるべき 社會的 進化の 中に、 將に來 

る ベ き 時代 を豫 言し 若し く は 想像す る舉說 であ る。 而 して 

最後 に 其 運動 は社會 主義の 理想 を招來 せんがた めに、 國家 

の 凡ての 權カを 管理すべき 事 を 目的と する 勞働 階級の 人々 

に 依て 成就 さるべき、 國際的 〇o 運動で ある。 (尾 崎士 郞譯) 



新 著.! ♦ レグァ ハレ ノム卿 

「六 時間 勞働其 他」 

評 Y 



E Lvalsur unrest! llaljcur unrest! 

近頃 英國 からく る 新閬紙 「の 第 一 面 を 彩 

つて ゐる もの は、 みな 「勞働 不安!」 の 

記事で 満たされて ゐ ます。 

■ □ この 時に ぃグァ ハ ル. ム 卿が 「六 時 

間 勞働其 他」 を 著した こと は 興味の 多 

いこと と 思 ひます。 六 時閒勞 働! レ 

ヴァ ハル ムは 決して 勞働 者で もな く 

社會 主義で もな く * 彼れ は 立派な 資本 

家であります。 資本家と しての 彼れ は 

六 時間 勞働を 主張し ます。 「六 時間 勞働 

は生產 能率 を 最も 增 進 一す る 所以で あ 

る。」 「婦人 または 少女の 勞働 において 

は、 六 時間 勞働 制の 必要 は 一 曆熱 切で 

あるに 一 彼れ はかう 申して ゐ ます。 資本 

家の 立場に おいて 生產 能率 增 進の ため 

に 六 時間 勞 働が 必要 だと 申す ので あり 

ます。 



□ この 書物 は英國 における 資本家の 

間に も 大分 問題と なって ゐる のみなら 

す、 然^^働者の側にぉぃてもまた注意を 

„ ^めて ゐ ます。 勞働黨 の 機關雜 誌と 目 

されて ゐる 「 二 ュ )•• ス テ ー ッ マン-ま 

この 書物の 批評のう ちに おいて 次の や 

うに 述べて ゐ ます 「この 書物 は 勞働黨 

が 省って 社會 改造 案と して 提議した 內 

容に 近い ものである。 その 勞働黨 の 社 

會 改造 案が 發 表された る 時に、 コ イド • 

,デ ョ —.、 チは 過激派 主義 だとい つて 排斥 

したが、 今日、 レ 卿が それに 近い 意見 

を發 表しても、 ブ ル ジ ョ ァ 階級が 沈默 

を 守って ゐる こと は 社會の 一 大 躍進— 

! ソ ! シ アル • デ モク ラシ 1 へ の ||進 

を 物語って ゐる ものである 」 と。 

3 兎も角 日本の 資本家 諸君、 特に ェ 

業俱樂 部と 稱 する 資本 團 11 日本の 暖 



特權 階級に 一 讀 して 貰 ひたい もので あ 

ります 

VLevcrhuilr-c, Th つ 

Six-liour Day and other 

Indiistrial Questions) 

♦ ロッ ス敎授 

「向上の n シ ァ」 

□ ロシアの 過激派に ついては 諸說紛 

紛 たる ものが あります。 それ 等の 諸說 

の -フ ちで、 九十 九パ アセント は 誤謬で 

あると 申して 差 支の ない ほどに 信す ベ、 

き說の 少ない こと は遣感 です。 

Q 最も 信賴す る こと のでき る 寄 物と 

して、 私の こ、 に 推薦ので きる もの は 

社 會學の 大家、 ヱ ドヮ I ド • ヱ • D ッ 

ス の 新著 「向上の 口 シ ァ J であると 思 ひ 

ます 。「口 シァの 前途 は悲觀 する の 必要 

がない」 と は 彼れ の 結論であります。 

彼れ はこの 結論に 到 著す るまでに、 從 

來 の諸攻 治と 過激派の 攻 治と を 比較し 

て、 過激派の 政治が、 遙 によく 秩序 を 

維持して ゐ る f 】 と を立證 して ゐ ます。 

u々oss, Russ a ill ulllleavwo 



捌賣大 



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社 lr 主義、 過激 主義、 民主々 義とは 何もので あるか ( 

係 は 如何。 本書 は ® りょく これに 解答 を與 へます。 

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內容 



ま 1^ 

< ^、一 ァモ クラ や— について △ 戰爭の 目的 A 阁體 主義 △ 愛 國心! △ 

傳統 主義 △ 民族主義 A 新 理想主義 △ 政治と 能率 



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THE CRITICISM 



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大正 八 年; 一一 月 二十 八日 is- 三種 « 便 物 認可 1 

大正 八 年 五月 二十 八日 印刷 納不 大正 八 年 六月 1 日發行 一 



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ーミ 



■ 無政府主義の 批判 ……… 

■ マルクス 傅 

■1 八 四 八 年の マルクス 

■ 社會 主義、 民主主義、 過激 主義 著 甞考. 

國攻治 改造と 社會 改造 : 

■ 過激 主義と 民主主義 ::;: 

國福田 博士と 社會 民主主義. 



社 評 批 



「批 評」 よ り 

♦ 人 々は 知識 に 飢えて ゐ ます。 私 どもが 

今日まで うけて さた 敎育 は、 今日までの 

世界に は、 瞬間 的 に 役に立つ もので あつ 

たにしても、 それ は 凡て 界 の現狀 維持 

とい ふ、、 との 大膽 なる 獨斷 のう へに のみ 

安心ので さる 敎育 であ"、 知識で あり、 

ォ 能であった に 過 、ない。 

♦ 世界 は 1 變 しました。 少く とも 1 變し 

つ、 ぁリ ます。 それ ゆ ゑに 今日 Li おいて 

必要と せらる V 知識 はせ 界,^ 改造す る こ 

とに おいて 必要と せらろ ゝ 知識で ぁリま 

す それ は 明&の 世界に ついての 知識で 

ぁリ、 さう して 昨日の 卅界 についての 知 

識 ではない。 

♦ 今日の 政治家 11 特に 日本の 政治家の 

諸君 は 世界の 改造に ついて 一切 樂天 的で 

あります。 彼等 は齊 通選舉 もって 餘リ 

に 急進的で あると 感じて ゐ ます。 勞働組 

合に ついても 一切 無理解で ぁリ ます。 そ 

れほ どに 彼等の 精神 は 現代から 遠 Vt; かつ 

V- ゐ ます 時代 は 彼等の 一圃 yj- 残して 遠 



慮な く 進んで ゆきます。 

♦ 今日の 論 Ig- において 政治家の 名が 1" ん 

ど 一切 驅 されて ゐる: との 事. 13: は、 今 

日の 政治家が 知識 的に 如何 L! 不信用で あ 

リ また 如何 に 無 準備で あるかの 事. 物 

語って ゐ i す。 

♦ 今日の 政治家が 旣に 知識 的に 不信用で 

あると マれば 現代の 政治 界が 新しき 人物 

求めて. ゐ る、、 と は 明白と なります。 そ 

の 求められて ゐろ 政治家と は 世界の あら 

ゆる 改造 11 政治的、 社會 的、 業 的 及び 

民族的 改造に ついての 知識と 辆領と も 

つて ゐろ ものであるに ほかなら ない 

♦ 社會 主義 Li ついての 知識、 民主主義 

ついての 知識 は、 今日 及 今日 以後の 世界 

に 生活す る 1 ^のにと つてに ゲ アイダ^に 

必耍の もので ぁリ ます。 これ 等の 點 につ 

いて、 新ら しき 知識と 正しき 批判と, CJ^ 與 

へる、、 とに おいて、 「批評」 は 決して 何れ 

の 新聞 *<た は雜 誌に も 劣る もので はない 

♦ その 意味に おいて, 微力ながら わが 「批 

評」 は密」 新時代の 開拓と 指導との 任務 

, ^感じて ゐ. i す。 



令 今度の 號には 無政府主義-」 ついての 批 

評. ^載せました。 思想界が 常 Li 不安の 状 

態に 置かれて ゐろ 時に、 無政府主義の ご 

とさ 不健全に して 且つ 思想 的 Li 可成り 勢 

力 あろむの L1 對 して 嚴 正な 批判 與 へる 

こと は 極めて 必要な むので なくて はなら 

ム V 

♦ それから また 今度 の號 から ゲ ヨン. ス 

バ ^ ゴゥの 「過激 主義」 vS- 述載 すろ ことと 

しました。 ス バ ^ ゴ ゥが 社. 主義よ た は 

民主主義 につ いての 有名な 研究家で ある 

、、と は 申す まで もな い ことであります。 

♦ スパか ゴゥの 書物と は 本年 三月 統 育で 

出版され;.: 一 Ml-eviH:- 一であります。 それ 

もまた 思想の 健全な ろ 指導の ため:.: 

, ^耍 すろ ものと 思 ひます. - 

♦ 秋 花 氏の 短篇 は 毎 號載リ ます。 秋 花 氏 

の 何人で あるかば こ V にい ふこと,^ 避け 

ます 森恪 氏,;. 長篇の もの,^ f;a く 豫定で 

したが 差 支の ため L1 出來 上らな か. つたの 

は 遣憾 です" た マ 匿名の 研究家 甲 野哲ニ 

の マ か クス 研究,^ え^こと 喜びます。 

( 一 記者) 




驪攻 治 改造と 社會 改造 (森 恪) 

■ 山 東 問題 は 成功 か 

■ 秘密 外交よ リ 外交 民主々 義へ 

■ 新聞記者 精神の 墮落 

疆靑 年の 解放 

驪勞働 運動の 指導 

IH 無政府主義の 批判 (長 篇) 

■ マルクス 傳 

■1 八 四 八 年の マルクス 

B 社會 主義 民主主義 過激 主義 著書 考 

□ 



• (批 



評) 



室 伏 高 信 



• 尾 琦 

. 甲 野 



士 郞 

哲 二 



國 デモ クラシ I 研究 (三) 

■ 過激 主義と 民主主義 

■ 福 田 博士と ソ ー シャ ル* デモ クラ シ 

黼遠 吠 錄 

国 クララの 言葉 

■ 現代人 物傳 (福 田德三 氏) 



チョン • ス ハル ゴゥ 

. 室 伏 高 信 



秋 花 

關未代 策 

. (】e 三 08 



一 「批評- 

n ムパ —ァス 



一新 著 批評 

〇リ —ブ クネヒト (未來 は 人民に 属す) 

〇 マクドナルド (戰 後の 社會 主義) :: 

I 評! i の 評論 

野 村隈畔 

〇 左右 田 博士の 文化 主義 

一 編輯 室と 校正 室 



批— 評 

政治 改造と 社會 

改造 

社會 改造の 聲は 世界 を 通じての 聲 である。 十九 世紀 か 政 

治 改革の 時代で あつたのに 對 して 廿 世紀が 社會 改造の 時代 

であると いへ ない こと もない, 少 くと も社會 改造 は 現 世紀、 

において 世界的の 一 大要 求で ある。 この 一 大要 求に 盲目で 

あるの は 一 切の 公的の 地位 を 要求す る 資格の ない もので あ 

る。 何と なれば 彼れ は 現代の 中核 的の 精神に ついて 無理解 

であるから である。 

けれども 社會 改造 はまた 政治 改造でなくて ならぬ。 われ 

等が その 圑體的 生活の 必要と 習^と を傳統 的に 所有す る も 

ので あると すれば、 われ 等の 生活 は 遂に 攻 治と 無閼 係に 成 

立す る こと はでき ない。 政治的に 無政府の 要求 は經濟 上に 

も 無政府の 要求と ならなくて はならぬ。 それ は 決して 人間 



生活の 協同の 理想へ と 向って ゆく ことで は. ない のみなら 

す、 一 切の 不 秩序へ と ゆく ことで ある。 

今日の 世界に おいて は • 攻 治と は 決して 腫 迫の 機關 であ 

ると いふ ご とき 主張 11 無政府主義者の 主張 を 許容す る f 〕 

と. かで きる もので はない-.^ 政治と は國民 生活に 對 して 秩序 

と 理想と を與 へる ものでなくて はならぬ。 われ 等の 要求す 

ると, ) ろの 攻 治と は卽 ち、 .1 れ である。 

玫治 をして、 ) の 理想に はしむ るが ために は、 產業 組織 

の 改造、 社會組 II の 改造、 さう して 攻治 組織の 改造 11 1 

切の 國民 生活 をして 日本の 榮譽 ある 皇室 的 傅統の もとに 改 

造す る こと は 必然に 來 るべき 階梯で ある。 さう して 現代 は 

正に この 耍 求が 最も 多く、 且つ 世界的に 一: :1 調され て ゐる時 

代で ある。 この 時代に おいて 日本の 攻治家 は 何 ごと をな し 

つ、 あるか。 凡ての 黨派を 通じて、 彼等 は 相互に 相爭 ひつ 

つ ある ことのほかに 何 をな しつ、 あるか。 攻友會 も 窓攻會 

も 國民黨 も • 一 つと して 社會 改造 または 攻治 改造の 理想と 

綱領と を 表示した ものが あるか。 

政治家 無能の 聲は 到る 所に 高まりつ 、 ある。 人民と 政治 

家との 垂離は 到る 所に 實現 せられつ" ある。 新ら しき 攻治 

家、 現代の 精神 を 理解し 社會的 及び 政治的 改造の 新 綱領 を. 

抱いて ゐる もの をして 現代 を 支配せ しめよ。 (森 恪) 



山 東 問題 ほ 成功 か 

山 東 問題に ついての 日本の 要求が 三 大國首 腦の贊 成 をえ 

たこと は事實 である。 日本の 論壇 はこれ を 成功で あると す 

る。 日本の 政治家 はこれ を 成功で あると する。 その 成功 を 

誇りつ >. ある 間に 支那に お い て 排日の 暴動が 起 つたこと は 

傷まし い アイ 口 一一 ィ であるで はなから うか。 

山 東 問題に ついての 支那の 要求が 正當 であるか 否 かの St 

題は暫 らくこ >, にい はない。 けれども 日本の 對支 外交. か 支 

那に對 して 不信用の 原因と なって ゐる こと は 明白で ある。 

山 東 問題と はた 山 js^ 問題と しての み 切り離して 考 へ る こ 

とので きる もので はない。 その 背後に は I 切の 對支 外交の 

失敗の 堆積が ある。 寺 內內閣 の 無 暴なる 對支 干涉、 大隈內 

閣の 過酷なる 對支條 件、 これ 等の もの は 日 支 關保を 險惡な 

らしめ たる 最も 主要なる 原因で ある。 それ 等の 日支關 係の 

險惡 なる 狀態 において 山 東 問題なる ものが あり、 日本人 排 

斥が あり、 國 辱大會 なる ものが ありうる つ それ ゆ ゑに 山 東 

問題なる もの は 過去に おける 一 切の 對支 3^: 交の 失敗の 表象 

として 生れた ものである。 

タ われ 等 は 山 東の 一 角に 利權 をうる がた めに 四 億の 支, 那の 



人心 を 失って はならぬ ズ 森恪) 

秘密 外交より 外交 民主 

主義へ 

政治家の S 慮 病 は 攻友會 から 窻玫會 へと 移った。 …… 外 

交の、 〕 と K ュ 慮に 堪 へ す …; 政 友 會の總 裁 原 敬 氏が 甞っ てこ 

れを 口にした。 憲攻會 の 總裁加 藤 高 明 氏が 今 ま、 J れを 口に 

しつ >, ある。 彼等 は 何 ごと を 憂慮し つ >r あるか。 然り、 憂 

慮と はた 無能者の 常套語で あるに 過ぎない ではない か。 

外交 攻维 は國 家に 不利益で あるから : …加 藤 子 は、 〕 うい 

ふ。 けれども 外交 攻撃が 國 家の 害 惡 であった 時代 は、 國家 

がた > 利己的 存在で あると された 時代に おいての みのこと 

である. - 國 家が 秘密結社 でない 限り、 また 國 家が 國 際的偷 

盜を 目的と する 齓體 でない 限り * 外交 もまた 民主主義の 支 

配 を 5 けなくて はならぬ。 

秘密 外交より 外交 民主主義へ。 

, 新聞記者 精神の 堕落 

新 ® 記者が 純然たる r 材料 取り」 となりつ、 ある こと は 



.4 現前の 不幸なる 事實 である。 その 結果 はいふまで もな く 新 

開 記者 精神の 堕落と ならざる をえない。 

見よ、 何れの 新聞紙 ——大 新聞と 自稱 する 諸 新聞が この 

「材料 取り」 以外に 何 をな しつ >r あるか o、 彼等 は その 「材 

料 取り」 において 益々 巧妙と なりつ > "あると は 正反對 に、 

その 批判的 能力と 精神と に おいて は 4 ま々 堕落し つ、 ある。 

朝鮮 問題に おいて、 國際 聯盟 問題に おいて、 國際勞 働 問 

題に おいて、 山 東 問題に おいて, 新 間 紙が 權烕 ある 批判 を 

なして 國論を 正して 指導すべき 機會は IS 々與 へられた にも 

か >. わらす、 玫 麻の 提灯持ち となり、 軍閥の 御幣 かつぎと 

なり, 政黨の 御用と なり、 甚だしき に 至って は壯士 浪人 輩 

の 職業的 對外 硬の 運動に 盲從 して 徒に 弱き 隣邦の 人心の 反 

感を買 ひたる ことの 以外に、 彼等 は 如何なる 權威 ある 批判 

を發 表した ことがあ るか。 

現代の 新聞紙 は 民衆の 指導者と しての 地位と 信用と を 急 

速に 失墜し つ、 ある。 

新聞紙 法の 改革と もに 新聞 または 新閬 記者 そのもの 、 

改革がなくて はならぬ, - 



青年の 解放 



青年 を 解放せ よ。 あらゆる ものから 青年 を 解放せ よ。 

先づ その 高天原 的 小舉敎 育から 解放せ よ。 さう して: i れ 

に先づ 人と しての 自 覺を與 へ よ G 

その 次ぎに 彼れ を 「青年 會」 から 解放せ よ。 郡長 を會 長; 

または 支部 長と し、 報德 敎を强 制せられ、 軍閥の 講演と 指 一 

導と を强 制せられつ、 ある 「青年 會」 から、 地方の 純真な 一 

る 青年 を 解放せ よ。 

青年の 精神 は痲库 しつ、 あるで はない か。 



勞働 運動の 指導 ,• 

あらゆる ことの うちにお いて、 勞働 運動の 指導 は 今日の 

日本に おいて 最も 熱 切の 急務で ある。 一 

勞働 運動 は隨 所に 起り つ、 ある。 勞働 組合、 勞 働黨、 社 一 

會 主義 または サ ン-、 チカ リズ ムの 色彩 を もって ゐる 運動 さへ 一 

も 今や 隨 所に 起り つ > 'ある。 勞働 運動の 勃與は 現代 日本の^ 

諸 現象のう ちに あって 最も 重要なる 社會的 現象で ある。 さ 

うして また 勝て 攻治的 現象で ,.- も ある。 われ 等 は勞働 運動 一 

の 勃興 を歡迎 する。 あらゆる ものが その 初めに おいて 亂雜 一 

である ごとく、 今日の 勞働 運動 もまた その 亂雜 と不 秩序と: 

から 免れる こと はで きないに しても、 勞働 運動なる もの は 



政治的、 社會 的、 または 產業的 組織 を 改造す ベ き 最大 多數 にしても、 われ 等 は, 3 の 民衆 運動に 對 して 统 一 と 組 IS と權 

の 民衆の 運動で ある。 その 運動 は 熱 切なる 民衆の 精神 及び 威と を附與 する ために こ > に 正しき さう して 偉大なる 指導 

その 生活の 痛苦なる 要求から 生れ 出で 、 くる ものである。 とを與 へ なくて はならぬ。 

從 つて それ は 指導な くしても 起らざる をえない ものである 



新著 批評 



力. I ル. リ I ブク ネヒ卜 『未來 は 民衆の ものな リ』 

で Til か Future welongs to the people: wy wars L-iebknecht) 



□ 

力 ー • "1 プグネ t トが 現在 獨逸 國內 

に 在て 猪の 如く 荒れ狂て ゐるス バヤ タカス 

國 の主腦 人物であった、 • と は 何人も 知て ゐ 

ます 

本書 は その リ ー. プ クネヒトの 突 際 家と し 

ての、 Revolutio: al な 半面,^ 知る 意味 Li お 

いて 最も 適當 なる 彼の 演說 集であります。 

その 演說は 彼が 戰爭 開始 當 時から 最近 華 々 

しい 運動 振り fs- 示して 死に 到る までの 間に 

おいて 爲 された る 最も 主要なる もの、 累穰 

であ リ ます、 或は 議會 に おいて、 或は 肚會 

m 大會 において、 或は お; -て、 凡そ 



彼の 洩らした る 一 言 一 句は霾 めて 此 一 書-仁 

溢れて ゐ ます。 

本書の 編者 はゥ すか タ ー、 ゥ Ml かとい 

ふ 人であります。 そして それ 一一 ュ ー ヨ^ 

ク に おいて ディ マ ンド とい ふ 人が 重譯 した 

ものであります。 卷 頭に、 The ョ? U1 Liebk 

一 lecht とい ふ 章が ぁリ ます。 彼の 人物 性行 

は此 1 篇の 中に 躍如と して 輝いて ゐま す-。 

又 第 一 頁 Li. は 彼の 抱負な 托した ものと もい 

ふべき 演 說の拔 萃が揭 げられ てあります。 

香々 は その 彼の SS- 悲痛な 宣言と して 信 

じ. す。 その 全文^ 次に 揭げ ます。 



A3 inv father, who apl-e;ll.e (一 hsfore 1ー1 

is CO 一 irt exactlythirly five years ago 

defetvl hisselfag 己 nst the charge of t.reaa 

on, was u--^^5 & ly pronounced victor so 

I believe the dayis not far distant when tli 

e principles whch I represent will be ri 

cniwed nspalrioUc, Is honorable, as true, 

全文 は 百 四十 四 頁 本書の 特徵は それが 單 

なろ 演說集 LL あらす して、 同時 に 彼の 運動 

史 である 、、とであります (】v P Zi ョ and. 

New York) 



6 



遠 吠錄 I 

秋 花 生 

画 外務省の あろ 若い 侯 群が、 內務 大臣 v^alk 

いで * 新舊の 俳優 大臣 官邸 に 招待、 タジ 

ィも ない こと.^ 話して 居る ことが、 近日の 

新聞紙 賑 はして 居リ ました 而かも 欲 右 

衞門 1> 佐 藤 歳 三 やら 大分 氣焰 吐かれ 

て 居る のが 太 だ 皮肉 LL 感ぜられました。 聞 

けば 若い 侯爵 は 大分 劇通 • ち やさう です、 自 

分で 勸進帳 かなに か やって、 大分 得意が 

つて 居る 人; .0 やさう です。 內務 大臣 は 御 承 

知の 通りな 好人物、 劇-し 對 する 意見な どの 

ありさうな 、、とに 無論 ぁリ ません。 此 等の 

人が 役者, „ ^招いて 只 一時の 歡 y^* つくした と 

いふ: となら、 其に 何でも ありませ む。 太 

郎兵衞 と: ろの 犬が 子 生んだ とい ふ、、 と 

であ ま リ蹈リ のない 出來 事です。 それに 何 

ぞゃ、 やれ 國民 思想が 何う の、 社 會と藝 術 

が 何う の、 と 大した ふれ 出しに は 恐れ入る 

では ありま ぜんか。 

讕若ぃ侯^^ゃ、 內務 大臣 や、 あなたが たは 

染 して藝 術と いふ こと Li 就 さて、 どの 樣 Li 

抱負が ぁリ ます か コゥ 色,^ 使 ふこと 藝 

術と 心得、 演藝 Li 關 する 察 事故 少 から 

しむる 爲 めに、 國民 文乾會 組綠 するとい 

ふ樣 な御考 へで は、 慈 術が 泣きます。 先づ 

あなたがたの 藝術觀 や、 社會 及び 國民 思想 



と 塞 術との 關係 LIM し 御意 見 先づ 承りた 

いもので すれ、 それから 其 极本觀 念の 上に 

國民文 藝會 組 し、 學 後に 役者 連,^ 集 

めて、 之に 順應 せし むろ 樣指 導して 行く、、 

そ 社 會先覺 者の 勤めで はぁリ まぜん か。 然 

かろに どうです、 國事 多忙の 內務 大臣 や 外 

務 省の 役人が、 畫 日中 役者 邸に 招いて、 

役者に 皮肉 yJMW はれて、 其れで 面白がって 

居る と は氣が 知れ ま ぜんれ。 役者 逑も又 役 

者 連です。 大臣が 何です、 侯^が 何です、 

大臣 Li 招かれた からと いふて 有無 言 はす 

に 飛んで 行く 樣 では、 あなたがたの 御 里が 

知れます、 藝 術に 携 はる もの は、 今少し 高 

い 所 に 持って 居られば なリ まぜん。 藝術は 

內務 大臣 や 侯^の 力 俟 つて 向上す る樣な 

そんな 卑しい もので は斷 じて ぁリ まぜん。 

B 日本の 所謂 舊 劇なる ものが 觀 客に 喜ばれ 

なくなる とい ふこと は、 最早 問題で はあり 

まぜん。 それ なれば、 新時代の 耍求 L1 應す 

る 所謂 日本の 劇と いふ ものが、 現在に 於て 

存在して 居る か。 或は 又 存在 ぜんとし つ、 

あるか。 ;?^ は遣憾 ながら、 之,^ 否定す るの 

外 はあり まぜん。 國民文 會 では C 差 (CH リ 

此の方 面の 研究に 努力 せれに ら ぬ、、 とで 

はあります まい か。 役者 本位の 脚本.^ 番ぃ 

て觀 客の 俗眼ん」 誤魔化す 樣な 現在のお 樣で 

は、 日本の 劇 も 何もあった もので は ぁリま 

ぜん。 先づ 良い^ 本 得る とい ふ、、 と は、 

何と 云っても 焦眉の急 であると 思 ひます。 

脚本 あっての 役者です。 脚本あって の 現代 

劇です。 今の 樣 _し、 脚本 作者が 役者の 機逾 



ばか リ 取って 居らなければ ならぬ 樣な爲 

體 では、 何で 良い 脚本が 出來 まぜう。 

■ 次 は 役者の 茭 成です。 一定の 型 Li のみ 依 

つて 動く、、 とが、 釗の? S 事で あると 心 15 て 

居ろ 現代の 役者の 頭 は、 どうして I.- 改良し 

て 行かれば なリ まぜん。 役者の 頭が 現代の 

思想 了解し, 現代の 社會 1^ 知悉す ると 共 

に、 劇の. 精神 細かく 研究す ると 云 ふ、、 と 

の 程度 Li 發 達せなければ、 所謂 現代劇の 出 

來 やう 辔 はもり ません。 此の 主張から 見て 

も、 國民文 會 たろ ものが、 內務 大臣 や 侯 

^の 手に 依って^ 1^ 開けられ ると 云 ふこと 

は- 一代の 不祥事と 申す の 外ぁリ まぜん。 

B^S-ぃ脚本が出來て、 それから 良い 役者が 

出來れ ば、 兹: i 創めて 現代の 劇が 出 來ろ譯 

です。 而 かも 其の 劇 は必す や 現代の 社^と 

思想と に共唱 する もので あられば なら S と 

思 ひます 

B 其 本 究めす して、 徒らに 國民 思想と 文 

藝 との 關係 1 ^論じ 0- うとし、 又は 社 會と剠 

との 關係 究め やうと する の は、 少々 見 常 

違 ひとい ふの 外ぁリ まぜん。 內務 大臣 官邸 

の 宴な 3 は • 只 新聞の 三面 _ ぬ 事 脤 はす の 外。 

大臣と 侯 との 好奇心 喜ばした とい ふ、、 

と、、 役者の 自您心 y^^ 長さした とい ふ、、 

と 位が 其 逢 物で せう。 國民文 藝< ^は、 今少 

し眞 面目 に 出發 したい ものです。 



現代人 物傳 (一) 



福田德 三 氏 

◊ 吉野 博士が かう いふ 話 をした ことがある 「私 

は 福 田 博士と 相撲 を 見に 行った ことがある。 柅木 

山と 千 葉 崎との 取組と なった。 人々 が 栃木 山く 

と 呼ぶ。 福 田 博士が 立ち上って 千 葉 崎く と 怒鳴 

る 博士の 隣席に 十二、 三になる 少年が ゐ た。 

その 少年が 拆 木 山く と 叫ぶ。 福 田 博士 は 叉 もや 

立 上って 千 葉 崎/ \と 怒鳴る」 

◊ この 話のう ちに 福 田 博士の 性格が よく 現れて 

ゐる。 博士 は 妥協が 嫌 ひ、 さう して 反對が 好きだ。 

反對 する こ と に 於いて 博士 の 全 性格が 現れて ゐ 

る。 それに は反對 せんがた めに 反對 するとい ふや 

うな こと も ある。 だから その 反對 論に 無理な 勲の 

あ. こと も 勿論で ある。 けれども その 反對 論の 論 

理 上の 價 値に おいて どう あるに しても、 そこに 福 

田 博士の 全人格が 流露す る。 

7 一 ◊ 反對僻 は、 多く^ 純 其なる 性格から 生れて く 



る。 今日の やうな 不合理な 社會 組織の もとにお い 

て、 これに 甘んじて ゐ. る ことので きる もの は、 そ 

の 人 自身が 特權 階級の 人で あるか、 それでな けれ 

ば 批評 的 良心に 缺 けたる 人で ある。 

◊ 經濟學 者と しての 福 田 博士が 押し も 押され も 

せぬ 大家で あり、 わが 學界の 櫂 威 者で ある こと は 

改めてい ふまで もない ことで ある。 けれども その 

學者 としての 福 田 博士よりも、 われ 等 は 學者的 良 

心の 豐 富なる 所有者と しての 福 田 博士 を 愛する。 

◊ 彼れ は學 者と して は 稀に 見る 雄 辯 家で ある。 

その 犀利に して 深刻なる 辯 舌 は、 帝 國議會 におい 

て も 比肩す ベ きもの はない。 

◊ 彼れ は その 雄 辯 を 振って 黎明 運動の 陣頭に 立 

つて ゐ る。 た、.^ 惜しい ことに は、 黎明 會 そのもの 

の 曖昧で ある ことで ある。 然り 黎明 會とは 今や 純 

然 たな 通俗 學術 講演 會と 化して しま つて ゐる では 

ないか。 

◊ 何 ごとに も 徹底 を 求めなくて は 止まない 福 田 

博士の 性格が、 あの やうな 暖味糗 糊た る 旗印の も 

とに 包容され てゐる こと は糙に 1 つの 奇蹟で なく 

て はなら g'o(Di08) 



ス ァ ハ。 厶 ゴ. ノレ ェュ i サ 

葉で ま 時の tig 七十 三 はれ 彼 。す ま ゐて し;^ 長 會の會 盟同働 勞國米 間 年 七十 三 は スァ ぺムズ 
働勞國 米ら かれ そ 、れ らげ掣 I: 長會 頭の 合 組 際 國ェ卷 葉め 初 。たし まゐ てつや^: な 製の 卷 

― 。す: しまし 席 出 I こ會 i 委際國 て し 表 代^ 會盟 同の こ 年 五 九 八 一 、し 力^に 織 組の"^ 合聯 
具 委法立 働 勞際國 I こも と と 和 講の度 今 、れ らげ! ^1 こ 問 頭の"^ 晨委防 國國衆 合 はに 年 七 一九 

。すま ゐ てつな と :3:^ の 曾 



無政府主義の 批判 

室 伏 高 信 

無政府主義 anarchism, anarchismus の 起原に つ い て は學 者の 間 _」 樣々 の 意見が あります。 ジ H ,ムスに 從 へば、 バ ー グの 「自 

然的社 會の辯 護」 (1) は 當然に 無政府主義の 結論 は 到 著す る ものであると されます。 バ ー クが: の甞物 1^ 著した の は 一 七 六 〇 年 

の、; とであります。 その バ, クが 公生涯から 退く 前年 卽ち 一 七 九 三年 Li ゴ ドウ ヰ ンの 「政治的 正義」 が發 表されました。 彼れ は 

政 軒なる もの は 凡て 有害 物で あると 述べて ゐ ます。 『政府と は本來 人の 獨釗 力-」 反逆す ろ もので あろ。』 彼れ はこう 述べて ゐま 

す。 それゆえ LL 彼れ もまた 無政府主義の 先鼷 者の 一人で あると されます。 それの みで はない。 バイ ロン- ^ノヤ ソゥ も、 シ エレ 

ィも、 づ ンド ャセィ もまた 無政府主義の 先囅 者と して 数える もの もあります 0(2) けれども それ 等の 無政府主義と は、 組織され 

たる 體系 ではなく して、 た 政府 LL 對 する 僧 惡の 表白で あるに 過ぶ」 ない。 組織的 體系 として 無政府主義.^ 主張す ろに 至った も 

のとして はプレ ファノ フに從 へば スチ 少ネ〃 であると されます。 (3) スチデ 冷レ, は旣 r 一 八 四 五 年 Li 「個人と その 財產, - ひのう 

ちで 無政府主義.^ 主張して ゐ ます。 從 つて 彼れ が 無政府主義の 先 謳 者の 一人で ある 、、とに 勿 である-」 しても つ これよ リ 先き、 

一 八 四 〇 年 ブ〃. 'ドン は 有名なる 「財 度と は 何ん ぞゃ」 (5) の 1«> まお して、 旣 LL 無政府主義 主張し、 また 無政府 〔ョ archie 

なる 文字 使つ V- ゐ ます。 それゆえ に 學者は 通例 プヤ ー ドン 及び ス チヤ.^.^ の兩 氏.^ らて 無政^主義の 先縣 者で あると なし 

t す。 爾來 パク ー 11 ン、 プヤ ,ス、 クロ- ポト キン、 レクか ス、 タク カァ、 モスト、 マラテスタの ごとき 著名なる 無政府主義者 力 

相悽 いて 現 はれて ゐ ます。 へ H H スに從 へば 一一 ー チ H も、 ホ ヰ- ソト マン も、 ト^ストイ も、 ィゲ セン も ダラ もまた. 政府 主 

p_ 義者 であると されます O0O) 



^ rfo ws.ke, ,vindication of Natural Society. 

(2 ) rr James, origin of Anarchism, P. 

(3) Plechanoif, Anarchism and socialism 

(4) Stirner, Der Einzige unci Sein Eigentum. 

(5 ) Proudhoii, Q*est ce que la propria^ 

广 6) ffiayes, A Political and, Social History of Modern Europe, Vol. II, P.268- 

二) 

ッ I リツ ヒ における 國際 社會黨 の會合 二八 九 三年) は、 議會 派と 非議 會 派との 激烈なる 爭ひ のあった ものと して 紀 

念され ます。 その 會合 において 非議 會 派と は, ロンゲ ェに從 へば 無政府主義者 であります。 それが 社會 主義 的 秩序の 支 

持 者で あっても、 また 選舉 における 政治的 行動 をと る ものであって もた 「煽動の 手段」 としての ものである とすれば、 

それ 等 は 一 切 無政府主義の 立場で あると する のが ロンゲ ヱの 記る して ゐる ところで あります。 (I) けれども ある 主張が 

無 玫府囊 の 裏 まるかない かの I は、 その 本質に おい であるか であるかの 還と は 無 

關 係であります。 議會 を非認 する もの ラフち に は、 無政府主義 も あり- また 無政府主義に. あらざる もの もあります。 何 

となれば 政治の 機關と は、 決して 議會 組織に 限られた もので はなく、 それよりも 反動的なる もの も あり、 また それより. 

も 民主主義 的の もの も あるから であります。 それゆえに r 議會 派」 か 「非議 會派」 かとい ふこと は、 無政府主義 である 

力ない か を 決定すべき 何等の 標準と もなる もので はない。 その 標準 はこれ を 他に 求めなくて はならない。 然 らば 玫府 

主義と は 何ん ぞゃ。 マッキンレイの 虐殺、 ァレキ サン ダァ 二世の 虐殺、 ゥム ベルト j 世の 虐殺、 ヘン リ ー 三世、 ヘン リ 



I 四 世、 カル ノ I 大統領、 カスチ 口 首相、 ガ ー フヰ ー ルド 大統領の 嗜殺、 これ 等の 事實を 一 々列舉 する 時 は、 無政府主義 

者の. g 何に 狂暴な もので あるか を 知る ことができます。 それの みで はなく、 無攻府 主義の 使徒と しての ブル ー ス (2) は 

喑殺, 破 壤、 暴行 を もって 無政府主義 を實 行す るう へに 最も 必要で ある こと を 主張した もので あり、 ビ— タァ • クロ. ホ 

ト キンの ごとき もまた E 里に おける 無 攻府黨 の 機關紙 「反逆」 のうちに おいて 叫んで いふ 『吾等の 運動 は 筆に より、 舌に 

より、 劍 により、 銃に より、 爆裂 彈 により、 投票 紙に よる ものである,, 一 と. - かくして 彼れ も.^ た 暴動の 福音 を傳 へる の 

であります。 ヨハン • モス ト (3) の ごとき もまた 大膽 なる 暴動の 主張者であります。 彼れ の 著 「科舉 的 _>aK 叩戰 術と 投 iS 

者」 において は、 敎會、 〇〇 または 宴會 室に 爆 彈を投 すべき こと さへ 記る して ゐ ます。 一八 八 一年の ロンドン 會議は 暴 

動の 手段が 筆舌の 手段に 優る こと を 決議し、 一 八 八 三年の ビッ ツバ —グの 「國際 勞働者 同盟」 において は、 暴動 を もつ 

て 無政府主義の 實 行に 必要で ある 旨 を 綱領と して 揭 けて ゐ ます。 それ ゆ ゑに 無政府主義の 歴史的 觀察 において は、 それ 

を 暴動、 陰謀、 虐殺と 無關 係な ものである として 說明 する ことが 許されて る もので はない。 ; 主變ゅ 歴史. か攻治 運動 

の匮史 であった のに 對し 0) て 無政府主義の 歴史 は 暴動、 虐殺、 陰 St の愿史 であった と 批評しても、 必す しも 事 資と全 

然無關 係な 說明 であると いふ こと はでき ない。 けれども これ 等の 事實は 無攻府 主義 そのもの S 內容 とい ふより は 無政府 

主義 を實 施す るた めの 武器、 戰術 として 用 ゐられ る ものであります。 彼れ 等が 喑殺、 陰謀、 暴動 を なすこと は、 それ を 

理想と して ゐ るので はなくて、 た > 今日の 攻治的 及び 社會的 組織 を 破壊す るの 武器と して 用ゐる こと を 主張して ゐ るに 

過ぎない。 それの みで はなく、 同じく 無政府主義者の 間に あっても、 凡てが 暴動、 喑殺、 陰謀の 武器 を 使用す る こと を 

主張, して ゐ るので はない。 この 點 において 無政府主義 は 1 一派に. 分れます。 プル— ドン は 平和 手段に よって 無攻府 主義に 

到達 せんとす る もので あり、 マッケ ェ 及び タツ カァ もまた この 派に 湯し ます。 これに 反して パク ー ニン は 恐怖 手段 をと 

n る こと を 是認し ます。 ブル I ス、 モストの ごときが その 流れ を 酌んで ゐる ものである こと は旣に 述べて きたと ころに よ 



お I つて 明らかであります。 それ ゆるに fl 厶スは その 無 攻府裹 について I 物のう ちで 次のように 述べます 5 攻府 

主 f はは I 戮 する ことの I でもな く. 勞働階級 の義 した 運動で もな く、 また 秘密結社で もない- i 府裏 

と はた》 1 論で ある』 00) と。 少く とも 暴動、 薩> 陰謀 は 決して 無政府 裏の 匿で はない C ダ -ー 二 ル T レオン 

は その 無政府 裏につ いての 震のう ちで、 一 方 S 府 主義者の 議の 行動 かそれ の 偶然の f ヌぺっ 夏, 指 i しな 

力ら も、 また この 喑殺的 行動が 決して 無政府主義の 要素で ない こと を 明らかにして 次のように 述べて るます 『一 I は 無 

ト 政府 裏の 雲で ザよ。 雾は I. か 可能き とで あるに し 一」 も • ,てれ 镜 して 8 府囊 ef 、、へから. f 簾鱉 

保で あるので はない。 無政府 裏にと つて は、 殺人に ゆく ことか 息の 傾向の ごと くに 見 ゆるに しても、 二, れは 無政府 

主義のう ちに 含まれて るる もので はない。 無政府主義と は 要するに 攻 府に關 する 觀念 である』 (6) と。 

(1) William English waning. The Socialism of To-day, P.8-9. 

(2) プ レ,. .ス 博士 は バタ ー 一一 ン,^ の 無政府主義者、 一 八 七三 年の マ レ, クス 及び パク ,二 ン兩 聯合 會議 において 猛烈に 無政府 

主張して バク, ,1 ン派 のために 活動し、 H ラ 聯合の 暴なる 一 人物であります .0 彼 S 機關紙 「先鋒」 は クロ ポ トキ 

ンの 槻關紙 「反逆」 とともに 無政府主義の 有力なる 宣傳 の機關 であった とされます C 

(s) ヨハン • モ,, トは 二回まで 獨 逸 帝國 響の 賣 となった,, とが ある。 ビス 了クの Imi 令の ために 寶 となる、、 と 

がで さなくな つてから 非議 會 波と なリ、 暴動の 塌勳 者と なリ、 遂に 一 八 八 〇 年 社き 民主 黨 から 除名せられ,, とに なった もの 

です。 その後 米國 に 渡り その 雄 辯に よりて 無政府主義^ 宣傳 し、 一 九九 一二 年の ピク クバ IJ^ の 「國際 勞働者 同盟の 創立」 は 

彼れ の 事業で あると されます。 

(4) 拙著 「社き 主義と 民主主義」 第 一 章參 

(5) f James, {origin of Anarchism, P. i. 

(6) Daniel De Leon, Socialism versus anarchism, P.8-P 




無 攻府卽 ち アナ ー キイと いふ 文字 は、 希臁 語の 「無」 ana と 「支配」 arclie の 二つの 結合から 生れた ものであります。 それ ゆ 

えに 近代 無攻府 主義の 明星と しての ビ— タァ • ァレキ セィゥ ヰ ツチ *ク ロボ トキ ンは 無政府 anarchy なる 文字 を 「攻府 

なき 社會」 a socie.ty without government とい ふ 意味 を 使って ゐ ます XI ) また ォゥェ ンは 無政府主義者 を 定義して 「支 

配せられ ざる 人」 といって ゐ ます。 『人 は 自由でなくて はならない。 彼れ 彼れ 自身 を 所有し なくて はならない 「- …… 汝 

の 生命 は 汝に屬 する。 さう して 汝 にの み屬 する。 …… 彼れ はまた は 彼女 は 自ら 主權 者で ある。』 彼れ はこう 申して ゐま 

す 0(2) 卽ち攻 治の 否認、 權 力の 否認であります。 ブル I ドン もまた その 著書の うちにお いて 凡ての 政府、 凡ての 政黨 

を 排斥し、, また 凡ての 權カを 伴へ る 政府 * — I 社會 民主主義の 攻府 も、 君主 制の 政府 も、 寡 頭 制の 政府 もみな 等しく こ 

れを 排斥して ゐ ます T 攻黨も 無用、 權カも 無用、 さう して 人 及び 市民の 絕對的 自由』 と は 彼れ の 政治的 信條 であり ま 

す 000 卽ち これ また 政府め 否認、 權 力の 否認であります。 パク ー 二 ンは 次のように 述べます 『あらゆる 現存の 制度 —— 

國家、 敎會、 法廷、 銀行、 大舉、 軍隊、 警察 を 破壊す る こと は 必要で ある』 と。 (4) パク— 二 ン によって 創立され たる 

「社會 民主 主 同盟」 Alliana ce de la Deicratie Socialiste もまた 「權カ ある 國家」 の 廢滅を 主張して ゐ ます。 (5 ) エド 

ゥァ ー ド • ベル ス もまた 「國家 は 最高の 寄生 蟲 である」 le parasite par excellence と 申して ゐ ます (6) かくして 凡て 

の 無政府主義に 一 貫した る 思想 は 政治の 否認、 權 力の 否認、 さう して 國 家の 否認であります. - その 國 家の 否認、 攻 治の 

否認、 權 力の 否認 は、 あらゆる 攻治、 あらゆる 權カ、 あらゆる 國 家の Ka^ であります。 この 點 において は プル— ドンの 

使徒 も、 パク ー 二 ンの 使徒 もみな 同 一 であります。 ブル ー ドンが あらゆる 攻府 に反對 する こと —— 社會 民主主義の 國家 

5 にも 反對 する ものである ことに ついては 旣に 述べました。 パク I 一一 ン の 使徒 もまた 一 九 一 II 年 その 有名なる 「革命 問 



"一 答」 (7) のうちに おいて 次のように 述べて ゐ ます r 人民 を 幸福に する ことので きる 唯一の 革命 は 凡ての 國家 ;… を釆 なく 

絕滅 する ことで ある J と。 無政府主義の 精髓 はこの 點 にあります 

广 1) Peter krolstldn. Anarchist Communism, P.i. 

广 2) W ョ. G. Owen, Anarchy versus Socialism, Ri-2. 

^3V^ Kayes, A Political and Social History of Modern Europe, P. 267. 

(4」 Maion, Le Socialis ョ e Integral, vol- I. 199-200. 

(3) tvccky. Democracy and lJbcrty,Vol. II. P. 000. 

(5) wdouard Berth, Les Nouveaux Aspects du Socialisme. 

(7) :Revolutional Catechism = 




無政府主^の 要素が 凡ての 攻府、 凡ての 國家、 凡ての 權カを 否認す るに ある こと は旣に 述べた とほり であります。 け 

れ ども 無攻府 主義に ついて 正しき 理解 をうる ために は、 また さう して これにつ いての 正しき 批評 をな すがため に は、 fs- 

に 一 歩 を 進めて 考 へる 必要が あります。 さう 考 へて みる 時に、 無攻府 主^と は、 權 力の 否認、 攻^の 否認、 固 家の 否認 

の點 において は 凡ての 無政府主義に 一貫して ゐる ところで あるに か 、わらす. その 無政府主義 を 主張す ろ根據 において 

も、 その 無政府主義の 理想と すると ころに おいても ! 無政府主義の 社會觀 において は、 決して 同一の 主張で あるので 

はない。 社會 主義なる ものが、 これ を 主張す る 人々 によって 別個の 内容 を附 せられる ことの 多い. かごと く、 無政府主義 

もまた これ を 主張す る 人々 によって、 々その 立揚を 異にします。 それ は少 くと も 三つに 分類す る ことができます。 個 



人 主義 的 無政府主義, 集產的 無攻府 主義、 共産 的 無政府主義 かこれ であります。 個人主義 的 無政府主義の 唱道 者 はいふ 

まで もな く マ ックス • スチル ネル (1) であります。 獨逸 における 無政府主義者と しての.、 チヨ ンュ ン リ — • マ ッケ— (2) 

もまた スチ ル ネル の 流れ を 酌める 個人主義 的 無政府主義者 として 知られて ゐ ます、〕 スチル ネル の 無攻府 主義 は 極端 無 政 

府 主義で あると ともに また 極端 個人主義 であると 申す 二と. かで きます つ 彼れ は 凡ての 攻府を 否認し ます。 王制の 國 家で 

あっても、 寡 頭 制の 國 家であって も、 また 人民のう へに 立つ 國 家であって も、 た > それ は權 力の 所在の 相違で あるに 過 

ぎない もので あり * 人間の 自由と 兩 立ので きない ものである とする のが 彼れ の 立場であります。 彼れ は 自由 を 三種に 區 

別し ます。 攻治 上の 自由、 社會 上の 自由、 人道 上の 自由が これであります、 - 彼れ の 自由と は 極めて 最高 度の 自由で あり 

ます。 彼れ は 社 會をも 否認し ます。 社會を 否認して 組合 を もって それに 更 へる こと を 主張し ます。 さう して 自我の 無 制 

限なる 發揮を 要求し ます C 『自我 は本來 自由なる ものである』 と は マックス, スチル ネル の 無政府 王義の 中心 點 であり ま 

す。 マッケ I もまた 彼れ の 流 を 酌んで 個人主義に おいての み 自由が 存在し、 また これにお いての み 無攻府 主義が 存在す 

となして ゐ ます。 ベ ン,、 チヤ ミン • タツ カァ (3) もまた スチル ネルの 門弟であります。 彼れ は その 「國 家社會 主義と 無攻 

府 主義」 の 論文の. フ ちで 次のように 述べて ゐ ます 『無政府主義と は 人間の 凡ての 事件が 個人 または 任意 的 組合に よって 

行 はるべき こと、 さう して 國 家の 廢, M せらるべき ことの 原則で ある』 (4) と。 これ 等の 個人主義 的 無政府主義に 對 して 

パク ー 二 ン 00 及び その ディ サイ ブル は圑體 主義 (6) を 主張し ます。 彼れ の 門弟の 間にあって 最も 著しき もの をブ ル 

1 ス (7) 及び レ クルスの 二人と なします。 彼等 はと もに 無政府主義者 であり 革命 主義者で あり、 さう して また 圑體 主義 

者であります。 從 つて 個人主義に 反對 する ものである こと は 勿論であります" これ 等の 兩 派の 無政府主義に 對 して 無攻 

府 共産主義 Anarchist Cos ョ unism を 主張す る ものと して はク 口. ネ トキ ン (8) 及び ョ ハン • モス トを舉 ゆる ことかで 

^ 一 きま is" モ ス トの 指導の f に 組織せられ たる 「國際 勞働者 同盟」 I.W.A, は 無政府 共産主義 を その 綱領と して 揭 けて ゐま 



^_ す。 I クロ f キンに 從 へば 多くの 無政府主義者 は 共産主義 を 奉す る ものであります 。『われ 等 は 共産主義者 である。』 

クロポトキン はこう 申して ゐ ます 。(9) けれども 彼れ の. 共産主義と はフ J リエルの 共畫義 ぽ i ミ ではない 。「無 

政府 的 共畫義 であります。 從 つて 「I 管 i 裏」 であります S かくして 無政府 裏に は 主として 以上 重! 

數 へる ことができます。 それの みで はなく、 プル— ドンの 無政府主義に 至って は 個人主義のう へに 立つ ので もな く、 團 

體 裏のう へに 立つ ので もない。 彼れ は先づ その 「ク きお, 【つや::; のうちに おいて 財產 と は i である 

こと を 主張して ゐる にも か 、わらす、 その 「革命 及び 敎會 における 正義に 就て」 (u) のうちに おいて は、 彼れ が 財産の 廢 

减を裹 する もので ない こと 鑫じ、 彼れ の 立場 か ルソゥ や ブラ トウ や ブラン 等の ごとき 共產囊 でない こと を 述べて 

るます。 f して 彼れ は 財產の 不可分の もので あり. 集合的の もので あり、 從て 集合 財產 制でなくて はならない こと を 

主張して るます。 けれども また 彼れ は 決して 圑體 主義者で もない。 へ ヱ H スは その 「攻治 的 及び 社會的 近世 欧洲,, 、 . の 

うちで ブル— ドンの 無政府主義. か 著る しく 個人主義に 依據 して ゐる ことの 事實を 指摘して ゐ ます 0(^) これ を 要するに 

彼れ の 主張に は 幾多の 矛盾が 含まれて ゐ ます。 それ ゆ ゑに 彼れ は 力— ル • マ ルクスにょって罵倒されたるごとく何等.^ 

識見な き 人物で はない にしても、 彼れ の 無政府主義 は 科 舉的體 系と 哲學的 基礎と を缺 いて ゐ ると 申すべき であります。 

(1) マ ククス • ス チレ, ネレ, は 本名. 5. カスバ ァ • シ ユミ クト とい ひます 一 八 〇 六 年に バイ n イトに 生れました。 その 著 「個人 

とその 財產」 Der は inzig^e iind sein Eigentum が 最も 著名であります。 

(2) へ マクケ H は 一 八 六 四 年スら クトラ ンドに 生れ、 早く 獨 逸に 移住し、 「無政府 黨」 の 著が あります。 

(3) タ-ソ カァは 米國の 無政府主義者 中 最も 現 はれ、 週間 雜誌 「自由」.^ 主宰して 盛んに 無政府主義,^ 主張して さた 人。 

广 4) Shaw, .The Impossibilities of Anarchism, P-.39. 

(5 ) ミハ H レに ァレキ サンド ロウ 井 ツチ. パク.. ニン (一八 一四 I 七 六 年) は 初め マレ, クス の 「國際 勞働者 協會」 Association 



internationale des travailkurs に 加っても た- のであった が 後 "分れて 「社會 民主主義 同盟」 Alliance dc r sic 

ratie Socialiste v ^組織し • 無政府主義 赏際 運動の 師祖 であります。 

(6) 圃體 主義 collectivism は 多く は 産 主義と 譯 されて ゐ ます。 この 言葉 はコリ ン ス によって 始めて 用 ゐられ * バ グ, ニン も 

1 八 六 九 の < ^ ン の食議 で、、 の 言葉 使って ゐ ます。 けれども 一 八 七 八 年の 頃から: の 言葉 は マ かグス 門下の 使用す ると 

: ると なって ゐ ます 。卽 ちその 「科學 的 社き 主義」^ 空想的 社會 主義から 區別 する ために、、 の 言 菜 使った もので ありえす。 

(〇rth. Socialism and Democracy in Europe, P. 339. 參照) 

(7) せ H* レグ〃 スは 1 八 七 八 年の フラプ かダの 無政府 黨の 余" 議.^ 指導した ろむ のとし ズ 現にれ, クロ^トキン 等と と ー あ 

に 最近 代 無政府主義の 指導者で あります。 

S ヒータァ.グロポトキンの事|3は世間に著聞してゐまォ.。 彼れの^^?述として左の数^^が^れズゐます。 

Anarchist cimii. , 

La Coiiqfictp dii づ a 111. 

.The waMe ^^..-^03. 

Nletipirs of a I〈cvollltionist. 

Law and Authority 

.The State. 

Anarcliism: Its philosolDlly ana Ideal. 

Modern Science and Anarchism. 

Fidds, Factories and vvorkshops. . 



^ 一 タ rEal Aid. (大杉 榮氏譯 「相互扶助 論」) 

广 o*) Kropolkiii, Anarcjhist cossu-iss, R22. 

(^) as 上 

V1i f-roudhon, 〇f Justice in the Revolution and in the Church. 

(£3) Mayes, a Political and Social Hislory of Modern wuropr P. ; 268. 

(四) 

かくして 無政府主義 は それに 到達すべき 手段に おいて 平和的 及び 恐怖 的の 1 一種 類に 分れて ゐる のみで はなく, その 哲 

舉的 及び 經濟的 基礎に おいても 少く とも 三つ — 個人主義 釣、 共産主義 的、 及び 圑體 主義 的の 三つに 分裂して ゐるも 

ので ある こと を 知ります。 その 分裂 は、 たと へ 無政府主義の 致命傷で はな いまでも • 無 政 麻 主義 そのもの A 煩悶 を 物語 

る もので あり、 無政府主義の • 思想 的 及び 實行 的の 一大 弱點 である こと は 勿論であります。 いふまで もな. 政府 主義 

力 人間 生活 を 規定す ベ き 原則としての レ 4 ズ ン • デ I ト ル を 主張しょう とする ために は、 それが 優越なる さう して 整頓 

t る 科 舉的體 系 をな す ものでなくて はならない。 それでなければ、 た > 1 人 若しくは 數 人の 意見 または 感情の 表現で あ 

るに 過ぎない もので あり、 從 つて 空想で あるに 過ぎない もので あり、 人類 久遠の 歴史に よって 集積せられ、 それの 衝動 

と 合理的 判断と によって 指導、 開拓、 蓄積せられ てきた 人間の 政治的、 社會 的、 經濟的 組織 又び 諸 制度 を轉 現す るの 理 

由と なる もので はない 

われ 等 は 各種の 無政府主義 について その 惯値 を正當 に判斷 しなくて はならぬ。 

(五) 



私 は 先 づバク ー 一一 ンの團 SS 主 的 無 政 麻 主義に ついて 考 へて みます T 凡ての 人 問 は 肉體的 • 精神的 • 及び 政治的 社會 

的 特性 一 I それが 人 問に 個性 を與 へ、 また 他の 凡ての 人々 から 分離せ しめる ものである 11 を 具有す る围 as 的 存在で あ 

る o(l)』.、 ハ ク— 二 ン はかくして 凡ての 人間 か 孤立せ. る 存在で なく 围體的 または 集合的 存在で ある こと を 主張し. ます。 彼 

れは 社會を もってお 機體 であると する S 意見 を 持して るます。 r われ 等 は 人間の 社會を 他のお 機^の ごとくに 見なくて は 

ならぬ。」 それ は 生物よりも 複雜な ものである にしても 丁度 自然の それの ごとき ものである。 彼れ はか、 フ 申して ゐ ます。 

彼れ に從 へば、 その 赏 または 量の. ^何 にか、 わらす、 また その 愁^と 自覺 とに 閼係 なく、 統合 的の 運 に 結合して ゐる 

凡ての ®^ の 不朽の 活動 または 反動 は、 われ 等の ー敝的 統一 , 生命、 因果 11 係と 稱 すると ころの もの を 包 ス= して ゐるも 

ので ある 『この 普遍 生命か^ 界を 造った …… 人間 は 凡ての 地上の^ 在のう ちで 最も 個性的で あると ともに また 凡ての 存 

在のう ちで S3 も 多く 社會 化された ものである-,) (2)』 それゆえに 社會は 自然に 發 達した もので あり、 さう して 如何なる 契 

約に よっても 生じた もので はない。 それ はた ,- 傳統 的の 習 恨 及び 排列に よって 支配せられ たもので あって 法律に よって 

支配され たもので はない j また 從 つて 『それ は 個人の 自發的 衝動に よって 進歩した ものであって 立法者の W. お. 5 及び 意思 

によって 進歩した もので はない。 とすろ か 彼れ の 自然の 論理であります。 彼れ はこの 立場から して ^に 反 對し、 政治 

に反對 し, 權 力に 反 對 します。 さ-? して 「國 家. 敎會、 法廷、 大學、 軍隊、 fl.:^ ご の麼: g を 中: 張す るの が 彼れ の破壞 的の 

方面であります。 けれども 彼れ が 社 *: の 成立 を もって 立法者の 功績で ない とする ことの 社 會觀を 是認す るに しても, そ 

れを もって 直に 國家 を害惡 なりと する の 論理に 演 する f 〕 とは素 より 不當 でなくて はならない。 彼れ は國 家なる もの を 

僧恶 して 「尨大なる 共同墓地」 であると なし.、 各人の 犧牲 によって 攻治的 偉大. か 存在し T その 犧牲 が大 なれば 大 なる ほ 

ぶ國家 はいよ く 完成す る ものである?)」 と 主張し ます 。卽ち 個人と^ 家と. か 矛盾す る ものである こと を 主張し ます。 

ひれ ども 彼れ. の 論理 を 一 貫す るた めに は、 國{,^§とは常に個人を齊するものでぁり、 社會的 存在と 兩 立し ない も ので あ 



5 1 り, 人 の 自由 及び 生活力と 矛 する ものでなくて はならない。 彼れ は どこまでも 國 家と は 本 K 的に 少数者の 專制 とな 

るべき ものである とする 見解 を 持して ゐ ます 。『國 家と は 常に 特權 階級の 所有であった。 悟 侶、 i 族、 さう して ブル ジョ 

ァの 0(40 『この 點が 彼れ の 國家觀 の 基礎であります。 彼れ の 時代の 國家は 如何にも その 通りで おった と 申す ことができ 

ます。 けれども それ はた > 過去に おける 實在國 家の 批評で あるに 過ぎない。 彼れ か 逝いて から 使に 四十 餘年ハ -o) の、 フ ち 

に 旣に國 家の 歴史 は 一 變す るに 至って ゐ ます。 ブル ジ ョ ァの國 家の 代りに、 彼れ の鄹國 ロシアに おいて は 旣にブ ロレ タ 

リア ー トの 國家. か 成 立し、 獨 逸に おいても ソ ー シャル • デモ クラシ— の 國 家が 設 せられつ、 あります。 それゆえに 凡て 

の闺^ を もって 本質的に 「特權 階級の 所お」 であると 論す る こと は 彼れ の獨斷 であろ と 申さなくて はならない。 彼れ の 無 

政. 府 主義なる もの はこの 國 家に 對 する 偏見から 生れて ゐ ます。 然 らば.^ 何に して 人 問の 自由 を體 現し. その 自然 的發 達、 

個人的 自發カ を 維持すべき か。 凡ての 人間が 圑體的 または 築 合 的 存在 Collective being であると なして ゐ るバク I -1 ン 

はまた 財產 上の 圑體 主義 を 主張し ます。 土地の 園體的 所有 を 主張す る こと は 彼れ の 無政府主義の 一 大特徵 であれます。 

園 體 主義 Collcctivis ョ なる 文字 は 決して 彼れ の發 明で はなく して コ リンス の發 明で あるに しても、、 J れに 歴史的の 意義 

を與 へた ものと して は 先づミ ハ K ル • バク ー 二 ンを 推すべき であります。 彼れ のこの 主張 は 『ジ ェ ネグアの 「社會 民主 

主 やお 同 ig」 の:^ も重耍 なる 綱領の 一 つ をな して ゐ ます。 それに よれば 土地、 農業 器具 及び その他の 資本 は 園體的 所有に 

艇 すべき ものであると されます。 然 らば その 圍體 主義なる もの は 何ん ぞ や。 パク ー 二 ンは ショウ デニの 問 ひに 答へ て 

被れの 團體 主? 我 か 決して ハ產 主義に あらざる こと を 論じて ゐ ます。 00 從 つて その 財產 上の 圑體 主義と は 個人の 一 切の 

所有の 否認で はない にしても、 少く とも 生 產手! S に. おいて. 個人 を 超越した る もの、 所有でなくて はぷら ない 3 個人 を 

超越した る もの >r 所有の ために は その 所有の 主格と なる ベ き 意思と 人格との 必, 耍 である こ と は 見易き の 論理で ありま 

す。 ま 4i 從 つて それ は その 財産に ついて 個人の 意思と 自由に 優越なる 他 す ー ソリ チイ を 前? とする にあら ざれば 成 ま 



する ことので きない 觀 念であります。 それゆえ にこの 財產 上の 圄體 主義なる もの. か 漸次に 國家 または 公共 團體の 手に 生 

產 手段 を 集中す るの 意味に 使用 せられる こと 、なった の は 自然の 論理的 歸結 であり、 無政府主^者 か、 〕れ と 離れて、 却 

つて バ ク I 一一 ン の is として 彼れ の 謂 ふさ ) ろ SI 上 : 溝 無 政-麻 上義と ® つてき た 力 1 ル • 一 、ルクスの 

門下が、 あ 主義を 奉 I 3 と 、 なる に 至った, 〕 と は、 パク I 一一 ン の 圑體裹 的 無 政 I の 破 產を物語 つて ゐる もので な 

くて はならぬ。 クロ. ネト キンが 財產 上の 園體 主義 を 批評して, 「今日までの 如何なる 攻. 他よりも お 力なる 政府」 の 力に よ 

ら なくて I 行の 不可能な ものであると 論じち 〕 とはバ ク丄ン の 無 攻府裹 に對す I 鐘の I とし 5 く、 〕 とかで 

きます ザ) そ 2i.s して ゐる とほり、 園 i 義とは 如何なる 制度に おいてよりも 權カ をより 多く _|するも ので 

なくて はならぬ。 然り、 バ ク ー 一一 ン の 無攻府 主義 は 一 大 矛盾に 満ちて ゐ ます。 彼れ は その 無攻 麻の 主張 か、 或は コレク 

チヴヰ ズムの 主張 か、 その 何れ か を 捨てなくて はなら 5。 彼れ が 一 方に 缓 f f I しなから、 遂に また 「勞 働者 

の 國際的 匿」 塞 求す るに 至った 事 は、 被れの 無政府 裹の f しき 矛盾の 糞で あると 中さなくて はならない。 つ.^」 

だから ヘッケル. かその ^ シァ社 富」 のうちに おいて?〕 バ や 二 ン の議 は殆ん どま 的 ない あで あると 

なし、 その 無攻" S 主義. か現猝 の社會 組織、 特に 國家 及び 敎 會に對 する 痛烈なる 偏^から 生れた ものであると 批評して ゐ 

る こと は 決して バ ク I 二 ン の 無政府主義の 憤 値 を不當 に W 下け てゐる もので はない と 思 ひます。 

(1) Bakunin, Balashcv ed. Vol. 1,P. 89. (cfHccker, Russian sociology) 

(2) ibid., 

(3) ibid., Rles. 

(4) y>id., P.189. 

« (5) バタ. -1 一 ン は I 八 一四 年 II 生れ 一八 七 六 年に 死. -レま L れ。 



15 一 (.o 1 八 六 九 年の ベ ^ ン大會 

广 7) KTOIStKlll, Anarcliist Communism, P.2P 

广 8) Ucky, Democracy and Liberty, Vo 一. ^ P.299. (uveleye, Le Socia 一 isme col-te ョ porai 一一, P.200) 

vy ) J.F.Hecker, J^llssian Sociology, 1-73. 

(六) 

次に クロポトキン の 無政府主義 i. 無政府 共產 主義に ついて 考 へ て 見ます。 彼れ の 無政府主義 は 最も 深い 思想 上の 產 

物で あると されます。 思想 上に おける 彼れ の 功績 は 決して 埋沒 する ことので きない ものであります。 彼れ は パク— 二 ン 

の n レ クチ ヴ ヰズム に反對 して i ちます。 けれども 彼れ の 社會觀 のうちに は 著しく バ ク I 二 ン の それと 類似して ゐる點 

があります。 被れ は 社會を もって 人間の 造りいだ した もので はなく して、 人間以前から 存在した ものである こと を論證 

して ゐ ます。 彼れ は 社會を もって 人力の 最小限の 消費に よって 最大の 幸福 を產 出すべく 組織され たる 「偉大なる 全部」 で 

あると なします けれども 彼れ は 決して 社會 成立の 基礎 を もって 共同 利害 觀 念のう へに 存在 するとな す もので はな 

い。 また 愛 |( それ は、 常に 個人的の もの または 種族 的の ものである 11 によって iti れた となす もので もない、 「それ は 

た ,-' 他の 人間と 相互に 同 1 であると する の觀 念から」 成立す る ものである 0(2 ノ クロポトキン は, ) う 論じます。 それと 

ともに また 凡ての 人間が 『彼れ 自身に おいて 全世界で ある」 こと を 主張し、 ハ 3) 微細なる 細胞で さへ も 『それ 自身の 生 

活を 所有す る 自治 的 有機 體の 世界で ある』 と 述べて るます 0(4,) これ 等の 自治 的 有機 體が、 みな 「同 j - きさ e.ss であ 

る こと を自 « し * それと もに 「相互扶助」 にと 入る ことが 社會 成立の 主要なる 要素で あると なすこと かク 口, ネ トキ ンの 

立場であります O0O) それゆえに 彼れ は 相互扶助 を 高調し ます。 相互扶助 はた > に 人間の 衝動で あなの みで はなく、 そ 



れの 最もよ く 行 はれろ 時に 藝術も 產業も 科 舉.. ^進步 する ものである とする のが 彼れ の 「相互扶助 諭」 ー卷 の精紳 であり 

ます 。『われ 等 は 動物の 世界に おいて 進歩的 發展と 相互扶助と. か 餌 並んで 行 はれる こと を 見る』 クロ. ネト キン は、 〕 う 申し 

ます ぜ) この 相互 扶 I から 彼れ I 畫 il にと 入. ります。 (こ また その i 義は 中央 集權的 支配から 自由な も 

ので ある ことが 必要で あり、 「聶 小の 犟位 において 獨立 する 地方 的 生活 を 創造す る ことなくして は實 現せ.""^ ざる もの」 

であると します。 (00) 、 J . に 無政府主義と 共産主義と. か 結合す ベ きもので あると 申す のであります。 

(1) ICropotkin, Revolutionary Studies, づ.24. 

(2) Kropotkin, Mutual aid. 

r3) ヌ ropotkin. Anarchism: Its nlilosphy and Meal, R5- 

(4 ) ibid. 

(5) Kropotkin, Anarchist Morality, R12. 

(6) Kropotkin, Mutual Aid, P. 222. 

(7) Kropotkin, Anarchism; Its Philosophy and Ideal, P.20 

(00) isd. 

(七) 

ク 5 ト キンよ 相互扶助 を菌 します。 相互扶助の 精神 は 彼れ の 書物の あらゆる もの、 あらゆると ころに 流れて き 

す。 社會 は 決して 一人 または 數 人の 人に よって 造られた ので はない。 それ は 凡ての 人の I 的 才能 S 物、 凡ての 人の 

事業、 自然の 生 IB^ であると 論じます。 (1) 

J5j 『ゎれ等.^5觀_.1っぃて§,£1。 森 杯 は 開拓され • 



^一 る 方面に 設けられた。 何 は 航海に 適する に 至リ、 港 は 近づく に 便と なった。 運河は^^と海と,^接續し* 岩石に 碎 かれ • S0 

は 陸 蔽ひ、 科學は 人間に 如何 に して その 欲 1511 の^めに 天然 力,^ 利用 すべさ か 敎へ、 都市 は 次第に 發 遣し、 科學と i3S 術の 賓 

はこれ 等の 文明の 中心に 堆稜 せらる 、に 至った。 けれども 誰れ かこの 奇鎮, ^造った か? J(2) 

クロ ポ トキ ン はこうい ふ 問に 自問自答して 次のように 述べます。 

『數 千年間の 結合した る 努力が、、 れ 等の 成果 成就す る^め:.. i 寄舆 せられた ものである。 森林 は 数 世紀 前に 開拓せられ た。 沼 m 

.^31^ める ために、 道路^ 開拓す るた めに、 鐵道 建設 マる ため LL 、幾 百 萬の 人々 が 年々 その 勞働. ^捧げた。 ま;: 他の 幾 百 萬の 人 

々が 都市 建設し、 文明 Ic^ 釗 造した。 その 大部分 は 知られる、、 となく • 貧困と 輕視 とのうちに 死せ ろ 数千の 發明 家が 機械 11 

それ >^ 人間が その 天才で あろと 稱 Is する 11 作リ あげた" 幾 百 千の 梳字ェ や、 活版 ェ や、 さう して 無数と もい ふべき 多数の 

勞働 者の 援助の もとに、 幾千の 文士 や、 哲 や、 科 學者逮 が 知識 y^fj^ 設し, #1 及し、 誤 謹,^ 消滅し、 謬な く 科學的 思想の 

I 空氣 fJ* 造 るれ めに 寄 與しズ さたので あろ。 11 これ 等の ものな くして はわれ 等の 時代の 奇投 は^らされる、、 と はな か. つたので 

ある。 マイヤ ァゃ、 グロ.., ヴの 夭 才、 ヂュ ー ャの 刻苦 艱難の 事業 は、 世界の 凡ての 资 本家 リも、 近代 産業の 新ら しさ 出發 LL 對, 

して、 ! SSLLi リ 多くの 貢献 y ^なした。 けれども、、 れ 等の 夭ォ 自身 もまた 產 業の 小 供で ある。 :: 道路に よって 接 接し * 地球上 

の 他の 人類の 生息す る 地方と 容易に 交通す る、、 と. ので さろ われ 等の 都市 は、 数 世紀 間の 成長で あろ。 さぅして:れ等の都市に 

ぉける凡ての.1^$、 凡ての 工場、 凡ての 商店 は、 その 慣値 • その 眞 la; の レ, グ ン.デ,ト .^幾千或は幾百萬の人々が集合し乂 

ね る 地球上の 一 點に あろ: との 事货 から 享 けて ゐろ ものである。 :: 誰れ が 自ら 5^ み 出て * 、、の 尨大なる 全體 のうちの 最少の 

部分に 手 置いて、 、、れ が 私の 造った ものであると いふ ことので さる 權 利が あるか, :.: .1^ も 街 も • 運河 も鐵道 機械 も藝術 も 

塞 術の 勞作 も、 、、れ 等の もの は 悉く これ 等の 島 u 住む 人 々及び 數千哩 も 彼方に 住む 人々 の、 過去 及び 現在に おける 幾 世紀の 努 

力の 結合に よって 造られた もので わる。 (3)』 

今日の 文明の 凡ての 奇續 はみ な 幾 世紀 S1 に 一旦って 幾 百 千 is^: 人の 人々 の 努力の 結晶 I 社 會的產 物で ある J これ, かク. 口, ネ 



ト キンの 立場であります。 

『かくして 問題 はた V パ ンの 問題 だけで はない。 それ は 人間 活動の 全局 面 包含 ォ る。 けれどもそれはその裉底にぉぃて社會!^ 

濟の 問題 もって ゐ る。 さ-つして われ 等 は 次の ごとく 結論 マる。 生產 及び 社會の 凡ての |而 要 I ^滞^すべき 手段 は, 凡ての 人々 

の 共同の 努力 Lli つて 造られた ものであるが ゆえに 凡ての 人々 の虑 分の 自由に 委せられる ものでなくて はなら わ。 :: 凡ての 

人々 は 富の 生產者 並に 消費者と し \^ 同 一 の 立場 LL 立たなくて はなら 3』(4) 

かくして 凡ての 産物が 凡ての 人々 の 共同の 努力に よって 造られた ものである。 それゆえに 凡ての 人々 が 生産者と して 並 

に 消費者と して 平等の ものでなくて はならない 11 共產 主義 11 自由 共産主義 か 合理的で あると する のが クコ. ネト ギ ン 

の 共産主義の 根底であります。 然り、 自由なる 共産主義 free Commimism であります。 彼れ の 歴史的; S 會觀は 一面に 相 

互 扶助が 歴史の 精祌. 進 の 傾向で ある こと を 主張す ると. - もに, ま. U 個人の 自由の 耍 求が 進化の 傾向 人 SB 生活の 要 

求で ある こと を 主張し ます。 從 つて 彼れ の 謂 ふところの 「全體 なろ ものに は 決して 中央 機關 II 精神 を もって ゐる もの 

ではない 0(5〕 彼れ は 個人的 自發 力の 發達か 相互 抉 助の 精紳 と、 もに 歴史の 一 大精祌 である こと を論證 せんとす る もの 

であります 0(6〕 以上が クロ, ネト キンの 無攻府 主義の 大體 であり ま ^ 

(1〕 ICropotkin, Anarchism :Its Philosophy and Ideal, P.20 

(2) Anarchist Coniim 一 llism, r.r.I4-5- 

(3) ibid., 1). 15-16. 

(4) ibid., P.18 

(5) ICropotkiii, Anarchism: Its philoswphy and Ideal, p.5-。* 

<^6) Kropotkiii, Anarchist Morality, I i3. 



26 



3 

クロ. ネト キンが 人間の 世界の 凡ての 勞作、 建造、 知識 を もって 全人 類の 勞 働の 結果で あり、 從 つて 何れの 個人に よつ 

て も 造られた もので ない とする こと は • 因果 閼 係の 論理に おいて 肯定 せらる >! ところで あるに しても、 この 點 から 出發 

して 共產 主義に 到達す るた めに は 各人の 絕對的 平等 觀を 前提と する ものでなくて ばなら ない。 各人の 努 働の 結晶に よつ 

て 現在の 世界の 財産 または 凡ての 「奇 蘆」 が 造られた ものである にしても、 その 各人の 勞 働の 價値か 平等の もので ない 

とすれば、 それ を もって 直に 共産主義に 結び付ける こと はでき ない。 クロ. ネト キン は 凡ての 人々 の勞働 または 才能 か悉 

く 平等で あると する がごと き 妄想の 所有者で ない こと は 勿論であります。 彼れ は 一 方に おいて 各人の 「勞 働の 結晶」 の 

力 を 讃美して るるに も か. - わらす、 『マイヤ ァ や.. クロ ー グゃ ユン ュ ー ル の 功績 か 凡ての 資本家の 功镜 よりもより 偉大で あ 

る』 、 ) と を 認めて ゐも (1) のみなら す、 革命の ごとき 大事 業 か 少数者に よって 行 はれる ものである 事 を說 きます 0(2) 

かくして 彼れ は少數 者の 才能と それの 人類に 對 する 特別なる 寄與を 認めざる を 得ない のであります。 彼れ 自ら 凡ての 人 

人 か 能力に おいても 寄與 においても 平等で ない こと を 肯定 せざるを得ないので あります。 それゆえに クロ. ネト キンが そ 

の共產 主義の 根底と して 論す ると ころ 11 『生産 及び 社會の 凡ての 需耍を 満たすべき 手段 は 凡ての 人々 の 共同 努力に よ 

つて 造られた ものであるが ゆえに …… 凡ての 人々 は 富の 生産者 並に 消費者 をして 同 一 の 立場に 立たなくて はならない』 

I— の 論理 は 明に 謬妄 であろ と 申さなくて はならない。 彼れ の 論理 を 正しく 推擴 すれば • より 多く 生産した る ものに は 

より 多く 與へ、 より 少く 生產 したる ものに はより 少く與 へろ こと. - ならなくて はならない のであります。 こ. "に 彼れ の 

共産主義の 第 一 の 破貌が 存在し ます。 

彼れ の 共産主義の 第 一 一の 破綻 は その 共産 論と 個人的 自發 力と を 結合す る ことによって 生じます。 彼れ は 共産主義 にお 



いて 個人的 自發 力の 發展と 保護と が 行 はれる ものである こと を 主張し ます. - , ) の 個人的 自發カ は gLi 彼れ の 共産主義 的 

無攻府 主義の 要素の 一 つであります。 けれども 各人の 自發カ は 機會の 平等と 生活力の 4? 進と さ、 rs して 敎育 とに よってえ 

ら るべき ものである。 從 つて 先づ 才能 を 保護し、 より 多ぐ 勞 働した ろ ものに はより 多く 與 へなくて はならない ので あり 

ます。 從 つて それ は 機會の 平等の 要求であって 人間の 絕對的 平等であって はならない。 また 從 つて 共産主義であって は 

ならない。 彼れ はこの 矛盾に 答へ るた めに、 人間 は 習 慎 的に 勞働を 要求す る ものである こと を 述べて ゐ ます。 彼れ はこ 

う 申します or 努傲は 人間の 習慣で あり, 台- ^ 慢ね 人工的の 成長で ある』 ハ 3) と. > けれども このような 說明 は、 彼れ が あま 

りに 人間性に ついて 樂天 的で あろ こと を 曝露す る ことの 以外に は 何等の 權威 にも 1^ しない ものであると 思 ひます。 

彼れ の 無政府 共產 主義の 第三の 破綻 は 無政府主義と 共產 主義と を 結合す るの 點 から 出 發 します。 彼れ に從 へば 共産 主 

義 において は 政府なる ものが 無用で ある。 『資本家と 勞勸 者との 區別 のない ところに おいて はか >. る 攻府は 無用で あろ。』 

彼れ はこ ラ 申して るます 0(4) 彼れ において は、 政府と は 資本家の 機關 であり、 共產 主義の 敵で あり、, 所有の 雉 持 者で 

あります。 けれども 共産主義 は 所有に 先って ゐ ます。 資本主義に 先って ゐる こと は 勿論であります。 われ 等の 部落 生活 

の 時代に おいて 共産主義が 行 はれ 11 Eg 初 は 無意識的に 後に 意識的に 11 こと は. 今日に おいて は 疑の ない 事實 であ 

ると されて ゐ ます 0(5) 政府 はこの 時代に おいても 存在して ゐ ます。 卽ち 所有な き 時代に おいて • 共産主義の 時代に 

おいて、 政府なる もの は 存在した のであります。 曾 長攻 治. かこれ であります。 それゆえに 政府と はた,. r 所有の 擁護 者で 

あると なすこと は 明白なる 誤 護で あると 申さなくて はなら な、 "0 攻府 は實に 「所有」 の 前に 存在した ものであります。 

彼れ の 攻府に 封す る 見解 はバ ク I 二 ン の それの ごとく 常に 重大なる 偏見に 陷 つて ゐ ます。 政府と は.^ 何なる 揚合 におい 

て も 特權の 擁護 者, 從 つて 民主々 義の 敵、 自由の 敵 *、 正義の 敵で あると する のが ク0. ネト キンの 政府 觀 であり. ます。 彼 

ァー れ はこう 申します。 『君主 專制は 奴 $1 制度と 一 致す る。 代議政治 は 資本の 支配と 一-致す る。 ともに 階級 支配で ある。 …… 



SS ま- 本 主義 的 組截は 無政府 組截を 包含して ゐる ものである』 (6) と 。けれども この 攻府觀 は、 パク I- 一 ンの 場合 こお ナる 

と 同じく、 今日の 國家、 昨日の 國家、 一 昨日の 國 家に は 當て符 める ことができる にしても. 明日の 國家. 明後日の 國家 

に 當て辩 める ことの 理由と なる もさ はない。 彼れ は. g 何に して そ sgf ソ 1 シャル ^テモ クラシ I の國 家に? 

めようと する ので あるか。 それゆえに ヘッケル がその 「ロシア 社 會舉」 のうちに おいて、 クロ. ネト キンの 社 會觀、 攻 

治觀が ロシア 特有の 空 氣の產 物で あると 述べて ゐる こと (7) は 卓見で あると いはなくて よなら ない。 

广 1) Anarchist Communis ョ, F-.I5. 

(2) Revolutionary Studies, 1ノ5. 

广 3 ) Anarchist Communism, P.30. 

广 4) Anarchist cosmslis ョ, P.8. 

〔5) Sparago, Socialism, P. ioi-£. 

lycwls II Morgan, Ancient Society. 

r-lLellgds, l-he origin of p,alnily, tVivate fVoperty, and the State. 

(6」 Anarchist Communis ョ, P.8. 

(7) necker, Russian Sociology, p:34s. 

(九) 

旣に 述べ たる ごとく 共産主義ば 必然に 無政府主義 を俾ふ もので もな く、 政府なる もの は 常に 所有 または 特植の 擁護 者 

として 存在して ゐる もので はない。 それの みで はなく、 共産主義なる もの は 政府な くして 實 行せられ る. こと は 全然 相 象 

すべから ざると ころであります。 政 ある も實 行の 難で ある こと は 勿論で あるに しても、 政& なくして 共産 主簽を 相." 



像す る こと は 更に I I 難!. 困難と いふ. より は 不可能で あり I。 .. へ ル ト ランド • ラッセ ル に從 へ ば 人間の 生活み-指 

導すべき 衝動 は 二つに 分れます。 創造の 衝動と 所有の 衝動と であります。 所お の 衝動の 道德的 批判 は哲 らく 別問題と す 

る。 けれども この 所有の 衝動. か、 凡ての 人 問 生活 を 規律す る 23 も 根本的な 力で ある, ) との 事實 をる む もの は 人 問 性の W 

究にリ 、-て あまりに I や 太 的で あると ともに また 過去に おけろ 人 問の 歴史の "傲然たる^ 實を 無視して るる ものである とい 

はなくて はならない。 旣に 人間の 衝動と しての 所有の 慾 求の 事實を 否むべからざる ものである とすれば、 この 慾 求、 こ 

の衝: ^を 印え て 共產の 道德に 入らし める こと は、 诀 してた > 人 Si に 所 fs 自由み」 與 へる ことによって II 組織と 指導と 力 

と を 想像す る ことなくして 實 現せら るべき もので ない こと は 自明の理であります。 然り、 政 麻な くして 共 產屮: 箱の 理想 

の 資^せられる といぶ.. かごと きこと はせ- ^ 慢 なる 思想家の 空想で あるに 過ぎない。 クロ. ネト キン はこの 點 について 次の よ 

うに 述べます。 

『勞働 者が その 勞働. S ぎ ま マ,? 時-」、 彼れ は 彼 S 囊 しな 價 値の 8? 證の たや」 ま W ほひ きれて ゐ? 

承知して.?。 彼れ がその II る 時-」 卜 それでなくて は 次の 週.^ 彼れ 及び 彼れ の 逢 は飢 ゆるの ほかな さため 

にさう する: tl なくされ あで ある— そ S 自由 S と 呼ぶ、、 と は 悲しむ ベ I 稽で わる。 近代 SS 者に、、 れズぉ 

自 おと ザん; r :: 人間の nt§§ 約- 乂 t と Is くされ 問 は、 さ 勿 ま 零き。 :: われ 等 

は 53 由に 契約され たる もの 行す るた めに 力の 必要. _ ^見ない。』 广 1) 

「自由の 契約 は强 制の 必要. かない。」 彼れ は, ) う 申す のであります。 栗して 然 らば 資本家と 資本家との 契約、 勞働 者と 勞 

働 者との 契約 は、 一 切 何等の 滞りな く 何等の 間違な く、 何等の 爭 ひなく して 資行 せられる ものでなくて はならぬ。 けォ 

ども 人 問 社會の あらゆる II あち ゆると はい へ な いまでも I— 事 寳はク 口. ネト キン に 裏切って るるで はない か。 然り共 

^一 產 主義に おいて 政府が 無用で あると する こと^ 1 ^空想であります。 それ は 無政府主義に ゆく ことの 要求で はなく して 



^一 却て その 反對 であります。 その 反 對に政 麻の? g 要 をして 益々 大 ならしめ る ものでなくて ならぬ。 たから、. ハク.' 二 ンがべ 

ル ン の大會 において、 共產 主義 を 罵って、 共產 主義と は社會 の あらゆる 勢力 を國 家の 手に 集屮 する ものであると 論じた 

こと は 極めて 倾聽に 憤す ると f J ろで あると E, な ひます. - 口 シ ァ におけ ろホ ル シ ェ ヴキキ の 共產主 is- は 最も 端的に、 j の 事 1^ 

を 裏 甞 きして ゐる ではない か 

广 1」 Aiiarcliist に olllmlll-ism, 一に y-JC. 

(十) 

共產 主? 我 も、 コレ クチ ヴヰ ズム も, その 何れにしても 無 政 卞ゃ となろ こと はでき ない。 無 政 主 一.: 我と なること ので 

きない ものであるば かりで はなく、 それ は ュせ々 政治 ふ # 要する の 思想であります。 無 政, S 主義と なる、 】 とので きる もの 

は、 た > 個人主義に おいての みこれ を 求む る ことかで きょす、〕 マックス • スチル ネル (1) の 無攻府 主義なる もの はこれ 

であります。 スチル ネル は 自我の 崇拜 者であります。 彼れ は ェ.. コゥを もって あら e る もの. - 中心で あると 觀 念し、 あら 

ゆる もの ラフち の植 威で あると 觀念 し、 自我 を もって 最 一:; i の 哉 判者で あると なして ゐ. ます。 それゆえに スチル ネルに お 

タス • アイ ゲネ 

いて は 自我 は 先天的に 自. E なる もので あり、 從 つて 彼れ において は 義務なる もの を 認める こと はない のであります。 ま 

た從 つて 自己より もより 以上の 權威を 認める こと は 不可能の ことで あり、 それ は 自由 を 束縛す る もので あり、 自我 を 迫 

害する もので あらねば ならぬ。 ! - それ ゆ ゑに 彼れ は 國家を 否認し ます。 あらゆる 種類の 國家を 否認し ます。 特權 §e 級 

の 國家を 否認す る こと は 勿論、 あらゆる 集合 意 甲 なる もの を 否認す るので あります 0(2) こ、 において か スチル ネルの 

無攻府 主義 は 極めて 徹底的で あると さなくて はならない けれども それ はた 空想に おいての 徹底で あるに 過ぎない。 

筌想 においての 徹底 は事實 においての 不徹底で ある J 彼れ は攻冶 上の 絕對的 自由 11 自由と いふより は 無 攻府を 要求す 



ると もに 瓧會上 または 經濟 上に おいての 自由 を耍 求し ます。 けれども 彼れ の 主張す るか ごとくに 自我なる もの カ絕封 

的に 自由で あり、 權 利は權 力で あり * 生存 競爭は 相互扶助に 優越せ る 人間 生活の 權威 あろ 規律で あると すれば. その 社 

會は 所有の 衝動が 實際 生活 を 規律す る; 會 でなくて はならぬ。 從 つて 所有の 一 方に おける 堆積と なり, 他方に おける 貧 

困と より、 ; t! き 上の 自由なる もの、; 在すべき もので ない こと は 見易き の 道理であります。 獨り 理論のう へに おいて 見 

易き の 道理で ある, はかりで はない。 それ は 個人主義 的 經濟組 II の 歴史が 端的に これ を證擄 立て 、ゐ るので あります。 然 

り、 レ ー セェ • フエ. I ルは 資本主義の 哲舉 でなくて はならぬ。 人間 生活の 社會的 不公正なる もの は 主として この レ ー セ 

ェ • フエ— ル から 生れて きた ものである 二と は 歴史の 證據 立て >-ゐ ると ほりであります。 その 結果 はどうな るか。 財産 

の 蓄積 は權 力で ある。 最も 根 强き權 力で ある。 それ は 社 會的權 力で ある。 けれども 社會權 力が 攻治 的權 力と なる もので 

あろ こと は 現代の 資本主義の 諸國 家に おいて は 何人も それ を 疑 ふ もの はない。 繰返して いへば 個人主義 的 無政府主義な 

る もの は 社會的 不公正と なり, さう して また 直に 攻治的 不公正と なる ものであります。 

(1) ス チケ- ^か は 一八 〇 六 年 バイ 口? ノトに 生れ、 一八 五六に 逝 

r"-) Stirner cer 1 二 lu 一^ c -lid sem h-TOClltum. 

(walling ^P^TOrtn Aslpwct ot scclalism.) 

(十 一 ) 

凡ての 無政府主義 は それが あまりに 人間性の 研究に ついて 樂天 的で ある ことにお いて 第一の 誤謬 を もって ゐ ます。 ま 

た それの 第一 一 の 誤謬 は、 凡ての 無政府主義が 政治に ついて あまりに 悲觀 的で あろ ことから 出發 し. ます。 彼等 は 人間性に 

ついても つと 深刻なる 研究 を 必要と すろ ものであると ュ もに、 政治に ついても、 もっと 正しき 理解に 入らなくて はなら 

ない。 クロ. オト キンに 從 へば 無政府主義 は 近づきつ. 1 あります。 けれども 無政府主義 は 決して 近づきつ. - ある もので な 

いのみなら す、 人間の 凡ての 歷史は 無政府主義の 主張に 逆行して ゐ るの を 見ます。 f の 永遠に 證據 立て A ゐる 事實は 

; 5 一 た 5, I つ — デモ クラシ I の 勝利が これであります 0(.1<; 正 八 年 五月 十三 AO 



! 12 



レ レ 
ビ 才 匕: 

丽 プ ュ 
ス I 



野 村 隈畔氏 

『左右 田 博士の 「文化 主義」 を 評す 



□ 

吾>は1让て野村隈氏^^-^す . アイ-. アイ ァ 

でスム の鬪將 として 多く の 尊敬,^ 拂て ゐ 

た。 往年 氏が 未だ 其 名, cj/ ほさ 5/ る當 時、 第 

三帝國の^?.3上に於て、1戰とは何ぞゃ』 とい 

ふ 問題に 就て 稻毛, 巫 風 氏と 論戰 した 寧が あ 

つ.. - が額脲 すべき 雜は旣 に 其 時蠶中 におい 

て銳尖 顯は して ゐ た。 —— 吾等 は 皙く鋒 

产ど顯 はさなかった その 鋭き 針の 跡,^ 最近の 

中央 公論に 見出し 得た 事 限り無き 喜びと 

する。 氏 は 左右 田 博士の 提唱す る 『文化 主 

義に對 して、 先 づ强く 深く 針の 尖,^ 刻みつ 

けて ゐる。 

□ 

tl- は 言 ふ。 『文化 價値』 は 批判 哲學の 立場 

から 言へ 5:i、 1 種の 『ァ *ブ《 'オリ』 として 

の イデ, であ リ、 當然 であ リ、 限 槪< ふで 

ある けれども • 吾々 が 有する 具體 的の 文化 

そのものから 見て、 そ は 如何に 解すべき も 

めで わる か。 :れは文化そのもの 、意=1^^に 



よって 理, 怖され ると 思 ふが、 文化 は慣 値お 

現の 過程で あるから、 文化の 趣、 卽ち其 

一 "2 昇 的 過程の 極限 LL 立てる イデ, が 文化^ 

値で あると 言 へ に 充分に 理解し 得られる。 

然し、 これ は 文化 >^ 12 値.: A 現の 過 と 見て、 

その 終 立つ ベ さ或ろもの.=^豫想したの 

が 文化 惯该 であり, 或は 豫 想され た 文化 慣 

値 VMa; 現して 行く 過程が の 文化で あると 

いふ 寧 LL 理解され 易い。』 と。 吾々 は此 言葉 

^^^て左右田^士の文化主義に做底的な解 

釋,. ^附 した -,. -の であ. ると 信す る。 氏 は 博士 

の 文化 主義が 同時に 人格主義で ある 事,^ 肯 

定し、 而 して 更 Li 1 步,^ 踏み出して、 人格 

そのもの、 意義に して 明瞭に あ ら ざろ 限 

リ, 依然として 文化 價 値の 抽象的な ろ 事 

指摘して ゐられ ろ。 然リ、 人格 卽文 北と い 

ふ 111 理は、 素ぶ リ吾々 の 文化に おける、 赏 

踐的 理想に 相 t 迸ない が、 然し 人格 其 もの、 

极本耍 求.^ 具 性的 L! 表現すべき 人格 その も 

の 體驗 的に 把握し なければ、 そに そ-,, >そ 



も 何 ^s^l^ii::- 味す るか 一 向 解らない ではない 

か 

□ 

最後 _レ 氏 は" デモ クラシ. -LL 對 する 左右 

田 博士の 『デモ グ ラシ-は 唯贵族 主義 ゃ官 

^主義-」 對 しての み li: ぶ狄 有し、 從て 、それ 

は 他の 主義と 共に 相對 的な 諭 Li 立脚し 

て 何等 並 ヒ;! 的な!! Ji 理的根 ^持て ゐ ない』 

, こ い ふ解釋,^根本5.に批難して、『彼|^寸が^ 

く 其^ 照 と な る ベ さ 主義 の 滅-; す る ものな 

リ とすれ に 『文化 主義 』 の竞 に^す 所 vi- 知 

ら ざる 所以ん 叨 にして ゐる。 吾等 は 野 村 氏 

の 個人主義に 對 して は 多くの 理解 1^ 有する 

ものであるが、 野 村 氏の 『圃體 主義 は滅落 

しても 個人主義 は 残る』 とい ふ定 案の 中に 

含まれた る圃體 主義と い ふ 言 菜 に對 して 

は、 吾等は©其^^明の甚だ不充分なろ事y5> 

信卞, ろ ものである。 

吾々は野村氏の『文化主義』の批評y^:^て 

最近の 日本の 思想界に 於け る だ 喜ぶべき 

收接 であると 信す る。 而 して 氏と 共に 徒に 

抽象的の 名辭に ii れて、 其 正 asll^ 顯 はし 得 

ざろ 博士の 『文化 主義』.^ 以て 畢竟 其 提唱の 

無意義な ろ審 信チる ものである。 (S.O) 



『一』 

『親愛な るゾ— ブ クネヒト 君 足下。 

私 の 電報 は歐 洲社會 革命 黨. か 恐 る べき 損失 を 蒙 つたと い 

ふ 驚くべき 事 實を旣 に 貴方に 報道し 終った 事 を 信じます 

前の 金曜日 倫敦 において 著名なる 一 人の 醫師は —I 滋養 

分に よって 其 身體を 維持し 得るならば 再び その 健康 を恢 

復 する 事が 出來 るで あらう、 と 言 ひました けれども 本日 

午後 1 一時にお いて 此醫師 の 言葉 は 全く 無効 に 終り まし 

た。 11 私は淚 にみ たされた 彼の 家庭 を 見ました。 チヱ 

ル ン は 私 を 一 一階に 招いて 赏 ひました T 御主人 は 半ば 眠て 

ゐ られ. ます』 と。 けれども、 :^>. けれども、 愛する リ— 

ブ クネヒトよ 私が 上へ 行った 時 は 彼 は旣に 永久の 眠り 

に 人て ゐま した。 十九 世紀 後半の 最大 思想冢 は旣 に其考 



る 事 を 中止して ゐ ました" 私 は 寢臺の 上に 漠 はった 彼 

を 見、 同 に 死の ために 一 層の 嚴め しさ を.," した 彼の 顏 

を 見 ま し た け れ ども, 私 は 尙此天 才が其 高遠 卓絕な る 思 

想を以 て 今迄 盖 疼し てゐた 世界の 勞働 運動 から 遠 つ たも 

のと 信す る こと は出來 ません。 — 』 と。 是はマ ルクスの 

盟友 フリ— ドリ ッヒ • ヱンダ ルス が倫敦 より ゥ ィル ヘルム、 

リ— ブ クネヒトに 宛て. - 送った 手紙の 一 節で ある。 吾々 は 

彼の 此 手紙 を 透して 世界の 勞働 運動 史に 貢献した る マ ル ク 

スの 地位と 其 能力と を 判定す る 事が 出來 る。 力 ール • カウ 

ツキ ー は 『マ ルクス を 征服す る もの は 唯 其舉說 の實 行者 あ 

るの み』 と 言った けれども • 事實 において マルクス を 征服 

する もの は —— 尠くとも 吾々 の 判斷し 得る 限りに おいて は 

マ ル ク ス其 自身 を 離れて 無い。 洵に マルクスの 一 生 は その 

cvol-tiolKll.y な?^ 分と K つ volutioiiary な 部分との 錯雜交 結 



^ する ものであると 言て 差 支ない。 i r 私 は 今 異常な 史的 興 

味から マ ル ク スの 生涯 史に筆 を 執ら、 フ とする。 

『二』 

普 佛戰爭 は獨佛 の勞働 者に とって 明に 一 つの 大 いなろ 恐 

慌 であった。 彿國勞 働 者 は 日 耳 曼勞働 者と 同じく、 此戰爭 

に 抗議した けれども 彼等 は是に 満足す る 事 は 出來な か つ 

た。 普國 侵入軍の 進んで e 里 を 園む 時に おいて 食に 飽 いた 

る 幸福なる 多くの 愛 國者は 直ちに 之を敏 軍に 交附 せんとし 

たけれ ども 平生 祖國を 愛せざる t% 働 者 は 反て 之 か 防 衞に盡 

した。 卽ち 彼等 は Thicr 並びに 其 同僚の 愛國 者の 狡 計に よ 

つて 放棄せられ たる 其 共和制 を 防護した。 

そして 佛國が 其勞働 階級の 武器 を 以て 起たん- ) とや 恐れ 

て 勝利者た る獨 逸人の 足下に 拜跪 すると 共に、 勞働 階級 共 

和攻 救護 を 目的と して 蜂起した。 時に 一八 七 一 年 三月 十八 

曰で ある e 

かくて コ ムミ ュ ー ンは來 た。 此望 無くして 而も 必耍 なる 

共和政の 敵、 卽ち勞働階級の故に對するハ5^^闘を事情の容,す 

限り 良好に 遂行せ しむる の 事業 は、 率然として 萬 國勞働 者 

同盟の 頭上に _洛 下して 來た。 かくて、 コム;、 ュ— ン は 優勢 

なる 武力に よって 鎭壓 せられた。 その 結果、 當時 文明 世界 



の 恐怖た る 莴國勞 働 者 同盟 は 到る 處に 法律の 保護 を 奪 はれ 

た 

コン ミュ— ン は 如何なる もので あつたか。 11 ,ての 儕 S 鬪 

と减 落と は 何 を 意味した か。 そのす ベ ての 解 釋は莴 國勞働 

者 同盟の 設立者の 一 人と して、 同時に 此 一 探に 加 はった 力 

—ル • マルクス によって 書かれた る "The avil War i 一 1 

T.raucc- によって 爲 される であらう。 

莴國勞 働 者 同盟 は コム ミュ I > 沒 落の 後 全く 其 地位 を 一 

變 した。 外にお いて は實際 運動の 戰 場に 全く 鎖され、 內 

において は is! 派の 相違と 空想的 陰謀と が淅 くその 頭 を搔け 

て來た その 時に おけろ マルクス の 位置 は 言 ふまで もな く 

同盟の 中: 腦 者であった が、 その 事務と 責任と は 次第に 增加 

して 來た i 此時 恰も 強烈に 彼の 頭に 動いた る 意識 は 彼 

の 宿 年の 希望た る 『資本論』 の 完成であった。 此處 におい 

て 彼はバ ク I 二 ン 一 派との 分離 を遂 けたる 後、 其 本部 を 紐 

育に 移すべき 事 を 提唱し、 一 八 七三 年に おける へ—, グ大會 

は Z を 可決した。 此 一 事 は 暫く 彼 を 社會的 批難の 的たら し 

めた けれども、 何れに もせよ 彼 は 之 を 以て その 一 身 を科擧 

的 事業に 棒ぐ る を 得、 その 宿望た る 資本論の ために 全力 を 

注ぐ 事. か 出 來る樣 になった" 此閒 において マルクスの 事業 

ま 日 一 曰と 加して 来た.. か • 彼は尙 各國、 殊に 獨 逸の 勞働 



運 勤に 對す る 注意 を 忘 れ なかった、」 

1 八 七 五 年、 ラサ ー ル 派と リ ー ブリ ネヒト 派との 連合 大 

會が 開く る 時に 當て彼 は 長文の 書 を 送り その 綱領に つきて 

論す ろ 所 あり、 當時 マルクス の 意見 は、 兩派 連合の 機會を 

逸する 處 ある. か爲 めに、 直ちに 採納 せられなかった けれど 

も、 社會 黨鎮歷 法の 廢止 後、 ヱ ルフヱ ル ト大會 における 綱 

領 改正の 際に は 彼の 意見 は 全く 採用せられ た" 

かくて 過度の 勞働 によって 得. U る 病 は 元來强 健であった 

彼の 體軀 を銷磨 し、 ために、 彼 は 一 八 七 〇 年代に おいて 或 

は カル ルス バ ッド に、 或は 怫國 南部に、 其 病み-養 はざる を 

得なかった。 けれども 群り 到る 家庭の 不幸 は 遂に 死 を 以て 

彼を壓 服した。 

一 八 八 一 年 十一 一月 一 一日、 彼の 妻 11 彼の 友人 而 して 彼の 

同志であった 夫人 Nv^ ヱ ン 二— は 死んだ。 ——- 彼女の 死 は 同 

時に 彼の 死であった。 

かくて 同じき 年の 三月 十四日、 彼 も 亦忽焉 として 死の 床 

に 就いた。 

『三』 

彼の 大著 資本論の 第一 卷 が 出た の は 一 八 六 七 年で ある。 

タ 是れ亦 凡ての 大事, 件の 如く 其眞價 は 容易に 世に 認められな 



か つ た。 然し 乍ら 其 勢か^ 原 の焰 となる までに は あまり 多 

くの 時間 を 費さなかった。 怆もダ ァヰン の r 種の 起, 源』. か 

生物 學 におけると 等しく、 マルクスの 『資本論』 は 今や 終 

に 社 會學、 政治 學を 支配す るに 到ったり 

けれども 事實 において マルクス の 完成した る もの は 僅 に 

資本;?; 1 の 第 一 卷に 過ぎなかった. - 

物語の 牡 獅子 は 六 匹の 子 を產む 事. か出来なくて 唯 一 匹 を 

產んだ 事 を 以て 猫に 笑 はれた 時 傲然と して 答 へ て 言った" 

『然り * 唯 一 匹に 過ぎない けれども、 それ は 獅子た』 と 答 

へ た。 ,き 】 とに マルクス の 産んだ 資本; fi 第 一 卷は牡 獅子. か 

産んだ 唯 一 西の 獅子で ある J . 

其 他の 卷は マ ル クス 死去の 當時、 尙末だ 完成せられ なか 

つた けれども 略々 印刷に^ する までに 到って ゐ たので 彼の 

分身た る ヱンゲ ルス は 彼の 希望に 從て * 之 を 校訂し て^に 

公に した, 

『資本論 I 第一.^ 出版の 年を隔 つる こと 三年、 一 八 七 〇 年、 

普 怫戰爭 は、 ビス マ ルク鐵 血 攻略の 當然の 結果と して 起つ 

た。 比 時、 マルクス は 氣象學 者. か {仝氣 の 流動 を觀 察する 如 

く- 攻略の 運動と、 事件の 發 生と を 一 定の 法則に よって 推 

察すろ 歴史 研究者の^ 光 を 以て 終始 時局 を觀察 じた。 

マ-ルクス は 當時獨 逸社會 民主 黨の 態度に 全然 賛意 を 表し 



お 一 セダ ン 陷 落の 後、 王朝 的愛國 者が 其 假 面を脫 却して 5^ 略 的 

戰爭の 寳を顯 はす や 彼はブ ラ ンズ イツ ク において 開かれた 

同 代議員 會に 一 書 を 送り、 害 中詳に 時局の 翁. 相 を 〔t おし, 

略 戦爭の 結果 を 的確に 指示した: 此帝 :3 はブ ラ ンズ イツ ク 

官 一一! a の 名に よって 公に せられた" 

『四』 

マルクス をして 攻治界 に 誘 出した る もの は 言 ふ 迄 もな く 

伊太利 戦爭 であった。 佛蔺西 華; 帝 ボナ バ ルトは H 、漸く 危險 

に 瀕せん とする 王權を 鞏固なん しめんと 欲し、 伊太利の 自 

由の ために 澳太 利に 向て 戰を宣 し、 かくて ク ー. デタ— の皇 

帝 は 忽ちに して デモ クラシ I の 辯 護 者と 化した。 當 時倫敦 

に 於け る獨逸 亡命者 は雜 :|^,| を 刊行して 頻りに 沸 蘭 西 帝國の 

野心と 愁 望と を摘歇 した。 マルクス も亦旺 に其雜 誌に 寄書 

して 莴 丈の 氣 焰を舉 けた。 總て隱 時に して 勞働 運動に とつ 

て 好適の 時期 か 迫って 來 た.。 從來 迄其獨 立の 運動 能力 を 奪 

はれてゐた勞働ー;!&動は<^-ゃ全く獨立したる運動として嶽は 

るるの 方途 を與 へられた。 當時 英國に おいて は チヤ— チス 

ト 黨は 業に 旣に其 威 落の 時代 を迎 へ、 ブル. チヨ ァ によって 

立て ゐた勞 働 組合 は 最早 進步 的の 勞働者 を 満足せ しむろ 事 

が 不可能に なって 來た。 



佛 蘭 西に 於 て は 流血 の 悲慘を 見た る 六月 戰爭の 後に おい 

て I; ガ働 運動 は 一 時 全く 衰威 したる. か 如き 形勢み-示し たけれ 

ども 古き 革命の 血 はャゃ 再び 彼等の 胸奥に 洶 湧して 來た。 

獨 逸に おいて は、 フ ァ— ディナ ンド • ラッサ ル に 依て 足- 

進せられ たる 獨 立の 勞勸 運動 か 淅く其 基礎の 安固な らん、 こ 

する の 傾向 を 示して 來た。 此 時に 於て マルクス は 今や 譜國 

に 分離した る勞働 運動 を統 一 して 其 根本に T-1 一 criional な 

性質 をへ 「n 有 せしめなければ ならない とい ふ 事 を 痛感し て 來 

た 

一 一 八 六 三年 四月 廿八 日波 蘭に 對 する 同情のへ S! 合が 淪敦に 

開かれ、 其き 合の 席上に 於て、 The 一- tcniatihiial W ミ kills 

Mcn-S Associa-ioll を 設立すべき 議案が 通過した。 それより 

三ケ月の^^、 再び 波 蘭に 對 する 同情 會が 倫软に 開かれた。 

その 席上に おいて 社會 問題が 旺に 討議せられ The Interna 

一 . 

liia 一 worki = p;mcMrs Association" 設立の 議案 か 再び 可決 

せられた。 かくて、 明くる 年の 四月 • 勞働 者の 代表者 は E 

より 來て獨 逸、 波 蘭 • 英吉利、 及び 阿 米 利 加の 代表者と 

協議 會を 開き 國際勞 働 者 同盟 設立の 目的 を 以て、 國際勞 働 

代表 委員 會を 召集す る こと、 及び 之に 要する 準備 を マルク 

ス に 托する こと を 決議した。 

ir- ハ後 五ケ 月を經 て、 一 八 六 四 年 九月 廿 八日. 國際勞 働 者 



同 明 皿 "The hltcnlat;: 一 lal Woikii 一 "me 一 is Assodatio 一一" 

敦 において 設立 さなた。 マルクス は 進んで 此新 組織の 宣苫、 

綱領 • 會則を 起草した けれども、 其 主たる 目的 は 之 を戰 

機關 となす に 非す して、 勞働^ 級 解放 運動に 一 箇の 中心 點 

を與 へんと する に 在った。 而 して 此國際 勞働者 同盟の 設立 

は實に 十六 年 前, 共產黨 宣言に よって 全世界の 勞働 者の 前 

に 叫ばれた 彼れ の n 伊 國勞働 者よ、 園 結せ よ』 とい ふ訴へ 

の 一部の 實行 であつ.; に 

『國際 勞働者 同盟 J は 復古 黨に よ つ て 陰謀家の 巢窟と 呼, は 

れてゐ た。 而 して 實 際にお いて は 此團結 程 非 陰!^ 的な 圑體 

は 嘗て 無かった と 言って 良い 位であった。 若し 之 を 目して 

强 ひて 陰謀と 言 ふなら ば、 そ は 雷 ふまで もな く勞働 運動の 

陰謀であって、 自然界の.^ く、 人類の 歴史の 如く 公明なる 

白晝 公然の 陰謀で あつたので ある。 

マルクス は 翁に 倫敦 亡命の 初期に おいて、 意力と 献身的 

行爲 とに よって 世界的 革命 を 成就し 得る と 空想した 革命 爆 

動 家と 戦った ので あるが、 その 當 時に 彼の 敵の 對照 であつ 

ヒ ウイ リッピ 一 派 は、 此處に 新ら しき バ ク ー ニン 一 派と な 

つて 『國際 勞働者 同盟』 の 中に! 4 現し、 マルクス は 又此處 

に 前と 同 一 の 戰を戰 は. さろ を 得 なくなつ. U ので ある- 



『五」 一 

1 八 四 八 年 六月 以後!,, e 里に おけろ 六月 戰爭が 恐れ、 

戰 ける 紳士 閥に 對 して、 勞働 階級 か 旣に戰 鬪カを 有する 年 

^に 達せる を 示した る 後、 革命運動 は 次第に 其 高度の 熱 を 

失 ひ 始めて 來た。 

九月 九日、 kclK,. 二 L;hmi は 維納に おいて 戒厳令の 下に 銃 

殺せられ、 同日 \v4.a--gcl は 伯林に 入て 臨戰區 域の 布告 を 

發 した。 けれども 明ぐ る 年の 春、 普 魯西王 を 始めと して 其 

諸侯 か 憲法 を 拒絶す る や 革命の 波 は "再び 起った. - 

革命 黨は 干戈に 訴 へ て 最後 迄诀戰 すべ きか、 若しくは 復 

古 派に よって 鎭壓 せしめら る > か、 一 一 者 何れ か を 選ばな け 

れ ばなら なくなった、" 

而 して、 ベ ン の 時 は 瞬間 に し て 去って 纏て 劎の 時が 來 

た- 

その 時 ヱ ン ゲ ル ス は 無効なる を 知りつ 、 も、 バ. ー デ ン 及 

び 、パラチ ネ! トに 赴いて 自. i 憲法 運動に 參 加し、 マルクス 

は 急遽 E 里に 赴いて 智識 階級の 急進派の 紳士 閥 打破の 運動 

を目擎 した。 けれども 此 運動 も 亦 其 根柢に 於て 誤たざる を 

?!! なかった。 何と な れ ばせ ガ 者 の 味方み- おせざる 中等 階級 

よ 全く 價 直と 隨 威と を 有せざる ものである 力ら て ある 而 



00 して 努動 者の 血 は 旣に成 は 一 八 四 八 年 六 sag 丸の ドに 流出 

し、 或は 乾燥した る斷 頭!: rr ドライ。 ギロチ >^ と稱 せら 

れた 囚人 殖民 地に おいて 酒 し^した。 11 果して 此 運動 

は 失 敢に歸 した。 一 八 四 九 年の 『六月 十三 日 J は 唯 徒に, ひ- 

進 的 知識階級の 無力 を 表現した るに 過ぎなかった。 

かくて 失败 したる 運動の 主腦 人物た るル ドル—, 口— ラ 

ン は 『六月 戰爭 J の 後 共同^ ル ィ • ブ ラ ン の 後 を 追て 倫欤 

に 赴いた。 マルクス も 亦 攻府の 命に よ つ て佛 1; まお^ を 禁ぜ 

られて 倫敦に 赴いた。 船 北^ ヒ年 を經過 して. 彼 は 始め 

. て 此處に 暫く 其 足 を 留めた。 けれども 安寧と 幸福と は 彼の 

ために 竞に來 なかった。 

マルクス は倫敦 において 世界 何れの 地に おいても 望兒す 

る 事の 出來 ない 政治 上, 並に 商業 上の 活劇 を觀 察して その 

思 ふが 儘に 著 寄の 材料 を 得る の 便宜 を 得た。 「資本論 J は S 

に 新の.^ き 狀況の 下に 於て 得られた る收 獲であった.。 

一 八 五一 一年 に 『共産主義 同 ggj は 解散し.; 一.- 共 產主袋 

同盟の 解散 後、 マルクス は 科 g や 的 研究と 新閒 寄稿と に 其 一 

身 を 捧: bY 二 ュ.' ョ ルク • トリ V ュ ー ン 』 の寄窨 家と して、 

絕 えす 同紙 上に、 政治 經濟 に關 する 大 論文 を 出し、 一 八 五 

九 年 其 著 『經 濟舉の 批評 J を 公に した。 是れ 彼の 匿 値 論の 

始めて 世に出で た 第 一 步 である。 



『六』 

共産主義 同盟 か li 逸 亡命者に よって BJ 里に 設立 せられた 

の は 一 八 六 三年で あろ-」 それ は マ ルクスの 入 <|3 前にお いて 

は多少の陰^^^^的奥味を帶びた結社でぁったが彼の人會と北ハ 

に 其 恢 質 を 一 變 した。 當時 彼と 共 LS ハ 中に 在った ェ ン. ゲル 

ス は 語 て 言 つ た 。『唯 事情 已 む を 得. さ るが ために 秘密結社と 

した けれども、 此 同盟 は 今や 共産主義 偉 道の 眾 純なる 一 機 

關 となった) 而 して • これ こそ は 實に 獨 逸社會 民主 の 第 

一 組 織 であった" 此 同盟 は 獨逸勞 働俱樂 部の 在る 所に は必 

す 成立した。 英國、 白 耳き、 佛蘭 西、 瑞西 における 獨 逸人 

很樂 部の 殆んど 全部と、 獨逸 における 多くの 倶樂 部との 主 

なる 會員 は皆此 同盟に 加入し.; 飞 而 して、 此 同盟 は 一 方に 

おいて 獨 逸勞働 運動の 勃興に 與て 力あった と共に 他方に お 

いて 英人、 白人、 匂 牙 利 人, 波 蘭人の 人會を 許し、 殊に 倫 

敦に萬 國勞動 者 大會を 召集す る ことによ つ て勞働 運動み-萬 

國的 にす るの 必 |§::^ を 切 一 し、 且之 を實 行に 現 はした る 最初 

の もので あつたし- ij 

共產 3^ さ 曰 一言 は 一 一 月 初旬に 發 表せられ た。 (創刊 號 、『新 ラ ィ 

ン 新聞 を 起す まで』 、参照) 同月 一 一士 一日、 革命の 噴火口 は 

十八 ケ年靜 止の 後 再び 玆 に爆發 した。 革命 は 遂に 來た。 示 一 



威運動は到る^!に行はれた。 

白 耳 義玫府 は從來 幾度び か赞魯 西攻府 よりの マルクス 放 

逐の 請求 を 斥けた けれども 玆に 到て 大いにお どろき 直ちに 

マルクス を 怖へ て 之を國 1 兄に 護送した。 

マルクス は 佛國州 攻府の 一 員た る 其友フ ロコン の. 招きに 

應 じて 急いで G 里に 赴いた。 E 里に おいて 彼 は 其 最善の 力 

を盡 して 革命 を 助けた か * 彼 は 更に 騷搔 を擴大 せんとす る 

ヱ ルェ— Herwcgh の計螯 には斷 乎と して 反對 した、 - 間 も 

無く 彼は獨 逸よりの 吉報に 接した。 彼の 革命的 活動の 舞 S 

は 今や 其 本國に 展開せられ た" 三月、 彼 は 五 年間 中 S 端した 

る ライン 新 間 再興の 計畫を 抱いて コ 口 — ンに歸 つた. - 

新 ライン 新聞 は 非常な 勢 を 以て 竞に 生れた。 然し 政府の 

黒い 手 は 娜て此 芽 生 を 剪 取て しまった。 

『七』 

マ ル クスの 生れた の は獨逸 古都の 一 として 知られた るト 

レフ ヱ ス、; t は 一 八 一 八 年 五月 五日、 遠き 羅馬 文明の 記念 

と 近き 佛藺西 革命の 痕跡との 間にお いて 一 猶太 人の 家に 生 

れ たる 子供が 卽ち 彼であった。 

— 先づ 暫く 其 背景に ついて 語らし めよ、 時 は ライン 諸 州 

-1 が 普 魯西領 となった る 後 四 年であって、 當時新 領主 普魯西 



は 『祌 g で 同盟』 に 役せられ 倉皇として 蘭 西の 異端 邪說 を 

1 Itw- し 代 ふるに キ リ ス ト;^ 的 11 逸 思想 を 以て 掩 はんと 努め 

てるた 頃であった。 

マルクス 生後 幾 干 も あらす して、 猶太 人 は キリ ス ト敎に 

改宗す るか、 公 職 を 扱 ふ. ヘム 事と 全く 關 係を雜 つか 一 一 者 其 一 

を 選ぶ べしと い ふ 勅令. か 下 つ た" 優秀な る 法律家で あ つ た 

マルク スの父 は 淚を吞 んで此 :?^ 令に 屈し.; r 彼 は 家族と 共 

に キリス ト^^の信仰を採5.した.か其後ー H- 年 マルクスの 成 

人す る や 彼 は 其の 著 3 猶太 人 問^ j において 此暴 逆なる プ 

一 口 シ ァ 政府の 行 爲に對 して 第 一 ま I 駁を 試みち 而 して 彼 

一 の 全生涯 は 論駁に して 又復醬 であった、、 

マ ル ク フ、 は旣に 其小舉 時代に おいて 儕 の 愛慕 畏怖の 標 

的と されて- Q た。 彼の 愛 t ま せ ら れ 4 ), の は 常に 率先し て 悪戯 

の 仲間、 をした ためで あり, 彼- ss_:{ 怖せられ たの は 彼 か 善 

一 く 深刻なる 鼠 刺 詩 を £ し其敏 を 嘲笑の 滴 中に 投じた るが た 

めで ある。 彼 は 普通の 課程 を 終った 後、 最初 は ボン ヌ 大舉 

に、 次 はべ ル リン 大挙に 人った ので あるが、 彼 は先づ 父の 

意み-満たす ために く 法律 を舉 び, 後 自已の 意を満 さん. か 

ために 歴史 及び 哲舉を 研究した" 

一八 四 二 年、 彼が^- ン ヌ大?^^の哲學講師となリ, 其 忍 想 上に 一 大 

變轉 時代 過して, 彼の 將來の 運命に 新ら しい 安定 點. ^築き • 

同年 ライン 新聞-」 携リ、 翌年 同紙が 發资禁 止! しな S, て, 彼の 短 か 

からぬ 放浪の 生涯が 始まる 迄の 事 は 此虔に 省略 マる,.. (四月 號 11- 新 

ライン 新聞 起 マまで』 參 照。 



え 一 八 四 八 年の カァ 

V マルクス 

甲 野哲ニ 

力 アル • マルクス. かェビ キロス の 哲舉に 11 する 論文で、 

, ィ ェ ナ大舉 から ドク トル • フ イロ ソ フィの 舉位を 受けた の 

は、 一八 四 一 年 四月 十五 日の 事で ある. - 舉者 的であった 彼 

は、 舉問 生活 を繼續 する 爲に大 舉の敎 員 を 志望して 居た か 

先輩 ブルノ— • バウア— か 其宗敎 上の 著作 (Kril 一 k (Icr 

evaiigelisdieii GeschiclUc der synol 一 tiker ) の 爲にボ 、ン大 舉 

の 敎壇を 去る に 至った ので 斷 念す るの 止むな きに 至った。 

かくて マルクス は 新聞へ と 志す に 至った。 ライン 新聞の 

記者と して、 彼 は 始めて、 自己の 生活 を 送る ことにな つた 

1 八 四 八 年の 力 アル • マル クスに 就て 語る に は、 この ライ 

ン 新聞 以來の 彼 か 放浪 生活の 大體を 知らな けれ ば な ら な 

、 



一」 

ライン 新聞 は、 其 地方に 於け る. 有産階級 中の 最も 急進 主 

義者か 其 思想 宣傳 の爲 に、 發 行した 日刊 攻治 新聞であった 

か、 一定の 思想の 代表 機 11 ではなかった。 然し 其 内に は 多 

くの 不平 分子 か 案って 居た。 ブルノ-,' • バウア!、 フリ ー 

ドリ ッヒ *コ ッ ペン、 マックス • スチ ルナ, I、 モ 1 ゼス • 

へ ッス、 ゲ オル ク* へ ルゥェ j、 力 アル • マルクス を 其 寄 

稿 家の 内に 數 へる ことか 出來 る" マ ルクス はこれ 等の 人人 

の內 最も 年少の もので あ つ たらし い 

力 アル • マ ルクス の 文章と 其ジ ャ ー ナ リスト としての 才 

能と か 認 , の . り れ る樣 になった S 彼の 入社 以 後間 も な く で 

めった、) 一八 四 二 年 十月に は、 彼 は 編輯 長に 任ぜられた。 

マルクス は 其 職に 就く と 直ちに、 言論の 自由の 爲に、 厳酷 

な當 局の 檢閱 に對 して 論理 鋭く 攻攀 の^を 振った。 全獨逸 

は 其 筆端の 華; 麗 と大隨 とに 驚異 の^を 見張った。 彼 は實に 

ドイツ 政治 評論 界に表 はれ.;,! 彗星で あ つ た。 , 

攻擊の 猛烈 さに 驚いた 當 局が 新聞社に 對 して 告を發 し 

たの は、 マ ルクスが 編輯 長 就任 後 一 一 一週 を 出でなかった。 

然し, マルクス の 慈 度は改 たまらす。 當 局の 歷迫は 益々 其 

度 を 加 へ て 行った。 一 八 四 三年 一 月廿八 の ライン 新聞の 



第 一 段に は、 撿閱官 の 命令に 依り、 四月 一 日 以後 其 發行を 一 

繼續 する ことの 不可能なる 旨の 公告 か 出た。 越えて 一 一月 十 

七日の 株主 總會は 編輯 長を辭 任せし むる こと を 決定し、 更 

に、 當 局に 對 して、 懷柔 運動 をした ので あるが、 すべて は 

功な くして 終った ので ある。 マルクスが 其 社 を 去った 數日 

後の 三月 廿 三日 ライン 新聞 は、 其 最終 號を 出す に 至った の 一 

であろ。 「急進主義の 假面は 振り落され、 絕大 な專政 主義 は • 

素顔の ま、 に 全世界の 眼前に 表 はれた」 と マ ルクス はァ— 

ノル ド • ル— ジ ュに 書き送って 居る。 一 



ァ I ノル ド • ル —ジュ は 若き へ I、 ゲ リ アン で 詩人で あ つ 

た。 彼 は 一 八 三 八 年 以来 彼の 友人と 共に、 ハ レ 年報 11 己一。 

sch ひ Jallrbiich^r fiir deutsdie l<unst ii 一 icl wisscnsdlalt と 言 

ふ 文學、 哲 學に關 する 價値 ある 年報 を 出して Di? た。 年報の 

論調 は頗 ぶる 急進的の もので あつたの で 常 々 當 局 や 保 守 主 

義 者の 注目す る 所であった" 年報 はハ レて 編輯せられ、 -ヌ 

ィ プチ ッ ヒで發 行せられ た。 と 首 ふの は * ブ ロシア 官權の 

干渉 を 避ける 爲 であった。 けれども、 政府 は、 ライブ チッ 

ヒで 出版す る 二と を 禁止し、 ハ レに於て出版し其:^^閱に服 

4 せねば ならぬ と 命令した、」 



ル— ジュは 一人 ドレス.. テンに 移って、 一八 四 一年 獨逸年 

報 Deutsche jahrbiicher と 言 ふ 新しい 名前 か 其 第一 號を出 

したので ある。 この 年報に は、 ル I ジュ、 バウア ー、 フォ 

イエ ル バッハ、 マル クス等 も 寄稿した。 其 誌上の 詩 は、 最 

も 急進的で 吾々 は 彼等の 內に、 ハイネ、 ホフマン、 フォン 

ファラ —スレ 1 ベ ン、 ゲォ ルク、 へ ルゥェ 1 等を數 へる こ 

と. か出來 る。 この 獨逸 年報 は、 其 論調の 爲に、 一 八 四 三年 

サキ ソン 政府の 爲 に. 禁止せられ たので ある. - 

棚 

ル I ジュは 其 年報の 復活 を考 へて 居た? 彼 は、 ッ I リツ 

ヒ から 其 年報 を 出したい 希望であった。 然し、 マ ルク ス は 

寧ろ パ リ から 其 年報 を 出す, 〕 と を 望ん. たっと 言 ふの は、 マ 

ルクス .か其 ラ ィ ン 新聞 時代に、 口 I レンツ、 フォン • シュ 

タインの 「佛蘭 西; si 曰 運動 一 に 就て、 批評の 筆 を 振った こ 

とか あるが 其から フ ー リ ェ—、 サン • シ モ ン G 社會 主義に 

與味を 持ち 始め 更に 深い 研究 を 積む 爲 に、 C 里 を 便宜と し 

たからで ある, - ル I ジ ュは マル ク スの 考に贊 成して、 先つ 

パリに 赴き 獨佛 年報 發 行の 爲に、 準備 をして 居た。 マルク 

スは、 數 ヶ月 後 之に 加 はる 害で あつ. I に 

il. つ 年上、 S イエ 二! • フォン *ゥ エス トフ アレン と;^ 爾 



-? した マルクス は、 ライン 流域の ビン ダンに 新婚旅行 をした 

後に、 其 夜に バリの 都へ と 行った ので ある。 マルクス は、 

歉迎 せられた。 彼 は 早く もハ イン リツ ヒ • ハイネ、 ミカ ェ 

ル • バクニン、 ヨセフ • ブル— ドン、 カツべ 等 を- 其き 員 

- とする 急進主義者の 一 圑 中の 有力者と なった ので ある。 

マルクス は 、サン • シ モン の社會 主義に 大 なる 興味 を感 

じた ブル— r ンが 厳正な 批判的 能 心 度で サ ン?ン モ. ン の舉說 

に對 したの は、 マルクスが 其 舉說を 理解す るのに、 大邊便 

利であった。 そして、 彼等の 論爭 は、 マルクス にも、 プル 

!• ドンに も 有, な ものであった。 マルクス 自身 も プル ー ド 

ンの 思想に 價値を 認め 彼 をフォ イエ ルバ ッ ハに 比して 居 

る。 一 八 六 五 年の ベル. =>ン の社會 民主主義 誌に、 寄せた、 

手翰 中に 言 ふ 。「プル 1 ドンの サン • シ モン、 フリ— ェ I に 

對 する 闢係は フォイ エル パッハのへ I グ ル に對 する それで 

ある" 人— ゲルに 比すれば、 フォイ エル バッハ は 甚だ 貧弱 

なる を感 する。 然し 乍ら へ ー ゲル 以後に ありて は、 彼 も 亦 

1 時期 を 割す ベ き 思想家で ある」 と。 



かおる アト モス フィャ I の 内に あって, マルクスと ル 1 

ジュ とが 獨佛 年報の 一 ー册分 合册を 刊行した の は 一 八 四 四 年 

の 初めで ある。 其 寄書 家と して 吾々 は, マ ルクス、 ル —ジ ュ、 

ハイネ、 バァ クニン、 ヘル ゥェ, I、 フォイ エル バッハ * ェ 

ンゲ ルス 等を揚 ける ことか 出來 る。 か >- る 一 代の 俊才 を 集 

め 得た 年報 も 僅か 一 回の 刊行の みで 終った の は、 吾々 の 極 

めて 造憾 とし 不可思議 とする 所で あるが 當時、 佛國の 寄書 

家に 有力者 を 得 ざり しと、 財攻の 窮乏 甚だしかった に 加 へ 

てル ー ジュは マル クス. か社會 主義 を 信す るに 至った ことに 

飽き 足らなかった と 首 ふこと が 其 大きな 原因と なって 居る 

ので ある。 

マルクス は、 獨佛 年報に 一 ー篇の 論文 を 寄せた。 其 一 は、 

へ— ゲルの 「法律 哲舉」 の 批評に 對 する 序論で 著しく 政治 

評論 的 色彩 を 加へ たもので その 全篇に 渉って、 フォイ エル 

バッハ の 影響 を 見る ので ある, けれども、 3 の: 文に 於ても 

彼の 獨 立の 思想 を 見る ことが 出来る。 そ は、 唯物史観 又は 

經濟 的史觀 である、 而 して 唯物史観が マ ル ク ス舉說 中の 最 

も 重要な ものであるの は マルクス 研究者の 均しく 認 むる 所 

である。 

其 二 は、 ブルノ ー、 バウア ー の 猶太 人 問 蹑に對 する 批判 

である。 マ ルクスに 就て は 猶太 人の 問題 は バウア I の 1 マ II の 



如く 宗教の 問題に あらす して、 經濟 問題で ある。 而 して、 

猶太 人の 社會的 解放 は 彼等 を 實際的 猶太 主義 卽ち 商業主義 

と舍货 とより 解放す るに よって 得る となした ので ある。 

一八 四 四 年 九月 は、 マルクスに 取って、 忘れ 難き 時で あ 

る。 彼の 一 生の 親友 • 一 生の 協働 者フリ ー ドリ ッヒ • ェン 

ゲ ルス と 初めて 會 へ る 時で ある。 ェン. ゲ ルスと マルクスと 

は、 マ ル クス. か ライン 新聞 時代 旣に 文通. かあつた ので ある 

が、 ^接した の は、 この 九月 を W て, 始めと する. - 

ェ ンダ ル ス は 千 八 百 一 一十 年 十 一 月廿 八日 ライ ン のバ— メ 

ン に 生れた 長 じて 商業界 へ と 進んだ が 其 舉問を 捨てな か 

つた。 そして、 彼が ベ ル リンの 徒 丁 時代、 軍務 服役の 時代 

の餘暇 はすつ と 哲擧の 研究に 費され た。 彼 も 亦 時代の 子で 

ある。 彼 も 亦 若き へ —ゲ リ アン たる こと を脫れ なかった。 

一八 四 二 年 ヱンゲ ルス は、 其 父の 營 せる 製造 工場と 地 

. 位み-得て、 英國に 向った。 思想 問題 等に 注意 を亭 りな かつ 

た 彼 は、 チヤ ー チ ストの 運動に 多大の 與 味も覺 え、 年老い 

た ロバ .;《,ト • ォ— ヱ ン と 交 を 結び 其の 「新道德世9^^ に 寄 

稿した ので ある。 一八 四 二 年から 四 四 年まで エンゲルス は 

乂 英國の 產業狀 態 を 深く 研究し, 一八 四 四 年 其 故 鄉バ- -メン 



に歸 つてから、 tiv 、研究の 成果 を、 「 1 八 四 四 年に 於け る英國 

勞働者 階級の 狀 慈」 として, 四 五 年獨 逸に 於て 出版した の 

である。 

マルクスと ェ ンゲ ルスと が 親 一 父 を 結ぶ に 至った の は、 極 

めて 自然で ある。 彼等の 思想 は 最もよ く、 これ 等の 事情の 

あるべき を 表 はして 居る。 マルクス は、 旣に. 怫蘭西 初期 

の 空想的 社會 主義の 行き つまれる を觀 破し て 居った こと は 

其獨佛 年報に 寄せた: Si 文 を 見る も 明かで ある。 ヱンゲ ルス 

も 亦 「英 國勞働 階級の 狀態」 に 於て、 チヤ-' チ スト 運動 並 

にォ —二 ン 流の 社會 主義が 勞働者 階級の 幸福 進の 爲に、 

よく 爲す 無き を 見た ので ある。 

れば、 一 八 四 四 年の 秋、 ヱンゲ ルス. か 其 故鄉バ ー メン 

に歸 省の 途次 パリに マルクス を訪 ふた 時、 旣に、 其 根本 思 

想の 合致 を 見出した ので ある。 而 して、 空想的 社會 主義に 

對 する 斯る 見方 こそ、 彼等の 大事 業の 一 なろ 共產黨 宣言の 

根本 思想で あるの を 知る ので ある〕 

マルクスと ェ ン. ゲ ルスと は、 ェ ンゲ ルスが、 パ 1 メン に歸 

る 前に 青年へ I ゲル 派に 對 する 態度 を 定めた。 ブルノ!。 

バウア 1、 マックス • スチ ルナ—、 ル トウ キヒ • フォイエ 



4 ル バッハ、 J れ 等の マルクス の 知友. か 青年 へ —ゲ ル 派で あ つ 

た。 この 事 は、 一 八 四 五 年 「神^ 家族」 の 刊行に 依て、 な 

された この 書 は、 マルクスと エンゲルスとの 共著で は ある 

が: ヱ ンゲ ルス 自らの 言 ふ 所に 依る と、 殆んど 其 全部み-マ 

ルクス の 筆で あると して 居る。 此 著に 侬 つて 彼等 は へ ー ゲ 

ル 派の 唯心論より 明白に 分離す る、 〕 と になった ので ある。 

其氣 要な 思想 は マルクス に 於け る 唯 物 史觀の 原理の 經路 

を 語る ものである。 獨佛 年報に 表 はれた 思想よりも、 一 as 

積極的に、 唯 物史觀 をカ說 して 居る。 怫蘭西 革命の 經濟的 

原因 を 指示せ る 所に 於て、 佛繭西 革命 時代の 個人が 古代の 

個人と 異る は、 彼の 經濟 的產業 的狀您 か相異 する 爲 である 

と, なして、 歴史に 於け る 經濟的 要素の 重要なる を 指示し 

て 居る。 而 して、 この 著 は、 フォイ エル バッハの 說を 批評 

して 居る けれども、 まだ 全篇 を 通じて、 彼の 影響の 著し か 

りし ものが ある リ- 

獨佛 年報の 失敗 後 間もなく 佛國 在住の 自由 思想の 獨 逸人 

の 購讀を 目的と した 急進主義の 一 雜誌 「フォア ゥヱ ルツ」 

が發 行せられ た。 發 行者 は 俳優の ヘン リ ー • ベル ン シ ュ タ 

インで 初 明の 寄稿 家 は ハイネ、 ヘル ゥェ ー、 へ ッス、 バァ 



クニン、 ァ— ノル ド • ル I ジ ュ 等であった。 

マルクス もこの 雜 誌に 加って、 直ちに プロシア 玫府を 攻撃 

したので ある。 プロシアの 官^ は、 其 猛烈な 攻 维に默 する 

i ことか 出來 す、 遂に 佛國 玫府に * 其 雜; t^.l の 禁止と 記者の 追 

放. i を耍 求した ので ある。 時の 佛國 首相 ギズ ー は 一 八 四 五 

年 一 月 「其 要求に 應 じた」。 

マルクス はブ ルツ セル に 逃れた。 

近世 社會 主義の 眞實 の發 生地 は實 にこの ブ ルツ セルで あ 

る 

—— (末 完) —- 

近世 社侖" 主義の 生 は、 一 八 四 八 年の 共產 黨宜言 がそれ であ 

ると 見る の は 極め-!、、 妥赏 であると 思 ふ。 而 して、 一 八 四 八 

年の 事 1^ 語る に は、 マ か クスの 準備 時代 語られに ならぬ リ 

私が マヤ ク ス の大學 卒業からの 行動 1^ 大略 語った 所以で あ 

る。 其 最も 貴重な 材料 John sparj-p Karl Marx: llis 

Life ami Work に 得た ことん 附け 加へ て 置く。 



© 『社會 主義と 民主主義』 

『社會 主義と 民主主義』. は 愈々 出ました。 本社に 此 好^の 出 

版 出發點 として、 綾々 新ら しい 著窗. ^刊行し ます。 本番の 注 

文 は 旣に販 is 部に 殺到して ゐ ます。 一 日 も 早く 諸君の 御. 購讀 

お 願 ひします。 



Clara の 言葉 

私 は Miss Clara です。 私 は 一 八 一 九 年 四月 三日 11 恰ど 

櫻の 花が きそめ る 頃、 この 世界に 生れお ちました。 併し 

私が この 世界に 生れる ことに 就いては、 未だ 會 つて 只の い 

ち 度 だって 希望した M と はあり.^ せんでした。 明^-に私は 

^の 父と 私の 母との 偶然 的所產 なのです。 ですから、 私と 

私の 親と は 最も 近い 血統 的 關聯が 在る 以外に、 何等の 意味 

も 有たない のです、 そうして 私が 凡べ ての 青年の 瞳 を. 殆 

んど 狂的に 輝かせる 所謂 年頃まで 厄介に なること を 他に し 

てよ 

私 は 先づ疑 ひます。 私が. まだ 眼 をみ 開かない 間に 11 些 

しも 意識し ない 前に、 この 私. か 他の 人手に 移されて、 私以 

外の 凡べ ての 世界の 人々 が 私と 何等 血統 的 傳統の 無い 人々 

を 父と し 母と 呼ぶ II は、 私 は 未來、 水 却に 真の 父 も 母 も i 

れが 大して 尊敬すべき もので も 無い が) 識ろ- 〕 と 無しに f ) 

の 世界から 消え 逝く こと を餘儀 無くされる でせ う。 故に、 

^一 私 は? の 父が 私の ハ: K. であり、 私の 母が 私の 母で あると いふ 



f J とに 對 して は、 ュ: } に 多分の 疑問 を さしはさまねば なり 

ません。 けれども 私 は 幸 ひに して、 世に 有名なる ソシ アル 

デモ クラ ッ トの 父と、 そして 私の 父み-成- ゲ 心させる ほど 美し 

い 母と を 私の 親と しました。 新く して 私 は 明晰な 頭腦 と美 

貌と を傳統 されました。 そもそも 私が 母胎に 在る 時代、 私 

を 命名す るに デモ 子と か、 口 ゥザ 子と か 或は ク ラ ラ千 とか、 

私 等の 高天原に はいと も 適 はしからぬ 名が 論議 さ れ まし 

た。 そうして 終に 「クララ」 が 私の この 世に 生きる 問の 名 

として 定められました。 クララと は I® 裊に 居る 伯 pi:t さんの 

クララ • ツェトキン の 名と おなじ、 3 とに 於て 光 ^ と し ま 

す" 

私が 呱々 の 第 一 聲を あげたと ころ は S 高臺 にある H 病院 

の 暖ぃ南 室でした。 かなり 昇った 朝の 陽光 か、 窓に 置かれ 

たヒ ヤシン スの 紅い 花に 流れて ゐ ました。 私 は 此處に 一 一週 

間の 時日 を 過ごしました。 私の 謹の 前に は 幾つかの 動く も 

のが ありました。 併し それ は 南極の ぺ ン ギン 鳥に 似た 洋服 

の钟士 と. 眞 白な 布に 包まれて るる ガブ リエ ルに 限られて 

ゐま す,^ これら 幾つかの 絮? li^ する 物 は、 私 を 抱 してる る 

私の 母と、 毎日い ち どづ 笑顔 を 見 せに くる ラ. チカ リスト 

の 私の 父と 大した 相違 か 燕い ので • ハ テは 人間の 一 種 だな 

と默頭 かれました。 一 一週間 は恁 うして 過ぎた のです。 



e 二週間の 後. ; 1^ は o 町の 私の 父母の 家に 初めて 乘り 込み 

ました。 私 は 母に 抱かれて 電車に 乘 りました。 淡い 夕陽 か 

窓から 莫迦に 軟 かに 這 ひ 込んで ゐ ました。 私の 前に は疲勞 

し 過ぎる ほど 疲勞 した K 力 働 者と いふ 人 問が つ てゐ まし 

た。 肉 星の 店頭に 下 けられた 牛肉の やうに グダ ッ とぶら さ 

がって ゐ ました」 彼れ は 朝早くから 十 時 Si も 十五 時間 も勞 

働して, いま-貧民 富に 歸 らうと して ゐ ろの だナと 想像され 

ました。 小 半里 も來 たと おも ふと, 3 ろ、 l^s^ の 進行と 逆に、 

素敵に 大きな e. 蟲が 一 目 散に 吼り をた て , 釅 つて 來 まし 

た。 驚くまい ことか この 甲蟲の 中には、 H 病院の 壁の やう 

に 白い 顔の 所有者が 鎭 座ます ではない か, - 彼女の 首と 腕と 

指と は 眩い ほど 輝く 寳 石と 貴 金 嵐で 飾られて ゐ ます — 恰 

度 南洋の. H 人 どもが 鳥の 羽 やなに かで 飾りた てる や- フな意 

味で。 これ は 資本家と 名づ けられる ものた 相です" さて は 

例の 蟲 こそお ほく 資本家の 所有で、 自働 率と いふ 人間 を 

ひきころす 文明の 利器で あると、 私 は 瞬閬に 知識し ました。 

ソコ で, 〕 れも矢 張 人間の 一 種で あるな と 想 ひました 併し、 

果して、 それ は 人間の 右冀に 扇す るか 將た. 又 左お I に する 

か を 考察す る 暇な く、 私達 親子の i 借物で は あるが 11 

翠綠に 包まれた 家に 到着し ました" 

ソレは 五月 一 日の 勞働記 念 日でした。 私 は 母と 日 比 谷 公 



圓の 躑躅 を觀 ました。 恰も この 日 は 力 働 者に とって 月に 1 1 

回の 休日の ひとつであった のです、、 けれど 働 者 は 一 人と 

して 私達の 瞳に 映 じませんでした.。 彼等 は., ぶ^に 遊ぶ に は 

餘 りに 疲れ 過き て::^ り * 餘 りに 贫乏 過ぎて 居ました。 歩く 

者 は, 未だ 遊戯 S 他に 汗 を 流した- J との 無い 資本家ば かり 

でした。 私 かこの^ 界に現 はれて、 r 坂 初にして 最" の? /あき 

を與 へられた の もこの 日でした。 前世紀の^物 として 博物 

館に陣列されてゐる^^^^考品の歩くのを看ました。 兒供等 は 

戯れの 手 を 休めて^ 望の 眼 を 葉め ます。 彼れの胸は勃^;ギと 

いふじ 力/,、 光る 物で 充 されて ゐ るので す。 彼れ の 帽子に 

は 私の 牛巩 瓶み」^ ふ ハ ケの やうな もの. か-力し く樹 てられて 

ゐ ます. - 私 は 一一 一: n ふ も戰慄 されます. か、 彼れ の 腰に は 劍と稱 

する 〇〇lg 丁. かくつ、 いて ゐ るので す。 私 はは じめ 道化 役 

者 かしら、 それとも 淺 草の 輕 業師 かしらと 小首 を 傾け. まし 

た。 靜 かにお 聽 きなさい、 それ は 〇〇 といって 〇〇 を 殺す 

人間な のです。 

不幸に して 私 は、 この 恐るべき 世界に 哲 くの 間 生きる ベ 

く 運命 づけら れ たのです" 

r クララ 女史 は, M 氏の た ひとりの 愛 贐 です) 



□ 當世學 者氣賀 

學者と 名のつ くものに 粗末な もの 、少 

くな いこと は 今 H に 始まった、 -と でに ない 

にしても、 近 「ゆ 者:^ 行」 の 結果に、 お 粗 

末 低 极な學 者,.. - また 履 々流行して ゐ るぶ う 

である。 

a 三 田 學習院 といへば 虔應義 熟の、 一とで 

ある、、 と は 誰れ にも 分る。 その 一 11 田學 習院 

から 新に 博士 に なった 田中萃 1 郎君 なぞ も 

當 學 者列傳 中には どうしても 見逃し Li な 

らな いお 方で ある。 彼れ が この 正月に 「柬 

京 日日」 で 書いた 「普通 選 舉尙早 論」 なる も 

の 、馬鹿 氣て .<3 たこと は旣に 数多の 人々 に 

指摘され てゐ ると ころで あるから、 フ * に は 

綠 返して いはない。 た > あの 程度の 學 問と 

厶厶 <0<-厶ム<1 < "厶, 0*1 

論理 能力で は、 「普通 選 舉尙早 か? 法學 博士 

^早 か?」 とい ふ 人の あるの も尤な 次第 だ。 

な厶<1厶<1 厶 厶<厶 

その 「法學 博士 ^早」 の 田 中 君が 最近 

に 大阪毎 口に 寄せた 「デ モク ラシ-の 限界」 

とい ふ 翁 文 讚む だもの も あらう。 例の マ 

ロクク の TThe I-il-it of I\ 一 re D レミ ocracy 

の 飆譁、 抄譁 或は 紹介で ある。 その 書物 は 

拙者 も 一 諌 した もの だが お話し に ならない 



ほど 低級な もの だ。 ィャ 例の 北吟吉 君で さ 

へ 引 dl^v^ 渡した マ 口- ンクの 介 十数 回-」 

百 一って しぶう, i する もの、 馬鹿 サ加 滅、 學 

者と 名のつ くもので さへ あれ 一は どんな ト ン 

マな奴でも_ぉリがたがって先生呼ばゎリ>-^ 

する 今の 新聞記者の 幼稚 さ 加^。 無冠の 宰 

相 もあった もの か。 

田 中 早 士」 LL 次いで 近 1^ 人目 1^ 

驚? 5 ぜ たの は 中島 玉吉 とい ふ 博士た。 、、の 

人の 專 門に 何 か 知らないが 博士 だとい ふか 

ら學 者の 部類で あらう。 東西 兩 ^日-,, i は、 - 

の 「學 者の 部 観」 の 博士さん の 「米 國とデ 

モク ラシィし とか 何とかい ふような 「大論 

文」 が 練き もので 出た。 それ は 今年の 正月 

頃 だつ. たらう。 さう して學 者と 名のつ くも 

の Li 如何に ト ン マな 奴の あるかと いふ-、 と 

1<^天下_-1證明したゎけだが、 、、の 點に おい 

て は 朝日 新聞の 大功 績だ。 

a 法學 博士に いろ/、、 の 品^の ある、、 と 

はこれ だけで も 分った わけ だ 序にもう 一 人 

法學 博士 もつ ズ くる。 中 田 蒸と いふ 博士 

も ある さうた 中央 公論の 五月 號 -レ 、、の 人 

の 「我國 と デモ ク ラシィ」 といった,.. * うな 

論文が $ 'ゐる それ LLf* ると デモ クラ ヅ 

, に は 政治的 法律 的の 二通りが ある 無 



吉ぉ 博士の!^ 類 1 か 摸 傲した もの だら うが 

H ライ 「テ モク ラシ.'」 もあった もの 

だ。 今 LL もっと 詳しい 分類 街 上の 「デ モク 

ラシ ー」 —— は 法 上の デモ グ ラシ.' だと か 

公法 上の デ乇グ ラシ-とか 「英法 的デ モク 

ラシ ー /佛 法的 テ モク ラシ一 /獨 法的 デ 乇 

クラシ,' /日本的 デ モク ラシ ー 」「 和魂漢才 

的 デモ クラシ.'」 とい ふような もの も 出て 

こよ. ひ。 いやもう 出て ゐ ろの だ〕 法律 的 一- ァ 

モク ラシ一は ィ カン、 政治的 デモ クラシ," 

はせ しい-】 中 田 博士 はこう 主張して ゐま 

す。 つま リデ モク ラシ一 LL もィ、 やっと 惡 

いやつ と ある。 法律 的 デ乇グ ラシ, はィケ 

十ィ とい ふの が 中 田 博士の 大發見 だ。 「和 魂 

歐才的 一- ァ乇グ ラシ,」 でなくて はィケ ナイ 

とい ふの で寸 博士 .UI ^ V- の と惡 い 

のが ある 世の中:; にから デモ グ ラシ. 'に I い 

い のと 惡 いのが あると い ふの だら つ。 然リ 

デモ クラシ, の內輪 揉め だ . さう して 學者 

の 現 赏 暴露 だ! (^ 外 生) 



一 も 



編輯 室と 校正 室 

♦ 五月 十五 日の ことで ある。 靑年會 館で 

勞働 同盟 會 とか い ふ もの、 演說. ^5 があった 

ので 一寸 立聽き やって 見ました。 ィ十そ 

の亂雜な、、と >'.^たら御話しにならな い。 

♦ 先づ 制服の. 巡査が 五、 六十 人に かリ控 

えて ゐろ 有樣は 宛然た る 戒厳令 下の 演說會 

であろ。 その 仰々 しい 演 If ^食で 何 ごとが 議 

せられて ゐ たか 。「最低 賃銀 一 國!」 幹部ら 

しい mf- から、、 うい ふ 提案が 聞え てく る。 一 

圆 では 米が 二 升 だ。 それで 勞働者 は 生 ilS が 

できる か。 それで 勞働 者はェ クスブ ロイテ 

,シ m ン,^ 免れる ことができる のか。 

♦ 穏健 か 腰 拔か、 それとも また 最低 賃銀 

とい ふことの 意義な 知らないた めな のか。 

ァ キ レタ もので はな い か。 

♦ そ のまた 會長 とか 議長と かいふ ものが 

「 一 身 > ^镇牲 にして」 とか、 私 ば 「勞働 運 

動-し 一 身, ^捧げた」 とか、 もま リ捧 げろ ほ 

どの 「一身」 でもない もの 無哈ャ タラに 

勿體 ぶって ゐ たの は 腹の 底が 見えて 聽ぃ 

ゐられ ない。 

♦ 最も 不思讒 なのに 臨席の »1 察のお 方で 



あろ。 ある 一 人の 男が 立 上って 行勳と 

「ジ H ネラン、 スト. ライ- キ」 と 主張し 滔 

滔 として 5^ じ 立て、 ゐ ろのに それにば 風 馬 

牛の 有様で ゐ るでば ないか。 「丁酉 倫理」 が 

「政治的 サ ンぞ、 力 リズム」 で發資 禁止に な 

つて ゐろ 世の中に、 靑 年會! では サ ンゲカ 

リズ ム の官; 傳も差 支た い と 見えろ。 

♦ それ Li して ー 二 <2 日の 演說會 で 異彩,.^ 放 

つたの は 和 田む め, 君の 演說 であった。 か 

くして 日本 の ゥ ザ..^ クセ ノア々, U やべ 

サ ノトが だん/.、 Li 出て くるわけ だら う。 

♦ 小 平吉 さんの 名前で 政 友, tl" の 外交, 辯 

明 者が 出た。 山 束 問題 は大喂 内閣 失政の ゆ W 

果 面倒に なった の だとい つて ゐろ" それ.,. * 

間違 ひで はない が、 大 隈內閣 だけ.^ 攻める 

の は どこまでも 黨派的 根性 だ。 寺內 內閣對 

支の 失政に ついても 、う 少し 批判的 良心..^ 

出して はどう か. - 

♦ 日本の 社會 主義 中 一 番の學 者で あると 

いはれ て ゐる高 畠 素 之 君 はこの 0: また 口 シ 

ァ語|-^大成し近く0 シァ 語からの 觎譯 もの 

^出す との,, とだ。 

令語學 とい へば 社會 主義者の 間で は 一 犯 

1 語と いふ 話が あろ。 クマ" 一 度 監獄 Li 入 

ると 外國語 1 つ える とい ふ、、 とだ。 だ 



から 人^^ 君 は. ベ 犯 六 だとつ 

♦ f^ 本 及勞働 問題 研究 會 とか い ふ 交詢 社 

ケズ 本^の 機 S1 が あるが その 會から 出した 

^^□^ -0 i へ ンダァ ソンの- T-:- Ai-- 一 S 三 

厶ムム 1 < - 

1、;- ョ… お- 勞 働の 目的」 と?.^ して. a ろ J 

勞 働の 目的で は 丸で 純然たる 經濟學 の ffl 論 

と な るで はな、 > か。 無論 これに 「勞働 《! I?- の 

B 的と!^ むす ベ .vr, の だ。 

令ぃろ/\な雜^?|のでるのは結^だ。 そ 

のうちの; つ-」 「改 iji 一」 とい ふの が あろが、 

それ 自^から 先づ > ば の 必要が ある。 惡 n 

^ い ふ 人が あった。 



令 例の 佐 藤 銅次郞 だと か 部遞吾 だと か 

田中萃 一 郞 だと かいふ 軍 問 や-ての 御用の 违 

中が 國民 外交 ンば とか いふ もの 造った さ う 

だが 一 層の: と 正 |^に 軍 問 外交 會と でも 名 

乘っ たらよ ささうな もの;;,:。 國民 外交 侖 3 で 

は國 民の 方が 迷 i^n,- るから 

♦ ^ 文 社で は 今度 社會 主義^ 宵と かい ふ 

もの. f5K 止て その 第 一 篇に 尾-略 士郎茂 木久平 

兩氏 合著 社 < ^運動 者 評傳, 出す さう だ。 



過激 主義と 民主主義 



、一、 に譯 出す るはデ ヨン • スパ 少ゴゥ の 新著、 が.^ シェゲ ヰ 

ズム /であります。 彼れ はソ ー シャシ • デ モク ラシ ー の 立場 

から 過激 主義 批評して ゐ ます。 この 書物 は 今年 三月 紐 育で 

出版され たもので す。 何れ 全譁 出版した いと 思 ひます o(K) 

過激 主義の 辯 護 者 及び 支持者 達 は、 ぺト D.. クラ— ド にお 

ける ボ ルシヱ ヴヰキ の 暴動の 成功が 殆んど 血 を 見なく して 

行 はれた とい ふことの 事 實を金 科玉條 とする。 けれども そ 

れが 軍事的の クウ デタ ァ卽ち 暴力が 人民の 大多數 の 意思の 

5 へ に 勝利 を 占めたと いふ 根本の 事 實を晦 蒙に する こと は 

許される もので はない。 それ は 民主 § に對 する 罪惡 であ 

る。 受身で あり、 疲れて をり、 迷 ふて ゐた 人民が、 憲法 會 

議を 待つ ことに 満足して ゐ たことの 事實は ボルシェ ヴヰキ 

の罪惡 をして 々明白と します。 われ 等 をして この 事實を 

簡箪に 考量せ しめよ。 憲法 會議 の選舉 期日まで は 1 一週間に 

足りない 時であった。 この 偉大なる 民主的 會 合の 代表者の 

4 選 幕 戦 は旣に 進行 中であった。 それ は,^ 何なる 國 にも 前例 



ヂ ヨン • ス パル ゴゥ 

なき 最も 民主的 憲法 會議 になるべき ものであった。 何とな 

れぼ その 議員 は 口 シァ における 全人 民に よって 選舉 せられ 

たもので あり * 凡ての 男 も 女 も選舉 權を與 へられて ゐ たか 

ら であります。 投票 は 平等、 直接、 普通、 秘密であった。 

そのう へ に その 國 民の 偉大なる 民主的 改造が その 當 時に 

おいて 實 際に 進行 中であった。 新ら しき 組織の セ ムス トウ 

ォに、 地方の 自治 的 民主的 玫治 圍體の 建設 は 急速に 進行 中 

であった。 昔の ゼ ム ス トヴォ は 非民主 的で あり、 さう して 

勞働者 を 代表して はいなかった。 けれども 新しき ゼ ムスト 

ヴォは 普通、 平等, 秘密、 直接 投票に よって 指名 且つ 選舉 

さ;: たる 代議士から 成立って ゐ たのであります。 昔の ゼム 

ス トヴォ がその 權カを 著しく 制限され てゐ たのに 反して 新 

しき ゼ ム ス トヴォ は 普通の 地方 政府の 凡ての 機能 を與 へら 

れてゐ ました 

それと 同時に 憲法 會議の 議員の 選舉に つ いての 實際^ 準 



ゥ 備が i に 行 はれて おった。 社會黨 は無敎 育の 選 摩 民に 如 

何に して 正しく その 投票 をな すべ きかの 方法 を敎 へ るた め 

に 特別の 努力 を 費して おった。 假 政府 もまた できるだけ 速 

に 選 舉に對 する 準備 を 進めて おった。 全國を 通じて 中心地 

方に、 選 舉を適 當に行 ふ 準備.^ しての 勞働 者の 訓練 をな す 

ために 特別の 建物が 建てられた。 就中 多年の 間 S 張され た 

土地の 社會 化の 大 問題 は 今や その 解決が 殆んど 完成した と 

いっても さしつかえない ところの 舞臺 にまで 達して ゐ たの 

であります。 國民 努農會 は社會 革命と ともに この 問! S につ 

いて 農民運動の 願望と その 指導者の 最善の 思想と を 代表し 

たる 法律 を 作って おった。 その 法律 は 大臣 會議 において 贊 

成 をう けさう して 旣に 直ちに 公布され る 準備の もとに あつ 

た。 チェル ノフ 、 ラキテ 二 ゴフ、 ヴクヒ リア ヱフ、 マス ラ 

ゥの やうな 農民の 指導者た ち は, J の 法律 を 作る ために 非常 

な 努力 を 費し ました。 その 法律 は 無政府 を 避ける こと を 目 

的と し、 さう して、 土地が 農民に よつ て 個人々 々 に楚 ひとら 

れ るか はりに その 問題 か科舉 的に 處理 される こと 卽ち 土地 

が 農民 園體 及び 奪略され たる 農民の Si に 正當に 分配され、 

さう して 宏大なる 地所 は 協同 的に 組織され 且つ 支配され る 

、 J と を 目的と して ゐ たもので あります。 

凡て これ 等の こと は 過激派 も 承知して ゐ ました。 何とな 



れば それ は 常識で あるから であります。 過激派の 辯 解 者の 

多くの 人た ちの 主張 11 革命の 目的 を實 現し その 理想 を實 

際と 化する ために は 他に 有効な 方法がない とい ふ 理由の も 

とに 過激派 か 自暴自棄の 戰 術に 訴 へる こと、 なった. とい ふ 

主張 は眞理 ではない のであります C その 正 反對が a 理 であ 

ります。 過激派の 〔お 動 は、 その 首領 等, か、 假攻府 が 勞働階 

級の組織の大多數及び指^^者と^カして革命の綱領を忠實 

っ贤 明に 實 行して ゐ るの を 見た ために、 その 指導者に よ 

つて 俄に 起された ものであります. - 

過激派 は 革命の 理想 を 要求して はゐ なかった。 何と なれ 

ば 彼等 は、 J れ 等の 理想に 反對 してお つたからで あります。 

ヘル ゼン から ケ レンス キ ー に 至る までの 凡ての 爭鬪 のうち 

にあって 口 シ ァの 革命運動 は 先す 何よりも さきに 攻治的 民 

主 主義 を 要求して おった。 今や 攻治的 民主主義 か實 現され 

た 瞬間に 過激派 はこれ を仆 しさう して 他の もの -! 卽ち 一 

億 八 千 萬の 國 民のう へ に 僅に! 不一 S£ 以下の 少數黨 の 覇權を 

樹立す る こと を 求めて おった のであります。 f J の 目的に つ 

いて は 少しの 爭 ひの 餘地 もない。 それ はレ— 二 ン によって 

極めて 正直に 述べ ら れてゐ ます。 『丁度 專制 政治の もとにお. 

いて 十五 萬の 貴族的 地主に よって 一 億 三千 萬の ロシアの 農 

民が 支配 せられて ゐた ごとく 一 一十 萬の ボ ルシェ ヴヰキ 41! か 



その 第四階級の 意思 を 全人 民のう へに 强 制しつ、 ある。 け 

れ ども この度 は 全人 民の 利益の ためで ある (1)』 

註 广 1) IMie New Interllaticllal, April,. 

レ 二 ンの數 字 は 恐らく は ボルシェ ヴヰキ の數を 誇張して 

ゐる であらう。 けれども それ を 正確な ものであると 想像し 

て も 宜しい。 正しき 判斷 をな す 何人 か、 ロシアの 革命 運の 

歴史の 何 ごとで も 承知して るながら、 十五 萬の 支配階級の 

代りに 一 一十 萬の 支配階級が 一 億 八 千 萬の 人民 を 支配す る こ 

とか、 あんなに 多数の 生命 を镲牲 にすべき 目的物で あると 

信す る ことかで きる か? 健全なる 且誠實 なる 何人 かこの ボ 

ル シヱヴ ヰキの 首領 自身に よって 述べられた 階級 支配 か、 

憲法 會議の 綱領が その 政治的 民主主義 基礎た る 普通、 平等 

直接、 秘密、 且つ 凡て を 決定す る 投票 權 のうへ に 立って ゐ 

る 憲法 會議 のな せる がごと き 革命の 理想の 資 現と 相 接近し 

てゐる ものであると 信す る ことかで きる か? われ 等 は 決し 

てレ ー ニン の 主張 卽ちボ ルシェ ヴヰキ は 「全人 民の ために」 

その 全人 民のう へに 彼等の 意思 を强 制して ゐる ことにお い 

て、 この 少數 者の 支配階級 による 新ら しき 支配階級が 古る 

き 制度の それと 異る ものである とする の 主强を 忘れて ゐる 

もので はない。 何なる 支配階級 かこの 主張 を なすこと に 

5 失敗した か? 凡ての 革命 時代 を 通じて、 凡ての 露國 皇帝が、 



彼等 はた > 農民の 利 と 幸福に 對 する H お 慮に よっての み 行 

動す る もの-た とする 殊勝な 常套語 を 使って きた f J と は それ 

の 習惯 として. きたと ころで はない か? 

レ 二 ン のよう な 天與の 聰明な 人物が 彼れ の ごとく 道德と 

聰明と に反對 したる 辯 解 を もって 彼れ の攻 策の 辯 明と なし 

ゐる こと、 さう して 自ら 急進的 革命運動 者で あると 稱 して 

ゐる 男女の 諸君-か 默 つて f 〕 れを 承知して ゐる こと はボ ル シ 

ヱ ヴヰキ 精神の 淺簿 なる 性質に ついての 奇妙なる 例證 であ 

ります。 何年 か 前に アメリカの ある 著名なる 資本家が 大真 

面目に なって、 彼れ や 彼れ の やうな 人々 は、 神の 代理者で あ 

り、 -, 人民の 幸福の だめに」 産業 を 支配す る, の 權能を もって 

ゐる ものであると 聲 明した f :> と. か ある。 いふまで もな く 彼 

れの 天眞爛 爆な 耍求 はこの 國 における 凡ての 急進 論者の 嘲 

笑 を挑發 する に 至った つけれ ども 私が 一 般の聽 衆に 向って、 

レ 二 ンは 二十 萬の 勞働 者が ロシア を 支配す る權 利の ある こ 

と を 主張す る もの だと 述べた 時に、 一 つの 例外 もな しに、 

ある ボ ル シ ヱ ヴヰキ の 辯 護 者 ! 大 體社會 主義者. または I 

WW の會 員で ある i か、 「然 り、 けれども それ は 人民の た 

めに だ」 とい ふ 辯 解 をな して ゐる こと は 不思議な ことで あ 

ります。 

若しも ボル シヱ ヴヰキ 革命の 理想の 實 現される こと を 要 



お 



求 もた とするならば、 彼等の 暴動 直ぐ 前に 存在した 狀 態が 

彼等 をして 假攻府 及び 豫備 議會を 支持す ベ き 國民的 役務に 

就かし むる、 J と を 要求して ゐ たこと を 承知した であらう。 

彼れ の ごとくに よく 進行し つ. - あった 綱領の 成功 を 脅かす 

べき 何もの を も 許容す る こと はでき なかった であらう。 實 

際にお いて この 綱領 を破壞 すべき 決心が 彼等の 刺激的の 動 

機であった ので ある。 彼等 は 政治的 民主主義 を 恐れ 且つ 反 

對し 4i ばかりで はない。 彼等 はまた 等しく 產業 上の 民主 主 

義 にも 反對 したので あります" - この 經濟 生活 上の 民主主義 

は 世界の 凡ての 社會 主義 運動が 常に それの 目的で ある こと 

を 承認した ものである。 私^ 見る とこで は、 彼等 は 攻治的 

覇權と 產業的 覇權を 結合せ しめて ゐ ます。 彼等 は 民主主義 

を 要求した ので はなく して 權カを 要求した ので ある。 彼等 

は その 權カを 要求した こと は、 平和 を さへ も 要求した こと 

ではない o( つ,.' く) 



近 

告 



ス パル ゴ ゥ (全 譯) 

過激 主義 



六 H? 下旬^ スー了 



Z ィ 



マ ク ドナ ル 



ラ 



; 後の 社會 主義』 



マクドナ^ド は 英國獨 立勞働 黛の 首領で 

ある。 昨年の 總選舉 で ロイド • ゲョ. -ヂか 

ら 蹴落され たが 本人 は元氣 益々 盛んで ぁリ 

ます 『わが 勞働 ("^は その 會莨 においても 道 

德的權 威に おいても、 前の ものである。』 

彼れ は その 新著 「戰 後の 社會 主義」 のうち 

で 二、 つ 申して ゐ ます。 

、、の 書物 は社會 主義と 戰爭、 社會 主義と 

國家、 勞働 組合の 組織、 勞働 者の 政治的 獨 

立、 社會 主義者の 議會, 社會 主義の 網領、 

國際 政策、 帝國 主義 的 資本主義 等の 數章か 

ら 成って ゐ ます。 凡て 國家 社き の 主義の 立 

場から 書いて ゐ ます。 一 讀 Li 値する、 - とに 

勿論です 。へ R. Macdo nalJ, Socia 一 一.sin afler 

The wao 



GENERAL WORKS : THE FOUNDERS OF SOCIALISM 



Blanc, Louis : Socialism. An English edition was published in 1848. 

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g 田 博士と ソ ー ンャ ぞ デモ クー ク シ ー 

室^ 高 信 



- 黎明 講演 集」 の 第三 輯 具 ひ 求めて 法學 博士 福 田德三 先生 

の 講演 筆記 『如何 L1 改造す るか』 とい ふ 長 篇.^ 讀 みました。 

例によって 痛快なる 論斷と 骨.^ 刺す ぶうな 皮肉."^、 もって、 私 

と吉野 博士の 說 1^ 粉碎 しょうと されて^ リ ます。 博士 自身の 

首 葉,^ 借リ ていへば、 「室 伏發 行、 吉野裘 書、 福 田 宛の 手形」 

に 對 して 不渡りの 宣告」 1^ されて.^ ります。 何故に その 手 

形 は 不渡りで あるか。 その 罪が 私 Li あるの か。 博士-」 あろの 

か。 福 田 博士の ごと さ 赏代第 一 流の 學 者に 向って 論戰. ^交 へ 

る 、、とに 、博士に とって は 迷惑で ぁリ、 私の ような ー書生^^と 

つ \ ^は 光 榮 至極であります。 特に 福 田 博士 は 私の 平常 最も 尊 

敬す る 先生で ぁリ ますが 故に、 先生の 說 Li 對 して 彼是れ と 申 

す こと は 成るべく これ 避けたい と 思って ゐ ますが、 、、、に 

問題と なって ゐ る、、 と 自身が 今日の 曰 本、 日本 だけで はな レ 

全世界の 政治的. 社會 的、 產業的 新 文明、 新 生活、 新 秩序の 

基調 なすと: ろの 大 問題であります から、 博士の 迷惑な も 

覼 みす、、、、 li 問噩 となって ゐろ點 1 ソ ー シャャ デモ クラ 

シ ILL ついて 私の 考.^ 明らかに したいと 思 ひます。 重れて 御 

示敎^ えば 何ぶ リの 光荣 であ リ ます。 (大正 八 年 四月 三十日 



社會 民主主義 は 資本主義に 對 する 反對毒 である …… ソ ー 

シャル • デ モ クラ シ ー に對 する 福 田 博士の 意見 は 凡て、 J の 

立場から 出發 する ものであると いっても 差 支ない。 (中央 公 

論 大正 八 年 一月 號參 照) その 反對 毒と いふ ことの 意味 か、 毒 

を もって 毒 を 制する とい ふの 意味で ある こと もまた 福 田 博 

士の 論文に お いて 明らかにされて ゐ ます。 (中央 公論 同上 「資 

本 的 侵略 主義に 對抗 I aM 正の デモ クラシ, -1^ 發揚」 ) それ ゆ ゑに 

福 田 博士 は 資本 的 侵略 主義に 反對 するとと もに また その 所 

1 アンチ ド ー ト」」 るソ ー シャル • デモ ク ラ シ ー にも 反^す 

る もので あり、 さう して この 二つの もの、 中間に 立つ こと 

を 主張し ます。 この 二つの もの、 中間に 福 田 博士 は 彼れ 自 

身の 立場 を發見 します 。この 立場 を もって 「真正の デモ クラ 

シ ー」 であると なします。 從 つて 資本主義 も その 謂 ふと こ 

ろの. F 本 主義の アンチ ド ー ト たる 社 會 民主主義 もまた - 眞 



58 



正の デ モク ラシ I」 でな くして *^!^ のデ モ クラ シ 1> P?eudo 

Democracy であると な. します。 このうち 資本主義 的 民主 

主義が 虚^の デモ クラシ ー であると いふ こと は、 社 會的民 

主 主義者の 一 致した 顧 察で あり、 從っ てこの 點 について は、 

私の 立場と 福 田 博士 の 立場との 間に 何等の 相違 もな いこと 

であります からこ、 に 何 ごと も 述べない 。た > ソ ー シャル • 

デモ クラ シ ー が眞 正の デ モ クラ シ ー であるか ないかの 問題 

につい て は 私と 福 田 博士 との 間に は 越 ゆべ か ら ざる 隔 りが 

あります。 然 らば 福 田 博士 は 何故に ソ I シャル • デモ クラ 

シ ー を もって 虛 係の デモ クラ シ I であると なす か。 

福 田 博士が ソ I シャル • デモ クラシ ー を もって 虛 係の 民. 

主 主義で あると なして ゐる ことに は 一 一つの;; i 據が舉 けられ 

て ゐ ます。 その 1 っはソ —シャ ル • デモ クラシ— が全體 の 

人民のう へに 立つ もので なくして 單に 一 つの 階級 卽ちブ 口 

レタ リア ー ト のうへ に 立つ ものである からこれ は眞 正の デ 

モ クラシ— ではなく して 虛 係の. デモ クラ- ン ー て あり、 また 

は 單にプ ロレ タリ ァ ン • デモ クラシ— とい ふ 形容詞 づきの 

デモ クラシ ー であると なすの 點 であります。 福 田 博士 自身 

の 言葉 を かりてい へば、 ソ —シャ ル參 デモ クラ シ— において 

の demos 卽ち 人民と は 全體の 人民で なくして 罩に勞 働 階級 

に屬 する 人民の み を 指して ゐる ものであると なすの 點 から 



この ソ ー シャル • デモ クラ ョ ー を もって 全體の 人民の. U め 

の デモ, クラシ ー でな くして 單に 一 階級の ための、 一 階級に 

よっての デモ クラシ— であると なすの 點 であります" - その 

二つ はソ— シャル • デモ クラ シ ー が單に 1 つの 手段で ある 

にすぎないと なすの 點 であります。 卽ち ある 目的 を 達する 

ための 一 手段と しての みソ— シャ ル • デモ クラシ— が 存在 

するとな すの 點 であります。 福 田 博士 自身の 言葉 を かりて 

い へば ソ ー シャ ル • デ乇 クラシ— は單に 一 一階へ 登る ための 

梯子段で あるに すぎない となす の點 であります。 (中央 公讒 

前揭 論文 及び 黎明 講演 集 第三 辑 「如何に 改造す るか」) 私 はこの 一 1 

點 について 先づ 批評 を 加へ なくて はならない。 

福 田 博士が ソ ー シャ ル • デモ クラシ— を もって 單に勞 働 

階級 Arbeitcr JKlasse の デモ クラシ ー であると なすこと に 

も 一 一つの 論據 があります。 その 一 っは獨 逸社會 民主 黨の宣 

言 中の 文句で あり、 他の 一 つ は 共產黨 宣言の 最後の 一 句卽 

ち 各 國の勞 働 階級よ 結合せ よと いふ 有名なる 一 句で ありま 

すつ この 1 一つの ものが この 點 についての 福 田 揭士の 論據の 

全部であります。 先づ獨 逸社會 民主 黨の 宣言に して 福 田 博 

士の舉 ゆて ゐる數 句の 獨 逸文に ついて みます o( 黎明 講演 集 



第三 輯七ニ 11 三) それが 獨 逸社會 民主 黨 のどの 宣言で ある 

か は 福 田 博士の 論文のう ちに は. 書かれて るない ので あるが 

1 讀 してェ ル フルトの 宣言で ある こと は 明白であります。 

この エルフルト の 宣言 は獨 逸社會 民主 黨の 宣言と して 最も 

著名の ものであるの みならす, 〕 の 宣言 は 一 八 九 一 年 以來今 

日に おいても 尙ほ獨 逸社會 民主 黨の 綱領と されて ゐ ます。 

福 田 博士の 舉 ゆられて ゐる もの は その 宣言のう ちの 一 部分 

であります。 それに は努働 階級の 解放 はた 努働 階級に よ 

つての み 行 はれる ものであると 述べ てお るの みならす 社會 

民主 黨の 目的 は勞働 階級の 鬪爭 に自覺 的の 結合 を與 へんと 

する ものである こと を 述べ てゐ ます。 それ ゆ ゑに 福 田 博士 

が この 宣言 を循 として ソ— シャ ル ,デ モク ラシ ー が 單に勞 

働 階級のう へに のみ 立つ ものであると なすこと に は 一 應の 

道理が ある やうに も 思 はれます。 けれども その 福 田 博士の 

舉 ゆて ゐ る個條 において さへ ソ ー シ アル • デモ クラシ ー に 

おいての 解放と は、 單に勞 働 階級の みで はなく して Nicht 

IdIoss des I)roletariats 全人 類 Gcsamtcn Menschsgeschle 

chts の 解放と いふ ことで ある ことが 明らかに されて ゐま 

す。 卽ち福 田 博士が 彼れ 自身の 議論の 論櫞 として 時に 指摘 

して ゐる 材料のう, ちに おいてさ へソ— シャル • デモ クラシ 

5 1 は 決して 單に勞 働 階級の 解放の み を 目的と する もので な 



くして 全人 類の 解放 を 目的と する ものである ことが 裏書き 

されて るます。 然 らば 何故に 此全 人類の 解放 をな すため に 

獨 逸の ソ —シャ ル • デモ クラシ ー は 單に勞 働 階級に よって 

のみこれ が 實行を 期す るので あるか。 この 點も福 田 博士が 

彼れ 自身の jSI 據 として 舉 けて ゐる 材料 卽ちェ ル フトの 宣言 

のうちに 辯 明され てゐ ます。 それによ る 時 は、 勞働 階級 以 

外の 他の 階級 は 相互に 利害が 相 衝突して るるに も か 、 わら 

す 生産 手段の 私有の 主義 を 支持し、 さう して 現在の 社會的 

秩序 を 維持す る ことに 共通の 利益 を もって ゐ るからで あり 

ます.。 (前 揭福田 博士 引用 H ^フシ ト 宣言 参照) これによ つてみ 

れば獨 逸社會 民主 黨の 目的が 單に勞 働 階 殺なる 一 階級の 解 

放 を 目的と する もので なくして 全人 類の 解放 を 目的と する 

もので あり、 その 全人 類の 解放の ために 勞働 階級の 結合 を 

要求して ゐる ものである ことが 明嘹 となります。 卽ち福 田 

博士が その 博士 自らの 主張 —— ソ —シャ ル • デモ クラ シ ー 

は單 に勞働 階級の 民主主義 であると いふ —— を證據 立てる 

ために 引用して ゐるェ ル フルトの 宣言が 却って 福 田 博士の 

論 據を轉 覆すべき 反對 材料と なって ゐ るので あります。 

それの みで はない。 福 田 博士の 引用して ゐる エルフルト 



一 の 宣言 は、 單に エル フル トの宣 一 耳の 一 部分で あり、 その 一 

部分 は 福 田 博士の 主張 を證據 立てる ために は 比較的に 便利 

であると 思 はれろ 點 であり、 少く とも 多少の 疑問 を殘 すだ 

けの 餘 地かない ではない。 けれども 福 田 博士の 引用した ろ 

部分 は、 福 田 博士に とって 最も 都合よ き 部分で あり、 その 

都合よ き 部分の み を 示して ヱ ル フルトの 宣言の 如何なる こ 

と を 意味して ゐ るか を 論 明しょう とする こと は、 少く とも 

公平な 態度で あると いふ こと はでき ない。 また それによ つ 

て 見ても、 福 田 博士の 論據が 薄弱で ある ことの 反證 ともな 

ります。 何故に しかい ふか。 福 田 博士 は、 その エルフルト 

の 宣言 を 引用して 社會 民主主義と 勞働 階級との 關係を 論す 

るに ついて 最も 重要なる 一 項 を 省略して ゐ るからで ありま 

す。 卽ち福 田 博士の 引用した る 部分の 後に ヱ ル フルトの 宣 

言 中には 次の ごとき 一 節が あります。 

『それ故に 獨 逸肚會 民主 黨は新 階級 的特櫂 及び 權 利の ために 戰 

つて ゐる ので はない。 階敏的 政治 疲滅 し、 さう して 階极そ 

れ自身,.^さへ,^8~滅する^めに、 また性的並に^^级的區別な 

さ擢利 及び 義務の 一 般的 平等の ために 戰 つて ゐるも ので ある 

(拙 譯) (H か フク ト 宣言 第 九 句 参照) 

然り獨 逸社會 民主 黨は勞 働 階級の ための 權利 または 特權 

のために 戦って ゐ るので はない。 勞働 階級の、 勞働 階級に 

よっての, 勞働 階級の ための 民主主義 ではない。 エル フル 



トの 宣言に よって 明白に 述べられて ゐる とほり、 それ は 凡 

ての 階級 攻治 を廢 威し、 權利 及び 義務の 一 般的 平等の ため 

に戰 つて ゐ ると 宣言され てゐる ものであります。 それ は單 

に 宣言に 上 まって ゐ るので はない。 エルフルトの 綱領で あ 

り、 また 獨逸 社會 民主 黨の 現在の 綱領で あると ころの 具體 

的の 玫治 目的に ついて 見れば 一 層明嘹 となり.^ す。 その 第 

1 條 において は 普通 選舉を 主張して ゐ ます" 

この 主張 は 今日の ヱ ー ヴ H ルト、 シャイ デマ ン の攻府 によ 

つて 維持せられ、 獨立 社會黨 によって 維持され てゐ ます。 卽 

ち勞働 階級の ための 選 舉權の 要求で はなく して 全體の 人民 

のた めの 選 舉權の 要求であります。 この 普通 選舉の 要求と ^ 

シァ • ボル シヱヴ ヰキの 憲法と を 比較して 見る 時 は、 獨 

逸社會 民主 黨か 決して 勞働 階級の ための デ イク テ ー タ ァ シ 

ッ プ を 要求して ゐ. る もので ない f J とが 明嘹 となります。 卽 

ち ボルシェ ヴヰキ の 憲法に おいて は 單に勞 働 階級に のみ 選 

皋 權を與 へて ゐ るのに 對し、 獨 逸社會 民主 黨の 立場 は、 全 

體の 人民 11 ブル ジョァ にも 選皋 權を與 へて、 勞働 階級 ま 

たは ブル ジョァ の 民主主義 である 代りに 「全人 民の 民主 主 

義」 を 要求して ゐ るので あります 。その 第一 一條に おいても 人 

民に よっての 直接 立法, 自治、 官吏の 選舉を 要求し、 第三 

條 において は 全人 民に よる 一 般的 軍事 服役 を 要求し、 第 七 



條 において は 一 般的敎 育の 强制を 主張して ゐ ます。 これに 

よって 見ても 彼れ の 求む ると、 J ろ は勞働 階級の ための 攻 

治、 勞働 階級の ための 國家、 勞働 階級に よっての 産業、 敎 

育、 軍事の 要求で はなく して 全人 民の、 全人 民に よっての、 

全人 民の ための 政治、 國家、 産業 • 敎育、 軍事の 要求で あ 

る こと は 明瞭で あ. P ます。 それゆえに 福 田 博士が この エル 

フ ルトの 宣言 を循 として 獨 逸社會 民主主義. か SBf に勞働 階級 

の 民主主義 であると なし、 更に ソ ー シャル e デモ クラシ ー 

なる ものが 單にブ ロレ タリアン • デモ クラシ— であると 論 

する こと は 明らかに 見當違 ひの 議論で あると 申す の ほか は 

ない。 




その 次に 福 田 博士の 引用され てゐる 根據は 共產黨 宣言で 

あります。 その 共產黨 宣言の 終りに は 各 國の勞 働 者よ 結合 

せよ とい ふ 有名なる 一 句が あ 勺ます。 それによ る 時 は、 ソ 

r シャル • デモ クラシ ー は 單に勞 働 者の 結合の み を 目的と 

する もの 》 ごとくに も 見えます けれども この 勞働 者の 結合 

とい ふこと は 決して ソ ー シ ャル ,デモ クラ シ ー の 目的と す 

ると ころで はない。 それ はた *>f ソ ー シャル • デモ クラシ ー 

S 一 iU 到達す る 一 手 SlJ であるに 過ぎない。 それが 芋 段で あるに 



過ぎない こと は、 共產黨 宣言 を 一 讀 する もの > '何人も 承服 

すると ころであります。 その 宣言に おいて は isig 働 者が 權カ 

を 掌握す ろ こと を 主張して ゐる にしても, それ はた > 全 生 

產か 人民 全體の 手に 支配せられ るまでの 一 過程に おいて 耍 

求され てゐ るに 過ぎない ものであります。 勞働 階級の ため 

の 民主主義 を 要求す るので はなく して 全體の 人民の ための 

民主主義 を 要求して ゐ るので あります。 それ ゆ ゑに この 共 

產黨 宣言の 作者の 一 人た るェ ンゲ ルス は、 この 共產黨 宣言 

の 序文のう ちで、 勞働 階級の 解放 は、 同時に また これ を 限り 

に、 汎 く社會 を、 凡ての 利己的 利用, 壓迫、 階級 的區 別、 

及び 階級 鬪爭 から 解放す る ことによって のみ 行 はれる こと 

を 主張して ゐ るので あります。 卽ちソ ー シャ ル • デモ クラ 

シ ー は 一 方に おいて 階級 的 自覺を 要求し、 また 階級 鬪爭の 

必要 をカ說 して ゐる にしても、 その 階級 的 自覺の 要求 は、 

エンゲルスの いって ゐる とほり、 た > 階級 的 區别を 撮廢す 

るた めの 戰術 であるに 過ぎない もので あり、 また 社會 民主 

主義の 力 を 傾けつ. - ある 階級 鬪爭 にしても • 階級 鬪爭 lOa 

9sen Icampfe そのものが 目的で はなく して これ を廢威 する 

ことが 目的であります。 然り、 ェ ンゲ ルスが 述べて ゐ ると 

ほり 人類の 歴史 は 階級 鬪爭の 歴史であった ともい ふこと が 

できます。 その 階教鬪 爭を廢 威す るた めに ソ— シャル *デ 



^ モク ラシ ー が 必要と される のであります。 

この 點を 最も 明白に 說 明して るる もの は 正統 マ ルクス 主 

義の 理論家と しての 力 I ル • カウ ツキ— であり. ュ 6 す。 彼れ 

は その 書物の うちにお いて 次の やうに 述べ てるます。 

『けれども 勞働 階^ は 凡ての 狀 態の もと Li おけろ 民主主義 的 組 

織 耍求 する ものでなくて はなら ぬ。 :: それ (勞働 階級) は 

社侖" 階級のう ちの 最低の もので あろ。 それ は 凡ての 人が 政治 

上の 權利 1^ 得た る 場合でなくて は 政治 上の 經利 1^ うる、、 と は 

できない。 他の 階級 は 何れ-..^ 或る 種の 事情の もとに 特權 階級 

となろ ことが で ふ-るが 勞働階 扱ば 特灌 階級と なろ: と^でさ 

ない。 それ ゆへ LL 階級, ある 勞働 階級のう へに 立つ ソシ ャ 

〃• デモ クラシ, は プヤ ジョァ • デモ クラシ, -ょ リも遙 か-」 多 

く 民主主義 的 努力 誠赏 Li 支持す, る もので あろ ゥ』 (Kautsky, 

parlamcntarismus unci E-CMr-okratlc 參 照) 

私 は 次に. 社會 民主主義 運動の 權威 たる ゥヰル ヘルム リ— 

ブ クネヒト の 解 釋を舉 けます。 

r 社會 民主主義の 目的と し且 贏ち うべき 政治的 權カは その 

故. か 論す る ごとく 勞働 階級の 霸權の 樹立 を 目的と してる る 

もので はない」 (W. Liebkiiecht, no compromise, P, 30.) 

獨 逸社會 民主 黨の 有名なる 選舉窶 s 一九二 一年) において 

も社會 民主主義の 要求に ついて 次のように 述べ てゐ ます。 



『現在の 秩序 は i リ高き 秩序 卽ち 社會 民主お が 常に 戰っ てき; r 

社會 主義 的 秩序 LLi つて 置き換えられます。 然る 時 に 全人 民! 

の 協同 贵 任が 完成 ぜら れ、 さラ して 人生が 凡ての 人に 對 して j 

fj リ 多く 幸福の ものと される ので あろ』 , 

ベ ルンス タイン もまた ン. I シャル •. デモ クラシ ー は 人民の 

攻黨 となる、 】 とかで きる 旨 を 述べて ゐュ 6 す。 英 國のソ ー シ, 

ャル • デモ クラシ ー の 一 代表者で あり • また ゼ • インタ ァ 

ナショナルの 一 支部と しての ソ— シ ャ ル •. デモ クラ チック f 

フ ェデレ —シ ョ ンの 宣言に おいても 次のように 述べられて 一 

ゐ ます。 一 

『勞働 階級 は 自由.^ 獲得す る 最後の 階級で あるが 故-し、 それの _ 

解放 は 人種、 民族性、 宗敎 または 性の 區別 なき 全人 類の 解放 

, ^意味す る ものである。 ,11 一 

この 宣雷 によっても 明らかで ある ごとく ソ ー シャ ル *デ モー 

クラ シ—. か勞働 階級の 解放 を 目的と する, ,> とは勞 働 階級の 一 

利己心の ためで もな く、 その 勞働 階級の ための 新ら しき 特ー 

權を 獲得す る f 】 と を 目的と する ためで もな く 全人 類の 解放 一 

を 目的と する のであります。 詳 かにい へば 政治的 民主主義 一 

と稱 せられて きた 個人主義 的ブ ル ジ ョ ァ的 民主主義に 

おいて は 民主主義の 名に おいて 資本家の 覇權を 確立す る 事 一 

となり" 産業革命に 伴って 勞働 階級 は 社會の 最下 の 階級 一 

に 引落さる、 ことと なった のであります。 その 結果 は 謂 ふ』 



ところの 政治的 民主主義 において は勞働 階級 以外の 他の 階 

級の み. か 自由 を 享有す る ことができ たのに 封して 勞働 階級 

は資產 階級に よっての ェ クスブ ロイテ I シ ョ ン のために 極 

めて 悲慘 なる 奴隸狀 態に 墜落す る こと > 'なって ゐ ます。 卽 

ちその 民主主義 は勞働 階級 を 除外した る 民主主義 であり、 

全人 民に 對 して 平等の 機會と 自由と を與 へた もので はない 

のであります。 從 つて その 民主主義 —— ブ ル ジ ョァ • デモ 

クラシ ー は眞實 なる デ モク ラシ— ではなく して 虛!^ の デモ 

ク ラ シ— であり、 デモ ク ラ シ ー の 名に よって 一 部の 階級に 

特權 を附與 し、 覇權を 掌握せ しめて ゐる にすぎない、 * 實 

にデ モ クラ シ ー を 主張す る もの は, J の虚 係の 民主主義に 對 

して 反對 する 一 J と は當然 であります。 ソ ー シャル • デ モク 

ラシ— はこの 要求に よって 生れて ゐ ます。 從っ てこの ソ ー 

シャル • デモ クラシ ー は勞働 階級の 解 故 を 目的と して 立ち 

ます。 けれども この 勞働 階級の 解放と いふ こと はた,. T 勞働 

階級 だけ を 目的と する もので はなく して 勞働 階級の 解放に 

よって 全人 類の 解放. か 完成され る、 ) と を 目的と する もので 

あります。 何と なれば その他の 階級 は旣に 解放せられ てた 

た勞働 階級の みが 奴隸狀 態に とり 殘 されて ゐ るからで あり 

ます。 いふまで もな く特 權を剝 奪す る こと は、 その 剝奪さ 

お 一 れ たる 階級の 利己心に とって は 不利 i 处 であるに しても か- - 



る 一 部の 特權を 成立せ しむる. ことが 民主主義と 兩立 すろ も 

のでない 以上 これ を剝 奪す る こと は 民主主義に 反逆し ない 

のみなら す 民主主義の 精神の 當に 要求す ると, J ろで あると 

申さなくて はならない。 勞働 階級の 解放と いふ こと はこの 

勞働 階級 以外の 他の 階級の 特權 に反對 する ことで あり、 凡 

ての 人民に 平等の 機會と 自由と を與 へ ん とする もので あり 

ます。 從 つて ソ— シャル • デモ クラシ ー は 眞 實 なるデ モ ク 

ラシ— であると 申す, J とがで きます。 何と なれば ソ I シ ャ 

ル • デ モ クラ シ ー は勞働 階級の ための 特權の 要求で はなく 

凡ての 特權と 利己心と を 排斥し、 從 つて 勞働 階級の 特權と 

利己心と を も 排斥す る ものであるからで あります。 また ソ 

I シャル • デモ クラシ ー のみ 眞實の デモ クラシ ー であると 

申す ことができます。 何と なれば 勞働 階級の 解放に よって 

のみ デ モク ラシ ー が 存在し 得られる からであります。 

ソ ー シャル • デモ クラシ— が單 に勞働 階級の 民主主義で 

あると なす もの は 決して 獨り福 田 博士 だけで あると 申す の 

ではない。 例へば ゥォ ー リン. グ がその 書物の うちにお いて 

指摘して ゐる ところに よれば 英領 コ D ン ビアの 社 會黨の 機 

關紙ゥ ヱ スタァ ン* クラリオン は 次の やうに 述べて ゐ ます。 



A» 「われ 等 は デモ クラシ ー の 傾向 を もって ゐる もので はな 

い。 われ 等の 要求す ると ころの もの は勞働 階級の 專制 をう 

る ことで ある』 と。 (walling, Soialism as It Is, P.332) 

法 舉馎士 吉野作 造 氏 も また 全然 福 田 博士 の 意見に 贊 同して 

rO ます。 (中央 公論 大正 八 年 四月 號 『余の 選舉 論の 批評に つ い 

2) 

けれども、 J れ 等の 見 かたは ソ— シ ャル • デモ ク ラ シ I が勞 

働 階級の 自覺と 階級 鬪爭 によって 實 現せられ る ことの 事實 

を もって それが 直ちに ソ— シャ ル • デモ クラシ— であると 

なすの 誤りであります。 さう して 勞働 階級が 解放 せらる ベ 

き 最後の 階級で あろ ことに 氣づ かざる の 誤 謹で あると 申さ 

なくて はならない。 勞働 階級が 解放 さるべき 最後の 階級で 

ある こと を 知る もの は、 その 勞働 階級の 解放が 全人 類の 解 

放で ある こと を 承知し ます。 勞働 階級が 解放せられ 從 つて 

全人 類が 解放 せら れた 時に 始めて 眞實 なる デ モク ラシ ー が 

出發 します。 これ. かソ ー シ ャ ル* デモ クラシ ー であります。 

また これの みが ソ ー シャ ル • デモ クラシ ー であります。 こ 

のソ ー シャル • デモ クラシ I に 到達す るた めに 勞働 階級の 

自覺と 階級 闘爭 とが 必要と されます。 けれども これ 等の も 

の —— 階級 鬪爭の ごとき もの は、 ソ ー シャル • デモ クラシ 

1 そのもの ではなく して それに 到達すべき j 道程で あるに 



過ぎない。 ソ I シャル • デモ クラシ ー であるた めに はェ ン 

ゲ ルス の 述べ てるる とほり 階級 鬪爭 そのものから も 解放 さ 

れ なくて はない。 卽ち 階級 鬪爭め なくなった 時に ソ I シャ 

ル • デ モク ラシ ー Sozial de ョ okratic が 存在し ます。 福 田 博 

士の 見解 は 明らかに ソ ー シャ ル • デモ クラシ ー に 到達す る 

ための 手 とソ— シャ ル • デモ クラシ— そのものとの 混同 

であります。 それ故に 福 田 博士が 私の 說を 批評して 『室 伏 

君 は 手取り 早く 御 t?^ みに なって、 社會 主義 は 全人 類の クラ 

シ ー であると 早合點 して 居られる』 とい はれた こと は 却て 

福 田 博士の 早合點 であり、 福 田 博士 自身が ソ— シャル たデ 

モク ラシ— に 到達す る 一 手段 を もって 直に 「手取り 早く」 

それ をソ ー シャル • デモ ク ラ シ 1 そのもので あろと - 早ム CL 

點」 した ものである, H 申す の ほか はない。 

ブ 口 レタ リア ー 卜が 解放 せられた 時に 凡ての ものが 解 故 

せられた こと >- なります。 凡ての もの i 解放 せられた 狀態 

を 名け てソ ー シ ャル • デモ クラ シ ー と稱 する の であり ま 

す。 

私 は 最後に、 近頃 私の 手に した 社會の 民主主義 について 

の 書物の 一 茹を 引用し ます。 

『社會 民主主義と は 人民の 側に おいての 機會の 公道に 對 

する 慾 望の 表明で ある』 (S. P. Orth, socialism and 

Deinocracy iii 】ulrope, P. 26ム..- 



I 



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く受申 1: 別 は 慎 代 



森條 事務所 

朿京 巿齒町 東京 海上 ビかデ ンダ內 

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大正 八 年 五 月サ 八::: 印刷 納本 

大正 八 年 六 月 一 n 發 行 

東京 市京樯 m: 元 数寄屋 町 三 ノ 1 成 勢 館 

尾 崎士郞 

束 京 市 小石 川 lEl 久堅町 百 八 番地 

sg* gs- 博 文 館 印刷所 

東京 市 京 橋區元 数寄屋 町三ノ 11^ 勢 館 

發行 S 批 評 社 

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^ K ^ i 1^ a ^ .i ま ,LT 




定價人 ト五錢 送料 四. 錢 

本齊は 民主主義 叢書の 第 一 篇 として 發 行され たもので あるつ 著^!^苦心の 諸 作 

—— 第三階級 民主主義と ソ ー シ ャ,. ル .デ乇 ク ラ シ —、 社會 主義 の 煩悶、 社會主 

義と 民主 キ義、 社 曾 中- 義の 陷穽、 過激 主義に 就て、 過激 主義と 民主主義、 リン 

コ ー ン S 民主主義、 デ モ クラ シ ー の 新 理想 !: を 集め たもの、 現代 の 政治的 及 

社會 思想 を 理解 せんとす る もの は先づ 本書 を 讀んで 然る ベく と 思 ひます。 

^ 1 了 U=r 柬京市 京 橋區元 數寄屋 町三ノ 一^^ ¥ 

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大 j 買 東京 堂、 上田 屋、 北隆 館、 至 誠 堂 



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The criticism 



評批 



(號五 第) 號 月 七 



大 正 八 年 H 月 二 十 八 曰 第 三 種 《^ 便 物 認 可 (定 錢) 

大正 八 年, 六月 二十 九 曰 印刷 納不 大正 八 年 七月 I. 曰發行 V1..^f .F^ ノま、 



國國 家社會 主義の 批判 ……: 

11 ラサ I ル傳: 

■1 八 四 八 年の マルクス (一 一) 

■ 米國 糯 人勞働 組合 

■ 支那 改革案 

画心と 心との 結合 

■ 福 田 博士と ラッセル 

■1 言論の 自由 

髑自 由への 諸道 (錄 t?f41l 鵾; 

画 過激 主義と 民主主義 



社 評 批 



「批評より」 . 

令 例によって 「批ー w」 から 一 1 百し ます 

先づ 自家. 防吿 から 先き LL すろ と、 「批評」 

は あら ゆろ 點 において 不 行 :5 でむ あゆ、 

お 力に おいても 可成 リ涸 いて ゐ ろ 方で あ 

リた > 1 つの 部屋が 編輯 室で-.. - ぁリ、 校 

正室で ぁリ、 詧^^:-室で も ぁリ、 一 人の 

小僧 さ へ 使 はや LL やって ゆ きます。 その 

意味 LL おいて 「批評」 は 雜誌界 の 第四階級 

だとむ い へます 

♦ けれども その 編輯 室 は 一 貧しく とむ、 

「批評」 の 精神 は 々として 流れ 愈き ない 

♦ 何 のが 席; 迫して 丄、 何もの が干涉 

-して も 時代 精 ふ」 動かす ことば でさな 

い。 「批評」 は その 時代 耥 神の 最も 坶大な 

る 表現 者と して 立 つ。 だから 何む の 「批 

評し 1^ 動かす、、 と はでさない。 た》 「批評」 

のみ 人心 ¥^ 動かす ことが できろ。 — 「批 

評し はさう 信じ ズゐ ろ: とに 何の 誇張 も 

な い ことと 信じます 

-ザ勞 働 間 題 は 政治.: 水の 眠って ゐる 間! i 

問^の 中心と なって さました。 勞 働;,^ 動 



は隨- 机に 起って きました。 それ に);, か、 

はらす、 この 膨湃 たろ 勞働 運動 の 機運に 

對 して、 その 精神的の 指^者と して、 そ 

れに光 與 へる ものの 現 はれて ゐ ない: 

と は、 われ 等の 最も 物淋しく 感 すると こ 

るでなくて はならない。 

參 友愛 會。 それむ し、 され ど それ も 

あまり-」 貧しいで はない か。 信愛 そ 

れは た》 资本 主義の 巧言令色 でめ ろに 過 

お」 ないで はない か。 

令资 本と 勞働 研究 會" それ はた > 交詢 

社 的 紳士 階級が 現代に 對 して 如何に 無理 

解で あるか >= 物語る ベ さ, さう して 遊戯 

的、 道樂的 精神の 暴 でもろ に 過 >P ない 

ではない か。 然 らば 3: むの か餘 されろ。 

♦ 何む のない。 何もの も あま されて は 

ゐ ない。 あまされた ろ もの-は、 勞働 者の 深 

刻な ろ 精神と、 さ、 リ して 新^界の 理想の 

うち Li 堅い 信念 もって ゐる • 若さ 人々 

のみで あろ。 

令若 さ 人々 は、 Mn^^ 彼等. の 自己.^ 信 

じなくて けなら 5^0 勞働者 も 走た 自らの 

カ,<^信じなくてはなら$-0 新し さ- 盯代は 

勞働 * がその 力 自覺 し、 さう して 若さ 



人々 がそれ に 理想,^ 與へ る: とに よって 

導かれろ。 そ の 新時代の 曙光が 旣に 見え 

て 見えて さたので ぁリ ます 

♦ 本號 にば 先づ 卷 頭に 「國 家社會 主義 

の 批評」., や 揚げました。 それから 國 家社會 

主義者と, て ラサ ー か傳、 森恪 氏の 支那 

研究 • m 中 純 氏の 「心と 心の 結合., 倉 橋 氏 

の 「錄 人勞働 組合」 など,^ 載せえ した。 

令本號 L1 掲載され ズゐ. る ぺかト ランド 

ラクセン の 「自由 へ の 諸逍」 は 最近 に 手に 

し- ^ばかり、 恐らく 日本 に おい \ ^最初 Li 

受 取られた もの だ と ひます。 それの 絡 

論 取敢 へす^4號に譯出しました。 

令ラ -ソ セ.^ の 思想 に は 驚く.. へ き. ぽ刻味 

が あろ。 「批評」 は 日本に おけろ ラ -ンゼ 巾 

のに 取も迹 常なる.^ 介 者と しての 任務.^ 盡 

すで あらう 

♦ 前 々號 に ラク セ かの 「社會 主義の 陷 

鲜」 載 ゼ た-、 と は讀者 諸お の 御 承知の 

りです。 次 號には 彼れ の長篇 論文 「マヤ 

グ ス,' 社 主義」 譯 出します。 それが 如 

何に 惯値 あろ もので あろ か は、 本 誌 の^ 

リ あろ 豫告 であります。 

♦ 本誌 して^に-お-代の 先驅者 として 

立た しめよ- (k) 



七 

號 



次 



ほ 急 進 せ よ 一 

Mr 訓 練」 された 新聞 紙 • (批 評) 

S 言 論 の 自 由) 

圜國 家社會 主義の 批判 (長 篇) 室 伏 高 信 

B 自由 へ の 諸道 (stt^f ベルトラン- . ラッセル 

S ラサ I ル傳 尾 畸 士郞 

翳 一八 四 八 年の マルクス 一) S- 野 .哲 二 

^ へ Aic*- ァ :> A 

園 デモ クラシ... 研究 (四) 

圔 過激 主義と 民主主義 二 一 チョン • ス パル ゴゥ. 

圏米國 婦人 勞働 組合の 發達 食 橋 藤 治 郞. 

凝 支那 改革案 …: 森 恪 

B 心と 心との 結合 : 田 巾 純 

E 一 im 博士と ベルトラン ドラ ッ セル 

B 現代人 物傳 (吉野 作 造 氏) 

ロ新著批|^- 

〇 ラッセル 「社 食 主義、 無政府 義、 サン チカ リ 

ズム」 

〇 ヴ アン ダァヴ エル ト 「社 會ホ: 義對 1: 家」 

〇 ノルマン. エンゼル 「英國 革命と 米國 民主 主 



0^ 

國 評論の 評論 

〇 福 田 博士 「解放の 社會 政策」. 

輯まと 校正 室 

國 「批評」 より::. 



Photo by, Paul Thompson 

ARTHUR HENDERSON 



へ ンダァ ソン 

ト i レげ けソ. ンは 英^ 勞働黨 のうちで 最も 卓越した 指導者で ある 今年 五十 五 歳の 働 さ 盛りで あろ。 

勞纖《 -の議 A して 初めて 內閣に 列した... - のば 彼れ でもろ。 けれども 彼れ は 彼れ の 後任 者と して 內閣 

に i5v して ゐるヂ ョ - ,ゲ • バ アン スの 0- うに 勞働黨 に 一 1« 切って まで も,^ 閣 に 止まつ V- ゐ るぶ うな 男と ス, 



読 ま 



, ,ベ r 一; 

< 1 ま.. 一 



全然 質が 1^ つて ゐる。 口; > ァ 問題.で意!:1:-,„^«?ハにマ ろと 忽ち 內閣 *?- 去リ * ロイド .ヂ ョ-デ の强 敵と して 

131^^-ゐーろ1ヒ/ィレ^ァ1:シ ョナ かの 復活に 彼れ の功耩 であると い にれ て もる。 fHf の 總選舉 に 彼れ 

^ 選し. ^力.!:; は 彼れ に對す る 政府 の 壓迫 は大し ;,! もの で 彼れ は そ の 選^ 區で 一 度 J,.- 演說す る 

へ 許されなかった ほどであった。 今に その 地:^ アダム ソ ンに讓 つて ゐるが 次の 總 «3 舉は *A す 「< 

タァ ソンの 英 國」. ^^ら すで あらう C , 




急進せ よ 



して 世界と ともに 步 かなくて はな.,:' ぬ。 世界と ともに 呼吸 一 

しなくて はならぬ 一 



「訓練」 された 新聞紙 



政治 も 急進せ よ。 社. も 急進せ よ。 われ 等 は 今や あら ゆ 

る 方面に おいて 急進し なくて はなら なくなった。 それ はわ 

れ 等が 急進主義者で あるから ではない。 日本が 後れて ゐる 

からで ある。 あらゆる 方 fS において 日本の 後れて ゐる もの 

であろ こと は 明白で ある J その 明白 さか e 里の 講和 會議 I 

—世界的のお 付合 ひに 、之 を機會 として § 々明白と なった。 

, J の 明白 さ を 疑 ふ ものが ど, にあら う。 それ を 知りつ >- S 

情 主義と は 何の ことか。 それ を 知りつ、 制限 選 舉とは 何の 

ことか。 われ 等 は 最早 やその ような もの は紙展 籠に 抛り 込 

んで しまはなくて はならぬ.. さう して E "収小 限度の デ モ クラ 

シ—、 然り、 普通 選 舉と勞 働 組合に. まで は ゆかなくて はな 

らぬ。 何もの が これに 反對 する。 反對 する もの こそ 日 木の 

進歩, 日本 國 民の 抑へ. かたき 進歩の 衝動 を 踏みに じらん と 

する 奇怪なる 人々 ではない か。 

われ 等 は 最早 やや) 進し なくて はならぬ。 徐行す るに はわ 

れ等は あまり に 後れす ぎて ゐる ではない か 3 われ 等 は 急進 



よく 艱難に 向って きた やうで ある。 よく 

「訓練」 された る 新聞紙 はこの 問 超に ついては 凡て 沈 默を守 

りつ、 ある。 寺 內內閣 の 時には 言論の 自由 を 叫んだ 新聞紙 

も、 J の 頃 はた ,.- 「訓練」" に 甘んじて 誰れ 一 人 言論の 自由 を 

さへ 叫ぶ もの-かなく なって きた。 民心 を 反影と する ものと 

しての 新聞紙 は、 今や 日本に は與 へられて ゐ ない。 然り、 

日本に は 實 なる 意味の 新聞紙. かなくな つてし まって ゐる • 

ので ある。 

一一 一一 口論の 自由 



j あらゆる 自由の うちにお いて、 われ 等 は 先づ言 論の 自由 

一 を 求めなくて はならぬ J 一一 1 ほ I の 自由の ない こと は, その 反 

一 面に おいて、 陰謀 • 惡虐、 壓 迫の 事 實の隱 されて ゐる こと 

; を 意味す る。 善良なる 社會 において は、 言論 を 迫害すべき 

何等の 理由 もない 害で ある" われ 等 は 快お く 租税 を S: 擔す 

ると もに、 權利 としての 一一 一一!: 論の 自由 を 要求し なくて はなら 

ぬ 



新著 批評 



§ つ ッ セル 

「社會 主義、 無政府 主 

義、 サン デカ リズム」 

H ぺ ルト ランド • ラッセル の 喾物ま 

3 本に おいても 可成り 多く 紹介され て 

ゐ ます。 「批評」 五月 號 では 彼れ の 「政 

治 的 理想」 の 一 を 4. 譯 して 紹介し ま 

した。 その他 「社會 改造の 原理」、 「祌秘 

主 装と 論理」 なぞん 汎く證 まられ てゐ 

る やうであります。 

取 近に 彼れ の 手に 成った ものと し 

て は 「 社き 主義、 無 政 麻 主载、 サ ン ダカ 

リ フ ム」 广 ildposvd ,Roads to 1 つ rce(k>m. 

Socialiam, Anarcliisni Syndicalism. ) の 

1 書が あります。 

曬、 ^ の 書物 は 彼れ が 昨年 人獄 する 前 

に 書き 了った ものである か 出版され た 

の は 今年の 一 月 出獄の 後であります。 



r ) び-こと は, 自序 中に 書かれて るます。 

■ 倫敦タ ィ ムス はこの 書 を 批評して 

「異常の 人に よっての 異常の 書物」 と批 

評して るます。 この 書物の 價値 はこの 

批評に よっても 分ります。 內容は 「マ 

ルクス 及社會 主義」 「バ ク— ニン と無攻 

府主 装」、 「サ ン. デカ リストの 謀叛」 を 初 

めと して 凡て 八 章から 成つ てるます。 

B この 書物の 内容 は 「批 評」 によって 

順次 紹介し ます。 (p-lbl isliecJ bv Henry 

Holt all(一 r:mpc-llly New yorl〈) 

B ヴ アン ダァヴ H ルト 

「社費 主義 對國 家」 

黼ェ — ル *グ アン ダァ ヴェ ルト よ 

白 耳義社 會黨の 首領と し てこの 戰爭中 

に 最も 熱烈なる 愛國 心を發 據 してる ま 

す、。 今 は 國際勞 働 委員 會の 花形と して 

活躍して るます。 

<B 彼れ の 近著と して は 「口 シ ァ 革命 

の 三 局面」 (Trois Aspects de la Revo- 



lution I さ i) と 「社會 主義 國家」 (に 

ひ ocialismc C21tr。 に Klat) の 一 一 つが あ 

ります。 後者 は 昨年の 出版に か >, り、 

「自治 的 行政」 、「社 會 主義と 租稅 行政」、 

「生產 手段 の 社會 化」、 「t 〔力 働 階級の 活 

動.」 その他から 成って るます。 

理 ノルマン e エンゼル 

「英國 革命と 米國 民主 

主義」 

■ ノルマン • ヱン ゼルの 近著 1 英國革 

命と 米圃 民主主義. I は 恐らく 最も 輿 味 

ある 書物の 一 つで あらう と 甲; - ひます。 

社會 改造に ついて 何 ごと か を 求める も 

の はお 書 力ら 敎 へ られる ことが 多いで 

らう orN. A=gd; British Kevol-lioll 

and y\5cricall I レ cmocrlcv) 



isTfll 社會 主義 運動の 先 驅者を 以て 任じ 來れ る賣 

卨白田 素 之 E 文 社 は 社 <p 主義の 純 科學的 研究 を 欲する 人 

If? ゥ ツキ I 箸 士の爲 めに 最良 書た る を 確 B して 本書 を坦 




第 



出 

づ 



現 界 に. & 的 思 想 の 背景 を爲 せる は 社會 主義に して マル 

ク叉 『資本論 5 は實 に社會 主義の 科學的 基礎たり。 而も 「資本論」 は 維 解に し 

て 學界の 秘庫ご 云 はれし が、 本 害 原著 出で.^ 初めて 其 鍵 鑰は與 えられたり 

原著者 カウ ツキ 1 氏 は- r 何人も 彼に 勝りて 社會 主義 を 解說 せる ものな し』 ごまで 



料 



呼ぶ し 世界に 於け る、 現存 社へ 主義 學 者の 最大 機 1g にして、 本書 は實に 彼が 多 

年 血 を 注ぎし もの 其の a 嚼 主義に:^ る 獨特の 解說法 は 『資本論』 原作 を讀 

ますして 其 堂 舆に參 せしめ 原作 を讀 みたる 者に 未だ 達せざる 新 見地 を 展開せ し 

ひ。 譯者 は; n 本に 於け る 最も 眞面 目なる マルクス 研究者の 一 人.^ る 自信に 基き 

反譯者 VJ しての 完全なる 實任を 以て 譯出 に從事 せ. り。 福 田 博士の 序文 は 二十 頁 

の 長 論文に して 文卞 左の 數節ぁ 「河 上 博士 や 高 畠 君が 今 十 年 前: n 本に 生れ ざ 

,りし は實 二日 本に 取つ て 大なる 損害であった』 『 一 見 a 暴 者の 如く 見 ゆる 高 白 £ 

君に 斯の 如き 細 > じ、 綿密、 忠實の 隱し藝 あ. -ど は實に 意想外で あった』 『此序 

文 は 唯 頼れた から オイ ソ レ?」 書いた のでない こど は讀 者に 諒察 を 願いたい』 

本? S 譯者は 八 「又 Bssig に 着手せ り。 蓋し 本邦 出版界 最 難事業の 一 ならん。 第 

一 卷は分 浙ビし 其 第 一 册は 九月 中に 判 行の 豫定。 



f; 買 東 振定送 

文」 京 Sim 

b 有" 

* 樂四制 

出 町 五十 

七 



十 



部 四 四錢錢 



學界の 注目 裡に 







る は顯著 新る す 望 渴が代 時 新 

— — BagMMMBH— — — — — — BBMBEagBB fill I III , 画 'WIFff 



京 東^ 振 acR UIS 114 ifJ. -er ^ 町樂 ぉ京袭 

四 七 七 i 四 部 filXffiJICE 乂賀 四 ノー 



高 畠 素 之 序 尾 崎士郞 • 茂木久 平 共著 (S? 一 I) 

新 




口 ラサ I ル、 ベ I ベルへ ンダァ ソン、 レ I 一一 ン 、トロッキ I、 リ ー ブ クネヒ 

ト、 ロイド VK ョ I ジ、 ウィルソン、 ゥ M ッブ、 ゴン パス、 ジョ I レス を 

始めと して 世界の 社會 革命運動 史上に 活躍し 來 つた 人物 十数 名に 就 

て 其 生涯 を 說き其 識見 を 論じた もの は 本書で ある") 此 意味に 於て 本 

書 は 『列 傳』 と 言 ふよりも 寧ろ、 人物 を 透しての 『文明 批評』 て ある。 

□ 著者 兩人は ffi 間 的に 何等の 地位と 名望と を 有せざる 者て あるが、 靑 

年 思想家と して、 少壯 論客と して、 其經綸 と、 其 識見と、 其 意氣精 

神と は 相俟て 時代 を 率 ゆるに 足る もの が ある。 內 容の豐 富と、 材料 

の 正確 六. -る點 に 於て 本書が、 博士 名士の 著述の、 聲旺 にして、 其實 

賓の 乏しき に 較べ V、 驚くべき 優越性 を 有する 事 は 特筆大書すべき 

事で あらね ば^らぬ。 ー! ! 然り 時代 を識 り、 時代 を 率 ひんと する 

者 は 正に 一 本 を 倫へ. M ければ.?^ らぬ。 



國 家社會 主義の 批判 

室 伏 高 信 

二) 

國 家社會 主義 SState S..cia ーァ 三. Staals ff. は獨 逸に 生れた ものと されます。 その 獨逸 における 國 家社會 

主義の 父 は 01ド* ベ ル トスで あると されます。 その 意味に おいての 國 家社會 主義と は 現存の 國 家に 生 產 手段 を 集中す 

る , J との 主張であります, - ビス マ —ク の國 家社會 主義、 シュ ワイツ エル の國 家社會 主義、 ヮ.. クナァ の國 家社會 主義と は 

それであります。 それ は產 業の 民主化 を 要求す る もので もな く、 社會的 民主主義 を 要求す る もので もな く、 現存の 國 

家、 現存と いふより は 官僚 的、 軍國的 • 階級 的の 國 家に 生產 手段 を 集中す るの 企であった もので あり、 餘剩憤 値 か 資本 

家の 手に 集中 せられる 代りに 國 家に 集中 せられる もので あり、 從 つて 勞 働の ェク スプ ロイテ— ショ ン. か 資本家に よつ 

て 行 よれる ことの 代りに 键家 によって 行 はれる ことになります。 これによ つて 勞働 者の 奴隸狀 態に は 何等の 變 化か 行 

まれる もので はなく、 勞働 者の 故 は 素より 不可能であります。 勞働 者. か 今日までの 資本家の 權カ によって 支配 せら 

れろ 代りに 画家 II 階級 的國 家の 權カ によって 兵卒 化される. 二と であります。 だから 謂 ふところ S 國 家社會 主義と は 

國 家社會 主義で はなく して 國家 資本主義 state Capitalism であります。 この 關係を 最もよ く 明らかにして ゐる ものと 

i して ま ヴヰル ヘルム *リ —ブ クネヒト を舉 ぐべき であります - 



2 



^日本の 國 家社會 主義の 機 關雜誌 は^ 家社會 主義に 對しズ ス atio 一二 BOCEia ョ とい ふ 英語. H„s て箝 めて ゐ ます。 その 窓 

sa-es? 一 a 一 8- とい ふ 言 IT か外國 において は 凡て 社 や-^ 良キ義 のお: 味に 使 w されん ゐ ろから,, れと區 別す ろた めで あろと 中 

して ゐま マつ けれども S a? So i 二 is- 一とい ふず, か 凡て 社 <^:: 改良主^の^ 味に ffl ゐら れてゐ ろと すろ のば 獨斷 であろ 。 その 反 

き, の 例" 幾つ も ある また Na ion 二 S cia 一言, rv-ati-nal Sozia! :s -1- s と いふ: w 葉 は ハインドマン によつ C;I5 め C 使 『され C 

ゐ るので はない 。( ハインド マ》 は 社せ:^ 主々 教同 g| から 分離して ブビ r,;a; S ciai8 一 pa;.v と い ふ も の .^.^立 し て ゐ ろ3 レ 

H の 「コン テンポラリ... ソ, シャ リズム」 は 一 八 八 2: ijf に t+ 一版. -發 行して ゐ ろが レ H は 其, つちに おいて 旣にソ -a 一: ona 一 SOO— 

ial ざ n とい ふ 言葉. - 使って ゐろ c(Kae, Conte 一, -po-ary So ia-i8:= r.l に 4) 彼れ は ラッサ ー レの社 主義.^ 評して かう 申して ゐろ 

ので ある。 卽ち マ. か クスの i= 一 enaticnal scci-ras に對 して ラサ- レ の, 社會 主義,^ Natio-a! Socia is ョ と a. して ゐ ろので あ 

る 。從 つて それ は Thei 一】 t,r 一】 ah.cnal に反對 する もとして., ある 。さう して 一 八 七 四 年の ゴ ー タの宜 言 は、, の Natio-l social 

i の滅^^でぁろとされてゐるす。 そのれ 味に. おいての Nati ョ arsccvis ヨ は 決して マルクス主義 ではない。 また、、 インド 

マンの Na 一 icnal Socialist Party のでき たの は チムメ か クルド 決議に 反對 する がーた めであった から それ も 著しく 保守的な もの 

として 生れた もので もろ: と は 勿 であります。 




ふまで もな くゥ ネル へ ルム • リ I ブ クネヒト は獨 逸に おける、 さう して また 世界に おける 最も 偉大なる 社會 民主 

主ぎ Sozial Dslocratic の 指導者の | 人であった とともに ビ. ス マ— クの謂 ふところの 圃家社 會主錢 の 最も 熱烈なる 反 

對 者の 一人であった^ であります。 彼れ は その 名著^の うちにお いて ビス マ ー クと社 會主毅 との 闢係を 批評して 次の 

や- フに 述べます。 



ビス マ- ク八 みは 私-,: 「北獨 新聞」 の主摯 となろ、、 と.^ す、 めた ことがあろ。 また マ^クスに 對 しても 「スタ ー ク. アンク ァ H う 

ャの秦 となろ こ あ 了め なと が あろ。 このニ つの 場合 t に、 彼れ は I- なく 社會 主 S 表 I、、 との I なるお 

由,^ 投 供した ものである。 けれども、、 の、、 とはピ ス マ - グ が社會 主義 愛した がた めで もな く、 また 社會 主義の 知識.^ もつ 

てゐ たがた めで もない 。彼れ は その 時に 社 會キ義 について 何 ごと. -.^ 理解して ゐ なかった し. また 死に 至る えで 社會 主義. - 

理解 す ぼ 至らな かつな :: 彼れ は 常 LSI 囊, r つ vyi の 存在と 兩 辛る: と 5 できでの であろ あへ.^ 

ゐな ビス マ, クは プレ, ジョァ I 主義の 反 I、 m. 打破し S でめろ ために I" 主義 I 要と したので あろ 

、、のこと 自身が、 彼れ の社會 主義の 眞. K なる 性質に ついて 何の 考へ. -も、 つて ゐ かった 證據 であろ,^ 

グヰル ヘルム ,リー ブクヒ ネト はまた 社き 主穀 とこの 謂 ふところの 國家社 曾主穀 とか 決して 兩立 する もので ない の 

みならす、 獨 逸の 國家社 會主穀 なる ものが 社會 民主 i はの 存立に 危險を 及 ほすべき 敏 である- 一と. さう して それの タ. 

が社會 主義に 類似す ると、 〕 ろが あるに 拘ら すそれ は 全く 欺^的の ものである として 次のように 述べ ます 

:: 國 il 管/織 は 1$ 囊 でき- い。 さう し W 外形 S 似と 人 S 暴と Li-- つ 2S く I されろ 

人々 の S ,し iLif むので あろ。 SS 家 t 秦、 -. ^つと 正確 Li いへ にフ ロシアの 國家 ⑩囊、 それの 理想 

は 軍國的 • 地主 的、 I 的 S であり、 何事. りむ I 主 SS すろ ので あ, も :: 民主 秦は S の 敵で ゎ气 . 

共産 i 旦言 において はこれ 等 S 國家 社會 主義と 稱 する ものに ついて 次の やうに 述べて ゐ ます 

. 貴族 囊义民 S 合 I な l: 勞 Igl 袋 ,し §ュ1 、えど,. 人民 接 等 (襄 麦) の 2 

に 封建的 紋章の つい \ ^あるの. ^知った" ゆ 

ビス マ I キア ン國 家社會 主義と は、 北ハ產 i& 旦 言に おいて は, ; T 、慈善 袋 A 一 ms-baK であるに 過き た"., とされて ゐる 

のであります。 ヱ ンゲ ルス はこの 點 について 次の やうに 述べて るます. - 



丄 



それ (g) が. s 力 I 取ズ ^ る ほど ¥:s,,s 的まず なり、 市 § 級,, それ t y, H 乂ブ ロイテ, シ 

ョ ン,^ 行 はしめ る。 勞齒 者に 貧 级取リ II プロ レタ リア, ト として 残る 

ダ ヨン *ス パルプ ゥ もまた この 點 について 次の やうに 述べて ゐ ます。 

社 直義ま 組, § 的 主蠢的 さく..,, なら.,。 逢 主 ま 伴 は f 社 直 S 光な くし 成立せ;, 

ろごと く 成立せ f もの でんろ。 世 i 義ゃ 政. 肿の 所有の i に 適用され 2?」、 S 的の 原則、 デモ クラシ ,が缺 すて 

もる とすれば 、「社 宝義」 Ma ::iasn シァ、 S その他 ま賈 にして ゐる, シァ (革命 前 

の ロシア) は 北米 合 25 も 社富義 に 接近して きので はない。 同一の ことが 鐵蠢 有の 獨逸 (S 前) -i? ?、 

とがで I。 .2 5,- おい、 外觀的 _」 社 直 義」 類似し X き t で それ しく i しで? 5。 ::| 

民主的で ない。 社會主義とば^^樂民主主義に結合したる政治的民主主義でぁろ。 

ス パレつ コ ゥの碧 も 極めて 明 咬であります。 社き 義は その外 觀の § によって 成立す る もので はない。 そのうち 

に 包容す る もの —— デモ クラシ— の 存在す る ものでなくて は、 社會 主義なる もの は 存在す る こと を 許される も の^は 

ない と 申す のであります 。 ゥす —リング も その 國家 社釙 B 主義に ついての 近著のう ちで 次の や 5 に 述べて ゐ ます。 

若し, At i の 社會囊 者の 政策が ビス マ, クの それの 了に S 主 的での である ネれ ば. それ は 全然 I 社會主 

義 ではない。 それ は 支配 級の ためにす る、 國: 水の 古る き 使用に 過 、たい ものである " 

力! ル • カウ ツキ I は國家 社き 主義と 社會 民主主義との 關係を 論じて 次の や 5 に 述べ てゐ. ます。 

そ. れ silss まれ 申 sst 生れる。 :: 勞 5H?.?n イミと して は、 轰は 如何なる 個人的 の资 

effort ::ilinT^I 蠢及 £wss 國 有.! 黉 本家 や 地主きする も 

のて はなく、 また 彼等が 勞敏 階級. 5-H クスブ 口 イットす る 機會, ^減少す る もので ズ な、。 



國 家はブ n レタ. 'ァ, ト、 勞働 階級が 支配階級 となる に 至る まで は、 資本家 組緣^ 止める もので はない a ^ 

カウ ツキ I は 他の 論文に おいて 更に 一 歩 を 進めて、 國 家社會 主義と はた >國 家の 干涉 とい ふことの 名稱 であり * 郎 

ち國 家の *WMS.^ 擴大 であると いこと に過ぎないの であると 述べ てゐ ます。 さう して その 謂 ふところの 國 家社會 主義に 

おいての 政府なる ものが 民衆と 沒 交渉の 政府で ある ことに 特質 を もって ゐる ものであると を 述べて ゐ ます, - ほこの ヴ 

ヰル へ ル ム*リ|. フ クネヒト 及び 力— ル* カウ ツキ I 等の 批評 はまた 移して 日本に 於け る 一 派の 人々 の國 家社會 主義め-? 

にも 當て t 飲める、 一とが できる C 日本に おいて 國 家社會 主義 を 主張す る 人々 は 軍閥の 一 派 または 官僚の 一 派であります。 

その 一派の 人々 の 画家 社會主 翁と は 現存の 固 家 11 官僚 的で あり、 貴族的で あり. 軍國 的で あり. そのうへ 資本主義 

.3? でも ある 日本 —— に生產 手段 を 集中しょう とする ので あり、 それの みならす、 ) れ によって 玫治的 自由主義の 諸政 黧 

を壓迫 せんとす る 攻略から 生れいで、 ゐる ものであるから、 彼等の 謂 ふところの 國 家社會 主義と は ビス マ ー キア ン國 

家社會 主義で あり、 從 つて デモ クラシ— 撲滅に おいての 社會 主義で めり、 ヴヰル へ ルム *リ —ブ クネヒトの いって ゐる 

とほり、 それ は 國家社 會卞: 義 ではなく して 國家 資本主義 であるに 過ぎない。 それ は人氣 言葉 を揭 けて 世 問 を係碟 する 

もので あり、 その^ 瞞 によって 彼等の 理想、. デモ クラ- ン I 僕 減の 理想 を實 現せん とする ものであるに 過ぎない リ獨り 

獨逸 —I 革命 前の 獨逸 とさ 5 して 日本に おける 一 派の 人々 の 謂 ふところの 國家 社き^ 義か 一 切僞瞞 的の ものであると 

いふので はない。 理: f;l として、 一般的に、 階級 的諸國 家に 生產 手段 を 集中す る こと はた .V 8. 豕の 專制權 の擴大 * 國^^^と 

ぃふょりはそれ等の^?國家の支配階級の手に專制權を擴大する、 〕 とで あり、 社會の 征服 被 征服の 關係を 益々 明白に す 

る もので あり, さラ して 社會 主?;^ と は 正 反對の 方向と 精神と ももって 生れいて、 るら もので あろ。 然り 國家, 本 3 

義 と社會 主義と は 明白に これ を區别 しなくて はならない。 線 返して いへば ビス マ ー キア ン國 家社會 主義なる もの は i 

丄 義 ではな,、 して 資本主義 である。 國家 |24£義 である。 從っ てまた グヰル へ ルム • リ —フク ネヒト のい つてる る 



_ とほり * それ-か 瓧會 主^の 歆 である こと も 勿:?. I であると 申さなくて はならない 

ひメ vilyelm uelbklK-cht, IS ぶ Go ョづ romis メ ISO PoH 一 マ已 Trtvlinw. (Kerr つ 二 it io 口〕 

き bid., P.IG 

4 communist SJmifesto, tr-nrtil 一, Feudal !.: ^ocia.lism 

l^p\Ellgels,sooinlism:rtoprIsnIKl S つ 了 ntifi ク P*. 1,,):? 

ゆ John Spargo,yoeialism,P.?S7-8 

の W.E. Wnlling, State Sodalis ョ,, XXIV 

ゆ Kautsky, Vo 一 hriar ョ id der staatssozialis.l5,5 

卯 高 畠 素 之 氏せ > 新 寶文肚 一 派の 國 家:^ 會主義 ば 自ら マ ル ク ス 主義,^ 標榜し ズゐ るから、、 れ, cj* ビ スマ, ン、 ステ, ト、 ソ, 

シャ リズムで あると いふ,, とと はで さな いにしても、 若し- それが 現存の H 本の 阖家に 生虔 手段.^ 集中す るの 主張で あると 

すれば それ もまた 國 家社會 主義で なくして^ 家 資本主義 でお リ、 軍閥 連 ゃ官麼 一 派の 國家 肚會 主義 f^u と 何等 還む と、 -る がな 

いわけで ある。 その 點は まだ 私の 詳 "しないと、、 ろで ぁリ、 また 31 家社會 {熬 の 諸君の 說叨 もまた 微 底した のでない から それ 

等の: と は、、、 に 批評す る こと.^ 避ける。 けれども くも 國{ 水 社會キ : 義,^ 椟挖 しても ろ以. M この 點,^ 明確に する ことに それ 

^の 人々 の資任 • その * ゥァ イタ ^の ものでなくて はならぬ 9 

(三) 

デモ クラシ I と は;^ き 主義と 全然 相 矛盾す る もので あるかの ごとくに 說 くもの. かあります ベ-ワク ナ ァゃフ ォ ン • シ 



ュ ワイツ エル の 詭辯 デ モク ラシ— と は どこか ブル ジョァ の ものである。 さう して 社會 主義 はブ ル ジ ョ ァ の 瓧會に 

反對 して ゐる ものであるから、 從 つて それ は 反 民主主義 的でなくて はならない とい ふ 詭辯 は、 フォン ?ン ュ ワイ ツエ ル 

の^^代にぉぃて多くの人々を混亂させたに相^^比なぃ0」ヴヰル へ ル ム 參リー ブ クネヒト はかう 中して ゐ ます。 ヮ ダナ ァ 

ゃシ ュ ワイ ツエ ル ばかりで はない。 デモ クラシ I の歒 と、 さ 5 して デモ クラシ ー について 淺. な 理解し かもって ゐな 

い 人々 は 厘々. テ モク ラシ! を もって 社會 主義の 敵で あると 稱 します。 さう して, テモ クラシ I 撲威を もって 社會 主義. 連 

動に 必要な ことで あるかの ごとくに 論す る ソフヰ ストと 淺へゅ 家と は 到る ところに 存在し ます。 獨逸 において この種の 

人々. か國 t 尿 社 會.^ 義を標 校す る 人々 の 問に あつたの みで はなく、 社會 民主^の 側に もあった. かごと く 5 日本に おいて 

もまた 同じ やうな 事例 を 見ます。 これ 等の 設^ は デモ クラシ ー を もって 軍に 政治的の ものである とする 謬 想から と、 

さう して 社 < ^"主 我 を もって 一 切攻 治と 無^係な ものであると ャ るの 謬 想から 生れます。 社會 主義と 民主主義との 閼係 

について は 私の 立場 は 極めて 明白に なって ゐ ます。 £ エド "ー ド • 力 アベ ンタ ァ は甞 つて 社會主 翁の み 民主主義で * あ 

ると 申した 二と が あります。 g そのこと は社會 主義 か 民主主義の 全^で あると 巾した ので はない。 社^主義と 他の 保 

守 主義 または 自. 主義と を 比-おぼして、 社會 主義の み 現代に おいて は デモ クラシ ー であると 申した のであります。 もつ 

と ilf - - い へ ば も-守 主 翁 は 封建主義 feudalism であり、 自巾ギ>:我は^^棠主栽 mercantilism であり、 さう した 社化丄 ず 力 

民主 主穀 であると 巾した のであります。 社會 主^が 民主ち f 我 そのもの であろ とする こと は^ょり^り である。 また 民 

主 主義. か sif まあ ものである とする こと もや.^ りで ある コ社$ ^一^と 民主 主 主義と は诀 して 同一 物で はない。 民主 主 

^と は 精 祌 であります J 社々 i2 ギ; 翁と は それの 一組 いであります。 デモクラシーの 一 組織と して 社會 主^なる もの 力 

存祁し えられる。 それ ゆ ゑに デモ クラシ ー を 排斥して 社 會.^ 義を 主張す ろと いふ こと は それ 自身に おいて 矛 M である 

丄 この 點を 溝し えられざる 人々 は、 その 人. か 如何よう の a によって 彼等 自身 を i 的に 巧みに 標榜す ると 



8 



i その 人々 は 決して デモ クラシ— I 解した もので なく、 .デ モク ラシ-を 理解せ すして 社會 主? 理解 するとい ふ 

こと は尙 ほ更ら 不可能の ことであります ヴヰル へ ルム *リ| ブ クネヒト は 次の やうに,, ^一../ ま ,>o 

クラ Ttl 特-」 政治的での でさい。 われ われ ま 單 lissssi さく.. 1 社 直 主 主 SI 

でめる: え 決して 忘れて なさい。 何と なれ 一" わ 社 直ず i 囊とは 分? ベ よで.?, と. -承 

知して ゐ るからで あろ。 

社 I 義. S に P1 霧で あると する ことの i であき とく: テ モク? rs に攻治 的の あで あると すき 

とも ま S くべき 謹であります。 ぎ クラシ— S に 政治的の ものであると する こと は 過去 四 分の ーラ- 「. ^にきる 

テモ クラ -r の is 化に ついて 一 siis 人々 であるに 過ぎない。 それでなければ. C クラ, ン i 攀 する ため 

の 戦術と しての I 言って き 人 さある に過ぎない。 さ 何れに. しても デ モク? ン I について 何等の f 羼も 

なレ 人々 である。 現代に おいての デモ クラシ I は 如何な I 代に おいての.. テ 1? ン 1 とも 異 f ので はない にして. 

も その デモ クラシ— か 現實の または 國 家に 要求す ると 二ろ は その 國家 またば 社 食の 狀憨 によって 異る もので まなくて 

はならない。 封室義 S ゆる 時 Lie クラシ I は それと 戰 はなくて はならぬ。 資本 主 清 榮ゅ4 に.. テモ クラシ,. 

はまた これと 戦はなくて はなら, 3。 それ I に 現代に おいての デモ クラ, rl め f ころ は 決して 獨り攻 治 的で よ 

なも 社 會的民 畫義こ I 代 を i する 民產義 である。 この 點は私 i 々繰返して きたと ころであります. グキ 

ン ヘレ ソなリ| ブク ネヒ.— 然り、 ベ ルンス タインの レウ斗 ジョニ ズムの if しての グま ヘルな リ I ブクネ 

ヒトは 次の やうに 述べます。 

肚直義 と 民主主義と は 同 5 ではない。 けれども 彼等 はた > 同一 なろ 基礎的 思想の 別個の 窘 であるに f ない。 …… 

民主 秦と伴 は ff 主義,, 裔の 社會秦 で.?。 丁廣直 S 伴 は f 民主 主 ま SIg 主秦? さとく。 _w 



9 



この^ 會 主義と 民主主義との 不可分の 關係 において 社會 民主主義が 存在し ます。 現代の 民主主義と はわれ 等の 愁す 

ると 慾 f f li や はら 民主 裏で あり、 それと tu® 代 S 社 富, き 社 直轰義 であります。 ィ 

リ I 敎 授に從 へば、 社會 民主主義と は、 社會 主義に 民主主義 を 加へ たもので ある。 ^その 一一 葉 は 決して 適當な 表現で 

はない。 社會 民主主義と は社會 主義と 民主主義との 不可分の 關係 において 成立す る ものであります。 從 つて 社會 主義 

から 民主主義 を 分離せ しめようと L る 運動 は 一 切 反社會 主義 的の ものであると 申さなくて はならない。 ビス マ I キア 

ン國 家社會 主義と は, 3 れ であります。 ビ ス マ ー キア ン國 家社會 主義 か 警察 國 家の 主張 または 暴に 慈善 袋で あると なさ 

れてゐ る こと は、 それが 民主主義 を 排斥す るかた めであります。 民主主義 を 排斥す る こと はまた 社 會主淺 を も 排斥す 

る ことで あり 李。 璧 II 斥して 社 If I す. ると いふ こと はありえない。 量囊皇 張す る ことによ 

つての み社會 主義 を 主張す る こと. かで きます。 これが 社會 民主主義の 主張であります U さう して 社會 主義の 主張で あ 

ります。 それ ゆ ゑに 社 "主義 を 主張す るた めに は 同時に 民主主義 を 主張す る ものでなくて はなら な, -— ^ 

v^c (Jmnpmlnlse, P. ごー 

②拙 「社 < ^"主, 毂と 民主主義」 笫 一 章 及第 八 章。 同上 一, テ モグラ シ、 講話」 參照 

? TK. carpenter. The IIea:i 一 ig of ヌ alio§, I ノ 54 

や; No c: ョ I 二. cmse, IMO 

is- R/T. J21 V, Socirv ぶ 3 ョ a-Kl Pocial Reform,!-. 85 

G 日本 SI 直 I のク。 一 Asi$i$^§L<. 5H 主義と は 凡 ろと 述べ 

て.? sii 兰 ISV 若し その 人が 民主 囊 S 斥-」 おい 5ils 逢す f e;- 冬れば そ 



§1 直 義はゲ 井 か < レ 1.",. フク ネ t トの所 家」 の 唐で あり、 gs 本 主 f まで,? 慈善 袋 的 

キ: 義 であるに 過 AT 、な いこ 

ととなる 

(四) 

國 家社會 義 または 社會 主義と 民主主義との 關係を 明らかにし、 さう して 社會 主義が 常に 民主主義 を 伴 ふ もので あ 

. 民主 裹 をまざる S 社會 I — ビス 了 牛 アン 讀社會 裏. か f 裏と 兩 立ので きない あで あると す 

る こと は、 必す しも 凡ての 國 家社會 主義が 社^主義と 兩 立ので きない ものである とする こと は、 必す しも 凡ての 國家 

,ゅ會主^^^か社會.^^と兩立のできなぃものとする, 3 とで はない。 この 點を 明らかにする ために は、 われ 等 は 進んで 化 

き 主義と 阔家、 社へ L- 民主 £ 義と國 家との 關^ に つ い て考 へ なくて はなら な 、,。 

(五) 

「芬働 者に は國 境がない」 S 

共產諮 舞の うちにお いて かう 述べられ てるます 。 また ® いて 次の T に 述べられ てるます,, 

「われ 等 は 彼等 (芬働 者) から 彼等 £ もたない もの を 取る こと はでき ない 0- 

1 J の共產 旦 首の 起草 者の 一 人で ある ヱンゲ ルス は 次の やうに 述べ ます。 

^家ば 疲 止される ので はない。 死滅す るので ある。 The Sa1eisit<<-b01ishel:,ltdi3 0-,t.§ 

これ s 點は 決してた > の 片言隻句で はない。 共産 if にと つても, また ェ ンゲ ルスの 立場に とっても、 極めて 

重要なる 部分であります。 然 らば 社會 主義 は 凡ての 國家を 否認す るの 主張で あるか。 國 家の 廢滅 は社會 主義の 理想で 



あるか 。この 點を 明らかにする 爲には 社へ ^±義 の^ 家觀 について 考 へて 見る 必要が あります 。一 勞傻 者に は國 境かない」 

とい ひ、 「國家 は 死 威す る」 とい ふ 意味に おいての. 國 家と は 如何なる 意味の 國家 であるか。 先づ共 產紫宣 貢に ついて 見 

ます 

政治的 權カは 一 つの 階效が 他の 階級^. M 迫す るた め- レ組战 された る權 力で あるに 通^ない。 S 

卽ち攻 治的權 力と はた ブ ル ジ ョ ァ 階級 か 他の 階級た る勞働 階級 を壓 迫す るた めの 組織で あるに 過ぎない と 申す の 

であります。 この 點を 一 匮 明白に して ゐ るの は エンゲルスであります。 彼れ は 次の やうに 述べます: 

また 近世の 圃 家はブ か ジョァ の 社會が 他の 侵入に 反對 して 資本家 的生產 方法の 外部 的狀 態.^ 支持す るた めの 組織で あろに 過 

ざない。 :: 近せ 力 ^家 は その 形の 如何 Li か、 はらす、 主として 資 14. 家の 機關、 资 本家の 國家、 全 國民资 本の 人格化で ある 

杏〕:: 古代の 國家 は奴隸 所有者と しての 市民階級の 國家 である。 中世に おいて は 封建?^ 候の 國家 でもる。 われ 等の 時代に お 

いて は 所有 階級の 國ハ 水で ある。 ハ 3, 

卽ち 近代の 函 家と は ブル ジ ョ アジ ィの國 家で あると いふので あります、 - 彼れ の反對 する 國 家と はこの や、 リな國 ^で 

あります。 この 點 において 社會 主義 荐の國 t 豕觀は 頗る 多くの 類似 點を 無攻府 主義者の 國家靦 との^に もってる る こと 

を 知ります。 g けれども 凡ての 國家 がみな ブル ジョ ァの國 家で あると なすこと は 素より 51 遠であります。 ェ ンゲ ルス 

もまた, 〕 の 點を承 して るます。 古代の 國家. か 奴 隸所冇 者と しての 市民階級の 國家 であり、 中世の 國 家が 封建 諸侯の 

1^ 家であった こと を 認めて ゐ るェ ンゲ ルス は 今日までの 世界に おいて ブル ジ ョ アジ ィの國 家に あらざる 國 家の 成立し 

たことの^ 實を 認めた もので あり、 從 つて ブル.. ショ アジ ィ 以外の 圃 家の 成立の 可能性 を 認めた もので あり、 また 從っ 

て 彼れ は國 家の 進化 を 承:^ i,^ てゐる ものであります。 旣に國 家の 進化 を 承^して ゐる とすれば、 その 進化 はやが てま 

^„ た 將來こ 期 寺され る ものでなくて はならない、〕 然 らば 何故に 國家は 死滅す る もの だとい ふので あるか。 ヱ ンゲ ルス か 



坊 1 豪に 對し 深い 僧惡 の 心 t つて 「最後に それ (霞) が薹に 鏖の社 ま 代表す る ことと なれば それ ま それ I を 

不必要の ものと する ので ある」 といって 詹 こと は. なる S であ f か 。「かくして 階級 反 I えこ 立てられ こ 

る 社 會は讓 を I とした ものであった。」 ェ ン ゲ ル ス はか ラ 述べ る。 管して また 次の やうに.,」 ベ ます。 

けれ f かくする こと (11 が權? $捤 すろ. こと) において、 それ (is, は?^ I としての それ n ま 磨し. 

凡ての 階級 的 I- S 反目ん 濃し、 さう して ま S 家と しての il 滅 すろ もので ぁ气 ハ 

然り, H ンゲ ルス I 减 すると 稱 する 阈家 と はな 謹と としての 讀、 ブル ジョァ の讓、 還の i としてり 

讓 であるに 過 ぎな い。 彼れ は 決して 凡ての 讓 I 滅 しょうと する ので はない、 な ブルば アジ ィの 霞、 階级 

的の 匿 を 謹しょう. とする までの ことであります。 この 點に I 主義と 無政府 崖との 區別| はって ゐ ます。 集 

返して いふ、 社會 主義 は 決して 凡ての 國家 を廢滅 せんとす る 主張で はない。 

ョ】 ist nJanifeHt:, (kerr editicu) P. 38 

51 ヒ iigels sccialiss; IHCPeau and Scieutific, ?.129 

eLcoussmst ManifeHtc, (kefr edilion) P.42 

巧 ngels, smlalisl=;IJtopean and Scieiilific* P.12M 

§:ibid., r-.12、 一 

. ゆ 「批評」 六月 號 拙稿 「無政府主義の 批判」 參照 

^kl^a- Sociali さ 1 Uiopean niid Scientific P.128 

, ii — ; :—,:g:., t i 



社會 主義の 拱 斥す る國家 はた >壓 迫の 機關 としての 國家、 一 階級の 機關 としての 國家 である。 從 つて それ は 凡ての 

國 家に 適用され る もので はない。 凡ての 國 家が 必然的に 階級 國家 でない 限り、 これ.. か 廢威を 主張す る こと は 社き 主義 

の 要求す る範菌 であると 申す こと はでき ない。 社會 主義 は 決して 國家を 否 11 する の 主張で はなく して 國家を 需要す る 

主張であります。 

「マ ルクスに 還れ」 

ソレル はこ、 フ 申して ゐ ます。 その 立場から サン, チカ リズム を 主張して ゐ ます。 けれども その マルクス は 共產黨 宣言 

のうちで 次の やうに 述べ てゐ ます。 

共 產黨の 直接の 目的 は 他の 勞锄 階級の 諸政 豫の それと 同 一 である。 卽ち勞 働 階級な 一 つ の 階敏に 組立て、 プ レ, ジョァ の 優越 

權,^ 轉 斑し、 勞働 者に ぶっての 政治的 權 力.^ 征服す る ことで ある。 山:: 勞働階 欲が 先づ 第一に 政治的 優越 權 なえなくて は 

ならない とすれば、 また 國民 中の 指導 的 階級と ならなくて はならない とすれ に、 更に また それ 自身.^ 國 民に 組緞 しなくて は 

ならない とすれば、 それ は その 點 において それ 自身 國民 的で ある、 プレ, ジョァ 流の 用語の 意味で にないが。 ゆ 

共產黨 宣言に おいて は, それ. か國家 を 必要と する ものである ことにつ いて 更に 次の や 5 に 述べて ゐ ま,^ 

勞働階级はブさ3ァ.>ィ§^.ら次第-」凡て奚まきとり、 凡 51 機 MVS 家? 支 If し v^l されな 

勞锄階 欲の 手に 集中す るた めに、 その 政治的 優越 權.^ 使用す るで あらう。 ゆ 

北ハ產 B 宜言 はまた 社會主 穀の實 行の ために 具ね 的の 要求 十ケ 絛を揭 ゆて そのうち において 社會 主義と 國 家との 岡 係 

を 次の やうに 規定して ゐ ます,' 

5、 國家突 本 uf* る國民 銀行 及び 獨 占の 手段に リ 國 家に 信用. "^翁 中す ろ こと。 

^ 6、 ^^通及び運轅の手段.^31家の手に集中マる:と。 



7 匯 家の 所有す る 工場 又び 生 產機關 の擴張 o g 

これによ つて 見ても、 マルクスの 社會 主義 か 決して a 家 を 否認す るの 主張で なくして 却って 國家 — 芬働 階級の^ 

家の 機能の 擴 大を耍 求して ゐる ものである ことか 益々 明白と なる 次第であります。 ヱンゲ ルス も 次のように 述べます 

勞働 階級 は政權 ,^0$ 握し、 さう して 生産 手段, ^〔水の 財 產に轉 ビ,. - める。^ 

ト. ゾ! m!"^ にギ ルド • ソ —シャ ルズム の 主張者と しての ベルト ランド • ラッセル かその E- 取 近の 著述のう. ちに おい Pi 

家社會主 義は t 、ルクス 及び H V ケル 7、 の 提議の 結果で ある A1 じて ゐる, ) と は 決し 5.f 不 當に歸 してる t の 

であると いふ こと はでき な、,。 

力 ゥ ツキ— もまた 政^の ii 占が 個人的 獨 占よりも 4^ 常に 利益の ある ものである, 】 と を 述べ てるます 7 

ri l(055=u:Bt manifesto, T-.30-1 

l.?、EngelH, sida-is 一一 1, Utopean aiid Scieiitiiic, P.l:.7 

95. ヨズ -sssll,l 、さ pcslnl KoaJs to Fre。dol=,iM7 

-の \Valling,S:ate Socialis ヨ, P.XXX\T# 照 

(七) 

われ 第 は 更に 進んで 社會 主義が 國 家に 對 して 賨 際に, g 何なる 態度 をと つ たかを 見なけ" ばなら ない。 先づ 一 八 七 〇 

年に 頻逸 の社會 民主 黨 はべに へ レん 提議に 從 つて 國家は その 掌中に 國土、 敎會領 の 土地, 自治領の 土地、 截山及 i 



道を收 めなくて はならない とい ふ 條項を 通過して, ます。 ラグ リオ ラ はこの 點を 攻擎 して 獨逸 社會 民主 黨は國 家 資本 

主義, の攻黨 であると 申して ゐ る位ゐ であります。 ^ゴ I タの 第一 一回 會議 において は 鐵道國 有.. か 主義と して 賛成 せらる 

きもので ある 二と を 宣言して ゐま す。 ヴ オル マァ は社會 民主主義. か國 有の 主義に 反 針すべき 理由の ない こと を 指摘し 

てゐ ます。 めヴ オル マァ の攻擎 者と しての カウ ツキ ィ もまた 森林 や. 水力 や、 道路^ 織 や、 舉校 なぞの 國家的 管理 を 

主張して ゐ ます。 S 「獨逸 帝 國議. ^3 における 社會 民主主義の 一 圑は絕 えす 藥劑の 國有を 主張して きた。 彼等 はまた 個 

人的 保險 組織に 對 する 攻^の 管理 を 主張した。 .:• 社會 民主 は國 家の 活動の 擴大を さう して 地方 的 獨占を 中央政府 

の獨 占に 移す ことのた めに 運 輪 事業に 千 渉した 、つ …… j 九 〇〇 年の マ ィ ン ッ の會讅 において 社會 民主 は 鐵道國 有に 

賛成した。」 £ かう いふ 事例 を列舉 すると 限りない ほど 澤山 にある。 また 試, みに 英國 について 見る。 英國 の社會 民主主義 

同盟 は 一 九 〇 六 年の 決議に おいて 鐵造、 船! 運 :!: の 國有を 主張して ゐ. ます。 獨立勞 働黨は 一九 一 1 年の 決議に おい 

て 彼等の 目的が 社會 主義の 國家を 組織す るに ある f J とケ宣 首して ゐ ます。 ソ ラ ンス における マルクス 派; 止 統社會 主ャ我 

者と しての ゲ I ドも. また フラン ス代 議院に おける 討論に おいて 生產 手段の 國ぉを 主張して ゐ ます。 _1 

出 Lablrla warl Marx. P.255 

^^walliug. S ate Socialism, P.HXXIII 

giLiJ., P.XXXIII 

ゆ i£. 

ゆ J.Guesde, Golleclivlar-l 




36 



力 L て 社 富 s 中流 は 決して 置 塞? るの 塞で なおみなら す, 主として S に 生擊段 直中す る こ 

との 主張であります。 卽ち製 的 〔または 公共 i 的) コレ クチ ヴキ ズム の 主張で ある こと を 知ります。 その 意味 は 素 

より 凡ての 社會 主義が 國 家の 手に 生産 を 集中す るの 主張で あると 申す ので はない 英國 における ギルド *ン| シャ リズ 

ム Guild Socialism の ごとき もの は 素より 地理: S 園體 に生產 手段の 支配 を 一 任す る ことに 反對 します。 フランスの サ 

ン.. チカ リズ 厶が顏 に反對 する もみで ある こと も 勿論であります。 けれどもえ 等 S 實は社 Is 中流. か讀圑 

體主 蒙 塞で ある ことの mf K 切 f ので はない。 從 つて |裹 は决 して 阈 家社宴 義に反 對すさ 主張で な 

いのみ ならす * 國 家社會 主義 I 眞實 なる 意味に おいての 國 家社會 主義 を 要求す る ものである こと を 認めなくて よな 

ならない。 ギ ル ド肇ソー シ ャ リズム の 主張者で あると 自ら 稱 して ゐる ベル トラ ン ド參ラ ッ セルで さへ ^瓦 新 や , 道路 や 

水 や、 闢稅 や、 軍隊 や 海軍の ごとき もの は 地理 的圑體 によって 支配 せらるべき ものである こと を 認めて ゐ ます。 g そ, 

れゅ ゑに 國家 社會 主義 を もって 社會 主義から 隔離す る 考方は 決して 社會 主義 を 理解して ゐる 人々 の 許す ところではな 

い また ステ— ト*ソ —シャ リズム を もって 常に 反動的^ ものであると 主張す る こと は、 眞實 なる 意味に おいての 國家 

社會 主義 を 理解して ゐる ものである とい ふこと はでき ない。 この こと を 理解す るた めに は、 國 家社會 主義と 稱 せられ 

る もののう ちに、 二つの 厳格なる 區別を 設ける ことが 肝要であります。 ビス マ I キア ン國 家社會 主義と さ 5 して 眞實 

なる 意味に おいての 國 冢社會 主義との 區 別が これであります ビス マ ー キア ン國 家社會 主義が 國 家社會 主義で なくし 

て國家 資本主義 である こと は旣 にこれ を 述べました。 何故に それが 國家 資本主義 であるか。 それが デモ クラシ— を排 

斥す るからで あります。 政治的 デモ クラシ ー を 排斥し 從 つて 產業的 デモ クラシ ー を も 排斥す る ことによって 國家 山手 

に生產 手段 を 集中す る こと は、 た > 國 家の 權 力の 擄大 であり、^, 迫の 镇大 であり、 ヱ クスブ ロイテ ー シ ヨン の擴大 であ 

り t ち 國家的 資本主義の 要求で あるに 過ぎない こと は旣に 述べた とほり であめ ます 眞實 なる 意味に おいての 國家 



社會 主, とま これと は 正反對 であります, - それ はデ モク ラ と 結合す る ものであります C 卽ちテ モク ラ シ ー の 行 は 

れる國 家の 手に 生產手 を ip^ 中す る ことによって する 社會主 や: 镡 II ステ ート,ソ —シャ リズであります 。それ ゆ ゑに ビ 

スマ ー キ アン 國 家社會 主義が ォ I トク ラシ— の耍 求で ある に 封して 眞實 なる 意味に お い ての 國 家社會 主義 はデ モ クラ 

シ ー、 然り攻 治 的, 社會的 * 產紫的 * 民主主義の 要求であります コ また 前者が 遂に 資本主義 そのもの であるに 封して 

後者 は社會 主義 そのものであります。 それ ゆ ゑに 獨逸 における 所謂 國家 社會 主義の 熱烈な ろ反對 としての ヴヰル へ ル 

ム* ゾ ー ブ クネヒト もまた デモ クラシ ー の 行 はれつ、 ある 瑞西 においての それ.. か 決して 獨逸 におけると 同 一 の もので 

はない こと を 承認せ ざる をえなかった のであります。 リ I ブ クネヒト は 次の やうに 述. へ ます。 

ゥ飞, 等は獨 逸に おいて、 他の 黨 派と 设携 しズ政 前の 局-, U おる ベ.^、 民主主義 的 扭錢. もたない。 瑞- 西に おいて は 政府 は 殆んど 

スノ^.. シ If の もので はない。 さう しズ人 KLii つて 選 まれた もので あろ。 州の 政^の 11 としての 會民 主黨員 は Ife 會 

議 における 社會 民主 黨 員と 殆 んど異 ると こる がない。 つて 瑞四 におけ ろ われ 等の 同僚 は躊罎 すると: るな ス殺物 ゃプラ 

ン ディ 政^の 獨占 事業と する、、 こに 投. a ポ する.: とがで きた。 :: フランスに おける 事情 も: 、(瑪 逸) におけると は 稍ゃ異 

る 。数年 前杜會 主義者 ゲ ヨウ レイ" 立法府に 穀物 賈買 についての 法案.^ 提出した 。それ は 外形に おいて は カー r ノ、 伯に よって 

IS 逸 帝 國議會 に投 出された ろ ものと 殆んど 選む ところな さほどの もので わる。 けれども內,赏の相^^?^は莫大な ものである。 S 

* 實 なる 意味に おいての 國 家社會 主義と 國家 資本 ゼ義 との 區別は ヴヰル ヘルム • リ— ブ クネヒト によって 旣に 承認 

さ てゐ たと ころであります。 今や 獨 逸の 革命と ともに ビス マ ー キア ン國家 社 會主穀 はこの 世界から 减 亡し 去った と 

、 ふこと. かで きます。 それ に も か はらす, 眞實 なる 意味に. おいての 國 家社會 主義 は社會 主義の 中流 をな しつ" あり 

ます。 £ 

^ ?;? Bprtrand Kusaell, propcsaa Boa- 一 s to Flldsn, P.XI 



e 一 v..rleb! ら pdif, No oo:-pro: 一 is-,p.43,4 

や、 の棄 L! おい 53 盆 直 s、i とし き? の ラ Ai. マグド t, ド で.? と 中す ことが??. す • 

彼れ の 著 寄と して は 左の^- おがあります。 

も acDona.d,soda 一 i8 ョ an I Goverii ョ St. 

SCO; a! IBS OB 1 Society 

Boo a sm aher the war 

B©c:Klst -Movement 

people 111 power 

, Social ia ョ To-day 

それ故に 真 實 なる 意味に おいての 國 家社會 主義と は 民主 主 殺 的 家 社.^ 曰 主 薪でなくて はならない。 從 つて ソ I シャ 

攀デ モク ラシ ー と 1 致す る ものでなくて はならない ことになります or 六月 十五 曰) 

^ほ 3 家 社^主義,^ 批判す. ろた めに はハ二 社^主^に おいての ^家とば 如何な ろ^ 家で あるか (二)^. 一水 社お 主義と ギかド • 

y ,シャ ,ズ A 及び サ ンゲカ リズムとの 闕 係,^ 述べなくて はならない が この 點は 他ウ 鼓,^." に 譲ります。 



過激 主義と 民主主義 g 



如何に 苦心 同情して t 路國 革命 を 研究す る 者 も 明確な ろボ 

ル シぅ ヒィキ 運動 及 綱領の 根柩 に^て ci^ る 道 S 的 又は 政治的 

の 偉大なる 想 又は 主義 を、 發兑 する- 一 苦しむ であら、 >c 

露國に 同情す ろ 者.. I ;;^ • 會主穀 者 は 11 皆必す や 此の 寬 

大なる批評の凰實ならむ15^-を欲するでぁらぅ。 其の 認容 か 

露國 歴史の 最も 不祥な ろ 部分 を 輝 やかし むる と 時に^ 際 

社會 主義 蓬 動 をば 其の^ づべき 非難より 免 かれしむ るので 

ある。 ^し 事實 は. e 斯き 理論と 全く 矛盾して 居る _o ボ ル シ 

: ヒィキ は 妥協 や 協調す る の 不可能なる 熱狂 的 理想 主裴 者に 

は 非す して、 當 初より 厳密な 枉け 得ざる 主 殺 を 嘲笑し 

て 居り 妥協 や 提携 や 政策 上應 ll^s 處 515- な 成す 事 限りなく, 

又斷 えす 政略 上の 功利に 依り 其の 立場な 變更 した。 彼等の 

真意と する 所 は- 他の 目的; i は 非す して 一 に繫 かって 「撤 

力の 支配」 にある、 彼等 は 極端の 臨機 應變 主義者で ある。 

i 彼. 等 は 政治 上 有益なる 場合に は 如 柯 なる 針會或 ひ は 民主的 



デョ ン • ス ハ ル ゴ ゥ 

主 を も 問 はす 放棄 すれ ども、 權カ 取得の 爲 めなら ば. 仇 

なる 專制; Ifi- 主 的なる 手, は, 主義、 計 SI を も 採用 < ^ノ ろに 躊路 

せぬ。 吾.々 は 過激 主穀 の標; 詰 をば 有名なる ネ —レ I スの il^ 

と解釋 する を 得る" 卽ち、 ー出來 得べ くむば 正直に 權カを 得 

よ、 然ら ざれば お 何なる 手-はに 侬るも 可な り」 と。 

勿 如 新き 判斷は 過激 主義に のみ 適用し 得る、 卽ち ボル 

シェビ < キと 他の, 蚍 會主穀 者と を 明確に 別つ 特別な 獨特の 手 

段 及 思想に のみに。 彼等 も 亦社會 主義者 や 革命 ま 員の.^ く 

或る 偉大な 理 %5 に 依り 激勵 せられて 居ろ と 云 ふ 事 は 首 を ま 

た ぬ 。 が 然し 過激, 派. か 全 べ針會 is: 一と 分離し 別個の 紫 派 を 形 

成せる, か 如く 根本的に 露國の 多くの 社會 主義者 とは異 つて 

居る。 此の 分離 を 起せし めしもの-一 そ、 過激 主義の 眞髓 

とすろ 所に じて 決して 一 般に懷 抱せられ て 居. U る理 では 

な い。 先づ 始めに 此の 极本的 is_?> 赏を 完全に 了解す るに 非す 

む は.. ボ .ル シ ュ ビ "ズム を 了解 す るは不 可 能 で あ る 



一 如何なる 樣牲に 依る も 獲得し、 無慈悲に 適用す る、 小数 

無産階級に 依る 支配 權は 革命運動の 明白なる 形式と しての 

過激 主義の 根本 刖 である。 勿論 過激派^: la 領は: 卜 $r ^な 誇 

りの 爲 めに 權カを 獲?,^ せむ とする ので は 無く 又 彼等 は大多 

数の 人が 吾人に 信ぜし めむ とする a^- 利己的なる 山師で は 無 

い。 彼等は深く誠^>^ょり社<^^:經濟上の自巾、 正^ 等の S 的 

は、 社會 民主主義に 據 るよりも 遙 かに 容易に 過激 卞: 義に侬 

り 獲得し 得べ しと 信じて 居た ので ある。 乍 然尙ほ 彼等の 抱 

懷 せる 所謂 社き の 理想な ろ もの は、 ボ ル シェ ビ,^ ズ ム に 少し 

も關與 せす、 と 云 ふ IeM 莨 は 依然として # 在して, る。 此等 

の 理想 は 社 曾 主義 的 理想で ある. - 過激 主^ は 明白なる 組織 

及 綱領で あり、 A ハの i« 髓 とする 所 は, 國家? 有產^ 級 や 軍 

人の 支配者が、 普通 無産階級に 爲 すと 同様なる 方法 を 以て、 

無産階級. か 社會の 他の 階級に 對し權 カを嚴 酷に 振 ふ 所に;:^ 

する ので ある、 過激 主義 は S 単に i^IU の 帝の 統治に 變 つた 

ものに 過ぎぬ. - 

此の 批評の 公正に して 正統なる^ は. ホ ル シ-- ビ.. キ自 から 

指示して 居る J 彼等 は 立? ssf の 掩護 者と しての 態度 を 取 

つて ケ レンス キ I 攻^に、 ャ!3^法制定<^§1:議の選舉をば速かに 

開會 せざる を 難 じた 3 然るに 彼^が 政 麻 の 支配 權を 常 握す 

る や!^ 1^ 法制 {も へ を ば 通延 なさ し め 、 隊 乃 に 依 り 



したで はない か。 彼等 は有產 階級の 野 蟹の j 形態と しての 

主要なる 罪 刑の 甚だしき 恐怖で あると して、 ケ レンス キ I 

が 重大なる 叛逆の 場合 3ef 隊 S に 於ての 死刑 復活に. 對し、 攻 

擎 した。 然るに も 拘らす 彼等が 實權を 振 ふに 及む で 民事 及 

政治犯に 對 して は 主要 刑罰 を 制定し 人民に 感銘せ しむる 手 

段と して 繙刑ゃ 笞刑を 制定した ではない か。 彼等 は 軍 嫁 を 

建設せ むとしたり 人に 戦 を 偏 動す るケ レンス キ I の 軍 國卞: 

義.^ 甚だしく 攻舉 した 然し 事實を 評すれば 彼等 以上に 却つ 

て 彼等 は徵 兵を賴 みとして 1:^ つた。 彼等 は亦ケ レンス キ ー 

及お の 同僚 をば 赁 4r 手 の自. H に 千 渉な す 事 を a めた が、 

然し 彼等が 寳權を 掌握す るに 及む では、 專制 制度 時代と 何 

等 揮ぶ 所 無き 方法 を 以て あらゆる 反 過激派の 新聞 ゃ會合 を 

厳禁し、 革命 以前の 秘密 方法に、 復活せ む 爲め社 < ^^や 圃 

鵂 を組娥 なすの 止むな きに 至らし めた」 

總て此 等の 事 否 此等以 h の惡き 事の 説 左 は 決定的の もの 

であり 疑問の 餘地 なきもの である。 其等 は 過激派 玫府 の:;?: i 

錄ゃ, 出版物ゃ國際針會主^^局に公報したる露西亞の大;« 

會 主義 .M の 報道の 中に 記載 せられて ほる。 彼等が 以上 述べ 

たる 如き ものに ある もせよ、 又た 無き にもせ よ、 ボ ル シ * 

ビ ィ キ が 、過激 主義 の心醉 者で ある 同情 家の 善き? に 評して ゐ 

る ごとくに ジ 3 ン、 ブラウン 0- • ウイリアム、 ロイド、 ガ リツ 



ン 型の 純粹な 理想 主?^ 者で 無い と 云 ふ 事 は 明か だ。 恐らく 

は 他日, 大 心瑶舉 者. か、 彼等が 嫌 厭 非難して る もの を爲 

し 居る にも 狗ら す、 却って 過激;^ * 義 を:^ むで 辯 護な さむと 

欲する 吾. か 同人の 心顆 狀能宁 ザ〕 • 明確なら しめむ とする 仕, 

に 若手す るで あらう" :;:::! 闽の 過激^ f 我に 味方み 〔ta す 如何な 

る 女ん 1 戧 際に 於て は、 牛和丄 我^で あり 又徵兵 反對論 

者で あるに も 拘ら す、 多くの 人 は 大抵 軍務に 對 して 少しも 

抵抗しなぃ從順な反|5;^^1者なるギか^3^り5;:るでぁらぅ,- 富 

際 彼等 は 手?: r 築, 說の. E 巾の カ强き 掩護^で ある。 

少数無政.:w卞^.•孜^ic:を除き彼ゃの大部は殆ど 一 般 的に 進な 

政治 「氏 主々^ の 王-吸 iic である. - 彼等 一般 多くの 人々 の? g に 

汴 I 尙な 精神 を 所^せ ろ 聰明な e;; 女が ぉ斯き 信念 を 支持し、 

あらゆる 者に 酷く 決然と 反對ぉ し 居る 過激 卞:^ 者 を "yll す 

る卞 か出来ろ であらう か。 乂. S 何に して. 米 利 加の 徴兵 

制 St 用 をば 倒し、 「11^ドぶ^.我は^::^米利加に於て死せり」と 

云 ふ!? をせ. U 味す る と稱し 、 儿の 口の 未だ 乾か、 ざるに 過激 主 

義 者に 侬り徴 ほ ハの强 制せ." れぉ ろ. ャ ぉ两亞 民お々^, の 誕生 を 

ば絕 叫す るが が出來 ようか, - 又. S 何に して 北米の 民主々 義 

か 選 樂の く不完 令: なりと 非難な す 一 ガ已に 獲得せ る! ej. 等 

の^ 舉權を 殊更ら 破. g せむ とする tsg! 亞の 人々 を赏^ した 

ま り 辯 護したり すろ^. か出来よ ラか。 如何にして 彼等 は戰 S- 



中に 出版 や 集會の 自由 を 要求し • 吾. か 米國に 於て 耐<- なけ 

れ ばなら なかった 樣な如 新き 制限 を 難す ると 同時 に, ザ I 

の 夫れ よりも 劣れる 方法 を 以て 出版 や 公衆の 會合を 禁應し 

て 居る、 等に 對し fi 任の ある 露国の 人々 を赏 接する 事が 

出來 やう か。 一 般 急進 精 祌には 論理的 批判力が 無い ので あ 

らう か。 又 結 21! 過激 主義 を 新く の 如くに 仕上け、 又 あら ゆ 

る 反抗 示威 連動に 專心從 おしてお る 人々 は、 暴動の 刺戟 を 

必要と すろ S 単純な 躁<_.) な定 りなき 精神の 所有者で あると 云 

ひ 得る 苦, か あらう か、 乂 幾何の 者 か 性的^ や 宗效的 迷信 

や 同? :2 な li- 因に 依り 惹起され たる 輕微 の神經 衰弱の 捲牲と 

な つたで あら 5 か" 



過激 主義者の 統治 は 恐怖 時代と して 始められた、 吾人 は、 

特別の 狀您 にあった ベ トロ * グラ I にに 夫れ. か 課せられた 

る. か 如く、 他の やお M 民の.^ にも 容易に 課せられ たと 思 ふや 

うな 誤 IS に陷 人って はならない。 ぺ ト 口. グラ I ドに 於て は- 

此の ク I デタ I が 殆ど 血 を 見る I なく 容易に 實行 せられた 

. の は、 多大の 報酬 樊 約の 締結せられ たる、 守備隊よりの 派 

遺い 卓、 ブ レヲブ ラ.. チ" ンスキ 、と モミ ョノ フス キ* ィ聯 お及び 

波 級 艦隊よりの 派遣軍 等の 應 馁に侬 りたる が 故で ある。 然 



I- 一 し 他の 多くの 所に あって は 過激 主義 # の 統治 は^ 伐な、 g 

慄せ しむる 檨な 手^で 行 はれ、 決して. 新き 溫 和なる 方法 

に 依り 行 はれた もので は 無い。 例へば サ ラト フに 於て 遂行 

せられた る反對 革命の 過激 主義に 對 して 行 はれた る 方法の メ 

叙述が 此處 にあろ。 ^ 

ク てれ は 革命運動に 永らく 貢 獻し、 「自巾 露西亞 各人の 友な 一 

り」 との^^稱を得たる斯の有名な* 露圃 革命家 インチ, ラ ; 

キト ニコ フが {霞 際に 目蔡 した 有力な 叙述で ある。 ; 

「^處 に 如何に 過激. 義 者の ク 1 デ. タ,' がサ ラトフ に 於て 1 了 ;- 

. はれた るか 次の やうに. 記述し ズ あろ。 私しば 此 等の 審赏, ^親し \ 

く nrif した サ ラトフば 一 大大. お:: であり 知識の 中心であって 多 

くの 學校ゃ 岡赛 粉 や 市 1^ の 知的 向上.^ 岡ら むが ほめの 種々 なる 

<1〔 力 あ る 。 サ ラトフの 州會 ば .0^ に 於て 2;;^ も 善き 一 つで もる 

社會本 < ^黨に 依 リ数ギ 問社會 革命. 義の宣 博の 行 はれ リし事 

とて、 此 地方の CA:^ ば廣 く覺- 版し 好く, 粗 織せられ て る。 市政 

常 局 者 及 ひ 艇ぉ麥 員 は 社 會キ: 義 者より 成立して 居た。 件-民 は 能 

動的に 憲 制定 會 1^1 に對 する 選^の 準備,^ なし 候 他者 名 嫁.,^ に 

編み候^^|-簿^^^.^^究すると同時に 各波の綱領ん」„-,考究して3^ 

た。 十:::: 二十 八 口、 (歐. 种十 一 月 十::!) の 夜。 へト n ダラ,' ドょリ 

の 命令に 依 リャ" ^ シ ラヒィ キのク ,デタ ,が サ ラトフ じ 勃發し 

た。 多くの 人 RLi とって は 未知の cir 備 丘ハ、 老弱な^ 働 者の 關體。 ;. 

そし ズ其の 指 抓 者の 能力ば,^、 れ まで 市の 公 北ハ的 小. 活に 何等の ^ 

務 も 有せ ざリ し、 ぁろ知!r階級^^;;人々等が軍隊としズ其の道 

具と なっ^ので あろ。 事更 其れ は 軍隊の ク, デタ. 'であった。 



平等、 ^^-接..' 秘密の 齊通, #舉 に 依 リ^ 舉 せられた ろ 社 <^::ホ; 義者 

の:: る 市 公 今-: 黨は、 軍人に 依リ包 1: せられ、 椅關 銃の 砲列 は 前 

而に 敷かれ 砲賴ば 開始せられ た。 砲擎は 終夜 辯いた、 或る は 

傷き 或る * は 殺され 市の 裁判せ は. 逮捕せ、 いれた。 やがて^, な 

く 宣言 窨は嚴 かに 發. 茨せられ-. ^m^u> 「國 民の 敞,、 「反 iE- 命 論 

者」 は顕: 俊せられ サ ラトフ の.|十..^!|は勞働者;^- に 兵^.,^ 代表 ぱ ス- 

勞兵會 の 掌中に 歸 しつ、 ある、 と吿 げられ た。」 

當路者 の ® 覆 せ られ而 し て 過激 主義者. か 赤^ や 他の;::' 

法に 侬 り 彼等の 權カを 確立 し 得る 地位に 立つ や、 直ち こ ゆ 

等 は蔡扉 制 政治に 知られ 居た る あらゆる 避 制 や 暴應の 手段 

に侬賴 する に 至った つ 彼等 は 社 會黨中 彼等に 反對 する 黨の 

新 間.^ 禁止し 叉 或る 場合に は 器械の 設備 を 沒收し 記者み 改 

逐 し- 等自 からの 新 間と なした. - 暴動の 数日 前に ラボ— 

キ—、 プットに 於て 發 行した る 「戰 友に」 の 中に 於て レ— 二 

ンは、 ケ レンス キ— が 出版 及び 集 會の自 を 支持して 居た 

と 云 ふ 事 を 止 n 白して 居る。 其の 文章 はケレ ン ス. キ— 治下に 

關 する 報知の 爲め のみ ならす 過激. 義を 判 斷 し^る 標準た 

らしむ るが 故に 引用す るの 慣値 み」. jl^ して 居る。 レ— ニン ま 

次の. g く甞. いて 居る。 

〔お: 逸ゾは ^> 一人の リ.' ァ クネ ; J ト^ 有? J おる のみに しズ 新 

閒 紙 ^ 無 ければ 會 合の. E .S ij 無 く又委 g! <fl?.- 無い。 彼等 は國民 

の あリと あら ゆろ K "褒の 百姓, か 含む 階級 卽ち 非常に 國 結の g^Ei: 

なる 有産階級の 帝國 主義者 も 含む で 居る が、 此 等の 階級の 激 Si 



なる 敵意 冒し ズ、 働 さ 佝ほ投 亂に乘 じて 何審か 起さむ として 

然 かるに 吾^ は、 数十の 新聞紙、 會 合の 自山, ^有し、 大 

多数 > 委 負な" , か 有し 又無^ 附級 W 際 ギ-義 者 屮最 t の 地位ん、 占め 

て:! W る、 如何にして!^^:!等は擾亂^^^ぉ^起乜むとして居る獨逸の革 

命 論者 加擔なす寧.^l^-絕すろ.^iwゃぅかo」 

一 千 九 百 十七 年 十 一 月に、 ケ レンス キ ー 政府に 反して 化 4 

命. 投亂 かま 起す る爲め に MK 人 を 必要と したの は ,お 逸 の 社 

會 4^- 華: 者で はなく. 一 方に 於て レ 1 二 ンが 嘲笑した る社會 

主 翁^の 多くで おり、 他方に 於て は》 一 逸 S 參 本部で あ つ 

たと云ふ^^は全くの些事でぁる。 而 して 重大な 所 はケレ ン 

スキ ー 女 麻り 治下に あって ボル シ- ビイキ を 4 口む 露國 の 勞働 

者 は 「總 ての 無産階級 國際 主義者 中 最も 養き 地位 を 占めて 

居り」 「數 十の 新聞紙 又は 會 合の 自. B が ある」 と 云 ふ 事をレ 

1 二 ンが 承認して 居る 一 事で ある。 

過激 主籙者 反革命の 起てる 數日 前に レ— ニン 自身.、 力 如 断 

きもの を 書き 乍ら、 ケ レン スキ ー 攻 府の國 民の 自巾を 抑, m 

なすと 云 ふ 事が、 過激お 魏の. 投亂を 起す 道大な 原因な りと 

まどうした と 云 ふ 事な の. た。 ケ レ ン スキ ー の 寛容と 扣對立 

して 過激お 雜 者の 利己的 方法 は 際立って 强ぃ對 ^を 

爲 して るコ 多くの 反:? に 激派社 會卞. 報の 機^ は 抑 勝せられ、 

a 激 派お 局の 忌避に 觸る. -新閒 は 停止せられ、 發 行せ る 新 

お 一 閎は 全部 沒收 せられ 記者 は に投 せられ 全く 帝攻 時代と 同 



である。 社會 革命 電" は 日々 異 りたる 名 稱の下 に異 りたる 

場所 に 彼等 の 新閒を 發 行す る の 必要に ^^」 られ た。 

ti! に叉ィ ンナ, ラ キト ニコ フの國 際 社會主 義; Imi 報ぜ 

る 公報り 中に H、 の證 左と なるべき もの.. 力 ある。 

「反 過激派の 新 n は總て 康. . ^られ 又檢^ せられ ふ 地方 に 送達 

すべさ 方法^ 皆; はれ ズし まった" 彼 等の 編 局 や 印刷工 場 は 

おおおせられた。 ^命 裁判所.^ 创 立して,^ リ後は 過激派の 忌避に 

瞬ろ x 論文. ^霜け る 一お ii で 者 拉-レ 其の 支配人.^. せ 判し、 修正.^ 

宣告せ られ^ら ざれば 投獄 或 ひ は 其の 他の 方法に 虚して しまつ 

無数の- 站物 は絕 えす 掠楚 された。 赤衞 軍が 捜索に 來リ 書 

類,^ 破 葉し、 S 々^物 中に あった 物 は 失 はれた〕 かく ズが レ^ 

ナ.' や 街 二十 七桥の 社會 革命 黨屮央 委捷 命" の 家具 や C リイ ティー 1 

ャ i& 一一 十二 二番の ディ H 口、 古ダ紙 や^ レ, ャ、 ナロダ 紙の 事務所 

は 数お 掠 .4-.^ 被む つ た。 然し 中央 委晨會 は 毎 = 新聞の 發 行.^ 繼 

一 懷し 帝政 時代の 如く 口々 名 稱.^ 變更 して 其の 宣 傳., ど績 けた。」 

イン ナ、 ラ キト 二 コ フの 云へ る ヴ.^ ルャ、 ナロダ 紙 は社會 

革命 黨の機 n 紙であって 数度 壟擊 せられた。 例ぺは 一千 九 

, 百 十八 年 一 月 裁の 首領の 報す る 所に 侬れば 過激派 赤衞 軍よ 

り 派遣せられ たる 一 隊. か該 紙の 事務所に 隠 人し 種々 の 掠^ 

したる 後 数人 を 柳 縛した と ある、 ( 一 千 九 百 十八 年 一 月 三十 

一 口 倫欤ジ V ステ ス)、 又 他に 社會ホ i 教 ss^ 左が ある。 

(つ > く 節. Sii 譯) 



(社 # 主穀, 無政府主義、 サン ヂカ リズム の 批判) 



こ、 に譯 出す ろ ものば 今:: :±; 界の 思想界の 驚 wi; とせられて ゐろ 

ベ;^ トラ ンド ラッセ か のお 新 i^(pr-) 一一 OS つ d R::: 一 to Fr- さ ー<ョ1: 一 

SCC1; 一 .13111, .\l】atc 一- ism, s.vnllca 一 一?-) の llt^^l であ リ ますつ . 

人 問 か 今日まで; 在して きた やうな 破壊的 さ、 フ して 慘 忍へ 

な 混亂の 社,^" よりも もっと 苦き 人 Si の社會 の 秩序 を 空想的; 

に考 へ ろ 企 は 決して 近 はに なって からの f 】 とで はない。 

くと も それ は 爾投の 哲舉^ に 手本 を 示した ブラ トウの 「共 j 

和國」 からの ことで ある- if や) の 光 を もって この 世界 や: 

眺める もの は, 彼れ の 求む る もの.. h 智力で あらう と、 藝術ー 

であらう と、 愛で あらう と、 或は sa- に 幸福と いふ ことで あ 

らうと、 または これ 等の てで あらう と • 人々 が 無用に 續 

けて ゆく 害 恶のラ ちに 大 なる 悲しみ を 感じなくて て はなら; 

ぬコ さう して -—| ^し 彼れ か 勢力 あり ェ ネル ギ —に 満ちて • 



ベ ル卜ラ ン ド, ラ ッ セル 

るる 人で あると すれば 11 人々 をして その 創造的 幻想 を靈 

感せ しむる 善の 實現 せんとす る 熱 切なる 願望 を 抱かし める 

に 至らなくて はならぬ。 この 願望 こそ 社會 主^ や 無政府 主 

幾の 先 騙 者 を 動かした J|f 初の 力であった のであります。 こ 

の點 においても 何も 新ら しい こと はない。 社會 主義 や 無 政 

.^ 主.. 一 我に ついて 新ら しい こと は そ の ft- 恋 か 現在の 人々 の慘 

苦に 密接な 關係を もって ゐる ことで ある d その 人々 の慘苦 

か^ 獨 な 墨 者の 希望 をして お 力なる 攻 治運勳 たらしむ るに 

至った ものである :;^ 會芏^ 及び 無攻府 主義 を重耍 な もの 

とする に 至らた の はこの 點 である。 さう して これ 等の もの 

か 現 布の 社會的 秩序のう へに * 自覺的 或は 無自覺 的に 榮ぇ 

てみ る 人々 に、 危險を 感ぜし める に 至った の も f ,1 の點 であ 



大多数の 人々 は 平 i.- の 52" に は 彼等の 狀您 もまた 全體の 

^界 の狀您 をん 索し 批評す ろ, - となく して 過き 去る むの 

である。 彼 ^せ は 彼等. IE 身.. か 社 AIM の あろ 部分 に^れた- 】 と を 

知り さう して 現在の 接の 要求と いふ ことのほかに は 何 ご 

と を も考へ る ことの 努力 を もしないで その 日/、 の與へ る 

もの を 受取って ゐ るので ある。 殆んど 野に ある 獸の ごとく 

に 本能 的に、 多くの 先き の考 もな く、 また 充分な 努力 をな 

せば 彼等の 體が變 化し 得られる ものである とい ふこと も 

考 へる ことなしに、 瞬 問 的の 必要に 満足 を 求めて ゆく ので 

ある。 ある 種の 人達 だけ は 個人的 野心に 動され て 索 や 願 

望に ついての 努力 を もす ろし, また それが 必然的に 彼等 を 

して 社 4d のうちに おける もっと^ 福な. のとな すに 至る も 

ので ある。 けれども 等 とても その 自らの ために 求める 利 

^を 全 體 の 社 < ^"の た めに」 壯:.€ Q に .r 人って 考る ものに 至つ 

て は 殆んど If であろ, 彼 n 身の 屮: 活に 如何なる n 係 をお よ 

ほそう とん 多^^ 人 々か、 宵. れ) と苦惱 とのた めに yi ぶべ 力 

らざ る狀能 5 にお かれて ゐ るの をみ て 人顿 仝 .體 のために 愛 

を もってみ ろ もの は 殆んど 稀で あり-一二,: 例外的の 人々 であ 

るに すきない。 , )れ 等の 4 ノ數の 人々 は CliS 的 S 苦惱 にから 

れ、 初めは 和つ し 後 は 行動に よって 現在に おける よりも 人 

生が より yv、ir33 かにな り、 もっと:^. おに 満ち っ^- „G.-.W の少 



なき 新社會 制度 を 求める に 至る のであります。 けれども ?» 一 

去に おいて は、 】 れ 等の 人々 は 刖 として 彼等の 救 はん LJ 

した 害 r この 害&: •) の 犠牲と なった 人々 に對 して 何もの を 

も與 へる こと はでき なかった。 けれども 敎 宵の, 及; 

と tr 力 働 階級^ 問に おける 快 架の 標準の 向上と によって 近代 

の 世界に おいて はこ;: 等の 急進的の 改造に 對 して 以前より 

もお 利な 新狀 您を產 む, 】 ととな つて ゐ ます。 就中、 一の 要求 一 

の if 表 者と なった もの は社會 主義者 であります。 

社 < ^"主義 及び 無政府主義 はよ き社會 に對 する 理想 を もつ 

廣汎 なる 平民 運動の 結合であります。 、 〕れ ,の 理 想 は- 

取 初 は孤獨 なる 著述家に よって Si き 出され さう して C 力 働 階 

級のお 力なろ 部分に^ 界の資 際 的の 問 超に おける 彼等の 指 

導と して 受 とられろ、 ) ととな つて ゐ ます。 社 !:. 我に つい 

て はこの 點は 明白であります。 けれども 無 政」: W 卞-義 につい 

て は あろ 絛 件に おいての み眞 In である,^ 無 政 麻^ は そ れー 

C 身と して It 及 さ れた信 條で はなかった。 そ れか人 0- や 得 j 

たの はサ ン. チチ リズム の あろ 形に おいでの みであった サ 

ン ダカ リズム は, 社^ 主;^^ やき 政 麻^ 義 とけ 違って 曰 3 初 は! 

£.ぉ§の1^£1-ではなく肌^|の結杲として產れたものでぁる。 - 

せ. 力 働 組合の 飢織か S. ぬ 初に 產れ, さう して サ ン. チカ リズ ムの i 

ヶ. か 進歩し. U フ ラ シ ス?? ガ働 組へ n の 帝 5:5^ において- ) の 組織: 



適用 せらる-ものと なった ものであります。 けれども こ 

G とし て 無 政. S jf: 殺 から^じ、 さう して この 思 相- 5 

V フ けて ゐろ人 々は 大部分 無玫 主穀 ; である。 新く して 

われ 等 は 過去の 不安 全なる^ 活の もとにお けろ 孤獨的 個人 

の 無 政 卞: 義に對 して サ ン, チカ リズ ムを 市場に おけろ 無 政 

府主 と 巾す f j と. かで きます。 、 J の ETi をと ると き は 無 政 

府卞 義的サ ン, チカ リズ ム に-ついても われ 等 は 社. 1, .31 におけ 

ろご どく, - ) れを理 お. 5 と 紺!! の 合で あると. 了 J とかで 

きます。 

社會主 袋と 無 政 卞: 袋と は その 近^的の 形に おいて は 第 

1 回闺際 社へ の 分裂に おいて 極度の 戰ひ をな ヒた マ ル ク 

ス 及び バ ク ー 二 ンの 一 一人の 立 役者から 發 生した もので あり 

ます。 われ 等 はこの 二人に ついての 研究から はじめます。 

初めは かれ 等の 主張に ついて、 後 はかれ 等の 築き または B 城 

感 させた iSSS について。 從 つて われ 等 はもつ と 近代に おけ 

る社會 主義の 蔓延に ついて、 また サン ,チカ リズムに ついて. 

および その フランス の 外にお ける 或 種の 運;^ tl ァ メリ 力 

における Trww、 英 における ギルド 攀ソー シャ リズムに 

ついても 研究し なくて はならぬ。 この 歴史的の 研究から 出 

發 して 未来に おけろ 切, m した 諸! 11^ の 考究 をな しさう して 

社會 主義 の 目的. か 達 せられる こ とが 幸福で あ る か 無政府 主 



^の 目的が 達せられ る - 一 と. か 幸福で あ る か を 批判す るで あ 

らう 

私の 考へ では 純^な Mi 政府 主義 は 現在に おいて は 

-,. ^可能で ありし さう しても しそれ が 一 用 されても 一 一 一年 以 

上 は II 持 さ れる ことかないで あらう。 マ ル クス派 社 1:.ff-al 

および サ ン. デカ リズ ムも また 最も 實れ 的な^ であると は 

リ むはない。 おそらく は マ ルクス 派社會 主ャ:我 は國 {7 ぶに 針して 

^りに 多くの 權 力ん- 與へ る ことと なる であらう。 また 國家 

を廢: する、 J と を 目的と する サ ン . 、チカ リズム は 別 の屮產 

團體の競爭みュ怜止する ために中央權^^を界造するのほかな 

き、 J とみ-知 るで あら-入" 私の 考案で は ギ ル ド*ソー シ ャ リ 

ズ ムが E;^ も實行 的で あると 甲 はれる" それ は 諸 民族の 問に 

聯合. か 獎勵さ ひると 同じ 理由で 諸ト レ ー ヅの 問に 聯合の 組 

織を當 て ilS める ことによって 國家 社會主 f: 我 者の 要求に もま 

たサ ン - チカ リ ス ム の iK 豕に 封す る 恐怖に も 通づろ もので あ 

る 



進歩的 運動の 指導 荠 等が 一 般に異 《おなる „ ^利己的な 人人 一 

であろ こと は 彼等の gr」 歴を考 へる ことによって 明白で あ 一 

る。 彼等 は大 なる 權 力の 地位に ある 人と 同じく 有爲ぉ 能の- 

人物で あるに か 、はらす、 彼等 は^ 事 問 S> の 煽 励 者と はな 一 



らす、 また 富 を も 造らす、 ,ての 同時代の 人々 の 多数の 喝采 

をラ けよう. ともしない。 それ 等の 報^ をう ける 能力の ある 

人々、 また それ をう ける 人達と 同じ やうに 艱難な 働きみ- 匚 

てゐる 人々、 さ i して 自ら 好んで/ } れ 等の もの をう ける こ 

との 不可能の 地位 を §3 んでゐ る 人々、 これ 等の 人々 は單に 

その 一 個人の?. 達と いふ, j とよりも もっとより 以上なる 人 

生に ついての 目的 を もってる る ものと 判斷 しなくて はなら 

ない。 縱令 利己的な ものが 交人して ゐる にしても、 彼等の 

基礎的 の;^. 機 は 利己 以外の もので な くて はならぬ d 社會主 

義ゃ 無攻府 主義 ゃサ ン., チカ リズムの 先 考-透 は 大部分 牢獄 

に投 せられ、 追放の 刑に 處 せられ、 tll^ ノ贫 困の 生活 を 送る 

こと を 自ら 進んで うけた もので あろ.. 河と なれば その プ 口 

パ 力 ン ダを 止めなかった ためで ある。 さう して この 行動に 

よって 彼等 を-強 感さ せ た 願望が 彼等 自身 のた めでな くして 

人類の ためであった ことが 證據 立てられて るるので ある。 

それに も か 、はらす、 彼等の:^^,话の^^,底を決定させるも. 

の, か 人類の 幸福と いふ ことで ある. にか、 はらす、 彼等の 演 

まや 文举の 末に は、 ^Tfo: .) とい ふこと. か 愛と いふ ことよりも 

著で ある。 忍耐 强き 理想家 は、 に 彼れ かこの ゆ 界に幸 

福 ケ齋ら さんと 努めて ゐ ろ 時に f ぬ:: 反對と 失望との 爲 

f めに 愤惡の 念 を 起す ことと なろ ので ある。 彼れ の 機 か 純 



梓で あれば ある ほど, また 彼れ の 福音 か t, 實 であれば ある 

ほど、 彼;: が 反對に 遭った 時には、 彼れ の 憤 ii^ は 一 歷大 き 

くなる ものである。 彼等 は 時には 群衆の 冷淡に 對 しても ま 

た現狀 維持^ 者の 强き 反對に 遭った 1^ においても 哲學者 的 

の 忍耐 S 態度 を 示す こと. か ある," けれども 彼れ.. かどうして 

も 勘忍す る こと. かで きないの は、 社 {l" の改; ;. について 彼れ 

自身と pi じ 希望 を 表明しながら この 目的み 一達す るに 同 j の 

方法 を とらな い 人々 に つ いてで ある. - 彼れ の 信念の ために 

§ を 排斥 せ し む る に 至 る そ の 深い 信仰. か 、 彼れ をして、 

そ れ を ffi 否す る 人達. h 正直で あり • また その 目的に 裏切 

つて ゐる、 ある 卑しき 動機に よって 動いて ゐる ものである 

とする の 信念 をして. 叫 確なら しむ.^ に 至る ので ある。 それ 

からして 分派 か 生れる 。 

急進的 の 改革者が 何故 に 並: E 通 の 人々 によって 誤解され 

るかの 理由 は、 彼等. か 現在 の 社會を それの 組織に 敵 や」 もつ 

て 外部から 觀 察する からで ある. - 彼等の, 大部分 は その 隣人 

よりも 人 問の 性質 のうちに 善良な もの 》 存在す る ことみ 信 

じて ゐ る もので ふるにしても、 彼等 は 現在の 社 制度から 

生す る慘 酷と,: 川 一 害と について よく tHS して ゐ るので あろ。 

多くの 人々 は 本能 的に 全く 遠った 行爲の を も つてる 

る。 二 つ は 彼等の 縦 係す る 人々 を 伴侶と し. * 同僚と し, 友 



んー 人と し、 或は また 群衆 中の 一員と して 考 へる ことで あり、 

_ 他の 一 つ は 彼等の il 係す る 人々 を敏 人と して、 或は 社會に 

對 する 危險 として 取扱 ふこと である。 急進的の 改ぉ ;. 者 は 彼 

等の 注意 を 後 *1 の 階級、 群泶か la 感ケ 抱く 階級の 行動に 第 

中す る。 - 3 の 階級 は 勿 ii^ 爭 上の 敝. または 罪人 を も 含む。 

主として 自己の 特權 と安金 とのた めに 現在の 秩序 を 維持せ 

んと考 へて ゐ, る 人々 の 心:,; は、 そわ は 政治的 または 經濟的 

の 大變化 を 張す る 凡ての 人、 または その 贫困 やその 他の 

理. a によって 危險 なる 程度の 不満足 を 感じて ゐる 凡ての 階 

級 を 包んで ゐ, ます。 。 

階級 戰爭 は國民 問の 爭の ごとく 相互に 眞 I 莨なる ものと 

眞寶 ならざる ものと を 含んで ゐる。 交戟 中の 國 家の 市民 は、 

彼れ がその 自國 民に ついて 考 へて ゐる 時に、 彼等 を その 知 

れる 人と して、 友人と して、 诚 として、 さう いった 扱 方 

をす る ものである。 彼に とって は 全體 として それ 等の もの 

か 親切な 溫 和な 人民と して 見える。 けれども その 敵國 人に 

對 して は その 反 對の考 方 をす る ものである。 革命的 

貸 ^勞働 者の 立場から S 本家 を 見る こと も, ) れ であるく 彼 

等 は 資本家に 對 して は 非難 好きで ありまた 誤った 判斷 をな 

す ものである 何と なれば 彼等の 見解の 基く ところ は 彼れ が 

知らない, r こまた は習惯 的に 無 關 係で ゐ ると- 3 ろに 立って 



ゐ るからで ある。 けれども 外部からの 見解 は內 部からの 見 

解と 同じく * 现 である。 完伞; な&理 のために は祁 方が 必要 

である。 外部 か ら の 見解 を,; 調す る 社會卞 : 義者は 非難 好 き 

ではない。 けれどん 資本主義が 彼等のう へ に 課する 無用な 

る悲 情の 狀況 のために 狂 M となって ゐ ます. - 

私 は 讀 者 をし て 私の これ か ら 研究し ようとす る 運動が 如 

何に 慯 ましい もので あり、 また 憎む.. へ きもので あるに して 

も それ, か S ましい、 〕 と でもな く 憎むべき f 】 とで もな く 却 

て そ S 本源に おいて 愛で ある、 :- と を 知らし める ために、 私 

のこの 研究の 初めに これ 等の 點 についての 總括 的の 考究 を 

なした ので ある (室 伏 生 抄譯) 



社お:: 主義と 民主主義, 

社會 生義と は 民主主義の 一 組 総で ある 11 著者 室 伏 高 信 氏 は、、 

うい ふ 立場から 本赛 甞 いて ゐま す。 社众" 主義 * 民主 ホ; 義 または 

: の 二つの... - のの 關係 科學 的&』 的に 知らう とす ろ... - のに 本窨 

, ^獎 める こと,^ うる は 「批評」 の 喜と す ると ころで ある。 (批評 社發 

行) 



心と 心の 結合 



M 君 —— 

ま た 返 屈な 梅雨期. か 近づ いて 來る。 此の 手紙が 活字に な 

ろ 頃に は、 君 も 僕 も、 あの 堪らない 慵 さに、 閉ぢ こめられ 

て 居る の だら う。 本統 にい やな 氣. かする。 

全く、 堪らなく 慵ぃ 生活 だ。 咋日も 里 見 君 に會 つた 時 

に、 彼 もさう 言って 居た、 「何 か 本 統に而 白い こと はない か 

ねえ」 と、 二人 は 同じ や、 スに 一一 一一 I& 合った の だ。 里 見の やう 

なお 41- 持 も 憶が つて 居る し、 僕の やうな 貧乏人 も 矢張り 爐 

さに 惱んで 居る。 して 見る と、 この 憶 さは、 人 Si の 貧富 を 

超越して 居る ものら しいし、 ,また, その 人の: e.- 活の 急. かし 

いか 急. かしくな いかにも 超越して 居る ものら しい。 急. かし 

い と 言 へ ば、 僕. た つて 可な り 急がし い 化, 活か-し て E ^るの-た 

からね。 

が、 今 こんな 泣き 11!!!: を 首って 居た つてしょう がない。 兎 

^ に 角 僕 かう した 慵ぃ 魔を拂 ふやうな 心特 で、 近 久し 



く 行った ことのない 音樂會 と 云 ふ ものに 行って 見た。 それ 

は 君 も、 多分 新聞の 廣吿か 何 かで 知って 居た だら う。 あの 

ビア スト 口, ミロ ヴヰ ッケ、 メ-ゼ ン マ ン 夫人の 三人の is 奏 

會だ。 映 奏會は 三日 であった が、 僕 は 二日し か 行けな か 

つた。 

なるほど、 ビア スト 口と 云 ふ 人 は、 世界で 幾人 》v かし か 

居ない ヴ アイ オリ スト だと、 眞 面目な 專門 家に 評されて 居 

る だけに、 全く 驚歎すべき 藝術家 だと 思った。 私は實 際、 

全身に 汗 を覺ぇ る や うな 心 持で 、 終始 彼の 演 突に 惹 きつけ 

られて S た。 -I 口、 ゥヰ ツチと 云 ふ 人の ビ ァ ノも 立派な もの 

だ さ 、 フだが 、 何 分 石汕錯 でも 叩いて る やうな 音ん 出る ひ 

どい ビア ノ なので、 とても 聞いて 居られない 氣 がした、 た 

だ、 三日 目に 彈 いた ポロ.、 チンの At Convent だけ は、 石讪 

錯を 超越して、 私の 心に:? にって 來た。 ィゼン マ ンと云 ふ 人 

の ソプラノ は、 相 cus に聲量 も あるし. 音程 も 可な り糜 いや 



o ラ ではあった が、 何ケ もしつ ぐり と來 ない。 何處 かに、 不 

純な もの 、 影. か、 彼女の^^突の全體に つきまとって ,d5 て、 

それが 自分の 觀 照の 妨け をして た。 そして * それ を 間い 

た 後 は、 非^£に漠然とした感^?ではぁるが、 女と 云 ふ もの 

は 困った もの だと 云 ふやうな、 女性 八.^, 體に對 する 或る 反感 

を 禁じ 得ない のであった。 

何時か、 ケ ー ベ ル博 ±, であった か 誰 だかが、 演 の 姿 

を 見ながら 音樂を 聞く こと は 非常に 不愉快で ある。 顏も見 

えす、 姿 も 見えない ところから、 た、 V だけ を 聞いて 居る 

. , 一と か出來 たら どんなに 好い 氣持. たらう と 云 ふ 意味の こと 

を 言って 居られた のを閒 いたが、 これに は 僕 も 全く 同感 

だ。 僕 等 はた、"、 作者の 心に 耳 を 着けて, その 心 を 聞き 度 

いの だ" 作者の 心と 聽者 たる 自分の 心が、 全く 純一 に、 一 

つの 音 を 聞く こと を 望んで 居る の-た。 しかし、 實 際に 音 樂 

を 聞く 場合に は、 何時も、 この 二つの 心の 問 に, さま,、:^ 

な 仲介物. か 人って 來て、 その 交歡を 妨げる。 純粹な 器樂の 

場合なら ば、 その 仲介物 はた" 二 g 奏者の 按巧の 巧拙の みで 

濟む。 しかし、 ? 樂に 於て は, 必 すその 問に 演奏 # の 心理 

が 多分に 入って 來る。 その 演 一 ^お 者の 心理が 純 一 で、 常に 作 

者 を 同じ やうな 心 持 を頒ち 持って 居る. 場合 は 可い. か、 それ 

. か うらはらに でもな つて 居 やう.. のなら、 全く 助 か ら な 



い。 ィ 、セン マン 夫人の 獨唱 も、 かう した 胁 からない もの > - 

一 つだった リ 

しかし M 君、 僕 は 今 fi?; に • 音樂會 のこと を 知らせる つも 

りで、 か 執って 居る ので はない、〕 僕. か fl?^ に窖き 度い こと 

は、 fj^ に訴 へたい こと は、 僕 等の 心.. か、 何故から お 互 ひに 離 

れ ばなれに なって るの だら うと 云 ふ、 〕 とに 就て 、v ある。 

芝 1:^ を 見に 行った 歸 りに は、 屹度 人 問が ii になる。 誰 を 

見ても- ! I な、 近づけない 人 問の やうな 氣 がする〕 しかし 

可い 音樂を 聞いた 後に は、 屹度 人 ii. か 好きになる。 誰と で 

も 握手した いやうな 氣 持になる。 11 これ は、 誰か、 "私に 

ll 一一 11 つ た ; 一一-:: 葉 であるが * 私に もよ くそん な 氣が する ことがあ 

る。 私 は その 心理に 就ても 考 へて 見た。 

つまり- 芝 Ite と 云 ふ もの は、 大體に 於て、 吾々 に 問题を 

與 へて 吳れ、 吾々 の 心 持 を 複雜に はして 5. 力れ るが、 決して 

純一に はして れ ない, - しかし 音樂に 於て は、 吾々 はた 

だ、 その 作. § 者の 感 と 一 つに ならう とする。 極めて 純一 

な、 赤裸々 な感 に 於て 一 つに ならう とする そして、 好い 

作者、 好い 欲 奏者 は、 必 すその 心 持を與 へて 力れ る。 恐ら 

く 吾々 は、 その 純一に なった 心境に 於て、 誰と でも 握手し 

たいやうな 氣 持を覺 える ので あら、 フ。 そして、 今日の 芝 

の 見物に 割 4 a に 多く 老人 や 壯ハキ 者が るのに 反して、 音樂 



會の聽 衆の 大多数 か、 ごく 若い 靑年ゃ 少女で あると 云 ふ 事 

實も、 かう した 心理の 反映の 一 つで はない かと E-) はれる。 

そして、 今日の 淺草邊 の 拙い 欧劇 などが、 驚く 程 多 數の年 

少な 觀客を 持 つ て c^- ると 云 ふ 事資 など も、 相 C ほな 心理的 根 

據を 持って 居る やうに 思 ふ。 

貲際、 今日の 吾々 の 心 i れ ばなれ だ。 誰の 心 も 孤: おで 

ある。 あらゆる 人と、 緊密に 結び 着き 度い 欲求 を 充分に 持 

ちながら、 而も 吾々 の 心 はお 互 ひに 遠く離れて 1:^ る。 結合 

したい 欲求 を 持って 居れば 居る ほど、 その 人の 心 は 孤獨で 

あり、 不幸で ある。 

: 合々 は 何う して、 此の 離れば なれに なった 孤 獨な心 か 

ら、 結合の 歡喜を 見出すべき であらう か? 

ツル ゲ —ネフの 「その 前夜」 の 中で、 自分 達の 孤 獨を訴 

へる 男に 對 して, 一 人の 靑年. かか 5 云 ふ 意味の こと を 答へ 

る 「「君 はた だ戀を すれば 可い の だ。 人間 を戀 すれば 可い の 

だ。 若い 女を戀 すれば 可い の だ。 君の やうに、 幾ら. E 然を 

見つめて たって、 自然 は それに 答へ て は れ ない。 しか 

し、 戀 すれば、 人 は必す 答へ を 得る。 fj?^ を 孤 から 救 ふ も 

の は、 た >戀 が あるば かりだ」 と。 しかし、 5!?; はこの 答へ 

に 満足す る ことが 出來 るか? それ は^ 度、 熱の ある もの 

/ に 酒を飮 めと す. 'める のと 同じで ある。 酒に 醉 つて 居る 間 



は、 熟 を 感じない だら、 フ。 それ は • 一 つの 熱. か 服の 熱 を 追 

ひ 越す からで ある。 しかし、 その 醉 からさめ た ゆの 彼 は、 

醉 はない 時よりも 一 曆は ゆしい 苦し さ を 感じなければ なら 

ないから. た。 戀. か 孤 獨 を 救 ふと 云ふ說 も, これと 全く 同じ 

である。 木統に 自分の 孤獨を 知って t5 る ものに 取って は、 

戀は 更に は ゆしい 孤 獨 の 源た るに 過ぎな い。 

結局 は、 誰でも 皆 一人 ほつ ちで ある" あらゆる 人の 心が 

離れば なれで ある" その 一 人 ほつ ちの 現實 を、 最も 强く摑 

んで 居る 人、 最も 微底 的に 知って 居る 人の みか、 本 統の意 

味での 幸福 人で はない "たらう か? 固く 自分 一 人 を 守つ 

て、 幸福 を 自己 以外の ものに 求めない もの こそ、 本 統の至 

福 人で はな いだら うか? 

しかし、 M^, コ !ー 

か、 フした 今の 僕の 心境と、 たちの 心境 I— 一種の 社會 

運動に 精根 を 涸らさう として 1^ る た ち の 心境との 間に 

は、 IE!- なりな 隔り. か あり はしない か? いや. 僕 .E 身. たつ 

て. 決して今:再ったゃぅな獨^^:的な心境に^^住して^^るの 

ではない。 僕 自身 も、 矢張り 多分に、 Ij;^ たちの 社會 革新 家 

的 您求ケ 二 ビニヒ <e して る- その 二つの 心境の 隔り を、 僕 

は、 何 を 以て 埋めたら 可い のか? 

それ は 僕 だって、 僕 自身 を 幸福に する 爲 めに は、 僕の 環 



,二 境 を、 禺圍 を、 率 福に しなければ ならない こと を 知って 居 

る。 しかし.、 また 一 方から 首へば、 自分自身 を 幸福に 出來 

ないやうな 人 問. か、 何う して、 .E 己:^ 外の 人 々み幸 福に す 

る こと. か出夾 るかと 云 ふ 反 も 出て 來る。 一 g ぃ何處 に、 僕 

身の 幸福 ケ 得られろ 道. か あるの か? その 道 さへ、 その 

方^さへ^^らなぃ人!?に、 何う して 他人の 幸福 や、 社會の 

幸福に 口を入れる 權 利が ある? i ;. かう した 疑 il. か、 僕に 

は 次から 次へ と 起って 夾 ろの だ。 

しかし、 そ" は耍 する に 僕 一 人の 問^であって、 他人の 

SI^ ではない。 だから 僕 は、 ?!^^たちを自分と同じゃぅな愤 

疑 家に しょうと は 決して はない。 た >、 勞働?!^!ゃ社會 

..^^動に沒頭して居る人に、 僕が 最も 端的に 吿け たいこと 

は、 ? 等 は 何う して、 現代の 離れば なれに なった 人々 の 

心, 互 ひに 無理解に なり、 互 ひに 無 同情に なりつ、 ある こ 

の 孤 11 なんの 同. H 心の 心 を * 河う して 結び 着けよう とする の 

かと 云 ふこと である。 

善美な 針 パ?: : 的 機構 や、 合 if 的な 政治 飢!! を 造り上げる こ 

と は 素より 可い ことで ある しかし、 それらの 社 <$:: 的 機構 

や、 政治^ n を 作り 上け る 上 lT 個人々々 のこの 心の 結合 

と 云 ふこと が、 どれ 丈け 注》 お-されて るか、 どれ 丈け 計 • 葬 

に 人れ られて 居る かと 云 ふこと を、 僕 は先づ SI ひ 度い ので 



ある。 

善い 社會 組織が 出來れ ば, その 社會に 住む 個人々々 の 心 

も、 必.1^^く結び,;^;;!くと(:ー::ふのか? それならば、 吾々 は 

先づ さう した 社き 組娥 の出來 上る の を 辛棒强 く^って おや 

3 しかし- かう した 心と 心との;^ 合の 可能性がない、 

ひ は そ "が 問 外と されて おる やうな 社會 連動なら ば、 そ 

れ はむしろ 叛-ぃ 方が 可い。 

物質的 な 平等 や 公 平 をのみ 朋^して、 精 t 的な 幸福 や ,2 

上な 度外視した 社 會運勵 は、 無い より は 可い. か、 しかし;; |3 

々は、 それに 餘り多 くの もの を ffl 恃 すろ こと は出來 ない。 

M 君 —— 、 

, J んな事 を謇 いて 居る-? ちに、 僕の 口吻が 變に 理窟つ ほ 

くな つたこと に氣附 いた。 これ も 矢張り, 頭. か變 になって 

るせ いだら、 「ふ、 

鬼に 角、 個人々々 の精祌 的慰樂 や、 心と 心との 結合 を 基 

本と しない 一 切の 社會組 蛾-」 對 する 企てが、 僕 等に 取って 

可な り 無 窓载に 見える こと を 語れば 可い の だ。 僕に は、 そ 

の 外に 他意 はない. - いづれ 他日、 頭の 可い に, この 問蹬 

に 就ての 詳しい 意見 > ^述べ る ことにしよう。 



ク ヱ 〃ディナン ド* ラサ I ル 

社會 運動の 人々 g I 

03 崎士郎 



世界の 社會 主義 運動 史上に 於て 最も 重要なる 位置 を 占む 

る 者 はフヱ ルディ ナン ド* ラサ— ル である。 ラサ ー ルの運 

動 を 出發點 として 社會 主義 は總 てに 一旦て 實際 的な 形 を帶び 

て來 た。 舉 術の 堅 から 飛び出で. - 平原の 戰を戦 ふ. べき 途 

を 開かれて 來た。 ラサ ー ルを 産んだ 當 時の 獨逸は 全部 的な 

意味に 於て 世界の 社會 主義 運動に 最も 多くの 貢 默を爲 して 

來 たもので あると いふ 事が 出來 る。 マルクス、 エング ルス、 

ラサ ー ル、 D ドべ ー タス 等の 名前 は 決して 獨り獨 逸の みが 

私すべき もので はない つ 



Ferdinand Lassallc は 一 八 一 一 五 年ブ レ ス ラウに 生れた。 



彼の 父 は 猶太 人の 血統 を 引いた 富豪であった。 而 して、 彼 

の 父 は 彼 をして 常に 實 業界の 人たら しめんと 欲し、 ライブ 

チヒの 商業 舉 校に 入 擧 せしめた けれども、 彼 は 商人た る 意 

無く、 自ら ブ ン ス ラウ 大 學に轉 じ、 更に 伯林 大 舉に轉 じた。 

一 八 四 五 年、 彼 は 伯林 大舉を 卒業した。 而 して * 卒業す 

ると 同時にへ ー 'ゲル 擧 派の 見地. 1^ りする. 希臉の 哲人 ヘラ 

クリ タスの 事 に 關 する 大著 述に從 事した けれども、 幾 干 も 

無くして 彼は此 事業に 今迄 捧 けて 來た 過大の 興味 を 失て し 

まった" 

纏て 彼 は郷國 e 里に 赴いた。 而 して 此 地に 於て 彼が 最も 

深く 交った の は、 當時第 一 流の 詩人と して 謳 はれて ゐた彼 

の同國 人た る ハイネであった。 ハイネ は 太 だ ラサ— ルの人 

物 才氣に 服した。 ハイネ 此時彼 を 紹介した る 文章の 一節 

を S 介す る T i 彼 は 新時代の 產物 である。 故に 謙遜、 自 



.4 制の 外貌 すら 有しない。 唯 彼 は 現在に 於け る 自已當 然の地 

位と 怡樂 とに 向て 努力す る。』 と。 此 j 句 は 彼の 總てを 語る 

ものである。 洵に 彼が 伯林に 歸 臥して からの 生活 は 彼の 生 

涯史を 通じて 最も 强く 光り輝く ものであった。 

而 して、 伯林に おける 彼の 生活 を 語らん が爲 めに は、 主 

として 注意 を ハツ フヱル ト 伯爵 夫人 事件に 注がな けれ ぱな 

らぬ。 ハツ フヱ ルト Hat,zfeldt 夫人 は 其 主なる 伯爵の 敗 倫 

の 行 爲に堪 へ 得すして 數年 之と 別居し、 當時は 財産 並びに 

育兒の 問題に 就て 彼の 殘忍暴 房なる 夫と 法廷に 於て 爭 ひつ 

つあった ので あるが、 熱血に 富める ラサ I ル は 自ら 奮然と 

して 起て 此 訴訟事件 を 引受けた。 それより 彼 は 特別に 法律 

の 研究 を 始めた ので あるが、 彼の 非常なる 熱心と 根 氣とは 

三十 六ケ 所に 亘る 法廷の 爭を經 たる 後、 終に 伯爵 をして 夫 

人に 甚だ 有利なる 條件を 承認せ しむる に 到った ので ある。 

此 事件 は 幾度 か 小なる 疑獄 を 生んで、 疆々 ラサ— ルを危 

地に 陷れ たので あるが 彼の 才氣 はよ く是 等の 危難から 自由 

に 其 身. を究 かれしめ た。 

ラサ— ルとハ ッ フヱル ト 夫人との 關 係は此 一 事件 を界線 

として 愈々 密接の 度 を 加へ、 その 死に 及ぶ まで 續ぃ たので 

あるが、 此關係 は 確に 彼の 社會的 地位 を 高む るに 不利で あ 

つた。 



一 八 四 八 年の 革命 當時 は、 彼はラ ィ ン に 於け る マルクス 

派の 社會 民主 黨に屬 してる た。 當 時に 於け る 彼の 運動 は 僅 

に 地方の 一 部に 止り、 甚だ 狹 少なる もので あった けれど 

も、 、、チ ュッ セル ドル フに 於て 地方 官憲に 抵抗した る廉 によ 

り 柿 へられて 六 ヶ月の 禁錮に 處 せられた。 彼の 法廷に 於け 

る 辯 論 は 彼の 政治 上の 大演說 の 最初の ものであって, 且最 

も社會 的に 有名なる ものであるが、 其辩論 中、 彼 は 其 所信 

を 大膽に 告白して 曰 はく、 『予は 自ら 社會 民主的 共和主義 者 

たる こと を 確信して 公言す る、 J と を 快し とする。』 と。 

一 八 五八 年に 及ぶ まで、 主として 彼 は ラインに 留り、 伯 

爵 夫人の 訟訴 事件と、 前年 企てた るへ ラクリ タスに 閼 する 

著述と に 一 身 を 委ねた ので あるが、 前者 は 五 四 年に 勝利 を 

得、 後者 は 五八 年に 出版 せられた。 此 前年より 引績 いて 彼 は 

二 八 四 八 年の 革命運動の 爲 めに、 長く 伯林の 部に 出 人す る 

を 禁ぜられ たので あるが、 j 八 五 九 年、 荷馬車の 敗者に 扮 

して 密かに 伯林に 歸り、 後フ "ボルトの 勢力 を 通じて 國王 

政府より 伯林 住居の 許可 を 得た 而 して 同年 彼 は 更に 『伊 

太 利 戰爭と 題す る小册 子を發 行し、 六 一 年に は 伯爵 夫人 事 

件に よって 1 たる 法 牽 上の 智識に よって systt- ョ cf Acquired 



ョ ght と 題す る 大著 を 出した。 

卿 

ラサ —ル の社會 運動 は 一 八 六 一 一年に 始まった。 革命的 ラ 

サ —ルが 始めて 其銳 鋒を顯 はした の は 此時を 以て 其 第 一 歩 

とする。 

當時は へ —ゲルの 獨 逸より ビ ス マル クの獨 逸に 移る の 過 

渡朗 とも 言 ふべ く、 11 更に 詳言 すれば、 永らくの 間 哲學 

空理に 於て 急先鋒であった 國 民が、 漸く、 戰爭、 攻治、 產 

業 等の 實 際の 國民 生活に 於て 牛耳 をと らんと しつ、 あるの 

時期で ある。 

此 時に 於て 獨逸 改造の 成否 は 一 に 繋て 普 魯西 陸軍に 在つ 

た。 ブ D シァの 新ら しき 支配者 は 能く 此 間の 消息 を 洞見し 

て、 彼の 有名なる 軍備 擴張 案を議 <13 に 提出した けれども、 

議會は 之に 向て 激烈に 反對 し, 兹に四 年 有餘に 直る 兩 者の 

大抗爭 を 惹起した。 ラサ ー ルは 此大抗 爭の眞 中に 飛び出し 

た— .aj 彼 は 一 八 六 一 一年 cn the ^^--^-^-n of a Canstitution 

と 題す る 演說に 於て 其 意見 を 公表した ので あるが そ は 自由 

主義者の 其と は 全く 反對の ものであった。 彼の 言 ふ 所に 從 

へ ば、 『憲法 は 紙上に 記された る 原則、 : 文書 を 言 ふに は 非す 

S して * 當時 における 最強の 攻治的 諸 勢力の 表明が 之で あ 



る。 國王、 貴族、 中等 階級, 勞攝 階級 は 言 ふまで も 無く ブ 

ロシア 政體 中の 四 大勢 力で あるが、 此 中最强 なる は 軍隊 を 

有する 國 王なる が 故に、 軍隊 は實に 現在に 於け る 生ける 憲 

一 法の 基礎で なければ ならぬ。 從て 断の 如き 根據の 上に 立て 

^ る 政府に 對 する 鬪爭に 於て は 言語 上の 抗議 は 全然 無効で あ 

一 る。』 と。 

一 彼の 斷言は 一 時 彼 をして 批難の 中心たら しめた。 然し 乍 

\ ら、 彼 は 其 第一 一回の 演說 What Nrxt において 更に 其 論鋒 

一 を 進めて 言った。 『新の 如き 政府に 杭す る 唯 一 有効の 手段 は 

\ 政治の 實際を ありの ま i に 表明す るた めに、 議會の 召集に 

; 應ぜ ざる ことが 之で ある。 議會が 其 召 第に 應 する は 卽ち政 

府の 行動に 適法の 假 面を與 ふるもの である。 若し 議會 にし 

I て 之に 應ぜ すと せば、 今日の 時代に 於て 專制攻 治 は 到底 不 

一 可能なる が 故に 政府 は竟に 屈服 せざるを得ないで あらう』 

と。 

ラサ— ル は是 等の 演說 によって、 正義の 要求 を 威力の 要 

求の 下にお くもので ある。 とい ふ 非難 を 招いた ので ある 

が. 彼 は 其 後 小册子 slight and Right を 著して 之 を 辯 じた。 

其 中に 曰 はく 、『前の 演說は 自己の 意見 を發 表した るに 非す 

して 僅に 唯 歴史的に 事實 を解說 し、 刻下の 形勢の 真相 を 明 

にした るに 過ぎない。』 と。 而 して 彼 は 更に 又 宣言して 曰 は 



. 6 く、 『ブ シ ァに 於て は權 力と 毫も 關り 無き 民主 黨の. 外裙ぇ 

て 一 人の 正義 を 語る の 權利を 有する 者 は あるまい。 民主 主 

義者 にして 始めて 一 人 Right たる を 得べ く、 又 能く Migh 

たる を 得べき ものである OJ と。 

以上の 彼の 貢 說が事 實の 上に 何等の 影響 を 及 ほし 得な か. 

つたこと は 改めて 1^ 々を 要する まで も 無い。 然し 乍ら、 之 

が 發表は 終に 彼 をして 從 來の淮 一歩 黨と 提携す る 能 はざる の 

動 凶 を 構成し、 全く 別個の 新ら しき 進路 を 開拓す るの 餘儀 

無き に 到らし めた。 

1 八 六 一 一年、 彼の 試みた る演說 は、 貧者 を煽勵 する もの 

なり、, とい ふ 理由の 下に 告發 せられた。 彼の 此 時の 辯 論 は 

Science and the Workers と 題して 刊行され たもので あつ 

て實に 驚くべき 雄 辯であった にも 關らす 彼 は 終に 四 ヶ月の 

禁錮 を 宣告 せられた。 然るに 彼は此 判決に 服せ す、 直ちに 

搀訴 し、 第二 審の 判決に 於て 罰金 十五 碟に輕 減せられ た。 

此 第一 一 回の 裁判 は ラサ —ル の名聲 をして 世間に 嘖々 たら 

しめた。 是 より 先き 一 八 四 八 年の 民主 革命運動の 結果、 獨 

逸勞働 者の 迷夢 は 漸く 徐々 に 醒め 來り、 彼等 は 到底 進歩 黨 

の 微溫的 政綱 を 以てして は 到底 満足す る 能 は ざ る こと を 知 



るに 到った。 此 時に 於て 突如と して 顯 はれた る ラサ— ルの 

演說 筆記 は 大いに ライプチヒ 勞働 委員の 心 を 動かした。 彼 

等 は 一 八 六 三年 一 一月、 ラサ ー ルに 向て 其 意見 を聽 かん 事 を 

要求す るに 到った。 要求に 應じ て ラサ —ル は 直ぢに 長篇の 

公開 狀を 送て 之に 答 へ た。 此 公開 狀は勞 働 者の 政治、 社會、 

經濟的 政綱 を 最も 明確に 指示した る ものであって、 卽ち彼 

が 曩に 『勞働 者の 政綱』 において 述べた る、 新時代に おけ 

る勞働 者の 據て 進むべき 攻治、 社會、 並びに 經濟的 原則 を 

遺憾 無く 說 示した ものである。 

m_ 勞働者 は 自ら 獨 立した る 一 政黨 組織すべく、 其 政 黨は勞 

働 階級の 進步、 改善 以て 主なる 目的と し、 移民、 職業、 

言論、 集會の 自由の 如き 政治的 綱領 第二 位 LL 置く ものた 

るべき、/ と。 

^ Sehulze の 計 畫は此 目的に 對 して 不適 赏な る、, と。 

g 賞銀鐡 則が 現在 Li 在て は 一切の 進歩 改善 無効なら しむる 

: と。 

^ 國家は 勞働者 して、 其勞 力の 全 生産 1.5^ 得せし むろた めに 

生産組合 設立すべき: と。 而しヾ * 其 國家は 普通 選舉の 

上に 立 ズ眞に 人民の 代表^ろ べき こと。 

此 公開 狀が、 微溫 的なる 社會 改良 說に 飽き 果てた る勞働 

者に 多大の 感銘 を與 へた こと は 言 ふまで も 無い。 ライ プチ 

ヒ 委員 は此 公開 狀に對 して 極めて 熱心なる 贊意を 表し、 ラ 

サ— ルを 招いて、 勞働 者の 集會 において 演說 する の 自由 を 



37 



與 へたので あるが、 此集會 における 贊否の 割合 は實に 七に 

對 する 千 三百の 差で 其 大多数が 彼の 說に贊 成した。 

引續ぃ て ライプチヒ 委員 は フラン, ク フォルト に勞 働者大 

會を 開いた が、 此 時の 光景 は 更に 一 層 彼 をして ァ ン ビ ッ シ 

ャ ス ならしめ た。 

彼 は 其 麇會の 第一 日に 於て • 四時 間に 亙る 長 廣舌を 揮つ 

た。 其 始めに 當ては 非常な 妨害の ため 彼の 雄 辯 は a 々中斷 

せられた けれども、 其 熱烈 火 を 吐く が 如き 雄 辯 は竟に 彼の 

妨害 者 をして 熱心なる 聽 衆と 變ぜ しめた。 雷の 如き 拍手 は 

論旨の 進む と共に 增 加して 來た。 

其 後一 一日 を 經て彼 は 更に 第一 一回の 演說を 試みた。 此集會 

において 彼の 意見 は 四十 對 四百の 大多数に 侬て 採用せられ 

た。 其 翌日 彼は此 全勝の 勢に 乗じて メイ ン ッの 集會に 臨ん 

だ。 此處に 於ても 彼の 勝利 は 著しく 七 百 個の 勞働 者の 投票 

は舉 けて 彼に 向って 投 せられた- 

是 等の 勝利が 彼の 運動に 非常な 力 を 添 へ た, 〕 と は 言 ふ 迄 

も 無い。 彼 は 一 八 六 三年 五月 廿三曰 The Universal German 

Working Men-S Asspciation の 名の 下に 一 攻黨を 創立した 

ので あるが、 其 政綱 は 極めて 簡單 である。 卽ち唯 普通 選舉 



の 一 あ VO のみで ある。 曰 はく 

11 獨逸勞 働 階級の 社會的 利害の、 議會に 於け る 正當な 

る 代表と、 階級 的 反目の 絕減 とが、 1^1.等且直接の普通選舉 

によって のみ 實 現せら るべき を 確信し、 本 同盟 は 平和 適法 

な る 手段 11 特 に 輿論 の 喚起に よって 普通 選舉制 の 實 行 を 

期す。』 

かくて 此時迄 一 個の 論客に 過ぎなかった ラサ I ルは、 今 

や 五 年の 任期の 下に 新ら しき 政黨の 總理に 選ばれた。 新 運 

動の 首領に なった。 

見よ 其 將來は 光榮の 波禱に よ つ て 包まれん とし つ、 ある 

黨 員の 數は年 と共に 增 加して 來た。 而 して ラサ— ルは過 

勞の 結果, 健康 を 損じて 一 時瑞 西に 轉地 療養 をす るの 止む 

無き に 到った。 九月 半、 彼の 伯林に 歸るゃ 直ちに 最も 彼の 

畏敬の 中心た る ライン 地方 遊說 の途に 上り、 玆に界 び 其 運 

動 を 開始した ので あるが 此 運動の 最大 危機 は 實に此 秋より 

翌年の 春に 到る の 問であって、 の 此閒に 於け る勞 働は實 

に 人間以上であった。 或は 約 三 ヶ月 間に シ ュ ル チェ 攻擊の 

大著 を 草し、 或は 伯林、 及 ラインの 法廷に 立て 壯快、 熱烈、 

なる 辯 論 を 試み、 或は 複雜 なる 黨務を 指 採して、 奮 鬪頻り 

に 努めた。 



38 



斯の. S き 激闘の 中に あつ て 彼の 心身 は疲勞 困媳の 極に 達 

した。 彼 は 例に 依て 其 休養 を溫 泉に 於て 試みん とした。 然 

し 乍ら、 ラインに おけろ 同志の 熱情 無視し 難く、 界び衰 へ 

たる 勢力 を 奮 ひ 起して 一 八 六 四 年 五月 八日、 伯林 を發 して 

ライン 諸 州に 向った。 斯くて 彼 は 十四日に は、 ゾ— リンゲン 

に 於て、 十五 日に はべ ルメン に 於て、 十八 日に まゥ ェ ル メ 

I スキ— へ ンに 於て 懸 河の. S き 熱 辯 を 揮った。 ! 彼の 往 

く處、 勞働者 は唯歡 呼の 聲 を 以て 之を迎 へた。 

同年 五月 一 一十一 一日 The Universal German Working Mc 

n-s Association 創立 一 周年 記念 會は ロン ス ドル フに 於て 開 

かれた が、 同志の 熱情と 昂奮と は此 時に 於て 正に 絶頂に 達 

した。 當 日の 狀況を 知り, 其 群集の 歡 呼の 聲に 包まれた 革 

命兒 ラサ— ル の 得意に 就て 語らん が爲 めに は、 ラサ— ルが 

自ら ハ ツチ フユ ル ト 伯爵 失 人に 書いて 送った 手紙の 一 節に 

依る を 便宜と する。 

『 —— 私 は斯の 如き 光景 は、 新宗敎 開基の 際で なければ 到底 見る 

事の 出來 ない もので あろと 信じます』 

徇に D ンス ドル フに 於け る ラサ— ル の演說 は、 善く 其 時 

の聽 衆の 心理に 應じ たもので あった。 彼の 演説の 要旨 は、 

前に ブ 口 シァ 王が シ レ シ ァ 職工の 不幸なる 境遇に 同情し、 

私財 を 以て 之 を 救助すべき 事 を 約 東した る こと。 猶續 いて 

メイン ッの 僧正 フォン • クッ テレルが 其の 著に おいて、 ラ 



サ— ル の 現經濟 組織の 批評に 同意 を 表した る こと を 捉え 來 

つて、 巧に 其 演說の 一 材料と し T 私 等 は、 勞働 者、 人民、 

佾正、 並びに 國 王ゃ强 判して、 此 等の 原則の.^ 何に 真理で 

あるかと いふ, とを證 明せ しめた』 と 論究した。 

ラ ィ ン 地方の 勞働 者の 間に 汪 流した る ラサ ー ル に對 する 

斯の 如き 熱情 は、 或は 多く 問題と する に 至らぬ ものである 

かも 知れない。 然し 乍ら、 希く ば 吾人 をして 此 光景の 歴史 

的なる 意義に 就て 語る 所 あらしめ よ。 そ は 他な し。 吾等 

は、 此處數 世紀の 間にお いて、 此時 始めて 遺 傳的墮 落、 無 

感覺 より 解放せられ たる 獨逸勞 働 者 を 見た るが 故で ある。 

! 上曆 階級の 間に は變 化が ある。 けれども 下 歷の勞 働 

者 は, 其 度 毎に、 唯勞 働し、 唯强奪 せらる. S の 運命より 有 

して ゐ なかった,' 然し 乍ら、 今日 此虐 けられた る鐵 鞭の 子 

が 其 鎖 を 放て 自由な 土地 を、 仲び やかな 足 どり で 歩む 時が 

來た。 11 此の 空氣の 下に 生れた る ラサ ー ルが 全く 勞働運 

動の 指遵 者と なり 得た 事 は、 然く異 とすべき ではない に 遠 

ひない。 

1 八 六 四 年、 八月 廿 八日の 朝、 ゼネバ の 近郊、 ャル— ジュ 

一 に 於て 有名なる 戀決鬪 が 行 はれた。 其 結果、 ラサ— ル は重慯 

を 受け、 同月 三十 一 日 終に 永眠して しまった。 11 彼の 葬 

儀 は ハツ テフ H ルト 伯爵 夫人に よって 營 まれ、 殉道 者と し 

て、 同志の 宗敎的 性質 を帶 びた る 尊信に よって 翻 いられた。 



◊ 福 田 博士-ベ ル ト 

ラ ン ド • ラ 、ソ セル 

♦ 「ぺ かト ランド. ラッセ か は英國 の 福 田 

<1厶<1 厶 1 厶厶 <- 厶厶 

なリ」 と は 左右 田 喜 一 郞 博士の 言 だと 福 田 

博士 自ら 解放の 創刊 號に 廣告ぜ られて 居 

る 

♦ 福 田 博士 は 高等 商業 學 校の 敎授、 ラッ 

セ少は ケンブ リツ ゲ大學 の敎授 だ。 高 商 も 

大學に 昇格す る さう だから 何れも 大學の 先 

生た る: とに は あやま リ はない。 

♦ ラッセ か は 哲學の 大家、 福 田 博士 は經 

濟學の 大家で 共に 大家で ある 所,.^ Is- と 西と 

、、そ 異 るが 事 黄に あやま リ はない。 ラッセ 

^は 福 田 博士が 推稱 し、 福 田 搏士は 日本の 

多くの ものよ リ稱 讃の聲 か.: られ てるの 

事 貧 だ。 

♦ かく 言 ふ 筆者 そのもの も 大の福 田 博士 

好きだ、 每 月の 雑誌に 出る もの 讀 むの Li 

第 一 に は 自分の もの、 等 二 Li は 博士の もの 

. ^讀む 位の 讀者 だ。 

<1<5A<3 厶厶厶 厶厶 

♦ 然し、 「ラッセ V が 英國の 福 田」 と 聞い 

て 妙 LL 感じた。 、一れ 飜譯 して 見る と 福 田 

ム厶厶ム么 厶 <3<"< "厶厶 

博士 は 日本の ラッ セ 少だと llnu. ふ 、、とじな 

る。 兩者 共に 自分の すきな 人々 丈け になん 

5 となく 妙に 考 へさせられた。 論理 主義者の 



左右 田 博士の 言と して は 聞えぬ と 思った。 

命 福 田 博士の 言に よろ とラッ セ かと 福 田 

博士との 同 一 なりと 斷定 したの は、 英國 の 

偽 f ァ, モ クラシ.' ゃ资本 侵略 主義の 攻擎が 1= 

ど 其 論調 V?- 同じく してる からだとの 事 だ。 

令 唯 だ異ふ 所はラ ッセか は 牢屋 L! ぶち: 

まれ • 福 田 博士 はク サイ 飯 L 食 はすに 我 論 

境の 勇將 として 發? 1 して 居られる 其、、 とだ 

らう。 但し 福 Ejg 士も牢 へぶ ち 、、まれろ 覺 

悟で 其 言! _1 問 は ぜ たと 言 ふの だから-、 の 

差異 I 五十歩百歩 かも 知れない。 

♦ 然し 日本人た ろ、、 との 光榮 とすべ きば 

福 田 博士が そんな 論調で 然-. ^牢へ ぶちこま 

れろ覺 悟で 牢 へぶ ち: ま ,1 なかった: と 

であ ,。 これ 誠 LL 聖代の 盛赛 であろ。 

令だ が だ。 ラソセ か 、上 g 田 博 4- と 同一 だ 

とい ふ の 論理が なリ 立てば 切 角 西南 獨逸學 

!^できたぇた左右田博士の論理主義^^玻滅 

だ 福 田 博士と ラ.' セ かと^ 询- レ资本 主義.^ 

攻擎 してろ のば 事赏 だ。 

♦ けれども 福 田 博士 は 我 國で敬 國 でば も 

れ獨 逸の 最も 受けが ぶく、 英 固の 不評のと 

きに 英國 したの た、 ラッセ ヒ かその 

自國 において 獨逸, < ^僧む、 、と 白熱に 建した 

頃 自國の f ァ モク ラシ ー の假 面,^ 攻擎 したの 

と は 少しく 其 立場..^ 異にして る。 



令福 田 博士 は社會 民主々 義の资 本 主義の 

反 對 毒 だとして、 我國の 立場と して は- 

资本 主義と 社會 民主主義と の 間 仃 けと 諭 

じて る、 言 ふ 意味 はこれ .c^ 眞 正面から 解釋 

厶厶 <1<1<3<3<1 厶 厶厶厶 

すれば 博士の 生存 權の 社會 政策へ 行けと 言 

ふ Li あろ の だら う。 

♦ 然るに 我 ベ.^ ト ランド. ラッセ ャ は、 英 

國 は社會 民主主義と 資本主義との 間,^ 行け 

などと は 首って 居な いのは 其 「政治的 理想」 

なリ 「社會 改造の 原理」 なリ, .5^ 讀んだ 人の 直 

に 氣が附 くこと だら う。 

♦ 福 田 博士の 立場が 極めて、 其 意味 眞 

正面から 見る ときに、 どっちつ か f- の 所が 

ある に 反して、 ラッセが は、 資本主義の 蹬 

止. -從 つて 勞銀勞 働の 撤廢, ^主張して 居る。 

其 主張 はす レ. -ヂ、 ホプ ソン、 コ. -か 等の ギ 

^ド. ソシァ リズムの 立場に あるの だ。 

♦ 博士と ラッ セ ^ の 立場 は斯 くの 如く 明 

かに 異 つて 居ろ。 其異リ 方に ラッセ V か牢 

へ ぶちこまれ、 福 田 博士が 覺悟 しても 牢 

にぶち こまれなかった 位の もので はない。 

令 だから f ラッ セ シは英 國の福 田な リ」 と 

言 ふこと は 明かに 態度の 異ふラ ッセ少 に 取 

つて 迷惑 だら う。 ラッセ^ は 日本語が i め 

なから うから 彼に 代って 一 言して 置く. > 

(哲 二) 



一八 四 八 年の カァ 

.V マ ルクス 

甲 野哲ニ \ 

(十) 

親愛な る マ. か クス君 

今恰. :!^ 諸方へ 聞き合せ, やして 漸く コ n! ン から 君の 主 所.^ 知 : 

つたので、 、、の 手紙, ^書く。 僕 は^の 追放の 事.^ 知る と 直ぐ 君 ノ 

の 諸 費用, 晋々 同志の 者が 負擔 しなければ ならぬ と 思った ので 一 

迅速 に 義捐金,^ 集める 必耍. 感じ^ J そして 其 事 は 具合よ く 進 \ 

行して 行った。 同封の 金が 君の プヤ ュッセ か 生活の 费 用に 足る \ 

かどう か は 判らない けれども、 自分の 英國 での 給料 は 半分に し >) 

てむ 近日 中に 取れる 譯だ その 金 は 全部 君に 提供す る、 -、 とが 出 \ 

來る。 僕 は?: FS 分の 間 其 金がなくても やって 行ける し、 親父 は义 - 

幾分 か规 助して 吳れる だら う。 何に しても 君の 困窮..^ 見て 喜ん 

でお る樣な 人間に 滿 足,^ 與へ 度べ はない。 一 

U バンし 外の 事.^ 書かう。 クリ ー ゲが: の 手紙が 君の 所へ 着く 頃 \ 

君 訪間 する だら う。 彼ば 有名な 塌動家 だが、 フォイ H 少 バッハ ~ 

の 事に 就いて 色々 の 事 語る だら う。 僕 は 君が: の 地,.^ 去った 

rnii フォイ H レ, バ ッハ から 手紙.^ 受取った、 それ は 僕が 前に 手紙 

4- やった からで ある。 彼 は 其 著作で 共產 主義. H 且傳 するとき に 



共產 主義の 問. 題 Li 觸れろ 前に、 先づ 以て 宗敎的 遺物.^ 一掃し な 

ければ ならぬ と 言つ \ ^居ろ。 バイ H 少 ン では あまりに. K 生活 か 

ら 遠ざかって 居る ので 徹底す ると、, るまで 來る: とが 出來 わら 

しい。 ま.^ んし 彼が 共產 主義者で.^ るに, JV 、も、 如何 Li して 其 

信念の 上 Li 活動す るかが 問題 だ Q 然して この 夏 彼が ライ〉. へ來 

る ことが 出 來れば そして、 ブル ュッ ュクセ "^近くに 來 る、、 とが 出 

來れ に、 僕 等 は 直ち Li 彼,^ 僕 等の 方へ 引き寄せよう。 

『こ、 H か バ ー フエ H か ト,. .>變 つた もの だ 。僕 等 は 昨日 町の 第 一 

のホテ か の大廣 間で 第三 回 H の共產 主義者 會合. ^行った。 第 一 

回目に 四十 人、 第二 回が 百 三十 人、 第三 回が 二百 人の 人が 集つ 

た。 プロ レタ リア は 勿 il 銀行家から 乾物屋に 至る まで H ^ バ 1 

フェル ト 並に バ ァ メ ンの 全部の 代表と 見ても よい -0 へ クスは 一場 

の講; ゆ ¥^ し、 ミ 「- ラ.' と プュト マンの 詩 は、 シヱレ ー の拔萃 と. 共 

に朗讀 せられ 六。 後の 討論 は 一時まで 續ぃ. i::。 それ は 不可 思 

議な 程の 成功で あ つた 人々 は共產 主義の 外 は 何事,^ も 語らす 

私達の 賛成者 は 口々 に^して 行く。 それで 警察 J.^ 大概の 場合 liii- 

鹿 Li されて 居る ので > 手の 出し 様 ない 譯だ、 事務官長はぺ^, 

リンに 行った。 然し 禁止 はされ て. -僕等 は、 これから 逃れろ こ 

とが 出來 る、 吾 黨の爲 に 書かれた すべての もの は、 熱心に 讀ま 

れ るの だから 0』 

これ はェ ンゲ ルスが 其 故 鄉バ— メン から ブ ルツ セ ルのマ 

ルクス へ 遣った 手紙の 一 つで ある。 日附 一 八 四 五 年 一 一月 一 一 

十二 日と ある。 この 手紙 は、 エンゲルスの 友情と 其 時 ぼの 

共産主義 運動 を 語る ので 私達に は 極めて 興味の 深い もので 

ある。 



(十一) 

マルクス は 獨佛 年報」 に 於て、 エンゲルス は 「英國 に 於 

ける 勞働者 階級の 狀態」 に 於て 急進的 勞働 運動の 事に 就い 

て 書いて 居る が 今日 彼等 一 一人 は 勞働者 運動の 組織の 經書を 

立てた。 マルクス は 當時唯 物 史觀を 充分に 建設し、 前年 パ 

リに 於て 企てた 後期へ— ゲル 哲攀 批評の 著作に 從 事して 居 

たが この 仕事 は 六 週間の 英國 訪問に 侬て妨 けられた。 

エンゲルス は 商用と 其 書 齋の移 轉の爲 に、 マ ル ク ス を 伴 

つて 英國に 向った 一八 四 五 年の 夏、 マルクス は 初めて リ 

力 ル ド 派の 英國 急進 思想家の 經濟窨 を 手に する ことか 出來 

たので ある。 ヱン ゲル ス は旣に 英國經 濟學の 批評 をき く 積 

りで 「獨佛 年報」 へ も 其 一 部の 論文 を 出した 位で ある。 マ ル 

クスは 其 訪問 中 ヱ ンダ ルスが 其 研究の 爲に 作った ノ — トを 

讀み 更に ヱンゲ ルス の 書齋並 マン チヱ ス タ ー 其 他の 圆書館 

で 多くの 書 を耽讀 した" 實に リカ ァ ディア ン • ソシァ リスト 

の 經濟書 は マルクス の經濟 思想の 上に 大 なる 影響 を 及 ほし 

たもので ある。 

ブル ュッ セルに 歸 つたの は 一八 四 五 年の 秋で ある。 ェンゲ 

ルスと マルクス と は 後期 へ —ゲ ル 哲學の 批評 を 完成しょう 

とした。 其 書 は 大部の 原稿 を 以て 書かれた が 遂に 其 出版と 



なる までに 至らなかった。 

暫 らく は 彼等 兩人は 其 久しい 以前から 考 へて 居た 仕事に 

從 事した^ 彼等 は ブルう セルの 急進的 民主々 義 者と 連絡 を 

取り、 マルクス は 民主々 義協會 の頭會 長の 椅子 を 得た ので 

ある。 彼等 は勞働 糾合の 一 種で ある 「獨 逸勞働 者倶樂 部」 を 

設立し、 急進主義の 獨 逸人の 發 行した 週刊の 急進 新聞 ド ィ 

一 ツチ, V. フル ュッ セレル • ツァイツ ンクの 編輯 を 司った。 

一 マルクスと エンゲルス と は、 f の 新聞 又は 他の 雜誌 等に 

投稿して、 プ 口 レタ リア 運動に 氣勢を 添へ たので あるが、 マ 

ルクス は 多くの 時 を 經濟麟 の 研究に 費し、 歐洲 諸國の 急進 

\ 主義の 曾領 等と 通信し、 時には、 講演ん し、 勞働 者に 經濟 

一- 舉の 講義 もした 事が ある。 

\ (±1) 

一 ブ ル ユウ セル の 獨逸勞 働 者俱樂 部員の 中には、 有名な 仕 立 

屋で 北ハ產 主義者の ゥヰル ヘル ムき ワイト リン.. クが 居た。 ヮ 

イト リン グ は 才能の 優れた 人で 第 十九 世紀の 最大の 偏 動 家 

の 一 人で ある." 彼 は 一 八 〇 八 年に 貧家に 生れた 爲に、 後の 

舉問は 一 切獨舉 であった。 三十 年代 初めに 彼 は 共産主義 を 

奉す る樣 になった ので あるが、 それ はフ ー リエの 親友に し 

て 其 弟子 のァ ルバ —ト :ブ リ ス バ I ン の 影響に 依 ると 言 ふ 。 



1 八 三 八 年 この 貧しい 仕 立 屋はパ リの 革命 秘密結社から 其 

. 處女作 「現在の 社會と 理想の 社會」 を 出して、 フ ~ リ H 主義 

と サン ?ン モン 主義と の 混同の 樣な 共産主義の 學說を 唱道 

したので ある。 彼の もっと 重要な 著述 は、 「調和と 自由との 

保證 」 であって 當時 多くの 注意 を 集めて、 彼 をして 急進的 又 

は 革命的 運動に 興味 を 持 つ て 居る 勞働 者の 心に 其 時代の 著 

述 家中 最も 優越な 地位 を 得さした ので ある。 マルクス もパ 

リの フ.^ ァゥ- ルツで 其 書 を 大分に 稱讃 して 居る。 然し 之れ 

は ワイトリングが 勞働者 を 一 階級と 認めて、 之に 對 して 其 

著述 をな したと 言 ふ點に 止まる ので ある。 

ワイト リンク はスゥ 并スで 永い 禁錮 を 解かれた 後に ブ ル 

ュッ セルに 來た。 そして- 彼が マ ルクス 並に ヱン ゲル ス獨逸 

勞働 者俱樂 部と 近くに 至った の は 極めて 自然で ある。 けれ 

ども 衝突の 起った の は、 それから 間もなくであった。 ワイ 

トリン グ は 其 人格 に 於ても 舉說に 於ても、 舊ぃ 空想的 社會 

主義 的であった。 マルクスの 排擊 したの はこの 點 である。 

陰謀 的 行動に 對 する マルクス の 猛烈な 攻撃であった。 




ブル ー ド ンが其 名著 「貧困の 哲舉」 を 著 はした の は 一 八 四 

六 年で ある。 ブル I ドンと マ ルクスと は 友人で あっ^が、 



マ-ルクスの パリ を 去つ て か ら其間 は 深い もので はな かつ 

た。 ブル —ド ン は 其 書の 刊行 せらる 、前に マルクス に其批 

評 を 待つ 旨 を 書き送つ たが、 マルクス は 一木 を 手に する や 

佛文を 以て 其 批評 を ものした。 表題 は 「哲學 の 貧困」 と 云 

つて 一 八 四 七 年 パリ 並に ブル ュッセ ルで發 行せられ た. か、 こ 

の 書の 爲に兩 人の 友情 は 破 壤 せられて しまった。 

マルクス のこの 書 は 論爭的 著作 中の 傑作で 絢爛と 魅力と 

を 充分に 備 へて 居た。 此 書の 重要 は 第二に ブル ー ドンの 學 

說 を排擊 すると 共に, 一八 四 五 年の 夏の 英國 旅行に 得た 多 

くの 經濟 思想の よく 表 はれて 居る ことで ある。 これより 以 

上の 重要な 點は 唯物史観の 表 はれで ある。 私達 は、 こ 、に 

歴史 は經 濟的發 達に 依て 見ねば ならぬ とする 思想 を 見る こ 

とが 出來 る。 マルクス は 人類 は生產 方法の 變 化に 從て、 す 

ベての 社 會的關 係 を變更 する、 「手 臼 は 封建的 領主の 社會を 

蒸 氣臼は 資本家の 社會を 造った。 物質的 生 產に應 じて 社會 

的 關係を 建設した、 同じ 人達 は 亦 其 社會的 關 係に 適應 した 

主義 、観念 並に 範疇 を 作れる 人で ある。 故にす ベ て斯 

くの 如き 觀念 並に 範嘻は 歴史的の 而 して、 一 時 的の 産物で 

ある」 となした ので ある。 

「哲舉 の 貧困 は豫 期の 通りに 急進主義者の 間に 人 氣を博 

し、 其 著者の 名 は 盆々 加 はった。 斬 曰くの 間 マ ルクス は ブル 



ュッ セルで 獨逸勞 働 者倶樂 部の 仕事に 忙 はしかった。 サ ン* 

シ モン 主義 並に フ— リエ 主義の 舊 運動 は 旣に振 はす、 た ザ 

力て へ 及び クイ トリン ダ の 共産主義の み勞働 者の 希望 をつ 

ないで 居た。 ! 

(十四) 

當 時の 社會 運動 は 大體 その 要素より 成立って 居た ので あ 

る。 其 一 は 空想的 社會 主義 を 主張す る 力 ベ ー 1 派で、 其 一 一 

は 隱謀的 革命 主義の ワイ トリングの 一 派で あり、 其 三は以 

上の 兩派 共に 満足せ ざる 一 派であって 其 首領た るべき 人 を 

缺 いて 居た ので あるが、 この 第三の (翁 派に 屬 する 人々 は 後 

に 國際的 連絡 を 保つ こと. -爲 り、 支部 を歐洲 諸國の 主要 都 

市に 置き、 本部 を 口 ン ドンに 置いて 居た。 P ン ドンに 於て 

は旣に 一 八 四 〇 年より 組織され た 「勞働 者敎育 協會」 が あ 

つた。 其 創設者 は、 力 アル? ン t ハ—、 ハインリッヒ • パウア 

1、 ヨセフ • モルの 三人の 獨逸 亡命 客であった。 一八 四 七 年 

の 春 ョ セフ • モル は ブル ュッ セルに マルクス を、 旅行先の パ リ 

に エンゲルス を 訪問して、 マルクス 並に エンゲルスの 主義 

とする 所に 依て 其 運動の 改造 をして 吳れと 申込んだ。 

そこで マルクス は 其 立場 を 明に して、 一定の 革命的の 目 

的と 手段と に 依る 無産階級の 政治的 運動 を 要求した。 勿論 



其內に は、 海外に、 空想的 社會 主義の 說に 依る ュ— ト ビア 

の 建設 を排 し、 他方 陰謀と 暴動の 計畫 に反對 したので あろ。 

かくて, モルの 提案 は マルクス 並に エンゲルスの 思 ふ 所と 

一 致した ので ある。 其 結果 一 八 四 七 年の 夏 口 ン ド ン の勞働 

者敎 育協會 本部の 一 室に 屬 する 社會 主義の 總會が 開が る 、 

t ) と なった。 

マルクス は • 此總會 に は 未だ 出席 はしなかった が、 ェン 

ダル スは パリの 同 主義者 を 代表して 出席し、 マルクスが 後 

に 至って 其 大著 資本論 第 一 卷を捧 ゆた 友人 ゥキ ル ヘルム 

• ゥ ヲルフ も 亦 之に 連ら なった ので あつ た。 總會の 席上 ヮ ィ 

トリン.. クのー 派 は 其 隱謀的 革命 主義 を 持-して マルクス主義 

に反對 したので あるが、 エング ルス 並に ウラル フ 等の 盡カ 

に 依て 遂に マ ル クス 主義 を 採用す るに 至り、 其 名稱を 「共產 

主義者 同盟」 となした ので ある。 

此總會 に 於て は マ ルクス 主義 は 勝利 を 得た。 けれども、 

マルクス の 主義 は此時 未だ 充分 具體 的の ものと 爲 つて 居な 

かった 爲に、 次の 會議に 於て マルクス の 出席 を 請うて 其說 

明 を 求める ことと なった ので ある。 



(十五) 

第 一 回の 總會が 終って から 間もなく 力 ベ ー は 其 「イカ ゾ 



ァ 旅行記」 等に て發 表,.^ た、 理想 鄉を 北米 テ キサス 州に 建 

設す るの 案を發 表し、 盛に 同志 を 求めつ、 あつたが、 一時 

大いに 勞働 者の 注意 を 惹き其 贊成者 四十 萬と 稱 したので あ 

る。 一八 四 七 年 九月 ロンドンに 渡米の 折 柄 力べ— は 「勞働 

者敎育 協會」 の會 員に 向 つ て 其 贊成を 求めた が 彼等 は 三 個 

の 理由 を 以て 之 を 斥けた ので ある。 私達 は, J 、 に マルクス 

主義の 著しき 影響 を 見る ことが 出來 る。 

新くて 共産主義者 同盟の 第一 一回 總會は 同年 十 一 月末に 開 

かれ、 マルクス は エンゲル ス と共に ブル ュッセ ル より 來 りて、 

此會議 に 臨み、 其 意見 を 開陳した ので ある。 而 して、 彼の 

理論 上 並に 實際 運動 上の 綱領 は 出席者の 賛同 を 得た 爲め總 

會は マルクス 並に エンゲルス に 彼等の 主義に 基く 一 の 宣言 

書の 起草..^ 依賴 する こと を 決議した ので ある。 マルクス は 

この 時より, 1 の 同盟の 首領 を 以て 目 さる に 至った ので あ 

る 

マルクス は 再び ブ. ルュッ セルに 歸來 した か、 十九 世紀の 最 

大事 件た る 「共 產黨 宣言」 は 一 八 四 八 年 一 月末に 獨 逸文に 

て脫 稿せられ、 口 ン -ド ン の 印刷所に 送附 せられた ので ある 

が、 其 最初の 一 部が 出來 上った 其 日 は佛國 1 一月 革命の 勃發 

した 一 一 GT: 一 一十 四日で ある。 新くて 力 アル • マルク スは其 共 

產 著者 ヱ ングル ス と共に 永久に 俥 へらるべき 名譽を 得た の 



である。 

(十六) 

『「共産 黨 宣言. 1 は 無資產 階級に 向って 思想 及び 行動の 指針.^ 與 

へ 主義 及び 政略の 根本 原則 供給した る L のにて、 マヤ グス及 

び H ンゲ少 スは此 宣言の 起草 以外 何 率^も 爲さざ りしと すろ 

彼等 は 之 LL よりて 永遠 に 傳 へらるべき-.^ ので あろ』 

ウィルヘルム *リ —プ クネヒト は 新く の 如く 共產黨 宣言 

を 批評して 居る。 

1 八 四 八年當 時の 共産主義 は 最早 歐洲 諸國に 於て 一 の 勢 

力と 認められた。 而 して 共産主義者 は 全世界の 真 表面に 立 

つて 其 見解 目的 及び 倾向 を發 表すべき 適當の 時期で あると 

信じた ので ある。 か、 る 二つの 理由から 共產 主義者 は共產 

黨 宣言 を 必要と したので ある. - 私 はこ、 に斷 つて 置かな け 

れ ばなら ぬ こと は ヱ ン ゲル スが 共產黨 宣言の 英譯に 寄せた 

序文 中の 一 節で ある。 事 は、 何故に 當 時社會 主義者 宣言と 

言 はすして、 共產黨 宣言と なせし かと 言ふ點 にある。 私 は 

ェ ンゲ ルス 自身の 言葉 を 引用す るで あらう.^ 「共 產黨 宣言が 

執筆 せられた 時、 私達 は 之 を 社會 主義者 宣言と 呼ぶ こと は 

出來 なかった。 一八 四 七年當 時に あって 社會主 1 と は 一 

方に 於て は、 諸種の 空想的 體系を 信す る 一 派 11 卽 ち英國 



J^5 



に 於て はォ ー ヱ ン 主義者、 佛國に 於て はフ —リヱ 主義者で 

あって、 兩者共 一派 をな すの みで 段々 と 衰運に 向 ひつ、 あ 

つたので ある。 11 であり、 地方に は、 すべての 瀰縫策 を 

以て 資本と 利潤と を 害する, ) となく 社會的 害惡を 除去 せん 

とする 多くの 社 會的僞 善 者 を 言 つたので ある。 而 して 兩者 

の 場合 共に 勞働者 階級 以外の ものに 依ってな り、 其 支持者 

は 有識 階級であった。 斯 くの. S く 一 八 四 七 年に 於て 

は社會 主義 は 中産階級 違 動で あり、 共産主義 は 勞働者 階級 

の 運動で あつたので ある。 大陸 諸國に 於て は社會 主義 は少 

くと も 尊敬 せらる る もので あり * 共産主義 は 之に 反して Diii 

たので ある。 而 して、 吾々 の考は 初めより 勞働者 階級の 解 

放 は 勞働者 階級 自らの 行動に 依ら. ねばなら ぬと 言 ふに あつ 

たので、 一 一つの 名前の 內 何れ を 採る かと 言 ふ 疑問の 餘地は 

なかった ので ある。」 新く の 如き ェ ン ゲル ス 自身の 言葉 を 聞 

けば 讀者 は當 時の 共産主義と 云 ふ もの は實に 近世 社會 主義 

のこと である こと を 知る であら、 フ。 

然 り、 共產黨 宣言の 出現 は 近世 社會 主義の 出現で あり。 

=^iハ產靈宣言に於ては近世社會主義の 一 大 理論的 根據 たる 唯 

物 史観が 力 說 せられ、 社會 主義の 攻策、 從來の 空想的 社會 

主義に 對 する 批評 等に 依て 其 根本 思想 を 知る こと を 得る 社 

會 主義 文 默中 最大なる ものの 一 つで ある。 けれども 私達 は 



共產黨 宣言が 斯く の 如き ヱ. ネック • メ —キング の 文書で 偉大 

なる 價値を 有する ものであると 同時に * 斯のカ アル • カウ ッ 

キ— が其獨 逸本に 寄せた 序文の 一 節 を 記憶せ ねばならぬ。 

「過去 六十 年 は 此の 共產黨 宣言の 影響な くして 過ぎ去る こ 

とが 出來 なかった。 其の 發 布の 當 時を觀 察し 之れ-に 適合す 

る ことの 正しかった に應 じ、 又た 時の 推移と 共に 陳腐に 歸 

する, 】 と 多から ざる を 得ない。 されば 此 共產黨 宣言 は 今や 

一 の 歴史的 文書と 看做すべき もので、 其當 時の 狀態を 知る 

に は、 掘强の 史料で あるが、 最早 現今に 於て 吾々 を 指導す 

る ものと 見る ことが 出來 ない。:: 新く の.^ き 共產黨 宣言 は マ 

ルクス 及び ェ ン ゲル スの 合著に なった ものである。 

(十七) 

「人類 は 其 生活の 社畲的 生雍に 依つ ズ、 一定の、 必然的の、 彼. 

等の 意志よ リ獨 立した る 關係卽 ち 彼等の 物質的 生 度 力の 一 定の 

發展 階段に 適 塵す る 生産 關係 に 入り込む ものである。 而 して此 

等 生産 關 係の 總和は 社會の 綰濟的 構造 なす ものであるが、 之 

が 卽ち社 會の眞 焚の 基礎で もって、 此 基礎の 上に 法制 卜: 及び 政 

治 上の 上 都 建築が 建立され、 社會 意識の 形態 も 亦 之 に 適應す る 

ものである。 物 貧 的 生活の 生産 方法な ろ もの, は 社會 的、 政治的、 

及び 精神的の 生活 過程.^ ば 凡て 決定す る ものである。 人類の 存 

在 決定す ろ もの は、 其意馕 に 非す して、 寧ろ 之に 反し、 人類 

の 社會的 存在が 其 意識 決定す る ものである。 社 會發展 の 一 定 



^ み 階段に 於て は、 ; M 會の 物質的 生 一 ^力に、 そが 從來 其^ 園內 に 

ふ 一 活動し 居た る 所の 當 時の 生產關 係、 又は 只 其の 法制 上の 表現に 

過^, さろ 所の 所有 關 係と 銜 突す る、 、とと 爲リ、 かくて 生. m カ發 

展の 形式た リし生 產關係 は、 變じて生產カの發展^^^9^縛するに 

至る。 こ. -に 於て か社會 革命の 時代が 來 るの. であろ。 綞濟的 

礎の 變 動に 伴 ふて、 s 大 なる 建築物の 全部が、 或は 急激に 或は 

徐 々に變 革す るので ある。 一 の社會 組織 は總 ての 生產 

力が 其 組綠內 に 於て 發展 の餘 地め る限リ 十二分の 發展 1^ 爲 した 

る 後 Li 非 ざれば、 決して 顛覆し 去る もので ない。 又 新.;.: なる、 

ょリ 高度の 生 產關係 は、 古き 社會の 母胎 Li 於て 孵化 さるる に 至 

ら. さる 以前に 於て は 決して 發 生し 來る t のでない。」 

マルクス は 一 八 五 九 年に 出版した 「經 濟學 批評」 の 序文 

に 於て 斯 くの 如く 其 歴史 觀を 述べて 居る が、 そ は、 旣に共 

產黨宣 首の 根本 3-;? 想であった ので ある。 共 產驚宣 首に 於け 

る 社會 主義 の 攻策 , 空想的 社會 主義 に關 する 批評に 就いて 

は、 洵に フリ— ドリ ッヒ 参ェ ン ゲル スが 一 八 七 一 一年 版の 共產 

黨 宣言の 序文に 雷った 樣に 時の 推移と 北 ハに變 化しなければ 

ならぬ ので ある。 けれども ェ ンゲ ルスが 生物 舉に對 する ダ 

—ゥ" ン說 なりと 言 へる マル. クス の 唯物史観の 價値は 今日 

に 至る まで 充分に 認められて 居る ので ある" 

(十八) 

斯 くの 如き 重大な 價値 を社會 思想の 上に 有する 共 產黨宣 



言の 史觀 は、 其 第 一 節に 於け る 次の 文章 を 以て 始まって 居 

る 

「總て 過去の 歴史 は 階級 闘爭の 歴史で あろ。 自由 民と 奴 隸> 食 

族と 平民、 領主と 農夫、 同業組合の 親方と 職人、 簡単に 言へば 

壓制 者と 被應制 者と は古來 常に 相反 目して、 或は 隱然の 或は 公 

然の絡 ゆろ ことなき 爭闘 1^ 繽 けて 居る。 而 して 何時も 全社 會の 

革^的變革1„^:3-て、 或は相爭ひっ --ぁる兩階級の共倒^^以て、 

其 局 1^ 結んで 居る。 

「初期の 時代の 歴史 縱か. は、 吾々 は 殆ど 到る 所 LL 於て、 社會 

が 種々 なる 身分の 者 に 全然 區 分され、 社會的 地位 LL 多様の 等差 

ある: とか 發見 する であらう。 古代 羅 馬に 於て は 貴族、 騎士、 

平民 • 奴隸が ぁリ、 中世に 於て は、 封建 諸侯、 家臣、 同業組合 

の 親方- 職人, 豊 夫が あり、 且此等 階級の 1 口 ど 各々 於て、 更に 

猶 それ, 4\ の 等級が あった。 

「封^的 社 會の崩 续ょリ 度れ 出で たる 近世の 町人 的社會 -.. "階級 

の對立 1^ 廢 した譯 ではない。 そ は 古き ものの 代りに、 只 新たな 

る 階級と 新^な ろ壓 制の 手段と 新たなる 爭鬪の 形式と.^、 有せ 

しのみ である。 

「乍 併 吾々 の 時代、 卽ち 有產者 本位の 時代 は * その 階級の 對立 

,<^簡單化せる、、と1^:^て特徵とする。 全社 會は 愈々 益々、 二 個 

の 敵視せ.. -ニ 大陣營 に、 互に 間近く 對 崎せ るニ大 階級に 卽ち有 

產 者と 無産. 者と L1 分裂し つ \ ある。」 

而 して、 共產靠 宣言 は 封建制度 は、 如何にして 倒れ、 之 

に 代りて 近世 資本主義 制度 は 如何にして 起り しかの 原因 を 

社會の 生産力と 其經濟 組織の 關 係に 之 を 得た ので ある。 郎 



ち 近世 資本主義 制度が 之 を 基礎と して 起 つ た 生產 手段 並 に 

交通 手段 は 旣に之 を 封建制度 中に 見る ことが 出來 る。 これ 

等の 生產 手段 並に 交通 手段が 一 定の 階段に 達する と 其當時 

に 於け る 封建制度の 經濟 組織 を 以てして は、 其 生産力に 對 

して 適應 する ことが 出來 ない ので ある。 而 して、 この 生產 

力と 生產 組織との 不調和, 〕 そ 近世 資本主義 制度 を 創造した 

ものである。 かくて 自由 競爭の 資本主義 は 封建制度に 勝利 

を 得た。 然し 資本主義 も 亦經濟 發展の 過程で ある。 資本 主 

義 制度の 生産力が 增大す る に 從ては 其 制度 を危く し て 行 

く。 吾々 は 之 を 詳論して 行く 必要 はない。 週期 的に 起る 恐 

慌は之 を立說 して 餘り あるで はない か" 

それの みで はない。 資本主義 制度 は 其 鬪爭的 性質の 結果 

として、 社 會喈級 を S 単純化 してし まった。 有産階級と 無產階 

級と は 之れ である。 無産階級 は實に 資本主義の 崩壞 を現實 

すべき 一 の 主要 勤 力で ある。 斯くて 資本主義 は 自ら 入る ベ 

き 墓 を 掘って 居る。 而 して 資本主義の 崩壞は 新しき 社會組 

織 へ の 必然的 變革 であり, 資本主義の 崩 壞とプ ロレ タリ ァ 

の 勝利と は 必然的の 運命で ある。 

(十九) 

- 斯くて 其 第 一 節 を 終って 居る が 吾々 は 實に其 中に 近世 社 

_ 會 主義の 理論的 根據を 見出す, J とが 出來 るので ある。 其 一 



は、 唯物史観で あり、 其 二 は 階級 鬪爭 論で あるが、 これ 等 

の もの は、 マルクス の 後の 著書 「經 濟學 批評」 「資本論」 殊 

に 其 後者に 依って 大成 せられた 餘剩價 値 論と 共に マルクス 

社會 主義の 理論的 體系 をな す ものである C この 三つの もの 

の社會 主義に 對 する 重要 は, J > に詳說 する まで もない。 

新くて 共產黨 宣言 は、 其 節 を 改めて、 無產 階級と 共產 主義. 

との 關係を 論じて 居る が、 共産主義の 他の 勞働 階級の 圍體 

と 異れる 所 はた、" 次の 如き 者で ある。 卽ち 各國の 無産者 階 

級の 國民的 闘爭に 於て は 共産主義者 はすべ ての 國民 性より 

獨 立して、 全 體のプ 口 レタ リアの 共通 利 tll^ を 第 一 とする の 

である- 其 二 は ブル ジョ ァに對 する 勞働者 階級の 鬪爭に 於 

て 通過す ベ き 發展の 諸 階級に 於て は 共産主義者 は 常にす ベ 

ての 所に 於て 運動の 利签 を全體 として W 表する ので ある。 

(二十) 

共産主義 運動 は 他の 社會 運動と 異 つて、 多數 者の 爲 にす 

る多數 者の 社會 運動で ある。 そ は 社會の 多数の 幸福の 爲に 

無產 階級の 運動 を 主眼と する。 

「萬 國の勞 働 者よ 園 結せ よ」 と 絶叫した 一 八 四 八 年の 力 ァ 

ル • マルクス は社會 運動に 從事 する 人々 や、 社會 思想の 研究 

者に 取りて 無限の 愛慕と 尊敬と を拂 はるる に 違 ひない と 思 

ふ。 (を はり) , 



5 現代人 物傳 n 



<0>吉 野 作 造 氏 

◊ 法學 博士 吉野作 造 氏の 名聲 は近顷 に なつ 

てから 稍々 下火と なって きた 觀 がないでも 

ない。 けれども そんな こと はどうで 宜し 

い。 その 人物の 立派な、、 とじお い \^、 さう 

し ズ福田 博士の ように- ソム ジ曲リ でない 點 

Li おいて、 吉野 博士の 人と しズの 立場 は、 

に 鮮に秀 れてゐ る。 ◊ 吉野 博士の 政論 家 

としての 立場 は ど、:. i あろ か。 政治的 民主 

主義 、れ が吉野 博士の 全部で ある。 吉 

野 博士の 言葉で い へば 民本主義が これ. であ 

る。 その 何れ してむ プ か ジョァ 臭の ある 

ものである、、 と は 勿論で ある。 こ.^ に吉野 

博士の デモ クラシ ー の 保守的の 性質が 存在 

すろ、 吉野 博士,^ デモ クラシ ー でもる とい 

へる にし ズ その デモ クラシ ー は^ LL デ 

モク ラシ— の最右 に 立って ゐろ もので な 

くて はならない。 たヾ に右冀 Li 立って ゐる 

のみで はなく、 その 「民本主義」 は以 つて 時 

弊 1-5^ 救 ふ. t はでき ない。 何と なれば 時弊の 

极底 LL 横 はって ゐる もの は 資本主義 である 



からであります。 從 つて.^ 代の 民主主義と 

はこの 資本主義に 對 して 正道に 坐.^ 占める 

ものでなくて はなら な いからで あります。 

◊ 正面-し 坐 占めろ といって そ- ュが福 

田 博士の いふよう L1 11 いや 福 田 博士 だけ 

ではない ソ ー シャシ • デ モク ラシ .- の 凡て 

の 敵が いふ £ う に ソ ー シャ^ 二 ァ乇ク 

ラシ-は 決して 勞働 階級の 湖 權の耍 求で は 

ない。 それに も か、 わらす、 吉野 士 まで 

が 福 田 博士の: の 膠 說に赞 成して ソ.' シャ 

^二 ァモ クラシ一は 全人 民の クラシ.' でば 

ない なぞと いって 居られる こと は、 聊か 博 

士 の;^ め LL 惜 まない わけに は ゆかない。 

◊ 特 Li 吉野 博士が *. 央 公論 六月 號で發 表し 

た 「民本主義、 社會 主義、 過激 主義」 と い ふ 論 

文で、 社 I 主義と は共產 主義で あると 無條 

件に 獨斷 され ズゐる こと Li は、 更によ リ多 

く 博士の 爲 Li 惜しむ ベ き 理由が ぁリ ます。 

◊ さ うい ふわけ で吉野 博士の 說 に は 感服の 

できない ところが 多い。 隨分 無責任な こと 

むいって ゐられ る。 慨 して い へば、 . 對內的 

關係 LL おいて は、 福 田 博士よ リも 保守的で 

もリ、 ま. i.: 理解 LL も 乏しい。 

◊ けれども 博士の 何れ か に デ モク ラチ クク 

なと、、, るが あろ。 彼れ は 決して 勞働 者の 友 



で. J ない。 また 勞働 者の 友と なリ うる だけ 

に、 彼れ の 思想 は 深く 刻み 込まれても ゐな 

い。 けれども デ乇グ ラチ- ソクの 性情ば 彼れ 

の 生れながら にして 具有す ろ と、、 るで あ 

らう。 彼れ は 夭 性, の 政治的 急進主義者 であ 

る。 然リ、 彼れば ポリ チカ 少、 ラ ディ カリス 

ト でお-る 。夫より 右で なく 又 左で もない。 

◊ ラデ イカリ ストの 心理 は 反抗の 心理で あ 

る。 それと とも Li 彼れ 自身に 徹底した ィズ 

ム fj- もたない。 その 點が吉 野 博士に おいて 

最もよ く 窺 ふ,, とがで,, V, ろ。 

◊ 私 は 旣に吉 野 博士が 福 田 博士よ リ國? 

生活の 內而 Li つい て 保守的で あると いふ 

た。 けれども 一度 外 政 問題になる とその 地 

位 は 忽ち 棘 倒せられ る。 吉野 博士の 外交 問 

題 LL ついての 觀察 は:^ めて 銳 利で ぁリ、 極 

めて 徹底的で あろ。 彼れ は その 對內關 係に 

おいて は 「政治的」^ 一 步も 出ろ ことができ 

ない にも か V わらす、 對外 問題に ついては 

立派な ソ, シャシ デモ クラシ- の 態度 少く 

と,. - それ-し 近いので あろ。 

◊ 内政 問題に おい \ ^微溫 的な 傅士 は、 外 政 

問題 Li つ いて は勇氣 LL 滿ちズ ゐた福 田 博士 

の 外交 論と は 比較に ならない ほど 立派で あ 

る (Deis) 



お 



米國 婦人 勞働 

組合の 發達 

倉 橋 藤 治 郞 

米國に 於ろ 婦人の 勞働 組合 運動 は大體 此戰前 迄, 化 四 期に 區 別す 

る 事が 出來 ます、 卽ち 

第一 期 一八 二 五 年 乃至 一八 四 〇 年、 組合 組織 運動の 萌芽 期 

第二 期 一 八 四 〇 年 乃至 一 八 六 〇 年、 勞働 改善 問題に 興味.^ 有 

っ阒體 の發建 及び 組綠 ある 行動の 開始 期 

第三 期 一 八 六 〇 年 乃至 一 八 八 〇^、 純勞働 組合の ハ 達 及び 嫁 

人 參政權 運動の 接頭 期 

第 四 期 一八 八 〇 年 乃至 一九 〇 八 i^、 ナイク、 ォプ、 レ 1^ ァ 

(Kn.ghls of I ab2.) の 敎育的 効 si^ 及び アメリカ- ン、 フ H デレ 

― シ ヨン .H フ レ. ー ホア (iv ョー丄 -lean Krt 一 I3aticn or l.tu) r) 

の リ,' ダ, 'シップの 下に 於る 近年の 發逮 準備 期 

此の y: 剴ば 亞米利 加工業 硏究 SK. ーョ icpn W ョ. ra.l :r Initial 

Kesarch) Li f< るので あります が, 其の^ 戰 〔サ 前.,. 5. リ 今日に 至る 

迄 は 第五 期と して 此 次に區 別すべき であります、 以 下 米^ 勞働 者. 

の勞働 統計^の 編 其ぶ せる 合 衆 L ゆ 婦人 及び 小;:>^勞働^1^狀態^止:1摘耍 

(sumnsr.y of the R--po..t on c 「一 nditw.-u or wosftn an 二 cy-kl \Va パ c 

learners iii ihe UnitfJ stats, U.S. ご eprcr Iab>r, B 一 一. ン o. 175, 

Dao.,:1915, Wash,, ;D,PU,SV,) 其 他 二三-め 册 子に 所々.: n 分の 見 



聞ん」 加へ て 合衆國 に. 於ろ 婦人 勞齒 組合の 歴史の 梗槪. ^紹介し 度い 

と 思 ひます." 

第 一 期 (一八 二 £—一 八 四 〇) 

此の 第 一 期に 於て は 未だ 今日 云 ふ 所の 婦人 勞働 組合 は 存在 

せす、 トレ— ド、 ュニ オシ の 名は苟 くも 職業婦人. か 圍結的 

行動 をな す 場合、 夫れ が 組織化され たると 否と を 問 はす、 

廣く 散.; Ili に 使用され たのであります、 而 して 團結的 行動と 

云 へば 殆ん どス 卜 ライ キ でありました、 卽ちス トライ キの 

一 如き 突發的 事件に 際して 圍結 する 事が 其 頃の トレ— ド、 ュ 

一 二 オン であって 今日の 如く 組合 勞働 者の $e 設圍體 と 限られ 

一 た譯 でなかった ので あり. ます。 , 

一 此 時代の 婦人 勞働者 中 ストライキ を 最も 頻繁に 行った の 

\ は 紡績工 女であって * 一 八 二八 年 七月 一! ュ— ジャ— ジ I 州 

\ バタ— ソン 市 (今日は 米!; 絕 織物の 中心地と なって 1:^2 る) の 

\ 訪績ェ 女達が 靈像 間 か 正午 十一 一時から 午後 一 時に 變更さ 

\ れ た^を 不服と して 同 休業した のが 最も 古い 記錄 であり 

ます、 女工 達 は此新 規定 を 忌避して 或 日 十一 一時に 歡 呼の it 

\ を舉け ると 共 に 工場 を 飛 出 し て 午後 休業の まむ を 得 ざ ろ に 

至らし め、 翌日 遂に 父兄 を 動かして 同市 大工、 練 瓦ェ、 機械 

ェ 等に 迄ス トライ キ は傅愤 したので あるが- 此罷ェ は 結局 

失 欺に 終り 且つ 此れ を 機と して 何等 勞働者 間の 組 n を 見る 



g に 至らな かつ だのであります。 

同年 十一 一月-一 ュ ー へ ンブシ ヤイア 州 ドヴァ の 紡績工 女 は 

新 工場 規則 を 酷な りと して 更に 大規模なる ストライキ を 

決 11^ しました、 此 I 能^も 失敗に JS しました が 組合 組織の ァ 

イデア は此 間に 培 チ され、 一 八 三 四 年-再び 同地 方 紡績工 女 

が 貸^ 爐 下に 反對 して I 能 業せ る 時, 地方の 新聞紙 は 『少女 

等 は會 針- (C:C1K-? M;-- ョ! fact:ri-1g comlKl 二. v ) の强 制する 條 

件に 從 はすして 相 支持の 必要の 爲 めに トレ ー ド、 ュ ニォ 

ンを組 熾せり J と 報じた のであります、 當時ェ 女 等の 最も 

反抗し U 條件は r 如何なる 園^と 雖も 業務の 妨害 をな し會 

社の 利益 を 害する. S きものに 加 人す る を 許さす. j . と 云 ふの 

でありました、 會社當 事 者 は トレ— ド、 ユニオンの 組 n を 

惧れ たのであります、 婦人 職工 間に ト レ 1 'ド、 ュ 二 ォ 一一 ズ 

ム の 普及 を防丄 す るに は 極端な る 壓制的 宣誓 を 彼等 に强ひ 

るに 在りと したので あり. ます、 而 して 其 結 栗 は 吾々 が 常に 

歴史上の總ての進步^!^^の跡に兄るが如く、 却って 婦人 勞 

働 者の 勞働 組合 運動 を豫期 以上に 促進した のであります、 

尤も 此ス トライ キ^^ は 失敗に 歸し、 當時 成立した ュ 二 

ォ ンも 何うな つて 終った か 今日 之 を 確め 兼ねる ので ありま 

す。 

同年 口 I ゥェ ルに 於ても 紡績工 女 は 賃銀 値 下に 反對 して 



ユニオン を 組織し、 其の 他 各地 紡績工場に 於て 婦人 努働者 

は ストライキの 場合に ュ 二 ォ ン を 組 熾 する 事 を 例と した 

が、 總て 常設 的な 組!! ある ものと は 認め難いので あります、 

罷業の 目的み 達する 爲 めの 臨時 的圑 結であって、 從 つて 罷 

業 か 成 効す る も 失敗に 歸 する も、 ユニオン は 自然 消 减に歸 

したので あります。 

History cf wcnltMl iii Industry in the u-lited statesv,Iwf« •• 

62163) によれば、 當時 紡績 女工 等の 就業時間 は 隨分長 か 

つたので あります、 卽ち 一 八 1 一六 年頃に は 十五 乃至 十六 時 

間の 勞働時 問 ほ マサ チュ— セッッ 州 ウェア に 於て 一 般 であ 

つたと ウィリアム、 グレ I 氏に よって 報告され て 居ます、 

又 同 州ッォ —ル、 リグ ァ では 一 八 三 〇 年頃 紡績工 女 は 午前 

五 時 又は 黎明と 共に 始業し 午後 七 時半 又は 夏期 は日沒 時に 

至って 終業し、 其 間 朝食 晝 食の 各 半時 間 を 差 引い, て勞働 時 

間 一 日 正味 十三 時間 半に 上り、 又 一 八 ニニ 一年中 ニュ— • へ ン 

ブシ ヤイア、 口. I ド • アイ ランド、 及び マサ チュ 1 セッッ 等 

では 十三 時 問 を 普通と し、 カネ チカ ゥト 州の ィ 1.. ク ル參ミ 

ル、 • グリス ゥォ ー ルド 等で は 十五 it 間 十分の 實際從 業^ 間 

が實 行され て 居りました。 

又 二 ュ —• ジャ I ジ I、 及びべ ン シ ルグェ 二 ァ各 州で も隨 

分 長時間の 努 働が 行 はれた 事 は、 一 八 三 五 年 二 ュ— • ジャ 



J. ジ I 州 バタ, 'ソ ン 市の 綿 絲 紡績工 女達 か 一 日 十三 時間 半 

の 就業 畤問を 十 一 時間に 減ぜん 事 を 要求して ス トライ キ 

し、 又 一 八 三 三年べ ンシ ルヴェ ニス 州 マナ ヤン クの 紡績工 

女 は 食事^ 間 を 除いて 十三 時に 亘る 長時間の 勞 働に 就て 抗 

議 した 事 等に よって 之 を 知り 得る のであります。 

斩の 如く 婦人 勞働 組合の 運 は 紡績工 女に 最も 著し か つ 

たので あるが、 努働 組合 的 行動に 出で た 年代 を 云へば、 一 

八 1 一 五 年 及び 一 八 三 一 年-一 ュ— ョ I クの 裁縫 女工 達 か赁銀 

爐下 及び 其不當 なる 事に 激昂し、 自衞上 之に 抗議 せんが 爲 

め集會 をした 事な ど は餘程 平い 出來 事であります、 後の 場 

合 は 罷業 女工 千 六 百 人、 罷業 期 問 四 五 週 問 乃至 夫れ 以上に 

百 一り、 其の後 尠 なくと も六ケ 年間 裁縫 女工が 互惠 又は 救濟 

組合の 件に 就て 集會 せる 事實を 調べ 得る のであります、 尙 

ほ バルチ モア ゃフィ ラデル フィァ でも 裁縫 女工の 機 11 の 成 

立 を 見た.. か 何れも 臨時 的の もので ありました。 

之 等に 比較す ると 千 八 百 三十 三年 マ サチュ ー セッ ッ州リ 

ン 市の 靴 裁縫 女工. か 組織した ュ 二 ォ ン は 其 常時の ものと し 

て は餘程 進歩した ものであって、 約 一 千 人の 女工 を 糾合し、 

組合員 は 一 ケ年 五十 仙の 組合 S を酶 出し、 貨 銀に ユニオン 

のスケ I ルを 固執して 遂に 逼主 をして 之 を 採用せ しめたの 

S であります が、 然し 夫れ も數 ヶ月の 後 或は 組合 質 不納の 爲 



め 或は 規定 以下の 賃銀で 仕事 をす る 者が 總 組合員の 四 分の 

三 以上に 上った 爲め、 遂に 組合 は 解散す るに 至った ので あ 

ります。 

要するに 此^ 代の 婦人 勞働 組合 は實驗 的の もので ありま 

して、 後年の 如き 勞働 組合 行動が 婦人 勞働考 Si に 根 强く發 

達する 迄に は尙は 第一 一期 第三 期の 時代の 數十 年の 倏 練と 敎 

育と を. i 要と したので あります、 男子 組合 ザガ働 者が 此 時期 

に 於て 婦人 勞働 者に 對 して 採った 能- M は、 婦人 勞 働^. か 其 

產 業に 占む る 地位 如何により、 卽ち 婦人.. か從來 男子^ 有の 

奎 業に 競爭者 として 入り込まん とする 時には 男子 勞働者 は 

猛烈に 之に 反對 したので あるか、 一 旦 婦人か^ 產 業に 相當 

の 地位 を 獲得し 最早 動かす ベ y から-さる- f^l- 絮と なった 時に 

は、 男子 勞働者 は 賃銀 標準の 低下 を 防がん 爲め 婦人 勞働者 

の 圑體を 後援した のであります つ 

第 二 期 ( 一 八 四 〇— 一 八 六 〇) 

此 時代 も大體 前期 同 樣寶驗 の 時代であって、 唯 前期に 比較 

して 更に 厘々 組合の 成立 を 見た のであります. か, 夫 等の 組 

合た る や 今日の 勞働 組合の 如く 目的の リジ ッドな もので な 

く、 範闺の 極めて 漠然とした 實行 性の 乏しい もので ありま 

した、 尤も 之 は 一 に は 時代の 反映であります、 此 時代 は 所 

謂 A period of enthusiasms ami theories てォ つて 社 <I3^ 



.從 一 秩序の 改造に 關 する 計晝を 以て 充满 し、 改革者の 田 は 可 

• 成り 漠然たる 人情 論 hn ョ anitariaiiisni 的 色彩が 濃厚で あつ 

た、 從 つて 歸 人勞働 者も此 時代思潮に 影響 せられて、 自ら 

勞働 改良! Si 會 r..l- ミ Kcfonn Association 等の. g き 圑體が 

此 時代の 特色と 云 はれる 程 盛んに. なった のであります、 職 

業の 種類から 云 へ ば 織物 紡績工 業の 女工 を 主と し 尙ほ鼴 

子、 靴、 裁縫 等の 勞働 婦人 を 包含し、 性質から 云へば 著し 

く敎育 的であって、 且つ 前述の. g くヒ ュ ー マ二タ リア, ーズ 

ムの 調子 を帶 びて 居る のであります、 又 地方から 云へば 口 

—ゥ エル、 マン チェス タ—、 ド ヴァ、 フォ I ルリ ヴァ 等の 

二 ュ I イング ラ ン ド 地方 を 主と し て尙 二 ュ— ョ— ク に 及 

び、 就中 口 ー ゥ ェ ルが 運動の 中心で ありました。 

然し 又 ストライキ も 度々 行 はれ、 厘々 賃銀 値上 ゆ 及び 勞 

働 時間 短縮に 成 効した のであります。 

婦人 勞働 改良 協會 F ,ョ ale Labor 

• 此 時代の 特色と 云 ふ ベ き 婦人 芬働 改良 協へ is は C1 1 ゥヱル 

の 夫れ を 最初で 且つ 最も 有名なる ものと します、 此ロ ~ゥ 

ヱ ル 婦人 勞働 改良 協 <i^:! は 一 八 四 〇 年頃 同地 方の 紡績 女工が 

賃銀 値上 及び^ 問 短縮 を 要求せ る 運動の 結 の產 物と して 

1 八 W 五 年 一 月に: れ たので あるが、 其 成立 及び 發 達に 就 



ては會 長サラ I. パグリ I 女史の 歉身的 努力に 待つ 所 甚だ 

多い のであります、 女史 は 自身 亦 十 年 以上 二 ュ I、 イング 

ランド 地方の 紡績工場の ェ 女であった 經驗. か あり、 非常に 

チヤ ー ミ ン、 グな 有能な 婦人で あつたと 云 はれて 居ます、 女 

史は單 に 口 —ゥ エルと 限らす 此 時代の 職業婦人 組織 運動の 

急先鋒であって、 屢々 全 國大會 に 婦人 努働者 を 代表して 出 

席し、 よく 口 — ゥヱ ル をして 婦人 勞働 改良 協會 運動の 中心 

地たら しめた ものであります。 

ミス、 バダリ ー の 如き 格好の リ —ダ ー を 獲た 口 ー ゥ エル 

の ユニオン は 直ちに 組合員 数 四 五 百 人に 達し、 婦人 勞働者 

數千 人の 署名 を 以て 一 日 十 時間 勞 働の 制定 を 立 法官に 陳情 

せる に 止まらす、 ミス、 バグ リ ー 等の 幹部 は 一 八 四 五 年 マ 

サチュ ー セッ ッ州 立法 委員 會に 出頭して 紡織 工業の 就業 者 

狀 態を說 明立證 したので あります、 此出來 事 は 第 一 に 合 衆 

國が 成年者に 對 すろ 勞働狀 態に は玫府 としての 調査 を 行な 

へる 最初の ものと して • 第ニは^<が令-然婦人勞働者の陳^ 

に 基け る點に 於て 米國 婦人 勞働 史上 著名な のであります、 

然るに 該 立法 委 nog!: 議長 は此 問^ に 甚だ 冷淡であった • 爾 

も 偶然 彼れ は 口 ー ゥェ ルの 出であった、 玆に 於て 口 ー ゥ 

ェ— ル 婦人 勞働 改良 會は 彼れ が 排斥 を 企て 遂に 数ケ月^の 

次期 選舉 期に 彼 をー洛 選せ しめたので あります、 マサ チュ— 



セ ッ ッ 州が 勞 働に 鬧 する 立法に 於て 進歩せ る裡 面に は此協 

會の 活動 亦 預かって 力. ありと 云 はれる のであります。 

十 時 問 勞働法 

iNJ 等 圑體の 運動 如何 に拘 はらす 叉 法律の 制定 如何に 關せ 

す- マサ チュ I セッッ 州 は 工場 從業時 の 短縮に 就て 常に 

他 州に 先鞭 を 着けて 居ます, 例へば 同 州が トー 一時間 制 を 採 

用せ る 時 他の 二 ュ—。 ー ン. クランに:.^ 州の 紡績工場 は 十三 

時 問 制で あり、 他 州 か. H 一時^ 制に 進める 頃、 此 -S 州は旣 

に 十 一 時間 制に 移って:: ^ました, 殊に 他 州で は 例 令 時間 制 

を 制定す る も、 .1; 場. H.1 は勞働 者との 問に 契約 を! t 結す る 時 

は 規定 以上 の 長 時 問努働 をな さ.」 め a- ると 一 •「 、一 ふ 此種 法律の 

特例 を 悪用して 法律 を 死文に 終ら しめたの であり. ますが、 

流石に 此 州は勞 働悶题 運動 者の 腰か强 くて よく 法律 を實行 

せしめ 得た のであります. - 

婦人 勞働 改良 協會 はついで ニュ I、 ヘン ブシャ ー 州の マ 

ン チェ スタ I の 綿 絲紡緒 女工に より, 且つ 口— ゥ エルの a 

會の 助力に よって 成立し * 爾來 婦人 棼働 狀體の 改善の 爲に 

或は 公開 演說を 催し 或は 並 V 、他の ガ法 により、 一年 經 たない 

問 に 約 三百 人の 正會員 をお し, 殊に 十 時間 勞 働の 制定に 就 

て 他の あらゆる 團體 より 更に 大 なる 努力 をな し、 遂に 一 八 

^ 四 七 年ニュ I、 ヘン プシ ヤイア 州 をして 合衆國 最初の 十 時 



間勞 锄 制度 實 行者たら しめた^で あ 4> ます、 此 頃より マ ン 

チヱ ス タ I の 努働者 は從來 男女 各 別に 葉會 せる 例を更 めて 

女 會合を 共に する 事に なりました、 婦人 協會の 幹事 は此 

れに 就て r 男工 は 吾々 を 除きて 何事 をん なし 難く 吾々 も. 

男工と 離れて 何物 を も 成就し 難しと 思惟し 行動 を 北へ にす ろ 

に 至れり』 (History <-f Wonianiii Trade union. P. 79) と述 

ベ て 居ます, - 

二 ュ —• へ ンプ シ ヤイアの 一 八 四 七 年 制定せ る 十 時 問 制 

度 は 其の後 六 年 問 口 — メン * ペン シルヴ ェニァ 、ニュ Ir ジ 

ャ—. ジ— * 口 I 、ド • アイラ ン ド 等の 各 W に 於 て 踏襲 さ る > 'に、 

至った のであります、 然し 此れ等の 十 時 sit^ は 工場 主と 勞 

働 者と. か 契約 をな す 時 は 換言すれば 努働者 か 同意す る 時 は 

時間 を 延長す る, が 出來る 除外例 を 認めて! S ました、 從っ 

て 工場 主は此 契約に 同意し ない 職工 を 雇 はない 事に し、 自 

然十 時間 以上の 長 時問勞 働を餘 儀な くせし むる 形と なり、 

甚 しき はブ ラック • リス トを 作製し 長 時 問 勞働を 承諾し な 

ぃェ女 等の 姓名 を發 表して 彼等 をして 糊口に 苦しまし め、 

歷制 屈服せ しめたので あります、 卽ち 法律で 十 時 問 制度 を 

定めた 事 は 大成功であった が、 其 連用の 實際を 見る と 死文 

に 等しかった のであります。 

此等 ニュ— イン グ ラ ン 諸 州 を 除いて は 二 ュ I、 ョ.) ク市 



^_ に 於て 一 八 四 五, 年 組織 せらた る 婦人 工業 協會 (Female ind- 

ustrial Assoc 一 ati) があって、 裁縫、 製本、 レ— ス、 縫 飾、 

縫 取 其 他 各種 類の 女工 を 網羅し、 又フィ ラデ ル フィァ 市で 

は 婦人 勞働 改良 家が 勞働 問^に 關 する 講演 を 試み 全 國勞働 

會議に 代議員 を 送り、 主として 敎育 的に 有効なる 運動 を 試 

みたので あります。 

ビ ッ ツバ ー,. クの 女工 罷業 

此 時代の 特色 は 前述^ 如く 孝 人勞働 婦良會 であり 叉 其の 

ヒュ— マ 二 タ リア 二 ズ ム 的な 點 にあり ますが、 ストライキ 

. も 亦 厘々 行 はれ、 且度々 成功した のであります、 殊に 有名 

なの は 一 八 四 八 年べ ン シルヴ ヱ 二 ァ州 ビ-ブ ツバ— グ市 地方 

の綿絲 紡績工 女の 企てた る 夫れ であって 時間、 給料 及び 勞 

働條 件の 改善に 關 し 約 六 年間に 亘 つて 斷續 罷業した ので あ 

ります。 

1 八 四 〇 年代の 初めに 此 等の 女工 は 賃銀 値上 及び 商店 注 

文法 (store-order system) の麼 止に 就て 罷業し 

一 八 四 三年に は 質銀据 置の 儘 勞働時 問 延長せられ しに 反 

抗 して 罷業せ る も 失败し 

一 八 四 四 年に は 賃銀 減額に 對抗 して 罷業し 

1 八 四 五 年に は 賃銀 改. わ 運動 を 放棄す ると 共に 全力 を 単. 

ゆて 一 日 十 時 問 勞働制 採用に 就て 盡 力し、 やがて 彼等 女工 



達 は 十一 一時 間 制の 工場に 復歸 はした が、 其 復歸に 際し 一 脂 主 

達より 今後 十 時 問勞働 運動の 機 續に對 して 何等 反對 をな さ 

ざる 旨の 首 質 を 得 . 

一 八 四 八 年 七月 四日に は 遂に 法律に よって 十 時間 制 を 確 

認 せられる に 至った のであります > 然し 當時 工場 主 側は不 

當な權 力 を 有って 居て 此 法律 通過 後 も 尙ほ言 を 左右に して 

之を實 施せす、 法律が 特別 契約の 下に 於て 十 時 問 以上 勞働 

の 除外例 を 求めた る を 奇貨と して、 十一 一時間の 勞働を 固執 

する 女工 達 を 解 厘し、 之に 對 して ス トライ キ 頻繁に 行 は 

れ、 中には 暴動に 變 じた 場合 も 一 度で な か つた ので ある 

が、 遂に 女工 側の 目的が ISlf 徹されて 十 時間 制度が 一 般に採 

用せられ ました、 然し 工場 主 は 犬鷲 的に 賃銀 六 分の 一 を 値 

下して 罷業 ェ 女に 報復した のであります。 (つ > く) 



U 資本論 解說 (高 畠 素 之譯) 

マ^クス の资 本論 分明に 解說 したむ の は本喾 である。 本書 

は恶者 カウ- ソ キイが a ら其序 文に 書いて ゐる 通リ、 マ かクス 

の赘 本論み 解說 とい ふより-.^ - 寧ろ カウ- ソ キイ 自身の 资 本論 

である。 本 害が すべでの 意味 に 於て 最近 の 日本の 讀甞界 が 得 

たろ 最大 收 獲の 一 つで あろ 事 はいふ 迄 もない。 (定 價ニ圓 八十 

さ X 文 社 出版部) 




福 田 博士 は 自ら 稱 して 日本の ぺ かト ラン 

ド- ラ-ソ セ^な リ とい ふ。 ベ〃 ト ランド. ラ 

クセ V か 唯 僅 L1 英國 Li 於て、 學者 らしから 

ざろ 痛快 味,^ 有すろ 學者 である こと.^ 知 ろ 

のみに 止って ゐろ予 は、 其 學說が 如何なる 

ものである か、 其英國 における 社會的 影響 

が 如何なる もので あるか、 とい ふ 事-」 つ、,' 

ズは 全く 無智で あろ。 唯 知れる 福 E 博士と 

知らざる ラ -ソセ かと 比較す るに 赏て、 予 

の 頭に 第一 -し 響く 矛盾 は、 英國の 福 E 德三 

.i にる ぺ かト ランド. ラ -ソセ V か S ら 社會 主 

義 者な リ、 と公霄 して ゐ ろに も關ら ず、 日 

本の べかト ランド. ラクセン たろ 福 E 德三 

博士が 《廿 ズ社會 主義者で ある、 と 公言した 

こと.^聞かざる、/とでぁろ0 雀と 雖" 海中 

に 入れば 蚣 となる。 11 觀じ 來れば 英國の 

ラ-ソ セレ, が 日本 Li 來て 社 會 主義 ん 消極的に 

否認す る學 者に なった、 、と は 夫れ ほど 注意 

_ すべさ 事で はない か i.- 知れな い。 

旦 二 



福 田 博士の 『解放』 釗刊號 の c」 頭に 揚げら 

れたる 『解放の 社會 政策』 なろ 論文ば、 あら 

ゆる 意味に おいて 日本の 最近 の 論壇が 獲た 

る 最大の 收 獲の 一 つで もられば ならぬ。 而 

して、 此 論文の 某-礎. < ^爲 して ゐろ 思索が、 

ラ -ソセ ク の 著述 に よって カづ けられた とい 

ふ 事ん) 聞く 時に おい ズ、 吾等の 與味は 一層 

深から ざる,, や 得ない 

鈔 くと" 『解放の 社會 政策』 なる 標語 は 福 

E 溥士 に よ つて 呼稱 y られた る 最も 新ら し 

き 內容 有 す る 標語 である。 

博士 に 從 へば、 『阈 と國 との 戰ゅ、 階級と 

階級ん-の 間の. 闘, は 決して 理性- .H 覺 とか 

ら のみ 起ろ- 1 ので は 無い。 理性と^!I:覺とは 

唯後夭的に拨助^|??して擔ャ>出されろに.過 

^ない。 戰^ と 闘 爭 惹起す 根本の 力 は 

銜動 であろ。 J1 而 して、 『此銜 動から 起リ、 

パ ク シ ョ. ン から起ろ戰^^.'ゃiI爭.^理性と.H 

覺と Li よって、 防止し iw べしと 考 ふる は 愚 

である。』 

『戰^1^杜絶し> 鬪爭 根 絡 せんが. i.: めに 

は 單に现 性の 生活 1^ 改造した 丈け では 駄目 



である。 改造 せれば ならぬ もの は 貧-」 パ-ソ 

シ ヨン の 生活 是れ である。 而 して- 浙の如 

き論據 から, 博士の 所謂、 止存擢 の社會 政策 

が 芽,^ 萌え出す。 曰 はく、 11 『吾 S!T か 生存 

權の保 ほ. 5- 社會 政策の 第一義と すべし, と 

一 H ふ 主として 其 心理的 作 川. ^ 考 へて 主張 

する もので あ- 國に 生れ、 社會 LL 活 くる 

限りの 者は權 利と して 其 生存 保證 せらろ 

る とい ふ 事!:: 心理 上大 なろ 安心.^ 與 ふる 事 

と 信す る Q 此 安心 yj- 與 ふろ 事に、. 卽ち 現在 

の^ 痛.^ 著し-緩和 する 所以で ある。 、、れ 

が 吾楚の 主張す る 生存 櫂の 社會 政策の 特徴 

であろ。』 と、 かくて 搏士の 年來の 主張^る 

生存 權み 社會 的政筑 なる もの は > 今日 此虚 

にべ かト ランド. ラ クゼ かの 書,^ 讀む 事 一.1 

依て、 新ら しき 解放の 社會 政策. 産む の 導 

因 1 化 造った,^ ——. 其 解放の 社 # 政策に よる 

時 は、 我物と 思へば 輕し 傘の 雪、 で 如何に 激 

しい 力作で も、 自己の 創意に ょリ, 且其事 

自身 1^ 目的と し ズ營む 時 は、 疲勞は 生す ろ 

が 苦痛に 必す しも 伴 はない。 i ぺ か トラ 

ンド. ラ-ソ や-て か 『企業 は 創造ん ぶ思 味す』 と 

叫んだ の は、 彼が 社 會主義 若で あると いふ 

こと.^ 前投 とする 所に 多くの 意味が ある。 

日本の ぺ かト ランド. ラッセ か に 何が 故に * 

最初 は脫 兎の 如く 二元的 立場,^ 固執し ズ、 

最後に 虚 女の 如く 宗敎 的な 精神主義 Li 歸依 

せざる..^ 得なかった ので あろ か。 (士郎 ) 



56 



圃 ムレ、 
寺": 



◊ 編輯 室と 校正 室 

♦ ^ 際勞 働會議 に 出席す る 女の 顧問 に 適 

おな のが ぁム とかない とか 色々 の 取沙汰が 

あろ。 先づ 山川 菊榮 女史で、 やったら よか 

らうで けな い V., 

♦ 女史 は::: おの 勞働狀 態に 通じない ヌ- い 

ふ^,.^ ある。 けれど 日本の 勞働狀 態に な 

ぞ ば?^ じな く V- も.! fI しい。 七 八十 年 前の 西 

洋の勞 働狀態 V 知って ゐさ へ すれば それが 

直!. i 今 口の 日本に 赏て箝 まるで はない か。 

だから そんな、 -とは 西 诈の勞 働委, 員の 方で 

よく 心得て ゐて くれる。 口 本で さう 心配し 

♦ 明 治の 初年に 福澤 先生が 西洋 事情 fs^ 書 

,k その 常時 日本人が 西洋に 驚いた より 

人 今日の 日本が、 國際勞 働 間 題で 西洋に 驚 

二との 方が ょリ 多く 深刻で わらう。 西 

さん L どうせ 外交に は失败 だし、 また 

.i^ 功す ろ だけの 腕む あるまい から、 先づ 歸 

つて 「新 西洋 事 i^」 で-- 書い^ はどう か。 

令河 上 博士の 「社 侖: 閑 題 研究 も 六 =: 號 

休んだ。 何のた めに 休んだ か。 i お 局の 千涉 

があった からだと いふ 人 もめる が マサカ そ 

んな 頑迷な 赏局 でも あるまい。 ナ せってい 



ふの か。 それ は 「平民 內閣」 ではない か。 

♦ その 河 上 博士 は 今で: そソ ー シ ャ.^ 

デ モ クラット となって ゐ るが、 大學 ,.^-;^ 業 

した 顷 に は 三 井 物産 に 入ら う として 運動し 

たこと J 。わるさう だ。 さう して 鼓 爭の結 5^ 

同窓の E^e 崎 敬 義^ Li 負け.;,: と いふ 、、• とだ。 

♦ 負けた、 一とが 傅士 に は 幸福で あったら 

う。 三 井 あた リに 入つ.;: ところで 今 匸か 

だか 支店長 位ゐ であつ. i,: らうで はな い か。 

♦ 「解放」 とい ふ雜誌 が^れな 流石に 福 

W is- 士 主维, V する だけあって 立 派な 勢で 

出て さた 。みな い 、。三 號 からば 文 蘇の 方而 

に 富 m 碎花 君の やう な 新人が 活動す る さ う 

だから 一層い のがで きろで あらう。 

令 福 m 博 十. の 「解放の- 社會 政策」 ん 1 面白く 

讀んだ。 堺利:^^1;の;|論文,-.-リ白く讀 だ。 

た >惡 口 い へに、 矢 野 一 fi 太 君の 资本 主義 

萬 能 論、 さう して 資本家 的 常識 論に は 少し 

ゥ ンザリ さ^られ たつ 

♦ 友愛 會>= ^、代表 ,.!- ィ十: n 本の 勞働 階級 

. ^代表す ると い ふ觸れ 出しで 巴 SH ま. で 牧野 

さんの お 伴,.^ 承 つ た鈴木文治^5^も近 々歸國 

する さう だ。 この 原稿が 印刷され るまで LL 

は歸國 して ゐる のむ 知れない が、 it ると 一 

捫着 起ら す-」 はゐな いとい ふ 話 だ。 



命 その 們, 着と いふの は、 友愛 會の屮 > 中 

と 外と 呼應, - -て 友愛 會乘 取リ. ^計 蜜して ゐ 

る ものが あるから だとの ことで あろ。 それ 

もよ からう。 たが 成らう、 一とな に內輪 同士 

の喧 ゆ-はや めて、 工業 惧樂 部の 中と でも 

對抗 して はどう か。 

❖ 勞働述 動と い へ に 働 同 ー會と い ふむ 

の は 至 極微?. I 的な 1- の .-ょ うに 5^ ; て ゐ;^ 

が、 .货 際 は 大杉榮 君が 指 尊者 だとい ふ 話が 

ある。 

♦ SIS 際 はどう か 知らないが。 大杉 君に n: 

本社 會運 is- や.,. ちで 一 桥に赏 際 的で あろ 

やう だ。 .11 思恕 は非赏 際 的 だが。 

令國 家社會 意の 講演 會 には聽 衆より L 探 

偵の 数の 方が 多かった とい ふが、 クマ リほ 

衆よりも 探偵の 方が 「自 覺」 、して ゐ ろから 

であらう,、 

♦ 、、の 夏に は 平民 大學の 方で も講演<|2.^ 

や つ ズ氣焰 > ^舉げ ろ さう だが 、 、 の 方 も 探偵 

;,: け 「,:s 覺」 てゐる やうな こと はない かと 

今から 無 川の 心配 して ゐる むの も あろ。 

♦ i せば い 、のに 佐 藤中將 一 波の 軍問述 

が國民 外交 〈1"1<5- よ/ \ やろ さう だが、 さ 

うなれば 國!^ の 方で^ 閥 外交 會で もやる 外 

はもる ま い。 ( 一 記者) 



一 

關稅 問題より 見 一 

たる 支那 改革案 

森 恪 

次に 褐出 する 評論 は 過去 四十 ケ年以 上 LM 旦て、 支那に 於け 一 

る 商况. „ ^研究す る 者の 手に 成ったら ので、 前 秕關委 105 フ、 一 

ィ- . ティラァ氏の手に依て編輯ぜられ.^.:ものでぁろ。 現在 一 

の 日本に とって は 甚だ 興味深 さ もので あ ろ 信す るが 故 l: 左: 

に抄譯 すろ。 

『一』 ノ 一 

曾て 支那に 在留した る 者、 或は 支那に 特殊の 利 

害 關係を 有する 者 を 除外 すれば、 後に 殘 つたる 多 

數の者 は、 支那 海港 稅關署 の 告示 を 見て、 必すー 

や、 一八 五 四 年に 設置せられ たる 關税 が、 一八 五一 

六 年 以後、 一つの 法律と なって 常に 一英 國 民の 自: 

由の 下に 在った とい ふ 事實を 理解す るに 苦しむ で: 

あらう 

丄 一 八 五八 年に 於け る 天津 條 約に 追加せられ たる 



賀易條 例の 第 十一 條は、 支那 政府に 依て 選拔 せら 

れ たる 外 國賀 易檄閱 長官に 依て 自由に 其 『懲稅 行 

政.』 上の 援助 者たり 得る と 思考す る 英國人 を 選ぶ 

べし、 とい ふ 盟約 を爲 された。 

凡そ、 稅關 公務の 奇 現象と もい ふべき は 其委: 『ク 

に 取て 支那 人に 對 する 智識の 獲 取、 並びに 税關規 

則の 研究が 必要な もの で ある 事 は 一一 一 曰 ふ ま で も 無 い 

が、 一般 經濟學 並びに 商業 事 1^ に對 する 研究が 全 

く 閑却され てゐる 事で ある G 

曾て 一 日本 稅關總 儉閱官 は 其 大臣の 後援の 下に 

シ ュ ィ 。ク— e チ イク をして 運輸省. の 上に 苛酷なる 

租 稅を附 せん 事 を 要求した 事が あった。 此租稅 は 

極めて 僅少な 額 を 政府に 提供し をる ものであった 

から、 唯に 內國の 商業 を 抑止す るば かりで なく、 

更に 進んで 輸出 を も 減じて 商品の 運動に 朿縳を 加 

へ、 而 して 進んで 此策 を實行 せんとす るに 在る の 

である。 斯の 如く 新奇に して 且 有望なる 事業に 對 

して 課稅 する は、 決して 輸入 防止の 爲め 援助 を與 

ふるものに 言 ふ 事 は出來 ない。 而 して、 支那に 於 

て 都市 よ り 都市 へ 輸送 せらる. - 郵便小包に 課稅せ 

らる、 が 如き 財政々 策 は 他 の 決して 取らざる 所 



^_ である。 

『二』 

輸出 增加は 支那に 於て 最も 重要な る もの であ 

る。 今日 見解 狹 きものが 徵稅 公務 を 指揮す る 事 は 

極めて 憂 ふべ き 現象と 言 はねば ならぬ。 

一 八 九 八 年に 支那 政府 は英國 大臣と 盟約して 英 

國が 優勢なる 間 は 税隠總 儉閲官 は英國 人た るべ き 

事 を 規定した。 この 事實 は、 或 方面に 於て は 優勢 

なる 國が總 檢閲官 の 地位 を 占む る 事 を 得る も の 

である、 とい ふ 事 を 思惟せ しむる 最も 有力なる 反 

證 となった。 然るに 現今に 及んで は 代理 總檢 閲官 

は 日本たら ざる 可ら すと 欲求し 來れる 日本, が、 今 

や 其 對支賀 易の 發展 に乘 じて 總檢閲 官も亦 日本人 

たらざる 可ら ャ、 と 要求す るが 如き 場合に 吾人 は 

遭 逢した ではない か。 斯の 如く 日本の 貿易が 優勢 

となって 來 たの は 主として 戰亂に 依て 生じた る 現. 

象なる こと は 言 ふ 迄 も 無い が、 » く とも 日本 は將 

來に 於て、 第二 位 を 占むべく、 又 其 商取引 も 漸次 

增 加す るに 相違ない。 

一 九 一 七 年に 於け る 日本 並びに 朝鮮の 對支賀 易 



額 は 合計 三 億 四千 八 百 萬に 達し、 英國は 香港、 印 

度、 及び 英領 植民地 を 加へ て 漸く 六 千 六 百 萬の 優 

越 を 示せる のみであった。 若し 夫れ 英國 原產 品な 

ら ざる ものにして、 香港より 出せる もの を 英國取 

引 額 中より 除外し、 香港 収 引に 於け る 日本 產品を 

日本の 部に 換入 する 時 は、 過去に 於け る 英國の 優 

越 は 疑 ふらく は 消滅せ ざる を 得な いで あらう。 

若し 斯の 如き 狀 態の 下に 在て 猶英國 政府が 税關 

の 支配 權を 自己の ものと 爲 さんと する 時 支那が 一 

般 商業の 發展、 徵稅增 加、 更に 其 最高 能率 を杲し 

て眞に 欲する か、 否か は 疑問で ある。 . 

『三』 

次に 揭 ぐる 所の 表 は 一 九 一 七 年度の 稅關 収引統 

計 表より 引用せ る ものであるが、 日本の 對支 取引 

が 英國の それより 以上な りと 云 ふ 前文 を 良く 說明 

する ものである。 

英國 アイ か • す プ* 3- 

マン 立法 院 合計 

香 港 一一 七 iTSE 五、 

パ ン おへ ホ J 一一 i 二、 21- 

英領 印度 量、 九 三 九、 i 七 一 日 本 憂 七、 ii:o、 七 10 



大英國 セ八、 c セ八、 九 a 

加奈陀 二、 七 八 Q ぺ六九 

け;: スせ 一、 六 三、 朝 鮮 二 、一一 一六 一、 九 g 

. 南 亞弗利 加 Jf? 七、 七三 

計 四 三、 11 六 七、 七 I 七 一 C 七、 八 八、 六 丑 

香港に 於て 測定せ る 所に 依れば 一 九 一 七 年度に 

於け る 支那と 日本の 賀易は 三十 パ ー セ ント卽 ち 三 

千 二百 萬であった とい ふ。 然し 乍ら 此の 測定 は 信 

する に 難く、 吾人 は、 より 以上に 精確なる 計算 をし 

なければ ならない。 只 簡^なる 方法 は 支那の 外國 

取引の 合計より 香港との 取引 を 差し引き 其 殘餘を 

各國に 充て k 其 割合 を儉 し、 然る 後に 各國の 直接 

取引と 香港 經由 取引との 割合 を檢